Fleet Is Not Your Collection   作:萩鷲

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 龍驤型航空母艦一番艦、龍驤。睦月型駆逐艦八番艦、長月。五番艦、皐月。四番艦、卯月。九番艦、菊月。大湊区第二十三番基地における全戦力が、執務室に集合していた。

 

「第一艦隊、集合したで」

「うむ」

 

 提督に、全員の視線が集まる。

 

「集合をかけたのは、他でも無い。我が大湊区第二十三番基地、その第一艦隊――つまり君達に、出撃要請が入った」

 

 そう言って、提督は卓上のリモコンを手に取り、天井に向けてスイッチを押す。すると、天井からプロジェクターがせり出し、壁に画像を映し出した。どうやら、海図の様だ。

 

「君達大湊区第二十三番基地第一艦隊は、同第十五番基地第二艦隊と共同で、深海棲艦により占領された南西諸島海域のバシー島の解放作戦を決行する事となった。――ここだな」

 

 提督は指揮棒で海図に記された一つの島を指す。

 

「実は今日現在、各基地の主力艦隊と提督の大半は、ミーティング及び合同演習の為に横須賀鎮守府に召集されているんだ。そんな最中、南西諸島海域を警備していた艦隊――大湊第十五番基地の第二艦隊が、バシー島が深海棲艦に占領されているのを発見したらしい。しかし、燃料及び弾薬を消耗しており、また無線での呼び掛けに応答が無く生存者はいないと判断された為に、一度帰投。横須賀にいる提督に判断を仰いだ結果、同地区所属で手空きの艦隊の中で唯一航空母艦が含まれ、かつ提督まで暇を持て余しているうちと共同で事に当たる事に決定したらしい」

「え? 横須賀に主力艦隊がいるなら、そっちを出せば良いぴょん? そもそも、大湊からよりも横須賀からの方が南西諸島海域は近いぴょん」

「それは……その通り、なんだが」

 

 卯月の発言に、やや言葉を詰まらせる提督。

 

「色々と、事情があるのでは無いか……?」

「……ああ。恐らく、合同演習に不参加になる艦隊を出すよりも、手空きの戦力で何とかしようとしたのだろうさ。生存者が居ない以上、緊急性も低いしな。それに、上への報告と許可の取り付けはしっかり行っているそうだから――新米提督の僕に口出し出来る権利なんて、あろう筈も無い」

 

 少し沈んだ表情で提督は言うが、すぐに表情を引き締める。

 

「だが――諸君、これはチャンスだ。君達が先方の期待以上の活躍を上げよう物なら、この基地の評価も上がるだろう。そうすれば、高性能な装備や新しい艦を支給して貰えるかもしれない」

「そらええな。旧式機だけで戦うのも限度っちゅうもんがあるし、どうせなら対空火器も充実させたい。それに、大型空母や戦艦が入ってくりゃ、色々と楽が出来そうや」

 

 龍驤の艦載機ばかりではなく、駆逐艦用の装備も万全とは言い難い。長月と皐月は、四連装酸素魚雷や三式爆雷投射機、三式水中聴音機が例の件の後にそのまま支給された為に、雷装及び対潜は問題無いが、主砲は十二センチ単装砲のままでありやや頼りなく、対空兵装も貧弱だ。そして卯月と菊月に至っては、完全に初期装備のままである。

 

「んで、その第十五番基地の第二艦隊とやらは、どないな奴らなんや?」

「ああ、それならそろそろ――」

 

 提督がそこまで言いかけた時、壁に映し出された海図が消え、代わりに一人の少女の姿が映し出された。全員の視線がその少女に集まると同時に少女は口を開き、一言。

 

『クマー。大湊区第十五番基地が第二艦隊旗艦、軽巡球磨だクマ』

 

 ――卯月以外に、こんな特徴的な口癖の奴が居るとは。ほぼ全員が、内心でそう思った。

 

「面白い喋り方っぴょん」

 

 卯月本人はと言えば、ブーメランとしか言い様が無い事をのたまっていた。

 

『ま、言われ慣れてるクマ。それより、作戦の説明をするクマ』

 

 卯月の発言を気にした様子も無く、球磨は話を続ける。こちらの言葉が伝わっている事からすると、テレビ通話らしい。

 

『まず、我が第二艦隊は球磨含め軽巡洋艦三隻と、重雷装巡洋艦二隻で構成されているクマ』

「重雷装巡洋艦っちゅうと、あの魚雷てんこ盛りな艦か?」

『その通り、魚雷メガ盛りの艦だクマ。あいつらは、瞬間的な火力なら戦艦にさえ匹敵するクマ。その突破力を生かし、我々が先行して敵を殲滅するクマ。あんたらには対空見張りと、後方からの航空支援や球磨達が撃ち漏らした艦の処理を担当して欲しいクマ。基本的に、前に出る必要は無いクマ』

 

 その言葉は、お前達を危険に晒すつもりは無いから安心しろ、という意味なのか、それともお前らの様な新米艦隊が出しゃばるな、という意味か。ただ、どちらにせよ作戦についての発言権は無い様子だった。

『集合時間はヒトゴーマルマル、場所は第十五番基地内の桟橋クマ。所在地は、そこの提督が知ってる筈だクマ。――説明は以上、クマ。球磨は、一旦失礼させて貰うクマ』

 

 球磨のその言葉を最後に、映し出されていた映像は途絶える。

 

「――まあ、そういう訳だ。各員は、早急に支度を済ませる様に。そうだな、ヒトヨンマルマルまでに終わらせて、正面玄関前に集まっておいてくれ。移動時間も考えると、そのくらいだろう」

「すると、結構遠いんやな、第十五番基地は」

「そうだな。大湊区と一口に言っても、その範囲は広い。移動には車を使う。艤装については、うちのスタッフがトラックで輸送し、現地で装着する事になる。流石に、乗用車に艤装は積めないからな。――では、準備を開始してくれ」

 

 提督の言葉を皮切りに、全員が慌ただしく執務室から退出し、それぞれ支度を始める。艦娘達は、艤装の最終チェックや食事を済ませ、提督は各部のチェックが終了した艤装の積み込みの指示や、南西諸島海域関連の資料から使えそうな物をかき集める。そうして、予定通りのヒトヨンマルマルに、全員が玄関前に集合する。

 

「集まったな。では、皆乗ってくれ」

 

 そう言って、提督は駐車された白のミニバンに乗り込んだ。

 

「司令官が運転するの?」

「運転手が足りないものでな。大丈夫だ、人並みの腕はある。それよりも、早く乗れ」

 

 提督に急かされ、艦娘達が車へと乗り込み始める。

 

「昨日の車とは、違うのだな」

 

 助手席に座りながら、長月が呟いた。

 

「あれは多人数で乗るには不向きだからな。それに、あいつは僕の自家用車だ」

「そうなのか」

「ああ。昨日の様にドライブに行くという訳でも無いし、些か不適切だろう」

「え、何々? 何の話?」

 

 そんな会話を交わす二人の間に、後部座席から皐月が顔を突き出す。

 

「大した話では無いさ。そら、戻った戻った」

 

 しかし、長月に軽く頭を押し込まれ、「うわー」というやる気の無い悲鳴と共に皐月は奥に引っ込んでいった。

 

「よし、出すぞ」

 

 そんなやり取りを横目に、提督は振り返って全員が乗り込んだ事を確認すると、前を向き直り車を発進させた。そうして基地を出て街を抜け、高速道路に乗って目的地を目指す。長月は読書、皐月は携帯ゲーム機、卯月と菊月は雑談、龍驤は仮眠をしてそれぞれ暇を潰し――数十分後。特に渋滞等に巻き込まれる事も無くすんなりと基地に到着し、ゲートで提督が身分証を提示して基地内へと入る。駐車スペースに車を停めて車から降り、全員で桟橋へと向かう。

 

「お、来たかクマ」

 

 桟橋には既に五人の艦娘が集まっており、その中に居た球磨が長月達の姿を認めると共に腕時計を見る。

 

「――ヒトヨンヨンゴー、理想的な十五分前行動クマ。ゆとりの行動、感心だクマ」

 

 感心した様子で、球磨はうんうんと頷く。

 

「さて――ほら、お前らとっとと自己紹介しろクマ」

「はいにゃ」

 

 球磨は振り返って、後ろにいる四人に声を掛ける。その中から、球磨と同じ制服を着用した、薄紫色の髪の艦娘が一歩前に出た。

 

「軽巡、多摩です。猫じゃないにゃ」

 

 そう名乗り、多摩はぺこりと頭を垂れる。

 ――猫じゃねえか。提督と龍驤以下第一艦隊五名全員が内心でそう思ったというのは言わずもがなだが、流石に口に出す者は居なかった。

 

「んで、アタシが重雷装巡洋艦、北上。で、こっちが――」

「重雷装艦、大井です」

 

 続いて、球磨や多摩のセーラー風の服装とは違う、苔色の学生服の様な制服を身に付けた二人が名乗る。

 

「制服は違うけど、あたしらも球磨姉や多摩姉と同じ、球磨型だよ。勿論こっちの一人も球磨型で――」

「――木曽だ。お前らに最高の勝利を与えてやろう」

 

 最後に、眼帯を身に付けた、気の強そうな艦娘が名乗る。制服は球磨と共通の物だ。

 

「――僕等も名乗るべきか。僕は、大港区第二十三番基地の提督、花木だ。階級は、少佐」

「航空母艦、龍驤や。この艦隊の旗艦を任されとる。ま、程々に頼りにしといてくれや」

「駆逐艦、長月だ。役に立たせて貰おう」

「皐月だよっ。今日はよろしくな!」

「卯月でっす! 頑張るぴょん!」

「菊月だ……共に行こう」

 

 第二十三番基地の面々も、順に名乗る。

 

「――ま、自己紹介も済んだ事クマ。さっさと艤装を背負って、出撃準備を整えるクマ」

 

 球磨がそう急かすと、五人は基地敷地内の駐車場に停まった輸送用のトラックに向かって駆け出した。

 

「提督は、この基地の執務室で待機していて欲しいクマ。場所は二階の端っこだクマ。聞いてると思うけど、うちの提督は今横須賀に行っていて、不在なんだクマ。だから、その代理クマ。基本はこっちの作戦や球磨達の判断に従って貰うけど、不測の事態の場合なんかは頼むクマ」

「ああ、分かった」

 

 提督も、球磨の指示を受けて基地の中へと入る。

 ――しばらくして、艤装を身に付けた龍驤達が、桟橋に戻って来る。

 

「さて、準備は良いかクマ?」

 

 皆が揃った所で、球磨はそう問い掛ける。全員が、無言で首を縦に振る。

 

「それでは――抜錨クマ!」

 

 球磨は力強く叫ぶと、先陣を切って海へと降りる。その後に多摩達が降り、龍驤達も続く。

 

「艦隊、単縦陣クマ!」

 

 ある程度沖に出た所で、球磨が叫ぶ。球磨型五隻が、速やかに一列に並ぶ。

 

「艦隊、輪形陣や!」

 

 続いて龍驤が叫び、長月達が龍驤の周りを囲う様に展開する。

 

「本主力艦隊及び支援艦隊は、このままバシー島を目指すクマ! 全艦、両舷前進原速、宜候(ようそろ)!」

「宜候!」

 

 呼応する様に叫び、二つの艦隊は距離を置いて、それぞれの陣形を保ったままバシー島へと進路を向ける。

 

「索敵機、発艦始め!」

 

 龍驤が飛行甲板を展開し、九七式艦攻を発艦させて周囲の索敵を開始する。出発してから間も無く、まだ比較的安全な海域であるからか、今の所周囲に敵影は見当たらない。だが、あくまでもそれは今の所だ。バシー島が存在する南西諸島海域は、大型空母クラスを始めとした比較的強力な深海棲艦が頻繁に出現し、本土近海と比べて危険度は段違いに高い。球磨達や龍驤達ならば順当に行けば勝てる相手だが、慢心は時に死を招く。索敵は念入りにすべきだろう。

 

「何事も無きゃ、ええんやけどなあ」

 

 龍驤は不安げに呟く。と、言うのも最近、比較的安全だった筈の海域に『鬼』クラス等の強力な深海棲艦が出現しただの、索敵に不備が無かったにも関わらず奇襲を受けただの、不穏な話が多いのだ。特に、安全だと聞いていた海域で深海棲艦に遭遇するという事態を、つい数時間前に経験したばかりの龍驤としては、警戒心も強まるという物だ。

 そもそも、今回の事だって妙だ。バシー島は、申し訳程度の軍施設とボーキサイト採掘場くらいしかない、ただの小島だ。立地的にはともかく、土壌的には価値が薄い。故になのか、今までバシー島は襲撃らしい襲撃を受けた事が無かったのだ。それが一体、何故今になって?

 ――もっとも、考えたからと言って今すぐに結論が出る様な事では無い。そんな事は龍驤にも良く分かっているので、一旦思考を中断する。

 

「長月、皐月、聴音機に反応はあるか?」

「今の所、それらしい反応は無いな」

「こっちも、そんな感じ」

 

 潜行する潜水艦は、水上艦と比べて圧倒的に見落してしまう可能性が高い。だからこそ、聴音機(ソナー)という物がある。索敵機は水上艦の発見のみに注力し、潜水艦は長月と皐月の二人に任せてしまった方が効率が良い。

 

「ま、何かあったら報告してくれや」

「ああ、分かっている」

「了解だよ」

 

 そうして、三人とも索敵に集中する。

 

「――それにしても菊月、本当に大丈夫ぴょん?」

「何がだ……?」

 

 ――水偵を積めない駆逐艦で、しかも聴音機も電探も装備していない、卯月と菊月。特にやる事も無く暇を持て余した二人は、雑談に興じていた。

 

「だーかーらー、ちゃんと戦えるのかって事っぴょん」

「まあ、不安はあるが……少し心配し過ぎだ、卯月。艦娘になっても、そういう所は()()()()()だな……」

「だって、うーちゃんは――」

 

 卯月は何かを言い掛けたが、途中で目を伏せて口を噤んだ。

 

「――無理は、しないで欲しいぴょん」

「大丈夫だと、言っている。私だって……ちゃんと、戦える」

 

 言って、菊月は手持ち式の十二センチ単装砲を構えてみせる。その姿は、仮にも艦娘であるだけあって、様になっている。

 

「戦う為にこそ――私は、ここに居る」

 

 真剣な表情で、呟く菊月。

 

「それでも、心配なもんは心配ぴょん」

「酷いな……そんなに私が信用出来ないのか……?」

「そ、そういう訳じゃ――」

「――空母龍驤より全艦へ! 敵艦隊、見ゆ!」

 

 ――二人の会話は、龍驤の言葉によって中断された。

 

「距離約一万メートル、方角は南南西! 内訳は戦艦ル級、空母ヲ級がそれぞれ一隻、重巡リ級、軽巡ホ級が二隻ずつ!」

『軽巡球磨より空母龍驤へ。了解クマ。球磨達はこのまま突撃し敵艦隊へ攻撃を仕掛けるクマ。航空支援、頼んだクマ!』

「おうとも、任せときや!」

 

 龍驤は飛行甲板を大きく広げ、手を離す。飛行甲板は落下する事なくその場に浮かび、龍驤は式神状の艦載機を両手の指に挟んで甲板上を滑らせる様に一斉に投擲した。艦載機は瞬く間に零式艦上戦闘機と雷装済みの九七式艦上攻撃機へと姿を変え、レシプロの駆動音を撒き散らしながら敵艦隊へと向かって行く。ほぼ同時に、空母ヲ級が同じく艦載機を発艦させる。艦娘が運用するようなプロペラ機とも、近代的なジェット機とも似通らぬ、SF映画にでも登場する様な近未来的な造形の艦載機達が、虚空から次々と姿を現す。

 程なくして、龍驤の艦載機と空母ヲ級の艦載機が交戦を始める。互いの艦戦が敵機を撃墜すべく攻撃を開始し、艦攻と艦爆は艦戦の放つ弾幕の隙間を縫うようにして宙を舞う。

 

「各艦、高角砲射撃用意! 対空射撃、開始クマー!」

 

 艦戦の攻撃を掻い潜り球磨達へと接近して来た敵攻撃隊を、球磨、多摩、木曾の三隻に搭載された高角砲が迎撃する。砲弾が時限信管によって上空で炸裂し、次々に敵機を撃墜して行く。それでも生き残った敵機が爆撃と雷撃を試みるが、数が減った事もあり球磨達は問題無く回避する。

 

「――捉えた! 目標、敵水上打撃部隊! 大物を狙ってくで!」

 

 龍驤の攻撃隊も、敵艦隊と接敵する。 防空射撃の嵐を潜り抜けつつ海面すれすれまで高度を下げた九七艦攻達が、航空魚雷を投下する。大物狙いとの発言通り、魚雷はヲ級とル級を目掛けて直進するが、射線上に二隻のホ級が飛び出して我が身を盾とする。横腹に魚雷が直撃しホ級達が爆散するが、犠牲の甲斐はありヲ級やル級に魚雷が届く事は無かった。

 

「行くよ、大井っち!」

「ええ、北上さん!」

 

 ――もっとも。彼等から全ての脅威が去った訳では無い。

 

「海の藻屑と――なりなさいな!」

 

 北上と大井の全身に括り付けられた複数の四連装魚雷発射管が、一斉に酸素魚雷を発射する。片舷二十門、計四十門、二隻合わせて――八十門。先の大戦では終ぞ活かされる事の無かった重雷装巡洋艦の驚異的な雷撃能力が、今本領を発揮する。飽和雷撃と呼称するに相応しい量の魚雷は敵艦隊の逃げ場を完全に奪い、追い詰める。

 

「■――!」

 

 二隻のリ級がヲ級とル級の前に立ち塞がり、海中に向けて主砲を連射し魚雷を迎撃する。無論、全て撃ち落とす事など出来る筈も無く、最後には先程のホ級の様にリ級は我が身を盾とした。だが、大量の魚雷はリ級二隻を跡形も無く消し飛ばして尚、尽きる事は無かった。抵抗虚しく、魚雷はヲ級とル級の下に到達し喫水下で炸裂、二隻は立ち上がった水柱に呑み込まれる。

 

「やったか⁉︎」

「木曾、お約束な反応してんじゃねえクマ! そういう事を言うと大抵――」

 

 ――轟音が響き、砲弾が水柱を突き破る。

 

「――こうなる、クマッ!」

 

 旗艦である球磨を正確に狙って放たれた砲撃を、すんでの所で球磨は勢い良く上体を捻らせ回避する。左肩すれすれを砲弾が掠め、衝撃波で袖が切り裂かれ、肌には幾つもの切り傷が走り鮮血が噴き出す。

 ――水柱が収まると、そこには中破程度の損傷に止まった戦艦ル級が鎮座していた。足下には、原型を留めぬ程に損傷した空母ヲ級。ル級がヲ級を盾にしたのか、ヲ級が自ら盾になったのか。

 

「だ、大丈夫か、球磨姉!」

「擦り傷だクマ! ――空母龍驤へ! 敵戦艦、未だ健在! 第二次攻撃の要有りクマ!」

『空母龍驤、第二次攻撃の要を認む! 発艦準備が整い次第向かわせるで!』

 

 龍驤の応答を聞くが早いか、球磨がル級へ向かって突撃を開始する。

 

「多摩と木曾は支援雷撃の用意、北上と大井は、魚雷の再装填が済むまで後方で待機しておけクマ!」

 

 球磨は艦隊に指示を出しつつ、背部艤装に備わった十四センチ単装砲の狙いをル級へと定め、砲撃する。

 

「■――!」

 

 ル級は当然の様に回避行動を取って砲弾を躱し、接近する球磨に主砲を向け――

 

「――クマァッ!」

 

 ――ル級に向かって突撃していた球磨は、十分に距離が詰まっても尚速度を落とさず、そのままル級を()()()()()

 

「■――⁉︎」

 

 予想外の攻撃をル級は避けることが出来ず、顔面に球磨の拳が突き刺さり、姿勢を崩して後方に後退る。

 

「多摩! 木曾! 今だクマ!」

「分かった、撃つにゃ!」

「了解だ!」

 

 声を掛け合い、三隻の球磨型軽巡が同時に魚雷を発射する。まず至近距離に居た球磨の放った魚雷がル級に着弾し、そう間を置かずに多摩と木曾が放った魚雷も着弾する。

 

「■■――!」

 

 しかし、それでもル級は沈まない。大破状態となりつつも、主砲たる十六インチ三連装砲を間近の球磨へ向け、放つ。

 

「――最後まで諦めない姿勢だけは評価してやるクマ」

 

 だが、もはや戦闘の続行が困難な程に損傷したル級の砲撃は、狙いを大きく外れて明後日の方向へと飛んで行き、砲弾が海面に着水して水柱を立てる。そして、それとほぼ同時に、龍驤の放った攻撃隊が到着した。

 

「■――」

 

 ル級は最早抵抗する様子さえ見せず、受け入れるかの様に九七艦攻の放った魚雷を喰らい、海中へと没していった。

 

『空母龍驤より各艦へ。戦艦ル級、撃沈や』

「軽巡球磨より空母龍驤へ。こっちも、この目で撃沈を確認したクマ。ご苦労様だクマ」

 

 敵艦隊の殲滅を完了し、再び艦隊はバシー島へと向かっての航行を再開する。

 

「しかし、中々しぶとい奴だったクマ」

 

 先の戦闘を思い返し、球磨が独り言ちる。随伴艦が旗艦を積極的に庇ったという事もあるが、それにしても手間を掛けさせられた。

 

「でも、多摩達の敵じゃ無かったにゃ」

「お前は大した事してねえクマ」

 

 何故かしたり顏で言う多摩を、球磨が軽く小突く。

 

「まー、アタシと大井っちがいれば、最強だもんね。ねー、大井っち」

「はい、北上さん!」

 

 北上の言葉に、やけにハイテンションかつ満面の笑みで応える大井。

 

「お前らも、あんまり調子にのるんじゃないクマ」

「でも、北上姉と大井姉の雷撃能力は強力だし、最強と言ったってそこまで過言では無いんじゃないか?」

「まあ、確かに一理あるクマ。だが、球磨は前に言った筈だクマ? ――慢心は禁物、だクマ」

 

 やや強い調子で、球磨は言う。

 

「――そう、だな。確かに球磨姉の言う通りだ。幾ら姉さん達が強くても、それを理由に油断していれば足下を掬われかねない」

「ちゃんと分かってくれて嬉しいクマ。木曾は良い子だクマ。――で、多摩に北上に大井、お前らにも言ってたクマ? いや、むしろお前らにこそ言うべきかクマ」

 

 球磨は振り返り、三人を軽く睨んだ。

 

「あ、あはは……分かってる、分かってるからさ」

「それじゃ北上、魚雷の再装填はもう済んでいるかクマ?」

「え、えっと、それは……まだ、かな」

 

 俯く北上を、一層強く睨み付ける球磨。

 

「とっとと済ませろクマ。勿論大井もだクマ。確かにお前らは強力な戦力だが、魚雷が無ければ殆どただの案山子だクマ。そんだけ数が多けりゃ再装填に時間が掛かる事は分かり切っているんだから、出来るだけ急げクマ。もし今敵の奇襲を受けたらどうするつもりだクマ」

「勿論、それくらい心得ていますよ、球磨姉さん」

 

 柔和そうな面持ちで、大井が言う。

 

「だったら、行動で示せクマ。口ではどうとでも言えるクマ」

 

 しかし球磨は強い口調を崩さずにそう言って、前に向き直る。

 ――そうして球磨が自分から視線を逸らした瞬間、大井の表情が怒りの篭った酷く不機嫌そうな顔になる。

 

「ちっ……相っ変わらず口うるさい姉ね」

 

 先程の柔和そうな面持ちや丁寧な口調は何処へやら、小さく姉への恨み言を吐いた。

 

「――大井、何か言ったクマ?」

「あ、いえ、何でもありません。うふふ」

 

 球磨が再び振り返るが、大井は口調を元の調子に戻し、わざとらしく微笑んで見せる。その様子に、球磨は怒りを通り越し呆れ顔になる。

 

「本当にこいつらは、優秀なのは結構だが気苦労が絶えんクマ。こいつらの姉になったのは、失敗だったかもしれんクマ」

「全く、その通りにゃ」

「他人事ぶってんじゃねえクマ」

 

 うんうんと頷く多摩の頭頂部を、球磨が平手で勢い良く叩く。小気味よい打撃音と、「にゃにゃっ⁉︎」という多摩の猫の様な悲鳴が響き渡った。

 

「ったく、良い子なのは木曾だけだクマ……と、そろそろかクマ」

 

 小さく愚痴を吐いたところで、目的地たるバシー島が球磨の視界に入った。

 

「――おかしいクマ」

 

 しかし、それとほぼ同時に球磨はそんな風に呟く。

 

「何がだ、球磨姉?」

「気付かないかクマ? 球磨達は、バシー島に群がる深海棲艦達を発見したからこそ、今こうしてここにいるクマ? だが――少なくとも今目視で確認出来る範囲に、深海棲艦は見当たらんクマ」

 

 はっとした表情で、木曾はバシー島の方向を望む。確かに、深海棲艦らしき影は一つも無い。

 

『――空母龍驤より軽巡球磨へ。バシー島周辺に偵察機を飛ばしとるんやが、こりゃどういうこっちゃ。深海棲艦なんぞ何処にも居らへんで』

 

 龍驤から無線が入る。死角に居るという可能性も球磨は考えていたが、そういう訳では無いらしい。

 

「軽巡球磨より空母龍驤へ。そっちもかクマ。偵察機でも発見出来ないとなると、本当に居ないか、何処かに隠れているって事かクマ」

『何処かって、何処やねん。海上に隠れられそうな場所なんてあらへんで』

 

 そもそも、海という物は基本的に平坦かつ殺風景で、身を隠す事は困難だ。船の残骸や大岩か何かでもあれば別だろうが、バシー島周辺にそんな物は無い。

 

「――だったら、陸上じゃないかにゃ?」

『陸ぅ? 深海棲艦がか?』

 

 横から口を挟んだ多摩の言葉に、思わず怪訝そうな声色になる龍驤。

 

「あいつらは、陸で活動する事もあると、昔聞いた事があるにゃ。――球磨姉、ここはこちらが先行して島に上陸し、様子を探るべきじゃないかにゃ?」

「ふむ、一理あるクマ。そもそも、奴らが何処にいるにせよ、先行するのが球磨達の役目で、当然上陸も最初から視野には入っているクマ」

 

 球磨は振り返り、姉妹艦達に目配せをする。全員が、小さく頷いた。

 

「――軽巡球磨より空母龍驤へ。これより、本艦隊はバシー島に上陸し、調査を行うクマ。貴艦隊は後方で待機、周辺の警戒を頼むクマ」

『空母龍驤より軽巡球磨へ。了解したで。航空支援等が必要になったら、いつでも声を掛けとくれや』

 

 そのやり取りを最後に無線を切り、球磨達はバシー島に上陸すべく接近する。

 

「――それにしても、深海棲艦って陸に上がる事もあるんだ? ボク、初耳だよ」

「うちもや。まあ、人型の深海棲艦は結構おるし、人っぽくない奴も足が生えとったりするから、考えてみればそんくらい出来てもおかしくは無い気はするな」

 

 龍驤達は、指示通りに島からは少々離れた場所で待機する。周辺警戒と言っても、龍驤が偵察機を飛ばす以外にやるべき事など殆ど無い。ソナーの反応もさっぱり無く、皐月は既に長月に任せて対潜警戒の態勢を解いている。

 

「それにしても、この調子だとうーちゃん達の出番、無さそうぴょん」

「確かに、そうだな……まあ、戦わずにすむのならば、それに越した事は無い」

 

 このままだと、あっさり終わりそうだ。そんな余裕が、その場の全員の心を支配し――

 

「――全艦、今すぐ回避行動を取れっ! 奴らは――()にいるぞ!」

 

 ――瞬間、対潜警戒中の長月が叫んだ。

 その口ぶりから只事では無いと理解した龍驤達は、何を言い返す事も無くすぐさま回避行動を取る。

 

「――お前ら、伏せろクマ!」

「く、球磨姉⁉︎」

 

 一方、主力艦隊。丁度バシー島に上陸した直後の五人に無線を介して伝わった長月の言葉に、まず球磨が反応して近場に居た木曾を引き摺り倒しながら、砂浜に滑り込む様に身を伏せる。球磨の必死さにただならぬ物を感じた三人も、慌ててその場に屈んだ。

 ――瞬間、五人の頭上を砲弾が掠める。そのままであれば間違い無く直撃していたであろうという紛れも無い事実に、背筋に寒気が走る。しかし、余韻に浸るだけの暇も無く、海中から次々と深海棲艦が姿を現わす。おびただしいという形容詞がこの上なく当て嵌まる、総数を数えるのも馬鹿らしい程の大軍――もとい、()()が、一瞬の内にバシー島周辺の海を覆い尽くした。

 

「何よ、あの数――」

 

 ――自分の顔から、血の気が引いていくのがはっきりと分かる。この上なく理解し易い形で目の前に提示された絶望に、思考が塗りつぶされる。

 

「――ぼけっとしてる場合じゃないクマ! このままじゃ、良い的だクマ!」

 

 だが、球磨だけは冷静だった。球磨の一喝により、四人も我に返る。立ち上がった五人は一目散に島の奥へと駆け出し、直後に砂浜へ砲弾の雨が降り注いで砂煙を立てた。

 

「丁度良い、煙幕代わりだクマ。――全員、絶対に足止めんなクマ!」

「で、でも、何処に行くつもりだよ! 島の周りは奴らに囲まれてるし、逃げる場所なんて!」

「そ、そうだよ球磨姉、どうするつもりさ!」

 

 木曾と北上の訴えも、もっともである。決して広いとは言えないバシー島には、逃げ隠れ出来る様な場所は殆ど無いと言って良い。

 

「――()()()()()()()クマ!」

 

 ――しかし、球磨は。あくまでも、そう言い返す。

 

「勝ち目が無ければ、逃げ場が無ければ、座して死を待つのかクマ⁉︎ ――球磨は、そんなの御免だクマ! どうせじたばたしか出来ないなら、球磨は最後までじたばたする方を選ぶクマ!」

 

 足を止めず、振り返る事すらもせず、球磨は背後に主砲を向け砲撃する。砲弾は陸上に揚がり始めていた敵駆逐艦の一隻に直撃し、爆散して周囲の敵艦を巻き込んだ。

 

「それとも、まさかお前ら――諦めたかクマ? 球磨と初めて出会った頃の、それこそ熊の様な利かん坊っぷりは、すっかり牙を抜かれ爪を折られちまったかクマ?」

 

 球磨の問い掛けに、誰一人迷う事無く首を振る四人。その様子に、球磨は思わず微笑む。

 

「だったら、答えは一つクマ。――足掻くぞ、クマァ!」

「――応っ!」

 

 球磨の言葉に、球磨型全員が呼応した。

 

    ◆◆◆

 

「――だあああっ! 何なんや、この数は!」

 

 龍驤達支援艦隊は、海中から突如として出現した深海棲艦の迎撃に当たっていた。

 

「駆逐艦や軽巡ばっかりだから、一隻一隻は大した事無いけど、流石にこれは多過ぎるよ!」

 

 撃てど倒せど、キリがない。何隻沈めても、敵の数が減っている様に感じられない。

 

「そもそも、潜水艦でも無い艦が海中で、それも大量に待ち伏せしているなんて、どういう事だぴょん!」

「こんな数を想定した訓練なんて、受けていないぞ……っ!」

 

 目に付いた敵に、片っ端から砲撃を叩き込む。幸いにもまだ被害らしい被害は受けておらず、島からある程度離れているが為に、こちらに向かって来る艦はそこまで多くはないが、現状維持を続けていても、間違っても状況は好転しないだろう。

 

「くそっ、主力艦隊の状況はどうなっているんだ!」

 

 主力艦隊が健在であれば、救出に向かう必要性も出てくる。全滅しているのであれば、早々に撤退すべきだ。逆に言えば、どちらなのかがはっきりしない内には、思い切った行動は取りにくい。だが、無線で呼びかけても応答が無く、偵察機も敵艦の対空射撃によりまともに島に接近出来ないのが現状で、向こうの状況は全く分からないのだ。

 

「あるいは、返事が無いのが返事だっちゅう可能性も――」

『勝手に殺さないで欲しいクマ』

 

 最悪の状況を龍驤は想定したが、無線から響く球磨の声がすぐに否定した。

 

「おお、無事やったんか! 状況は!」

『何とか、全員健在クマ。応答が遅れて済まんクマ。まあ、もっとも――』

 

 ――爆音で、一瞬球磨の声が途切れる。

 

『――島中を駆け回りながら、ぎりぎりの所で耐えているのが現状だクマ。いつやられても、おかしくないクマ』

 

 状況は、思わしくない。球磨の声から感じられる緊迫感が、はっきりとそれを伝える。

 

「なるほど、なあ……よし、そっちの状況は分かった。待ってろや、今すぐ助けに――」

『それなんだがクマ』

 

 龍驤はそう切り出すも、球磨が途中で遮った。

 

「なんや、どないした」

『――出来るのかクマ?』

 

 やや懐疑心のこもった調子で、球磨は言う。

 

「え、ええと……?」

『だから、出来るのかって訊いたクマ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だクマ。勿論、球磨に死ぬつもりなんて無いし、妹達を死なせるつもりも毛頭無いクマ。例え僅かな可能性だとしても、諦めずに足掻くクマ。でも、それは球磨達の都合だクマ。その為だけに、殆ど巻き添えみたいな状態のあんたらに、死んでくれとは言えないクマ。だから、これはあんたらの自由意志と自己判断だクマ。――良いか、もっぺん訊くクマ』

 

 もう一度、無線の向こうで轟音が響く。球磨達の砲撃音なのか、敵艦の砲撃音なのか、あるいはもっと別の物か。

 

『――あんたらに、球磨達を助ける事が、出来るのかクマ』

 

 ――轟音が止むと同時に発せられた、強い調子の球磨の言葉に。龍驤は、何も答えられなかった。

 

『出来ると言うのなら、当然頼むクマ。助かる可能性が大いに高まるクマ。あるいは、あんたらが自分の命なんかどうでも良い底抜けのお人好し集団なら、球磨達には躊躇わずその好意に甘える用意があるクマ。ああ、そもそも実力不足で犠牲を払おうが球磨達を助ける事自体が不可能という可能性もあるかクマ。そんなんだったら、さっさと撤退して貰った方がまだマシだクマ。球磨達は自力での撤退を試みるだけクマ。で――実際、どうなんだクマ』

「そ、そないな事、突然言われても――!」

 

 言葉に詰まる、龍驤。それでも、何か答えようとし――

 

「――龍驤さん」

 

 ――そんな様子の龍驤に、砲撃の手を止めないまま長月が声を掛けた。

 

「な、なんや、長月!」

「少し落ち着け。こういう時こそ、司令官の判断を仰ぐべきだろう。不測の事態である、こういう時こそな。――司令官、聞こえているんだろう?」

『――ああ。君達の無線は、ずっと聞いていたさ』

 

 長月が呼び掛けると、さほど間を置かずに提督が応えた。声の調子は、重々しい。

 

「決めてくれ。()()か、()退()か。決定権は、司令官にある。私達を死地へと送り出すか、私達に仲間を見捨てさせるか――その決定権がな」

 

 いつもの調子で、淡々と。長月は、言い放つ。

 

「長月、言い方っちゅうもんが――」

『いや、良い。事実だ。事実極まりないよ』

 

 無線越しに、提督が深い溜息を吐くのが聞こえる。しばしの間、全員が押し黙る。

 

『――これが、提督か』

 

 少し置いて、ぽつり、と。提督は呟き――

 

『大湊区第二十三番基地第一艦隊全艦へ、提督として命ず。()()だ。敵艦隊に包囲された主力艦隊を、救出しろ』

 

 ――続け様に、そう告げた。

 

「それが、司令官の決断か」

『ああ。だが、君達に死んでこいと言いたい訳じゃない。君達になら出来ると、そう判断したまでだ。――まだ着任から日の浅い僕達だ、君達は僕の事をまだ良く知らないだろうし、僕も君達の事を書類上の情報以上には殆ど知らない。()()()()()、僕は君達を信じたいし、君達に信じて貰いたいんだ』

 

 少しだけ、震えた様な声で。それでも、力強く。

 

『――頼む。僕を信じてくれ。僕を、信じさせてくれ。どうか、上手くやってくれ。必ず生きて、帰って来てくれ!』

 

 提督は、思いの丈を、言い放った。

 

「――だ、そうだぞ、皆」

「おう。……そう言われちゃあ、うちとしてはやったるしか無いな。ああ、迷っとる場合やない」

 

 落ち着きを取り戻した様子の、龍驤。

 

「まあ、出来るって、ボク達ならさ。たぶん」

 

 相変わらず楽観的な、皐月。

 

「困ってる人は助ける物だっぴょん! 情けは人の為ならず、だぴょん!」

 

 少しだけ引き締まった表情の、卯月。

 

「怖くないと言えば、嘘になるが……私が何もしなかったせいで誰かが死んでしまうとするならば、その方が、怖い」

 

 不安が感じ取れるが、しかし強い意志も感じられる口調の、菊月。

 

「私は――命令であるのならば、従うさ」

 

 どこまでも素っ気ない態度の、長月。

 ――全員が顔を見合わせ、小さく頷いた。

 

「――支援艦隊より主力艦隊へ! これより本艦隊は貴艦隊の救出へと向かう! ええか、死ぬんやないで!」

『主力艦隊より支援艦隊へ。そいつは、心強い限りだクマ。絶対に、持ちこたえて見せるクマ。――球磨達の明日、あんたらに任せたクマ』

 

 相変わらず、無線越しの音声は雑音混じりだ。しかし、覚悟を決めた様子の球磨の言葉は、やけにはっきりと耳に届いた気がした。

 

「よーし! ――全艦、単縦陣に陣形変更後、敵艦群へと突撃開始! 宜候!」

「宜候!」

 

 無線を切り、号令をかける龍驤。砲撃で敵艦を牽制しつつ、速やかに陣形を変更する。

 

「適当に倒しとったんじゃ埒があかん! 火力を一点に集中し、道を切り開いて突破するで!」

「だ、だが、それだと敵艦に囲まれたまま島まで行く事になるぞ……?」

「ああ、せやな!」

「そ、それでは、むざむざ蜂の巣にされろと言うのか……⁉︎」

 

 表情を曇らせる菊月。しかし、そんな事は指摘されるまでも無く、当然の様に龍驤も想定している。

 

「――けど、うちらが囲まれるっちゅう事は、裏を返しゃうちらを挟んで向かい合わせに深海棲艦がおるっちゅう事になるやろ!」

 

 ()()()()()。囲まれるからこそ、龍驤は行けると踏んだのだ。

 

「そ、それが……?」

「考えてみい! うちらに向けた砲撃が外れたら、そいつは()()()()()()()のか!」

 

 ――龍驤の言葉に、はっとした表情になる菊月。

 

深海棲艦(あいつら)かて、同士討ちが起こり得る状況じゃあ積極的な攻撃はし辛い筈や!」

 

 もっとも、龍驤に確たる根拠や経験は無い。当然だ、類似の状況を想定した訓練や講習などは全く受けた事が無いし、それはつまり、現状に一切の前例が存在しないという事だ。

 ――だったら、自分達が前例になれば良い。

 

「まあ、そういう事や――そろそろおっ始めるで!」

 

 島との距離が狭まり、密集した敵艦群が視界に入る。

 

「全機爆装! 攻撃隊、発艦!」

 

 龍驤が飛行甲板を展開し、装備換装された九七艦攻が次々に飛び立って行く。待ち受けていた様に襲い来る対空射撃の嵐を掻い潜り、攻撃隊は敵艦群へと向かって突き進む。

 

「射程に入ったぞ! 各駆逐艦、砲雷撃戦用意! ――全門、斉射ぁっ!」

 

 長月の号令に合わせて駆逐艦娘達が一斉に砲撃と雷撃を開始し、殆ど同時に攻撃隊も爆撃を開始した。

 計五隻の艦娘による、全力攻撃。その瞬間的な火力は、並大抵の物では無い。無論、それだけ派手な攻撃を、しかも一点に集中すれば、攻撃を回避される可能性は高くなる。だが、今この状況においての最優先事項は、敵艦を沈める事では無く突破口を開く事だ。勿論、敵艦を撃沈すればそこに隙が出来る。しかし――攻撃を回避された場合においても、狙った敵をその場から排除するという目的は、問題無く達成されるのだ。

 

「――!」

 

 上空からは砲弾と爆弾の雨が、海中からは魚雷の群れが、敵艦群に襲い掛かる。幾つもの水柱が立ち上がり、深海棲艦達を蹴散らして突破口を作り出す。

 

「突入開始や! 遅れるんやないで!」

 

 敵艦群が陣形を立て直すよりも早く、龍驤を先頭に最大戦速で突っ込む五隻。進路を遮る敵艦を次々と撃破しながら、島を目指して突き進む。

 

「――左舷に敵艦だクマー!」

 

 一方で、バシー島の球磨達も、必死の抵抗を続けていた。障害物を利用しつつ駆け回って敵艦を撒き、数を減らして各個撃破。やや古典的ではあるが、数で圧倒されている戦況において有効となる戦法だ。

 だが――

 

「あ、足が――も、もうそろそろ、限界だ!」

「んなもん、球磨だって同じだクマ! でも、今は死ぬ気で走るしか無いクマ! 死ぬ気でやらなきゃ、本当に死ぬクマ!」

 

 ――そもそも、彼女達は()娘、海の上を駆ける者だ。勿論、人間である以上は陸で動けない道理は無いし、艤装自体もある程度は陸上での運用を考慮に入れた設計にはなっている。しかし、幾ら常人より遥かに高い身体能力を持つ彼女らとは言え、艤装という重石を抱えての全力疾走を長時間続けていれば、身体に掛かる負担は計り知れないし、そもそも陸上戦の訓練など普通の艦隊では行わない。彼女達の体力は、既に限界に近かった。

 

「くっ――主力艦隊より支援艦隊へ! 状況はどうだクマ!」

『支援艦隊より主力艦隊へ! ついさっき、敵艦群に突入した所や! 少しずつ、進んではいるが――すまん! 正直、どんくらい掛かるかは分からん!』

 

 しかし、状況は球磨達に休息を許さない。いつ到着するか――そもそも無事に到着するかも分からない援軍の到着までの時間を、ひたすらに耐え抜くしか無いのだ。

 

「一つ、提案なんだがクマ」

 

 ――それならば。

 

『何や、どした!』

「あんたらは、火力を一点に集中して、深海棲艦群を切り拓こうとしているクマ。成る程確かに、合理的で効率的な判断だクマ。でも、もっと効率の良い方法があるクマ」

 

 その、援軍の到着までの時間を――

 

「――球磨達が、此方側からも攻撃を仕掛ければ、単純に考えて効率は二倍だクマ」

 

 ――短くしてしまえば良い。

 

『そ、そらそうやろうけど、出来るんかいな⁉︎』

「このまま走り回るよりは楽じゃないかクマ? ――だよな、お前ら」

 

 振り返り、球磨は姉妹艦達に問う。全員が、迷い無く頷く。

 

「ま、そういう訳だクマ。こっちからも撃ち込むから、流れ弾には気を付けろクマ!」

『ちょま、ほんまに大丈夫なんか⁉︎』

 

 龍驤の問い掛けに応える事無く、球磨は今まで走り回っていた林から抜け、海辺が望める位置に出る。当然、辺りには深海棲艦の群れ。

 

「――全艦、一斉射クマー!」

 

 球磨の号令に合わせ、球磨型主砲の十四センチ単装砲が咆える。放たれた砲弾は次々に深海棲艦を屠って行く。

 

「全員、球磨について来いクマ!」

「了解にゃ!」

「はいよ、球磨姉!」

「はい、姉さん!」

「おうともよ!」

 

 砲撃の手を休めず球磨は海に向かって駆け出し、全員が追従する。

 

「――舐めるなクマァッ!」

 

 敵艦の放つ砲弾を躱しつつ、立ち塞がる敵艦を撃破しつつ、ひたすら海を目指して走り抜ける。元々球磨の練度は一軽巡としては高めであり、更に極限状態に置かれた事により彼女の脳と肉体のリミッターはとうに外れていた。故に明らかに離れ業としか言い様の無い芸当も、今の彼女は容易にこなせた。

 

「――あ」

 

 ――但し。

 それはあくまで、球磨の話だ。

 

「――!」

 

 砲撃で抉れた地面に足を取られ、転倒する北上。その隙を、深海棲艦が逃す筈も無い。立ち上がろうと顔を上げた時には、既に敵艦の主砲が自身に向けられていた。回避も防御も、間に合わない。

 

「やっちゃった、なあ――」

 

 観念し、瞼を閉じる。どうせなら、楽に殺してくれ。

 ――響く轟音。

 

「…………あれ?」

 

 ――痛みが無い。身体の感覚もある。周囲の喧騒も続いている。

 

「てめー……球磨の妹に、手ぇ出そうとしてんじゃ、ねえ……クマ」

 

すぐそばから、球磨の声。やけに、弱々しい。

 

「く、球磨姉っ――⁉︎」

 

 北上が瞼を開くと――目の前に居たのは、満身創痍の球磨。両腕が通常ではあり得ない方向に捻じ曲がり、左腕に至っては肘から先が無い。装甲片らしき物が全身に突き刺さり、皮膚が削がれ所々骨や内臓が見え隠れしている。立っているのが不思議なくらいだ。

 ――北上に敵弾が直撃する直前、球磨は驚異的な反応速度で射線上に割り込んだ。艦娘の肉体は、艤装で強化されているとはいえ、不安定な姿勢だった事、近距離からの攻撃である事、そもそも低出力の軽巡艤装では、肉体部分の防御力は気休め程度である事など、様々な要因が重なり――即死にこそ至らないまでも、球磨が受けたダメージは致命傷と言って過言では無かった。

 

「何、してんだ……北上。さっさと、走れ、クマ」

「で、でも!」

 

 周囲には、未だ敵艦の群れ。現状の球磨では、まともな迎撃や回避を行えるとは到底思えず、この場に球磨を放置すればどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。

 

「――走れっつってるのが聞こえねえのか! 良いから黙って従え!」

 

 思わず普段の口癖も忘れ、ボロボロの身体に残った力を振り絞って叫ぶ球磨。

 球磨が普通に喋るのは、久し振りで――何だか懐かしいな、などと呑気な感想が一瞬北上の頭に浮かび。

 ――少しだけ遅れて、それ程に必死なのだという事を、悟り。

 

「――っ!」

 

 何も言わずに、北上は立ち上がって走り出した。

 

「そうだ……それで、良い、クマ」

 

 既に、北上と球磨以外の三隻は海へと飛び込み、道を切り拓いている。北上もそこに加われば、恐らくは上手く行く。文字通りに、目を瞑ってでも当たる程の敵の数だ。先程までは陸上故に活かせなかった雷巡の雷撃能力が、存分に発揮されるだろう。

 ――死に掛けの自分など連れて行く必要は無い。負担になるだけだ。

 

「――!」

 

 ――球磨の目前に、深海棲艦。既に虫の息の球磨に止めを刺すべく、主砲の発射体勢に入る。

 

「……妹の、盾になって、散る、か。ま、悪くは、無い……クマ」

 

 球磨は、そう言って微笑み――

 

「――だが、な」

 

 ――口角を一気に吊り上げて、主砲を発射した。

 

「――⁉︎」

 

 予想外の攻撃に対応出来ず、球磨に止めを刺そうとしていた深海棲艦は砲撃をもろに受けて爆散する。

 ――損害を受けたのは、あくまでも球磨の肉体が殆どだ。幸か不幸か、背部の艤装は無傷に近い。

 

「この、球磨の、首は。ただで、くれてやれる、程――安くはない、クマ!」

 

 無我夢中で主砲を乱射する、球磨。明らかに限界を凌駕した連射速度で次々と砲弾が放たれ、周囲の深海棲艦を蹴散らして行く。立っているのもやっとの筈の身体で砲撃の反動を吸収しつつ、射線を少しずつ横にずらす。深海棲艦が、薙ぎ払われる。接近を試みた深海棲艦が。主砲を発射しようとした深海棲艦が。攻撃を回避しようとした深海棲艦が。海に出ようとした深海棲艦が。多摩達に攻撃を仕掛けようとした深海棲艦が。見る見る内に、塵と化して行く。

 

「ったく――てめえら、一体、何隻、いる、クマァ!」

 

 ――しかし、それでも一向に深海棲艦が全滅する気配はない。むしろ、倒せば倒す程数が増えている様にさえ感じられる。そして、それはあながち的外れでも無い。球磨の周囲に限れば、確かに敵艦の数は徐々に多くなっている。深海棲艦が、球磨をこの場で最大の脅威だと判断した為だ。結果として龍驤達や多摩達の周囲から敵が減少し、彼女らを援護する形になっているのだが、そんな事に気付けるだけの冷静さは既に球磨には残っていなかった。

 ただ、力尽きるまで、目の前の敵を、撃ち続ける。

 

「――開いたっ!」

 

 ――球磨が孤軍奮闘している一方、龍驤達と多摩達がようやく合流する。

 

「無事か、あんたら!」

「無事だ、って言いたい所だけど。到底そうは言えないにゃ」

 

 多摩の返答に、龍驤は多摩達を一瞥し――

 

「球磨は――どないした」

 

 そこにいる筈の一隻が、居ない事に気が付いた。

 

「――島に、残ったにゃ。北上によると、酷い重傷を負っているらしいにゃ。島の方からの砲撃音からして、まだ生存はしている筈だけど、仮に救助したとしても、基地に帰り着くまでは保たないだろう、という事だにゃ」

 

 淡々と説明する、多摩。

 

「そ、そない非情な――」

 

 非情な事を、と続けようとした龍驤だったが、その言葉は、最後までは出なかった。

 

「旗艦代理として、通達するにゃ。軽巡球磨を航行不能と判断し、この場に放棄するにゃ」

 

 ――口調こそ冷静だが。多摩は、今にも泣き出しそうな表情だった。いや、多摩だけでは無い。他の球磨型三隻も、酷く沈んだ面持ちだ。

 当然の事だ。他の誰よりも、多摩達が一番辛い筈なのだ。それなのに、殆ど関わりの無い自分達が、異論など挟める訳が――

 

「――容認出来んな」

 

 ――そんな、龍驤の思考を。長月の放った一言が、停止させた。

 

「……今、何て?」

「容認出来んと言ったんだ」

 

 周囲の敵艦を迎撃しつつ、長月は答える。

 

「お前――ちったあ空気っちゅうもんを読めや! うちらに口出しする権利なんて――」

「私達が受けた命令は、()()()()()()()だ。既に死亡しているならばともかく、まだ生存しているというのなら救出すべきだろう」

 

 龍驤の言葉を遮って、言い放つ長月。

 

「そらそうや! けどな、話聞いとったか⁉︎ 重傷負って、もう助からんて!」

「なら、その傷を何とかすれば良いだろう。――司令官、聞こえるか?」

 

 長月は、無線を開いて提督に呼び掛ける。

 

『どうした、長月』

「手短に話す。主力艦隊の軽巡球磨が重傷を負い、バシー島に取り残されている」

 

 無線でのやり取りは基本的に提督にそのまま伝わるが、無線を介してない先程の会話については、説明が必要になる。

 

『そう……か』

 

 明らかに沈んだ声で呟く、提督。つまりそれは、全員救出は不可能だと――

 

「そこで、一つ尋ねたい。バシー島には、艦娘が居たのか?」

『う、うん?』

 

 ――予想と違う言葉を続けられ、少々困惑する提督。

 

「時間が無い。早く答えてくれ」

『え、ええと……バシー島には、少数ながら防衛戦力として艦娘が常駐していた筈だ。もっとも、恐らく全滅だろうが』

 

 質問の意図がいまいち読めないものの、提督は事前に目を通した資料にあった情報を伝える。

 

「では、整備用の設備や資材もある筈だな?」

『そういう事になるな』

 

 艦娘を運用していた以上、最低限のメンテナンスや艦娘の治療を行える施設等が存在して然るべきだろう。

 

「と、すれば――有る筈だろう。『高速修復剤』がな」

 

 ――長月の発言に、周囲の艦娘達がはっとした表情になる。

 高速修復剤。艦娘が浴びれば傷が塞がり、艤装に掛ければ損傷を修復させる事が出来る、容器の形状からもっぱらバケツと呼称される薬液である。強力過ぎる効果と原理及び成分が極秘である事を不審がる者や、副作用を心配する者も少なからず存在するが、しかし非常に利便性が高いのは事実であり、小さな基地でも数個から数十個、鎮守府レベルともなれば数百から数千個が常備されているのが普通で、大規模作戦時などは高速修復剤の備蓄量が戦況を左右する事さえある。

 そんな高速修復剤だが、重大な欠点が存在する。保管庫で安定状態を保たないと、一時間と経たずに効果が失われてしまうのだ。故に、基本的に戦場での使用は不可能だ。しかし、バシー島に整備施設があるという事は、高速修復剤も使用可能な状態で保管されている可能性が高い。ならば、球磨の治療を行う事も出来る。

 

「司令官。軽巡球磨の救出を敢行するが、構わんな?」

『――やれるんだな?』

 

 期待と不安が入り混じった声で問う、提督。

 

「当然だ」

 

 その問いに、不安など一切含まれぬ声で、長月は即答した。

 

『ならば――任せたぞ!』

「ああ、任された」

 

 提督との通信を終え、無線を切る長月。

 

「話の通りだ。龍驤さんと多摩さんは、それぞれ指揮を――」

「――いや、お前がやれ、長月」

「多摩達の方も、お願いするにゃ」

 

 長月の言葉を遮る様に言う、龍驤と多摩。長月は、珍しく少々面食らった様な表情になる。

 

「何故だ。作戦行動中は、旗艦が指揮を執るものだろう。まして、多摩さんたちは所属が――」

「その旗艦が思い付かへんかった案を提案して、しかも提督に許可まで取り付けたんはどこのどいつやっちゅう話や」

「多摩達は姉さんを見捨てようとした悪い妹達にゃ。そんな多摩よりも、あんたがやった方が上手く行く筈にゃ」

 

 ――龍驤も多摩も、表情は真剣そのもので。到底、冗談では無さそうだった。

 

「――分かった。引き受けよう」

 

 長月が諾すると共に、全員がいつでも動ける様に身構える。ある程度の無茶を言い出す事は覚悟の上だが、どう来るか――

 

「では、そうだな――各艦はこの場で待機、脱出口の維持に努めてくれ。高速修復剤の確保及び軽巡球磨の救出は、私が務める」

「ひ、一人でやるんかいな⁉︎」

 

 ――流石に予想外だった龍驤が、思わず声を上げた。

 

「脱出口の維持には数が要るだろうが、救出は一人でも出来る。むしろ、人数が多過ぎても手持ち無沙汰になるだけだ」

「た、確かにそうやけど、流石に一隻くらい随伴艦を付けたらどないや? 一人で敵艦の対応やら高速修復剤の確保やらを全部こなすんは骨やろ?」

 

 龍驤の言葉を受け、長月は顎に拳を当てて考え込む様な仕草をする。

 

「なるほど、一理ある。ならば、誰か一隻――」

「じゃあ、アタシを連れてって」

 

 長月が言い終わるより早く、北上が名乗り出た。

 

「もう魚雷は使い切っちゃったから、どうせアタシはここにいても大した戦力にはならない。それに、何より――球磨姉は、アタシを庇って被弾したんだ。だから、その責任を取りに行きたい」

 

 覚悟を決めた眼差しで、北上は語る。球磨が被弾した経緯は、非難される事を恐れるが故に北上が伏せていた為、全員が初耳だったが――今の彼女の言葉を聞いては、誰も非難など出来る筈が無かった。

 

「――良いだろう。では、雷巡北上、我に続け!」

「了解しましたよ、っと!」

 

 主機を全力で稼働させ、二隻はバシー島に向かって駆け出した。

 その頃、球磨は――

 

「……か、はっ」

 

 ――今にも倒れそうになりながら、霞む目を歪な腕で擦りながら、血溜まりの中心で、応戦を続けていた。はっきり言って、幾ら常人と比べて強固な肉体を持つ艦娘とは言えど、その光景は異常だとしか言いようが無い。普通ならば、とっくに痛みか失血で気を失っている筈であるし、そうで無くとも満身創痍の状態で大量の敵を相手にしては、一瞬で圧倒されるのが関の山だ。

 しかし、球磨は未だに意識を保ち、敵の攻撃を捌いている。それを可能にさせているのは、意地か、誇りか、あるいは恐怖か――

 

「あ――」

 

 ――だが、いずれにせよ、限界はいつか来る。

 ふらついていた脚が、ついに崩れて盛大に転倒する。赤黒い斑点模様に染まったボロボロの球磨型制服が、余す事無く赤に侵食されて行く。当然、深海棲艦が、その隙を逃す筈も無い。

 

「……クマ」

 

 ――妹達と打ち解けようと使い始めた、わざとらしい口癖が、最期に自然と口から出たのが、何だかとても、可笑しかった。

 

「――死ぬなあああああああああああああああああ‼︎ 球磨姉ええええええええええええええええええ‼︎」

 

 ――意識が途切れる直前に、北上の声が聞こえた気がした。でも、きっと幻聴だ。あいつだったら、こんな大声で叫んだりしない。そもそも、とうに撤退している筈だ。

 ああ、でも。幻聴でも良いや、最後に聞かせてくれよ。

 ――私は、ちゃんと、お姉ちゃんで、いられたか?

 

    ◆◆◆

 

「――死ぬなあああああああああああああああああ‼︎ 球磨姉ええええええええええええええええええ‼︎」

 

 ――今にも命尽きようとしている姉を救うべく、今まで出した事も無い程の大声で叫びながら、北上は先行していた長月を追い抜きつつ、周囲の敵艦目掛けて主砲を乱射する。重雷装巡洋艦という艦種の特性上、雷撃はともかくとして、砲撃など実戦では殆ど行わないが為に、決して精度は高くないが、それでも深海棲艦達の意識を逸らすには十分だ。

 

「全く――長月、砲戦開始するぞ!」

 

 北上に続く形になりながら、長月も砲撃を開始する。十二センチ砲弾が敵艦を次々と貫き、幾つもの火柱が立つ。

 

「球磨姉!」

 

 倒れ込んだ球磨に、駆け寄る北上。

 

「――その様子だと、一刻も早く高速修復剤を使用する必要があるな」

 

 追い付いた長月が、球磨の様子を見て言う。顔に生気が無く、体温も低いが、息はある。重傷に多量失血にと、常人ならば間違い無く死んでいる筈だが、そこは艦娘、艤装は生命維持装置としての役割も持っている。しかし、当然限度という物は存在するし、球磨の状態や経過した時間から考えて、猶予は殆ど無いだろう。

 

「雷巡北上は、軽巡球磨を船渠へと運べ。高速修復剤が保管されているとしたら、そこだろう」

「分かった! けど――あんたは?」

 

 球磨の身体を担ぎ上げながら、問い掛ける北上。

 

「――足止めが必要だろう?」

 

 長月はそう言って、振り返らずに砲塔だけを後ろに向けて砲撃する。放たれた砲弾は今にも長月に飛び掛らんとしていた駆逐イ級の眉間を貫き、爆散させた。

 

「ここは、任せろ」

「――任せた!」

 

 こいつならば、大丈夫だ。北上は確信し、既に無人となった軍施設へ向かって走り出した。

 

「さて――」

 

 長月は北上の背中を見送り――不意に振り返りつつ主砲を連射する。正確無比な砲撃は次々に深海棲艦を葬り去って行く。

 

「――ここから先は、今をもって通行止めだ」

 

 魚雷発射管から魚雷を抜き取り、深海棲艦の群れに向かって放り投げ、主砲で撃ち抜く。魚雷が爆散し、複数の敵艦を巻き込む。

 

「お引き取り、願おうか!」

 

 敵艦の攻撃を回避しながら、的確に急所を撃ち抜いて対処する。言葉にすれば簡単で、つい先程まで球磨も同様の事をしていた訳だが――常識的に考えて、新人駆逐艦が、一隻で対応出来る許容量をどう見ても超えた数を、的確に処理するなど、有り得ないと言って過言では無い。

 しかし、現に長月はそれをやってのけている。彼女の天性の飲み込みの早さと、無感情さから来る冷静で客観的な思考が、艦娘としての能力を限界近くまで引き出しているのだ。こと艤装の扱いと咄嗟の判断力においては、長月はベテランの艦娘にさえ匹敵すると言って良い。

 

「――不味い。このままだと、弾薬が足りん」

 

 ――だが。あくまでも、どこまで行っても、彼女はただの艦娘でしかない。

 

「――雷巡北上、まだ掛かるか?」

『今、船渠のそれっぽい所を漁ってる!』

 

 無線越しに伝わる、やや焦りの含まれた北上の声。

 

「そうか。なるべく急いでくれ」

『言われなくても!』

 

 無線を切る。主砲の残弾は僅か。突破の際に、率先して敵を撃破し続けたのが、今になって仇になった形だ。一発。二発。砲撃を行う度に、自身が持つ深海棲艦への対抗手段が減って行く。しかし、だからと言って撃つ事を止めれば、当然の様に深海棲艦達の餌食になるだろう。勿論、深海棲艦達は長月の事情などお構い無しに、相変わらずの猛攻を続ける。

 

「くそっ――!」

 

 ――そして、遂に。長月の手持ちの弾薬が、全て尽きる。一応、機銃の弾薬は残ってはいるが、七・七ミリ弾程度では駆逐艦の装甲にすら弾かれる。

 

「――!」

 

 砲撃が止んだ隙を狙って、駆逐ロ級が長月に飛び掛かる。

 

「させ――るかっ!」

 

 長月はそれを回避し、ロ級の横腹に向かって回し蹴りを叩き込む。ロ級は多少吹き飛ばされたものの、当然ながらただの蹴りで戦闘不能に陥る程に、深海棲艦は柔では無い。すぐに起き上がり、他の深海棲艦達と連携しながら長月目掛けて砲撃を開始する。既にまともな対抗手段が無く、敵弾を正面から受け止められる程の装甲も無い長月には、ひたすら砲撃を回避し続ける以外に道は残されていない。もっとも、自身の生存を優先するならば、今すぐ後退するのが最適解なのだが――足止めという役目を引き受けている以上、それは許されない。

 

「――!」

 

 ――そして、足止めをするという事は、突破を試みる敵艦を押し返す必要もある。

 

「しまっ――」

 

 回避に集中した隙を突かれ、長月の傍を一隻の軽巡ト級が突破する。せめて意識をこちらに向けようと、長月は振り返って機銃の狙いを――

 

「――!」

 

 ――長月が意識を逸らしたのを見計らった様に、砲撃を行っていた内の一隻、駆逐ニ級が、長月目掛けて飛び掛かる。

 

「――ああ」

 

 長月はその事に気が付くと、再度振り返って回避行動を取ろうとするが――どう考えても、間に合わない。

 ――狙って私の意識を逸らしたのだろうか。だとすれば完敗だ。いや、偶然だったとしても、私の負けには違いないか。

 自分自身で嫌になる程の、あまりにも冷静で客観的な感想が長月の頭に浮かぶ。飛び掛かる深海棲艦と、間に合わないと悟りつつも回避をしようとする自分の肉体の動きが、妙に遅く感じられる。

 ――司令官。あんたは、私に感情があると言ったな。でも、それはやっぱり、間違いだよ。だって、私はこんな状況でも、恐怖一つ感じやしないんだ。そんな人間に、感情なんて、ある筈が無いじゃないか。

 心の中で呟いて、ゆっくりと近付く死を、長月は受け入れ――

 

「――間一髪、って所かな?」

 

 ――駆逐ニ級は、長月に到達する事無く空中で爆散した。直後に、軍施設へと接近していた軽巡ト級も、降り注いだ砲弾が命中し火柱と化す。

 

「なっ――」

 

 流石の長月も驚きを顔に浮かべ、目を見開く。

 

「――へっへーん! ボクの事、見直してくれた?」

 

 ――長月の背後から、聞き覚えのある声。振り返れば、そこには皐月が立っていた。

 

「お前、どうして――」

「どうして、じゃないよ」

 

 皐月は、深海棲艦の群れへと砲撃しつつ、珍しく真面目な調子の声で言う。

 

「長月がどうだかは知らないけど、ボクは長月の事を友達だと思ってるし、ボクは長月の友達だと思ってる。そして――友達の助けになれないようじゃ、友達を名乗る資格なんて無いとも、思ってる」

 

 そう続けて、皐月は顔だけを軽く長月の方に向け――

 

「――だから、助けに来た」

 

 ――満面の、笑みを浮かべた。

 

「……何だそれは。理由になっていないぞ」

「いーや。ボクにとっては、何にも変えがたい大切な理由だよ。どうしても、待ってなんかいられなくなって、つい向こうから抜け出して来ちゃうくらいにはね」

 

 呆れた様に言う長月に、あくまでも皐月はそう主張する。

 

「だから――長月は、素直にボクに助けられてれば良いの!」

 

 叫びながら前を向き直り、皐月は両手に一丁ずつ構えた十二センチ単装砲を連射して、敵艦群に向けて砲弾をばら撒く。長月が得意とする連続した精密射撃は、皐月には到底真似出来る物では無い。故に、弾幕を張って大量の敵に対応する。大まかな狙いしか付けない関係上、命中弾はそうそう出ず、当然弾薬の消耗も激しいが、一時凌ぎとしては十分に効果的であるし、皐月は主砲を二丁携帯している関係で長月よりも携行弾薬数が多く、まだそれなりの残弾がある。

 

「……全く」

 

 ――意味不明かつ滅茶苦茶な事を言う。心の中で、長月はぼやく。

 だが――その表情は、僅かに笑みを浮かべている様にも見えた。

 

「――皐月、主砲を片方貸してくれないか。私のは、弾切れでな」

「分かった!」

 

 皐月は振り返らないまま、左手に持った単装砲を長月に投げ渡す。

 

「ああ、それと――」

 

 単装砲を受け取り、前方の敵艦群へと向けて構え――

 

「――助けてくれて、ありがとう」

 

 ――小さく。しかし、はっきりと。長月は、口にした。

 

「――どういたしまして!」

 

 長月の言葉に、少しだけ意外そうな表情を見せ――すぐに表情を笑顔に変えて、皐月は応えた。

 

『――こちら雷巡北上! 高速修復剤を発見! 多分、もうすぐそっちに戻れる!』

 

 直後、無線越しに北上の声が響く。その声色からは、はっきりと歓喜の色が伝わる。

 

「こちら駆逐艦長月、了解だ」

 

 長月が、構えた単装砲を発射する。相変わらずの砲撃精度で、深海棲艦の弱点部分を的確に射抜き撃破する。

 

「さあ――あと少しだ。乗り切るぞ」

「うん! 司令官との約束、守らなきゃね!」

 

 ――ああ、そう言えば。司令官に、言われていたな。『必ず生きて、帰って来てくれ』と。

 

「――そうだな。必ず、生きて帰ろう」

 

 あの司令官は、嫌いじゃない。そのくらいの頼みは、聞いてやっても良いだろう。そんな風に考えながら、長月は敵艦を迎撃する。

 

「もっちろん!」

 

 元気良く応じながら、皐月も次々に深海棲艦を撃破して行く。

 ――単艦でも十分に敵を抑えられる長月と、長月には及ばずとも決して低くは無い実力を持つ皐月。

 

「――お待たせ致しました、っと!」

 

 二隻の力をもってすれば、北上の帰還まで耐え抜くのは難しい事では無かった。

 

「――駆逐艦長月より空母龍驤、及び軽巡多摩へ! 軽巡球磨の救出及び治療に成功! これよりそちらと合流する!」

 

 球磨を背負った北上を視界に捉えたと同時に、長月は無線を開いて龍驤達へと伝える。

 

『了解や! ――皆ぁ! あと少しの辛抱や、耐え抜くでぇ!』

『――ああ、了解したにゃ』

 

 仲間を鼓舞する龍驤に、安堵した様子の多摩の声。

 

「――二人とも、準備は良いな! さあ行くぞっ!」

 

 ――無線を切り、長月が号令を掛けると同時に、三隻は、駆け出した。

 

    ◆◆◆

 

 ――球磨が瞼を開くと、白い天井がまず最初に目に入った。彼女が何度もお世話になっている、療養室(ドック)の天井だ。

 

「――え?」

 

 慌てた様に身体を起こす、球磨。

 ――どう見てもここは基地の療養室(ドック)だし、自分はベッドの上にいる。間違い無い。

 

「何で……球磨は、生きてるクマ?」

「そうねー、主に長月っちのおかげかな?」

 

 独り言ちた球磨の言葉に、返事が返って来る。

 

「……北上」

 

 声の方を向くと、部屋の端に置かれた椅子に、北上が腰掛けていた。

 

「入渠時間、二時間ちょっとか。意外と早かったねー。――おはよ、球磨姉。調子はどう? 左腕とか、くっ付けたばっかりだから、上手く動かないかもなんだけど」

 

 北上の言葉を受けて、球磨は自身の腕を見る。ぐちゃぐちゃに曲がった筈の両腕。先端がちぎれ飛んだ筈の左腕。しかし、その面影は何処にも無く、外見は至って正常だ。両腕を軽く動かし、様子を確認する。

 

「確かに……少し、左腕に違和感があるクマ」

「あ、やっぱり? でも、そんなに綺麗に治るなんて、再生医療様様よねー」

 

 ――高速修復剤と言えど、欠損した部位までは復元されない。だが、適切な治療をもってすれば、欠損部位の再生も可能である。

 

「まあ、その内馴染むかクマ。そんな事より――あれから、どうなったんだクマ?」

 

 そう言って、球磨はベッドを降りて立ち上がる。身体が少し重く感じたが、ふらついたり、倒れる様な事は無かった。

 

「――当然だけど、作戦は失敗。それで、今回の件について報告したら、流石の提督や石頭の偉い人達も焦ったみたいで、今横須賀はてんやわんやしてるみたいだよー。前例の無い事態だしねー」

「そりゃ良い薬だクマ。慢心するから、こうなるクマ」

 

 とは言え、流石にこんな事態になるとは、想定出来ずとも仕方が無い事だという認識は、球磨にもあった。だからその言葉は、読みが甘かったとの指摘というよりは、妹達が危険に晒された事や、危うく死に掛けた事等についての、せめてもの恨み言だ。

 

「まあ、そっちについてはアタシ達の問題じゃないし、多分向こうでなんとかするだろうから置いとくとして。――アタシ達大湊区第十五番基地第二艦隊、及び支援艦隊である大湊区第二十三番基地第一艦隊は、全艦無事に南西諸島海域からの撤退に成功。勿論、球磨姉も含め、ね」

「……そうか、クマ。しかし、一体どうやったクマ?」

「そうねー、えーっと――」

「――入るぞ」

 

 ――北上の言葉に被せるかの様に声が響き、部屋の扉が開かれた。

 

「――ああ、目が覚めたんだな」

「――提督さん。うん、ついさっきね」

 

 部屋に入って来たのは、二十三番基地の提督と、秘書艦の長月だった。

 

「元気そうで何よりだな。なあ、長月?」

「何故私に振るんだ。確かに、意識を取り戻したというのは、喜ばしい事だろうがな」

 

 相変わらずの仏頂面で、そう言う長月。

 

「しかし、何でまだ、あんたらがここにいるクマ?」

「多摩姉が、お礼に夕食でも食べてってくれって、誘ったのよ。時間的に、そろそろ帰り?」

「ああ。それで、最後に球磨の様子の確認に来たんだが――問題無いみたいだな。安心した」

 

 心から安堵した表情を見せる、提督。

 

「別に、球磨はあんた直属の艦娘じゃないんだから、そこまで心配する理由は無いクマ?」

「――関係無いだろう、そんなのは。誰かの無事を祈り、喜ぶ事に、理由など必要か?」

 

 ――球磨の言葉に、迷い無くそう返す提督の表情は、真剣そのものだ。

 

「――あんた、お人好しだクマ」

「はは、そうだな。でも、昔は違ったんだがね。お人好しの爺さんに助けられてから、かな。こうなったのは」

 

 提督は、何処か懐かしむ様な表情を浮かべ――すぐに表情を引き締めた。

 

「さて、僕らはもう、帰るとするよ」

「――ああ、待ったクマ」

 

 踵を返そうとした提督達を、球磨が引き止める。

 

「どうした?」

「――北上。球磨が助かったのは、長月のおかげだって言ったなクマ?」

「うん。長月っちの案と活躍のおかげで、球磨姉を助けられたと言って良いね」

 

 球磨の問いに対し、北上はうんうんと首を縦に降る。

 

「と、まあ、そういう事だそうだから――」

 

 そして球磨は、長月に歩み寄り――

 

「――駆逐艦長月。貴艦のおかげで、私は命を救われた。感謝の言葉をいくら述べても、足りはしないだろう。だが、それでも、あえて礼を言わせて欲しい」

 

 ――敬礼し、いつになく真面目な表情と口調で、言った。

 

「それは違うぞ、軽巡球磨」

 

 しかし、長月は礼を素直に受け取る事なく、首を横に振る。

 

「――どういう事だ?」

「私の力だけじゃない。龍驤さん、皐月、卯月、菊月、司令官、それに、多摩さんや北上さん達もそうだ。皆の力が無ければ、貴方を助けられなかったばかりか、もっと犠牲が増えていた筈だ。だから、礼を言うなら私だけじゃない。皆に、言うべきだろう」

 

 そう述べる、長月の表情と声色は、どことなく、普段よりも優しげに感じられた。

 

「――なるほど。確かに、その通りだな」

 

 納得した様に、頷く球磨。

 

「ならば、二人が代表して礼を受け取って貰えないか? 他の四人には、貴方達から伝えてくれ」

「そういう事であれば……良いよな、司令官?」

「長月が、良いならな」

 

 どこか楽しそうな笑顔で、そう言う提督。

 

「私は、構わないが」

「なら、決まりだ」

 

 そんなやり取りの後、提督が球磨の方へと向き直って姿勢を正す。長月も、それに倣う。そして球磨も、二人を見据え、再度敬礼し――

 

「――感謝するぞ」

 

 ――柔らかい笑みを浮かべ、告げた。

 

「――ああ」

 

 一言で、球磨の言葉に対し応える長月。

 

「さて――じゃあ、今度こそ、僕らは帰るよ」

「ああ、達者でクマ」

「また今度ねー」

 

 いつも通りの口調に戻った球磨と、北上に見送られながら、提督と長月は療養室(ドック)を後にする。

 

「しかし――何だよ。やっぱり、そうじゃないか」

「ん、どうした?」

 

 廊下を歩きながら提督が呟いた言葉に、疑問を呈する長月。

 

「いやいや、独り言さ」

 

 提督は、受け流すように言って――

 

「だったら、思わせぶりな事を言うな」

「はは、ごめんごめん」

 

 ――心が無い人間が、あんな風に優しい言葉を、言える訳が無いじゃないか。

 そう、心の中で呟いた。


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