第一話 聖なる侵入
○サーラ・クリスメントサイド
あれから――下級魔族フィーアを倒してから時間が経過すること丸一日以上。
わたしの魔法力が完全に回復するまでなんて待てない、とニーネちゃんに頼んで作ってもらった『刻の扉』でわたしは弟子――マルツ・デラードが向かった(はずの)地へとやって来ていた――のだけれど……。
「ここ、どこ……?」
本当、ここはどこだろう?
とりあえず近くの建物に入ってみることにしたけど……。
いや、そもそも。
どうして『
まさか、マルツと弱体化したニーナちゃんだけで倒せるとも思えないし……。
……まさか、ね。
う~ん……。最悪の事態になっていたらどうしよう……。
とりあえず、ここはどの大陸にある街なのか確かめないと。
建物の構造から察するに、ルアード大陸だろうか。それともカータリス大陸? あるいはドルラシア大陸?
エルフィー大陸……ということはないだろう。ここがエルフィー大陸ならもっと緑があるはずだし。
わたしの住んでいた地、リューシャー大陸だということもないだろう。
だって、こんな構造の建物、わたしの住んでいた大陸では見たことないし。
「う~ん……」
少し考え込んだのち、手近にあった本を手にとって開いてみる。
幸い、それは地図のようだった。もっとも、どの大陸が私の住んでいたところなのかも分からなかったけれど……。
ああ、マルツ。出来の悪い師匠でゴメンね……。
わたしはそんなことを思いつつ、途方に暮れて立ち尽くすのだった。
○式見蛍サイド
思いっきり非日常な存在と対峙し、勝利した翌日の朝。
そこにはなんの変哲もない、普通の日曜の――休日の朝の光景があった。
「ふわぁ……。しかしマルツ、お前もよく食べるよな……」
「当然! 魔法力を回復させる一番ポピュラーな方法は『よく食べ、よく休む』だからね!」
朝も早くからハイテンションにそう告げてきたのは、同居している浮遊霊のユウ――ではなく、同じく同居人(いや、居候か?)のマルツ・デラードだった。今日も緑色の髪が印象的だなぁ……。栗を連想させる髪型をしているものだから、なおさらに。本人、髪形を変える気、ないのかな……?
食パンにバターを塗りながら、そんなことを考える僕。
それにしてもマルツ、食べるのが本当に早い。ユウも負けじと食べるものだから、もしかしたら八枚入りの食パンじゃ足らないかもしれない。
なんとなく会話が途切れる。
僕はあくびをかみ殺すと、リモコンを操作してテレビをつけた。
『――で、四十二歳くらいの男性のものと思われる遺体が発見されました。遺体は両腕が切断されており――』
テレビの中では、男のキャスターが淡々と物騒なニュースを読みあげていた。しかも現場はここから近いときたもんだ。
そうしたからどうなるってわけでもないけど、すぐにチャンネルを変える僕。
「割と物騒だなぁ、この世界も。まあ、僕の世界はもっと物騒だけど」
得意げに言うマルツ。いや、そこは得意げに言うところじゃないだろう。物騒なことなんて起こらないにこしたことないんだから。
「昨日帰ったら、早速モンスターやら魔族やらと戦うハメになったもんな。いや~、本当、大変だった」
「いや、それ聞いたから。昨日からもう五回くらい聞いたから」
「でも本当に大変だったんだぞ。魔法力もかなり消費したし。――というわけで、もっとパンをプリーズ!」
「ないよ。お前とユウとで全部食べちゃったよ。僕なんか一枚しか食べてないよ。いまバター塗ってるの含めて二枚しか食べられないよ」
「じゃあそのケイの食パンを僕にプリーズ!」
「イ・ヤ・だ!」
「なんだよ、ケチー。じゃあなにか別のものを――」
「それもないよ! 冷蔵庫ほとんど空なんだよ!」
「ええー! ケイの甲斐性なしー!」
「ユウ! どさくさに紛れて理不尽なこと言うんじゃない!」
……はあはあ。まったく、なんで僕は朝っぱらからこんな大声出してるんだ……。
「とりあえず、そんなわけで今日は買い物しないとな」
「私が言うのもいまさらだけどさ。ケイって所帯じみてるよね~」
「うるさいな、ユウ。――そんなわけでマルツ。お前、荷物持ち――」
「ごめん。僕、今日はパス。魔法力の回復に努めないと」
「それって要するに、今日は一日ダラダラと過ごすってことだよな!?」
「うん。ケイ正解~。賞品としてユウとの一日デート権を差し上げま~す。あ、もちろん買い物ついでに」
「いらないよ! それにお前――」
「ちょっとケイ! いらないってどういうこと!?」
「お前はちょっと黙ってろ! ユウ! 話がまったく進まなくなる!」
「む~!」
「で、マルツ。お前、『今日はパス』とか言ってるけど、こっちの世界に来てから一度だって荷物持ちなんてしたことないだろ!?」
「うん。魔法力が回復したら荷物持ちデビューすることにするよ。だから今日はユウとの一日デート権、ありがたく受け取っておきなって。そしてそのパン僕に渡しなって」
「誰が渡すか!」
僕は怒鳴ってパンを口の中に放り込んだ。「あ~!!」と泣きそうな声を洩らすマルツ。……勝利。
僕は「ごちそうさま」と手を合わせると、ささやかな勝利感を胸に食器を片づけ、そのまま買い出しに出かけることにした。
「あ、テレビ見なかったら消しといてくれよ。マルツ」
「……うん。分かった」
素直なものだった。あるいは僕と言い合いしても勝てないと理解したのかもしれない。
「じゃあ、行くぞ」
靴をはきながらユウに声をかける。
彼女がついてくるのを確認すると、僕はアパートを出た。
はて? なにか忘れてるような……?
荷物持ちのことを上手い具合に流されたと気づけたのは、街に繰り出してからのことだった。……しまった。パンに気をとられてたからだ。やられた……。
○同時刻
「ん……」
魔道学会カノン・シティ支部にある一室で。
「ふあぁ~。よく寝た~」
ファルカス・ラック・アトールはのんきにあくびを洩らしてベッドから起きあがった。
緊張感がないことこの上ない表情だった。シリウス・フィッツマイヤーといい勝負かもしれない。
しかし、『よく寝た』とはいえ、窓から差し込んでくる太陽の光の角度の変化から推測するに、おそらくサーラの出発を見送ってから二時間と経っていないだろう。
それでも、緊張感を完全に解いて眠ることの出来る時間は貴重だった。
フィーアと戦った際の消耗が激しかったのだから、なおのこと。
「サーラのヤツ、ちゃんとやれてるかな……」
当然だが、『
しばしベッドの上でボンヤリしていると、外からなにやら声が聞こえた。
「――まさか……」
モンスターの襲撃だろうか、とファルカスは一瞬身を固くしたものの、しかし、それにしては少し妙だった。
なんというか、混乱しているようではあるが、命の危険を感じている声ではないのだ。
怪訝に思い、部屋を出るファルカス。
「――やあ」
廊下で温厚そうな中年がこちらに向かって手を振り、声をかけてきた。マルツの父、ブライツ・デラードである。
彼はこの魔道学会カノン・シティ支部の副会長であると同時に、腕のいい魔法医でもある。ファルカスもよく世話になっていた。
「ファルカス君。もう起きて大丈夫なのかい?」
ファルカスはつい反射的に顔をしかめる。街道を壊した件で散々叱られたのだ。
「まあ、ケガは完治してたからな。ただダルかっただけで。それより外で一体なにが――」
ファルカスの言葉は途中でブライツに遮られる。
「なんともおかしなことが起こってるよ。みんな、パニックに陥ってる」
「?」
わけが分からず首をかしげるファルカス。
「とにかく、外に出て自分で見てみたほうがいい。あれを言葉で説明するのは難しいから……」
「――? ああ、分かった」
芸のない返事をして彼は外への扉へと急いだ。その背にブライツの冗談混じりの言葉がかけられる。
「あれを見て君までパニックを起こさないでくれよ。それと、廊下は静かに!」
もちろんファルカスは走るのをやめはしなかった。
◆ ◆ ◆
皆が空を見上げている。
ファルカスもそれにならうように空に視線をやった。
そして――彼は異常に気づいた。
「――なんだ……? あの大陸は……」
空には大陸が浮かんでいた。まるで
ファルカスを初めとする『
「……おい。一体なにが起こったっていうんだ……?」
呆然と――。
自分でも意識せずに――。
ファルカスは空に向かって、そんな言葉を呟いていた――。
――『第一章 自分の意味は』―― 開幕