神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第一章 2

 

 

          * 2 *

 

 

「まだまだ、混乱してるな」

 貧相な机に立てたポールに取りつけたモニタは、六枚。

 それぞれに別の情報を表示する彰次は、かけている眼鏡型スマートギアも使い、モニタに表示した業界系のニュースサイトをチェックしていた。

 部屋にあるのは彰次が座っている椅子と机、ふたり分の食事を置いたらいっぱいになる程度のダイニングテーブルと、機材が詰め込んである大きめのカラーボックス。

 部屋の中は玄関から真っ直ぐ中が見られないように配置されているが、簡易キッチンがあり、トイレと風呂場の扉が並んでいる。彰次のいる部屋にはもうひとつ、寝室にしている部屋への扉があった。

 自宅とは違う、そんな簡素な部屋で、グレーのスーツを着たままの彰次は、ニュースチェックを続けている。

「サンプルロットは完売。量産ロットはとりあえず少数、か。まぁ堅実的なところだな」

 会社のネットに接続して得ている情報では、先日発表したクリーブのリアルタイムデータを表示している。

 ごく少数に留まったサンプル生産分はそう遠くないうちに裁けることは予想していたが、思った以上に早く量産開始の最初となるファーストロットの生産が、決して多いとは言えないながらも決定していた。

 平泉夫人が凶弾に倒れたというニュースは、暴力団の抗争以外ではほとんど聞いたことがない、銃が使われたこともあり、世間を騒がせた。

 一般人の大半にとっては数日で興味が失われる程度の話題に過ぎなかったが、ロボット業界、とくにスフィアドールの関係者には、戦慄を持っていまも騒がれている。

 はっきりと存在を確認したことがなくても、ロボット業界に魔女が巣くっているという事実は、少なくない業界関係者が知っていた。明らかにスフィアロボティクスに有利な事柄があったとき、魔法が使われたと言われるのは、常となっていた。

 その魔女と真っ向から対立するような行動を取った平泉夫人が銃で襲撃されたのだ、関係者にとっては大きな事件となった。

 不確定だった魔女の存在が鮮明に浮かび上がり、敵対者が排除された。その事実は業界関係者の少なくない人々を萎縮させるに足るものだった。

 逆にこれまでもあった、魔女の影を排除しようとする動きも活発化している。

 クリーブが発表の後の絶望的な状況よりほんのわずかながらマシなのは、そうした反発の意志を示した人々による行動だった。

 いまだに捕まっていない銃撃犯に対するというより、魔女の影に対する反発であるのは、クリーブの購入企業、研究機関のリストからも見て取れた。

 同時に、クリーブの旗振り役であった平泉夫人が倒れたことで、開発が頓挫すると読み、購入を中止するところも出てきてはいたが。

 資産家で、投資家である平泉夫人の名前は、一般の人はまず知らない。銃撃事件のことは騒がれたが、それだけだ。

 けれど彼女に縁の深いスフィアドール業界の人々は、この一週間ずっと騒ぎ続けていて、その動きはまだまだ続きそうな様子がある。

「これが、夫人の言っていたことなのか?」

 左手を顎に添え、右手を伸ばしてマグカップを取った彰次はそうつぶやく。

 少し前に平泉夫人は、クリーブの成果はそう遠くないうちに出ると話していた。

 小規模ながらもクリーブの注文数は増えているわけで、初期に比べればマシな状況となっている。

 けれどこれが成果かと言われれば、規模が小さすぎて彰次には夫人の言葉が実現した結果だとは思えなかった。

 その辺りは言った本人に聞いてみたかったが、難しかった。

 今日、芳野に対して医師から告げられた、夫人の容態。

 もしかしたら今日にも息を引き取る可能性があるいまはもう、夫人に問うことはできそうになかった。

「彼女は大丈夫かな?」

 相当のショックを受け、それでも急ぎやらなければならない仕事を片付けるために病院を飛んで出てしまった芳野。

 彼女の仕事で、機材の手配や仕事環境の構築など、間接的な援助はできても、直接的な手伝いはできない。心配だったが、必要に応じて時間をつくって、一緒にいること以上は、彰次にはできなかった。

 ひとつ息を吐いた彰次は、手にしたままだったマグカップを口元に寄せて傾ける。

「……新しいの、淹れるか」

 カップを手に椅子を立ち、頭を掻きながら簡易キッチンに向かった彰次は、ヤカンに水を入れてコンロにかける。

 流しに置きっ放しだったガラスのティポッドを軽く洗い、知り合いに配合してもらって小分けにしておいた、ハーブミックスをポッドに空けた。

 家ではすっかりエルフドールのアヤノに任せきりで、決して手慣れているとは言えない作業をしているときだった。

 鍵を解除する音に続き、開かれた玄関の扉。

「お疲れさん。予定より早く終わったんだな」

 防御力もありそうな革のブーツを脱いで入ってきた人物に、彰次はねぎらいの言葉をかける。

「はい。もう少し難航するかと思っていたのですが、すでに奥様のご実家は、先手を打って動いてらっしゃいました」

 相変わらず乱れたところのないメイド服を着、彰次の言葉に答えたのは、芳野。

「もうすぐお茶が入るが」

「ありがとうございます。シャワーを浴びてから頂きます。その後は、二時間ほど仮眠を取って、また病室に行く予定です」

「わかった」

 表情がないのは変わりないが、以前とは違い、瞳に優しい色を浮かべた芳野は、彰次のすぐ後ろの脱衣所に続く扉に入っていった。

 扉越しでも微かに聞こえる衣擦れの音に、思わず息を飲む。

 それに続いて聞こえてきた、ゴトンゴトンという物騒な音は、聞こえなかったことにした。

 ここは、夫人が入院した翌日に急いで手配した部屋。

 病院に近く、芳野の運動能力をもってすれば、玄関を出て二分とかからずに病室に駆け込める。

 病室には病院のセキュリティの他に、信頼できる警備会社の警備員が常時貼りついていて、遠隔の監視態勢も許可を取って設置してある。しかしそれでも安心はできない。

 それに、容態急変への対応もある。

 必要な機材を置けて、風呂があって、仮眠が取れる場所として、彰次は芳野のために偶然空いていたこの部屋を借りた。

 ――割と、生殺しだよな。

 シャワーで身体を流す音が聞こえてくるものの、そこから先の展開があるわけではなかった。

 仕事で忙しい彰次は、この部屋で寝泊まりしていると言っても、出かけていることの方が多かったし、芳野は芳野で仮眠を取る以外で部屋にいることの方が少ないほどだった。

 ――それに、早ければ今日にも、この部屋は不要になるかも知れない。

 よほど運でもよいか、奇跡でも起きなければ、平泉夫人が目覚めることはないだろう。

 医師が言っていたように、夫人の体力は限界だった。

「俺にできるのは、ここまでだな」

 つぶやきを漏らした彰次は、音が鳴り始めたヤカンの火を止め、ポッドに湯を注ぐ。

 できるだけ芳野の助けになりたいと思って、やれることはやったつもりだった。

 けれどいま以上のことは、彰次にはできなかった。

 ――克樹たちは、どうしてるんだかな。

 先週知った、克樹たちが参加している戦い。

 ファンタジックとしか言いようのない現象は、魔女が関与していることは確実だった。

 平泉夫人もその戦いに関係して銃撃されたのはわかっていたが、夏姫からの連絡で、克樹が学校を長期に休むと連絡を入れた他は、彼らと話してはいなかった。

 ――全部、聞かないとな。たとえ、平泉夫人が亡くなってしまうとしても。

 ガラス製のポッドの中でゆっくりと開いていく色とりどりのハーブを見ながら、彰次はそんなことを考えていた。

 

 

            *

 

 

 定期的に部屋に響く音だけがあった。

 電子音と、ポンプの音。

 弱められた照明の下に動く人影はなく、止まることのない定期的な音は、病室の静けさを一層増していた。

 ベッドに横たわる平泉夫人は、まるで死んだかのように動くことはない。

「フェアリーリング!」

 静かだった部屋に響いた、舌っ足らずの声。

 ベッドを中心に広がった金色の輪は、病室の壁まで広がり、止まった。

「あっ、らぁいず!!」

 続いて唱えられた言葉とともに、床の辺りから光が発せられ、大きく膨らんだ。

 光が弾けて消えたとき、その中から現れたのは、ひとりの女の子。

 エリキシルドール。

 白いソフトアーマーの上に空色のハードアーマーを身につけ、空色のツインテールを左右に垂らしているアリシアは、心配そうに平泉夫人の顔を覗き込む。

 血の気とともに生気を失っているような夫人の顔にはしかし、満足そうな薄い笑みが浮かべられている。

『ゴメンね、こんな風に巻き込むつもりは、なかったんだ』

 床に置いてあったピクシードールサイズのリュックを取り、携帯端末を取り出したアリシア。端末からそう声をかけたのは、リーリエ。

『たぶん、これからすることは、貴女の意志に背いてることだと思う。でもやっぱり、やるしかないと思うんだ。あたしは貴女に、いっぱい、いっぱい、ありがとうって言いたいから』

 言ってリーリエは、携帯端末を持っていないアリシアの左手を、胸の前で強く握らせ、目をつむる。

『あたしもぜんぜん余裕がないから、ほんのちょっとしか分けて上げられない。それでもマシになると思う』

 言いながら目を開けたリーリエは、夫人の顔の半分を覆っている、人工呼吸器のマスクに手をかけた。

「待ってください、リーリエさん」

『……来たんだ』

 制止の声とともに開かれた病室の扉から入ってきたのは、小柄な人影。

 目深に被っていた帽子を取るのと同時に、身体を隠すような野暮ったいコートを覆っていた金色の光が散り、ピンク色の髪が露わになる。

「わたしもリーリエさんと、想いは同じですから」

 大きな鞄を床に置き、コートを脱ぎ、先日の戦いの時と同じアーマーつきの衣装――エリキシルドールの姿を晒してベッドに近づいてきたエイナは、微笑みを浮かべた。

『でも大丈夫なの? モルガーナは。いまは日本にいるよね?』

「大丈夫です。襲撃が完全成功ではなかったことで、いまは様々な人のいろんな思惑が交錯しています。あの人はそれの調整でわたしのことも、もう終わることだと思っているこちらにも気を配っている余裕はありません。長い時間でなければ、どうにか」

『わかってるの? エイナ。ここであたしに協力したら、モルガーナに敵対する意志を示すことになるんだよ?』

「……それも、わかっています。ですがあの人は、わたしを手駒にして戦うしかありません。それに、わたしか、リーリエさんのどちらかの願いをあの人に先んじて叶えるためには、この方の存在による外からの圧力が必要です。それからたぶん、その後のことについても」

『うん……』

 笑みを浮かべながら言うエイナに、リーリエの表情は曇ったままだった。

『バレたら、強硬手段を執ってくるかも知れないよ』

「そのときはそのときで考えます。もとよりこの戦いは、あの人がその気になればどうにでもできてしまうものなのですから、そこを悩んでいても仕方がありません」

『ん……。そうだね』

 ニッコリと笑うエイナに、リーリエもまたぎこちないながらも笑みを返していた。

 けれどもそれに代わり、今度はエイナが表情を曇らせる。

 リーリエと並んで立ったエイナは、おずおずといった様子で、問いかける。

「……リーリエさんは、あの、やはりもう……」

『うん、フォースステージに上がるよ。もうおにぃちゃんとは、一緒に戦うことはないと思うしね』

「それで、良いのですか?」

 心配するような表情を向けてくるエイナに、リーリエはニッコリと笑む。

『だって、仕方ないよ。あたしがおにぃちゃんを裏切ったのは確かだもん。いまはもう、おにぃちゃんから連絡もないよ』

 自分の境遇を、リーリエは笑顔で語る。

『でも、でもね? エイナ。あたしはおにぃちゃんともう二度と話せなくても、二度と会うことができなかったとしても、おにぃちゃんのために戦うよ。おにぃちゃんにとって一番だと思うことのために戦うよ』

「そうですか……。次に戦うときは、わたしにとって厳しいものになりそうですね」

『うん、そうなると思うよ。あたしだって、負けるわけにはいかないもん。誰が相手でも、全力で戦うよ』

 顔を歪めて視線を落としていたエイナは、口を引き結んでから、リーリエと視線を合わせる。

「わたしも、全力で戦います。この前のリーリエさんとの戦いで、貴重な実戦経験が積めました。あのとき以上に、バトルアプリをチューニングして挑みます」

『あたしの方も準備を進めてるよ。フォースステージに上がるだけじゃなくて、他にも。エイナにも、モルガーナにも負けないようにね!』

「はいっ」

 決意を籠めた視線を交わし合い、ふたりで笑みを浮かべるリーリエとエイナ。

 それからエイナは、着ていた服のポケットに手を入れ、何かを取り出す。

 金属の外殻を持つ球体、スフィア。

 差し出されたそれを見て、リーリエは小首を傾げる。

『これは?』

「わたしが、ステージ用のエルフドールで使っていたスフィアです」

 エイナの手のひらに乗っているそのスフィアを、リーリエはしげしげと眺める。

『エリキシルスフィアじゃ、ないよね?』

「バトルへの参加資格はありませんが、これもエリキシルスフィアです、予備の。セカンドステージにも上がっていない、やっと受容体の形成が始まった程度の段階のものではありますが」

『これを、どうするの?』

 リーリエの問いに、エイナは視線をさまよわせた。

「ここに入っているスフィアほどではありませんが、ほんのわずかにしろ、これには私が入っています」

 自分の頭を指さし、唇を震わせているエイナは、すがるような目でリーリエを見つめる。

「できたら、ショージに――、音山彰次さんに、渡していただけませんか?」

 願っている。

 望んでいる。

 けれど恐れているその瞳に、リーリエは微笑みを浮かべ、頷いた。

『うん、わかった。いいよ、渡しておく。でも、どういうものなのかはちゃんとショージさんに言うよ? 受け取ってもらえるかどうかは、わからないよ』

「はい。わかっています。だから、できたらで構いません」

 泣きそうな暗い顔を歪めているエイナからスフィアを受け取って、リーリエは携帯端末を入れてきた小さな鞄にそれを収めた。

 それから、平泉夫人の顔を覆っているマスクを外し、顔の上で両手を握り合わせて目をつむる。

 エイナはリーリエの手に自分の両手を包むように重ね、彼女もまた目をつむった。

『お互い、ほんの少しずつね』

「はい。わたしも、リーリエさんも、余裕はありませんものね」

『うん。でもふたりで少しずつなら、きっと大丈夫。いくよ』

 目を開いたふたりは、同時に唱えた

『アライズ』「アライズ」

 キラキラと光る、飛沫。

 重ね合わせたふたりの手から、一滴にも満たないエリクサーの飛沫が零れ落ち、平泉夫人の唇へと降り注いだ。

 

 

            *

 

 

「クソッ」

 悪態を吐いた猛臣は、被っているヘルメット型スマートギアのバイザーを上げ、オフィスチェアにだらしなく身体を預けた。

 夜も遅いいまの時間は、猛臣が所属するスフィアロボティクス開発班のオフィスには、彼の他に人影はなかった。

 デスクに置いた液晶ディスプレイ、スレート端末、頭に被ったスマートギアを使ってそろそろ追い上げとなる製品の開発作業を進めていたが、集中できなかった。

 ――モルガーナ、だよな。夫人をやったのは。

 平泉夫人が銃撃されたという報道が流れてから、もう一週間以上が経過していた。

 最初の数日はニュース記事で騒がれたが、すぐに新しい報道に押し流され、続報が伝えられることはなかった。

 いまでこそHPTに大きく肩入れしている夫人だが、スフィアロボティクスの株主でもあって、かなり初期から支援していた人物でもあったから、社内でも心配する声がいまもささやかれている。

 HPTやスフィアロボティクスだけでなく、スフィアドール業界全体の支援者と言える夫人を心配する声は大きく、悪く言う人はいない。

 他の業界にも広範囲にわたって関わっている夫人であるが、特定の事柄で利害が食い違う場合はあっても、文字通り敵対していると言える組織や個人は、あまりいない。

 唯一、モルガーナを除いては。

 夫人がHPTを焚きつけて世に出したクリーブは、スフィアロボティクスを揺るがすほどのものではなかったが、頻繁に話題に上る程度には衝撃があった。

 それをモルガーナが、敵対行動と捉えた可能性は高い。

 発表時点よりも夫人が凶弾に倒れたいまの方が、クリーブの業界での扱いが大きくなっているのは、殺害にまで至らなかったことによる影響だろうと推測できた。

「しかし、克樹の野郎はどうしてやがんだ?」

 プラカップに残っていたコーヒーを飲み干し、猛臣はそうつぶやく。

 平泉夫人襲撃事件以来、克樹からは連絡がない。

 こちらからの連絡にも返事はなく、連絡手段を断っている。

 おそらく気軽に聞ける相手の中では一番把握しているだろうから、夫人の容態など聞きたいことがあるのに、話をすることもできていなかった。

 夏姫と何回か交わしたメッセージによると、克樹はいま腑抜けをやっているという。

 克樹が夫人に精神的に依存している様子には気づいていたから、そうなるのも仕方がないとは思う。ただし、夏姫の話だと様子がおかしくなったのは、夫人の事件を知る前からだったそうだから、腑抜けた原因は他にもあるように思えていた。

 ――残りふたりってのは誰なんだ?

 夏姫との交わしたメッセージの中には、バトルをしてきたらしい克樹が、残りふたりのエリキシルソーサラーがわかったと言っていた、とあった。

 しかし今日の段階でも、克樹はそれについて口をつぐみ、話をしていないのだという。

 重要な情報であるにも関わらず、平泉夫人のことがあったにせよ誰にも話していないというのは、よほどの相手だったのだろう。

 それが誰であるかを、猛臣は推測をつけていた。

「コーヒーでも淹れるか」

 考えていても出ない答えに、新しいコーヒーを淹れるため席を立とうとしたとき、着信を知らせる音がスマートギアのヘッドホンから響いた。

「んだ? ……こいつぁ初めてだな」

 バイザーを下げ、着信を告げるウィンドウに表示された名前を見た猛臣は顔を顰めた。

 思考でポインタを操作し、応答する。

『こんばんはっ、猛臣! 出てくれてありがとうー』

「あぁ。知らねぇ仲じゃないしな。しかし、なんでてめぇが連絡寄越すんだ?」

 通話ウィンドウに現れたのは、空色のツインテールをした女の子、アリシア。

 CGで構成されたスフィアドールの姿をした、リーリエだった。

 専用の回線を持っていると言うので連絡先を交わしてはいたが、リーリエが連絡してくるのは初めてのことだった。

 会話に割り込んでくることはあっても、いつもは克樹に対して連絡をしていたし、連絡が来るのも彼からだった。

 椅子に座り直し、猛臣は顔を顰めたまま問う。

「いったい何の用だってんだ?」

『うん。まずはこれを見てほしいんだ』

 そんな言葉とともに表示されたファイル受信の可否を問うウィンドウに、訝しみながらもOKのボタンを押す。

 意外に大きい動画ファイルの受信を終え、ウィルスチェックの後、再生を開始した。

「――これ、は?!」

 スマートギアの視界に表示されたのは、エリキシルバトルの録画映像。

 おそらく克樹がこの前戦ってきた敵とのバトル。

 敵は、エイナ。

 位置からして克樹のスマートギアに搭載されたカメラで録画されただろう映像の中で、アリシアとエイナがほぼ互角の戦いを見せている。

 戦いは必殺の一撃を狙い合う静かなものを最初に、剣と刀によるものに移り、短剣と小刀によるものに変化していく。

 ――これが、スフィアドールの、エリキシルドールの動きだってのか?

 映像内に表示されている時間経過を信じるなら、再生速度をいじったというわけではない。それなのにエイナとリーリエの戦いの速度は、猛臣が知っている動きより一段は上のものになっていた。

 見ているだけで鳥肌が立つ。

 人間の反応速度を超えている、というのをさらにひとつ超えた速度に、驚きの声も上げられない。

 同時に彼女たちがやっているエリキシルバトルの意味に、猛臣は思い至る。

「てめぇが、いや、てめぇとエイナが、残りふたりのエリキシルソーサラーだったのか」

『うん……。そうだよ、猛臣』

「ってこたぁ、克樹の野郎が腑抜けになったのは、それを知ったからか」

『たぶん、そうなんだと思う』

「なるほどな」

 顎を指でさすりながら、猛臣はため息を吐いていた。

 どう探しても見つからない残りふたりのエリキシルソーサラー、と考えれば、リーリエとエイナという解答は、決して思いつけないものではなかったはずだ。

 人工個性は仮想のものとは言え、脳を持ち、ひとりの個性として成立しているものなのだから、願いを持つことはなんら不思議ではない。

 ただ、人工個性がエリキシルバトル参加の権利を持つこと、参加の誘いをしてきた本人であるエイナ、克樹が持っているスフィアを共有しているリーリエ、という解答を得るには、さすがにヒントでもなければ難しいと思えたが。

 戦いは終盤、音山彰次の登場で中断したところで終わっていた。

『渡した奴の他に、あたしの――、アリシアのカメラの方の映像と、光学映像だけじゃなくって、センサーから得た情報を処理したデータもあるんだ』

「……何が望みだ?」

『猛臣は話が早いねっ』

 いまもらった映像だけでも、エイナへの対策、さらにリーリエへの対策は立てられないことはない。けれども情報は多いに越したことはない。

 バトル用ピクシードールでありながら、リアルタイムで動きを解析するのに使っているという高性能なセンサーを搭載したアリシアの情報も組み合わせれば、桁違いのデータが得られるはずだ。

 エリキシルソーサラーであるリーリエが、その貴重な情報の存在を明かす理由は、ひとつしか考えられない。

『エイナ、強いよね?』

「あぁ。正直、いまのイシュタルじゃ対抗できねぇのは確かだ。ボディ性能だけなら、いまやってる改修が終われば追いつけるとは思うが、俺様自身と、バトルアプリの改良も必要だな。二ヶ月……、いや、三ヶ月は最低でも必要だ」

『凄いね、猛臣。見ただけで目処がつけられるなんて。――うん、エイナは凄く強いんだ。それに、おにぃちゃんとあたしと戦ったことで、たぶんさらに強くなってる。だから、あたしももっと強くならないといけないの』

「なるほど、な」

 リーリエの言いたいことを、猛臣はだいたい理解できるようになってきた。

 具体的なものについてはまだはっきりとしなかったが、飛んでもないことを言われるだろうことは、予感していた。

『猛臣がいまつくってる人工筋、Gラインを一式、ほしいんだ』

「――てめっ! そんな情報、どこから仕入れやがった!!」

 アルファベットナンバーの、現在Fラインまでが発表、発売されているスフィアロボティクスのパーツ群は、その世代のリファレンスモデルとして発売される、高級パーツ。

 リファレンスパーツは主にサードパーティに任されている普及パーツとは異なり、性能はもちろん、耐久性も高い。Fラインのパーツ一式で組み立てられたスフィアドールは、現在でも第五世代の最高の性能を持つ。その分、価格も隔絶していて、一般に使われることは少なく、半受注生産となっているほどに生産数が少ない。

 一種のプレミアムパーツであり、普及価格帯のパーツがリファレンスパーツに追いつくのは、世代終盤となる。第五世代発表から第六世代発表まで期間が短かったため、現行のFラインシリーズに普及価格帯のパーツは性能が追いついておらず、現在でも最高性能のパーツとして認められていた。

 年明け早々に予定されている第六世代スフィアと同時に発表、予約が開始される新しいGラインシリーズは、現在開発がほぼ終了し、生産方法の調整が始まっている段階だった。

『ここのところスフィアロボティクスで猛臣がやってた表に見える部分と、イシュタルとかウカノミタマノカミの性能を解析してたら、だいたいわかるよ』

「推測で俺様がやってることまでわかるってのか……。くそっ。てめぇの能力を侮ってたぜ」

 舌打ちした猛臣は、顔を歪めてため息を吐いた。

 確かにイシュタルやウカノミタマノカミに使っていた人工筋は、Gラインシリーズの開発過程でできた試作品を組み込んでいた。

 エリキシルバトルと、リミットオーバーセットに適した調整をしたものであったが、そこからリーリエに開発内容を推測されるとは思わなかった。というより、実物もないのにそんなところまで推測できることはまずあり得ない。

 表面的な情報からその内情まで推測できる彼女の解析能力と、推測能力は、才能と言えるほどに飛んでもないものだった。

「確かにGラインシリーズの人工筋は、すでにサンプルが手元にあるにゃぁある。だが俺様が、いまはっきり敵だとわかったてめぇに塩を送ると思ってるのか?」

『うん。わかってる。でも、あたしにはこれまで以上の、過去最高のアリシアが必要なんだ。――エイナを、倒すために』

「ふんっ」

 エイナを倒すため、というリーリエの主張はわからなくもなかった。

 三ヶ月で対抗できるようになるとは言ったが、エイナはおそらくその間にさらに強くなっているはずだ。送られてきた映像を一度見ただけだったが、エイナの動きは高速で鋭くはあっても、洗練はされていない。

 実戦経験の不足が原因だと思われた。

 リーリエとの戦いは、エイナをさらに強くするのは確実だし、新しいイシュタルと改良したバトルアプリで戦うことはできたとしても、勝てるかどうかについては確信が持てなかった。

「てめぇはまたエイナと戦うってのか? 克樹の野郎はもうダメだろ?」

『もうすぐあたしは、もう一度エイナと戦うことになると思う。おにぃちゃんとは、一緒に戦うことはないと思うけどね』

「奴ぁ脱落か」

『うぅん。おにぃちゃんは大丈夫だよ。いろいろなことがあって、いまはダメダメだけど、おにぃちゃんは、あたしのおにぃちゃんだもん。本当にダメになったりしないよ?』

 通話ウィンドウの中で笑うリーリエに、猛臣は片眉をつり上げていた。

 克樹が復活できるかどうかは、リーリエの言葉ほど現実味を帯びて感じることはできなかった。

 ――あいつは自分のことになると脆い。

 元々百合乃の、そしていまはリーリエの兄をしているからだろうが、守ること、誰かのために戦うこと、自分の外側に理由がある場合は克樹は恐ろしく強い。

 けれど一度折れて自分の内側に引きこもってしまうと、脱出するのが難しい。

 猛臣は克樹にそんな印象を抱いていた。

「どっちにせよ、Gラインのサンプルなんて、てめぇに提供できねぇぞ」

『うん、わかってる。だから、これも見てほしいんだ』

 そう言ったリーリエが送信してきた新たなファイル。

 それを開いた猛臣は、思わず噴き出していた。

「……て、てめぇ。いったいどこまで能力がありやがるんだ」

 送られてきたのは、分子構造図を中心とした、設計データ。

 猛臣はひと目でそれが人工筋のものであることを理解した。細かいところは内容をじっくり見なければわからないが、おそらく新しい構造のバイオ系人工筋だ。

『んーとね、現行のFラインシリーズの人工筋があって、おにぃちゃんが調べたいろんなとこの人工筋の構造とかがあって、猛臣が使ってる人工筋の性能から予測して、いま開発してるんだろうなっていうのが右側の。そこから発展させると左側のがつくれるんじゃないかな? と思ったの。たぶんいますぐにはいろいろ課題があって難しいと思うんだけどね。でも、猛臣だったらできるんじゃないかな?』

「さすがにいまここでそうだとは言えねぇよ。だが、なんだこりゃ……。ほぼ正解じゃねぇか」

 リーリエの言った右側の構造図は、いま猛臣が開発に携わっているGラインシリーズの人工筋のものとほぼ同じだった。左側の方のものはまだ何とも言えないが、実現自体は可能だと思われた。

 記載されている性能予想は、Gラインシリーズの発展型として充分なものとなっている。この情報だけで、開発期間は半年から一年は短縮できるはずだ。

「これを、てめぇがつくったってのか?」

『うん、そうだよ。あたしは身体を持ってない分、考えることだけはいくらでもできるからね。普通の人と違って、並列した思考もできるし、一応睡眠は必要なんだけど、シミュレートなんかは思考の中でずっと続けられるんだ』

 仮想脳だけで構成される人工個性が、人間とは違う特性を持つということは、猛臣にも理解できる。

 しかし幼い頃から勉強して身につけてきた人工筋などのスフィアドールに関する知識を、稼働からたった三年程度のリーリエに追い越されることについては、納得できるものではなかった。

 ――こいつ、たぶんこの分野の天才だぞ。

 微笑みを浮かべているリーリエは理解していないのだろうが、彼女の能力はもしかしたら猛臣を超える。言動や行動は幼い女の子のそれであるのに、能力は天才の域に達している。

「……人工筋の他に、ほしいものはあるのか?」

 情報は検証しなければ評価はできない。それでも充分過ぎるものを得られたと感じることが猛臣は、そうリーリエに提案した。

『できたら、それに使えるサブフレーム一式はほしいかなぁ』

「メインフレームなんかはどうするんだ?」

『それは大丈夫なんだ。HPT製の試作品が充分性能も機能もあるし、あたしはこれを使い続けたいの。それから、ソフトアーマーもハードアーマーも、他の細かいパーツも、過去最高のを手配が終わってるから』

「わかった。サンプル品だからな、テストで消耗したとでも報告すればどうにかはなる。サブフレームもこっちで手配する」

 データ通りならば人工筋だけでは釣りが出るほどの内容に、猛臣はリーリエの願いを受け入れることにした。

 視界にサンプル品の情報を表示しつつ、猛臣は通話ウィンドウのリーリエを睨みつける。

「本当に、エイナに勝てるんだろうな?」

『勝つよ。でないと、あたしの願いが叶わないからね!』

 ニッコリと笑ってそう返してきたリーリエに、猛臣は苦笑いを浮かべた。

 自信ではなく、決意。

 リーリエの言葉と表情にそれを感じ取った猛臣は、それ以上のことを言うことができなかった。

 ――てめぇはどうするんだ? 克樹。このままだとリーリエに置いていかれるぞ。

 ここにはいない克樹に呼びかけた猛臣は、通話ウィンドウの中のリーリエを見つめる。

「エイナを倒した後は、準備が整い次第、てめぇをぶっ倒すからな、リーリエ」

『うん。待ってるよ! 猛臣っ』

 そんなリーリエの返事に、猛臣は笑みを零していた。

 

 

 


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