Fleet Is Not Your Collection   作:萩鷲

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 その日は、酷い雨が降っていた。

 川は氾濫して、町中水浸し。そこら中が海のようになっていた。

 ――そうして、やつらは。

 

「――」

 

 べちゃり。

 目の前でよく見知った顔がぐちゃぐちゃに歪み、そのまますり潰されて床に落下する。残された胴体も、歩み寄ってくる()()()に勢い良く踏みつけられて弾け飛び、その一欠片が私の頬に張り付いた。

 

「――」

 

 ()()()は何も喋らない。ただ恨めしそうな眼で、私を睨み付ける。

 そうして、ゆっくりと、ゆっくりと。にじり寄るように、私に近付いて来る。

 ――なんだ、これは。

 なんだこれは。なんだこれは。なんだこれは。

 何なんだ、これは?

 こんなもの、夢以外にあり得ない。

 だって、そうだろう。あまりにも突拍子が無く、現実味だって欠片もない。

 それでも、噎せ返るような血の匂いが、こびり付いた肉の温度が、確かにこれが現実だと私に訴え掛けるのだ。

 

「はは……はは、は」

 

 そんな最中、私の口から発せられたのは、微かな乾いた笑いだった。

 客観的に見れば間抜けにさえ思えるような私のそんな行動に対し、しかし()()()は僅かばかりに足を止め、私の顔を一瞥する。

 ()()()にどんな思惑があったのかは分からない。分かってたまるものか、あんな化け物の思考など。

 まあだが、ともかく。

 その少しばかりの時間が、私の命運を分けたのは確かだろう。

 

「――いっけえ!」

 

 突如に響く、第三者の叫び声。

 私と()()()がその声の方向を向くとほぼ同時に、爆発音の様な轟音が耳を劈き、思わず耳を覆ってしゃがみ込む。

 暫くして顔を上げると、目に入ったのは腹に風穴を開けられて倒れた()()()と――

 

「――駆逐艦吹雪より各艦へ。民家内の重巡リ級を一隻撃破。それと……民間人を一名、保護しました」

 

 奇妙な機械を背負った、私とそう変わらない歳の少女だった。

 

    ◆◆◆

 

 深海棲艦。突如として海に現れた謎の怪物。人類の不倶戴天の敵にして目下の天敵。彼等によって、ありとあらゆる海路と殆どの空路は機能を封じられ、特に島国である我が国などは海外とのコンタクトすらも困難となった。

 そんな窮地を救ったのが、艦娘。艤装と呼ばれる兵装を身に付けた少女達の総称。海原を駆け深海棲艦を討つ、人類の希望。しかしその実態は、年端も行かぬ少女達を、深海棲艦蔓延る海上に殆ど生身で放り出し、文字通りに命懸けの戦いを強要する、控えめに言って狂気的な兵器である。更に、発案者は全くもって不明。内部構造も大半がブラックボックス。装着者は適合の為に特殊な手術を施され、場合によっては心身に異常をきたす。そんな胡散臭さの塊かつ非人道的であると誹りを受けても反論出来ぬ兵器に、それでも人々は頼るしかなかった。深海棲艦に、既存の兵器は殆ど通用しない。艦娘に頼るか、滅びるか。その二択であれば、前者を選ぶのは必然だ。

 人類の未来を背に負いて、少女達は今日も死地へと向かうべく抜錨する。

 ――そして、ここにもまた一人。

 少女は、壁に掛かった鏡を見る。顔つきこそ元のままだが、髪と瞳は身体中をいじくり回された結果か、いっそ見事な程に萌黄色に染まっている。睦月型の制服である、黒を基調としたセーラー風の服は、ついさっき初めて袖を通したところである事もあって、皺や汚れの一つも無くぴかぴかだ。サイズ合わせをした記憶も無いのに自分にぴったりな事に少女は少し驚いたが、身体の隅々まで調べ尽くされたのだ、その過程で採寸くらいしていてもおかしくないだろうと思い至る。

 ――そこに映るのは、間違いなく睦月型八番艦『長月』の姿だった。

 

『どうだね、身体に不調などは?』

 

 不意に、男性の声が部屋に響く。天井に備え付けられたスピーカーからだ。

 

「今の所は、特に」

『それは結構だ。では、これより十二時間は観察期間とする。その間は、立ち入り可能区間であれば自由に行動して良い。何か問題があれば、すぐスタッフに伝える様に』

 

 そんな事務的な要件だけを伝えて、スピーカーからの声は途絶えた。

 

「自由行動……なあ」

 

 一応、この施設の見取り図は受け取っていた。それを見る限り、殆どの場所が立ち入り禁止になっていて、しかも娯楽施設らしいものが全く無い。行きたい場所も行ける場所自体もさっぱりだ。

 まあそれでも、長月には今早急に向かいたい場所が一箇所だけあった。私物の入った小さめの鞄を手にし、割り当てられた個室を出る。先程も通った廊下は白く無機質で、かつ酷く殺風景。まるで研究所の様な印象を受けるが、その認識は概ね正しい。

 この施設では、艦娘候補が艦娘となる為の検査や手術、新装備・新造艦の開発や、深海棲艦の研究等を行っているらしい。研究所と呼んでも間違いとは言えないだろう。あるいは――実験場か。

 

「ええと……こっちだな」

 

 鞄から観光地のパンフレットの様な見取り図を取り出し、それを頼りに目当ての場所へ向かう。エレベーターで二階まで降りて、すぐ目の前。目的地はそこにあった。

 

「まあ――何はともあれ、腹ごしらえだな」

 

 長月は今日、検査やらの為だとかで、ついさっきまで食事を禁止されていた。そして、現在時刻はもう午後の四時。詰まる所非常に空腹であり、まず食事を摂ろうと考えるのは当然の帰結と言えよう。

 

「さて、何にするか――」

 

 一人呟きながら食堂へと繋がるガラス扉を押すと、室内に閉じ込められていたカレーのいい香りが廊下に広がり、長月の鼻をくすぐった。

 ――繰り返すが、長月は今、非常に空腹である。そこに来て、この仕打ち。

 ああもう我慢ならん。私はカレーを食べるぞ。今すぐに。誰が何と言おうと。

 長月はそう決意し、急ぎ足でトレイを手に取ってカウンターへ向かい、「カレー大盛り一つ」とやや早口で注文する。受付のおばさんがくすくすと笑うが、今の長月はカレー以外眼中に無い。代金を払って目当てのものを受け取ると適当に近い席に座り、申し訳程度に小声で「いただきます」と呟いた後、やや乱暴にスプーンでルーとライスとをかき混ぜ、そのまま掬って口に突っ込んだ。

 

「――っ!?」

 

 ――瞬間、固まって目を白黒させる。

 予想以上に辛い。しかも熱い。

 

「み、水……っ!」

 

 しかし、いち早くカレーを食す事を優先した為に、水は持ってきていない。

 何をやっているんだ私、カレーを食べるなら水は必須じゃないか――!

 

「はい、水」

「――っ、助かる!」

 

 そう思った瞬間、水がなみなみと注がれたコップが差し出される。細かい事を考える余裕も無く、長月はそれを受け取って一気に飲み干した。

 

「ふう……」

「いやー、さっきまでボクも食べてたんだけどさ、辛いよねそれ。見た目はそんなんでもないのになあ」

「ああ、全くだ……うん?」

 

 そこで初めて、そういえばこいつ誰だという疑問が長月の頭に浮かぶ。

 相手の姿を確認すると、そこに居たのは概ね自分と同じくらいの歳であろう顔つきと背丈の、黄色に近い金髪が目を引く少女。そして、身に纏っているのはその金髪をより映えさせる――黒を基調した色使いの、睦月型の制服。

 

「同型艦、か」

「そ。睦月型五番艦、皐月だよっ。よろしくな!」

 

 とても元気良く自己紹介する、皐月。明るい性格である事が、はっきりと伝わって来る。

 

「睦月型八番艦、長月だ」

 

 長月も名乗り返し、今度は先程のように焦らず、ゆっくりとカレーを口に運ぶ。事前に分かっていれば、食べれないような辛さではない。

 

「長月……長月かあ。確か、皐月とは縁がある艦だったっけ。第二十二駆逐隊で、文月や水無月と一緒に組んでたっていう」

「らしいな。まあ、私はあまり、そういうのに詳しくないが」

 

 艦娘にはそれぞれ元になった艦が存在し、名前を引き継いでいる。それらは概ね、先の大戦で活躍した艦艇だ。無論、長月や皐月も、その内の一隻である。

 

「こんなところで出会うのも、その辺りの縁だったりしてね」

「かもしれんな」

 

 皐月への対応もそこそこに、長月はカレーをあっという間に完食し、「ごちそうさま」と小さく呟いてトレイを返却口に置いた。皐月は、その後ろをちょこちょこと追いかける。

 

「で、私に何か用なのか?」

「うーん、特別用がある訳じゃないんだけどさ。ただ、食事も終わって暇してたところに、丁度同型艦っぽい子が来たから、声をかけてみたってだけ。ほら、ここって娯楽施設とか無いし、ボクまだ観察期間中だから外出も出来ないし、正直退屈なんだよね」

 

 確かにその通りだ、と長月は思う。せめて図書室くらいはあっても良いだろうに、それすら無いのだ。まあ、暇になる事は事前に分かり切っていたので、長月は退屈凌ぎとして本を何冊か持ち込んだのだが、皐月は読書を嗜むような人間では無かった。携帯ゲーム機の類でも持ち込めればまだ良かったのだが、機密保持等の理由から、施設内への電子機器類の持ち込みは禁止されている。

 

「そういう訳だから、話し相手にでもなってくれれば嬉しいなー、って」

「まあ……構わないが」

 

 実際、長月だって暇なのだ。その頼みを断る理由は、特に無かった。皐月は、「やったあ!」と無邪気に喜んでいる。

 

「とは言え、何を話すんだ?」

 

 長月は近くにあった座席の一つを引いて、腰掛ける。食事時にはやや早めの時間だからか、人はまばらだ。少しくらい席を使っても、咎められはしないだろう。

 

「そうだなあ……」

 

 皐月も同じように席に座ると、ロダンの『考える人』みたいなポーズをとって唸り始める。何も考えていなかったらしい。

 

「えーっと……そうだ。ここは親睦を深める為にも、お互いの身の上話でもするとか」

 

 しばらくそのまま唸っているかと思えば、皐月は割とすぐに顔を上げて、そう提案した。その動作はいちいち大袈裟で、良くも悪くも元気そうだった。

 

「初対面にしては重くないか、それは」

「言われてみれば、確かに……」

 

 ――言われる前に気付けよ。そんな突っ込みは、長月の胸の奥にしまわれた。

 

「と、言うかだな。親しくなっても、同じ場所に着任出来るとは限らんぞ? 明日までの付き合いかもしれん」

「それは、そうなんだけどさあ」

 

 今いるこの場所は、あくまでも艦娘となる為の施設であって、ずっとここに留まる訳ではない。特に、駆逐艦は需要が高く、観察期間が終わると同時に着任先を伝えられる事も珍しくないので、長月も皐月も明日中にこの場所を発つ可能性は十分にある。艦娘の拠点となる鎮守府や泊地、基地は無数に有るが、その中から着任先を決める権利は、艦娘側には無い。

 

「でもさ、一期一会とか言うじゃん? それにほら、連絡先交換すれば良いんだし」

「まあ、好きにすれば良い。――で、身の上話だったか? 雑談の話題として適切かはともかく、私は構わんぞ」

 

 長月は、何もしないよりは暇つぶしになるだろう、くらいの感覚なので、話の題材も皐月自身についても、正直に言って大した興味は無かった。だが、皐月の方はそんな長月の内心など知る由もなく、話し相手が出来て素直に嬉しそうにしている。

 

「そっか。じゃあ、言い出したのはボクだし、ボクから話そうか。えっとね――孤児院育ちなんだ、ボク。でも、それを不幸だと思った事は一度も無くってさ。先生達はみんな優しかったし、友達もいた。でも、最近は深海棲艦の事もあって、不景気でしょ? その上、元々ぎりぎりのところで運営してたらしくてさ。だから、このままだと孤児院を畳むしかないんだって」

 

 しかし、流石に身の上を語る姿は、それなりに真剣だ。長月も、一応は耳を傾けている。

 

「そこで、ボクは考えた。ボクが艦娘になれば、院を何とか出来るくらいのお金が手に入るんじゃないか、ってね」

 

 艦娘は、このご時世にしては――こんなご時世だからこそ、かなりの高給だ。徴兵制ではなく志願制で、身体中を弄くり回され、その上明日生きている保証も無い艦娘になる者が、それでも絶えない理由の一つだろう。皐月も、それが目当てだという事だ。

 

「だが、そんな金を稼ぐ前に、死んでしまうかもしれんだろう?」

「それならそれで、補償金が入るし。どう転んでも、院は立て直せる」

 

 長月のやや意地の悪い質問に、悩むことなく平然と皐月は答える。その言葉に、嘘や虚勢は感じられない。

 

「そう、か」

 

 こんな奴でも、内に秘める決意は固いのだな、と。少しだけ、長月の中での皐月の評価が改められた。

 

「まあ、ボクはそんな感じ。長月は?」

「私は……別に、面白味も無い。ただ、深海棲艦(あいつら)に個人的な()()があると、それだけの話だ」

 

 長月は、そんな風に簡潔に語る。基本的に、長々と話すのは好きでは無かった。

 

「ふーん……やっぱり多いよね、そういう人」

 

 金銭面の問題と双璧をなす志願理由と言えるのが、深海棲艦への復讐だろう。深海棲艦に何かしらの恨みを持つ人間など、数えるのも馬鹿らしくなる程に存在する。長月もその一人なのだろうと、皐月は解釈した。

 

「ま、詳しい事は訊かないけど。話していて、愉快な事でもないだろうからね」

「ああ、そうだな」

 

 頷いて、長月は何となしに窓の外の様子を見る。

 海の彼方に、黒い雲が見えた気がした。

 

    ◆◆◆

 

 皐月と長月はその後しばらく取り留めの無い雑談をし、人が増えてきたところで連絡先を交換し合ってお互いに自室に戻った。長月はその後、睡眠までの暇を読書をして潰し――翌日の朝。

 長月は、立ち入り禁止区間内の一室にいた。いや、長月だけではない。皐月を含めた施設内の駆逐艦達が、全員集まっている。

 

「これで全てか?」

「はい。総勢四名、全員の集合を確認しました」

 

 整列した艦娘達のテーブルを挟んで向かい側に、軍服の男性――恐らくは『提督』と、艦娘と思しき女性が立っている。飛行甲板を装着している事からして、航空母艦だろう。

 

「私は、この基地の防衛を任されている提督だ。急に集合をかけて済まない。だが、少々急ぎの用でな。――単刀直入に言おう。諸君らは、一時的に私の指揮下に入る事になった」

 

 提督の言葉に、駆逐艦達はざわめき立つ。

 

「慌てるのは分かるが、落ち着いて欲しい。先程、近海を哨戒していた駆逐隊が、深海棲艦と遭遇した。幸いにも犠牲者は出なかったが、奇襲攻撃で全員が中破ないし大破。敵は潜水艦と水上艦の混在編成だったらしいのだが、まずい事に私が動かせる対潜要員はその駆逐隊のみだ。周辺の海域は比較的安全な上、この基地はそもそも防衛を主目的とした物では無いから、あまり保有戦力は多く無くてな。だが、現在駆逐隊は当然全員入渠中で、とてもじゃないが出撃などさせられない。そこで、諸君らの力を借りたい。まだ配属前とはいえ、全員観察期間が終わっている事は確認している。無論、上に許可も取った。突然の実戦で不安だろうが――飛龍」

「はい、提督」

 

 提督が声をかけると、横に立っていた艦娘が一歩前に出る。橙色の着物が似合う、やや長身の女性だ。

 

「航空母艦、飛龍です」

 

 飛龍は簡単に自己紹介して、軽く頭を下げた。

 

「諸君らには、この飛龍を旗艦とした艦隊を組んでもらう。それと、もう一人航空母艦が随伴する。二隻とも頼りになる艦だ、報告にあった艦隊程度であれば、難なく撃滅出来る。諸君らは、訓練通りに対潜警戒をすれば、それで良い。危険性は少ないだろう」

 

 直後に「だからと言って油断しないように」と提督は付け加えるが、その言葉に不安がっていた駆逐艦もほっと胸を撫で下ろした。

 

「では、各艦は格納庫で装備を受領次第、速やかに出撃するように。場所はB区画の二十九だ。諸君らの健闘を祈る」

 

 提督がそう言い終わるのと同時に、艦娘達は全員提督に敬礼し、部屋を出て指示された場所に向かう。それほどの距離は無く、数分と経たずに目的地に辿り着いた。がっしりとした頑丈そうな扉を開き、全員で中へと入る。部屋は剥き出しのコンクリートに覆われた、いかにも倉庫然とした内装で、かなり広い。

 

「――ごめん、待った?」

「ううん。むしろ、思ったより早くてびっくりしちゃったくらいよ」

 

 格納庫には、先客が居た。身に付けた艤装からして、飛龍と同じく航空母艦。彼女は飛龍の後ろにいる駆逐艦達に気付くと、そちらに向き直ってにこやかに微笑んだ。

 

「貴方達が、提督が借り受けたっていう艦娘ね。航空母艦、蒼龍です。今日はよろしくね」

 

 そんな風に、蒼龍は駆逐艦達に自己紹介をする。どうやら、随伴するもう一隻の航空母艦とは彼女の事らしい。

 

「長月だ。新米と侮るなよ。役に立つはずだ」

「皐月だよっ。よろしくな!」

「巻雲といいます。頑張ります!」

「浜風です。これより、一時的に貴艦隊所属となります」

 

 駆逐艦達もそれぞれ名乗り返し、敬礼した。

 

「うん、元気が良くてよろしい」

 

 蒼龍は、その様子に満足気に頷く。

 

「――さて。それでは、速やかに出撃準備をして下さい。貴方達の艤装は、部屋奥のコンテナにそれぞれ格納されています。艦名とDestroyerの刻印があるので、すぐに分かる筈です」

 

 しかし、すぐに表情を引き締めるとそう指示を出す。その言葉に従い、駆逐艦達は倉庫の奥へと駆け出した。

 コンテナは分かりやすい場所に並べて置かれており、見つけるのにそう時間はかからなかった。駆逐艦達はそれぞれ自分の艦名が書かれた、丁度成人男性一人分程度の大きさの鋼鉄製のコンテナの前に立つと、一斉に蓋を外した。

 

「――おお、こいつは良いな」

 

 長月が、思わずそう言葉を漏らす。艤装は全てぴかぴかで、良く整備されている事が一目で分かる。だが、何より長月の目に止まったのは、魚雷だった。本来、睦月型の標準装備は三連装魚雷だが、そこにあったのは四連装の――それも、酸素魚雷。

 

「一時的とはいえ、我が艦隊所属となる以上、私達の保有する装備を使用する権利は当然存在します。ですので、皆さんにはそれぞれ四連装酸素魚雷と三式爆雷投射機、及び三式水中聴音機を支給させて頂きます。主砲と対空機銃に関しては都合が付かなかったので、標準装備を使用して貰う事になりますけどね」

 

 駆逐艦達の後ろで、飛龍がそう説明する。駆逐艦達は、ある者は初めて見る艤装の実物をまじまじと見つめ、またある者は淡々と艤装を装着している。

 多少手間取る場面がありつつも、十分も経つ頃には全員が装着を完了した。

 

「終わったみたいですね。では、此方へ」

 

 そう言って、飛龍が入口とは反対側の扉を開く。そこは外へと直通しており、すぐ目の前に桟橋があった。

 

「さあ皆さん、海に降りますよ。大丈夫、余程の事が無い限りは、沈んだりはしませんから」

 

 飛龍の言葉に従って、駆逐艦達は海面に足を付けた。その様子は慎重であったり、豪快であったり、冷静であったり、それぞればらばらだったが、降りる事を躊躇った者は一人も居なかった。

 

「お……お、おお! すっごい! 本当に浮かんだ!」

 

 ――駆逐艦達は、全員仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)を利用した実戦さながらの訓練を受けてはいる。しかし、実際に海に足を着けるのは、これが初めてだ。

 

「ねえ長月! ボク浮かんでるよ!」

「当たり前だろう。沈まれたら困る」

 

 無邪気にはしゃぐ皐月を、呆れ顔で眺める長月。巻雲と浜風も、それぞれ初めての海を感じている。

 

「最初は落ち着かないかもしれませんが、すぐに慣れます。それと、私達が付いているとはいえ、気は抜かない様に。航空母艦は、基本的に潜水艦に対して無力です。貴方達が――頼りなんですから。その事は、ちゃんと頭に入れておいて下さい」

 

 ――飛龍の言葉に、駆逐艦達の表情が変わる。そう、彼女達が任されている事は、中々に大役なのだ。仕事を仕損じれば、艦隊の壊滅に繋がる可能性すらある。

 

「分かりましたか? それでは――航空戦隊、出撃します! 続いて下さい!」

 

 飛龍の言葉を皮切りとして、全員が主機(推進機関の事を指す)を起動する。六隻とも高速艦に分類されるだけの事はあり、順調に速度を上げて行き、三十ノット程度まで加速する。足並みを揃えられる速度としては殆ど限界ギリギリ、いわゆる最大戦速だ。深海棲艦を万が一にも上陸させない為にも、なるべく急ぐ必要がある。

 

「輪形陣を取ります! 先頭は、長月にお願いします!」

 

 飛龍が声を張り上げる。この距離であれば、無線を介せずとも大声であれば十分に聞き取る事が出来た。

 

「了解した!」

 

 長月も同じ様に声を張り上げて応えると、速度を少し上げて先頭へ出る。飛龍と蒼龍を囲う様に、前に長月、右に巻雲、左に浜風、後ろに皐月。因みに、前方警戒という比較的重要な任を長月が任されたのは、訓練時の成績が四人の中で最も高かったからである。性能こそ低めの睦月型だが、それを補うだけの技量が長月にはあると飛龍は判断した。

 

「偵察隊、発進!」

 

 航行したまま蒼龍が弓を引き、矢状の艦載機を放つ。空高く飛んだ艦載機は遥か上空で分裂、変形し、旧海軍の艦上偵察機『彩雲』を模した形態をとる。『我ニ追イツク敵機(グラマン)無シ』の逸話は伊達では無く、あっという間に時速六百キロメートルを優に超える速度まで加速し、点になって消えた。

 ――その後、飛龍達はしばらく航行を続けるが、結局敵と遭遇する事無く、敵艦隊が位置すると予想される地点まで辿り着いた。足を止めて周囲を見渡すが、敵影は無い。

 

「居ない……わね。聴音機にも、反応が無いみたいだし。蒼龍、偵察機からの情報は?」

「今の所は、特に――あら?」

 

 飛龍から声をかけられた蒼龍が、急に怪訝な顔をする。

 

「どうかした?」

「いや、敵艦隊を補足、したんだけど……二手に分かれているわね。南西方向に、戦艦と、多分潜水艦が二隻。もう片方は南東方向で、重巡、軽巡、駆逐艦」

 

 内訳こそ報告と同じだが、撹乱の為か、それとも何か策でもあるのか、敵艦隊は三隻ずつに分かれて基地へと向かっていた。

 

「うーん、それぞれの距離は、かなり離れてるわね。同時に相手するのは、ちょっと無理かな」

「そうなると、各個撃破するか、自分達も艦隊を分けるか――か」

 

 飛龍は考える。各個撃破なら、確実に勝てるだろう。しかし、素早く撃破しなければ、後回しにした側が陸まで辿りつく可能性もある。一応、基地にはまだ防衛戦力があるが、基地ではなく民間居住区の方へ向かわれたら事だ。艦隊を分ければ、その可能性は考慮せずに済むが、代わりに自分達の危険性が高まるだろう。つまりは、民間人を取るか、自分達を取るか。

 

「――此方も、艦隊を二手に分けましょう。長月、皐月は私と南西へ。巻雲、浜風は、蒼龍と南東へ向かって下さい」

 

 勿論、そんな物は比べるまでも無い。民間人に危険が及ぶ可能性は、徹底的に排除するべきだ。例えそれが、自分や相棒、新米達を危険に晒す行為であったとしても。それに、別に勝てない相手という訳では無い。順当に行けば、艦隊を分けても充分な余裕を持って撃破出来る筈だ。飛龍はそう判断した。

 

「分かりました。巻雲、浜風、行きますよ!」

「はい、頑張ります!」

「了解しました」

 

 飛龍の意図を、蒼龍も察したのだろう。すんなりと了承し、二人を引き連れて迎撃へ向かった。

 

「では、私達も行きましょう。全艦、目標地点まで移動、急いで!」

「了解だ!」

「まっかせてよ!」

 

 飛龍達も主機を再起動し、敵艦が確認された場所へと向かうのだった。

 

    ◆◆◆

 

 南西に向かった飛龍達は、道中特に問題も無く、敵艦と接敵する事に成功した。

 

「――右、対潜攻撃用意!」

 

 長月の右手首の装備枠(ハードポイント)に増設された爆雷投射機から、三式爆雷が発射される。放たれた爆雷は綺麗な弧を描いて敵潜水艦付近に着水し、爆発して大きな水柱を立てた。

 

「潜水カ級、撃破確認だ!」

「やるじゃん、長月!」

 

 皐月はそう言いつつ、自身も爆雷を投射する。最初こそ的外れな場所に飛んで行ったものの、二発、三発と回数を重ねる度に、狙いが正確になる。

 

「沈んじゃえ!」

 

 そして、四発目でついに、狙い通りの場所へと着水する。水圧信管が作動し、敵潜水艦のすぐ側で爆雷が炸裂、水柱が立つと同時に潜水艦の反応が消滅した。

 

「皐月も、中々やるじゃないか!」

「へっへー。それ程でも、あるかもね!」

 

 軽い調子で言いつつ、皐月は航跡でくるりと円形を描いて見せる。「あまり調子に乗るんじゃない」と長月に突っ込まれるが、皐月はまるで気にせずにけらけらと笑っている。

 

「うん……本当に凄いわよ、二人とも」

 

 そんなやり取りをしている二人に、後方で待機していた飛龍が近づいて来る。

 

「初めての実戦とは、信じられないくらいです。でも、まだ油断をしては駄目――ほら、向こうを見て」

 

 その言葉に従い、二人は飛龍が指差す方へと視線を向ける。遠くの方に、敵影が見えた。

 

「あれが、敵の戦艦か」

 

 距離は遠く、点の様にしか見えないというのに、それでもひしひしと伝わる威圧感が、楽な相手では無いという事をはっきりと伝えて来る。

 

「二人とも。行けますか?」

 

 飛龍が、真剣な顔で問いかける。無駄な犠牲を出す必要は無い。もし二人が尻込みしてまともに戦えないようであれば、自分一人で何とかしよう、と。そんな事を、内心で考えながら。

 

「当然だ。この主砲と魚雷は飾りでは無い」

「そーそー。戦艦相手だろうが、やってみせるよ!」

 

 しかし、そんな飛龍の心配をよそに、二人は弱気な言葉を一切吐かなかった。

 

「そっか……そうよね」

 

 その返答を聞き、飛龍は心の何処かで彼女達を侮っていた事を反省する。新米だろうと、自分よりずっと小さかろうと、この二人は艦娘なんだ。その心に秘めた物が、並大抵の物である筈が無い、と。

 

「では――長月、皐月の両名は、敵戦艦に接近し、砲雷撃戦を敢行して下さい!」

「心得た! 長月、突撃する!」

「よーし、ボクの砲雷撃戦、始めるよ!」

 

 飛龍の号令に応じ、二人は主機を全開にする。カタログスペック上の睦月型最高速度、三十七・二五ノットまでは一瞬だった。魚雷と双璧を成す、駆逐艦が誇る武器――それこそが、この速度だ。設計が旧式故に一般的な駆逐艦の水準未満の性能しか無い睦月型とはいえ、速度については決して他の駆逐艦に劣らない。ましてや、相手が鈍足な戦艦であれば、その優位性は殊更だ。

 

「■――」

 

 敵戦艦、戦艦ル級が低く唸る。接近する二人を捉えたらしい。背負われた三連装の十六インチ砲(実際に十六インチある訳では無く、概ねそれと同等の威力があるという目安。艦娘達の武装も同様)が二人の方を向き、火を吹いて鋼鉄の礫を放つ。

 

「当たって――たまるかっ!」

 

 長月が、向かって斜め右へと急転換する。直後、そのまま直進していたら長月が航行していたであろう場所には、大きな水柱が立った。しかし、そんな事は全く意に介せず、二人は敵艦だけを見据えて突撃を続ける。

 

「■――!」

 

 再び、ル級が砲撃を試みる。今度は、主砲だけでは無く十二・五インチ連装副砲も使い、乱射して文字通りに鉄の雨を降らせる。しかし、長月も皐月も、小刻みに軌道を変えてそれら全てを回避する。

 

「右、砲雷撃戦、用意!」

 

 ル級の砲撃が一旦止むと同時に、睦月型の主砲である十二センチ単装砲の有効射程圏内に入った長月が、砲撃を開始した。だが、駆逐艦の主砲、それも特型等に標準搭載されている十二・七センチ砲よりも低火力の十二センチ砲では、戦艦にしてみれば蚊に刺された程度でしか無い。長月が放った砲弾はル級に直撃こそした物の、被害らしい被害を与えた様子は無く、平気な顔で再度主砲を長月へと向けた。

 

「――おーっと? ボクの事、忘れてないかな?」

 

 しかし、真後ろから放たれた砲弾に妨害され、狙いが定まらない。長月が気を引いている間に、皐月が後ろに回り込んでいたのだ。死角からの攻撃に、ル級の動きが一瞬止まる。

 

「合わせろ、皐月!」

「分かってるよ、長月!」

 

 その隙を、逃さない。

 

「――酸素魚雷の力、思い知れ!」

 

 長月の雄叫びと共に、二人の足首に括り付けられた二基八門の魚雷発射管から、一斉に酸素魚雷が放たれる。魚雷は放射状に広がり、ただでさえ鈍足なル級の逃げ場を奪う。ル級は回避行動を試みるが、当然避け切る事など出来ずに、何本かの魚雷がル級の喫水下で爆発を起こした。

 

「■■――!」

 

 流石のル級も無傷では済まされず、装甲や武装の一部が破損――いわゆる中破状態となる。しかし、ル級に戦闘を中断し撤退しようという様子は無く、無事な砲塔全てを二人に向け、抵抗の意思を見せた。

 

「ああ、悪いが――」

 

 そんな様子を、長月は微塵も意に介さず。

 

「時間切れだ」

 

 そう、小さく呟いた。

 ――それとほぼ同時に、長月の真横を何かが横切る。その姿こそ視界に捉えられずとも、劈く様な喧しいレシプロの音と、勢い良く風を切る音とは、その場にいる全員が聞き取れただろう。

 

『友永隊……頼んだわよ』

 

 飛龍の独り言が無線越しに長月と皐月に届くと共に、艦上攻撃機『天山』による攻撃隊が一斉に航空魚雷を放つ。水面すれすれから投下された魚雷は、正確にル級へと向かって行く。

 

「■■■■――!」

 

 損傷により元々低い速力が更に低下し、もはやまともな回避行動など取れないル級にとって、攻撃隊の接近を許した時点で、詰みだ。無数の魚雷が喫水下で爆発し、爆炎と共にル級は水底へと沈んで行った。

 

「――二人とも、お見事でした」

 

 その様子を見届けていた長月と皐月の元に、飛龍が合流する。

 

「二人が気を引いてくれたおかげで、安全に攻撃隊を接近させる事が出来ました。もっとも、私だけ安全な場所から手柄を横取りした様な形になってしまったのは、少々申し訳無く思いますが……」

 

 勿論、こういう戦法を取る事は道中で事前に伝えてあったし、二人の同意の上での事だ。それでも、二人を盾にする様な行為に、飛龍は少なからず負い目を感じていた。

 

「でも、それが空母のお仕事じゃない? ね、長月?」

「まあ、そうだな。後方(アウトレンジ)から敵艦に打撃を与える、それも一つの空母の役目だ」

 

 しかし、飛龍の憂いをよそに、二人はそんな言葉を返す。

 これでは、どちらが先輩だか分かったものでは無い。飛龍は内心でそんな事を思いながら、小さく苦笑いをした。

 

「本当に頼もしいですね、二人は。若手が頼もしいと、安心出来ます」

「ちょっとちょっと、飛龍さんはまだまだ行けるでしょ。どうすんのさ、そんなに弱気で」

 

 皐月に言われて、飛龍ははたと気付く。言われてみれば、今日は何だか思考が後ろ向きだ。帰ったら、蒼龍と一緒に一杯やって、景気付けでもした方が良いかも知れない。

 

「まあ、任務は完了です。蒼龍達と合流して、帰りましょう」

 

 そう言いつつ、飛龍は無線の出力を上げて蒼龍へ連絡を試みる。恐らく、向こうもそろそろ終わっているだろう。

 ――しかし。

 

「おかしいわ、応答が無い」

 

 幾ら呼び掛けても、返って来るのはノイズだけ。出力不足? いや、そんな筈は無い。だとすれば、電波障害だろうか? それとも、無線機のトラブルか?

 

「確認に向かった方が良さそうね。各艦、巡航速度で私に追従して下さい」

 

 飛龍がそう言い、三隻は蒼龍達が向かった地点へ向けて航行を開始する。

 

「天気……悪くなって来たね」

 

 ――道中、皐月がそう呟く。空は黒く染まり、小雨が三人の髪を濡らしていた。目的地に近付くにつれ雨足は段々と強まり、辿り着く頃には、すっかり嵐になった。

 

「視界が悪い……偵察機を出しても、これじゃあ効果は薄そうね。仕方無い、各艦は散開して、それぞれ捜索を行って下さい」

 

 無線に対する応答は、未だに無い。念の為本部に連絡を取ったが、何も報告は無いという。であれば、この辺りにいる可能性が高い。飛龍はそう判断して、周辺の捜索を開始した。とは言え、電探を装備していない三隻にとって、嵐の中での捜索は中々に困難だ。何の成果も無く、時間だけが過ぎて行く。

 

「長月、そっちはどう?」

「駄目だ。全く見つからん」

 

 長月は首を横に振り、皐月は肩を落とす。さっきからずっと、こんな調子だ。

 

「じゃあ、ボクはあっちを調べて来るよ。長月は、一旦飛龍さんと合流して、進捗を聞いて来てくれないかな。まあ、向こうも似たようなもんだとは思うけど」

「了解だ。気を付けろよ」

 

 二人は会話を終え、別々の方向へと向かう。

 

「しかし……電波障害か。厄介だな」

 

 先程まで問題無く使えていた筈の無線は、いつの間にか繋がらなくなっていた。その為、情報を共有するには、一旦合流する必要がある。長月は探照灯の明かりと、自身の眼と感覚だけを頼りに、飛龍の元へと向かった。

 

「あ……長月。どうですか?」

 

 しばらくして、何とか飛龍と合流する事に成功する。

 

「成果無し、だ。皐月も同じく」

「うーん……やっぱり、一旦基地まで戻って、捜索隊を改めて編成した方が良いかもしれないわね。燃料も、減って来た頃だろうし」

 

 そう言って、飛龍は残燃料を確認する。基地まで戻るには充分な量だが、このまま捜索を続けるには、少々不安だ。

 

「そうね、そうしましょう。それに、ひょっこり帰って来てるなんて事もあるかも知れないし。皐月と合流して――?」

 

 そこまで言ったところで、気になる物が飛龍の視界に入った。

 ――あれは、まさか。

 

「っ――!」

「お、おい! どうしたんだ!?」

 

 長月の呼び掛けに応える事をせず、飛龍は視界に入った物を確認すべく、主機を全開にして流されて行く()()の確認に向かう。長月はその後を追おうとするが、すぐに振り切られて見失ってしまった。

 

「見間違いよ、見間違いに決まってる――」

 

 そう呟きながらも、飛龍は全速力で以って()()を追い掛ける。

 でも。いや、そんな筈は。しかし、あれはどう見ても――

 

「――嘘」

 

 ――そこに、浮かんでいたのは。蒼龍の、飛行甲板の破片だった。

 

「嘘よ。こんなの。こんな海域で、蒼龍が沈むわけ無いじゃない。ねえ、そうよね」

 

 飛龍の顔から、血の気が引いて行く。思考が停止し、頭が回らなくなる。

 

「いやいや……別に飛行甲板が破損したら沈むって訳じゃないわよね。私ったら焦っちゃって。あーもー、嫌だなあ」

 

 それでも何とか心を落ち着けようと、わざとらしい口調でそう自分に言い聞かせて、飛行甲板を拾い上げる。

 その端に、何かがくっついていた。

 

「え……?」

 

 ()()が何であるか、飛龍には最初、理解出来なかった。いや、正確に言えば、その表現は適切では無い。

 理解、したくなかった。

 ()()が何なのかくらい、子供にだって分かるだろう。ただ、脳が理解を拒んだのだ。だって、これは――

 

「そう、りゅう?」

 

 ――手が。

 手首から先の無い、右手だけが。縋る様に、しがみついていた。

 

「あ……あ、あ」

 

 分かりたくも無いのに。気付きたくも無いのに――それが、自身の相棒、蒼龍の一部分だと、飛龍は直感的に理解した。

 理解、してしまった。

 

「――あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 その瞬間、飛龍の中の何かが切れる。その場に蹲り、子供の様な喚き声を上げる。

 飛龍にとって、蒼龍はただの仲間に留まらない、特別な存在だった。幼馴染で、親友で、家族同然で。一緒に様々な困難を超えてきて、これからだって、ずっと一緒にやって行くつもりで。それが、こんな。こんな、所で――

 ――ぐちゃり。

 

「あ――――」

 

 ――()()()()()

 そう言わんばかりに、突如として海面から出現した大腕が、飛龍の身体を握り潰す。抵抗する暇も、何が起こったのか認識するだけの余裕さえも、飛龍には与えられなかった。

 踏み潰された柑橘類の如き様となった飛龍の肉体からはおびただしい量の血液が吹き出し、指の隙間から溢れ出て海を朱に染めていく。

 

「――」

 

 少し置いて大腕の主が浮上し、既にただの血と肉と骨とが混ざったぐちゃぐちゃの塊と化した飛龍()()()()()を、ポップコーンでも頬張るかの様な軽い調子で自身に備わった捕食機関へと放り込んだ。

 

「――飛龍さん! そこに居るのか⁉」

 

 その直後、先程の飛龍の悲鳴を聞き付けた長月が到着し、声のした方に首から下げた探照灯を向ける。

 しかし、そこに飛龍の姿は無い。あるのは、くちゃくちゃと、生肉を咀嚼するような音と。ばきばきと、固いものを噛み砕くような音と。紅く染まった、海面と。『ヒ』の一文字が描かれた、飛行甲板の破片と。そして、大顎をゆっくりと上下させる、腕と捕食機関の備わった巨大な下半身から、人間とそう変わらぬ上半身が生えた歪な姿をした深海棲艦――装甲空母鬼の姿だった。

 何が起きたのか、何が起きているのかを察した長月は、絶句して、足を止める。

 

「■――」

 

 そんな長月の姿を、装甲空母鬼が捉える。顎の動きを止めて嚥下する仕草を見せると、備わった十六インチ連装砲を長月へ向けた。

 

「ああ――何だ」

 

 そして、長月は。

 

()()()()()()()()()

 

 ――酷く冷たい表情で装甲空母鬼を睨んで、吐き捨てた。

 同時に、長月は主機を全開にし、装甲空母鬼へと向かって突撃を開始する。燃費も機関への負担も全く考慮しない、文字通りの全力から生み出される推進力は、一瞬の内に長月の航行速度を三十七・二五ノット以上まで加速させた。装甲空母鬼の放った徹甲弾は長月の遥か後方に着弾し、大きな水柱を立てる。

 

「■■――!」

 

 装甲空母鬼は、長月のその行動に多少意表を突かれつつも、再度の砲撃と、何処からともなく現れた艦爆隊により、迎撃を試みる。

 

「当たるか、そんな物!」

 

 しかし、長月は怯む事無く、至近弾が飛び散らした水飛沫を浴びようと、想定以上の酷使に缶とタービンが悲鳴を上げようと、砲撃と爆撃の嵐を掻い潜りつつ、一切減速せずに突撃を続ける。その速度は、『鬼』と呼称される程の実力を持つ装甲空母鬼であっても、容易に捉えられる物では無い。そして、何よりも装甲空母鬼にとって想定外なのは、長月にまるで恐怖する様子が無い事だ。艦娘と言えど、中身は人間だ。感情は存在する。勿論、恐怖のあまり戦えない様な者は、適性検査の時点で振るい落とされるが、それでも『鬼』や『姫』を前にすれば、掠っただけでも致命傷になりかねない砲弾と爆弾の雨の中であれば、誰だって恐怖するし、それによって無意識的に怯んだり、多少なり冷静さを欠くのが普通である。全く恐れを感じないなど、人間としてあり得ない。一見恐怖していない様に見えても、それは心の奥に恐怖を押し込めているか、恐怖を上回るだけの勇気を振り絞っているかのどちらかの筈だ。

 

「捉えた――!」

 

 だが、長月は知っている。自分には、本当の意味で恐怖心が無い。いや、それ以前に――

 ()()()()()()が、無い。

 故に、如何なる状況であろうとも、彼女の足が竦む事は無い。

 

「■■■――!」

 

 至近距離。大型で旋回速度の遅い十六インチ砲の狙いは付け辛く、爆撃は装甲空母鬼自身を巻き込みかねない、長月にとって絶好の距離。もっとも、装甲空母鬼の武器はそれだけでは無い。飛龍を屠った大腕が、ここぞとばかりに長月に伸びた。

 

「邪魔を、するなっ!」

 

 しかし、長月の両足首に括り付けられた、次発装填済みの魚雷発射管から放たれた酸素魚雷が、それを阻む。計八本の魚雷は両の大腕に直撃し、手首から先を吹き飛ばす。

 

「■――」

 

 だが、装甲空母鬼にとって、それはむしろ好機と言えた。魚雷の次発装填時には、低速で航行する必要がある。幾ら近距離であろうとも、十二センチ砲程度で装甲空母鬼の装甲を撃ち抜く事はまず不可能だ。つまり、長月は魚雷を再装填しない限り装甲空母鬼に対抗出来る手段が無いが、悠長にも次発装填を試みれば、その瞬間に装甲空母鬼の十六インチ砲か艦爆隊の餌食になるだろう。要するに、詰みだ。

 

「てええぇ――りゃあああああああああっ‼」

 

 ――但し。

 それは、海戦の常識に従えばの話である。

 

「■――!?」

 

 長月は、大腕が吹き飛んだその直後――装甲空母鬼に向かって、飛び上がった。艦娘の、常人より遥かに高い身体能力から生み出される跳躍力は、不安定な足場や艤装の重量を物ともせず、装甲空母鬼の頭部と殆ど同じ高さまで長月の身体を浮かび上げる。

 

「――捕まえたぞ、深海棲艦(ばけもの)が」

 

 長月は装甲空母鬼の上顎の真上、人型部分の真正面に着地し、命綱(ハーネス)代わりとばかりに装甲空母鬼の純白の髪を左手で鷲掴んだ。

 

「■――!」

 

 当然、装甲空母鬼も無抵抗では無い。上部に備わった十六インチ砲を回頭させ、長月に狙いを付けんとする。だが、それが完了するより早く、長月は手首の三式爆雷投射機から十六インチ砲へと向けて爆雷を発射する。計算通りに時限信管が作動し、放たれた爆雷は丁度砲塔の真横の空間で爆発した。勿論、その爆発の威力は装甲空母鬼に対して有効なダメージとなる程の物では無い。しかしながら、十六インチ砲の砲身を歪めて使用不可能にするには、十分だった。間髪を容れず、長月は装甲空母鬼の頭部へと向かって十二センチ単装砲を放つ。

 

「■■■――!」

 

 通常なら、擦り傷を付ける事すらもままならずに弾かれるだろう砲弾は、果たして装甲空母鬼の右眼をえぐり、脳漿を掻き混ぜ、頭蓋を粉砕して後頭部から突き抜けた。

 

「やはり、な」

 

 ぽっかり空いた右の眼窩からどろどろとしたどす黒い体液を垂れ流す装甲空母鬼の様子を眺めつつ、長月は自身の考えが正しかった事を確信する。艦娘だって、艤装によって肉体が強化されているとはいえ、非装甲部分を狙われれば損傷は免れないし、まして至近距離なら尚更だ。ならば、深海棲艦だって、同じだろう――と。長月は、考えたのだ。そして、その仮説は実証された。

 

「■――! ■■――!」

 

 だが、そんな様でも装甲空母鬼は両の手――大腕では無い、人型部分の細腕で長月に掴みかかり、悲鳴らしき声を上げながら抵抗する。人間ならば今の一撃は完全に致命傷だろうが、流石にそこは深海棲艦と言うべきか。

 

「煩い」

 

 しかし、長月は冷静にその手を振り払い、装甲空母鬼の両肩を撃ち抜いた。両腕が、根元から千切れ飛ぶ。飛び散った体液が、長月の萌黄色の髪を黒く染める。

 

「とっとと、沈めよ」

 

 長月は、残った左眼に十二センチ単装砲を突き付け、躊躇い無く発砲する。眼球が弾け飛び、その欠片が昨日袖を通したばかりの睦月型の制服に張り付いて染みを作る。

 

「沈め。沈め。沈め。沈め。沈め。沈め――沈めっ!」

 

 言葉と共に、放たれる砲弾。それら一つ一つが装甲空母鬼の身体を穿ち、その度に体液と肉片が飛び散って長月の身体を汚す。空いた孔からは、時折青白い臓物らしき物がはみ出る。

 

「■■――」

 

 装甲空母鬼の悲鳴が、すっかり弱々しくなる。だが、それでも最期の意地とばかりに、虚空から艦爆隊を呼び出した。無論、自身にしがみ付いた長月を爆撃すれば、確実に自分を巻き込む。しかし、そんな事はもはや関係無い。刺し違えてでも仕留める覚悟の元、艦爆隊を長月の直上から急降下させ、爆弾を投下した。

 

「――()()()()()

 

 ――そして、それこそが。装甲空母鬼の冷静さを欠かせ、自身もろとも爆撃をさせる事こそが。長月の、本当の狙いだった。爆弾が機体から切り離された瞬間を見計らって、長月は装甲空母鬼の身体を思い切り蹴り付け、後方へと大きく宙返りをする。そこはもう、爆撃の範囲外。爆撃地点に残されたのは、装甲空母鬼ただ一隻。図られた事を察し、装甲空母鬼は回避行動を取ろうとするが、手遅れだ。

 

「■■■■――!」

 

 装甲空母鬼が放った艦爆から投下された爆弾は、装甲空母鬼自身の上部装甲を貫通し、内部で大きな爆発を起こす。その爆発は上半身を完全に吹き飛ばし、船底に大穴を空け、装甲空母鬼は誘爆を繰り返しながら海中へと沈んで行った。

 その船体が完全に没した途端に、嵐が収まる。空も、少しずつ明るくなる。強力な深海棲艦は付近の天候を狂わせる時があるらしいが、先程までの悪天候もそうだったという事か。

 

「――おーい! 長月ー!」

 

 しばらくして、空がすっかり明るくなった頃、長月の背後から、自身を呼ぶ声が聞こえた。相変わらず元気そうな、彼女の声が。

 

「ここにいたんだ。いやー、ちょっと遠くまで見に行ったら、迷っちゃってさー。嵐が収まってくれたから、何とかなったけど」

 

 皐月は長月に駆け寄りながら、頭を掻きつつそんな事を言う。

 

「まあ、あの嵐だ。迷ってもそれは、仕方無いだろう」

「だよね。飛龍さんも、無茶言うよ……って、そういや、その飛龍さんはどしたの?」

 

 そこで、飛龍の姿が見えない事に気付いた皐月が、そう問う。長月は、飛龍の元へ報告に行った筈だ。となれば、合流していてもおかしく無いだろう、と。

 

「ん……ああ」

 

 そして、長月は。

 

「沈んだよ」

 

 そう、たった一言で答えた。

 

「…………え?」

「だから、沈んだ。はっきりその場を見た訳じゃないが、あれは間違い無く生きてはいないだろうな。こうなると、蒼龍さん達の安否も怪しい。捜索は一旦切り上げた方が良いな」

 

 淡々とした口調で、告げる長月。

 

「いや、待ってよ長月――」

「ああ、何があったかは気になるだろうが、詳しい事は戻ってからにしてくれ。流石に、少し疲れた」

 

 皐月の言葉に取り合おうともせず、長月は振り返って皐月に背を向けた。

 

「帰るぞ、皐月」

「うん……分かったよ」

 

 あまりにも無感情な長月を、皐月は少しばかり不気味に思いつつも――それは、彼女がどんな状況でも冷静であれる人間であると、ただそれだけなのだろうと。そんな風に自分を納得させて、長月の後ろに着いた。

 

    ◆◆◆

 

 帰投後、長月は皐月に「報告は私が請け負おう」とだけ告げ、一人提督の元へ向かった。単に、皐月はあまりそういう事に向いていなさそうだという考えもあったが、そもそも装甲空母鬼と交戦したのは自分である訳で、その際の状況を詳しく伝える事が出来るという理由の方が大きい。

 

「ん……? 長月、戻っていたのか。蒼龍達はどうだったんだ? いや、そもそも飛龍はどうした」

 

 提督は、出撃前と同じ部屋に居た。飛龍からの報告で、蒼龍達と連絡が取れなくなった事は知っている筈だが、そこから先の出来事については、当然知る由も無い。

 

「――()()()()として、戦闘結果を報告しに来た」

 

 長月がそう発すると共に、提督の表情が変わる。思わず、手元の書類を取り落とす。

 

「おい、長月。それは」

 

 それは、つまり。旗艦である飛龍に、何かあったという事で。

 

「航空母艦飛龍、轟沈。及び、航空母艦蒼龍、駆逐艦巻雲、駆逐艦浜風、行方不明。轟沈している可能性も高いが、どちらにせよ捜索は早急に行うべきだろう。遺族に骨一つ送れなくなりかねん」

「ま、待て。それは、悪い冗談か?」

 

 淡々と告げる長月に対し、提督の顔は見る見る青ざめて行く。それはそうだろう。何せ、部下の死を告げられているのだから。ましてや、自分がとても良く信頼を置いていた艦娘の。

 

「残念ながら、事実だ。詳しくは、報告書に纏めた」

 

 そう言って、長月は提督に報告書を差し出す。ここに来る前に、事務室で軽く事情を説明してパソコンを借り、簡単に纏めて印刷した物だ。提督はそれを引ったくる様に受け取ると、睨む様に目を通す。

 

「――何だ、これは」

 

 しばらくして、提督は視線を報告書から長月に移し、そう呟いた。

 

「どうした」

「どうした、では無い。想定外の敵が出現。それはまああり得る。その敵が、『鬼』クラス。なるほど、運が無かった。確かに、不意を突かれでもすれば、飛龍や蒼龍でもただでは済まないだろう。そこまでは良い。いや、良くは無いが、理解出来る。だが――その『鬼』クラスを、たった一隻で撃破? それも、ただの睦月型駆逐艦、しかも新人が?」

 

 報告書を机に叩きつけ、提督は立ち上がって長月の胸ぐらを掴んだ。

 

「――ふざけるな。そんな事が、あり得るか。それとも、その程度の相手に飛龍がやられたと言いたいのか、貴様は」

「私は、事実を書いただけだ」

 

 それでも尚、長月は臆する事も無く、そんな風に答える。

 

「ああ、そう言えば。確か、戦闘記録の保存の為に、艤装には標準で撮影装置が搭載されているのだったな? それを調べて貰えれば良い。嵐で画質は悪いだろうが、あれだけ接近したんだ。私が言っている事が嘘では無いという事くらい、判断出来るだろう」

 

 長月がそう言うと、提督は長月から手を離し、「すぐに確認する」と言って部屋を出て行った。取り残された長月は、とりあえず廊下に出る。

 

「あ、長月」

 

 すると、そこには皐月が立っていた。

 

「何か、司令官が険しい顔で向こうに歩いて行ったけど」

「まあ、色々とあってな。それよりどうした、こんな所で」

 

 先程のやり取りを説明するのも面倒だったし、何より聞いていて愉快な物では無いだろうという理解くらいは長月にもあるので、適当に誤魔化して話題を逸らした。

 

「それがさ、部屋に戻って早々呼び出されて、偉そうな人に令状渡されたんだ。中には配属先が書いてあったんだけど、すぐに向かえって事で、これから出発するんだ。で、最後に長月に挨拶しとこうと思って」

 

 そう言って、皐月は姿勢を正し、表情を引き締めて敬礼する。

 

「駆逐艦皐月より、駆逐艦長月へ。貴艦の武運を祈ります」

「――お前、本当に皐月か?」

 

 そのあまりにも立派な様子を目にした長月は思わずそう呟き、皐月は前のめりに転けた。

 

「もー! 最後くらいビシッと決めたかったのにさ!」

「済まん。つい、な」

 

 膨れっ面の皐月に、長月は頭を掻きつつ謝罪する。

 

「だが、様になってはいたぞ。恰好良かった」

「そ……そっか。そ、それなら良いんだよ!」

 

 しかし、長月の言葉で機嫌が直った様で、皐月は少し恥ずかしそうにしつつも、上機嫌な顔になる。

 

「――駆逐艦長月より駆逐艦皐月へ。此方も、貴艦の武運を祈ろう」

 

 そんな様子の皐月に、長月は先程の皐月の様に姿勢を正して敬礼する。それに気付いた皐月も、無言で同じ様に敬礼を返した。

 

「それじゃ、ボクはもう行くよ。もし着任地が近かったら、その時はまた会おうね!」

「ああ、約束しよう」

 

 そうして、皐月はやや駆け足で長月の元から離れた。暫し、一人になる。

 

『駆逐艦長月へ。至急A区画十二まで来られたし。繰り返す。駆逐艦長月へ。至急A区画十二まで来られたし』

 

 だが、すぐにそんな放送が廊下に響き渡る。それに従って、長月は指示された部屋へと向かった。立派な木製の扉を叩くと、「どうぞ、入っていいよ」と、優しげな男性の声が返ってくる。扉を開けると、中はいわゆる執務室で、奥に軍服姿の壮年の男性が一人、立っていた。

 

「やあ、初めまして。君が、長月君だね?」

「そうだ」

 

 男性は、肩の階級章からして、元帥。身に纏う雰囲気も、どことなく荘厳である。だが、その表情や口調はあくまでも穏やかだ。

 

「うちの部下が失礼をした様だね。もっとも、私だって報告を聞いた時は耳を疑った。それでも、一時的とは言え自分の部下である艦を、端から疑って掛かる等、あってはならない事だと私は思うのだよ。――映像記録は確認させて貰った。君が装甲空母鬼と交戦し、撃沈するまでの一部始終が、確かに残っていた」

 

 元帥はそこまで言って、机の上に置かれた細長い木箱を手にとった。

 

「本来ならば、艦が表彰ものの戦果を上げた場合、その名誉は指揮官たる提督の物となるのが通例なのだが――これは君が受け取るべきだろう。書類上は作戦時も未所属だった様だし、問題あるまい」

 

 そう言って、その木箱を長月に差し出す。受け取って蓋を開ければ、そこには煌びやかな装飾の施された軍刀が収まっていた。

 

「勲章代わりだ。君の功績は、金鵄勲章にも値する」

「それは、光栄だな」

 

 金鵄勲章といえば、この国で軍人に与えられる勲章としては最高位と言って良い名誉ある勲章だ。だが、それを伝えられても、長月は別に嬉しくも何とも無かった。

 だって、自分が欲しいのは栄誉でも功績でも無い。私が欲しいのは――

 

「それと、だ。君の着任先が決まった」

 

 そんな長月の思考を中断させるかの様に、元帥はそう伝えて令状を手渡した。内容は、次の通り。

 ――駆逐艦長月、個人名・長岡つみき。上記の者を、大港区第二十三番基地に配属とする。

 

「交通費はこちらで支給する。事前に預かっていた君の私物も、着任先に郵送してある。出撃帰りで疲れているところ申し訳無いが、準備が済み次第すぐに出発して欲しい」

「了解した」

 

 長月は姿勢を整えて敬礼する。

 

「君の一層の活躍を願っているよ。海軍上層部としても、私個人としてもね」

 

 元帥も敬礼を返し、それが解かれたのを確認してから長月は部屋を出る。

 

「――私は別に、活躍なんてしたくもないよ」

 

 去り際に小さく吐き出された言葉は、元帥の耳には届かなかった。


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