私は、提督の顔をよく見た事がない。
見るのは、いつも背中。
こうもずっと、一緒にいるのに。
「提督ゥ~…こっち見るデース」
「見るならこっちを見てよ」
「陸奥なんかより私の方が可愛いネ!」
「はあ?私に決まってるわよ。そうよね?提督!?」
「提督ゥ!」
「ハハハ…はぁ…」
時々、思う。
私も、この人を、困らせてみたいなって。
そうしたら、どんな顔をするんだろうって。
「次の演習でMVP取った方が、提督に構ってもらえる…それでいい!?」
「望むところネ!提督、待っててネ!」
「分かった分かった…早く演習に行け」
「「はーい」」
「全く…」
こう言う時の提督の顔は、困ったというよりも、どこか嬉しそうだった。
私も、あんな表情を引き出したい。
提督の目の前に、向きたい。
提督の顔を、私の瞳に焼き付けたい。
提督の瞳にも、私の姿を、焼き付けたい。
「鳳翔さん!」
「雷ちゃん。どうしたの?」
「あのね、鳳翔さんに聞きたいんだけど、どうしたら、秘書艦になれるかしら?」
「そうね…」
「やっぱり鳳翔さんみたいに、司令官のお手伝いをすればいいのかしら?私も司令官の為に何かしたいの!」
「その気持ちがあれば、いつか秘書艦になれますよ」
「本当!?よ~し、じゃあ早速お手伝いしてくるわ!司令官~!」
「…」
秘書艦か。
確かに、提督の事が好きだという艦娘にとっては、憧れなのかもしれない。
でも、秘書艦になってしまったら、あの人の背中を、ずっと見る事になるのよ。
あの人の手伝いをするだけの、都合のいい艦娘になるのよ。
「…何を思っているのかしら…私…」
それが艦娘。
当然だ。
なのに、いつからだろう、この着物も、秘書艦という仕事も、窮屈に、感じ始めたのは…。
「はぁ…」
「珍しいですね。鳳翔さんがため息ついているなんて」
「赤城さん」
「そんな時はご飯を食べるといいですよ!元気の源は、ご飯にありますから」
「…そうですね。私も、お昼に…あ、提督の分も作らないと…」
「…鳳翔さん、働きすぎじゃないですか?」
「え?」
「提督はそれに甘えすぎです!鳳翔さんがこんなに頑張っているのに、提督が鳳翔さんに何かしてあげているの、見た事ありませんよ」
「それが秘書艦の仕事ですから」
「にしても…そうだ、提督の事、困らせてみませんか?」
「え?で、でも…」
「鳳翔さんだって、ちょっとはそういうこと、して見たいと思ってるんじゃありませんか?」
「そ、そんな事は…」
「顔に書いてありますよ」
「え!?」
私は咄嗟に顔をさすった。
書いてあるわけないのに。
「ほら」
「あ、赤城さん!」
「ま、どちらにせよ、提督には鳳翔さんの大切さを理解させないといけません」
「は、はぁ…」
「私が考えた作戦があります。フフフ…」
赤城さん…なんだか面白がってる…。
でも、なんだか、ドキドキしてきた。
提督を困らせる。
私に、振り向かせる。
本当に、そんな事…。
まだ何もしていないのに、背徳感が私を襲った。
「て、提督…お昼を…お、お持ちしました…」
「ん…」
提督は書類から目を外さずに、簡単に返事をした。
いつもの事だけど、他の艦娘にとっては、酷い事なのかな。
現に、執務室の扉の隙間から、赤城さんの殺気を放つ視線を感じるし…。
「こここ、ここに…置いて…おきますから…」
「ああ…」
提督はやはり、視線を外さなかった。
そうして、私はそそくさと執務室を後にした。
「き、緊張しました…」
「もう!なんなんですか!提督は一回も顔を上げなかったじゃないですか!」
「そ、そうですね…」
「せっかく鳳翔さんがお昼を持ってきてくれたというのに…あああ!なんだか腹が立ってきました…」
「お、落ち着いてください…」
「でもまぁ…フフフ…鳳翔さん、提督がアレを見てどういう顔をするのか…ここからこっそり見ていましょう…」
「は、はい…」
赤城さんと私は、執務室の扉の隙間から、提督の様子を見ていた。
なんだか、この状況も、イケナイ事をしている気がして、ドキドキする。
やがて、仕事が終わったようで、提督は顔を上げた。
「さて、お昼に…」
そこで、提督の顔が固まった。
そして、無言で、机の上に置かれた、お湯の入ったカップめんを手に取った。
「フフフ…早く食べないからですよ…。伸びきり、冷めたカップめんを見て、後悔するといいわ…!」
提督は、しばらく固まっていたが、カップめんを食べようとしだした。
しかし、箸がない事に気がつき、また、固まった。
「さあ…箸を取りに行かないといけませんねぇ…。台所に先回りしますよ!」
「あ、はい」
提督の固まった時の顔。
私が、つくらせた顔。
それだけで、私は、子供のように、はしゃぎたくなった。
罪悪感とか、そういうのは、もはやなくて、ただただ、顔や態度には出なかったけれど、赤城さんのように、楽しんでいた。
台所。
提督がこんなところにいるのも、なんだか不思議だ。
普段は、絶対、来ないのに。
「フフフ…探してる探してる…。箸はそこじゃないですよ~…フフフ…」
本当、いい笑顔するなぁ…赤城さん…。
私も、こんな風に笑ってしまおうか。
「ん~…箸…箸…」
困った顔をしながら、箸を探す提督。
こうしている間にも、カップめんは伸びてゆく。
それが面白くて面白くて。
でも、笑うのはいけない気がして、何度も何度も、笑いを堪えていた。
「司令官?どうしたの?」
台所に入ってきたのは、雷ちゃんだった。
「雷」
「何か探しもの?」
「ああ、箸なんだが…」
「う~ん…ちょっと分からないわ…。雷も探してあげるわ!」
「すまない」
そう言うと、二人して箸を探し始めた。
「これは誤算ですね…。しかし…自分ひとりで探せばいいのに…雷ちゃんにも甘えるなんて…全く…」
赤城さんは、さっきのニヤニヤも忘れて、今度は眉をひそめ、提督を睨みつけていた。
面白がったり、怒ったり、大変な人だなぁ。
でも、こういう人が一番、秘書艦には向いているのかもしれない。
「あったわ!」
「本当か?」
「はい、司令官」
「ありがとう」
そう言うと、提督は雷ちゃんを撫でた。
「えへへ、もっと私に頼っていいのよ!いつか、秘書艦になるんだから!」
「それは頼もしいな。期待しているぞ」
「うん!」
そうして、二人は台所を後にした。
「なんなんですか!雷ちゃんにはちゃんとお礼言って…。ああもう!」
「…」
「鳳翔さん?」
「あ、いえ…」
「?」
雷ちゃんにお礼を言った時の提督の顔。
あんな顔、私にだって、見せてくれた事はなかった。
それに、撫でる事だって…。
箸を見つける事くらいで、あんな顔を見せてくれるのなら、撫でてくれるのならば、今まで私のやってきた事は、一体なんだったのだろうか。
そう考えてしまい、心に、傷が出来たように、チクチクと、痛み出した。
そして、悲しくなった。
別に褒められたいから頑張っているわけではない。
子供じゃあるまいし。
でも、なんだろう、最近の私は、子供になりつつある。
いっその事、子供になってしまおうか。
「え?」
「…」
「もう一度言ってくれ…鳳翔…」
「ですから、もうご飯は作りませんと言ったのです」
「あ、あぁ…分かった…。しかし…どうしたんだ?この前のカップめんといい…」
「…別に」
「そ、そうか…」
「では…」
執務室を出て、とうとうやってしまったと、少しだけ、後悔した。
でも、赤城さんの言った通り、こうすれば、きっと、私に向いてくれる。
そう思っていた。
子供のように。
あれから数日。
提督は相変わらずだけど、少し変わった事がある。
「はい、提督。玉子焼きだよ」
「ありがとう。いつもすまないな、瑞鳳」
「えへへ」
瑞鳳がご飯を作るようになった。
あの子が誰かの為に何か作るなんて、想像もしなかった。
提督と瑞鳳。
二人して笑う姿が、なんだか、お似合いのカップルみたいで、眩しかった。
「瑞鳳と提督、いい感じよね」
「本当ね。瑞鳳も提督の為に料理頑張ってるみたいよ。戦力もあるみたいだしね」
「そう言えば、ケッコンカッコカリって知ってる?戦力をあげるアイテムらしいんだけど、本部からの配布が一個だけなんだって」
「そうなの?じゃあ、提督が誰かを選ぶってこと?」
「今の所、瑞鳳かね」
「その為にも頑張ってるしね、瑞鳳は」
ケッコンカッコカリ…。
そんなのがあるのね…。
それにしても、瑞鳳と提督って、噂にもなるほど、いい感じなのね。
…そうなのね。
夜中。
執務室に入ると、ソファーで眠る瑞鳳と、膝枕をしている提督がいた。
「鳳翔か」
「…瑞鳳、眠ってしまったのですか?」
「ああ、無理をして、こんな時間まで起きているからだ。全く」
やっぱり、提督は嬉しそうだった。
私は、もう、限界だった。
「…なんですか。瑞鳳ばっかり…」
「え?」
「提督は…どうして…私を見てくれないんですか…!雷ちゃんには…箸を見つけただけで褒めて…どうして…私には何もないんですか…!」
「ほ、鳳翔?」
「どうして私だけ背中を見なければいけないんですか…!?瑞鳳にはそんなにデレデレな顔を見せて…!私は…私は…何年も…貴方の傍にいるのに…!」
感情が高ぶって、つい、泣いてしまった。
止めようとしたけれど、涙は止まらず、流れる一方だった。
そうして、我に返り、自分がとんでもない事をしている事に気がついて、執務室を飛び出した。
「う…う…」
子供のように、嗚咽をしながら、星空の下で泣いた。
泣くなんて、もう、何年ぶりだろう。
最後に泣いたのは、いつだろう。
忘れたはずの泣き方。
どうせなら、こんな泣き方をするなら、どこかで泣いておけばよかった。
「う…うぅぅ…」
恥ずかしい。
声を抑えても、漏れるものなのね。
「風邪をひくぞ」
背中で声がした。
そうして、温かい匂いが、私を包んだ。
「それを着ろ…。まだ…泣くのならな…」
私は、提督の上着を被りながら、また、子供のように泣いた。
提督は、後ろから、声もかけずに、じっと、私の背中を、見つめていた。
「ひっ…ひっ…」
涙は止まれど、しゃっくりは止まらなかった。
そう言えば、子供の時もそうだった。
泣いた後は、しゃっくりが止まらなくなる。
「鳳翔…」
「ご…ごめん…ひっ…なさ…い…」
「…いや、私こそ…悪かったな…お前が…そんな風に思っているなんて…」
私も驚きだ。
あんな子供みたいなことを。
「鳳翔…お前は、一番最初の秘書艦だったな」
覚えている。
初々しい提督の姿。
…そうだ。
あの頃は、よく感謝されてたっけ。
「あれから数年…艦隊も大きくなり、沢山の艦娘が、我が鎮守府に配属されてきた」
「ひっ…そう…です…ね…」
ああ、恥ずかしい。
こんな話をしているときに、どうしてしゃっくりが止まらないんだろう。
「いつの間にか、お前の事を気にかける時間が少なくなった…。すまない…」
「…」
少しずつ、しゃっくりが止まってきた。
「当たり前のようになっていたんだ。お前が…傍にいることが…」
「…私も…そう…思ってるはず…でした…」
「…だがな、これだけは言わせて欲しい」
「はい…」
「鳳翔、私には、お前がいなくてはいけないのだ」
「え?」
「お前がいなければ、私は私ではない。お前がいて、初めて私なのだ。もう、それだけの存在なんだ」
提督が私の顔を見つめる。
その瞳に映る私は、とても小さかった。
「鳳翔…これからは…お前の望むように、私も感謝の意を表そう…。だから…」
そう言って、提督は私の手を取った。
その手は、とても温かくて、安心できるものだった。
「これからも…私の傍に…いてくれないか…?」
その瞬間、全てが報われた気がした。
私がしてきたこと。
感謝されなくても、全ては、この時の為にあったかのように感じた。
「は…はいぃぃ…うぅぅぅ~…」
そして、また、子供のように泣いた。
今度は、提督の胸の中で。
「提督、ご飯ですよ」
「ああ、ありがとう」
あれから提督は、私のする事に感謝してくれるようになった。
「…提督、あのぉ…」
「ん、またか」
「お願いします…」
「ん、ありがとう、鳳翔」
「えへへ」
そして、提督の言った「お前の望むように、私も感謝の意を表そう…」という約束も、守ってくれている。
「しかし、雷のように、頭を撫でで欲しいとは、お前も案外子供なのだな」
「…駄目ですか?」
「いや、案外可愛いところがあるのだなと思ってな」
そう言って、笑う提督。
ずっと、この笑顔が見たかった。
私に向けられる、この笑顔が。
「もう…提督ったら…」
「…鳳翔」
「はい」
急に真剣な顔になる提督。
引き出しを開けて、小箱のようなものを取り出した。
「お前の錬度も達した所だろうと思ってな」
「これは?」
「開けてみろ」
開けると、そこには指輪が光っていた。
「ケッコンカッコカリは知っているか?」
「え、あ、はい」
「その指輪が、それだ」
「指輪…あ、だから、ケッコンカッコカリ…なんですね…」
「受け取ってくれるか?」
「え?」
「ケッコンしてくれ」
そう言って、手を出す提督。
私は、そのまま左手を出した。
指輪が、薬指を通る。
「ぴったりだ」
そう言った提督の顔は、誰にも向けた事のない、飛び切りの笑顔だった。
その笑顔が私に向けられている。
それだけで、私の胸は熱くなり、それが徐々に顔まで上がってきた。
「て、提督ぅぅ…うぅぅぅ…」
私も、誰にも見せた事が無いくらい、大泣きした。
鼻水が垂れようが、提督の制服を汚そうが、構わないくらいに。
「ありがとう。鳳翔」
もう、背中を見る事は無いだろう。
私達は、向きあって生きてゆく。
この海で。
この戦場で。
そして、いつか、二人で、もう一度…。