今昔夢想   作:薬丸

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劉備視点です。

大幅に文章を追加しました。


78.そして彼女は語るのだった

 数十万の人間が対立している。

 相手側は四十万人程で、私の後ろには十五万人程だったか。まあこの数には最早意味がない。大勢は決し、私達は負けを半ば認めているから。

 だがこの対立には意味があった。

 

「劉玄徳、私の最後にして最強の敵。人中の王よ、ついに追い詰めたわ」

 

 前と後ろの兵士達、ひいては将すらも関係はない。

 私はこの世で二番目に話をしたかった人とようやく言葉を交わす事が出来た。

 

「曹孟徳、王の中の王である貴方にそう呼ばれる事を光栄に思います」

 

 目の前にいるのは完全無敵の覇王様。

 小さな体躯、可憐を絵に描いたような美貌、圧倒的な覇気。

 人のある種の到達点、完成品とも呼べるような存在がいる。

 

「ねえ劉備、事ここに至れば最早数のぶつかり合いは無意味でしょう? ならば王同士の一騎打ちと洒落込まないかしら?」

 

「貴方ならそう言ってくると思ってた。人的資源を無駄にしない為、また気高く尊い優しき本質から」

 

「……全く、貴方にはそこだけが敵わない。私は人の上に立ち、人を使う。貴方は人と共に立ち、人を動かす。人誑かしの頂点、本能と理性からなる人心と、物事の本質を見抜いて射止める目と言葉に何度肝を冷やした事か」

 

「天をも抱いた覇王様に褒められるとは、これまた恐悦至極。

 拙い腕なれど、精一杯最後の戦を彩ってみせましょう」

 

「言っておくけれど、油断や慢心は無いわよ? 戦働きこそ注目されていないけれど、私は貴方の計算高さも把握している。戦闘での奥の手も一つや二つあるのでしょうし、その殊勝な態度も仮面なのでしょう?」

 

「……嬉しいな、私の本質を分かってくれているんだ。うん、奥の手の三つ四つは用意してるから、存分に使わせてね?」

 

「存分に使いなさい、その上で踏み潰してあげる」

 

「ふふっ、それじゃあまずは剣で語って、それが終わったら言葉でも語っても良い?」

 

「ならまずは死なないように頑張る事ね。それから貴方の事を聞かせて頂戴な」

 

 

 

 さて、そんな会話の後、それなりに頑張った死闘を経て、どうにかこうにか自分の命だけは死守する事に成功した。

 全ての手を尽くしたというのに彼女には敵わなかった訳だが、けれど悔しさよりも清々しさが気持ちの前面にくる。ここまでやって駄目だったんだからしょうがないのだ、と素直に負けを認めて諦められる凄さが彼女にはあった。

 

「なんかその清々しい顔、むかつくわね」

 

 未だ戦場には二人きり、大の字に寝転ぶ私を彼女は明らかな不満顔で睨みつけてきた。

 

「あはは、敗者を見下ろしてるのに、その表情はないんじゃないかな」

 

「剣術、体術、発剄、暗器各種、小弓……引き出しの数は片手で足りない所か、そのどれもが一流に扱えるとか有り得るの? しかもそれを私の情報網が捉えられなかった?

 それってつまり前哨戦では負けていたって事よね?」

 

「頑張って隠し通してきたんだけど、届かなければ意味がないよ」

 

「その切っ先、私の喉元までは届いていたわ。最後の余興と思っていたものが、まさか戦場に華を咲かせる寸前まで行くとはね。全く持って迂闊だった」

 

「やっぱり初撃を外したのが痛かったなぁ。とはいえもうこれ以上は言っても仕方のない事だね。もう戦いの中で晒せる手札は無い、生殺与奪は貴方次第だ」

 

「言ったわよね、勝負が終わったら今度は言葉を交わすと。

 貴方に持っていた興味が計り知れない勢いで膨らんでいるから、今度はそれを満足させてもらうわ」

 

「そっか、なら敗者らしく、包み隠さず全てを話させて頂きます」

 

「ふふ、それじゃあ劉備、貴方の真名を差し出しなさい」

 

「仰せのままに、私の真名は桃香と申します」

 

「私の命に最も迫った貴方に敬意を表し、私の真名も預けましょう。

 これからは華琳と呼びなさい」

 

「光栄の極みに存じます。華琳様、これからも末永くこの命をお使いくださいませ」

 

「……慇懃無礼を絵に描いたような態度ね。いえ、貴方は真面目にやってるんだろうけど、不自然だし、私と互角に渡り合った人間にやられるのはなんとも微妙ね。いいわ、周囲に私が気を許せる人間だけの時はもっと砕けた態度を取りなさい」

 

「御意」

 

 

 

 それから十数日を戦後処理に奔走し、一息つけるようになった時機に華琳から呼び出しが掛かった。

 呼び出された場所はとある城の一室だった。

 

「失礼します」

 

 一言断って入室すると、そこには華琳、夏侯惇、夏侯淵がいた。

 とても豪奢な作りから、対外用の応接室のような場所なのだと思われる。

 

「止まれ、まずは持ち物検査をさせてもらう」

 

 強く切り出したのは夏侯惇。まあ当然の警戒だと思ったので、素直に受けようとして、

 

「私が真名を許した相手にそんな無礼を許す筈ないでしょう。春蘭、どうしてもと言うから同席を許したけど、勝手を許した訳じゃあないわよ?」

 

「あ、や、しかし……」

 

「その者は単体で華琳さまの脅威となりますし、華琳さまは今現在この大陸で最重要人物になられました。警戒を露わにするのも致し方なしと判断します」

 

「おお、そうです、秋蘭の言う通りでございます!」

 

「華琳さん、私も別に失礼と思ってないから」

 

「これは私の矜持の問題だ。桃香、席について」

 

 華琳がそう強く言い切った事で、二人は引き下がった。

 私は華琳と机を挟んで対面に座り、夏侯惇は華琳の後ろに控え、夏侯淵はお茶を淹れてくれた。

 

「二人の気遣いは有り難いわ。

 けれどそもそも桃香は気術に長けているから暗殺に持ち物の有無はさほど重要ではない。

 なら椅子に縛り付ける? 安全は確保されるかも知れないけれど、それでどうやって腹を割った話し合いをしろと言うのか」

 

 感謝の言葉とそれをしない理由に納得したのか、彼女達にあった僅かな険が取れる。

 一応信頼してもらう為のもうひと押しをしておくか。

 

「もしそれでも心配なら、夏侯惇さんか夏侯淵さんのどちらか私の隣に来ますか? さすがに予備動作を止めれば発剄も何も打つ手はありませんから」

 

「なら秋蘭が」

 

「姉者、私は給仕を任されている。やるならば姉者だ」

 

「しかしいざという時に華琳さまの盾に」

 

「盾になる前に止められる位置に来ないか? と桃香は私達を気遣って言ってきてるのよ。という訳でこの話の最中、春蘭は桃香の隣にいる事、決定」

 

「あぐ、うぅ、決定に従います」

 

 そして夏侯惇が隣に移動してくる。

 憎しみの視線が横から突き刺さるけど、良しとする。

 夏侯惇からしたら自分はここに至るまでの最大の障害となった奴で、主を殺しかけた奴で、武を扱う者の風上にも置けない奴で、華琳が二人っきりの話し合いを求める奴なので、最初から視線が厳しかったのだ。

 視界内のほぼ正面から憎しみを受け止めるのは精神安定上よろしく無かったので、視界外に移ってもらった事で精神的圧迫が大きく軽減された。

 

「秋蘭、無礼のお詫びに貴方の手作り菓子を用意して。春蘭、無理だろうけど視線をもっと柔らかくする努力をなさい」

 

「はっ」

「は、はい、頑張ります」

 

 夏侯淵が部屋を退出する。

 

「本格的な貴方の話は秋蘭が戻ってからしようと思うけれど、その前に世間話でもしましょう。春蘭、長くなるだろうから座って良いわよ。

 それで、蜀の運営はどうかしら?」

 

「あはは、本来ならそっちの話の方が本題になるんだろうけどね。

 運営は恐ろしく順調だよ、元々私達は山ばかり、海も遠いという地理が枷だったけど、平和になった事で商人の行き来が楽になったから不足しがちだった物資に目処をつける事ができた。後は人が行き交えるというのも大きい。他所の文化と教養を得られるのは学問の発展に……」

 

 全部報告に上げてるから、これは本当に世間話のようなものだ。ただ報告書に載らない所見を彼女は聞きたいのだろう。なので事実を伝える事よりも私の主観と構想を主軸に話す。

 しばらく熱いやり取りがあったのだが、微かに隣からすーすーと音がする。

 気になったので隣を見てみれば、夏侯惇がとても穏やかな顔で寝ていた。

 何やってんだこの護衛、と思ったが、華琳の方に顔を向けるとにこやかに返された。

 多分狙ってこの話題を出したのだろうけど……すごいなこの主従、色んな意味で。

 

「失礼します」

 

 外から聞こえてきた夏侯淵に華琳が入室の許可を出す。

 入ってきた夏侯淵は寝入った夏侯惇を見て、やれやれ、しょうが無い姉者だ、というような優しげな表情をし、そのまま給仕を始めた。すごいなこの姉妹、色んな意味で。

 

 皆が気にしないようなので、そのまま私も何事もなかったかのように話をしようと思ったけど、夏侯淵の持ってきた変わり種の月餅が夏侯惇の前に置かれた瞬間に彼女は跳ね起きた。

 

「この匂いは月餅の練乳仕立て!」

 

 さすがに驚いた。二人は苦笑しているので、よくある光景らしいが……華琳がきりりと表情を引き締める。

 

「春蘭、今すぐそれを持って出ていくか、ここに居て良いけれど話を終えるまでそれに手を付けないか。どちらか選びなさい」

 

「あれ、私は……えっ、あの、それはっ、い、居させてください」

 

 流れが読めた。

 私は捨てられた子犬のように月餅を見つめる夏侯惇さんの肩にそっと手を当てる。こちらに半泣きの顔を向ける彼女に微笑み、そして華琳の方へ顔を向け、

 

「私への無礼というのなら許して上げてください。私が気にしていないのに罰を与えられては、私への罰に成りかねません」

 

「ふむ、それは頂けないわね。

 春蘭、今回は桃香の優しさに免じて許すけれど、次は無いわよ?」

 

「はっ、寛大な裁定を」

 

「感謝をこちらに向けるのは違うと、貴方も分かっている筈よね?」

 

「あぅ、はい。劉備殿、心遣い感謝致します」

 

「良いよ。美味しい物は大勢で食べた方が美味しいしね」

 

「ええ! 秋蘭の料理の腕前は華琳さまや流琉にも負けぬほどで」

 

「姉者、さすがにそれは言い過ぎだ。それと料理は出来たてこそが美味しい、箸を付けるなら早めに願う」

 

「そうね、それじゃあ皆で頂きましょう」

 

 そうして先程の空気から一転、とても和やかな雰囲気の中で食事会が始まった。

 満面の笑みを浮かべる夏侯惇に合わせて私も朗らかに笑うが、これ、明らかに狙ってましたよね? という視線を華琳に送ると、彼女は優しい笑みを浮かべながら視線を逸した。

 

 

 

 美味しい月餅を頂き、口直しのお茶を頂き、夏侯淵にお礼を言って、さて本題。

 

「それで華琳さんは私の何が聞きたいの?」

 

「全て」

 

「具体的なんだか抽象的なんだか分からない表現が来ちゃったな。

 えっと、私の記憶の全てってなるとかなり膨大だよ。

 私は自我が芽生えてからの光景を全て映像として記憶してるから、全部話せと言われたらそれこそ私の人生分掛かるよ?」

 

「それもまた大概凄まじい能力ね、だけどまあそこまで微に入り細に入る必要はないわ。ただ生まれてから今までをざっくりと語って欲しい」

 

「分かった。でも記憶の総浚いと要点の抽出の同時進行なんて初めてだから、説明が足りなかったり過剰だったり、まとめるのに時間がかかったりと不備が目立つかも」

 

「気になった所は適宜突っ込むからそう神経質にならなくても良いわ。

 長くなるのも覚悟と準備の上」

 

「そこまでする事かな?」

 

「そこまでする事と私は判断した。

 今貴方を知っておかないと大変な見落としがありそうだから、腰を据えて聞くと決めたの」

 

「そこまでされたら、こっちも覚悟を決めて全部話さなきゃだね。

 きっと貴方は私を変な奴と思うだろうし、嫌な奴と思うだろうけど、それでも話すよ」

 

「そんな事は思わない、なんて早計な返事はしないわ。けれど絶対に最後まで聞くから、話して」

 

 彼女の深い探究心には感銘すら覚える。だから私は話そうと決意を固めた。

 深呼吸を幾度か行い、お茶を飲んで喉を潤わせ、私は私を語り始めた。




ここから先、白の話は大分ありません。

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