さて、顔見せも終わったので、お孫さん達には退室してもらおうかね。
曹参さんがお孫さん達を隣室に促したのだが、曹参さんの孫である曹奇君が納得行かないという表情でこちらを見ていた。
不満が顔に出てしまう若さに微笑ましさを感じつつ、少し困ってしまう。
このままでは気持よく『後は若い人たちに任せて』が出来ないな。
一向に退室しようとしない曹奇くんに曹参さんが気付き、窘めようと口を開いた時、横から周勃さんが口を挟んだ。
「曹参とこの坊っちゃんは白の事を信用できていないみたいだな。なあ白、ちょっとした余興によ、何か見せてやったらどうだい?」
「ええ、いいですよ。しかし何がいいでしょうね?気の扱いとかですか?」
「蕭何殿といえば、様々な学術書を書かれた偉大なお方。ですのでその知を是非とも見せていただきたい」
「具体的には?」
そのやり取りを興味津々に見守る周囲、退室しかけていたお孫さん達も元いた場所に移動している。
「この国の行末についてお伺いしたい」
「……それは、本気で聞きたいのかい?」
ちらりと周囲を伺うと、先程より爛々と輝いた目が複数光っている。
あの、これって予定調和とかじゃあないよね?
「分かった。この国について語ろう。
まずは結論、漢の命運は長くて百年程だと言っておく。
本来ならば千年続く王朝を築けたが、呂雉が宮中を散々に荒らし、五つの愚挙を働き短命のものとなった。
第一に、劉邦様の死を隠蔽せず、国葬した。
第二に、恵帝の心を病ませた。
第三に、私が残した書を焚書した。
第四に、高官含め多くの人材を粛清した。
第五に、匈奴との交流を断絶させた。
呂雉は自身の愛する人の死が隠蔽される事を嫌い、大々的に国葬した。
これによって偉大な王がいないと知った国民の心は惑い、寄る辺を失った状態となった。
不安感に追い打ちを掛けるように新しく立った恵帝も心を病んで早逝し、国と王室に対する不安感は不信感に変化した。
その後、国が政治をまともに行えれば救いの目はあったが、多くの臣下を粛清した影響で、国の中枢は空洞化。政策を主導する人間もまともに育っていない状態だ。
私の書を焚書したのも悪手だった。原書が無くなったことで行政の方針はあらぬ方向へ向かい、粗悪な贋作書が蔓延り、改革された農業等にも陰りが生まれ、国の評判と国力を下げた。
更に英雄達が地方に散った事で人材の空洞化は止まらず、地方が力をつける結果になったのも空洞化加速の要因だな。
真っ先に中央に力を集める時期にこうなってしまっては、反乱の火種が各地にばらまかれたようなものだ。
遠くない将来、均衡は崩れ去り、火種は芽吹いて国を燃やす。
そうなれば今は優秀な単于が討ち取られ、混乱を収束させるために尽力している匈奴も再びの脅威となる。
漢が弱っているとあらば、まとめる長がいなくともすぐさま一致団結するだろう。
交流によって豊かさを知り、戦争によって単于を討たれた彼らはその羨望と憎悪を滾らせ、なりふり構わず漢の富を奪わんと動き出すぞ」
一気に語ったが、皆が絶句している。
曹奇君の要望に答えて本気で語ったのだが、もう少しオブラートに包むべきだったか。
「し、しかし、国は現在安定しています。第二の首都と呼ばれるこの洛陽も、活気に満ち溢れているのは見ていて分かりますでしょう?」
「あれは見せかけだ。商業優遇政策により商業区画は活気に満ち溢れている。だが追加で出される筈だった貧富格差を軽減させる政策は依然出されぬまま。これでは過去の王朝と同じ末路を辿る。いずれ国と商人は癒着して堕落し、そして商人と農民との間でどうしようもない溝が深まり…他愛も無い切っ掛けで爆発する」
「は、反乱の種と申されましたが、各地の諸侯にそのような兆候はありません。呂一族を厳しく誅した事が良く働いた証です。そのような馬鹿げた妄想が現実のとなるとは到底思えません」
「反乱の種が芽吹くのは重石となる存在が無くなってからだ。つまりここにいる元勲が亡くなってからの話になる。君の父上は長安で大役を務めているのだろうが、そこで曹参さんの後釜足りうる功績、実績を作ったか?
天下に響く功績が無ければ、力を持った地方を抑え込むのは不可能。もし事が起こり、地方に直接出向いて動こうとも、中央で実績を作れなければ周囲は動かない、結局曹参さんと見比べられ、侮られ、愛想をつかされ、取って代わられるだろう」
「ち、父上は頑張っておいでで」
「その頑張りは太祖劉邦様の元勲達と比べてどうだ?と聞いている」
「……ならば、これからどうすれば良いと言うのですか!」
「現在均衡が取れるのは、呂雉がどれだけ悪行を重ねようと、臣民に法だけは遵守させた事だ。
これによって民は宮中の争いを遠い物と感じ、朧気になんとかなっているのだろうという幻想を抱いている。
故に今が最後の好機と言える。
今一度、国を作り直す意気込みで事に当たれば、まだ間に合う。
的確な政策を打ち出し、実行し、地方よりもまず中央を育て、影響力を回復させてから地方を潤す政策を施行していく。
言うは単純で簡単だが、行うのは現状で最も難しい事だ。
政策の内容、施行時期、主導する人選、現場との意思疎通手段、様々な事に気を揉んで行わなければいけない。
だがそれを見事積み上げ成し遂げるなら、劉邦様の元勲を超えたと皆が認める所となる。そうすれば地方も中央に従い、反乱の芽は摘み取られ、匈奴の攻める隙は消され、漢はむこう五百年の栄華を約束されるだろう」
久々の長尺語りだった、
大まかな指針を偉そうに言っただけだけど、これで良かったのだろうか。周囲の顔を見回すと、お孫さん達は目をキラキラさせ、古参仲間は皆項垂れていた。
なんだ、このテンションの差。正直古参仲間からは逃げたお前が高説垂れんな的な顔をされると思ったんだが。
「蕭何様の言、全て理にかなっておられます。疑いを持って接した事、ここに深く謝罪します」
曹奇君は素直に頭を下げたので、
「その謝罪を受け、許しましょう。
貴方は頭を下げましたが、志を高くしました。その志が低きに流れぬ事を期待しています」
「はい!」
それらしい言葉を贈ると、とても良い返事をくれたので俺はひとまず満足です。
お孫さん達はその後、話し合いたい事が出来ましたと言って隣室に移動した。
後は若い人たちに任せて…の良いリードが出来たとほっと一息をついていると、
「私達は白さんに謝らなければいけない」
と曹参さんが真面目な顔をして切り出した。
何を?と思っていると、
「私達は呂雉について白さんから散々に忠告されていたにも関わらず、貴方の言葉を信じなかった。
そして白さんが書き残した指南書と劉邦様没後の草案の全てを呂雉に焼かれました。
その後は全てが後手に回り、呂雉に踊らされて、対処できた時には皆で作り上げた国を駄目にしていました。
全て私達の不徳の致す所です。白さん、申し訳ありませんでした」
その言葉を音頭に、皆が頭を下げる。
「やめてください!劉邦様が亡くなられるまで確かに呂雉は仲間でした!仲間を疑えという俺の言葉が受け入れられないのは至極当然の事、皆さんが謝る謂れはないです!むしろ大事な時期に中枢を離れた俺にこそ責がある!」
「白さんが抜けたのは灯華様のご遺志でしょう。それに、一人の人間が抜けて傾く国などあってはならないのですよ」
「それは……」
「私達は貴方に頼り過ぎていた。貴方が去ってから如実にそれを実感しました。
ですからこれ以上貴方には頼ってはいけないと思い、呂雉の対処も政争で荒れた宮中の建て直しも私達でなんとかしようと思い、奮闘してきました。
ですが最盛期の賑わいを取り戻せずに二十年も経ってしまった。遅きに失し、老いに負けて息子に仕事を引き継げば、先ほど白さんが仰った問題を生み出す体たらく。
何もかも私達の力不足です」
「何を馬鹿な事を!貴方達の何が力不足な物か!貴方達の尽力があればこそ国は存続したのです!貴方達こそ救国の英雄だ!そんな、そんな自分達を卑下しないで下さい」
「白さんから言われると、今までの頑張りが報われるようです。しかしそれに甘える訳にもいきません。
課題は見えました、後は老骨に鞭打って邁進しましょう。
ですから、ここで劉邦様と同じ誓いを立てさせて下さい。
白さんは、私達を見守っていて下さい。そして私達亡き後の彼らが信用に足ると思うならば、支えてあげて欲しいのです」
見守れ?
俺にまた蚊帳の外で、あの悔しさを味わえというのか。
そんなの嫌に決まっている!
「私達は愚かでしたが、その愚かしさを子に伝え、戒める事はしてきたつもりです。
劉邦様の時のような無念は決して抱かせません。ですからどうか今一度、私達に機会を下さい」
しかし俺の激高も、その様に頭を下げて懇願されてやり場を失ってしまう。
くそ、もう一度だけだからな!
「……分かりました。その誓い、信じます。
でも正直に言わせてもらうなら、もっと無茶を言ってくれた方が、仲間としては嬉しいんですよ?」
「子の将来を見守ってくれ、支えてくれと託すのは、後先短い老いぼれの最大のわがままですよ」
晴れ晴れとした顔でそう言い切られ、毒気が抜けて笑ってしまった。
「ふふっ、しっかりとお祖父ちゃんしているんですね」
その後は色々な事を話した。
それぞれの足跡と近況、家族の事、将来の事、思い出話、日が暮れてもずっと語り明かした。
夜が明け、年寄りにはもう限界という所まで酒を飲み、歌い出し、涙を流すほどはしゃいだ。
さあ宴もお開きという所で、気になっていた事を聞いてみた。
劉邦様と俺の描かれた銅鏡、劉邦様と呂雉の銅板、またその他の銅板の行方について聞く。
銅鏡についてはてっきり呂雉に割られていると思ったのだが、劉邦様からの『飾られた場所から動かさずにそのまま残しておけ』との指示を忠犬よろしく守っていたそうな。
だから銅鏡の裏については知りもしなかったらしい。もし知られていたら割られていたかも知れない。
だがその銅鏡も焚書が行われる当日に窃盗騒ぎが起き、銅板と一緒に持ち去られたそうだ。
呂雉と劉邦様の部分だけは、呂雉が持っていたので窃盗から免れたそうだが、その部分も政争のごたごたで紛失してしまったらしい。
噂は真実だったようだ。
窃盗は誰かの指示かと聞いてみても、全員が首を横に振った。まあ誰かの指示だったら呂雉が亡くなった時点で返してるわな。
一応それぞれで行方を調べたが、足取りは掴めなかったそうだ。
「でもいつか見つかる気がするっす。呂雉の野郎の分も合わせてきっと」
一番勘に秀でた夏侯嬰がそう言うと、うん、何故だかそんな気がした。
では話すべきを話し、聞くべきも聞いた、もう終わらせるしかない。
「これでお別れですね」
ああ、おお、ですね、ですなぁと皆が淋しげに相槌をうってくれる。
「では劉邦様にも、かの項羽殿にも言った別れで締めさせてもらいます」
そりゃあいい、いいぜ、頼む、お願いねと了承を貰ったので、大声で音頭を取る。
「では皆さん!また来世でお会いしましょう!」
「「「「おお!また来世で!」」」
そうして俺達の宴は終わり、劉邦様の時代はこれにて全てが終了と相成った。
だが歴史は続く。
舞台は次の時代へと移って行くのだった。