しばらく歩き続け、人影の元までやってきた。
そこには三人の女性がおり、幼い少女は座り込み、眼鏡の似合う女性は座り込んだ少女の足を診ていて、槍を持った女性は周囲の警戒をしていた。
俺は三人組に普通に近付いて声を掛けた。
「どうかなさいましたか?」
すると槍持ちの女性が身体をこちらに向け、
「いやなに、旅の連れが足の不調を訴えましてな、休憩がてら具合を見ていたのですよ」
と朗らかに答えてくれた。
が、こちらを向いたタイミングで常人なら気付かぬ程僅かに、自然に槍と足を動かし構えを変えた。
ごく普通の対応に見せて、実は臨戦態勢を整えている。
彼女は若く見えて、世渡りの術とそれなりの実力を持っている事が分かった。
「それはお困りでしょう。私は旅の治療師をやっていまして、彼女を診る事も可能ですが、どうでしょう?」
「ほう、それは正に天の配剤とも言うべき僥倖ですな。少々お待ち下され、仲間と相談します故。程立、戯志才、傷はどうか?」
槍の女性が顔だけ二人に向けて聞く。
眼鏡の女性と少女はしばし見つめ合って黙考し合い、しばらくして小さく頷いた。
「分かった。治療師殿、お願いできますか?路銀も多少なりともあります故、見てやって下さい」
「分かりました、ですがお金は要りません。食料を少々と旅のお話でも聞かせて頂ければと思います」
「これはこれは、もしや五斗米道の方でしたか?」
「厳密には違いますが、同じ医聖の流れを汲む同志ではあります」
「ならば安心でありますな。ですが一応、仲間に何かあった場合はそれ相応のけじめを付けて頂く事になります」
「ええ、当然でしょう」
「不躾な脅し、申し訳ありませぬ。しかし今までの旅で何度か痛い目を見ておりましてな」
「分かります、このような世の中ですから、致し方ありますまい。では少し失礼します」
俺は少女の前にかがみ込み、ほっそりとした足を手に取り、診察する。
こうなる経緯を聞き、触診をし、気を巡らせる。
石で躓き、足を捻ってしまったらしい。そして捻った足を庇うように歩いていたら、靴ずれを起こしてしまったとの事。
具合から見てかなりの痛みだったろうに、すごいなこの子。
とはいえ治療は容易だ。
「靴を新調したばかりで長旅を計画した私の落ち度なのです。もう半日で村に着くと相談もせずに無茶をした結果がこれなのですよ」
「そうだったのですね」
彼女から深い反省が見えたので、穏便に治療を開始する。
荷物から薬と器具を取り出し、薬をすりつぶして、調剤していく。
その間に色々と聞かせてもらおう。
「薬を塗って筋肉を解せば、すぐに動けるようになるでしょう。それで暇つぶしに色々とお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「私達が答えられる事なら何でもお話しましょう」
眼鏡のクールビューティーっぽい子が答えてくれた。
互いに自己紹介を済ませて驚いた。
なんと目の前にいる二人はかの有名な程立と趙雲らしい。受け答えの様子からしてとても聡明である戯志才という女性も二人に並ぶ逸材の可能性が高い。偽名か、改名かは分からないが、何れ歴史に出てくるのではなかろうか?
だがこの出会いはとても悩ましい。
程立と趙雲、曹操と劉備の将として名高い二人のどちらに付いて行くのが正解なのだろう?
判断材料が欲しかった俺は場所についても聞いてみた。
どうやらここは陳留に近い場所らしく、彼女達は陳留から出てきたばかりらしい。
んーそうなると目の前の女の子達について行くより、曹操のいる陳留まで歩いて行くべきなのだろうか。
選択肢を絞ろうとしたら選択肢が増えてしまった。
うーん、こりゃ悩むなぁーと苦悩している所で薬が出来上がり、質問タイムは一時終了。
靴ずれが起きている部分に薬を塗り、薬が馴染んで乾くまでの間に疲労した筋肉へのマッサージと骨格の矯正を行う。
負担がかかった足だけでなく、文官筋が陥りがちな猫背、正しい歩き方を阻害するO脚、座りがちな女性にある骨盤の歪曲もついでに治してあげる。
結構な痛みを伴った筈だが、少女は小さく吐息を漏らすぐらいで最後まで耐え切った。改めてすげーなこの子。
薬が乾くタイミングで施術を終え、靴擦れ箇所にガーゼを張り、立つよう促す。
程立は恐る恐るといった感じで立ち上がり、数回足踏みをする。
「お、おおぅ、痛みも疲れも無いのです!それどころか怪我をする前よりも軽快です」
「おお、良かったな程立。心なしか背が伸びているようにも感じるぞ」
「ええ、それに胸も大きくなっているような?」
「二人共、それはさすがに乗っけ過ぎなのです。逆に落ち込んでしまいますよ?」
「二人が言っている事は満更嘘じゃないですよ。骨を正しい形に矯正したので、指三本分ぐらいは身長が伸びていますし、自然と胸を張るようになっているので大きく見える筈です」
「なんと、この短時間でそこまでの治療を行っているとは、謙信殿は相当の凄腕だったようで。僥倖ここに極まれりですな」
「はい、本当にありがとうございました。これは世界が変わるぐらいに清々しいのです、近くの村に寄って是非お礼をしたい所存」
「いえ、今回は感謝お言葉だけで十分です。薬はありふれた材料で作ったもの、整体はこの身一つでやった事です」
「まあまあ、そこの程立を含め、立ち往生していた私達二人をも救って頂いたようなもの、此度の感謝は受けるが筋ですよ」
「ええ、それにちょっと聞きたい事や教わりたい事もありますし、是非とも、いえ、何卒!」
「戯志才は目的が違ってきてる気がするぜ。ともかくお嬢ちゃん、礼ってのは受けなきゃ無礼になるって知っとくべきだぜ」
「あっ、はい、分かりました。ではお言葉に甘えさせてもらいます」
勢いに負けて三人について行く事にした。
村にたどり着くまでの間、整体や治療術(特に胸と美容)について熱心に聞かれたので、生兵法にならない範囲で色々と教えるのだった。
日暮れ前に少し大きめの村に着くことが出来、宿貸しがあったのでそこに泊まる事にした。
そこで治療のお礼にとご馳走してもらい、食べながら色々な話をした。
ここ最近の宮廷事情、各勢力の情勢、都や周辺都市の雰囲気といった世情から、三人の旅の目的、俺が男という告白といった個人的な事まで。
そして現状について話をまとめると、今は黄巾の乱が起こる前だと分かった。
既に孫堅が死んで十年近く経っていて、しかも天の御遣いの予言が広がっているようだ。
私塾をやめて二十年、前回のループ開始から十年程の誤差がある事になる。
大分飛んだなーとか、飛んでいるのは何かの理由があるからなのかなーとか色々考えていると、旅に連れ添わないか?と誘われた。
とても魅力的な提案だが、まだ判断材料に欠けていると思った俺は保留を頼んだ。
「明日一日この村で臨時治療をしようと思っています。何事も無く事が終わり、周囲の村の様子を聞いて危急の用が無いなら、貴方達の後を追わせてもらいます」
「そうですか、門外漢の我々では治療の邪魔になりますから手伝えませんな。ならば私達は明日の朝一で荊州方面へ向かいますので、もし宜しければ合流してくだされ」
俺達はもう一度出会いと旅の無事を祈って乾杯し、ついでに骨格矯正を施してその日の晩餐を締め括った。
次の日の早朝、俺は三人の見送りに村外れまで来ていた。
「見送り頂きありがとうございます」
「こんな朝早くに申し訳ないのです、ふわぁ、と、すみません」
「出張所の用意の為に起きたついでです、しかしこんな朝早くに出なくても良いのでは?」
「そうも行かぬ訳がありましてな、我々に残された猶予も少ないのですよ」
「己の仕える主を探す、でしたか?」
「季節が一巡りするまでにこの世は乱れるのは間違いありません。ですから一刻も早く国を巡り、自身の夢と力を託せる御仁を見つけ出さねばなりません」
「私と戯志才ちゃんはあてを既に見つけているので、大丈夫なのです。けれど趙雲ちゃんはまだ見当もついていないようで心配なのです」
「そうなのですか、しかし趙雲殿は物を見定める確かな目をお持ちのようですから、きっと自分にとって最上の主に槍を捧げる事が出来ましょう」
「そう真面目に言われると少し照れますな。しかしまだ見ぬ主に会えそうな気がしてきました」
「ではそろそろ行くのです」
「はい、皆さんの旅の無事と目的成就をお祈りしています」
「ははっ、謙信殿に祈られると、何とも御利益が高そうですなぁ」
「俗な事を言って……ではまたお会いしましょう」
「はい、ではまた、です」
そうして俺は三人と別れ、村に戻るのだった。
村での治療は平穏に進んだ。
陳留近くのこの一帯は治安が良いのであまり怪我の類がなく、比較的裕福なので病気も少なかった。
しかしあまりに暇だったので整体をやってみたら、その効果に村人全員が代わる代わるやってきしまい、忙殺される結果に。
村人全員に施術を終える頃には日も暮れかけていたが、その分皆から話を聞く事は出来た。
とはいえ、あの三人から貰った情報と大差なかったので、密度が増すだけだった。
治療が一段落ついた所で村長宅に呼ばれ、お礼として一宿一飯の歓待を受けることに。
晩ご飯を待っている間、村長と共に茶を頂きつつ世情などについて聞いていたが、これといって気になる話も出てこなかった。
周辺の顔役という村長が何の情報も持っていないなら、もう新情報はないと確定して良いだろう。
明日三人の後を追うかーと決めかかっていた時、来客が来た。
「頼もう!こちらに身体の全てを知る名医がいると伺い参った者だ、我らとともに陳留まで同行願う!」
「姉者、突然の訪問過ぎるし、訪いの声が大き過ぎて迷惑だ。もう少し謹んだ行動を」
「しかし秋蘭、事は我らが主の一大事ぞ。疾く聞き、疾く行動すべきだろう?」
玄関で姦しい言い合いが聞こえてくる。
村長はなんじゃろ?と言った感じで腰を上げ、表に向かった。
しばらくすると村長の驚いたような声が響き、どたどたとこちらに近付いて来る足音が聞こえてきた。
息を切らした村長がやってきて、
「謙信殿、貴方に客人が参られた。何でも陳留まで出向いて欲しいとの事でしての」
焦った様子で頼まれた。
んー厄介事のニオイがぷんぷんするが……まあ首を突っ込んでみるか。
「ふむ、分かりました、伺いましょう」
そう承ると村長はほっと安堵の息を漏らし、申し訳無さそうな顔をした。
「客人は大層お偉いお人での、謙信殿が連れて行かれるとなると儂にはどうしようも出来んのです」
「あーそうなのですね、ならば何もお気になさらずに」
「謙信殿は村の恩人、是非とも歓待したかったのですが、残念ですのぅ。念を押すようですが、彼女達は決して悪い人達ではないので、ご安心くだされ」
「分かりました、短い間でしたがお話を聞けて楽しかったです。では」
「また近くに来られた時は立ち寄ってくだされ、村を上げて歓迎いたします。そして彼女達の主の一大事とあらば、何卒力添えを願います」
そう頭を下げる村長と別れ、俺は表に出る。
そこには眉目秀麗で、何処となく似ている二人の女性がいた。一人は赤い服を着ていて何だか気が強い感じ、もう一人は青い服を着ていてクールな感じだ。そして青い服の女性が一歩前に出た。
「そなたが村で噂となっていた名医か?」
「身体の全てを知るとは過言ですが、人よりは多少なりとも深う学んでございます」
「強い自負を感じるな。急な話で申し訳無いのだが、陳留まで同行してもらいたい。構わぬか?」
「夜が近付いている危険を顧みないという事は、急を要する事態なのでしょう?ならば一医者として出向かない訳には行きますまい。詳しくは馬上にて聞かせて頂きましょう」
「その信念、話の早さ、非常に助かる。早速馬に乗ってもらうが」
「少々お待ちください、馬は二頭だけでございますか?」
「急いで駆けつけたものでな。二人で乗る事に何か不都合があるのか?」
「はい、この荷物、非常に重くありまして、」
「その程度で潰れる我らの馬ではない!今は刹那の時間すら惜しいのだっ、連れて行く事に否と言わぬなら早く乗ってくれ!」
赤い美人が馬上で焦れたように促してくる。うーん、後で俺が男と言っても斬られたりしないよな?
「……ではお願いします」
「荷物を貸してくれ。むっ、これは、本当に重いな。姉者、人二人にこの荷物では私の馬とて負担が大きすぎる、頼めるか?」
「分かった、任されよう」
「ふぅ、では行こう、そなたは私と同道してもらいたい。ある程度の事情を話さねければならんからな」
「えっ、あーですが」
「遠慮するな、姉者も言った通り、今は迅速さこそを第一としたいのだ」
「……分かりました、では失礼致します」
そうして俺は青服の女性の後ろに乗って彼女の腰に掴まり、陳留へと馬を向けるのだった。
馬上にて詳細を聞けば、彼女達はかの有名な夏侯惇と夏侯淵であり、なんと双子の姉妹である事が分かった。
双子の姉妹という事にも驚いたが、彼女達の主、乱世の奸雄曹操を治療するというあまりにも好都合な流れに驚きを隠せない。
管輅が言っていた流れとはこういう事なのだろうか?
ならばこの流れに逆らい、三人について行ったのならどうなっていただろう?
ループしていたのか、荊州にいるだろう英傑劉備と出会っていたのか、それとも……いや、歴史の流れについて考えても無駄か。なるようにしかならないのなら、現状が最高であると考えるのが楽だ。
ともかく詳細の続き。
昨日の曹操が自ら賊を追っていた際、後もう少しで賊を捕まえられるという所で謎の頭痛を訴えたとの事。
尋常な痛みではない様子だったので、賊は諦めて陳留に戻ったそうだ。すると頭痛はけろりと治ったらしいのだが、念の為に陳留一と言われる医者に見せたが異常は一切診られなかった。
だが一切の弱音を吐いた事がない主が我慢できない痛み、絶対に何かある筈と陳留中の医者を当たったのだが、結果は同じく異常無し。
主はもう大丈夫というが、それでも心配だった二人は陳留近隣の医者や薬師にまで情報網を伸ばして探し、夕暮れ前に俺の事を聞きつけたらしい。
朝一から誰かれ構わず治療していたから、陳留に向かう商人とかも診ていたのかもしれないな。
事情を一通り聞き終える頃に陳留へ到着し、そのまま城の中に通された。
一刻も早く行かねばと言う夏侯惇に手を掴まれ、ぐんぐんと城の奥に連れて行かれ、とある一室の前に連れて来られる。
おお、着いたのか、手引っ張られすぎて痛いわーと思っていたら、夏侯惇が村長宅で見せた性急な訪いをまんま再現してくれる。
大きな声で要件を言い、そのまま戸を開け放ち中に入って行ってしまった。手を掴まれたままの俺も同時に部屋に引きずり込まれる。
……何というか、祖茂と同類のにおいがする。
つんのめるようにして入った部屋の中には、机で何やら作業中だったろう少女の姿があった。
今は驚いた表情でこちらを見ているが、それまではどうやら書物をしていたようだ。
その様子を見て、俺の手を掴んだままの夏侯惇がプルプルと震えだし、爆発した。
「曹操様!今日一日は絶対安静にすると約束してくれたではありませんか?!」
あー面倒になった、という表情を隠さぬ十四歳前後の可憐な少女。
夏侯惇の言う事を信じるなら、幼さを残した目の前の少女がかの乱世の奸雄である曹孟徳であるらしい。
……マジか、外見詐欺だろ!
外見詐欺の塊である俺は自分のことを棚に上げて、心の中でそう叫ぶのだった。
1ループ分書き終わりました。合計で大体20万字強ぐらいになりました。
出来れば土日に改稿したものと新しく更新するものを二つずつぐらいアップしていきます。