○神無鈴音サイド
買い物はすんなりと終わった。
というのも、りんがまったく自分の意見を挟まなかったからだ。
実は、このことを私はちょっと怪訝に思った。
いくら記憶喪失でも、自分の服の好みまで忘れるだろうか。一般常識を覚えているのと同様に、自分の性格や好みというものはそうそう忘れはしないだろう。ユウさんがいい例だ。
なのに彼女、服はもちろんのこと、お店そのものまで珍しそうに眺めていた。まるで、初めて見るものであるかのように。
――まあ、深く考えることでもないとは思うけど。
そしていま、私たちは近くの喫茶店に向かっているところだった。買い物はひと段落ついたから、ちょっと休もうと私のほうから提案したのだ。
「喫茶店かぁ。喫茶店ってどういうところ?」
私からしてみれば、あまりにいまさらな質問だったので、思わず考え込む。そういう知っていて当然なことを訊かれるとかえって説明しづらいなぁ。
「う~ん。軽くなにか食べて、お茶飲んで、ゆっくりするところ、かなぁ。――あ、人と会ったり話したりするときにも行くことあるわよ」
「へぇ。なんか家にいるときと変わらないね」
「…………」
ぜんぜん違うと思うけどな……。上手く説明する自信ないから、あえて突っ込まないけど。
喫茶店の前に到着する。そして、私はそこで喫茶店に入ろうという自分の発言をすごく後悔することになった。
なぜなら、窓から蛍とユウさんがいるのが見えたから。別にそれだけならいい。いや、よくはないけど、別にそこまで糾弾する光景ではない。
喫茶店にいたのは蛍とユウさんだけではなかった。蛍の向かいに見知らぬ青い髪の女性が座っている。それもかなりの美少女。年齢は真儀瑠先輩と同じくらい、つまり十七から十九くらいだろう。『美人』というより『可愛い』という言葉が似合うタイプだ。
ユウさんが怒っていないことが不可解といえば不可解だったけれど、いまの私にそんな些細なことを気にする余裕はなかった。蛍たちを見つけた瞬間からそんな余裕、なくなっていた。
「りん。喫茶店に入るとき、少しの間静かにしててね」
りんがうなずくのを確認すると、私は窓から見えないように少し身を屈め、喫茶店の入り口まで走っていった。
○式見蛍サイド
……隣からの視線が痛い……。
うぅ……。なんでだ……。なんでそんなギロリという擬音がピッタリ合う目で僕を睨んでるんだ、鈴音……。
一体僕がなにをしたと……?
――ことの起こりは、ほんの数分前にさかのぼる。
◆ ◆ ◆
「じゃあ、キミが『
「ええ、まあ……」
「本当に大変だったよぉ~……」
僕とユウはマルツの師匠だという女性――サーラさんに『
喫茶店のドアを開くと、カランカランと涼やかな音が鳴る。
「うわぁ~。音が鳴るなんて、凝ってるねぇ」
「……そうでしょうか」
サーラさんは『
ここはセルフサービスなので、まずレジに行ってストレートティーを二つ頼む。いや、サーラさんの好みは分からないし、訊いても多分的外れな答えが返ってきただろうから。ユウの分が無いのはこの場合、当たり前のことと言える。
「どうぞ。ごゆっくり~」
ストレートティーを淹れてお盆に置いてくれた女性の店員の表情は、どこかニヤニヤしていた。
……店員にはユウの姿が見えないのだから、僕とサーラさんを見てニヤニヤしているのは明白だ。どこにニヤニヤ出来る要素があるのかは分からないけど。
「……どうも」
お盆を受け取り、空いている席を探しながら歩く僕たち三人。日曜だから割と込んでるな……。
あちらこちらへと視線をやっていたら、ふと、ある一点でその動きを止めてしまった。
僕たちの座ろうとしているテーブルの――つまりは空いていたテーブルのひとつ向こう側。シックな黒いワンピースに身を包んだ、クセのあるセミロングの黒髪がどこか印象的な少女と、なんのイタズラかバッチリ目が合ってしまったものだから。
少女の年齢は僕と同じかそれより少し上、といったところだろうか。顔立ちはかなり整っている部類に入るだろう。しかし、なぜか――いや、だからこそ、なのだろうか。なんだか妙に冷たい印象を受ける。無表情なのがそれに
彼女のその切れ長の黒い瞳からは、どこか人を見下しているような、あるいはあらゆることに飽きてしまったかのような、はたまたなにかを諦めてしまったかのような、そんな感情がかすかに見て取れる。
しかし、僕はそれに悪い印象を抱かなかった。人を見下しているようにも見えるのに、だ。
それはきっと――僕と彼女は似てるから。僕もユウと出会うまでは、家であんな瞳をしていたんじゃないだろうか。家だけでなく、独りでいるとき、あんな、どこか諦めたような、生きることに飽きたような瞳でただ時間が流れるままに過ごしていたんじゃないだろうか。
少女は少しの間、僕のほうをジッと見ていたが、やがて店内のどこというわけでもない場所に――言うなれば、虚空に視線をやった。いや、おそらくはふとこちらを見たというだけのことで、また虚空に視線を戻したというだけのことなのだろう。
彼女の見つめるそこになにがあるのか、僕には分からない。ただ、推測するなら……。そう。望んでいる自分の姿があるのかもしれない。僕が同じように虚空に視線を注いだとしたら――注ぐ気分になるとしたら、それは、その虚空に意識というものを持たずにふわふわと漂っている自分の姿を想像しているときだろうから。それがきっと、僕にとっての『幸福』だろうから。
「? ケイくん?」
その声で顔を横に向ける。視界一杯に心配そうなサーラさんの表情があった。それはもう、本当に息がかかりそうなほどの目の前に。
「……な、なんでもありませんよ。座りましょう」
真っ赤になってそう言い、イスを引いて座る僕。……ああ、びっくりした。この人、驚くほど無防備だな……。
そのサーラさんも自分でイスを引いて僕の向かいの席についた。
ユウは僕の能力範囲外に出て、ふわふわと僕の真上に漂っている。イスを引いて座るわけにもいかないからだろう。周りから見たら、ただイスが引いてあるだけ、と映るに決まってる。それだけならまだしも、店員さんがイスを戻しに来る可能性だってある。そうなると面倒だし。
ストレートティーを口に含み、だいぶ落ち着いたところで話し始める。
「それで、もう詳しいことは大体話しましたけど――」
「蛍~!?」
しかし僕のセリフは、唐突に背後からした冷ややかな声に遮られることとなった。その声の主は……。
「――り、鈴音……」
「一体、ここでなにしてるのかしら?」
立ったまま僕を睨む鈴音。いや、僕がここでなにをしていようと鈴音が怒る理由にはならないだろう。もちろん、鈴音の気分を害する行為は除くけどさ。僕、そんな行為した?
すかさずサーラさんに視線をやった鈴音を見るともなしに見ながら、そんなことを思う僕。
しかし、僕の心の声が届くはずもなく、鈴音はこちらに視線を戻すとさらにまくしたててくる。
「蛍、説明してもらえる? この人は誰? なんで一緒に喫茶店に入ってるの!? そもそも、どうして――」
「あなた、もう少し静かにしたら?」
だんだんヒートアップする鈴音に冷水じみた声が浴びせられた。そちらに顔を向けると、さきほどの少女がこちらを冷たい目で見ている。
鈴音は少し目を見開いた。
「あ。あなたは……」
ん? 彼女、もしかして鈴音の知り合いか?
「えっと、す……、すみませんでした」
店内でうるさくしたのはマズかったと感じたのだろう。軽く頭を下げ、僕の隣のイスを引いて座る鈴音。……って、彼女のことはスルーか?
黒いワンピースの彼女は一体誰なのか、僕には割と気になったのだが、しかしこちらを睨んでくる鈴音に訊けるはずもなく。
◆ ◆ ◆
――とまあ、そんなわけで現在に至っているわけだ。
ふと見ると、ちょっと変わったデザインの白いワンピースを身にまとった少女が鈴音の隣の席に座っていた。いままで鈴音の勢いにすっかり呑まれていたため、ちっとも気づかなかったな。
「なあ、鈴音」
「……なに?」
すごい視線で睨まれる。うん。こりゃあ白いワンピースの少女のことは訊けないな。鈴音の連れであることは間違いないと思うんだけど。
「それで、蛍」
「……なに?」
返す僕の返事はつい先ほどの鈴音のセリフとまったく変わりない。違う点はただひとつ。鈴音は僕を睨んで返したけど、僕は口ごもりながら返しているところだ。
「彼女は誰?」
僕もそう訊きたいよ、鈴音。白いワンピースの少女と、黒いワンピースの少女は誰なんだ……。しかし訊くことなんてできやしない。なのでこう返す。
「サーラ・クリスメントさん。マルツの師匠なんだって」
「嘘をつくんならもっと上手くつきなさいよ!」
「嘘じゃないって! そもそも、どこに嘘をつく必要があるんだ!」
「だって、サーラさん……だっけ? 彼女、どう見ても真儀瑠先輩と同い年かそのひとつ上くらいの歳じゃない! それで師匠って!」
「僕とユウも最初はそう思ったよ! でも本当なんだってば!」
どんどん大声になっていく僕と鈴音。そこにまたも例の少女から冷水じみた声が届いた。
「だから、静かにしなさい。他の人たちの迷惑になるでしょ」
「ごめんなさい」
「すみません」
即座に謝る僕たち。……だって、悪かったのは明らかに僕たちのほうだし……。
少しテンションダウンしたところで、サーラさんに話を振る。
「サーラさんからも言ってあげてくださいよ。マルツの師匠だって」
そこでサーラさんはなぜかハッとしたようにして、白いワンピースの少女から鈴音へと視線を移した。そういえばサーラさん、さっきから一度も口を挟んでこなかったな。ずっと白いワンピースの少女を見ていたのか?
「……あ、なに? ケイくん」
「いや、だから……」
「サーラさん。あなたは本当にマルツさんの師匠なんですか?」
嘆息した僕の代わりに鈴音が尋ねた。サーラさんは当然、肯定を返す。
「そうだよ。――やっぱり見えないかな?」
「……えっと、失礼ですけど、歳はいくつですか?」
「歳? 二十二だよ」
『二十二歳!?』
思わず揃って叫んでしまう僕たち三人。実は僕もサーラさんの年齢は訊いていなかった。だって、女性に歳を尋ねるのって、すごく失礼なことだと思うし……。でも、まさか二十二歳とは……。てっきり十八、九くらいだと思ってたのに……。
でも二十二歳ならマルツの師匠というのもうなずけ――ないな。やっぱり師匠としては若すぎる。
「ところでその娘……」
サーラさんは僕たちの驚きなんて意に介した風もなく話題を変えた。白いワンピースの少女に視線を戻し、
「リルちゃんだよね? どうしてここに?」
「?」
リル、と呼ばれた白いワンピースの少女は可愛らしく小首をかしげた。代わりに鈴音が口を開く。
「あの、この娘は『神崎りん』といって……」
「あ、人違いだった?」
「いえ、そうとも限らなくて……」
なぜか口ごもる鈴音。うん? 結局、彼女の名前はリルなのか? それとも神崎りんなのか? どっちだ?
「どういうことなんだ? 鈴音?」
「うん、それがね……」
おお! やっと鈴音とまともに会話ができた。なんか安堵感と達成感が同時に湧いてくる。
「記憶喪失なのよ。りんは」
「うわぁ。じゃあ、私と同じなんだ」
そう言ったのは記憶を失くした浮遊霊、ユウ。
「――記憶喪失かぁ。それは面倒なことになったねえ」
いまのセリフはユウのものじゃない。というか、いまの声はいま聞こえるはずのものじゃない。いや、聞き覚えはすごくある声なのだけれど。
なんとなく嫌な予感を抱いて、空いていたはずの席に視線をやる。サーラさんの隣の席だ。ちなみにここのテーブルのイスは全部で六つ。座っているのはユウを除いて、僕と鈴音とサーラさん、そして記憶喪失の少女。そのはずなのだけど――。
「やあ、昨日ぶりだね。ケイくん、ユウさん、それと鈴音さん」
空いていたはずの席にはいつの間にやってきたのか、ニーナが座っていた。おかしいな、腰かけるところを見てないぞ。……って、ああ、そうか。空間を渡って店内に直接現れたのか。