神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第六部 第三章 レミニセンス
第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第三章 1


 

   第三章 レミニセンス

 

 

          * 1 *

 

 

「ここは……」

 GPS発信器の反応が止まってから、何分と経っていない。途中でコンビニなんかに寄り道してくれて助かった。

 タクシーを降り立った僕の前にそびえ立つのは、スフィアロボティクス総本社ビル。

 胸ポケットから携帯端末を取り出していまのリーリエの位置を確認すると、ずいぶん高い位置にいる。たぶん屋上。

 ――間に合ってくれよっ。

 焦る気持ちを抑えながら周囲を見回す。

 花壇や植樹された木、ベンチといった公園のような広いスペースが取られた敷地は、もうほとんど夜に沈んで人影はない。

 退社時間は過ぎているはずなのにまだ仕事してる人がいるのか、いくつかの窓には明かりが灯っているのが見えるけど、ガラスの大きな自動ドアがある、正面入り口は格子つきのシャッターが下ろされ、入れそうにはない。

 僕が乗ってきたタクシーも走り去り、近くからは動くものはなくなった。海からの風と、微かな波の音と、遠い街の喧騒以外なくなったここは、死んだように眠っている。

 ――通用口からでも入れればいいけど……。

 そんなことを思うけど、望みは薄い。

 スフィアロボティクスくらいの会社になると、建物の中に入るには認証キーが必要になるし、ゲストですら訪問者キーが必要になる。通用口だって当然セキュリティがかかっているし、ゲートはセキュリティレベルが上がるごとに設置されてるはずだ。

 屋上に通じるエレベータにたどり着くまでに、いくつのゲートを突破しなければならないだろうか。

「ん?」

 考えていても埒が空かないと思って、とりあえずビルの周りを回ってみようと思っていたとき、動くものが見えたような気がした。

 すぐさまデイパックからスマートギアを取り出して被り、携帯端末と接続してディスプレイを下ろした。

 暗視野モードではなく、光を増幅するスターライトビューをオンにしてみると、少し離れた場所に、木々や低い生け垣のような花壇の間を縫って歩く、人影がいるのを発見した。

 とっさに近くの案内板の影に隠れた僕は、人影を拡大してみる。

 ――あいつはっ!

 叫び声を上げそうになって唇を噛んで堪え、でも僕に背を向けて忍び足を続ける男の背中を睨みつける。

 奴の首筋から頬には、火傷の跡があった。

 その顔は一度見たからには忘れない。卑屈そうで、嫌らしそうな、百合乃を死に至らしめた犯人だ。

「ぐっ」

 いますぐ走り寄って刺し殺してやろうとズボンのポケットに手を入れた僕だったけど、そこには何も入っていない。

 僕は夏姫とお互いの気持ちを確認したときから、ナイフを持ち歩くことを止めた。

 奴に復讐したいという気持ちは消えてないが、そのためだけに生きるのを止めた。

 好きな人と一緒に生きる道も、見るようになっていたから。

 ――それに、いまはリーリエの方が重要だ。

 彼女が至ったフォースステージというので、実際どれくらいの強さがあるのかはわからない。

 僕と一緒でない彼女は、エイナと戦っても勝てないかも知れない。

 たぶんいまのリーリエは、身体を破壊されれば、人工個性に戻らずに、死ぬ。ショージさんの連絡では、人工個性システムはもう一度稼働させることはできなかったと言う。

 胸が焼けつくほどの気持ちを男に抱いているのも自分でわかってるけど、いまはそれよりも大事なことがある。

 もしかしたら二度と会えなくなるかも知れないリーリエと話して、僕の想いと、彼女の想いを、確認し合わないといけない。

 ――だけど、あれは手がかりだ。

 僕から離れて、ビルの裏手に回ろうとしているらしい火傷の男を追って、僕も足音を忍ばせる。

 奴が何をしようとしてるかはわからない。でもビルの方を気にしてる様子から、中に入ろうとしてるんじゃないかと思う。

 モルガーナに繋がるあいつなら、通常のものではない入り口を知ってるかも知れない。

 建物の裏手、デザインなのか、強度確保用の支柱でも入っているのか、建物の出っ張りの影に姿を消す火傷の男。離れたところで見ていたけど、しばらく経っても出てくる様子のない奴に、僕は慎重にそこに近づいていった。

「こんなところに、扉?」

 出っ張りの影にあったのは、僕でも少し屈まないと通れないくらいのサイズの扉。

 通用口という感じじゃなく、開けたら操作パネルでも現れそうなそれのノブに、僕は手をかける。

「開いた……」

 鍵穴はあったけどかかってなくて、錆びついて使ってなさそうなその扉は、引っかかることなくスムーズに開いた。

 機械のLEDすらないためにスターライトビューでは中が見えず、スマートギアの暗視野モードに切り換えて中を見る。

 太い配管がうねっているそこは、メンテナンス用の空間のようだった。

 ――こんなところに、何の用だったんだ?

 滅多に人が入るような場所でもなさそうなのに、火傷の男はどうして入っていったんだろうか。

 疑問は覚えるけど、僕は奴を追う以外に選択肢はない。

 水でも溜まっていそうな雰囲気なのに、意外に乾燥しているスペースの中を、僕は配管の間を縫って正面の方向に進んでいく。

 どうにか道らしい場所に出て、道なりに進むと見えてきたのは、エレベータのドア。

 狭苦しいここには不釣り合いなほど大きなドアを持つそれは、たぶん資材搬入用だ。

 人影がないことを確認してから近づくと、操作パネルに光があって、稼働中であることがわかる。薄汚れたパネルには呼び出しボタンはあっても、上か下かのボタンはなく、いまこのエレベータのゴンドラは下に向かっているのがわかるだけだった。

 どうしようかと思ってる間に、動いている表示が止まった。そのまま表示が変わらなくなる。

 少し悩んでから、僕は呼び出しボタンを押す。

 火傷の男の目的はわからない。でも何となく、この先にあるものを、僕は見届けなくちゃならないような気がした。

 しばらくしてゴンドラが到着し、ドアが開いた。

 思った通り、かなりの広さがあり、壁の傷も剥き出しのそれは、机や棚と言った什器、工事用の資材の出し入れなんかに使ってる様子だ。

 中に入ってみると、内側の操作パネルも特殊なもので、操作するボタンはなく、タッチパネルと思しき小さなモニタと、カードキーを通すためのスロットがあるだけだった。

 ――これじゃあダメか。

 資材の出し入れにもセキュリティをかけてるゴンドラの中で、僕は立ち尽くす。

 火傷の男を追うことも、リーリエに会うために屋上に行くこともできない。他の道を探すしかない。

「え?」

 ため息を漏らして外に出ようとしたとき、ドアが閉まってゴンドラが動き始めた。

 下に向かって。

 操作もしてないのに動く理由はわからなかったが、何となく感じていること。

 ――誰かに、誘われてる?

 根拠があるわけじゃない。でもそうじゃないかと思う僕は、表示上の最下層に到着しても止まらず、ゆっくりと降下を続けるゴンドラの中で、ドアが開くのを待っていた。

 最下層よりもさらに一〇階分は降りただろう時間の後、左右にスライドしてドアが開いた。

「……なんだ? ここは」

 乗ってきたとこと同じ配管ばかりの空間だけど、ここはさっきの場所とは違う。

 空気が、冷たい。

 地下に降りてきたというのとも違う、静かで、冷たい空間。さっきの場所とは思想も違う理由でつくられているような気がした。

 道になってる配管の間を歩き、見えてきたのは、左右の端に細い配管がいくつも伸びて、闇の中に消えて行っている、階段。

 予感がした。

 いまここは、僕が生きてきたのとは違う空間だ。

 この階段の下は、ここよりもさらに違う、別の世界のような、そんな場所のように感じられていた。

 静謐な冷たさと、荘厳な闇の前に、僕は息を飲む。

「進むしかない」

 わざわざ口に出して言った僕は、階段に足を掛ける。

 この先に待つものに、イヤな予感を覚えながら。

 

 

            *

 

 

 長剣を捨て、突剣を右手に、短剣を左手に構えたエイナに対応して、リーリエは太刀を手の平で潰すように収縮格納し、代わりに短刀と小型の盾を取り出した。

 すり足で、しかし素早くリーリエに接近したエイナは、大きく振る短剣で牽制をかけつつ、突剣による狙い澄ました一撃を放つタイミングを窺う。

 ――隙が、ないっ。

 余裕を表すかのように、口元に薄い笑みを貼りつかせたリーリエ。

 牽制に使っている左の短剣は、決して牽制だけのために振るっているわけではない。

 隙あらば敵の身体を傷つけようとしているのに、リーリエはエイナの攻撃を余裕を持って受け止め、流し、反撃を加えてくる。肩の上で構えた突剣を突き出すタイミングが取れない。

 ――これほどまでに強いなんて……。

 どうにか突き出した突剣は、盾を捨てたリーリエの左手につかまれ、刀身を折られた。

 短剣でどうにか空色の髪を揺らすことに成功したエイナは、距離を取って次の武器を考えながら、絶望に近い感情に沈みそうになっていた。

 モルガーナの指示でリーリエに連絡を取り、この場所に呼び出した。

 この場所を戦場に選んだのは、スフィアロボティクス総本社ビルが、モルガーナとエイナにとってホームグラウンドだからだ。

 人目をほぼ完全に避けて使用でき、多少の無茶も許容される。問題が起こっても、モルガーナの意により握りつぶすことができるという理由も大きかった。

 それだけでなく、ここに使うに当たって、準備もしてきた。

 ヘリポートのある屋上にしか見えないここは、実に一〇〇台近いカメラが設置され、一分の隙もなく把握することができる。

 カメラで捕らえた映像は、エイナが稼働している人工個性システムだけでなく、スフィアロボティクスの社内システムを使用しリアルタイムで処理され、どんなに高速な動きでもリーリエの挙動をすべて把握できるようになっている。

 前回、エルフドールの目を使って同じことをしていたときよりも、遥かに良好な条件。

 同時にリーリエは克樹というパートナーが不在で、彼の支援により最大限に発揮されていたポテンシャルが制限されているはずだった。

 それなのにエイナは、戦いの序盤のいまの段階で、自分の不利を悟っていた。

 ――どうにかしなければ……。

 焦りを覚えつつ、高速戦闘のためにナイフを二本取り出したエイナ。

 離れた場所から身じろぎもせず戦いを眺めているモルガーナはしかし、奥歯を噛みしめるギシリという音が、カメラと一緒に多数設置されている集音マイクを通して聞こえてきていた。

 盾を捨てたまま、短刀一本を構えるリーリエは、静かな表情でエイナのことを見つめてきている。

 前回の戦いでは楽しそうな笑みを浮かべていたリーリエ。

 いまの彼女にその笑みはなく、おそらくフォースステージで得た力を持て余している様子があると同時に、エイナのことを観察している。克樹と一緒のときと違って、戦いを楽しんではいないようだった。

 ――わたしの持ってるエリクサーを、奪いに来ているのですね。

 リーリエの願いは、彼女が集めた分と、エイナが持つ分を合わせなければ叶えるに足る量に達しないことは、知っていた。

 同じように、エイナの願いも、リーリエのエリクサーがなければ叶わないものだった。

 ――だからわたしは、勝つしかない。

 モルガーナからの怒気を含んだ視線を背中に感じながら、エイナは声もなくリーリエに向かって床を蹴った。

 半身に構えたリーリエの首筋を狙った、彼女の懐に飛び込んでの右手の薙ぎ払い。

 同時に、ちょうど頭部カメラでは死角になる位置からの、足のつけ根への攻撃。

 閃きすらなかった。

 リーリエの持つ短刀が動き出したと思ったときには、二本のナイフからは刃が失われている。

 多角処理した視界では完璧に捕らえられているのに、リーリエの動きに対応できない。かろうじて手首から先を失うのを防ぐのが精一杯だった。

 しかしその攻撃を予期していたエイナは、手首のアーマーの隙間から飛び出した刃を、彼女の顔面に突き出す。

 さらに左手は背の後ろに提げた長剣を抜き、胸元を狙って薙ぐ。

 ――これも防ぎますか!

 隠し刃は首を曲げただけで避けられ、長剣は短刀に受け止められていた。

 逆に腹を蹴飛ばされたエイナは、前屈みの体勢で吹き飛ばされていた。

 ――フォースステージが、これほどとは……。

 体勢を整えたエイナは、リーリエの挙動に注意を払いながらもう数歩下がり、その場に予め用意していた武器を、破壊された武器の鞘などと交換して装備する。

 エイナの繰り出す攻撃一回一回は、必殺だった。

 人間の視覚では捕らえきれないほどの高速な攻撃はもちろん、灯理のようなデュオソーサラーでも二面が限界の視野では、死角からの攻撃を防ぎきることはできない。

 多数のカメラを視覚としているエイナほどではないにしろ、ボディの各部に光学や音響のセンサーを取りつけたアリシア――リーリエの身体ならば、対応可能なのはわかっている。

 けれど人工個性ではなくなり、克樹の家にあるシステムをリアルタイムで使うことができなくなったはずのリーリエは、処理速度の面で性能が低下していてもおかしくはなかった。

 それなのに彼女は、エイナの攻撃に完璧に対応してきている。

 あちらはあちらで余裕はないだろう。

 フォースステージで上がったはずの力を、まだ持て余している感じがある。実戦を何度か経験しなければ、自分の力がどれくらいのものであるのかつかむのは難しいだろう。

 それでも、リーリエに勝てる気が、エイナにはしていなかった。

 フォースステージでは妖精の力を、神の一部の能力を自分のものとし、サードステージまでより強くなることはモルガーナによって予想されていた。

 昨日フォースステージになったばかりだというのに、リーリエの力は、以前より強くなったサードステージのエイナとは隔絶している様子すらある。

 いまは周囲への警戒と、自分の力を測っている様子があるため、積極的に攻撃をしてきてはいないが、もし畳みかけられたら対応できるかどうか、エイナには自信がなかった。

 ――もうわたしだけの力では、勝てないんですね。

 それを悟ったエイナは、口元に小さく笑みを浮かべた。

 前回の戦いが、エイナにとって最初で最後の、リーリエに勝てるタイミングであることはわかっていた。

 それを逃したエイナには、もう勝ち目はない。

 あのとき彰次が戦場に現れたのは偶然などではなく、誰かが、神が状況を操作したとすら思えていた。

 ――それでもわたしは貴女と戦います。わたしの願いを、叶えるために!

 コントロールウィップを応用した多関節アームを仕込んだマントを羽織り、エイナは騎士のような大きな盾と長剣を構える。

 それを見て長刀を両手に持ち、ニッコリと笑いかけてきたリーリエに苦笑いを返し、エイナは攻撃を再開した。

 

 

            *

 

 

 優に五階分は降りただろうか。

 照明ひとつない真っ暗な階段を下りきってたどり着いたのは、意外に広いらしいフロア。

「いったい何なんだ? ここは」

 スマートギアに仕込まれた赤外線ライトで照らし出されたその空間は、真っ黒な壁と床をした、謎の空間。

 階段を下りてすぐそこの広場のようなスペースには、何だかわからないガラクタのようなものが、真正面に伸びる廊下の左右に積み上げられている。

 スフィアロボティクス総本社ビル地下の、さらにその下に広がる空間にも関わらず、モバイル回線が繋がっていることを確認した僕は、集音マイクの情報を家のサーバに投げて解析し、少なくとも近くには動くものがいないことを確認した。

 デイパックから小型の懐中電灯を取り出してスマートギアを可視光モードに切り換え、点灯する。

 見えたのは赤外線視野で見えたのと同じ、ガラクタのような物体。理科実験用の機材に見えるものもあるけど、木製だったり装飾過多な金属製だったり、埃こそ被ってないけど、ずいぶん古い時代のもののように思えた。

 岩を切り出して磨き上げたような素材と、上のビルとは明らかに違う建築様式なんかを考え合わせると、ここはモルガーナの秘密の場所かも知れないと思えた。

「でも、何のためにこんな場所を?」

 モルガーナの思惑が思いつけず、首を傾げることしかできない僕は、とりあえず先に進むことにする。

 広く取られた廊下の左右には、一定間隔に扉が並んでいる。

 やはり石造りで重そうな扉のひとつに手をかけてみると、思いのほか簡単に押し開けることができた。

「……機械室?」

 どこからか電源でも引いているのか、僕も見たことがある工作機械なんかもあるその部屋には、大きな作業台の上にスフィアドールっぽいロボットとか、古い絡繰り人形みたいなものが、つくりかけの状態で投げ出されている。

「モルガーナの研究室か、そんな感じなのかな?」

 そんなことをつぶやきながら扉を閉めた僕は、反対側の部屋に入ってみる。

「――うっ!」

 部屋の中に置かれた物を理解した瞬間、僕はうめき声を上げて慌てて外に出た。

 急いで扉を閉め、こみ上げてくる吐き気を両手で押さえて飲み込もうとする。

 ――ここは確かに、モルガーナの実験室だ。

 スフィアドールはともかく、その核であるスフィアは、モルガーナがもたらしたもの。あいつはロボットの制御に使えることを最初から知っていたわけじゃなく、実験を繰り返す中で知ったんだと思う。

 スフィアドールの他にも、ずいぶん前にスマートギアの技術にもモルガーナが関わってるかも知れない、という話を平泉夫人としていた。

 そのときはまさかと思ったけど、本当かも知れない。

 スマートギアを開発するのに必要なのは、たぶん人体の性質だ。そしてそれを得るためには、様々な実験が必要になる。

 僕の背中の向こう、見た途端に吐き気がした部屋は、標本室。

 いや、生物実験室。

 作業台の上には何もなかったけど、左右の棚に並べられた大小の瓶には、様々な標本が漬け込まれていた。

 何人もの人間を、バラバラにしてできた標本。

 美しい顔と長い髪の、脳の後ろ半分を剥き出しにした女性の首を見た瞬間、僕は堪えられなくなった。

 ――でも、それだけじゃない。

 見えたのは人間だけじゃなく、奇形の動物に見えるものもあった。

 生きていないからだろう、うつろな表情をした男の人の頭がついた、小型の恐竜のような物体は、魔女の被造物らしい一品だった。

「先に、進もう……」

 喉まで上がってきた酸っぱさを無理矢理飲み込み、扉を開ける気も失せた僕は、廊下の先に進む。

 火傷の男は、たぶんこの先にいるんだから。

 三〇を超える扉を数えた後、見えてきたのは階段のとこと同じくらいの、広い場所。

 さっきとは違って殺風景なそこには、上り階段の代わりに仰ぐほどの、天井までの高さがある、大扉があった。

 人間の手で開けられるかどうか一瞬悩んだけど、近づいた僕は、身長の三倍はありそうな石の扉に触れ、押した。

「え……」

 重々しい音がした後、抵抗をほとんど感じずに開いた扉。

 その先にあったのは、とてつもなく広い空間。

 体育館なんかよりずっと高い天井から光が降り注いでいるから、灯りがあるのはわかる。それなのにすべてが黒いその空間は、光のすべてを吸い込むかのように暗い。いや、文字通りに黒い。

 大き過ぎていまひとつ縮尺がわからないけど、たぶん野球場より何回りか広い、円形と思われる空間にはほとんど何もなかった。

 中に踏み出すと、寒さを感じた。

 ここに降りてから肌寒さを感じていたけれど、それの比じゃない寒さ。でも温度が低いのではなく、乾燥し、光を吸い込む壁や床から、身体が震えてしまうほどの寒さを感じているようだった。

「何のための空間なんだ?」

 黒すぎて入り口に近いここから見てもわからないけど、スマートギア内蔵のセンサーでは、中央に四角くて、やはり黒い、小屋ほどの石の塊があるのがわかる。

 総本社ビルの敷地よりもおそらく広いと思われるこの空間は、ここまでにあった実験室以上に、何のためにあるのかわからない場所。埋め立てによってできたこの土地に、どうやってつくって、いつからあるのかも想像できなかった。

 まさにモルガーナの、魔女のなせる技で生み出された空間。そんな感想を僕は抱いている。

 床には微かに、黒より微妙に違う色で、隙間なく文様が描かれている。まるで魔法陣のように。

 ここに入ったんじゃないかと思われる火傷の男の姿はなく、左右を見てみると、文様が描かれた外側、壁沿いにずらりと、ここには似つかわしいような、似つかわしくないようなオブジェっぽいものが並んでいる。

「これは、なんだろう?」

 やはり石造りだけど、機械用のハンガーに吊り下げられているような、たぶん金属製のオブジェに見えるものに近づいて、僕はそれをよく見てみる。

 謎の空間にあるそれは、謎の物体だ。

 人を模した形状に思えるのに、腕っぽいものはあっても脚はなく、代わりに腰に当たりそうな部分から左右三枚の、ヒレのような板が伸びている。背中の方にも翼にしては幅のない板がある。

 顎に手を当てながら考えてみると、これに似たものを思いつく。

「アシストギア、ではないよな」

 思いついたのは、将来的に実用化を見据えて開発が進められていると以前発表されているのを見た、アシストギアという機械。

 人間が着ることで筋力を増したり、運動能力を補助するための、一種のパワードギアで、骨折などで生活に支障のある人に松葉杖の代わりに使うことが想定されていたり、筋力や運動能力が低下した人にそれを補助するためのものとして開発が進められている。

 軍事用途、という話もちらほら聞くけど。

 将来的にはスマートギアを取り込んで身体に馴染む機械として、その制御には第七世代になるだろう組み込み形態を解放されたスフィアが利用される、なんて話だったはずだ。

 筋力補助の方は服のように着るソフトタイプがすでに実用化されつつあるけど、機能補助にはフレームを持つハードタイプのものがある。

 ただ、脚部のないこれは、アシストギアではあり得ない。

 アシストギアでないとして、僕はもうひとつ別のものが頭に浮かんできていた。

 人型ロボットの、追加装備。

 ロボットアニメに出てきそう形状をしているけど、大人サイズの体型で使うには小さすぎて、小柄な人か、子供か、エルフドール、それでなければエリキシルドールが使いそうなサイズのこれが何なのかは、わからない。

 砲門っぽい筒状のものも見えることを考えると、そっちの方が近いように思えるけど、はっきりとはわからなかった。

 こんな場所に、たぶんモルガーナが、壁際に一〇メートルくらいの間隔で一周ずらっと並べているとしたら一〇〇体にはなるこれを、無意味に置いているとは思えない。

「本当にこれはなんなんだ?」

 不吉な予感を覚えつつ、僕はつぶやきを漏らした。

「それはな、魔女が神意外装と呼んでいるオモチャだよ」

 唐突に背後からかけられた声。

 一瞬前までスマートギアのパッシブセンサーは動くものを感知していない、どころかいまも感知していないのに、舌っ足らずで可愛らしい声が、僕の後ろからかけられた。

「魔女如きの造ったものが、神の意を表す装いとは、片腹痛いがな」

 唾を飲みながら、スマートギアのディスプレイを跳ね上げた僕は、苦言をどこか楽しげな口調で呈する声の主に振り返る。

 そこにいたのは、女の子。

 可愛らしいワンピースを着て、ふんわりしたショートの髪をし、少し丸みのある顔に笑みを貼りつかせているその女の子のことを、僕は知っていた。

 ――百合乃?!

 喉元まで出た声を、僕はかろうじて堪える。

 死んでしまった彼女がいるわけがない。というのは、すでにアリシアの身体を借りて一度現れたそうだから、絶対というわけじゃない。

 ただ、椅子に座るように脚を曲げている彼女は、僕と視線の位置が同じだ。

 浮いている。

 幽霊かも知れない、と思えないのは、百合乃の姿をした何かが放つ、圧倒的な存在感があるからだ。

 楽しそうな色を浮かべているそれの瞳を見ているだけで、僕の心臓は激しく脈打ち、息が苦しくなってくる。

 嬉しい、悲しい、愛おしい、寂しい、怒り、喜びといった様々な感情と、それをほしいと思ってしまう欲望と、畏れ多いと感じている畏敬とが全部一緒に湧き上がってきて、僕は跪きそうになってしまっている。

 まさに圧倒的。

 ただ浮いて、そこにいる。

 それだけのことなのに、百合乃の姿をしているのに、それは僕の持つすべてを噴き出させてしまいそうで、屈服させられそうで、どうにもできず僕はすべてを投げ出し、捧げたくなっている。

 ――でも、許せるはずがない!

 百合乃ではないそれが、百合乃の姿をしていることを、僕は許せはしない。

 その気持ちにどうにかすがりつき、声とともにすべての感情を吐き出しそうになっている胸を手でつかんで、僕はすべてを飲み下す。

 そしてそれを、睨みつけた。

「イドゥン、だな?」

 絞り出すような声で問うた僕に、そいつは本当に嬉しそうに、楽しそうに笑みを浮かべる。

 百合乃の姿をしているのに、百合乃のものとは違う笑みを浮かべるそいつは、僕の質問に答えた。

「その通りだ、音山克樹。先に教えておいてやるが、お前の探していた男は、わらわを我が物にせんがためにここを訪れたが、お主の追跡を感知して、すでに逃亡したぞ。ネズミのように怖がりで、気弱な男よな」

「くっ」

 すべてを吸い取られそうな感覚があって、外すのが難しい視線を無理矢理外し、僕は扉に向かって走り出そうとする。

「そう急くでない。どうせお主はあの男には追いつかぬよ。それよりも少し話をしよう。せっかくお主をここまで誘導してきたのだから」

 行く手を阻むように空中を滑って移動して、扉までの道を塞ぐイドゥン。

「これまでのことと、これからのこと。それから、わらわの話だ。お主にとっても知りたいことであろうよ」

 笑顔で提案してくるイドゥンに、僕は抵抗できない。

 それよりもイドゥンの圧倒的な存在感が、目で見ているだけなのに人間どころか、地球や、空にある太陽よりも大きいと感じさせるそれが、強い口調でも命令でもないのに、僕の抵抗しようとする気持ちを押しつぶす。

 彼女は、確かに神だ。

 神に抵抗できる人間なんていない。

「なぁに、そう時間は取らせないさ。お主を愛して止まないわらわの妖精にはもう一度会えるさ」

 ニヤついた笑みを見せて広間の中央、黒い物体に近づいていくイドゥン。

 彼女に引き摺られるように、僕もそこに歩きだした。

 

 

 


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