神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第二章 第二章 黒白(グラデーション)の願い
第二部 黒白(グラデーション)の願い 第二章 1


 

第二章 黒白(グラデーション)の願い

 

 

       * 1 *

 

 

 ドライヤーで髪を乾かし終えた夏姫は、洗面所の鏡を見ながらブラシで髪を整え、少し高めの位置にまとめて左手で固定し、咥えていた髪ゴムを右手で取ってポニーテールにまとめた。

 レースの飾りがついた水色のブラとパンティ姿の彼女は、顔を右へ左へ振り向かせ、髪に乱れがないことを確かめる。

「よしっ」

 大丈夫なのを確認してにっこり笑って見せ、半袖のTシャツを羽織った彼女は洗面所を出る。狭いキッチンという名の廊下を数歩歩いて六畳ほどの部屋に入った。

 一間しかない畳の部屋には、あまり物が置かれていない。

 天板を仕舞える収納兼用の机と、いまは脚を折り畳んで変色している壁に立てかけてある四角い卓袱台、小物入れを兼ねたローチェストの上に平面モニタがあるだけだった。

 一年半ほど前までは、この六畳一間の部屋に、母親の春歌とともに生活していた。

 春歌の死後、元々少なかった彼女の持ち物はほとんど売り払ってしまって、形見になる小物の他は、平面モニタの横に立ててある遺影代わりの写真くらいしかなかった。

 中学の頃のセーラー服を着た夏姫とともに春歌の微笑みを少し眺めて、夏姫は小さく吐息を漏らす。

 机の上に充電中の学校用スレート端末が出しっ放しにしてある他は片づけが行き届いた部屋で、夏姫は誰もいないのをいいことに、下着にTシャツを羽織ったままの姿で押し入れを開けた。

 中途半端にクローゼット風になってるその中には、下段に畳んだ布団などが入っていて、上段にはさほど多くない服が掛けられていた。

「んー。今日は何着ていこう」

 服を見ながら、夏姫は唇に人差し指を当ててしばし考え込む。

 克樹に昨日教えてもらっていたところを復習していて、寝たのはずいぶん遅い時間になってしまっていたが、いつも通りの時間にすっきり起きることができた。

 ちゃんとは決まっていない昼食後と指定された集合時間には余るほど時間があったから、シャワーを浴びてさっぱりした夏姫は、今日着ていく服をじっくり悩む。

 高校二年になり、明美とともに同じクラスになった克樹とはちょくちょく話すようになり、これまで知らなかった彼のことを多く知ることができていた。

 集合は昼食後だったが、料理をつくるのは苦手、というより面倒臭いらしい彼のために、少し早めに食材を買って持っていこうかと考えていた。勉強を教えてもらっているお礼に、お昼ご飯くらいつくってあげても罰は当たらないだろう。

 そのとき鳴り響いたのは、スレート端末の横に置いてある携帯端末の着信音。

 着ていく服を考えるのを中断して手に取ってみると、見知らぬ番号だった。

「誰だろ」

 眉を顰めながら応答ボタンを押し、耳に当てる。

『夏姫? 夏姫だよね?』

「え? うん。リーリエ? どうかしたの?」

 人工個性なのに本当に人間の女の子のように慌てた声を出しているのは、リーリエ。

 まだ集合時間にはずいぶん早いし、何を慌てているのかと次の言葉を待つ。

『助けて! 夏姫!! すぐに来て!』

「何があったの?!」

『夏姫にしか頼れないの。急いでうちまで来て!!』

「うんっ。わかった!」

 リーリエの泣き声にも近い切羽詰まった声音に、通話を切断した夏姫は、お気に入りの服に急いで着替え、教具やヒルデを鞄に収めて慌てて家を出た。

 

 

          *

 

 

「……えぇっと、これは何?」

「……朝食、のつもりでした」

 ダイニングテーブルに向かい合って座る僕と中里さんの間には、皿が並んでいた。

 皿にはそれぞれに黒ずんだものが乗っかっている。

 たぶん目玉焼きのベーコン添えと思しきものは全体的に黒く焦げつき、食べれる部分はあまり残っていそうにない。

 その横に並んでるトーストは、トースターで焼いたというのに、どうしてこんなになるのかと思うくらい黒く変色していた。

「料理の経験は?」

「家庭科の授業は野菜をちぎる役でした。家では家政婦に来てもらっています。……朝食くらいなら、つくれると思っていたのですが」

 そう言って中里さんは顔を明後日の方に向けた。

 ――最初から悪い予感はしてたんだよな……。

 玄関を開けてみたら強引に入ってこられて、朝食をつくるから任せろと言うので任せてみたが、嫌な臭いが漂っていたのには気づいてた。それでも「大丈夫です」と言うので口も出さなかった結果が、これだった。

 ため息を吐きながらキッチンに入ってみると、焦げ目がしっかり残ったフライパンが流しの金桶に浸けられいた。

 どうやら入れすぎた油に引火したらしく、一緒に浸けられているガラスの蓋もススで黒くなってる。

 そもそも家に入れなければ良かったんじゃないかとも思うが、一応協力すると昨日言った手前、邪険にすることができなかった。

「ゼリーで済ますか」

 呟きながら冷蔵庫の扉に手をかけたとき、玄関のチャイムが鳴った。

『助っ人が来たよっ、おにぃちゃん!』

「助っ人?」

 リーリエの謎の言葉に眉根にシワを寄せてる間に、LDKに姿を見せたのは夏姫と近藤。

「うわっ、何? この臭い……。っていうかなんで中里さんがいるの?!」

「なんだ。早速連れ込んだのか? 克樹」

「いや、押しかけられたんだ。それよりなんでお前らがこんな時間に来てるんだ?」

「リーリエから助けてって電話があったんだよ、アタシも、近藤も」

「だから助っ人か」

『へっへぇ』

 肩を小さく竦めつつも、素知らぬ顔でそっぽを向いてる中里さん。

 夏姫たちはテーブルの上の消し炭を眺め、げっそりした顔をしていた。

「こんな時間に来てもらっても、昼飯になりそうなものはないぞ。まぁ、ピザか何か取ればいいんだけどさ」

 まだちょっと遅い朝食時間のいまは、まだ近くの宅配ピザの配達はしてくれないだろう。スーパーは早いところは開いてるし、中里さんが持ってきた食材はある程度残ってるけど、他には調味料とかレトルトとかカップ麺くらいしかない。

「アタシは朝ご飯まだなんだよね。近藤は?」

「オレもだ。黒い奴の襲撃でもあったのかと思って急いで来たからな」

『夏姫は料理つくれるって言ってたよね? 助けてよぉ』

「アタシもたいしたものはつくれないんだけどさ……」

 唇に指を添えてしばし考え込む夏姫。

「ちょっと見せてね」

 キッチンの方にやってきた夏姫が、僕のことをどかして冷蔵庫を開ける。

「卵と牛乳とベーコンと、チーズもあるのか。それとパンか。調味料とか、他に食材入れてるとこは?」

 言われるままに僕は夏姫に調味料を入れてる引き出しと、パスタとかお米を入れてる棚の扉を開けて見せる。

 フリルとかの飾り気の多い白いシャツに上着を重ね、ふわりと広がる赤いスカートを穿いた夏姫の瞳には、いつも学校とかで見てるのとは違うものが浮かんでいるように思えた。

 少し悩んでいて、でもちょっと楽しそうで、何て言ったらいいのかわからないけど、女の子の目をしていた。

「うん。たぶん大丈夫。うわー、フライパンは洗わないとダメか。克樹、エプロンある?」

「あ、うん。これ」

 キッチンの隅に引っかけてある、いつも僕が使ってるエプロンを手渡し、代わりに夏姫の上着を受け取る。

「じゃあちょっと待ってて。あるものでつくるから」

「何か手伝うことはあるか?」

「んー。大丈夫。いろいろ使っちゃうけど、いいよね?」

「任せる」

「わかった」

 口元に笑みを浮かべて冷蔵庫から牛乳と卵を取り出す夏姫を見て、手伝うことがなさそうなのを感じた僕は、キッチンを出てコーヒーを淹れる準備を始めた。

 

 

 

 

 三十分とかからずに消し炭の代わりにダイニングテーブルに並んだのは、大皿にたっぷりと盛られたカルボナーラと、美味しそうな焦げ目のついたフレンチトーストだった。

「よくこんなのつくれるな」

「喫茶店でバイトしてるからね。ちょこちょこ教えてもらってるんだ。それにそんなに難しくないんだよ? つくるよりもある材料でどうするかを考える方が面倒かな」

 少しだけ恥ずかしそうに笑う夏姫に、僕は普通に感心していた。

 さすがは女の子、というのは中里さんには該当しないわけだから、夏姫だからなんだろう。

 早速全員で「いただきます」と声をかけて小皿に取り分けたカルボナーラをフォークとスプーンで口に運んでみると、レトルトなんかとは比較にならない味が口の中に広がった。

 フレンチトーストも外はカリッとしてるのに、中はふわっとしていて、スーパーの食パンでつくったはずなのに、味はファミレスなんかのよりもよほど良かった。

『美味しい? おにぃちゃん』

「あぁ。なんか、久しぶりにこういうまともな料理を家で食べた気がする」

「いや、本当に美味いぞ、浜咲」

「そんなことないって。克樹も近藤も、つくり方を覚えれば自分でできるよ?」

『夏姫を呼んで正解だったでしょう?』

「そうだな」

 家で誰かと食事するなんていつぶりだったろうと思いながら、しょうもない言葉を交わす。

 中里さんはひとり黙っていたけど、彼女の前にある小皿のカルボナーラは、大皿から取り分けたのは三回目だった。

「それで、どういうことなの?」

 食事を終え、僕と近藤で片づけも終わった後、ソファに場所を移したみんなの前にコーヒーのカップを並べ終えるのと同時に、夏姫が言った。

「どういうことって言われても、僕もまだよくわかってないんだけど……」

 おっとりした女の子だと思っていたら、強引に家に入り込まれた後は状況に流されてるばっかりで、どういうことなのか僕自身よくわかってない。

 正面に座る夏姫と近藤から、何故か隣に座ってる中里さんに視線を移すと、彼女は口元に笑みを浮かべていた。

「そうですね。ワタシから説明します」

 そこで一度言葉を切って、にっこりと、でも何となく挑発的にも思える笑みを、中里さんは浮かべた。

「今日から数日、ワタシは音山さんの家で暮らすことにしました」

「なんでそんな話になってるのよっ! 克樹、どういうこと?!」

「いや、別に僕は許可した憶えはないんだけど……」

「でもワタシの親は出かけてしまっていてしばらく戻りませんし、家政婦の方には友達のところに止まるので食事は必要ないと言ってきてしまったので、音山さんの家に泊まるしかありません」

 ソファから立ち上がった夏姫に睨みつけられても、中里さんの口元の笑みが消えることはない。

 火花が散っていそうなふたりのことを見ていられなくて、近藤に助けを求める視線を飛ばしてみたが、肩を竦めるだけで何も言ってくれそうになかった。

「どうするの? 克樹。本当に泊めるつもり?」

「いや、どうすると言われても……」

「昨日会ったばっかりでよくわかんないし、親がいないってのも本当なんだか」

 矛先を僕に変え、突き刺さるような視線を向けてくる夏姫。

「本当ですよ。ふたりとも仕事関係の人で集まって慰安旅行に行っています」

「だったら一緒に行けばよかったのにっ」

「そうですね。思いつきませんでした。……いえ、嘘です。美術関係の方が多く集まるので、あまり行きたくなかったのです」

 今度は笑みを消し、俯いた中里さん。

 医療用の白地に赤線が入ったスマートギアでいまひとつ表情の真偽はわかりにくいけど、調べればバレるような嘘を吐いてるようには思えなかった。

 不満そうな息を吐いた後、眉を顰めながら僕を見、夏姫は言う。

「本当にどうするつもり? 克樹。協力することにしたって言っても、アタシや近藤と違って、中里さんは敵なんだよ?」

「そうなんだけどね……」

「それに、女の子とふたりっきりで、それも家に泊めるなんて、絶対危ないに決まってるじゃない。――克樹がね!」

「ははっ」

 怒りの籠もった視線で睨まれて、僕は乾いた笑いを漏らしながら夏姫から視線を逸らした。

 いまはそれなりに信頼してくれてるみたいだけど、夏姫を出会ったその日に押し倒したりしたんだ、その点は信用されてなくても仕方ない。

 それに、中里さんも中里さんだ。

 男の家に泊まりに来るって意味を、本当にわかっているんだろうか。

 さっきまでの暗かった表情はなく、夏姫と僕のやりとりを微笑みを浮かべて眺めてる彼女をこっそりと見て、僕は小さくため息を吐いていた。

『だったら夏姫も泊まっちゃえばいいんだよー』

 そんなリーリエの声が、LDKに響いた。

「いや、さすがにそれは――」

「うん、そうだね。それがいいかも」

 ためらいの言葉を口にする僕を遮るように、夏姫が言った。

「でも、何て言うか……。なぁ、近藤」

「オレに同意を求めるなよ。何とも言えねぇって」

「中里さんも……」

「ワタシは親が旅行から帰ってくるまで匿ってもらえるなら、別に」

 呆れ顔をしてる近藤は役に立たず、澄ました表情でコーヒーのカップを傾ける中里さんも夏姫を止める気はないらしい。

 勝ち誇ったような夏姫は、立ち上がったまま僕を見下ろしてきていた。

「でもいいの? リーリエ。アタシが泊まっても」

『本当は嫌だけど、灯理とおにぃちゃんのふたりにするなんて、ぜぇーったいダメだもん。それに、夏姫だったらいいやぁ』

 どういう意図の言葉なのかわからないが、リーリエはOKらしい。

「ということで、よろしくね、克樹」

「なんでリーリエの許可だけでいいことになるんだよ」

「だって仕方ないでしょ。克樹が中里さんのこと拒否できないんだし、克樹のことを心配してるのはリーリエなんだから」

「……はぁ」

 僕が口を挟んでも変わりそうにない流れに、大きく息を吐いた僕は諦めた。

「近藤も泊まってくか?」

「勘弁してくれ。オレがいていい空間じゃないし、夕方からは道場で稽古があるんだ。ここからじゃ通いにくい」

 僕と同じようにげっそりした表情を浮かべてる近藤は、首を横に振って全力で拒絶の意志を表明していた。

「あー、寝る部屋とかどうしたらいいんだろ」

『おにぃちゃん。使ってない二階の寝室、使ってもいい?』

「掃除して、貴重品だけ金庫に仕舞う必要があるけどな」

「後で泊まり用の装備取りに帰って、夕食の買い出しも必要か」

 もうすっかり泊めるとか泊めないとかのところを通り越したことを考え込んでる夏姫。

 近藤は脇に置いた鞄からスレート端末を取り出して、勉強の準備を始めていた。

 中里さんは、ニコニコと笑いながらコーヒーを飲んでいる。

 学校だけじゃなく、家の中まで騒がしくなってきてることに、僕はもうついて行けなくなりそうになっていた。

 


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