甘粕正彦による英雄譚   作:温野菜

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第6話

月乃澤学園、放課後。もうほとんどの生徒の姿が見られない。正常時ならば、まだ、この時間帯は生徒の姿が見えているはずだ。しかし、いま諏訪原市は連続首切り殺人事件が市内を騒がしくしている。部活動は全面的に禁止とは言われてはいないが先生方も、当然ながら生徒たちに早く帰宅することを推奨している。生徒たちも夕方から夜にかけては不安が沸き上がるのだろう。早々に帰宅している。まれに学園に残っている者もいるが、この三人は、その稀に入るのだろう。

 

甘粕、蓮、香純は学園の敷地から出ていく。しかし夕方の時間の為か冷え込みが激しくなっている。香純は普段ならば冬の冷風に身を縮ませるものだが、道場で汗だくになるほど素振りをしたためか、時折に吹き抜ける風に気持ち良さそうにしている。甘粕は普段通りだ。いや、普段通りと言うのも語弊があるか。道場で稽古を終了した直後は人並みに汗をかいてはいたが、それも着替えを済ましたあたりからはそれもなくなっている。何も手を抜いて稽古に励んだわけではない。そもそも、この男に怠けるなどと言う言葉は存在しない。ただ身体能力の基準値が高い。これはそれだけの話だ。

 

「香純、甘粕。ほらよ」

 

蓮は彼らが着替えていたときに買っておいたのか、缶コーヒーを二人に手渡す。

「ん、ありがと」

 

「ああ、礼を言う」

 

二人は手渡された缶コーヒーのプルタブを歩きながら空ける。

 

「よくやるよな、お前らも。甘粕は……愚問かな。お前はどうなんだよ、香純」

 

非常時だろうが、何だろうが、やることは変わらない甘粕。少なくとも学園から禁止されない限りは。しかし、香純は違う。平時と今では状況が違うことをよくわかっている。自分の身に危険が迫るかもしれないのに、それを推してやることではない。香純は蓮の意を言葉足らずからでも察した。

「……ん、ちょっとね。ほらっ、身体とか動かしているときはさ、嫌なことかんがえなくてすむっていうか」

 

蓮は香純の言を聞いて黙る。いろいろと気が滅入る状況が続くなか、それも仕方なしと受け取ったのか。

 

甘粕は黙している。この男がこんなときに黙っているのは珍しい。香純の言葉を聞いて、それを逃避と取らず、武の稽古を通しての精神面の修行と捉えたか、はたまた自分の出番ではないと考えたのか……。ならばこの男が自分の出る幕ではないと考えたのなら、誰が舞台の役者なのか……。ただ言えることは一つ。彼女、綾瀬香純には、この先に苦難が待ち受けていること。そして彼女と縁が深い藤井蓮も同じこと。何故なら彼女が苦しいと感じているときに藤井蓮という男は何もしないだろうか?

――否である。手を貸すに決まっている。

 

甘粕は何も知らない。何も知らないが人には直観と呼ぶべき感覚がある。つまり甘粕はここで何もしないということが甘粕にとって素晴らしい結果になると選択したのだ。この男の相手にとって最悪なことは愛せば愛するほど、更なる試練へと叩き込む。表面上の甘粕正彦を見れば実に好青年だろう。勉学に励み、運動にも長け、人を率いる力がある。前の世界でも、若くして憲兵大尉という階級にいた。少なくとも常に周りを威圧する覇気を醸し出していたわけではないだろう。誰であろうと甘粕の威圧を受けて階級をあげさせるだろうか?ありふれた言葉ではあるが、異端は忌嫌されるのだ。それは甘粕とて同じことである。

「……なんだ、あれ?」

 

 

蓮は、ふと脚を止める。それは二人も同様である。

それは奇怪にも映るだろう。外国人、男。僧衣を着込んだ……背丈はだいたい190㎝だろうか?そんな男が右往左往しながら、道を通る人間に話し掛け、邪険にされる。その繰り返し。中には酷い対応もあり、一種の奇怪なパフォーマンスと思われても致し方ない。いま諏訪原市は非常時でもある。怪しい人間には近づかない。自分の身の安全を図るためでもある。

 

その神父を状況をアフレコしていた蓮と香純であるが、香純は見るに見かねたのだろう。

 

「ハロー、ヘイミスター」

 

拙い英語ではあるが、そう声を掛けたのだ。彼女はそのまま続けるつもりだ。

 

「何やってんだよ。あいつは」

 

呆れ半分である蓮、それに対して甘粕は

 

「何を疑問に思う?素晴らしいことではないか。赤の他人であろうが関係ない。困っているなら手を差し伸べるべき。情けは人の為ならず。綾瀬香純は自身の心の向くままにそれが出来る。流石は俺の見込んだ女だ」

 

とべた褒めである。現代の世において、あれほどの芯が通っている女はいない。そう断言したのだ。

 

「いや……そりゃ、そんなんだけど、さ」

 

蓮は何かを隠すように頭を掻く。つまるところ、蓮は心配半分があったわけだ。甘粕もわかっているのか、少し口元を吊り上げている。彼らが話していると向こうではあまり距離が離れていないせいもあるか、神父のほうから、ありがとうございます、と二人の耳に届いた。……どうやら英語力は必要なかったようだ。

 

 

 

 

 

「いえ、本当にありがとうございます。優しいお嬢さん、そちらの男性のお二方も。どうにも私の配慮が足りずに警戒されてしまいまして、なかなかに話を聞いてくれる方がいなかったのですよ。」

 

神父は困り顔ではあったが感謝の念を伝えているのが三人にもわかる。

 

「えへ、いえ、そんな……あっ、そうだ!神父様は何か聞きたいことがあったから、周りの人に尋ねていたんですよね?」

 

香純は少々、照れが混じっているがそう聞いたのだ。

 

「ええ、ええ、そうなんです。私は見ての通りではありますが、神父を務めさせてもらっています。しかし、どうにも以前とは街並みに違いがありまして」

蓮は先の答えがわかったのか

 

「道が分からなくて、まよったと?じゃあ、えーと、神父さん、なんだよな。なら氷室先輩のお客さんか?」

 

「おお、テレジアをご存知なのですか。ああ、いや、彼女に会うのはこちらに来た際の楽しみでしてね。さぞかし美しい女性へとなったでしょう。今か今かと期待が胸を踊りますよ」

 

それはまさしく父性の愛だった。よほどに目に入れても痛くないほど、可愛がっていたのだろう。呆気にとられた蓮であるが疑問に思ったことがあった。

 

「……ん?テレジア?」

 

その疑問に答えるつもりなのか神父は続ける。

 

「ええ、テレジアというのは彼女の洗礼名です。神の贈り物と意味合いがありましてね、私も含めた大勢の者たちが彼女の誕生を祝いました。と、このようなことを語っておきながら、いまだあなた方に自己紹介をしていませんでした。申し訳ありません。どうにも私は抜けている。」

 

 

「トリファ――ヴァレリア・トリファといいます」

 

 

これが、氷室玲愛の名付け親であるヴァレリア・トリファ神父との出会いだった。

 




甘粕は好青年ですよ。(白目)

あと私生活が少しごたごたしてしまいまして、更新が遅れるかもしれません。なるべく私の休日には更新していきたいと思います。

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