Fleet Is Not Your Collection   作:萩鷲

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03-4

 ――同日、夜。

 

「……負けたのか、私は」

 

 ベッドの中で今日の出来事を思い返し、長月は一人呟く。自室として割り当てられた、他に誰もいない部屋に、独り言が木霊する。

 ――気にしているわけじゃない。けれど、考えてみれば、艦娘になってから、ああも分かりやすい形で負けたのは、初めてだろう。初陣は敗北であったとはいえ、個人としての戦果は上々。南西諸島海域での作戦も負け戦であったし、あわや轟沈という危機にも見舞われたが、結果だけ見ればそう悪いものではなかった。しかし、今回の件については、言い訳の余地すらなく完全な敗北だ。

 

『ああいう人なんです、気にすることはありませんよ。言動も、実力差も』

 

 演習の後、明石にかけられた言葉だ。元々呉で働いていた彼女は、吹雪たちのことをある程度知っていたらしい。だったら、瑞鳳のことを止めて欲しかったと、少しばかり思ったりしたが。

 ――言われるまでもなく、気にするつもりはない。経歴を考えれば、実力差は当然のことだし、それより何より、私は悔しいなどという“感情”とは無縁なのだから。

 

「……近いうちに死ぬ、か」

 

 しかし、そんなことを言われてしまえば、さすがに考えないというわけにもいかなかった。死にたくない――かはともかく、艦娘としては、死ににくいほうがいいに決まってるのは確かなのだから。

 

『なら、まずははっきりと。“生きたい”と、そう思えるようになってください』

 

 ――無理だよ、そんなのは。

 

「はあ……」

 

 ただの脅しとは思えない、あまりに実感のこもった言葉であったし、恐らくは事実であろう。しかし、だからといって、人間はそう簡単には変われない。死にたいということがなくとも、生きたいと主張できるだけの衝動や執着もまた、長月の中には存在しないのだ。

 ――だからこその私であり、故にこそ、長月(わたし)はここにいる。

 

「……生きたい」

 

 物は試しと、口に出してみた。しかし、彼女の心にはまるで響かず――

 

「……あ」

 

 ――代わりに響いたのは、腹の虫が鳴く声だった。直前までの悩みは頭の片隅に追いやられ、空腹感に意識を支配されていく。

 

「晩はちゃんと食べたんだが……いや、しかし、参ったな」

 

 部屋には冷蔵庫こそあれど食べ物はなく、夜中に食堂や酒保が利用できるとも思えない。普段なら、近所のコンビニにでも駆け込めば済む話だが、島が深海棲艦の襲撃を受けて間もない状況で民間の商店が営業しているとは考えがたく、それ以前に、本土から遠く離れたトラック泊地にそのような気の利いたものが存在しているか自体が怪しい。そもそも、よしんば都合よく営業中の店が付近にあったとして、土地勘のない長月には辿り着くことができないだろう。

 ――要するに、食事にありつく手段が見当たらないということだ。

 

「いや、考えろ、何かないか」

 

 ついさっきまで気にしていなかったのだし、無視して横になってしまえばいい話ではあるはずなのだが、一度意識してしまうとそういう気分にもなれず、長月はしばし思考を巡らせる。

 

「――そうだ」

 

 そうして、基地本棟の休憩室に、軽食の自販機が設置されていたことを思い出す。あれならきっと、今の時間でも使えるだろう、と。

 ならば、あとは向かうだけ。長月はもぞもぞとベッドから這い出て、寝間着代わりのジャージの上から薄手の外套を羽織り、部屋を出る。人気のない、消灯済みの廊下と階段をやや急ぎ足で行き、寮の外へ。

 

「南方でも、夜は肌寒いんだな……制服に着替えるべきだったか?」

 

 外気に触れた瞬間、自然とそんな感想が長月の口をついた。日中は暑いというのに、夜の冷気は大湊と大差がないように感じられる。ジャージと薄い外套程度では、いささか心もとない。

 もっとも艦娘は、容赦なく照りつける陽射しから逃れるすべのない猛暑日の海でも、あるいは止めどなく雪の降りしきる真冬の海であっても、問題なく活動できるようになってはいるのだが、だからと言って暑さ寒さを感じないというわけではないのだ。

 

「まあ……この程度なら、問題はないか」

 

 所詮、外を歩かなければいけない時間はごく僅かだ。そう考えて、長月はそのまま歩み始める。

 数日前、そこに地獄が広がっていたことなど、忘れてしまったかのような足取りで。

 

「――はぁ」

 

 同じ頃、本棟の休憩室――ちょうど長月が目指している部屋に、溜息をつく瑞鳳の姿があった。

 

「いい加減、寝ないとだけど……はぁ」

 

 りんごジュースをちびちびと飲みながら、独り言ちる。

 ――大湊ですら、幻覚に悩まされていたのだから、こっちに戻ってくれば、もっと酷くなることくらいは、分かっていた。それでも私は、帰ってきてしまった。仕事だから、というのは当然だけど、それ以上に、みんなに謝りたかったから。

 

「……なーんて、何を考えてたのかしら、私は」

 

 しかし、瑞鳳の精神状態は、幾分か回復していた。少なくとも、自身の心が参っていたことを、自覚できる程度までには。

 

「悔しいし、憎たらしいけど……あいつのおかげよね」

 

 ――演習で、長月が負けた直後の事を、回想する。言葉通りの実力を見せつけられ、ふてくされている瑞鳳の前に、吹雪がやってきたのだった。

 

「……負け犬を笑いにでも来た?」

「いえいえ。むしろ、よく健闘したほうだと、賞賛したいくらいです」

「あっそう……今そんなことを言われても、嫌味にしか聞こえないわよ」

「でしょうね。ですので、用件はそちらでもありません」

 

 そう言って、吹雪はずいと瑞鳳の瞳を覗き込む。

 

「何よ」

「――憤りで頭がいっぱいになったせいか、あなたの中の亡霊は、いくらか出て行ってくれたようですね?」

 

 ――言われて、はっとした。演習が始まる少し前、より正確に言えば、吹雪の言葉に腹が立ってからというもの、ただ一人生き残った責任感や罪悪感などというものは、どこかへ吹き飛んでいた。

 

「その調子で、さっぱり忘れたほうがいいですよ。生き残ってしまった罪悪感(サバイバーズ・ギルト)なんて、抱えていたって呪いにしかなりませんから。その点、怒りならまだ発散のしようもあるでしょう」

 

 その言葉を最後に、沈黙している瑞鳳など気に留めた様子もなく、吹雪は去っていった。

 

「――気遣ってくれた、ってこと? いや、あいつが? まさかねぇ」

 

 ――呟いて、残りのりんごジュースを飲み干した。

 

「まあ、それより……横にだけでも、ならないと」

 

 空き缶をゴミ箱に投げ捨てて、諸々の感情がこもったため息をつき――

 

「……起きていたのか、瑞鳳」

 

 ――そこへ、長月がやってきた。

 

「ああ……ちょっとね、眠れなくて。長月ちゃんこそ、どうしたの?」

「腹が減ってな、夜食を買いに来た。軽食もあるだろう、ここは」

 

 答えながら、足早に自販機に向かい、少し迷った後に硬貨を投入し、炒飯のボタンを押す。

 

「しかし、寝れないとなると、徹夜でもするつもりか? あまり身体にはよくないぞ」

「それを言ったら、夜食だって身体によくないわよ」

「なるほど、違いない」

 

 などというやり取りをしていると、出来上がりのランプが点灯する。取り出し口を開けると、熱気と香ばしい薫りが辺りに漏れ出した。

 

「それに、そろそろ部屋に戻るつもりだから、そんなに心配しなくていいわよ」

「それならいい。ただでさえ少ない戦力が、睡眠不足が原因でさらに減るなどということになっては困るからな」

「はいはい、気をつけるって……と、長月ちゃん、それ――」

「ん? ――あっつぁ⁉︎」

 

 炒飯を口につけた長月が、頓狂な叫び声を上げた。

 

「……すごく熱いから気をつけてね、って言おうとしたんだけど」

「もう少し早く言ってくれ、そういうのは……」

 

 軽く涙目になりながら、スプーンを一旦口から離し、ふーふーと息を吹きかける。

 

「……ふふっ」

 

 普段は不気味なくらい冷静だったり、歳不相応なくらいに勇ましい長月が、そんな姿を見せるのが、なんだかおかしくて。瑞鳳は、久し振りに笑った気がした。

 ――それからしばらく経ち、長月が夜食を食べ終え、瑞鳳もそろそろ部屋に戻るということで、二人揃って休憩室から出た時。

 

「なんか……話し声が聞こえない?」

 

 不意に、瑞鳳が立ち止まった。

 

「言われてみれば……上の階からか? 二人分の声が聞こえるな。こんな時間に、などと私たちが言える立場ではないが、しかし誰だろうか」

「片方は、男の人っぽいし、村山元帥だと思うけど……」

 

 言いながら、瑞鳳は出口とは逆方向へと歩き出し、階段に足をかける。

 

「おい、戻るんじゃないのか?」

「いや、ちょっと――」

 

 ――そしてもう片方は、きっと吹雪の声だ。けれど、なんだろう、この違和感は。

 

「……うん、ちょっと、気になって」

「まったく……」

 

 呆れたように言いつつも、自分も興味があったのか、それとも放っておけないからか、長月も瑞鳳の後に続いた。

 

「――やっぱり、執務室の明かりがついてる」

 

 階段を上り、廊下を見渡すと、確かに一室から光が漏れている。

 

「となると、予想通り村山元帥と誰からしいな」

 

 話し声は、まだ続いている。部屋に近づくにつれ、少しずつ鮮明になり、扉の側へと辿り着いた頃には、はっきりと聞き取れるようになっていた。

 

「――司令かーん、私、さすがにきつく当たりすぎた気がしますぅ……」

「それが吹雪のやり方で、それを吹雪は正しいと信じているんだろう? なら、問題ないよ。精一杯やればいい」

 

 ――瑞鳳と長月は、思わず顔を見合わせた。

 聞こえてきた声は、片方は間違いなく村山元帥のもので、もう片方はどう聞いても吹雪のものだ。しかし、声の調子から感じ取れる雰囲気は、二人の知る吹雪のイメージとは似ても似つかない。

 

「うぅ、そうなんですけど……」

「大丈夫、吹雪はよくやっているよ。君が憎まれ役をしてくれたおかげで、覚悟の足りない者を死地へと抜錨する前に挫けさせてくれたおかげで、今までいくつもの命が救われてきた。救われたほうに、その自覚はないかも知れないけれどね。けど、私はちゃんと知っている」

「司令官……ありがとうございます。その言葉だけで、また頑張れます」

 

 実は人違いなのではないかと、二人は扉の隙間から部屋を覗き込む。しかし、室内にいたのは、紛れもなく村山元帥と吹雪だった。

 ――椅子に座った村山元帥と、その膝にちょこんと乗り、甘えるように体重を預ける吹雪だった。

 目が点になる、という慣用句を体現したような表情で、二人は硬直する。どう見ても吹雪なのに、どう考えても吹雪とは思えないとしか、表現のしようがない。

 

「でも、そうだね。確かに今回は、いつも以上に厳しいんじゃないかい? 瑞鳳くんへも、長月くんへも。何か、思うところでも?」

 

 自分達の名前が出たことで、廊下の二人は我に返り、少々身体を強張らせる。

 

「ありますよ、そりゃ。まず瑞鳳ですが、あんな風に、色々と背負い過ぎて、その重みで水底まで沈んでいった人を、この目で見ていますから」

「……彼女のことか。確かに、そうだね。言われてみれば、少し似ているな」

「でしょう? 何一つ自分は悪くないはずなのに、ただたまたまそこに居合わせることができなかっただけで、むしろ、だからこそ助かったっていうのに、そのことを延々と自責し続けて。いっそ折れてしまえばいいのに、芯が強いものだから、お酒や煙草に逃げてまで、戦士であることを止めなかった――そんなあの人に、彼女は似ています。だからこそ、あの人の二の舞には、私がさせません。例え、蛇蝎の如く嫌われ、仇の如く憎まれたとしても」

 

 強い意志を感じさせる語調で、吹雪は断言した。

 

「……何それ。馬鹿みたい」

 

 ぽつり、と。瑞鳳が、すぐ隣の長月にすら届かないほどの小声で、独り言を漏らす。

 

「自分一人が悪者になって、憎まれ役になって。誰かが助かるなら、それでいいって?」

 

 ――まるで馬鹿げている。馬鹿げている、けれど。彼女の言葉がなければ、存在がなければ、きっと自分は、今以上に苦しんでいた。それも、自覚のないままに。

 馬鹿げてはいても、決して間違ってはいない。そのことを身をもって実感したゆえに、瑞鳳はそれ以上呟くのを止めた。

 

「――やはり凄いね、吹雪は。私が同じ立場であれば、そこまで厳しくあれる自信はないよ」

「お人よしですからね、司令官は」

 

 そう言って優しく微笑む吹雪の姿は、歳相応の、少女らしいものに見えた。

 

「はは、まあ、否定はしないさ。それで、長月くんのほうも、同じような理由かい?」

「うーん、彼女については、少々事情が違うというか」

 

 やはり気になるのか、長月は話題が自分のことに移ったと同時に、少々身を乗り出すようにして部屋内の会話に意識を集中させ――

 

「――昨年秋の、深海棲艦による一般居住区襲撃事件。覚えていますか?」

 

 ――続けられた吹雪の言葉を耳にした瞬間、表情が変わった。

 

「ああ、勿論。私は別作戦に従事中で不在だったが、鎮守府に待機している艦娘を出撃させたからね。確か、吹雪もその中の一人だったな」

「ええ。酷い事件でしたよ。海沿いは常に警戒されていますし、そもそも一般人の居住が禁止されている区画が多いですが、あの街はかなり内陸でしたから――警戒などほとんどなく、対応は遅れに遅れました」

「私も、連日の大雨で浸水していたからといって、まさかあんな場所に深海棲艦が現れるとは、正直に言って予想していなかったよ」

「そんなの、誰でもですよ。陸地や、せめて川でも通っていたなら早期の発見も出来たかもしれませんけど、目撃証言や事後調査によれば、奴らは下水道から侵入したそうですし。だから仕方がない、とは言いたくありませんが」

 

 ――間違いない。二人が話しているのは、私が巻き込まれた襲撃のことだ。

 

「だが、起きてしまったことは、助けられなかった命は、取り戻せない。我々にできるのは、同じような事件が二度と起きないようにすることだけだ」

「その通りです。あれ以降、河川や下水道の警備が強化されましたし、特に増水時などは内陸部も巡回するようになりましたからね」

 

 しかし――どうして今、その話を?

 

「それで。その件と長月くんのことに、どういう関係が?」

 

 長月の内心を代弁するかのように、元帥は問う。

 

「――長岡つみき。聞き覚えのある名前だとは思っていたんです。けれど、確証はありませんでした。司令官の立場であれば、艦娘の経歴くらいは調べられるでしょうが、いくら秘書艦とはいえ、個人的な思惑のためにそんなことを頼むわけにもいきませんでしたし」

「……まさか、あの子は」

 

 元帥の言葉に、吹雪は小さく頷いて――

 

「彼女は、あの日、私が助けた子です」

 

 ――元帥への回答であると同時に、長月の疑問をも解消する言葉を、口にした。


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