一匹目
蒼穹が大空を支配している。
何処までも広がって行く大空の下でへたくそな口笛を吹きながらバケツ、そして竿を片手に歩き、予めチェックしておいた川まで移動する。街の中心を分断する様に流れるその川、中流らへんで適当に椅子を用意し、座って釣竿の糸を垂らす。勿論釣竿の先には餌がついている―――川に魚がいるとは限らないが。
「なぁ、太公望ごっこを今してみてるんだけど、もしかして太公望ってドマゾだったのかねぇ。そこらへんどうなんだろ―――摩理ちゃん」
視線を右横へと向ける。そこには短パンにシャツとジャケット、マフラー、と知っている人がいれば”ハンター”と呼ばれていた摩理の姿を思い出すだろう。しかしその眼には色はない。その顔に表情はない。摩理に常に付き従っていた虫の姿もない―――欠落者、夢を失って感情や能動的な思考能力を失った人間。今、摩理はその状態にある。話しかけても答えはない。体に触れても反応はない。全て受動的に対応するだけの肉人形、それが今の花城摩理という少女の正体だった。一度同化して同化している最中に体内の欠損器官や異常器官を修復し、体を健全化した。
だからと言って夢が帰ってくるわけではない。摩理は再び夢を得るまでは欠落者としての人生を送る。
「ん? やっぱり摩理ちゃんも太公望はドえらいドMだったと思う? やっぱ俺もそう思うわ。それでもなかったら凄まじい狂人だよ。釣れない釣竿で吊して魚じゃなくてお前をフィィィッシュ! ってどういうことだよ。やっぱ道教の先任ってのは頭おかしいな、仙術ならちょっとだけ齧ってるけど」
齧っている、というよりは見て覚えただけだが。
自分も摩理の様な天才-怪物型の人間に入る。”やろうと思えば出来る”という風に生まれてしまった人間。今使っている戦闘技術だって適当に見て、それを軽く練習したら出来た、と言う風に覚えたのだ。経験すればするほど加速度的に強くなって行く怪物、
生まれる事が間違いだった、と言える様な怪物が俺達になる。
「なんだかなぁ……世の中めんどくさい事ばかりだよな、摩理ちゃん。ウン、ソウダネヒロクン。だよな、そうだよな。やっぱそう思うよな」
「―――お前一人で何喜劇をやってるんだよ……」
あん、と声を出しながら後ろへと視線を向けると、そこには屈強な男の姿があった。背は高く百九十を超える長身を持っている。黒髪は短く切りそろえられ、涼しくなってきたこの季節にカーゴパンツとタンクトップという格好をしている。ファッションよりは動きやすさを重視した格好だった。筋肉隆々の男は腕を組みながら飽きれた表情を浮かべている。
「いや、何って太公望ごっこ。ついでに太公望ドM説を世に打ち出していた」
「よっし、おじさんには最近の若者が何を考えているのかが全く分からないって事だけがよーく解ったわ。まぁ、おじさん無職から脱出できたからなんでもいいんだけどさ」
そう言うとどこからか運んできたのか、釣り用の椅子を横に置いた男はそこに腕を組んで座り、煙草を咥えて火をつける。慣れた仕草からこの男が煙草を吸う事には慣れているという事が良く解る。個人的には煙草に関して思う事は特にない、というより不良側の人間なので割と吸い慣れていたりもするが、そこまでこだわる部分がある訳でもない。つまり押し付けないならそれでいい、と言う程度の認識だ。
「んで、なんか釣れそう?」
「魚の気配ないしなぁ」
「まぁ、ドブ川みたいなもんだしな」
つまりこんなところで釣りをしていてもまったくの無駄。時間の浪費でしかない。それを横で無表情で眺めている摩理も心なしか暇に見える―――が、これでいいと思う。生物上、無駄を愛して無駄を実行する生物なんて人間ぐらいなのだ。たまには少し、文化的な事に手を出すのって悪くはない。何より特別環境保全事務局と殴り合っているだけなのも割と疲れるのだ。殺しても殺しても次のやつが来るのだ、キリがないのだ。
「おっと、そうだった。えーと……一之黒亜梨子ちゃん? だったっけか? 彼女の周りに関していろいろ変化が出てきたぜ。と言うわけでお待ちかね報告タイムだ」
おぉ、と呟きながら片手で釣竿を握ったままポケットに手を入れ、そこから飴を一個取り出し、口の中に入れる。梅の味の飴はこの季節だと割と珍しいものだ。個人的には好きな味の一つなので寂しい気分もあるが。
「―――さて、例の嬢ちゃんだが最近まではホント平和だったらしいな。ただ”大食い”によって彼女の近くの人間が虫憑きになって、そっからなし崩し的に虫憑きに関わるハメになっちまったらしいな。ちなみにもう既に特環の野郎共が出動して問題に対する対処は終わった。聞いて驚くなよ? なんと動いたのはあの火種一号同化型”かっこう”だって事だ」
火種一号同化型”かっこう”。現在存在する虫憑きにおいて最強と呼ばれる存在。その能力は既に広く知れ渡っている。コードネーム通りの”かっこう”を自分と、そして銃と同化する事で戦闘力を上昇させる純ファイター。自分の様な無差別な同化能力はないし、摩理の様な特殊な能力をてんこ盛りで保有している訳ではない。
ある意味”それだけ”としか評価できない虫憑きとしての能力。
が、そうであっても”かっこう”は最強の虫憑きとして呼ばれている。その経歴を、戦果を確認すればそうとしか納得できないものがある。ともあれ、その最強の虫憑き”かっこう”が亜梨子のそばについたという事は、
亜梨子に付いている、あるいは憑いているモルフォチョウ、”摩理”の存在に特別環境保全事務局が一年越しにようやく気付いた、という事なのだろう。そうでもなければ担当区域から”かっこう”を外して、ただの虫憑きの討伐を通してモルフォチョウの現在の主、亜梨子と会わせる事なんてしない。
―――一体これは誰の考えた、誰の描いたシナリオだろうか。
「やだなぁ、めんどくさいなぁ。頭が良いのってメリットの様でデメリットだよな。理解するのはいいけど賢すぎるとめんどくさい。考えるよりも早く答えばかり出てきてしまう。あー、やだやだ。ゲームマスターよりはプレイヤーとして悩む方が好きなんだけどなぁ、俺は」
「おじさんにはそういう難しい話は分からないけど、とりあえず話を続けるぞ? ともあれ特環の連中はモルフォチョウを確認してその異常性に気付いたから”かっこう”を監視任務につけたそうだ。まぁ、今ん所はそれだけだが、モルフォチョウを追っかける動きが特環内部で出来ているようだから、関わろうとすればたぶん網にかかるぞ。何より相手はあの”かっこう”だしな」
”かっこう”かぁ、と呟く。まぁ、いずれは戦う時が来るだろうとは思う。少なくとも摩理の体は此方が確保しているし、最終的にはモルフォチョウをも確保する必要がある。モルフォチョウと摩理を同化させ、モルフォチョウが喰らった夢を摩理へ再同化させる―――おそらくこれで摩理を欠落者から蘇らせる事が出来る筈だ。ただ、今はまだその時ではない。
おそらくまだ”ヤツ”にとってもこれはシナリオの序盤でしかない。ともなれば、まだ動いてはいけない。最終的に勝利する事を狙うなら”全てで勝利する”事を目指さなくてはならない。それは途中で戦闘で敗北してでも達成すべき事だ。
―――めんどくさい。
「考えたくなーい、悩みたくなーい、悩みのない人生をくださーいー。俺に! ひたすら! 敵と気軽に殴る事の出来る相手をください……!」
「切実に一体何を願ってるんだこの狂人め。つかいいのか、放っておいたらたぶん、あの嬢ちゃん特環にいつか虫憑き認定されて取り込まれるか消されるぜ。連中のやり方は良く理解しているだろ? それを容赦なく実行する為に”かっこう”を置いているんだろうし」
「いや、だってシンプルに何も考えずにヒャッハーできる人生とか最高だろ? 考えるのが嫌で好き勝手やる為に蛮族やってるんだし。つーかアレよ、まだ会ったことないけど”かっこう”や特環が亜梨子ちゃんをどうこうするってのはまだまだ心配しなくてもいい話だよ。舞台に役者が足りないし。それに今舞台に上がっても失敗するだけってのが見えるからな。俺の出番はもっと混沌してからだわ」
「はぁ、まぁ、解ってるならそれでいいんだけどさ」
感覚的なものだから言葉に説明するとなると難しい。だがあるのだ、”今こそ!”という感覚が。
まぁ、今は超関係のない話だ。
そんな事を思いつつ釣竿を一度引っ張り上げ、張りに引っかかったごみを川の中へと投げ捨ててから再び釣竿を下ろす。そうやって目を閉じ、そして思う。
―――摩理が欠落者になってから一年近くが経過した。
◆
摩理が欠落者になった。死にそうだったのをそうする事であと一歩、と言う所で抑え込んだ。それはいい、何故なら生きているならどうとでもなる。実際、摩理を治療する事に成功したし、元に戻す方法も見通しが出来ている。だがそれはそれとして、
自分と特別環境保全事務局を取り巻く環境はさらに面倒に、そして複雑になっている。
まず最初に火種一号として指定されたことにより、常に特別環境保全事務局に敵として認識、追われる身分になった事。それにより今まで使っていたIDや身分は全く使えないどころか銀行の口座まで開けなくなってしまった。アジトだった場所も既に逃げる為に爆破済みだったりする。自分の生活はガラっと変わってきている。完全に夜型の人間だった筈なのに、昼間の内に歩いたり逃げたりしないといけない様になってしまった。
めんどくさい。
定期的に来る特別環境保全事務局からの襲撃者も問題だ。どうやっているのかはわからないが、此方の存在を感知して追いかけてきている様であり、その度に戦闘するハメにもなっている。まぁ、面倒な話ではあるが楽しい事でもあるのは認める。しかし、満たされない。
燃え行く青播磨島。暴れる炎の魔人。”不死”との接触。特別環境保全事務局との戦い。虫憑きの居場所を作ろうとしている集団からの勧誘―――この一年で色々なイベントがあった。それに関わっても、全くと言っていいほど後に影響は残していない。残せていない。
この一年、一体何をやっていたのか?
―――答えはほとんど何もしていない、となる。
”不死”の殺し方や戦い方の勉強、医学書を読んだり兵器の造形に関して学んだり、と多少の勉強とかは忘れていない。しかし結局、大勢を決める様な事には一切手を振れていない。やっていたことは本当に欠落者となった摩理を肉体的に修復し、そして好き勝手日本を歩き回る、それだけだったのだから。
つまり、何の解決も進展もしていない。
◆
「んー、暇だなぁ。やっぱ昼間はテンションが上がらないなぁ……。”傭兵”のオッサン、ちょっとほら、コンビニまでパシって来てくれないかな。珈琲を10缶ぐらい買って来てくれないかなあとは目が覚める系アレを。四足歩行で」
「なんでそんな無駄にダイナミックなお使いをおじさんに頼みたいんだよ。つか眠いんだったら普通に眠れよ!! おじさんも報告終わったから部屋に戻ってAVを見ながら午後を過ごすって予定が入ってるの!」
「摩理ちゃんそこ睨んでー」
欠落者摩理が”傭兵”を軽蔑するかのように睨み、無言で”傭兵”が両手で顔を抑えて泣く。なんでそんなにメンタル死んでるんだおっさん、と口に出さずに言い、軽く溜息を吐きながら飴を噛み砕いて飲み込む。
「しっかしなぁ、ほんとなんで気持ちよく暴れさせてくれないんだろう。いや、まあ、法律がどうとやらって訳じゃないんだけど……あぁ、いや、うん、そういうシナリオなんだろうし、そういう展開なんだけど。俺はもっと、こう、最初からクライマックス! って感じの方がもっと好きなんだよなぁ」
欠伸を漏らしながらどうなんだ、と声を漏らす。
「なぁ、お前はそこらへんどうなんだよハルキヨ」
軽く後ろへと視線を向ければ、何時の間にかそこにはコート姿の成年が立っている。ギラつく目で此方へと視線を向け、笑みを浮かべる。
「ってぇ事は”蛮族”と”ハンター”でいいんだな?」
「もっとフレンドリーに蛮ちゃんでもいいんだぜ」
意外と太公望のマゾ式釣りも効果があるもんだなぁ、なんてことを思いつつ釣竿に重い反応が来る。お、と声を漏らしながら釣竿に力を入れ、そこに引っかかった存在を力任せに引き上げ、
―――そして針から抜ける様に飛び込んでくるその姿をキャッチする。
アザラシだった。
それを”傭兵”とハルキヨの三人で眺めて数秒、”傭兵”が口を開く。
「それ、最近ニュースでやってた川に入り込んできた野生のアザラシ……」
「―――確かアザラシって食えるよな」
「なんか俺抜きで楽しそうにしているのが悔しい、俺にもアザラシくれよ」
◆
花城摩理が欠落者となって一年。
漸く、夢の続きが始まる。
蛮ちゃん
この一年間欠落摩理ちゃんと日本中をデートという旅をしていた。
”傭兵”さん
無職の傭兵さん。虫憑きではない三十路。趣味はAV鑑賞。
アザラシ
おいしかった