神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第三章 3

 

 

          * 3 *

 

 

 ――設定、変えてきてるな。

 エイナの動きに、僕はそれを感じた。

 前回、僕が少しだけ戦った意思封印後のエイナは、こちらの動きを警戒して様子を見てから攻撃を仕掛けてきていた。

 今回は攻撃をした上で相手の反応を見て、パターンや動きを変更してきている。

 バトルアプリの設定を、防御重視から攻撃重視に変更してきた証拠だ。

 実際の攻撃自体はエイナが行っているはずだけど、彼女が喋ることも、臨機応変だったあのデートの日の戦法も見られない。いまはバトルアプリが抽出して戦闘データが示す選択肢の奴隷のように、動かされている印象があった。

 ――それでも、強い。

 飛び込みからの連続した突きを右ステップで避け、追撃の投げナイフを受け止めて投げ返した百合乃。

 リーリエならナイフと一緒に飛び込んでいくタイミングだけど、百合乃は床に両足を着けて、太刀を正眼に構え直す。

 隙なく構える百合乃に、投げ返されたナイフを長剣で弾いたエイナも、足を止めて向かい合ってきた。

 スフィアカップのときだってほとんどぶっつけ本番みたいなくらいだった百合乃は、その強さに反して戦闘経験は豊富とは言えない。

 ましてや彼女はいま、ドールを動かしていると言うより、自分がドールになって戦ってるんだ、身体の勝手は大きく違う。

 リーリエだってみんなで戦闘訓練を積んでたと言っても、夏姫みたいにローカルバトルに出まくっていたわけじゃないし、バトル経験が豊富とは言えない。でもあいつは様々な動画からバトルを研究していたし、自分の身体のポテンシャルを、フォースステージに至るまでじっくりと確かめてきていた。

 百合乃がリーリエほどの力をいきなり出せないのは、仕方なのないことだ。

 ――でもそろそろ、エイナも本気を出してくる。

 アリシアのセンサーで予め確認しておいたけど、前回みたいな大がかりな仕掛けはすべて撤去されてるか、使用不能のまま放置されてる。

 ただ大量のカメラはそのままで、エイナの目として機能してるのはわかっているけど、それに対しては僕もいくつかの対抗策を考えてある。

 一本の長剣を両手持ちにしていたエイナは、二本目の長剣を抜き、百合乃に迫る。

 それまで硬かった表情を和らげ、口元に笑みを浮かべ始めた百合乃は、そのまま太刀一本で応じる。

 翻弄するような大きな身体の動きで、二本の長剣を左右に、上下に、斜めに振るい、攻撃を仕掛けてくるエイナ。

 太刀をコンパクトに動かし、攻撃を捌いていく百合乃は、タイミングを計っている。

 ――よしっ。

 袈裟懸けに襲ってくる長剣を太刀で受け流し、追撃の横薙ぎを襲ってくる前に踏み込んで弾き飛ばした百合乃は、エイナと触れあうほどの距離で大きく腰を落とした。

 鋭い足払い。

 避けて跳ぼうとしたエイナの左足には、軸足にしていたはずの百合乃の右足が絡みついている。

 かろうじて右足を着き直し百合乃の絡みから脱したエイナだが、百合乃が体勢を崩したその隙を逃すはずもない。

 容赦なく振り下ろされた太刀。

 かろうじて逃れて床に転がるエイナに、百合乃は部分アライズで指の間に出現させた短刀を投げつける。

 布地を切り裂くだけでエイナは立ち上がってしまったけれど、笑みを浮かべた百合乃は太刀を腰に納め、背中の長刀を抜き放った。

 百合乃は本来、超攻撃型のソーサラーだ。

 防戦を主体にしていたのは、あくまで身体の感覚を掴むため。

 近藤とゆっくりした速度での組み手はやっていたし、平泉夫人が手配してくれた自然の中のフィールドアスレチックでフォースステージの身体の動きをひとりで確かめてはいた。

 でも戦闘となれば低速の動きでの組み手と、ひとりでやってる訓練とは勝手が大きく違う。

 エイナと戦うことでやっと、百合乃は自分の身体のポテンシャルをつかむことができるようになっていた。

 ――それに、僕が知らない間にかなり経験積んでたな。

 いま見せた流れるような剣戟からの体術と追撃の投擲は、戦闘スタイルとしては平泉夫人のそれに近い。

 スフィアカップのときに僕が見た百合乃の戦いは、割と直線的なものだった。

 スフィアカップの地区大会優勝を納めた後、夫人の家に何度かひとりで訪れていたのは知ってたけど、相当な回数戦い、その戦いを吸収していたらしい。

 それまでの緊張で強張っていた感じがなくなり、リーリエの戦闘情報を参考にしたんだろう、長刀を肩に担ぎ、開いた左手を真っ直ぐにエイナに向け、ゆったりと構えた百合乃。

 彼女が微かに飛ばしてきた視線に、僕は頷きを返した。

 スマートギアの中で開いていた目を、閉じる。

 リュンクス機能を起動し、瞬きのない視界を開く。全部で四面。

 百合乃から送られてくるアリシアの視界をメインに、自分が被ってるスマートギアのカメラ視界をサブにし、ボディのプロパティ操作用にひとつと、センサーなどから取得した解析情報でひとつ。

 モルガーナから連絡があった日からさらに僕はリュンクスを極め、頭の中に同時に四つの視界を認識できるようになっていた。

 ドールを動かすことが決して得意じゃない僕は、百合乃みたいにデュオソーサリーは使えないけど、四つの視界すべてを認識しつつ、二〇個のポインタを操作できる。

 この視界はヤバい。

 慣れすぎると、肉眼視界に戻れなくなるかも知れないほどに、自分が拡張されていると感じる。

 でもいまは、人間の可能性に酔ってなどいられない。

 短く息を吐き、僕は無言のまま必殺技を発動させる。

 ――風林火山!

 百合乃の身体になっているアリシアに、彼女と同時にリンクする。

 猛臣にも手伝ってもらってこれまで以上にチューニングした風林火山によって、僕は百合乃と一体化する。

 準備が整ったのを感じ取ったんだろう、百合乃が床を蹴った。

 動こうと前傾姿勢になり始めていたエイナに先んじて動いた百合乃は、肩に担いだ長剣を突き出すことなく、身体ごとぶつけていく。

 クロスさせた二本の長剣で長刀の突撃を受け止めたエイナに、百合乃が唇から笑みを漏らしたのを感じた。

 あっさりと長刀を手放した百合乃。

 エイナの長剣の内側、身体がぶつかるほどの距離から、顎に向けて拳を繰り出す。

 下がって躱すエイナに蹴りで追撃しようとするが、迫ってきたのは長剣。

 しかし軸にしてる左足を狙って振るわれた長剣を、蹴り出していた右足を直角に曲げ、ヒールになってる踵で踏み折った。

 動じることなく無表情で距離を取ろうとするエイナを、百合乃は許さない。

 動き始めてからここまでコンマ数秒。

 手放した長剣は、まだ落下中だ。

 後ろに伸ばした左手で柄を握り、大きく踏み込んで必殺の一撃を突き出した。

『浅い! 残念っ』

 ぎりぎりで身体を傾けて回避を試みたエイナ。

 左肩のハードアーマーにざっくりと切れ込みを入れるが、感触的にはソフトアーマーの薄皮一枚に達した程度だ。

 ――でも、いける!!

 今回は有効打にならなかったが、百合乃と僕であれば、モルガーナの調整したエイナの力に到達できる。それを実感できた。

 驚きや笑みを浮かべて戦いの様子を見つめている夏姫たち。

 反対側の端では、モルガーナが明らかに不機嫌そうに、眉根にシワを寄せていた。

『畳みかけていくよ、おにぃちゃん!』

『あぁっ』

 どこか弾んで聞こえる百合乃の声。

 リーリエはリーリエでけっこうな戦闘狂だったけれど、それはたぶん百合乃譲りの性格だ。

 百合乃もまた、スフィアドールを動かすことを、そしてその極地と言えるドール同士のバトルを好む。

 ぶらりと長刀を垂らすように持ち、まるで平泉夫人のような構えを取りつつも、大股でエイナに近づいていく百合乃。

 勝負の行方はまだわからない。油断もできない。

 けれど戦えない相手でないことに、僕の口元にも笑みが漏れ始めていた。

 

 

            *

 

 

 エイナが百合乃を防戦に追い込んでいた戦況が、一気に覆った。

 いまは逆に、百合乃がエイナを追い詰めつつある。

 ――いったい、何があったと言うの?

 腕を組んだまま眉根にシワを寄せ、モルガーナは状況の変化を探る。

 妖精としての力が増した感触は、なかった。

 エリキシルドールとして充分な力が発揮できていても、スフィアの持つ力を引き出しきっている様子はない。

 それは決して長くない時間と経験しかなく、意思をも封印しているエイナも同様。

 ボディ性能も、前回の戦いから変化はなく、百合乃とエイナで大きな差はない。

 それならばモルガーナの手によって妖精の力を可能な限り引き出しているエイナの方が、百合乃より若干有利になるはずだが、そうはなっていなかった。

 戦況は拮抗している。

 しかし手数が明らかに百合乃の方が多い。

 許可なく自分の願いを叶えて消滅したあの出来損ないの妖精も使ってはこなかった、小細工のような技で翻弄してきている。

 いったい何があったのか、探らなければならなかった。

 ――克樹君の様子が、先ほどとは違う?

 妖精同士の戦いに、ただの人間が介入できるはずもない。

 モルガーナ自身、どんなに高速な動きでも視覚では捉えることはできていたが、介入することなどできる速度ではない。身体能力的には人間とそう大きく変わらない魔女の身体では、妖精の速度に対応するのは困難だった。

 しかしいま、百合乃の持つスフィアと、克樹のスマートギアの間で、戦闘が開始された直後の数倍の通信が行われているのを感じていた。

 ――リミットオーバーセット?

 克樹が電圧リミッターを解除して、寿命や発熱と引き換えに、必殺技と称するパーツのポテンシャルを引き出す手法を使っているのは知っている。風林火山という、人工個性と同時にドールとリンクする二者同時コントロールを編み出していることも、情報を得ていた。

 しかし人間の介入ができない領域の戦いで、そんなものが使えるとは思えない。

 ――いえ、彼は特異点……。

 眉根のシワをさらに深くし、モルガーナは奥歯を噛みしめる。

 通信内容まではつかめない。自分で開発した技術についてはほぼ掌握できていると言っても、フォースステージに至ったスフィアを支配下に置くことはできない。

 それでも感覚でつかみ取れる情報から考えるに、克樹は必殺技を、風林火山を使っているとしか思えない量の通信を行っている。

 それが可能なのはおそらく、彼が特異点として設定された人物だから。普通の人間では不可能な、妖精同士の戦いに介入できる反応速度を持っているから。

 ――まさか、彼にそんな力があるなんて!

 攻められながらも、まだ充分に戦えているエイナの様子を目で追いながら、モルガーナは思い返す。

 考えてみれば、エリキシルバトルは最初の頃から想定した結果からズレることが多かった。

 勝つことを想定していた参加者があっさり敗退したり、予想外の人物がかなり長い間残っていたりした。

 最終決戦はイシュタルを持つ槙島猛臣か、アマテラスを持つ高畑伸吾のどちらかであると想定していたのに、最後に残ったのは克樹だった。

 予備として考えていたエレメンタロイド、リーリエのことは考慮していたものの、克樹と一緒に同じスフィアを共有する形というのは考えていなかったことであったし、戦いの序盤に彼と会って話をする機会が訪れるなど、予定すらしていなかった。

 モルガーナが参加者に正体を晒すのは、最後に勝ち残った人物にだけと予定していたから。

 それらの想定外がすべて女神に仕込まれた大小の特異点が原因だったとしたら、納得がいく。

 ――元々、彼のことは最初から気に入らなかったのよ。

 エリキシルバトルではたいして役に立たない凡庸なソーサラーであったはずなのに、仲間を集めたり、モルガーナと面会し要求を突きつけてきたり、あまつさえ勝ち続けていくなど、番狂わせも甚だしい。

 いまでは猛臣にも接近するほどのソーサラーに成長し、ここまで生き残り、さらには自分の精霊に願いを叶えさせ、計画を邪魔するなどということは、起こり得るはずのない事態だった。

 胸の下で組んでいた両腕を解き、モルガーナは顔を顰めたまま両手を胸の前で握りしめる。

 エイナと百合乃の戦いは、まだ先が見える段階ではない。

 手数の多い百合乃の攻撃であるが、多くのソーサラーから集めた戦闘情報から抽出されたバトルアプリの戦法は、充分に機能している。

 ――けれど、この辺がタイミングね。

 そう考えたモルガーナは、視線を戦場の向こう、克樹たちから少しズレた、エレベーター室の影に飛ばす。

 小さく頷いて見せると、そこに隠れていた火傷の男が、ニヤリと笑って頷きを返してきた。

 

 

            *

 

 

「本当、相っ変わらず、意気地なしだよね!」

 声をかけられて顔を上げ振り向くと、アヤノが刺すような視線でこちらを見ていた。

「ぜんっぜん変わらないなぁ、君は。直した方がいいって言わなかったっけ?」

 弛緩していた身体を若干ぎこちなく動かしながら椅子から立ち上がり、アヤノは頬を大きく膨らませながら彰次の方までやってくる。

「お? ラッキー。コーヒーだ! って、ブラックじゃんっ。お砂糖ちょうだいよ。あとミルクも!」

「え? あ、あぁ……」

 唖然としてしまっている彰次に問答無用で指示してくるアヤノに、身体が半分自動的に動いて、キッチンからスティックシュガーと牛乳パックを取ってくる。

「あああぁぁぁ……、美味しっ。身体に染み渡るーっ。もう一杯!」

「……わかりました」

 たっぷりの砂糖とたっぷりの牛乳を入れ、カフェオレと言うよりコーヒー牛乳状態にして一気に飲み干し、カップを差し出してくるアヤノ。

 苦笑いを浮かべる彰次は、ヤカンに水を足してコンロにかけ、今度はカップふたつにコーヒーを淹れてダイニングに運んだ。

「俺が変わらないっていうけど、そっちだって相変わらずじゃないですか。ちんちくりんで」

「何言ってんの? これでも生前の身体より一インチくらい大きいはずでしょ? そういうボディなんだし」

 黒く長い髪と、メイドのような地味なエプロンドレス姿のアヤノは、どこか芳野を思わせる容貌にしてあった。

 けれどいまはそんな感じはなく、大きく開いた目はクルクルと色を変え、豊かな表情を湛えていて、別人のようだった。

「久しぶり、先輩。……いや、映奈」

「そうそう。うん、久しぶり。ショージ君」

 先輩といった瞬間に頬を膨らませたのを見て、彰次は呼び直した。

 二杯目のコーヒーをちびりと飲んでから顔を上げたアヤノは、笑む。

 東雲映奈。

 いま、アヤノの身体を動かしているのは、AHSではなく、人工個性のエイナでもなく、東雲映奈だと確信できた。

 彰次の大学の先輩であり、彰次がこれまでの人生で最も好きだったと、愛していたと疑いなく答えることができる女性。

 ショートカットで、ともすると男の子に間違えられるような服装だった映奈とは姿形は少しも似ていないのに、表情と雰囲気が映奈だとしか感じられない女性が、そこにいた。

 ――これが、前兆現象? でも、なぜ?

 克樹たちから聞いた、エリキシルソーサラーの前で発生する前兆現象。

 そうとしか思えない現象がいま発生しているのはわかったが、しかしバトルの参加者ではなかった自分の元でそれが発生している理由を、彰次は思いつけなかった。

「ショージ君がヘタレなのは本当、変わんないね」

 カップをテーブルに置き、低い背で前屈み気味に上目遣いで怒ってるような視線を向けてくる映奈の言葉に、彰次は頬を引きつらせながら苦笑いを浮かべるしかなかった。

 ――本当に変わってないな。

 変わっていないと指摘された彰次だが、映奈もまた最後に会ったときと何も変わっていないと感じる。

 当時は年上だったが、背は低く仕草も表情も可愛らしいのにお姉さんぶっていて、本当に怒ってるときの威圧感もさることながら、鋭い指摘に上手く言い返すことができなくてマウントを取られてしまう。

 可愛らしい女の子として見られることよりも、恐ろしい先輩と見られていた大学の頃と、本当に何も変わっていない。

「女の子とはけっこう遊んでるんでしょ? 大学のときもそうだったけどさぁ、この家の入退室記録見てみたら、けっこう女の子が出入りしてるみたいじゃん」

「……なんでそんなとこチェックしてるんですか」

「ん? そりゃあこのボディだとそういうの簡単にチェックできるみたいだったから。権限あったし」

「説明になってないですよ……」

 たじたじになるしかない彰次の胸元に人差し指を突き立て、頬を膨らませて怒りを表現しているのに可愛らしいとしか思えない表情で、映奈は言う。

「昔からそうだったよね? 好かれることは多いのに好きになることってほとんどなくってさ、惚れた相手にはいつまでも告白できないヘタレ男だったもんね?」

「……さすがに昔とは、違いますって」

「はぁ? たいして変わってないじゃないっ。むっつりスケベ。こーんな可愛らしい姿のロボットにメイド服なんて着せちゃってさ」

「ぐっ。いや、それは、あの――」

「言い訳はしない!」

「はいっ」

 直立不動になった彰次に、ふっと表情を緩ませ、うつむき加減になった映奈は、身体を寄せ抱きついてくる。

「そんなショージ君だからこそ、あのとき告白してくれて、嬉しかった。本当に嬉しかったんだぞ……」

 決して強くはない、エルフドールのボディの腕に力を込めて抱きついてくる映奈を、彰次もまた抱き締める。

「ゴメンね、ショージ君」

 胸元から顔を上げ、潤んだ瞳を見せる映奈。

「告白されて、嬉しくて、あの日は頑張っちゃった……。危ないかもって思ってたのにね」

 映奈が言っているのが、死んだ日のことだというのはわかった。

 彰次は知らなかったが、もしかしたら映奈は事前にモルガーナから脳情報を収集していた機材の高出力化について、話を聞いていたのかも知れない。

 そのときの無茶が、映奈に死をもたらしたのは、確かなことだった。

「なんで、わかってて無茶したんですか?」

「そんなの決まってるでしょ?」

 怒ったように眉間にシワを寄せ、でも可愛らしい映奈は頬を膨らませる。

「ショージ君と気兼ねなく遊びたかったからだよ? わたしは熱中するとさ、歯止めが利かなくなるのは知ってるでしょ? 集中すると恋人でもほったらかしにしちゃう。それじゃダメだって自分でもわかってたんだけどさ、どうにもならないんだよね。だからそれは諦めた。わたしの性質なんだもん」

 懐かしくて、泣きたくなるほど最後に話した頃とまったく変わらない口調。

 彰次は改めて、自分が深く映奈のことを愛していることを感じる。

 ほんの一瞬、ためらうように言葉を止め、映奈は頬を薄赤く染めた。

「どうにもならないなら、研究をひと段落させるしかないじゃない。集中してやらないといけないことが終わったらショージ君と、その……、ラブラブできたでしょ?」

 顔を赤くしながら上目遣いで、唇を尖らせて言う映奈に、彰次も自分の顔が熱くなるのを感じていた。

 厳しくて、言われると従ってしまうほどの圧力があるのに、何をしてもどこか可愛らしくて、さらにたまに見せる愛くるしさのギャップにやられたことを、いまさらながらに思い出す。

 そんな愛して止まない映奈の顔に、影が差した。

「でもそれが、あの魔女の計略だったんだね。わたしの性格も、たぶんショージ君の想いも全部見て取った上で、あの魔女は計画してたんだ。それに見事に填まっちゃって、わたしは死んじゃった」

 笑っているのに、映奈はポロポロと涙を零す。

 彼女の頭を胸に抱き寄せ、彰次も溜まらず泣いていた。

「好きだった。愛してた。一生一緒にいたいって思える人に出会えたのに、わたしはそんな人と付き合う前に、死んじゃった……」

「俺も……、俺も愛してる。先輩を、映奈を、俺も愛してるっ」

 映奈の顎に手を添え、上を向かせる。

 いまの気持ちを言葉だけで全部伝えることなどできない。

 いまのすべてを伝えるために、彰次は映奈の顔に自分の顔を近づける。

 けれど、止められた。

 映奈の人差し指で、彰次の唇は塞がれる。

「凄く嬉しいよ、ショージ君。わたしも君と同じ気持ちだよ」

 言いながら涙を拭った映奈は、彰次から身体を離して距離を取る。

「だったら、なんで――」

「だっていま、ショージ君には好きな人、いるでしょ?」

「うっ」

 言葉を詰まらせる彰次に、映奈は微笑みを見せる。

「いいんだよ、ショージ君。わたしが死んでからもうずいぶん時間が経ったよね。ショージ君は年取ったし、世界は本当にいろいろ変わった。いつまでも足踏みはしていられないよね? 生きてる人は自分の道を進まないといけない。だから、いいんだよ」

 彰次に背を向けた映奈は、腰の下で自分の指と指を絡ませ、わずかに顔を振り向かせて嬉しそうに笑んだ。

「それにさ、嬉しいんだ。ショージ君は意外としつこいし、ネチっこい性格だったからさー、心配だったんだよね? いつまでもわたしに囚われてるんじゃないか、って。自分の幸せを見つけられないでいるんじゃないか、って」

 身体を振り向かせた映奈は朗らかに笑む。

 眩しいほどのその笑みはしかし、彼女がもう手の届かない存在であることを思わせる。

 死んでしまった、過去の人間であることを知らせている。

「わたしのことは忘れてほしくないけど、ショージ君が幸せになれないのも、イヤなんだ」

「でも……、でも映奈――」

 近づいてきて唇をまた人差し指で塞ぎ、すぐ目の前ではにかんだ笑みを見せてくれる映奈。

「幸せになりなさい、ショージ君。これは先輩からの命令。絶対命令! 幸せにならなかったら、許さないからね?」

 言って映奈は。彰次の唇に自分の唇を重ねた。

 一瞬だけのキス。

 最初で、最後の口づけ。

 あのときしたかったのに、できなかった想いを、いまやっと重ね合わせることができた。

 そう思えた。

「愛してたよ、ショージ君」

 嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに、けれどどこか悲しそうに笑む映奈。

 過去形で愛を語る彼女に、光を失いつつある瞳に、彰次は胸にこみ上げてくるものを必死に抑えて、答える。

「愛して、いましたよ、映奈……」

「うんっ!」

 頷いた映奈は、泣いていた。

 泣くつもりはなかったのに、彰次も涙が零れるのを止められなかった。

 お互い同時に手を伸ばして、抱き締め合う。

 決して暖かくもなく、柔らかくもないエルフドールのボディなのに、あのときの映奈の香りがしていた。

 強く、強く抱き合って、ひとしきり泣いて、ゆっくりと映奈が顔を上げた。

「いま、こうやって会えたのは、あの子のおかげなんだ」

「あの子?」

「うんっ」

 それが人工個性のエイナを示していることに、彰次は気づく。

「やはり、あれの願いは映奈の復活だったのか」

「うん、そう。いろいろ思うところはあるけど、まぁ、それはいまさらいいや」

 眉根に小さく不機嫌なシワを寄せていた映奈は笑み、言った。

「だからあの子を、助けてあげてほしいんだ」

「助ける?」

 そんなことを言われても、何ができるとも思えなかった。

 モルガーナによって意思を封じられたエイナを、解放することなんてできるとは思えない。

「助けると言っても、あれの意思は封じられて、消えてしまっているかも――」

「そんなはずがないでしょ?」

 笑みから怒りへとがらりと表情を変え、睨みつけるような視線を映奈は向けてくる。

「あの子は、わたしと、ショージ君の娘だよ? わたしの脳情報と、少しだけどショージ君の脳情報でできた、わたしたちの娘。わたしたちの子供が、そんな軟弱だと思ってるの?」

「……そんなことを言われても、どうしたらいいか」

「難しいことは考えなくていいんだよ」

 笑顔に戻った映奈は、どこかいままで見たことがある彼女と違っていた。

 たぶんそれは、母親の顔。

 慈愛に満ちた、自分の娘を想う母親の笑み。

「名前を、呼んであげて」

「名前を?」

「そっ。わたしとショージ君で考えた、あの子の本当の名前。わたしたちの娘なら、必ずショージ君の声は届くから」

 研究室では生まれることがなかった、世界で初めての人工個性の名前は、こっそりと考えていた。

 大学では脳情報収集のメインとなった映奈の名前がそのまま仮称となっていたが、稼働を開始したときに呼ぶ名前を、映奈と彰次のふたりで決めていた。

 その名前は、いまも忘れずに憶えている。

「任せたよ、パパ」

 ニッコリと笑み、しかし瞳から光が消えた映奈。

 途端にぐったりと、アヤノのボディから力が失われた。

 アヤノを椅子に座らせて、頭を掻こうと思った彰次だったが、止めた。

 ――悩むのは、後だ。

 映奈に任された。

 そのことだけを考えて、いまはエイナの元に行く。

 帰ってからソファに投げ出したままだったコートを手に取り、車の鍵がスラックスのポケットに入っているのを確かめて、急いでスフィアロボティクス総本社ビルに向かおうとダイニングの扉を開ける。

 ――いや……。

 ふと思って、彰次は振り返る。

 眠っているような、穏やかな笑みを浮かべたまま動かなくなったアヤノ。

 エイナが使っていたというスフィアが搭載されているアヤノのボディを、彰次は担ぎ上げた。

「急ごう」

 戦いはそろそろ始まっているはず。

 眼鏡型スマートギアで道順と渋滞情報を確認しながら、彰次はガレージへと急いだ。

 

 

 


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