神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第二部 第一章 フレイヤ
第二部 黒白(グラデーション)の願い 第一章 1


第一章 フレイヤ

 

 

       * 1 *

 

 

「すまん、先に脱落する……」

 そう言ってスレート端末とスタイラスペンを脇に退け、机に突っ伏したのは正面にいる近藤。

「アタシはもうちょい頑張る」

 スタイラスでポニーテールにした髪を掻きながら、難しい顔をして端末を凝視してるのは、隣に座る夏姫。

「お前らなぁ……」

 そんなふたりに、僕はため息を漏らしていた。

 制服を着た僕たちがいまいるのは、学校の自習室。

 飾り気もない白い壁と簡素な机と椅子、小さめのホワイトボードなんかがある四畳半よりちょっと広い程度のこの部屋は、割と進学校のうちの高校に通う生徒なら、申請さえすれば休みの日でも使える便利な設備だ。

 僕の自宅の方が広いのはわかってるけど、夏姫と近藤はもちろん、復習のために僕もやってる実力テストの過去問題は、校内にいないと閲覧できないものだった。

 いまはゴールデンウィークの序盤。

 自習室を使ってるのは僕たちだけらしく、さほど防音されてない部屋の外からの音はほとんどない。

 わざわざ休み中に学校に来てまで勉強してるのは、教えてくれと夏姫に泣きつかれ、それを聞いてた近藤に便乗されたからだった。

「休み明けのはどうするんだ。この前やったばっかりの問題なのに、何でできないんだよ」

「……勉強なんてほとんどしたことないし」

「少しはしてたけど、追いつかなくって……」

「まったく。一年の勉強からやり直し、どころか中学の復習からだろうな、この状態だと」

 制限時間を過ぎて採点したふたりの数学の点数を見て、僕は大きなため息を吐いていた。

 二年生になり、一年のときも同じクラスだった遠坂と近藤だけじゃなく、夏姫も同じクラスになり、なんだかんだで遠坂を含めたり含めなかったりでつるんでる時間が増えていた。

 四月中旬に行われた一年の復習の意味での実力テストで、夏姫と近藤は見事赤点を取っていた。ゴールデンウィーク中の宿題というのはとくに出てなかったけど、実力テスト赤点の奴には休み明けに追試と、それでも赤点の場合は補習が言い渡されてる。

 楽勝でクリアした僕は大丈夫だし、元から勉強は苦手だったらしく、どうやってうちの高校に入れたのかけっこう謎な夏姫は、それでも前回と同じ問題でそこそこの点数は取れてる。それでも赤点だが。

 問題は近藤。

 空手のスポーツ特待でうちに入った近藤は、先の通り魔事件により特待を外され、赤点でも部活に出ていれば免除されていた追試を受けることになったし、たぶん特待の得点でもある大学の推薦も外されることになってるはずだ。

 おそらくモルガーナの力によってどこかに収監されるのを免れたと言っても、さすがにそういうところまでは助ける方法はない。

「ダレてないで勉強始めるぞ。せっかく僕の貴重な休日を潰してるんだ、ダラダラしてる時間はない」

「ゴメン、克樹。なんか、いろいろと……」

「済まん。俺はちょっと休憩させてくれ……」

「まったく」

 けっこうスリムだが筋肉質で暑苦しい近藤が突っ伏したまま起き上がる様子がないのを見て、仕方なく僕は床に置いた鞄に手を伸ばし、水筒を取り出す。プラ製のコップを並べて、家でつくってきた冷たい麦茶を注いだ。

「ありがとよ。そう思えば、お前たちにも来たか? エイナから」

「あ、うん。来た来た。エリキシルバトルが中盤に入った、ってメッセージでしょ」

「そうそう。残りの人数とか書いてなかったけど、やっぱりオレたちの他に、どこかで戦ってる奴がいるんだな」

「うん、そうだね。……克樹にも、来た?」

「あ、あぁ。うん、来たよ」

 覗き込むようにして僕の顔を見つめてくる夏姫に、慌てて返事をする。

 ――メッセージ、か……。

 ふたりが話しているのは、昨日の夜エリキシルバトルアプリのメッセージボックスに届いたエイナからのメッセージ。

 近藤が言うように、僕たちの他にもどれくらいいるかはわからないけど、エリキシルソーサラーがいて、彼らはどこかで自分の願いを叶えるために戦っているんだろうと思う。中盤戦という言葉の意味は詳しく書かれていなかったのでわからないけど、それなりに脱落者が出てることだけは確かだった。

「やっぱり戦って集めろ、って書いてあったよね」

「そうだな。いまの俺たちみたいな感じでいいのか悪いのかは、わからないんだよなぁ」

「ダメならダメで、もう一度戦えばいいんじゃない? ね、克樹」

「ん……。まぁ、そうだね」

 ふたりの話を聞きながら、僕は顎に折り曲げた指を添えて考え込んでしまっていた。

「どうしたの? 克樹。難しい顔して」

「あっ……。なんでもない」

 声をかけられて、遠くを見つめていた僕が目の前にあるものに焦点を合わせると、僕が映っているのが見えるくらいの距離に夏姫の瞳があった。

『夏姫、近ぁい! もっとおにぃちゃんから離れて!!』

 途端にイヤホンマイクの外部スピーカーから響いたのは、リーリエの少し舌っ足らずな声。

「……スマートギアじゃないんだから、カメラないんでしょ? わかるの?」

『わかるよっ。さっきより声が近くなったし、息の音も聞こえるようになったし。おにぃちゃんも言ってよ、近づかないで、って』

「あーーっ、キスしてほしいなら目をつむってくれよ」

「莫迦っ!」

『おにぃちゃん!!』

 ふたり同時に響いた非難の声に、噴き出しそうになって口を押さえてる近藤に一瞥をくれてから、僕は明後日の方を向いた。

 ――やっぱり、ふたりにはメッセージしか届いてないのか。

 夏姫と近藤の様子から、ふたりに届いたのはエイナからのメッセージだけだったのだろうと思う。

 僕には、同じだろうメッセージが届いていたけど、それ以外のことが昨日はあった。

 ――あれは僕だけだったのか。

 眉根にシワを寄せながら、僕は昨日の夜のことを思い出していた。

 

 

          *

 

 

 片付けてすっきりした実視界の机の上に被るように、スマートギアの視界の中では動画ウィンドウが大きな面積を占めていた。

 いま流してる動画は、鎧兜を身につけた武士らしきふたりが戦っているという内容。

 どういう企画で作成されたものなのかはよくわからないけど、平泉夫人のリストの中にあったその動画は、死体に見立てているらしい鎧や、刀や槍が落ちてたり突き刺さっているような草原で、実際にあった合戦を再現して戦うというもの。

 刀が折れたら手近なものを拾ったり、距離が離れれば槍で突き合ったり、土を蹴り上げたり拾った兜を投げつけたりする戦いは、時代劇やアニメで見るようなものみたいに綺麗な戦いじゃなかった。

 でも斬撃を受け流したり躱したり、次の動きを読むために視線を交わし合ったりといった細かいところが、参考になると感じられていた。

「ん?」

 見入ってるときにヘッドホンから鳴り響いたのは、聞き慣れないメッセージビープ。

 動画を停止して右下に現れたアイコンにポインタで触れようとしたとき、音声着信のウィンドウが立ち上がって視界を塞いだ。

「エイナから?」

 前回は十月の終わり頃だったから、半年ぶりくらいの映像要求つきのエイナからの着信。

 どうせまた魔法とか言ってウィンドウから飛び出してくるんだろう、と思いつつ、僕は映像オンで応答ボタンに触れた。

『お久しぶりです、克樹さん』

 柔らかい笑みを浮かべ、予告もなしに現れた映像通話のウィンドウに手をかけて外に出てきたのは、やっぱりエイナ。

 ふわっと広がるピンク色のセミロングの髪をし、スレンダーな身体の線が浮き出る、少し光沢のある黒いワンピースを纏い、足を組んだら下着が見えるんじゃないかという短い裾を手で整えつつ、百二十センチとやっぱり子供のようなサイズのエイナが、僕の机の上に座った。

「あんたはモルガーナの手先なんだろ?」

『手先、ということについては否定できませんね。わたしは、あの人の手により稼働を開始した人工個性ですから』

 ライブ会場の控え室でモルガーナ自身から聞いた通り、エイナはモルガーナのつくった人工個性だ。こいつの行動はすべてモルガーナの意志だと思って間違いないはずだ。

 スマートギア越しにしかその存在を確認することができないエイナを、僕は警戒しながら見つめる。

「それで、いったい今日は何の用だよ」

『今日の用事はメッセージを伝えることです。アプリの方に伝えるべきことは届いていると思いますが』

「……まだ見てないよ」

『えぇ。わかっています。メッセージは順次、現在残っているエリキシルソーサラーに送信中です。そのタイミングだからこそ、わたしはここに来たのですから』

「どういう意味だ?」

『わたしの行動はすべてあの人の意志です。わたしの行動はすべて記録されていますし、あの人の指示以外で自由に行動することもできません。……セカンドステージに進むまでは』

「セカンドステージ? それはいったいなんだ?」

 にっこりと笑うエイナに問うてみるが、彼女は唇を引き結んだまま答えてくれはしない。

『いまあの人は日本に居らず、海外に行っています。それに、いまはあの人からのメッセージを伝えるという役目を負っているんですよ』

 口元は笑っていても、エイナの目は、――デジタルデータで構成されたアバターであるにも関わらず、笑っているようには見えなかった。

 そんなことがあるのかどうかわからないけど、はっきりと言葉にして言えないことを、僕に伝えようとしている気がした。

『まずはいまの用事を済ませてしまいましょう。メッセージの方も改めて確認していただきたいと思いますが、エリキシルバトルは中盤戦へと突入しました。克樹さんのバトル回数は三回、スフィアの収集は元から持っている一個のみ。アライズ回数についてはトップとなっているのに、収集数は最下位です』

「別にそのことは気にしてない。僕は僕のやり方で集めるつもりだから。それよりも訊きたい」

『はい。何でしょうか?』

「スフィアを集めるってのは、勝って奪い取るって意味なのか?」

 スマートギアのディスプレイ部の内側にはカメラは内蔵されてない。でも、何となく僕の瞳を見つめてきている気がするエイナに、僕は真っ直ぐに視線を返してそう問うてみた。

『さぁ?』

「僕が選んだ方法で、僕たちは願いに近づけるのか?」

『さて、どうでしょう?』

 にこにこと笑うエイナは、僕の質問に答える気はないらしい。

「エリキシルバトルは最初から破綻してるんじゃないのか? たぶんスフィアカップでもらったスフィアを持ってる奴がエリキシルソーサラーなんだろうけど、バトル参加者が誰なのかわからないし、全国に散らばっていてわざわざ会いに行くのも難しい。そんなんで、どうやって僕たちは願いを叶えるための戦いをやっていけばいいんだ?」

『克樹さんの言う通りですね。確かに、エリキシルソーサラーを探し出すのは簡単なことではありません』

「だったら、何か手がかりを提供するとか、ヒントを出すとか、そういうことは考えられてないのか?」

『ありません。……ですが、出会いは縁だとわたしは思います。とくに克樹さんはその筋では調べやすい、有名な方です。待っているだけでも、貴方の側にはエリキシルソーサラーが集まってくると思いますよ』

「僕を、怒らせに来たのか?」

 夏姫が、近藤がそうだったように、特別なスフィアを持っていて、そして誘拐事件で百合乃を失い、そのことが報道されてる僕は、エリキシルバトルに参加している可能性が高いと判断される人物だろう。

 何となく莫迦にしているように思えるエイナの言葉に、僕は彼女のことを睨みつけるけど、涼やかな笑みを浮かべてるだけで彼女はとくに気にした様子もない。

『いいえ。けれど、貴方の真意を訊きたいとは思っていました』

「真意?」

『はい。戦って勝ち、スフィアを奪わずに持ち主ごと集めていることに、何か意味があるのですか?』

「……確信はないけど、考えてることはある」

『それは、どんなことですか?』

 エイナの問いに答えることに、僕は一瞬迷った。

 口元から笑みを消し、人と同じに見える深い色を湛えた彼女の瞳には、真剣な色が浮かんでいるように見えた。

「僕は、モルガーナの思惑に踊らされるだけなのは、嫌なんだ」

『けれども、スフィアを奪い取るのが貴方の願いを叶える最短の方法ですよ?』

「逆に訊くけど、最短以外の方法があるの?」

 驚いたように目を見開いたエイナ。

 それから目を細めて笑い、さらに何に対してなのか、悲しそうに顔を歪めて見せた。

『これからも、エリキシルソーサラーと戦い、スフィアを集めてください』

 問いに返事をしなかったエイナは、机の上から脇に追いやっていた通話ウィンドウに足をかけ、身体を滑り込ませる。

「エイナ。僕の質問には――」

 改めて問おうとした僕は、振り向かせた顔に泣きそうな表情を浮かべてるエイナに、それ以上何も言うことができなくなっていた。

 彼女が、何を思ってそんな顔をしているのかはわからない。

 でも少しだけわかることがある。

 僕の方法は決して間違いじゃない。遠回りかも知れないけど、僕の願いに近づくことができる方法で、そしてモルガーナの願いを挫くための道に繋がっている。

 それはたぶん恐ろしく困難な道だろうけど、エイナの浮かべる表情が、僕の望む道へと繋がっていることを教えてくれていた。

『そうそう、克樹さん。言い忘れていました』

「何?」

 悲しげな表情を消し、いたずらな笑みを浮かべたエイナが言う。

『先日わたしの新しいアルバムの配信が開始されています。それにはあのライブ会場で、克樹さんが途中までしか聴いてくれなかった曲も収録されているんですよ』

「……やっぱり、あのとき僕のことを見つけてたんだ」

『えぇ、もちろん。途中でいなくなってしまうんですもん、本当にあのときは悲しかったんですよ?』

 どう反応していいのかわからず困ってる僕に、言葉とは裏腹に楽しそうな瞳を向けてくるエイナ。

『だから、必ず買ってくださいね』

「なんだよ、宣伝に来たのか? 本当は」

『そうではないのですが、そういうことで構いません』

 何が言いたいのかはわからないけど、何か言いたいことがあるのはわかる。

 愛想のいいにこやかな笑みをしながらも、彼女の目は笑ってない。

 深い色を湛え、何かを僕に訴えかけてきている。言葉に出して言えない言葉を、視線で伝えるように。

「……わかった。必ず買うよ」

『はいっ。よろしくお願いします!』

 そう答えた僕に、エイナは通話ウィンドウの中から礼をしていた。

 

 


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