○式見蛍サイド
「久しぶりだね。――いや、かつてキミと戦ったときに会ったのはニーネのほうだったから、初めましてのほうが正しいかな。『
人の形をした闇色の存在――『
「ナイトメア、なぜ我の邪魔をする? 貴様もかつては我と同じく滅びを望んでいただろう?」
「かつては、ね。いまは違うよ」
冷たい微笑をその口に浮かべてニーナはそう返す。その微笑に込められている感情がなんなのかは、僕には分からなかった。
「……なんなの? あれ……。悪霊のようだけど、それだけの存在じゃない……。ただの霊が悪霊に取り込まれた風でもない……」
ヤツの持つ圧倒的な『力』に圧されてか、少し声をかすれさせて鈴音が呟く。それは疑問を呈してはいるけれど、誰に向けての言葉でもなかっただろう。
だから、それに言葉を返す人なんていないと思っていたが、
「コイツは『
その言葉に鈴音が息を呑む。
「……っ、じゃあ、そのダークマターのほうが悪霊を取り込んでいるの? そんなこと、できるわけが――」
「できる。人間の小娘よ。以前に比べれば弱体化したとはいえ、我の『力』を侮ってもらっては困るな」
「よく言うよ。魔術を使えない人間が『地の支配者』をやってるこの世界に来たっていうのに、キミのやってたことはといえば悪霊の取り込みだけ。いまもなお滅びを望んでるキミが悠長にそんなことをやってたってことは、キミ自身には大して『力』がないってことでしょ?」
ダークマターの瞳が不快そうに細められた。
「言ってくれるな、ナイトメア」
「いやいや、それほどでも。――で、確かキミ、ミーティアさんにやられたときバラバラになったよね。そのとき、本来キミが持っていた『力』や『意志』、『記憶』も身体と一緒にバラバラになったと思うんだけど、キミはそのどれを持っているのかな?」
「そのようなこと――」
ダークマターが右の掌をこちらに向け、
「貴様に言う必要はない!」
目に見えない『なにか』を放ってくる!
「っ!」
それほどの威力はなかったものの、なにかに押し潰されるような感覚があった。しかし、なにをされたのかさっぱりなものだから対処のしようがないな、これは。とりあえず間違ってもダークマターに取り込まれることのないようにユウを『霊体物質化能力』の効果範囲内に入れる。
鈴音や先輩もいまの攻撃は受けたのだろう。けれどダメージを受けた様子はほとんどなく、ただ単に驚きで固まっているだけのように見える。
そしてニーナはというと、なんの圧力も感じなかったかのように嘆息して肩をすくめた。あるいはいまのダークマターの攻撃、物理的な効果しかなくて、そしてニーナは瞬時に実体化を解いたのかもしれない。実体化していなかったユウがけろりとしているのがその証拠だろう。あ、ということは実体化しているほうがもしかして不利? ユウは能力効果範囲から出しておくべきか?
いやでも、取り込まれる危険を考えると……。
「それで本気を出してたりする? ひょっとして。だとしたら、いくらなんでも弱すぎるんじゃない?」
「ほざけ! 我の『力』の使いかたに文句を言われる筋合いはない!」
わめくダークマター。どことなく余裕がないように見えるのは僕の気のせいだろうか。
「まあ、それはそうだけどね。でもさ、ひょっとしてキミ、自力で魔法力の回復が出来なくなってるんじゃない? だから多少なりとも魔法力を使う実体化はしないんでしょ? いまだって取り込んだ悪霊をベースにして何とか具現化してるって感じだし」
「……っ! やかましいっ!」
「あ、やっぱり図星? でもって、怒りに任せてさっきの魔力衝撃波、もう一度撃ってはこないんだ。そうだよねぇ。魔法力もったいないもんねぇ。回復できないんだもんねぇ」
…………。ニーナがダークマターをおちょくり始めた。しかし、なんだろう。この、弱い者いじめでもしているかのような展開は……。
「ええいっ! なめるな!」
いや、そりゃなめるだろ。なんだかボスらしきヤツが出てきたと思ったら、《中に居る》や《顔剥ぎ》よりずっと弱いんだから。
「確かに我は魔法力を回復できん。だがな、取り込んだ悪霊どもや我自身の魔法力が尽きるまでは充分『力』を使うことができるのだぞ!」
僕はその言葉に思わずツッコミを入れてしまう。
「でも、それを使い切ったら火の玉ひとつ出せなくなるんだろ?」
「~~っ!」
「あははははっ!」
地団太を踏むダークマター。僕のツッコミがツボだったのか、腹を抱えて大笑いしているニーナ。
う~ん、自分と同格の存在が僕みたいな平凡な人間に言い負かされているのが笑えるのだろうか。ニーナの感性は僕には理解不能だ。
と、先輩がなんだか呆れた口調で口を開いた。
「一体なんなんだ、アイツは。見た目はそれなりに怖い部類に入るというのに……」
まあ、確かに見た目だけなら……って、
「先輩、アイツが見えてるんですか?」
「もちろん見えているぞ? それがなんだというんだ?」
先輩に『見えている』ということは、ヤツはやはりかなりの『力』を持っているんじゃないだろうか? だって、あの《顔剥ぎ》だって先輩には声しか届かなかったんだから。
でも……、どうにも、すごく強い敵には見えないんだよなぁ、アイツ。
そんなことを考えていたら、ようやくニーナが笑うのをやめた。
「あ~笑った笑った。さて、じゃあそろそろ終わりにしようか? ダークマター」
なかなか酷いことをサラッと言うニーナ。ああ、なんだかダークマターが不憫になってきたな。
「ふざけたことを……! そこにいる人間、式見蛍さえ殺せば我は完全であった頃の姿を取り戻せるのだぞ!」
え? 僕を殺せばって……?
「ど、どういうことなんだ? ニーナ?」
「どういうことって、そのまんまだよ。キミが死んだらキミの能力――理力は世界中に拡がる。そうなればダークマターも自分の魔法力を消費しなくても常に実体化していられるようになるんだよ。それがダークマターの狙いだろうね。
もちろん悪霊を取り込んで魔法力を補充するってことは出来なくなるけど、世界中の悪霊が実体化すれば自分が手を出すまでもなく世界も滅びるだろうし、すべてを滅ぼしたいダークマターにとっては満足のいく結果になるんじゃない?」
「おいおい、冗談じゃないぞ。それは」
「そうだね。冗談じゃ済まない。けどさ、ダークマターが完全だった頃の姿に戻るのはやっぱり不可能だとも思うよ?」
それに反応したのはダークマター。
「なんだと!?」
「だってそうじゃない。取り込んだ悪霊はケイくんを殺す直前に外に出すつもりなんだろうけど、そうしたところでやっぱりキミは不完全な『ダークマターの欠片』のままだよ。完全体に戻るには『
「……。そのような些細なこと、いちいちこだわりはせん! 我が望むはこの世界の滅びのみ!」
「ええっと……。あのさあ、ダークマター。キミもしかして、『知能』が欠落してるんじゃないの? 本来のダークマターはそんな単純でおバカさんじゃなかったよ? そもそもキミは『
「我の望み、だと?」
「というより、ミーティアさんにやられる前の――本来のダークマターの望み」
「本来の、我の望み……」
考え込むように同じ言葉を繰り返すダークマター。
「…………。憶えてないんだね。そもそもさぁ、ミーティアさんだって『聖戦士』とはいえ人間の器に縛られていることには変わりないんだよ? そんな彼女が力押しでキミに勝てたわけないでしょ」
「どういう……ことだ……?」
「つまりね。キミは、望んでいたんだよ。孤独な世界から解放されることを。誰かに滅ぼされることを。キミはあのとき確かに『希望という名の光』を受け入れた。自分を滅ぼしかねない力を持ったあの光を」
「そのようなこと……我は望んでなどない」
「記憶がバラバラになっちゃったみたいだもんね。おそらくその望みを憶えているのは、キミではない別の『
ダークマターの中でなにかが膨れあがった――ような気がした。
「認めん……認めんぞ……そのようなことは……。その望みは、いまの我の存在意義に反する!」
かつてのダークマターが望んでいたのは『滅びたい』。しかし、いまのヤツが望んでいるのは――
「我は滅ぼす! すべてを滅ぼす! そのために――その人間を殺す!!」
「まあ、過去の記憶を失ってるんだから、そういう結論になるよね。けど、それはさせないよ。彼が死んだら困るのはボクなんだし。それになにより、キミには彼を殺せないでしょ。確かに魔力はかなりのものだけど、魔法力のほうは――」
「まずは貴様からだ! ナイトメア!」
ダークマターから放たれた黒い波動がニーナを襲う!
彼女は驚きつつも虚空に姿をにじませ、消えた。
少しダークマターから距離を置いたところに現れる。
「ちょっ……、嘘でしょ!? そんな強力な波動を撃ったら、魔法力なんてすぐに尽きる――」
「そうそうすぐに尽きはせん!」
そのセリフを聞いて、僕はなんとなく事態を理解した。
ダークマターは自然に魔法力が回復しない。それは事実なのだろう。しかし、RPGで言うところの最大MP――魔法力の上限はかなり高いんじゃないだろうか。
そして、もし僕の考えどおりだとすると、状況はけっこう最悪の部類に入るんじゃないか? なにしろダークマターの魔法力が尽きるまでひたすら逃げ回るしかないのだから。反撃の手段なんてないのだから。
そう思った矢先、ニーナが反撃に転じた。
「実力差、分かってないんじゃない? ダークマター。ボクも弱体化した身とはいえ、キミよりは強いと思うよ。というわけで、くらえ!
ダークマターに向けた掌からは、しかしマルツのときのような光の筋すら出ない!
「……あれ? まさかとは思うけど……ボクの魔法力、けっこう尽きかけてる?」
ええっ!? 冗談じゃないって、それ!
ああもう! やっぱり事態は最悪なんじゃないか!
「実力差を計り間違えていたのは貴様のようだな、ナイトメア!」
次々に黒い波動を放つダークマター。
「うわわわわっ!?」
あるいは身体を動かし、あるいは空間を渡ってかわすニーナ。
ちなみにあの黒い波動、僕のアパートやらその辺りの壁やらに当たってもなんの影響も及ぼしていない。もちろん、だからといって人体に影響がないというわけではないだろうけど。
どうやらダークマターのあの攻撃は『物質』を破壊することはないようだ。とりあえずこの辺りが廃墟になるのでは、といった心配はいらないようなので一安心。
――いや、安心なんてしてられないか。
正直、僕としては死ぬこと事態は大歓迎だ。ただ、いまの状態で死ぬと世界中に迷惑がかかるっぽい。まあ、別に世界の誰が困ることになろうと別に僕の知ったことではないのだけれど、ユウや鈴音、先輩といった『大切な人たち』に迷惑をかけるのは出来る限り避けたい。
それになにより、やっぱり殺されるのはイヤだ。仮に痛くなかったとしても、やっぱり怖い。
と、ニーナが走りながらこっちに近づいてきた。空間を渡って僕の目の前に現れないのは、やはり消耗するからなのだろう。
「ユウさん! ケイくんの能力効果範囲から出て!」
『え?』
思いもかけない言葉に僕とユウの声がハモった。
「ほら、早く! ボクに考えがあるんだよ!」
「わ、分かった……」
言って僕から離れるユウ。そして――
「よし、じゃあボクも実体化を解いて、と」
次の瞬間、僕は自分の目を疑った。
なんと、憑依したのだ。
ニーナが。
幽霊である、ユウに。
「ニーナさんがユウさんに――幽霊に憑依した!? 嘘! 取り込んだのなら分かるけど……」
鈴音が驚愕の声をあげている。とすると、やはりこれは常識外れの行為らしい。もっとも、幽霊や『
ユウに憑依したニーナは鈴音の驚きなんてまったく意に介した風もなく、
「よし、成功。やっぱり波長は合ったね」
などと呟いている。ユウの声で。
「さて、これでユウさんの魔法力を使えるようになったし、今度こそ反撃開始といこうか。自分の力を使うのにも呪文の詠唱が必要なのは不便だけど」
ああ、なるほど。ダークマターが悪霊の魔法力を使っているように、ニーナもユウの持つ魔法力に目をつけたのか。とすると、魔法力というのは誰でも持っているものなのか? 鈴音の持つ霊力のようなもの? いや、なんとなく少し違う気がするな。なんとなく、だけど。
ともあれ、これである程度危機は脱したと見ていいのだろうか。
ニーナが意味不明な言葉をブツブツと呟き始めた。これが呪文の詠唱に違いない。マルツも魔法を使う前に似たような言葉を呟いていたし。
「
ニーナの掌から、まるで竜が吐きそうな炎がダークマターに向かって一直線に撃ち放たれた!