提督は真面目だ。
私も人の事は言えないけれど、とにかく真面目だ。
だけれど、私にはその性格が、何者も近づけない、壁のように感じていた。
「提督、もうこんな時間ですよ。お休みになられては……」
「いや、もうちょっとやってから休む。先に休んでてくれ」
「しかし……。ならば、私も手伝います」
「大丈夫だ。一人で終わらせられる。だから、お休み、妙高」
「……はい」
優しさ。
はたから見れば、そう思うかもしれない。
私もそう感じるし、提督もきっと、そう思っているだろう。
けれど、裏を返せば、私なんかに頼れないと言っている。
自分でやる方が早い、と。
「……最低だわ。私ったら……」
そう思っているのは自分。
分かっている。
分かっているけれど、もうちょっと、私を頼ってほしいし、私は……提督の為に何かしてあげたい……。
「提督って優しいわよね」
足柄は、窓の外で駆逐艦たちと戯れる提督を眺めながら、そう零した。
「そうね……」
「妙高姉さんは提督のいいところ、たくさん知ってるんじゃないの~? もしかして、夜戦済みとか?」
「ばか言わないの。確かに……提督は優しいけれど……」
「何? 何か不満なの?」
「ううん……。別に……」
「?」
どうしてだろう。
提督の事を考える度に、私の胸は苦しくなる。
優しい提督。
駆逐艦たちと戯れる、あの笑顔。
私は、その笑顔が、嫌いになりそうだった。
「そろそろ夕食の時間ですね」
「ああ、先に食べてきていいぞ」
「提督はいつ食べるんですか?」
「これが終わったら行くよ」
「なら、私も待ちます」
「いや、先に行っててくれ。もうちょっとかかりそうだし、待たせるのも悪いしな」
「なら、私もそれ、手伝います」
「いや、大丈夫だ。気持ちだけもらっておくよ、ありがとう」
なんで?
「……そんなに私が信用できませんか?」
「え?」
「提督はどうして……いつも一人でやろうとするのですか?」
「いや……悪いと思って……」
「私に任せられないからですか? 私に任せるより……自分でやった方が早いとでも……?」
「ち、違う。妙高はちゃんとやってくれているし、頼りにしているよ」
「なら……」
「妙高?」
「……もういいです」
そのまま執務室を出た。
怒りと悲しみが一気に押しせて、自分でも訳が分からなくなって、頭を冷やすために浜辺に出た。
水平線に、夕日が沈みそうになっていた。
空はオレンジ色と紺色の二色になっていて、段々とオレンジ色を、紺色が呑み込んでいった。
「提督……訳が分からなかっただろうなぁ……」
提督は優しさが正しいと思っている。
けれど、私はそれが、私の実力を馬鹿にされていると思っていると、提督は考えているだろう。
プライドを傷つけたと、思われているんだろう。
「どうして……私は正直に言えないんだろう……」
提督のお役に立ちたい。
私の実力とか、そういうのはどうでもいい。
貴方に頼られたい。
貴方の力になりたい。
貴方の、傍に居続けたい。
それが言えない、私も悪かったと、冷えた頭で反省した。
けれど、それが言えるとは、とても思えなかった。
「先ほどは申し訳ございませんでした……」
「いや、俺も悪かった。妙高のプライドを傷つけた……すまない……」
やっぱりそう思っていたのね。
でも、反論する勇気は、私にはない。
貴方は優しすぎる。
だから、私のわがままを貴方に押し付けるのは、心苦しかった。
このままズルズル続いてゆくのかな。
貴方は優しいままで、私は気づかれない想いを引きずって。
このまま、ずっと……。
「妙高姉さん、最近溜息多くなったんじゃない?」
「え?」
「溜息の分だけ、幸福が逃げるって言うわよ」
「そうよね……」
「……仕方ない。この足柄が元気にさせてあげるわ! ほら、行きましょう?」
「あ、ちょっと!」
「ぷはぁ! やっぱり元気がないときはお酒に限るわ! 妙高姉さんも、ほら」
「え、えぇ……。あまり飲み過ぎないようにね?」
「何言ってるのよ! 沈んだ分だけ飲むのがお酒よ! お酒を飲んだときくらい、普段の自分を捨てて素直になるのよ!」
お酒か。
嫌いではないんだけれど、あまり強くないというか……。
でも、足柄なりの気遣いなのかもしれない。
普段の自分を捨てて、素直になる……か。
「分かったわ。今日はとことん飲むんだから、付き合ってよね」
「勿論よ!」
「じゃあ」
「「乾杯!」」
「ううん……」
目を覚ますと、居酒屋の煩さが無くなっていた。
代わりに、執務室の時計の音と、ペンの走る音が聞こえる。
……執務室?
「ここは……」
波に揺られているように、視界がゆらゆらと揺れて見えた。
体が熱い。
痛くはないけれど、心臓の音が頭に響いて聞こえる。
「起きたか」
声の方を向くと、提督がいた。
「覚えているか?」
「……いえ、すみません」
「さっき、足柄が連れて来てくれたんだ。酔っぱらって動けなくなったんで、連れてきた……って」
そうだったのか。
覚えてないほど飲んじゃったのね、私。
「ご迷惑をおかけしました……」
「構わないよ」
自分が情けない。
ますます、提督は私を遠ざけるようになるだろう。
そう考えて、酔っぱらっているせいもあってか、自然と涙が零れてきた。
「ごめんなさい……」
「お、おいおい。大丈夫だって……な?」
「うぅぅ……」
提督が背中をさすってくれた。
その優しさが、やっぱり辛かった。
情けない。
「足柄が言ってたよ。妙高、なにか辛いことでもあったのか?」
「ふぇ……?」
「こんなになるまで酒を飲むなんて、よっぽど忘れたいことがあったのかもってさ。俺で良ければ、聞かせてくれ」
本当、優しいのですね。
いいのかな、言ってしまって。
そう考える余裕も、酔いのせいでなくなっていて、私は本音を零した。
「私は……提督のお役に立ちたくて……提督に頼られたくて……提督を……お慕いしてるんです……」
「え?」
「もっと……妙高を頼ってください……。プライドが傷ついたんじゃない……好きな貴方から……貴方から頼られなかったから……。それが悲しくて……情けなくて……」
自分でも情けないほど涙を流した。
お酒の力って怖いわ。
私って、ここまで飲むと泣き上戸になるのね。
「……そうだったのか」
「提督……お慕いしています……。妙高を……もっと……」
そこからの記憶はない。
おそらく、眠ってしまったんだと思う。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
翌日の朝。
起きてすぐ、提督に謝った。
あんなに飲んだのに、もうすっかり酔いは醒めていた。
「大丈夫だ。妙高にはいつも苦労かけていたからな。あんなに飲ませてしまったのも、俺のせいだろうし」
「そんな……あれは私が勝手に……」
「いや、これからはちゃんと、想いに応えたいと思う」
「え?」
「あれ……? 昨日の事、覚えてないのか?」
「えと……あの……お慕いしていると……伝えた件でしょうか……?」
「そうだ」
「あ、あれは……その……」
「冗談なのか?」
また逃げてしまうの?
また、ズルズルと、引きずってゆくの?
また、足柄に慰められてしまうの?
「……いえ、本当です!」
いや、もう逃げない。
あんな惨めな思いは、もうしたくない。
「提督、貴方をお慕いしております」
「妙高姉さん」
「足柄、どうしたの?」
「ちょっと今夜、愚痴聞いてくれない? 提督も一緒に誘って、ね?」
そういうと、足柄はお猪口をグイッと上げる動作をした。
「分かったわ。仕事が終わったら連絡するわね」
「待ってるわ」
「……と、いう事らしいですよ」
「いいな。なら、早く仕事を終わらせないとな。妙高、一緒にやってくれるか?」
「はい、喜んで!」
あれから提督は、ちゃんと私を頼ってくれるようになった。
仕事を任せてくださる時が、私の中で一番幸せな時かもしれない。
「妙高」
「なんですか?」
「仕事をしながらでいいから聞いてくれ」
「はい」
「いつもありがとう。これからもずっと、俺を支えてくれるか?」
思わず手が止まった。
まるで、いつか見た映画のプロポーズのシーンを見ているようだった。
「私で……よろしければ。ずっとお傍に……いさせてください」
「妙高……」
「提督……」
その時、勢いよく扉が開いた。
「ちょっと妙高姉さん、提督、いつまで待たせるのよ!」
「足柄……も、もうちょっと待ってくれ!」
「もう! 外で待ってるからね!」
そう言うと、ズカズカと大きな足音を立てながら執務室を出ていった。
「ごめんなさいね、提督。足柄には後で……」
「妙高」
「はい?」
「好きだぞ」
分かっていた。
そういう意味だって。
でも、今言うのは、狡い。
「……私もですよ」
その時の提督の笑顔は、あの日見た笑顔よりはるかに輝いて見えた。