神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第三章 4

 

 

          * 4 *

 

 

 ――恐い。

 それがモルガーナを最初に見たときの夏姫の印象だった。

 喪服のような黒いスーツと、それよりも黒い闇のような髪の魔女は、紅く塗られた唇に浮かべる邪悪な笑みと、唇よりもさらに紅い瞳に、恐ろしさを感じた。

 克樹が彼女のことを魔女と呼んでいる理由を、ひと目で理解できた。

 ――でも、それだけじゃない。

 エレベーター室の壁に背をつけ、数歩前に出て立っている克樹の背中を見つめる夏姫は、苛立った様子を見せ始めたモルガーナのことを観察する。

 魔女が一番強く発しているのは、おそらく怒り。

 若干百合乃に優勢に傾き始めた戦況。

 それに対しての怒りもあるだろう。眉を顰めているモルガーナには焦りも見え隠れしている。

 しかし魔女に最も強く感じるのは、破滅の匂い。

 それはエリキシルバトルが始まる前、克樹に感じていたのと似ている匂い。怒りと、ある種の諦めと、強い怨みを混ぜて、発酵させたような、鼻で感じるものではない匂い。

 脆く、崩れかけていて、けれどねっとりと粘り着くような、イヤな匂いだ。

 魔女に関われば一緒に破滅してしまいそうな予感を覚えるのと同時に、彼女自身がいつか破滅してしまいそうな予感。

 それも、ひとりで潰れていきそうだった克樹と違い、モルガーナが強く発している匂いは、周囲を巻き込み、すべてを破滅に導く。

 そんな印象を、夏姫は感じていた。

 ――頑張って、克樹。

 克樹と百合乃が、魔女を倒さなければならないと言っていた理由が、わかったような気がしていた。

 克樹たちが勝って魔女を倒さなければ、世界がとんでもないことになる。その予感を抱く夏姫は、胸の前で手を強く握り合わせ、戦いの行く末を見つめる。

 けれど、夏姫はほとんど戦い自体を見ることはできないでいた。

 時折足を止めたタイミングと、次の動作に移る動き出しのときには見えるが、動いているときはほとんど目で捉えることができない。

 振るわれる剣の煌めきと打ち合わされたときの火花が視界のどこかで突然現れる感じで、甲高い金属音と微かな足音をたどっても、残像すら見ることができていない。

 肩を怒らせ、下ろした両手を握りしめている克樹が頑張っているのはわかる。

 彼が勝利を願っている。

 彼が勝つと信じている。

 それでも不安が募るのは止められない。

 人間の視覚で捉えられる領域を超えている戦いを繰り広げる百合乃とエイナに、夏姫は何かができるわけでもない。

 夏姫にできることはただ、胸の前で両手を握りしめ、克樹の勝利を祈ることだけだった。

 左右に立つ灯理や近藤、猛臣もそれは同じ。

 周囲を見回してみると、他のみんなも捉えきれない戦いをじっと見つめ続けているだけだった。

 ――あれ?

 見回してみて気づいた。

 本格的に百合乃とエイナの動きが見えなくなってからは、モルガーナは不機嫌そうに顔を歪め、奥歯を噛みしめていた。それもあって克樹たちが優勢なのだろうと思っていた。

 それなのにいまは、余裕があるかのように笑みを浮かべている。

 エイナの有利に戦いが傾いているのかと思ったが、遠く見えるモルガーナのつり上げた唇が、細められた目が、戦い以外の場所に向けられているような気がした。

 心臓を鷲づかみにされたような違和感。

 それに背中を押されるように、夏姫はもう一度周囲を見回した。

 ――あ!

 気づいたときには声を上げるよりも先に、夏姫の身体は走り出していた。

 

 

 

 スマートギアの視界に表示した、連続撮影を応用したストップモーションビューでも、百合乃とエイナの動きはほとんど確認できない。

 別のウィンドウに表示している、五〇パーセント設定で流してる録画映像でも、残像のような動きが見えるだけだった。

 ――こりゃあもう、普通の人間が踏み込める領域じゃねぇ……。

 戦いを見つめながら、猛臣は背中に冷や汗が滑り落ちていくのを感じていた。

 戦況はわずかに百合乃が優勢。

 手数とトリッキーな戦法でエイナを押しているが、畳み込めるほどの差はない。

 エイナはエイナで相当に強く、克樹と百合乃が風林火山に入ったと思われるタイミングで惜しい一撃を与えた後は、お互いハードアーマーにかすめる攻撃しかできていない。

 もし猛臣がリュンクスで肉眼の制限を解放されたとしても、亜音速に迫る速度の攻撃を繰り出し合っている百合乃とエイナに対応できるとは思えない。

 克樹のように人間の常識を越える脳内反応速度を持たなければ、フルコントロールでドールを動かしている限り、エイナの攻撃に対応することは不可能。

 オート側に比重を傾けたセミオートアプリを組み立てるにしても、いまの技術では対応しきれないのは明かだった。

「女神に奉ずる戦い」

 無意識につぶやいていた言葉。

 魔女と妖精と人間による闘争の宴は、まさに女神に献上するために催されているものだと、猛臣には感じられていた。

 ――俺様は、どれだけの時間があれば、この領域に到達できる?

 いまは勝てないことは明白。

 いまの猛臣では、スフィアが使えたとしても、舞台に上がることすらできない。

 それを認めた上で、どれくらいの時間があればこの妖精たちを打ち負かせるだけのドールを、コントロールアプリを組み立てられるかと、猛臣は焦燥に胸を焼かれながらも考える。

 ――無理、だな。

 目の前で始まった、薄く笑みを浮かべる空色のドールと、無表情のピンクのドールによる斬り合い。

 足を止めたその戦いは、身体は見えているのに肩から先はブレ、肘から先は肉眼では捉えることができない。

 金属同士がぶつかり合う澄んだ音、ヘリポートを照らすスポットを反射した閃きだけが、ふたりの間を支配している。

 ――あれは、神の領域だ。

 目では無理で、カメラでも捉えきれない速度。

 現在の人工筋を使う限り、それはどうやっても到達できない領域。

 神の領域に達した戦いが、いま猛臣の目の前で催されていた。

 ――だが俺様はいつか、その領域に達してみせる。

 拳を握り締め、猛臣はそれを誓う。

 いまの技術では、いまの人間では絶対に到達できない領域に、物理的な限界の向こう側に到達することを誓う。

 未来への誓い。

 ――いまは任せた、克樹。お前にすべてを任せたぞ。

 いつかは到達することを誓った戦いには、いまは手を出すことはできない。

 それを理解する猛臣は、克樹にすべてを任せることにした。

 屈辱はある。

 けれどいまは認めるしかない。

 克樹と、百合乃の強さを。そしてエイナの力を。

 そして自分の無力さを。

「いつか、絶対に超えてやる。だからいまは勝てよ、克樹」

 応援の言葉をつぶやいたとき、隣に立っていた夏姫が克樹に向かって飛び出した。

 ――いや、違う!

「近藤!」

 理由に気づいて声をかけながら猛臣も後を追うが、手遅れであることに気づいていた。

 

 

            *

 

 

 半ばで斬り落とされ、残った部分の刃もぼろぼろになっている両手剣を投げ捨て、エイナは二本の短剣を抜いて構えた。

 エイナの両手剣を斬るのに無茶をし、曲がってしまった長刀を少し考えて床に突き刺した百合乃は、太刀を一本抜いた。

 見つめ合うふたりは動かない。

 あらゆる攻め手を百合乃に対応されているエイナは、おそらく次の手を考え出せないでいる。

 薄く笑っている百合乃は戦いを楽しんでるのはあると思うけど、多少疲れが出てきている様子も、僕は感じ取っていた。

 ――まだ、時間はかかりそうだな。

 深呼吸をして詰めていた息を楽にする僕は、そう考えていた。

 戦いはわずかながら百合乃の優勢。

 でも意思を封じられて、疲労も感じなくなっているっぽいエイナと違って、僕はもちろん、百合乃も精神的に疲弊する。肉体の枷が外されていても、根を詰め続ければ神経がすり減ってくる。

 こうしたほぼ拮抗した戦いでは、動きに支障が出るような有効打ひとつで戦況はひっくり返る。

 だから僕たちは、一瞬だって気を抜けなかった。

 ――でもまだ、戦える。

 疲労は溜まってきていても、僕も百合乃もまだまだ戦える。

 勝つまでは、戦い続けられる。

 風林火山によってアリシアのボディを通して伝わってくる、百合乃の闘志を受け取って、僕は彼女に自分の闘志を伝える。

 長いにらみ合いになってるふたりから注意を逸らさないようにしつつ、若干余裕ができた僕はモルガーナの様子を確認してみた。

 ――笑ってる?

 風林火山を発動して、こっちが優勢になった後は、ずっと不機嫌そうにしていたモルガーナ。

 なのにいまは、薄笑いを浮かべている。

 動く様子のない魔女が、直接何かを仕掛けてくる様子は、ない。

 ――だったらあの笑みの意味はなんだ?

 そんな思考に囚われてるときだった。

「おにぃちゃん!」

「克樹!」

 百合乃と夏姫の声が同時に聞こえた。

 その瞬間、左後ろに立った夏姫が、僕に背中を預けるようにぶつかってきた。

 どうにか振り向くのが間に合って抱き留めた、夏姫の身体。

 柔らかく暖かい感触と、ポニーテールの髪から漂う優しい匂い。それから、下腹辺りを支えた彼女の身体に回した手に触れる、ヌルリとした何か。

 ――何が?

 と思う僕が夏姫の肩越しに見たもの。

 顔を上げたのは、首筋から頬にかけて火傷の跡が残る男。

「ぐがっ」

 僕が何かを思うよりも先に、猛臣が奴を蹴り飛ばしてどかし、ヘリポートに転がった奴との間に近藤が立つ。

「夏姫?」

 震えながら夏姫の身体を見下ろすと、お腹にナイフの柄が見えた。

 ベージュのコートに、徐々に赤いシミが広がっていくのが、暗い中でも見通せるスマートギアの視界ではっきりとわかる。

「よかった……。克樹は、無事だね……」

 夏姫が火傷の男に刺されたのだと、僕を庇ってそうなったのだと認識したとき、顔を振り向かせた彼女は弱々しい笑みを浮かべた。

「しゃ、喋るな。百合乃!」

 真っ白になってしまいそうな頭を無理矢理動かして、僕は百合乃に声をかける。

 エリクサーがあれば、致命傷を負った僕を傷ひとつなく癒やしたエリクサーを使えば、夏姫は助かる。

『ゴメン。いまは、無理』

 そう思って百合乃に声をかけたのに、余裕のない返事があった。

 一瞬の隙でも見せれば攻撃をしかけてきそうなエイナ。僕と百合乃のリンクは維持できてるけど、風林火山は成立できていない。

 百合乃がいまこちらに注意を払ってる余裕はない。

「戦って……、克樹」

「夏姫? 何を?!」

 力を失った身体をゆっくりと座らせ、正面に回った僕に、夏姫はそう言って微笑んだ。

「あの魔女は、とっても、邪悪だと思う。だから、倒さないと、いけないんだよ」

「喋るな! 夏姫っ。いますぐ病院に――」

 僕の頬に手を添えてきた夏姫は、それ以上の言葉を言わせてくれない。

「戦えるのは、克樹と百合乃ちゃんだけなの。だから、戦って……。克樹のためにも、百合乃ちゃんのためにも、アタシたちや、他のみんなの……、これまでエリキシルバトルを戦ってきたみんなのためにも、なにより、リーリエのために……」

 言って首を伸ばした夏姫は、僕の唇に口づけた。

 暖かく、優しい、夏姫の味。

 沸騰していた頭が一気に冷える。

 いまやるべきことを思い出す。

「大丈夫だ。俺様が絶対夏姫を死なせない」

 一歩離れた僕から夏姫の身体を受け取り、コートのベルトで傷口近くを強く縛り付けててきぱきと応急処置をする灯理を手伝いながら、猛臣がそう言った。

 でも夏姫の目が閉じられた。意識を失った。

「夏姫!」

「莫迦が!」

 近寄ろうとした僕の頬に、振り返った猛臣の拳が食い込む。

「猛臣……」

「言ったろう。俺様が絶対助ける。絶対死なせない。いま俺様ができる最大限のことだ。夏姫は自分の身体を張ってお前を助けた。お前はお前のできることをやれ。この戦いはお前に託した。だから、絶対に負けるなよ」

 新たなナイフを取り出して隙を窺ってる火傷の男に対峙していた近藤に代わりに立ち、猛臣が振り返らずに言った。

 近藤に抱きかかえられた夏姫を見、僕は頷く。

「わかった。僕は戦う」

「あぁ。頼んだぜ、克樹」

 ちらりと振り返り、つり上げた唇の端を見せた猛臣は、灯理と近藤とともにじりじりと後退し、エレベーター室の中へと入っていった。

 ゴンドラに乗り込んでエレベーターの扉が閉まるのを確認した僕は、エイナに、モルガーナに向き直る。

『行ける? おにぃちゃん』

『もちろんだ。夏姫に、猛臣に、任されたからな!』

『うんっ』

 こちらに手が出せないと判断したのか、情けない顔をして下がっていく火傷の男。

 呆れたように肩を竦めるモルガーナ。

 攻撃する隙くらいあったろうに、手を出してこなかったエイナは、二本の短剣を構え直して見せた。

 空高く昇り始めた冬の星々の下、ヘリポートを照らすスポットライトに浮かび上がる戦場で、僕は百合乃に宣言する。

『さっさと決着をつけるぞっ。それから、早く帰ろう!』

『……うん、おにぃちゃん!』

 百合乃の返事を聞いた僕は、夏姫の血で濡れた右手を握りしめながら、風林火山を再開した。

 

 

 


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