「ハローハロー! ハローガール! ハローワールドォ! 今夜も窓からこ! ん! に! ち! わ! 君の瞳の蛮族比呂くんだよ! さて、よっこらしょっと」
予め鍵の開けてある窓からよじ登る様に病室の中へと入り込む。摩理の病室は病院の上層に設置されている為、普通は階段なりエレベーターなりを使わなきゃいけないが、身体能力にそれなりの自信があるならパルクールやウォールクライミングの要領で簡単に壁の出っ張りを足場に上り切る事が出来る。一度目は確かめる様に、二度目からはそれを確定させる様に、三度目となればもう完全に覚え、そして慣れる。
そうやって再び、花城摩理という少女の病室へと侵入する事に成功する。そこには患者服姿の摩理がベッドの中から呆れた視線を向けているのが解る。それに一切気にする事無く病室の中へと入ると、背負っていたリュックを前に持ち、それを開けて中からお土産代わりに購入してきたお菓子の類を取り出す。
「本日のお土産はマスタードーナッツの新作五種類。あとはコンビニで適当に買ってきたタコスチップスとか色々。消臭スプレーも持ってきたから食べ終わった後に臭いも残さない新説仕様。こういう細かな気配りが俺という蛮族を他の一般蛮族とは違う文明的蛮族である事を証明する。つまり俺は蛮族一号と蛮族二号とは違うレベルに立っているハイブリッド蛮族……!」
「……また来たんだ」
おう、と摩理の言葉に応えながら、リュックの中から紙皿を取り出して適当に選んだドーナッツとチップスを乗せて摩理の横、手の届く範囲に置く。その後で前々から食べたいと目をつけておいたドーナッツを手に取る。このドーナッツはなんでも、ドーナッツ生地ではなくクロワッサン生地がベースとなっているらしい。キャラメルにナッツと、それにシナモン。かかっている物どれもが食欲を誘う。コマーシャルで見た時から食べたかった物の一つだ。
という事でお金には幸い余裕がある、遠慮する事無く購入してきた。ついでに珈琲が合うという事だから保温水筒の中に缶珈琲の中身をぶち込んで持ってきた。キャップの部分に珈琲を注ぎ、それを片手にドーナッツを食べる。口の中が甘くなったところで珈琲を口にし、それを流しながらもう一回ドーナッツを食べる。一回珈琲で口の中を流しているので、もう一度あの甘さを感じる事が出来る。
実に幸せである。
「あの……」
「うん? メシテロにならない様にお前の分も普通に買ってきたんだけど、違うのが欲しい?」
「違う、そうじゃない」
そう言いつつ摩理がはむはむ、と可愛らしく小口でドーナッツに齧りついている。ならばなんだろうか、と一瞬だけ考えて成程。こいつも珈琲か、と気づく。あらかじめ用意しておいた紙コップに珈琲を注ぎ、それを解っているんだよ、という一言と共に摩理の横のテーブルに置く。それを手に取りながらも摩理は違う、と言う。
「なんでここにいるんですか」
「面白そうだから?」
「もうそれでいいです……」
ドーナッツを口の中に放り込みつつ笑う。真面目な話、それだけが理由だからだ。だからそうだなぁ、と言葉を置く。こうやって摩理の病室にお邪魔して夜の密会をするのも二回目や三回目ではない。だから虫憑きに関する話題だって尽きている。摩理がまだ情報を持っていて、隠しているという可能性も捨てきれない。しかしそういう事には一切興味はない。虫憑きに関して知れたからそれはそれでいいのだが、
「もう知ってると思うけど、俺は快楽と趣味の人間だからな。やりたい、と思ったら実行するし。好きだ、って思ったら遠慮しないし。―――オラ、俺が同情なんかを理由に会いに来るような真っ当な人間に見えるかよ!」
「見えない……ですね。うん、どう足掻いてもそういうタイプの人間に見えないです。どちらかというと好き勝手やった挙句借金作って破滅しそうな人の感じがする」
「借金は拳で踏み倒すもの」
その言葉に摩理が何とも言い難い表情を浮かべる。なので二個目のドーナッツを食べ終わりつつ、口の中を一旦珈琲で流し、もう一回いいか、と言葉を置く。
「お前に俺が会いに来ているのはぶっちゃけお前というキャラを俺が割と気に入っているからだ。こう、言葉として説明できないフィーリングでな。俺の様に医学よりも暴力なスタイルのやつってさ、ほら、もっと本能ちっくなのが磨かれているだろ? だからそういうのにしたがって生きているんだよ。だからぶっちゃけ、あんまり理由とか深く考えないでくれ」
なにせ、
「俺でも良く解らない」
「蛮族というか動物ですよね」
「否定しない。悩む方が馬鹿らしいと思うから好意は素直に受け取った方がいいと思うぞ? タダだし」
諦めたような表情を浮かべる摩理は漸く、という感じに此方の存在に関して納得したのだろう。そうなるとどこか食べ方にも遠慮はなくなり、ドーナッツを食べるスピードが上がったかのように見える。その姿を確認しつつ小さく笑い、四個目のドーナッツに自分も手を伸ばす。なんだかんだでこの体は燃費が悪い。いっぱい動くのだからいっぱい食べなきゃ、という理論で動いているのだったらある程度は理解できるのだが。
「そういやぁ、お前の病室ってえらい質素だけど俺以外に誰か来てるの?」
「医者」
「つまり親はいないか来てない、って事か。心の病気で見舞いに来るのがキチガイ一人とかホント可哀想だな」
「なんでだろう、普通地雷を踏んだって流なのに何で笑われているんだろ……」
「湿っぽいの面倒だし」
「知ってた」
「あ、そうだ、マジで踏まれたくない地雷とか話題があったら最低限の配慮は考慮だけはするから、事前に申告しておいてね」
「それ、言っている時点で考慮する気ないですよね」
サムズアップを摩理へと向けると摩理から溜息が返ってくる。なんだかんだで摩理とのこの会話の流れは固定化されてきたと思う。それも摩理が慣れてしまえばそれまでの物なのだろうが、まぁ、だとすればそれまで十分に楽しめば良いという話だ。変化を恐れていて人間をやっていられるものか、という所だ。
四個目のドーナッツを食べ終わったところで、最後の一個を摩理用に残し、他に持ち込んだお菓子に手を伸ばす。そこで取り出すのはからさだけを追求した激辛チップス。他の人からの受けが最悪なのであげる事はないが、個人的には愛用している一品となる。袋を開けただけで香ってくる唐辛子の刺激臭に食欲をそそられながらも、手をふくろの中に入れて数枚指で掴み、口の中に放り入れる。
やっぱり辛い。だがこれがいい。
「しかし惜しいなぁ、超惜しいなぁ。摩理ちゃん経験と技術が足りてないんだよなぁ。あの鱗粉スラッシャーな感じなのも槍を振るうってアクションが完全に予備動作になっちゃってるから初見殺しを乗り切る事さえできちゃえば、あとは切っ先と視線だけで追えるんだよなぁ。視線を合わせなかったり、タイミングをズラす事を覚えれば俺みたいな鍛えた人間相手にも負けなくなると思うぞ。あの時俺が勝った理由って動作が見え見えだから簡単に避けられたって事にあるし」
「そう言われても……」
「やる気だせよぉ! 技術を鍛えるとか考えてみろよぉ! ―――その結果体調が悪化しても自己責任だけどね?」
「究極的に責任投げ捨ててますね」
それは勿論そうだ。一々言った言葉の責任を求めてくる方がおかしいのだ。究極的に言えば自分以外の全ては他人であり、言って来る言葉はアドバイスでしかないのだ。その全てに強制権は存在しない。特に力を持っている存在、自分の様に生まれつき強く、覚えれば簡単に学習できてしまう怪物や、摩理の様に理解も真似も出来ない虫憑きという力、こういう力を持った存在は好き勝手に生きようとすれば好き勝手に生きる事が出来るのだ。
誰が従わせられるのだ。だから言葉に強制権はない。ただのアドバイスだ。
「選ぶのは自分、実行するのも自分、だったら責任を取るのも自分だろ? 尚且つ言葉を付け加えるなら、俺も基本的には無茶推進派だからな。”不死の虫憑き”だっけか? 俺個人としてはアレを探す事に関しては止める事は一切ないさ。探しに生きたきゃ勝手に行けばいいさ。心の底から見つかる様に祈ってるよ」
関わらない部分で人の不幸を願うのは馬鹿の話だ。
関わらないのだったら、せめて幸せになっていれば。その縁が巡り巡って此方に何か幸運を引き寄せるかもしれない。だから無理や無茶を推奨する。
「……止めないんですよね」
「俺はな。前々からこっそり見ている気配の正体に関しては知らない。詮索しないけど。詮索しないけど!!」
「あ、はい」
そこで摩理はベッドの上で動きを止める。そこで今から探しに行くかどうかを迷っているのだろうが、視線が手元のドーナッツやチップスに向けられているのは間違いのない事だ。リュックの中から新たにチップスの袋を取り出し、それを揺らしてみる。摩理の視線が手元から此方のチップスへと向けられ、それを追っているのが解る。それを持ち上げたまま数秒間動きを止め、そして摩理も無言でチップスを睨み、
ゴクリ、とつばを飲み込む。
「……探しに行くのはまた今度にします」
「あいよ」
チップスを投げるとそれを摩理がキャッチして受け止める。その姿を見ながら思う。
―――生きているだけなら簡単だ。
―――目的を持って生きる事も簡単だ。
―――一番難しいのは妥協せず、満足して生きる事だ。
妥協せず、自分が満足する様に生きる事。それが恐ろしく難しい。言葉にすれば簡単かもしれないが、それを実行するのは予想をはるかに超えて難しい。摩理の事はこの数回の接触で段々と打がその心の形まで見えてきている。心の底まで絶望していながら、善良である。だからこそ焦りを感じてしまっているのだろう。生きて目的を持っている。しかし、その達成が見えない。その焦りが、焦燥感が摩理の精神力を確実に削っている。
自分の様に精神が完全にぶっ飛んでいない限り、見えない目標は精神を削って行くだけだ。
生きているだけは簡単、とは良く言ったものだが―――摩理の場合は生きる事さえ困難だった。
「愉快だなぁ」
「何がですか?」
「いや、世の中の動きの話だよ。焦ったところでどうしようもないのにさ、諦めたりゆっくりしようと決めたところで交通事故の様に一気に時が進むんだ。まるで舞台の上で踊る人形のような気分にでもなるさ。きっとどこかで俺達が見る事の出来ない神様が意地の悪いシナリオを書いているんだ。絶望する一歩手前でゴールだけを見せてまた人参ぶら下げた馬の様に走らせるんだよ。そうするとホラ、餌が見えたから絶望しきれずに全力で走りだせるんだよ」
「個人的には内容よりも、そういう知的な事を話せたことに驚きです」
「おう、また腹パンされたいようだな、このロンリーロリィガールは、ぼっちのくせして」
「ぼ、ぼっちじゃないですし」
摩理を見る。その視線に僅かに揺れた摩理は少しだけ震える様な仕草を見せてから、視線を手元のお菓子へと向ける。事実はさておき、どうやら今はお菓子に逃げる事に決めたらしい。しかし、一時的な話だ。今、摩理をここに置く事が出来たとしても近いうちに、また摩理は徘徊し始めるのだろう、”不死の虫憑き”を探し求めて。生きたい、死なないというのはどんな気持ちなのか、その理由を求めて再び夜の街へ飛び出すのだろう。
果たして摩理は現実からそうやって逃げ続けられるのだろうか。
現実を直視して壊れずにいられるのだろうか。
たぶん無理だろう。絶望しているからちょっとやそっとの事では揺らぎもしないだろう。折れてしまった心を折る事は不可能なのだから。だけどその代わりに、その考えの根底を揺らがせる事は出来る。そして摩理はまだそれを見ていないだけ。それを見てしまった時、
摩理はもう戦えないかもしれない。
その瞬間をどう乗り切るのか、楽しみでもある。
―――やはり善人を気取っているけど屑だな。楽しいから別にこれでいいんだけどさ。
「どうしたんですか?」
「いんや、真夜中の密会? お茶会? にも割と慣れてきたなぁ、って。お菓子を持ち込むのにも限界があるから本当は外へ食いに行けたらいいんだけど―――おっとぉ、そういやぁ絶対安静で外に出られなかったなぁ! 食レポだけはするからそれで許してね!」
「なんで不必要に地雷に対してサマーソルトを叩き込む様に煽るんですか貴方は。やっぱり嫌いです」
笑い、食べながら、また今夜も夜が更けて行く。
一切の変化を誰にも与えずに。
軽いメシテロ。インテリ系蛮族紳士系蛮族だったらしい。
戦闘って割と頭使うと思っている。主に相手の動きを考慮に入れる部分とか。直感任せの感覚派だとそれを考慮に入れた直感殺し系の動きや技術であっさり狩り殺されるから、そこらへんを考慮して先の先を計算と予想している感じな部分はあると思う。
つまり蛮族のくせに賢い。詐欺だ。腹パンしてろ。
摩理ちゃんの絶望たっぷりの表情を見ながら腹パンしたいです。