夕雲の話です。
「駆逐艦のくせに」
「子供のくせに」
どこかで、私を罵倒する声が聞こえる。
私は大人になりたいの。
貴方と同じような、大人に。
堤防へ行くと、提督が艦娘の演習を見ていた。
「提督」
「夕雲か」
「またいやらしい目で艦娘たちを見ていたのでしょう?」
「失敬な。提督として演習を見ているだけだ」
「そう。そういえば、陸奥さん、また胸が大きくなったって言ってたわ」
「やはりそうか。今見ていたんだが、いつもより胸の弾みが大きいと思ってな」
「やっぱり見てたのね」
提督はちょっとスケベ。
大人な女性が好きなのか、戦艦の演習にしょっちゅう現れる。
「潮さんの胸も大きくなったと思うのだけど」
「そうか」
胸が大きいからいいという訳でもなさそうね。
「本当に戦艦が好きなのね」
「見ていて飽きないだろう。よく、美人は三日で飽きると言うが、そんなことはない」
「そう。駆逐艦にも美人はいるわよ?」
「例えば?」
「あら、隣にいるじゃない」
「美人ってのは自分では語らないもんだ。故に、お前は美人じゃない」
「酷いわ」
「それに、俺は子供は好かん。特に、お前のような見透かしたような子供はな」
「……そう」
提督。
貴方は私が他の駆逐艦と違って、メンタルが強いと思ったからそう言ったのでしょうけれど、今のは結構傷ついたわ。
「私の体が大人になったら後悔するわよ?」
「心が大人なお前が、いつか大人になっても、心が婆になってるだろうから、何にも感じないだろうよ」
「本当、酷い話だわ」
もっと遅く生まれていれば、貴方は私を見てくれたのかしら?
ね、提督。
「提督?」
執務室で提督は寝ていた。
まったく。
ソファーなんかで寝たら、体を悪くしちゃうのに。
「ちゃんとベッドで寝なきゃだめよ。提督」
優しく提督を揺らす。
寝息をたてる提督。
私の中で、悪の思想が燻る。
それがやがて、大きな大きな炎となるのを想像し、とてつもない背徳感に包まれた。
「提督」
鼻からの寝息が生暖かい。
柔らかいとは言えぬ、感触。
自分の心臓の音。
とてもとても大きな、心臓の音。
時間が止まったかのような、緊張感。
「……は……ぁ……」
唇を離すまで、息が出来なかった。
苦しい。
でも、大きく息が出来ない。
出来るだけ静かに、静かに。
しかし、それに反して、息はどんどん苦しくなる。
「……っ!」
そのまま、執務室を静かに、だけれど急いで、飛び出した。
「はぁ……はぁ……」
背徳感。
スリル。
高揚。
どれにも当てはまる。
こんな感情、他には感じたことがない。
「やっちゃった……」
その言葉とは裏腹に、私の顔は笑っていた。
手に入らないものに、手が届いたような気がした。
もし、私の体が大人だったら、こんな欲望は生まれなかったのかもしれない。
子供の体だからこその欲望。
子供であるのに、大人の心を持っている。
同じ子供の中でも、しっかりとしていて、頼られるような存在。
大人も一目置くような、そんな存在。
私は自覚する。
自分はそういう存在だと。
そして、それを否定した提督の言葉が、私を欲望の中へ突き落したことも。
「私はイケナイ女になってしまったのかしら」
皆が言う私を、私は、提督の為に、汚してしまいたくなったのだ。
「提督、お茶はいかが?」
「熱ければいらん」
「ちゃんと氷も入ってますよ」
こんな何気ない会話でも、私の心臓は破裂しそうだった。
このスカートがめくれてしまいでもした時、それを見た提督はなんというのだろうか。
「今日はストッキングを穿いていないのだな」
「え、えぇ……最近、暑いじゃない? 蒸れるのよ」
ストッキングだけじゃないけれどね。
なんて。
「さて、そろそろ戦艦の演習かな」
「あら、掃除がまだよ?」
「やっておいてくれ」
「はいはい」
提督が執務室を出て、遠くで足音が消えたのを確認し、私は、ゆっくりとスカートをたくし上げた。
提督の机の前に立つ。
私の目が、ぼんやりと、提督を映し出す。
「……っ……はぁ……っ……」
息を抑えなくてもいいのに、自然と抑えてしまう。
窓からの風が、優しく、私の股を撫でる。
そのまま、窓の外を眺める。
遠くに戦艦たちが演習を行っているのが見えた。
その近くの堤防。
そこに提督が見えた。
欲望の火種が、燃えやすい藁の中で燻るのを感じた。
シャツのボタンにかけた手が震えている。
何の震え?
スリル?
それとも、こんなことをしてしまっている自分に対する恐怖?
「はっ……はっ……」
苦しい。
抑えきれない呼吸。
抑えなきゃいけない呼吸。
そんな二つの葛藤が、私に犬のような息遣いをさせた。
鏡に映る、全裸の私。
お風呂場で見る時の全裸とは、また違って見えた。
「提……督……」
小さい声。
聞こえるはずもなく、提督は戦艦に夢中だ。
もし、何かの拍子でこっちを見たら。
もし、こんなことをしていることを知られたら。
「提督……私は……貴方の嫌いな私じゃないのよ……? ほら、こんなことして……だから……」
その時、誰かが廊下を走る音がした。
知っている。
この足音は……。
「提督ゥー! ティータイムの時間ネ!」
「……って、誰もいないデース」
金剛さん。
そうか、演習じゃなかったのね。
「あ、もしかして……かくれんぼ? なら、見つけてやるデース! フヒヒ……」
かくれんぼな訳ないでしょう。
でも、マズイ。
今見つかったら……。
「ここかな~……? あれ、じゃあ、ここ!?」
段々と近づく足音。
着替える暇なんてない。
「じゃあ……ここ……?」
金剛さんの足。
ちょうど、こちらをのぞき込もうとしている。
「金剛お姉さま!」
「霧島」
「こんなところに……先ほど提督が演習を見ているという目撃情報が入りました!」
「Oh! そっちでしたカ……。今すぐ行くヨー! 霧島!」
「はい!」
遠くなる足音。
「はっ……ぁ……はっ……」
心臓の音が執務室中に響いているような気がした。
「馬鹿……馬鹿……」
自分を責めた。
こんなことがあることは分かっていた。
なのに、それを承知してまでこんなことをやってしまった。
一時の興奮状態。
それに身を任せていた。
危険になって初めて後悔するなんて。
何が大人よ。
何が提督の為よ。
「ああ……」
自分が嫌になる。
どうしてこんなになってしまったのだろう。
こんなことをしても、提督は振り向いてくれないって、心の底では分かっていたはず。
とてつもない高揚感、背徳感から、一気にどん底に落とされた。
後悔してしばらく、はっとした。
「着替えなきゃ……」
気が付くと、もう戦艦の砲撃は聞こえなかった。
提督が帰ってくる。
その前に着替えなきゃ。
そう思って立ち上がった時、提督がそこに立っていた。
「お前……」
ああ、そういえば、金剛さんが出て言った時、扉が閉まる音を聞いてなかった。
「……何をしている? 何故裸なんだ?」
そこからの記憶はない。
気が付くと、自室で裸のまま、ベッドに潜っていた。
夏も近いというのに、体は冷え切っていた。
それが裸のせいなのか、はたまた心のせいなのかは分からない。
終わった。
全てが。
どうしてあんなことをしてしまったのか、幾度となく正当化した意見が私の中でグルグルと渦巻く。
だけれども、そんなことをしたところで、何が戻る訳でもない。
これからどうなるんだろう。
「夕雲」
提督の声。
部屋に入ってきてたのも分からなかった。
「夕雲。服、ここに置いておくぞ」
服……。
そっか、全部置いてきたのね。
っていうことは、全裸で廊下を走ったってわけ?
本当、馬鹿みたい。
どうして覚えてないのか、逆に不思議だわ。
「……服を着たら言え。それまで部屋の外で待っている」
そういうと、提督は部屋を出た。
今更何を話すというのだろうか。
……いや、話さなきゃいけないのは私か。
どうしてあんなことをしたのか、正直に話さなきゃいけない。
今考えてた正当化した意見を言う?
それとも、正直に……。
服を着て、少し考えた後、解体される覚悟でいようと、決意した。
「……いいわよ」
「入るぞ」
提督の顔は、どこか真剣だった。
「……」
「……」
お互い、黙ったままだった。
提督は私の目をじっと見つめた。
待っているんだ。
私が、語るのを。
「……正直に話します」
事細かに、すべて話した。
キスをしたことも、行為に及んだこと、提督が好きだということも……。
そんな私を、提督は、じっと見つめるだけだった。
なんて官能的な瞳なのだろう。
……ああ、また。
私は最低な艦娘だ。
「……そうだったのか」
「……ごめんなさい。覚悟は出来ているわ。私を解体して……」
「駄目だ」
「え?」
「逃げるな」
「……」
貴方って本当に酷い人よ。
どこまでも私を苦しませるのね。
逃げるな……か……。
「分かった……罪は償うわ……。何でもするつもりよ……」
「そうじゃない」
「え?」
「お前自身から逃げるな」
「私……自身……?」
「俺の好みじゃないからと言って、今まで積み上げていた自分を否定するな」
「そんなこと言ったって……。提督には分からないのよ……私の気持ちなんて……」
「……分かる。俺も、自分の気持ちから逃げてきたからな……」
「……」
「俺は……お前が好きだった」
え?
「だが、それはよくないことだ。お前は大人な性格をしているとはいえ、子供だ。子供に惚れるなど……駄目だ……」
……ああ、そうか。
「俺は……お前と一緒だ。そんな自分を否定し、戦艦を好きになろうと努力し、伝えてきた」
提督も同じだったんだ。
「だが、俺はもう逃げない。だから、お前も逃げるな」
「……本当なの?」
「?」
「本当に……夕雲の事が好き……?」
「……あ……あぁ……。情けないだろう……?」
「……本当ね」
提督は分の悪い顔をした。
「でも……提督が逃げないなら……私も逃げないわ……」
「夕雲……」
「提督……」
あの時、提督としたキスとは、また違った味がした。
「今日は戦艦の演習を見に行かなくてもいいの?」
「ああ」
「今度は駆逐艦の演習を見に行ったら? ロリコン提督さん?」
「……子供は嫌いだ」
「あら、この前と言ってることが違うわ」
「子供だから好きという訳ではないんだよ」
「……」
「少しは照れた顔を見せたらどうだ」
「大人なのよ……」
「そうか」
遠くで戦艦の砲撃が聞こえる。
「ねえ、提督……」
「なんだ?」
「私が本当の大人なったら……本当に結婚してくれる?」
「俺がロリコンじゃないというのを信じてくれればな」
「難しそうね」
「おい」
そう笑っても、提督は嫌な顔をしなかった。
「待ってるからな。夕雲」
「……はい」
さすがに赤面した。