「不幸というのは、比較しなければ見えてこない程度のものなのです。他人の心が読めない以上、比較も出来ない。故に、不幸なんてないんですよ」
気分の沈んでいた私に、そう教えてくれた提督。
私はどれほど救われたか。
そんな提督に、私はどんどん魅かれていった。
提督に好かれたかった。
近くに居たかった。
秘書艦になりたい。
そうすれば、私は提督の傍に、ずっといられる。
だけれど……。
「山城」
「姉さま!」
「秘書艦の仕事……頑張っている?」
「はい! でも、どうして今も私なんかが秘書艦なんかに……。姉さまが来たんだから、姉さまの方が……」
私だってそう思う。
一番艦だし、何より、提督にお慕いする気持ちは、山城より遥かに強いはず。
「仕方がないわ。戦艦、私たちしかいないし、山城から私が来るまで、強い艦娘がこなかったし……」
「提督は本当に不幸です。羅針盤もボスに辿り着かないし、艦娘のドロップなんて、一か月に一回あればいい方なんですよ?」
「提督らしいわ」
「はあ……こんな艦隊に来てしまって……不幸だわ……」
「そうかしら?」
そんなこと言っても、貴女は秘書艦をやめたいなどとは一言も提督に言わない。
それに、提督といる時の貴女は、私と話している時より、輝いて見えるわ。
もしかして、貴女も……。
「?」
「なんだか山城、イキイキしている感じだわ」
「へ?」
無自覚なのね。
でも、やっぱり貴女も……。
とにかく山城の事が気がかりだった。
日に日に、提督の話が多くなる。
本人に自覚はないのだろうけれど。
もし、もし山城が気が付いてしまったら。
もし、提督がそれを知ってしまったら。
私は苛立っていた。
「……って、提督が言うんですよ。不幸になりすぎて頭がおかしくなったんだわ。きっと」
「でも、提督は幸福だって言っているんでしょう?」
「そうですけど……」
「なら、それは幸福なんだわ。不幸を認識できない以上、それは幸福だというべきよ」
提督の幸福論は間違っていない。
それを否定する山城に、私は強く当たってしまった。
「貴女の馬鹿にしている、提督のね」
そう吐き捨て、山城を見た。
きっと、怖い目をしていたんだと思う。
けど、これでいい。
提督は間違っていない。
誰にも理解されなかったとしても、私は信じる。
私を不幸から救ってくれた、提督の幸福論を。
「よし」
形は歪になってしまったけれど、焼き加減はばっちりなクッキーが焼けた。
提督に少しでも私を知ってほしい。
そんなことを思えるのも、提督のおかげ。
「提督、喜んでくれるかしら……」
クッキーの入った包みを持って、執務室の扉を叩こうとした時、中から山城と提督の声が聞こえた。
「提督は逃げているだけです。本当は不幸だって分かっているはずです。分かっていて、逃げているだけです」
どこか、怒りを含んでいるかのような山城の声。
只ならぬ雰囲気が、扉越しに伝わる。
「比較することでしか幸不幸を認識できないのであれば……幸福を認識している提督は、何かと比較しているはずです。私には、その比較で提督が「自分は幸福だ」と思えるとは考えられません」
「では、僕が虚勢を張っていると」
「はい」
それから、ただただ、二人の会話を扉越しに聞いていた。
「一緒に……本当の幸福を見つけましょう。きっとあるはずです……」
「山城さん……」
私は、音をたてないように、静かにその場を去った。
山城は気づいてしまった。
提督への気持ちを。
そして、信じていた提督の幸福論は、ただの虚勢だった。
「だったら、私は何を信じればいいの……?」
提督が虚勢だと認めたならば、私も認めなければならないだろう。
でも、そうなったら、私には何も残らないだろう。
提督だけが、私の信じるただ一つの幸福だった。
「そう……」
「提督は姉さまを騙そうとしたわけじゃないのです……。ただ……」
「分かってるわ。提督に悪意はないわ」
「姉さま」
ただ……。
「ただね……」
思わず口に出た言葉。
そして、山城の目の奥にいる提督を見た。
私の信じる提督とは、また違って見える。
けれども、とても、幸せそうに見えた。
「貴女が……羨ましいわ……」
「え?」
「……なんてね。それで、見つけたの? 幸福」
「いえ……。それはまだ……。ただ、ゆっくり探そうと思います。きっと、提督なら見つけられると思うんです。そしたら、きっと私も見つけられる。そんな気がするんです」
気が付いたのね。
「そう。応援しているわ」
「ありがとうございます。姉さま」
「えぇ」
きっと、それが恋だと、その幸福を共につかめると、また、知ることになるんでしょうね。
本当に、羨ましいわ……。
「扶桑さん」
「提督……」
「最近、雨が続きますね。僕の運が悪いからかな。ごめんなさいね」
僕の運が悪い……か……。
「……提督、山城から聞きました。提督の幸福論……虚勢だったんですね……」
「……えぇ」
「なら、私は何を信じればいいんですか……?」
「え?」
「私……嬉しかった……。提督の幸福論は、本当に私を幸せにしてくれた……なのに……」
思わず涙が零れる。
色んな感情が混ざり合って、なんで泣いているのかと尋ねられても、上手く説明できない。
「扶桑さん……」
こんなこと言われても、困っちゃうわよね。
何やっているんだろう私。
私が勝手に信じて、勝手に泣いて……。
「扶桑さん……信じてもらえなくてもいい……聞いてくれますか……?」
「……はい」
「僕は……虚勢だと思って貴女に教えたわけじゃない……。貴女に幸福になってほしかったんです……」
「……分かってます。悪気がないことくらい……」
「ただ……結果としてそれが虚勢だと気づきました……。山城さんのおかげで……」
「……」
「だから、僕は山城さんと本当の幸福を見つけることにしました。山城さんとなら、本当の幸福を見つけられると思うんです」
それが私じゃないのが、悲しかった。
提督の言葉が、チクチクと、心を突く。
「そして、見つけたら……扶桑さん……貴女にも……教えたいんです」
え?
「本当の幸福の見つけ方を……虚勢などではない、本当の幸福論を……!」
提督は、今にも泣きだしそうな、そんな顔をしていた。
ああ……そうか……。
「提督……」
「だから……待ってもらえませんか……?」
やっと分かった。
山城の気持ち。
そして、何故、提督が山城を信じたのかを。
「……はい!」
きっと、提督と山城は見つけるだろう。
本当の幸福を。
二人の幸福を。
私は、それを見たい。
それを応援したい。
それが叶った時、私にも訪れるだろう。
本当の幸福が。
「本当の幸福論は……誰かの幸福の中にあるのかもしれません……」
「えぇ……そして、誰かの幸福を願う、自分の中にも……」
あれから随分経った。
提督の不運は相変わらずだけれど、随分と艦隊も大きくなった。
「ちょっと提督に呼ばれたので行ってきますね」
「えぇ、行ってらっしゃい」
私たちも改二になって、今も主力として活躍している。
山城なんか、練度がケッコンカッコカリに達している。
なのに、提督はいつになったら山城に指輪を渡すのかしら。
そんなことを考えていると、執務室から山城が飛び出してきた。
「姉さまぁぁぁぁ……!」
「どどど、どうしたの山城?」
「これぇ……!」
差し出した手には、綺麗な指輪が光っていた。
「これって……!」
「姉さまぁぁぁぁぁ……!」
相当嬉しかったのか、声も抑えず、山城は泣き続けた。
「おめでとう山城」
そんなセリフを言おうと思っていたのに。
「おめでとぉぉぉぉ……山城ぉぉぉぉ……!」
二人して号泣してしまった。
幸せなはずなのに、涙が出るのね。
でも、不幸の時とは違う。
なんというか、気持ちがいい。
泣けばなくほど、気持ちがいい。
これが幸福なのね。
「山城、今……幸せ?」
「はい……! 姉さま……!」
「私もよ」
虚勢ではない。
心の底から言える。
私は幸福だと。
「山城さん」
「提督……ありがとうございます。私、幸せです……」
「僕もですよ……」
「提督」
「扶桑さん」
「私も、幸せそうな二人を見れて、幸せです」
「それを聞いて、僕も幸せです」
「皆、幸せになっちゃいましたね」
それが可笑しくて、三人で笑いあった。