私自身、かなり不幸だと思うけれど、それ以上に不幸なのが提督だと思う。
「うわ!? いてて……またこんなところにバナナが……」
「またですか……? 今週だけで10回はバナナで転んでますよね……?」
こんな調子で、何かと不幸している。
だけれど、提督はいつだって不幸だと嘆いたことはない。
「僕は、世界一バナナで転んだ男かもしれませんね」
そう笑う提督。
どうして?
どうして笑えるの?
私の目から見ても不幸なのに。
「あ……今ので携帯電話が壊れちゃいましたよ……」
「……」
「山城」
「姉さま!」
「秘書艦の仕事……頑張っている?」
「はい! でも、どうして今も私なんかが秘書艦なんかに……。姉さまが来たんだから、姉さまの方が……」
「仕方がないわ。戦艦、私たちしかいないし、山城から私が来るまで、強い艦娘がこなかったし……」
「提督は本当に不幸です。羅針盤もボスに辿り着かないし、艦娘のドロップなんて、一か月に一回あればいい方なんですよ?」
「提督らしいわ」
「はあ……こんな艦隊に来てしまって……不幸だわ……」
「そうかしら?」
「?」
「なんだか山城、イキイキしている感じだわ」
「へ?」
そう笑った姉さまが何を言わんとしているのか分からなかったけれど、なんとなく、提督関係なんだろうなと思った。
なんでかは分からないけれど。
「あ! 茶柱……が……沈んでゆく……」
「……提督って、不幸ですよね」
「そうですか?」
「えぇ……ずっと秘書艦をやらされているから分かります。提督は不幸です」
「うーん……」
「というか、まだ不幸なことに気が付けないんですか?」
「僕は不幸だと思ったこと、一度もありませんよ」
ああそうか。
生粋の馬鹿なんだわ。
「逆に、山城さんは不幸だ不幸だと言ってますけど」
「それでも、提督よりは幸福です」
「僕は幸福ですよ」
「頑固ですね……。まあ、どうでもいいですけど……。ちょっと姉さまのところに行ってきますね」
「山城さん」
「……なんですか?」
「不幸だと言うから不幸なんですよ。故に、幸福だと言っている僕は、誰が何と言おうと幸福なんです」
なんだこの人……。
「そうですか……」
そう言って、執務室の扉を閉じた。
幸福だと言っているから幸福ですって?
意味が分からない。
そんなことで幸福になれるのならば、この世に不幸なんてないわ。
……まあ、どうでもいいけど。
「……って、提督が言うんですよ。不幸になりすぎて頭がおかしくなったんだわ。きっと」
「でも、提督は幸福だって言っているんでしょう?」
「そうですけど……」
「なら、それは幸福なんだわ。不幸を認識できない以上、それは幸福だというべきよ」
「結局、生粋の馬鹿にしか幸福は訪れないのですね……」
「山城は不幸だと思うこと、たくさんある?」
「あります」
「でも、提督よりは幸福でしょう?」
「まあ……」
「提督がいなかったら?」
「私が一番不幸でしょうね」
「不幸なんてその程度なのよ。誰かと比較しなければ、その大きさも見えてこない」
「!」
「提督はそれを知っている。だからこそ、不幸を認識していない」
「まさか……」
「比較しなければ出てこないものならば、幸福も不幸も存在しないものと言ってもいい。他人の心は読めないものだわ。なのに、どうして不幸の比較が出来るのか」
「……」
「幸福を欲するものは、幸福がなんなのかを考える。そして、必ず比較という壁にぶつかるわ。自分はどうなのか、他人と比べてどうなのかってね」
「……姉さまは大人ですね。私なんて、そこから脱却できないでいるのですから……」
「今のは全て、提督から聞いた事よ」
「え!?」
「貴女の馬鹿にしている、提督のね」
その時の姉さまの目は、なんというか、私を批判しているような目をしていた。
私よりも、提督の味方であるかのような、そんな目。
その目を見たとき、私は、提督の隣に姉さまがいるのを想像した。
何故だかは分からない。
寄り添う二人の姿。
仕事に取り掛かる二人の姿。
笑いあっている、二人の姿。
何故だかは分からない。
何故だかは分からないけれど、それが、私の心を締め付けた。
「うーん、今月は艦娘をドロップできそうにありませんね……。建造も那珂ちゃんばかりだし……」
「……」
「山城さん?」
「提督……姉さまから聞きました。提督の幸福論」
「幸福論……? ああ、なるほど、幸福論ですね。山城さんはどう思いましたか? それでも私が不幸だと言えますか?」
「言えます」
「おや……」
「提督は逃げているだけです。本当は不幸だって分かっているはずです。分かっていて、逃げているだけです」
「……」
「比較することでしか幸不幸を認識できないのであれば……幸福を認識している提督は、何かと比較しているはずです。私には、その比較で提督が「自分は幸福だ」と思えるとは考えられません」
「では、僕が虚勢を張っていると」
「はい」
提督の顔は、段々と微笑みを失っていった。
「山城さんは考えてますね。なるほど……」
「いくら幸福を唱えていても、不幸だという現実からは逃れられません。だから、それを見ないようにしているんです。提督は、幸福も不幸も、見ないようにしているんです。幸福であるというのは虚勢……そして、中身のない、ただの箱のような言葉です」
提督は観念したかのように、一つ、息を漏らした。
「扶桑さんを騙せても、山城さんは騙せませんか」
「いいえ。私も騙されました」
「では、なぜ?」
それは自分でもわからない。
ただ、認めたくなかった。
姉さまと提督が、寄り添っている姿。
同じような考えを持っていることが、なんとなく、許せなかった。
その思想が、私を行動させた。
「……ずっと、秘書艦をやってきましたから。なんとなく分かったんです」
「……そうですか」
こんな事して、どうなるんだろう。
行動してから考えるなんて、私もどうしちゃったんだろう。
ただ……。
「あぁ、そうなのね……」
「?」
分かった……。
分かったわ……
認めたくはないけれど、そうか。
ずっと、姉さまが好きだったから、提督が許せないのだと思っていた。
けれど、違う。
「提督、私は……貴方が不幸であることが許せなかった」
そう。
私は提督に幸福になってほしかっただけ。
もしあの時……お姉さまの言うように、提督の幸福論を信じてしまっていたら、提督は不幸のままだった。
それが許せなかったんだ。
だから私は……。
「山城さん……」
「逃げないで……。私も逃げないから。不幸である自分に目を背けないで……」
ずっと一緒にいるからかしら。
私にこんな感情、生まれるなんて思ってもなかった。
それほどに、私にとってこの人は、特別なんだろう。
どんな形であれ。
「……あぁ、逃げない。もう逃げない。不幸からも……そして、幸福からも……」
「一緒に……本当の幸福を見つけましょう。きっとあるはずです……」
「山城さん……」
私は見つけることが出来るだろうか。
この人の幸福を。
そして、私の幸福を。
いつか、その二つが、一つであればいいだなんて、ちょっと、思ったりもした。
「そう……」
形の歪なクッキー。
姉さまの手作りらしい。
それを口に運びながら、姉さまは溜息をついた。
「提督は姉さまを騙そうとしたわけじゃないのです……。ただ……」
「分かってるわ。提督に悪意はないわ」
「姉さま」
「ただね……」
「?」
姉さまの目が私を見つめる。
その瞳に映っているのは、私でない気がした。
私の奥にある、何かを、姉さまは見ていた。
「貴女が……羨ましいわ……」
「え?」
「……なんてね。それで、見つけたの? 幸福」
「いえ……。それはまだ……。ただ、ゆっくり探そうと思います。きっと、提督なら見つけられると思うんです。そしたら、きっと私も見つけられる。そんな気がするんです」
「そう。応援しているわ」
「ありがとうございます。姉さま」
「えぇ」
私は提督を幸せにしたい。
提督の幸せを見たい。
そしたら、きっと、私も幸せになれる。
提督が幸せだということが、私にとっての幸せになるのだから。