神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第三部 第二章 クリムゾン・エッジ
第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第二章 1


 

第二章 クリムゾン・エッジ

 

 

       * 1 *

 

 窓側の後ろの方にある僕の席の斜め前は、空席だった。

 やっぱりたいしたことを話していない担任教師の終わりのホームルームの連絡事項を聞き流しつつ、僕はその空席をじっと見つめていた。

 今日は火曜日。

 空席の主は、夏姫。

 土曜に校門の前で別れて、日曜は僕の家で練習をするはずだったけど、夏姫は来なかった。

 いつも一番に来て昼飯をつくってくれたり、それができないときはメールでも通話でも連絡をくれていたのに、何の連絡もなかった。こちらからの連絡にも応答がなかった。

 週が明けた昨日の月曜は学校を休み、今日もまた夏姫は休みだった。

 ――何やってんだ、あいつは。

 姿を見せず、連絡も取れない夏姫に、僕は苛立ちを感じていた。

「ちょっと克樹。夏姫と何かあったの?」

 日直の挨拶の号令に自動的に礼をこなした後、ポケットに忍ばせておいたイヤホンマイクを耳につけて電源を入れたところで、そんな声をかけてきたのは遠坂。

「なんだよ」

「夏姫、今日も休みじゃない。あんたがなんかヘンなことして、休んでるんじゃないの?」

 苛立ってる、と言うより僕に対して怒ってる様子の遠坂は、犯人が僕であるかのように、周りにまだクラスメイトがたくさんいるというのに声を荒げてくる。

 担任こそもう教室を出ていていないが、クラスのそこかしこから僕に白い目が向けられる。僕に対する悪評がさらに広まるような気がしたが、そんなのはいまさらだからどうでもいいことにする。

「僕は何もやってない」

「本当に? 先週は他の学校の可愛い女の子に抱きつかれたり手をつないで歩いてたって話も聞いてるんだけど? 二股かけて夏姫を泣かしてたりするんじゃないの?!」

 頭から僕が悪いと決めつけてくる遠坂は、僕の反論に対して顔を怒りに染めながら、唾でも飛ばしそうな勢いで言葉を投げつけてくる。

「別に、その他の学校の子とつき合ったりしてるわけじゃない。というか、夏姫とだってつき合ってるわけじゃない」

「え? 嘘……。そうなの?」

「本当だ、って。僕はそんな可愛いことつき合うようなキャラじゃないだろ」

「それは……、否定しないって言うか、本人同士の問題だけど。克樹が普通に女の子とつき合ってるのなんて想像できないけどさ」

 勢いを失った遠坂は少し呆然とした感じで、意識してるのかどうなのか、割と傷つくことを言ってくれるが、僕自身が言ってるんだからしょうがない。

「で、でも、夏姫が克樹のせいで休んでないってのは? 連絡したけど返事もないんだけど」

「家の事情で休んでるらしいよ」

「そうなの?」

「担任に確認したら、夏姫からそう連絡があったって言うんだから、本当だろう」

「……そっか」

 やっと納得してくれたらしい遠坂は、机越しに詰め寄るようにしていた身体を起こした。

 連絡がつかない夏姫のことは、今日の午後に担任に確認していた。

 彼女は独り暮らしなんだ、酷い風邪でも引いたら助けてくれる人も側にはいないんだし、エリキシルバトル関係のトラブルに巻き込まれて大変なことになってないとも限らない。

 担任からは家の事情、という以上のことは教えてもらえなかったが、昨日も今日も朝に連絡があったそうだから、たぶん大丈夫なんだろう。

 昨日の放課後には夏姫の家を訪ねてみたが、呼び鈴を鳴らしても出てこなかったし、部屋の中からは物音もしなかった。ただエリキシルスフィアの反応だけはあったから、ブリュンヒルデは家に置いたまま出かけてるんだと思う。

 ――いったい、何があったって言うんだ。

「ねぇ、克樹」

「なんだよ」

 何か用事でもあったのか、まだ僕の前で考え込むように顎に指を当てていた遠坂が声をかけてくる。

「先生からプリントとか届けてほしいって言われてるんだけど、克樹も行く?」

 二年でもクラス委員に選抜された遠坂は、手に持っていたデータスティックを僕に示してくる。

 プリントと言いつつほぼデータでしか配られない配布物は、学校の中にいれば何も気にせず授業用の端末で受け取れるけど、学校外ではセキュリティがどうとかでネット経由で送信ができない。授業用の端末に接続することでセキュリティが解除されるスティックに、昨日と今日の分のプリントが入ってるんだろう。

「……行かない。別にそこまで気にしてない」

「何言ってんの。連絡取れないからって先生に安否の確認取りに行ったあんたが」

「ぐっ……。家にいないかも知れないし」

「ん、わかった。もし家にいて、話聞けたら教えるよ」

「デリケートな問題かも知れないんだから、しつこく聞き出したりするなよ」

「わかってるって」

 すっきりとしたものじゃないが、笑みを浮かべた遠坂は軽く手を振って教室から出ていく。

 聞き耳を立てていたらしいクラスの連中も、解散して帰りの準備を再開していた。

 最後まで視線を向けてきていた近藤に肩を竦めて見せて、僕はひとりで教室を出る。

『夏姫、大丈夫なのかなぁ』

 イヤホンマイク越しに、リーリエがそんなことを言ってくる。

 廊下を歩きながら、僕はそれに小声で答えた。

「連絡つかないんじゃわからない。ヒルデは無事なんだから、本当に家の事情なんじゃないか?」

『そうかも知れないけど、心配だな。むぅ……』

「まぁな」

 心配そうなうなり声を耳元で上げてるリーリエに同意の返事をしながら、僕は考え込んでしまっていた。

 父方も母方も親戚づき合いはないという話は夏姫から聞いてたし、母親の春歌は故人なのだから、本当に家の事情だとしたら、おそらく父親に何かがあったということだ。

 夏姫からは微妙な関係らしい父親の話はずいぶん前に聞いて以降、一度も話題に出たことがない。

 本当に家の事情なのかどうかも怪しいところだったけど、連絡がつかないし、家にもいないんじゃ、僕にはどうすることもできない。

 苛立ちが抑えきれず、僕は昨日からもう何度したかもわからない舌打ちをしていた。

 ――なんでもいいから連絡してこいよ、夏姫!

 

 

          *

 

 

「ここ、だったよね」

 携帯端末のナビ表示で間違いないことを確認して、明美は大きな地震でもあったら潰れてしまいそうなアパートを眺めた。

 担任教師から送信された住所を見て、鉄製の無骨な階段を上がり、浜咲と表札のある部屋の前に立つ。

 呼び鈴を鳴らしてみたが、反応はなかった。

「夏姫ぃー? 明美だよーっ。学校のプリント持ってきたよーっ」

 扉に呼びかけながらノックしてみたが、やはり反応がない。家にいないのかと思ったが、換気用らしい小さなガラス窓の向こうには、灯りが点いているように見えた。

 ――どうしよう。

 担任からは家にいないなら郵便受けに入れておいてくれ、と手紙の入った封筒も渡されていた。

 言われた通りにして帰ろうかとも思ったが、父子家庭で、父親も家に帰らないという夏姫の家庭事情を少しだけ聞いていた。父子家庭で家族の事情というならば、親戚の可能性も考えられたが、父親に何かあったのかも知れない、とも思う。

「ゴメン、開けるね」

 心配になった明美は、ノブに手をかけて、回してみた。

「開いた……」

 鍵はかかっていなかったらしく、扉は開いた。

「夏姫、いるー?」

 滑り込むようにして入った室内は、キッチンなどを含めても、明美が自室として与えられている部屋よりも少し広い程度の、狭い部屋だった。

 綺麗に片付いている脇のキッチンに目を向け、鍵がかかってないなんて不用心だと思いながら部屋の奥を見ると、夏姫がいた。

「……どうしたの?」

 学校に行っていたわけではないだろうが、制服を着た夏姫が、壁に背をもたせかけて座っていた。

 その顔には生気はなく、いつも元気で明るい彼女の面影はなかった。

 生きているのか怖くなるくらいに、明美の声にも反応していない。

「夏姫? ねぇ」

「……あ、明美」

 靴を脱いで側まで近寄って声をかけると、いまやっと気がついたようにうつむかせていた顔を上げ、小さく微笑んだ。

 ためらいつつも、普通の状態には見えない彼女に、明美は問うてみる。

「何かあったの? 大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよ。でもなんで明美がいるの?」

「先生からプリント届けるように言われたから持ってきたんだよ」

「そうなんだ。ありがと」

 言葉は普段通りでも、声に元気のない夏姫は、鞄から取り出したデータスティックに手を伸ばそうとしない。仕方なく天板を折り畳んである机の上の、夏姫のピクシードールが座っている充電台の横にそれを置いた明美は、彼女の様子を詳しく眺める。

 最後に会ったのは土曜日だったのに、丸三日の間に夏姫は別人になってしまったかのように違ってしまっていた。

 微笑んでいるのにその頬は痩け、目の下には黒い隈が浮かんでいる。力が出ないかのように身体は弛緩していて、首を動かすのすら億劫なように見えた。

 ふと思って部屋の隅のゴミ箱に視線を走らせてみると、何も入っていなかった。

 自炊しているという彼女がいまの状態で食事をつくれるとは思えない。外食で済ませている可能性もあったが、動くのも億劫そうないまの状態ではそれも考え難かった。

「ちゃんと食事してる?」

「うん、大丈夫だよ」

 大丈夫と言うが、食べてるとは言わない。笑っているが、その目は明美を見ていない。

 失礼だとは思ったが、明美は立ち上がって狭いキッチンに行き、冷蔵庫を開けてみた。

 お茶か何かと思われるポットに入った飲み物の他に、食べられそうなものは入っていなかった。隅にあるゴミ入れにも、何も入っていない。

 夏姫の元へと戻った明美は、彼女の肩をつかんで、正面からその目を見つめて問う。

「いつから食べてないの?」

「んー。いつからだろ。わかんない」

「何があったの? 夏姫。……もしかして、お父さんに何かあったの?」

 ためらいつつも言った明美の言葉に、夏姫は笑っているだけだった。

 けれどもその目尻に涙が溢れ、筋となって零れた。

「パパが……、パパが死んじゃうかも知れない……。事故で、意識なくて、それなのに、何か、責任取らないといけないらしくて……。アタシ、わかんない。何がどうなってるのか、ぜんぜんわかんない……」

 笑顔を保っていられなくて、顔をくしゃくしゃにして泣く夏姫を、明美は胸に抱き寄せる。

 夏姫の父親が事故で怪我をして、意識不明の重体であることはわかった。しかしそれ以外のことは明美にはよくわからない。

 仕事の関係で起こった事故の結果の怪我なのかも知れないと思うが、堰を切ったように大声で泣く夏姫に問うことはできそうになかった。

 友達程度の立場で、踏み入っていいことのようには思えない。ただ、自分では助けられそうな問題ではないことだけはわかった。

 ――でも、克樹なら?

 家もそこそこ裕福で、自身も高校生とは思えないほど稼いでいるらしい克樹。

 そしておそらく、夏姫にとって一番近い、明美や、もしかしたら父親よりも近い距離の彼。

 どれほど大きな問題なのかはわからなかったが、克樹ならば何とかできるかも知れないと思った明美は、夏姫の肩を押して身体を離し、彼女の顔を見つめて言う。

「克樹に相談してみよう? あいつだったらもしかしたら――」

「ダメ!」

 遮るように発せられた否定の言葉。

 先ほどまでの何も見ていないものでも、悲しさやつらさに揺れているものでもなく、強い拒絶を感じる瞳を、夏姫は見せていた。

「ダメって……。相談とかするならたぶんあいつが一番――」

「ダメッ。絶対にダメ。克樹には頼れないの。頼りたくないの」

「そんなこと言っても、先生とか、親戚の人に頼るとかはできないんでしょ? たぶん。だったらやっぱり克樹に、相談だけでもすれば何かいい方法考えてくれるんじゃない?」

「うぅん。ダメなの。克樹には迷惑かけられないの。アタシと、アタシの家の問題だから」

 涙が止まった夏姫の瞳は、それでもまだ揺れている。

 様々な感情が渦巻いているように、いまにも零れ出しそうな涙を必死で我慢しているのが見えた。

「克樹にだけは絶対に話さないで。お願い、明美」

 どんなに激しく揺れていても、その気持ちだけは確かなものらしい。力の籠もった瞳で見つめられて、明美は迷ってしまっていた。

 克樹に話してどうにかなる問題ではないかも知れないとも思う。

 彼に迷惑をかけたくないという夏姫の気持ちも理解できる。

 それと同時に、明美は理解する。

 ――夏姫にとって、克樹ってそんなに大切な人なんだ。

 絶対に迷惑をかけたくなくて、必死でそれを訴えかけてくるほどに、夏姫にとって克樹は大きな存在なのだと、明美は感じてしまっていた。

 ――そっか。そうなんだ、夏姫。

 寂しいのとも、悲しいのとも違うような、複雑な気持ちに胸がつかえそうになっているのを悟られないようにしながら、微笑みを浮かべた明美は、夏姫の訴えには返事をせずに言う。

「ちゃんと食事はしないとダメだよ」

「うん、わかった」

「連絡取れないって克樹が心配してたから、返事くらいはしてあげて」

「……落ち着いたら、するよ」

「そうして上げて」

 目を逸らした夏姫が、克樹に連絡をしないだろうことは想像できた。

 メールの返事ひとつ入れられないくらいに、問題が大きいのだろうと思う。

 細かく身体を震わせている夏姫を、明美は抱きしめてやることしかできなかった。

 

 


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