少女の見た最期の夢
「俺、あの悪魔と天使の本嫌いだわ」
「私の一番好きな本なんだけどアレ……」
―――そういえばこんな話をしたことがあった。主義や主張に関しては暗黙の了解とも言うのか、お互いに話す事はなかった。だけどそれに近い事を触れる時ならあった。その一つが、一番好きな本、”魔法の薬”に関する事だった。彼は以外にも乱読派である事がこの時解ったが、それよりもショックだったことは彼がこの話が、本が嫌いだと言ったことだった。それが認められなくて、頬を膨らませながら怒った覚えもある。
それに対して困ったような表情を浮かべながら彼は齧っていたドーナッツから口を、離し申し訳なさそうに言葉を繋げた。
「いや、だってさ……悪魔の薬か天使の薬―――二択で妥協するのっておかしくないか? ん? 俺はそんな理不尽な選択肢嫌だぜ。だから悪魔と天使がそれぞれ薬を用意して来たらこう言うんだ、”おい、悪魔のクソ野郎と天使のペテン野郎。お前らお腹寂しそうだな!”って感じに腹パンして上下関係を教え込んでおくんだ」
「なにそれ」
「何って……暴力?」
「違う、そうじゃない」
半眼で彼を睨むと、彼はそうだなぁ、と勿体づける様に言葉を前置きする。彼の悪い所だ。そういう風に会話を伸ばそうとする事が多々ある。何時もはズバ、っと会話に斬り込むのに、興味がある時に限って焦らすような癖がある。そこら辺に関しては少し、卑怯だと思う。だから何時も通り彼はいいか、と言葉を置いた。
「目標があるんだったらそこで妥協しちゃ駄目でしょう。頑張って、頑張った結果力尽きて倒れるのはいいけどさ、楽なアイテム用意されてそれに逃げるってのはかっこ悪いだろ。悪魔と天使が出てきてくれたんだぜ? だったら大体なんでもありえるんじゃないか、クッソくだらない薬でラリるぐらいだったら死ぬ事前提で諦めずに足掻く方が好みって話」
だってほら、
「死亡確定で忘れられない薬。誰かに成り替わる事で生きる薬。どっちもクソでしかないなら、第三の選択肢を求めたいじゃない? ―――じゃあとりあえず俺がチャンピオンだ! 的なノリで悪魔と天使ぶっ倒してもっといいもん持ってないか探ろうって感じ」
「なんか話がえらく現実的ね」
その時は呆然としながらも怒って、彼の言う事に反発した。馬鹿みたいだと。そんな力も体力もないのだから選べない、と。
しかしきっと―――彼はそういう道を選んだ人なのだろう。妙に言葉に実感がある、というよりはそれを選んだから今もそうしている。そんな感じがした。いや、きっとそうなのだろう。彼が”蛮族”というスタイルを追求しているのは、諦めずにひたすら笑って抗って行く事を選択したからなのだろう。そしてそれだからこそ、彼は何時死んでも笑いながら祝福するのだろう。
生きるも死ぬもまるで祭の様に賑やかに過ごす、そんな彼が羨ましく、そして眩しかった。
殺したいほどに嫉妬した。
きっとそんな心はバレていた。彼女はきっとそんな私の心を知らないだろうし、疑いもしないだろう―――だから彼女の前では薬を飲んでもいいかもと思ってしまい、彼の前では薬を飲まない事を選ぼうとするのだろう。ブレブレの内心はこの数か月で急速に感じ、増え始めた感情から来るものだ。
それが増えれば増えるほど苦しくなって行く。
だけどそれを大事にしなくてはならない。死の間際になってから漸く気付くようになってきたのだから。痛みも、嫉妬も、喜びも、哀しみも、それは自分だけ―――花城摩理にのみ許された感情であり、思いであり、
夢なのだ。
誰かに成り替わって夢を見続ける事は出来る―――けど同じ夢じゃない。
忘れられない様に祈って夢を抱きながら眠る―――誰も同じ夢を抱けない。
諦めたくない。死にたくない。消えたくない。この夢だけは花城摩理の物なのだ。花城摩理だけが抱く事の出来る夢。共有しても教え合っても、決して夢が同じになる事はない。だからそれを虫たちは嬉々として貪るのだ。夢は貴重であり、美しく、だからこそ美味い。
「死に……たく……ない、なあー……」
ずっとそう思ってきた。今でもそう願っている。だけどその方向性は少しずつ変わってきている。絶望している心が新たな感情を覚え、それを吸収してさらに絶望した―――だけどそれで終わりじゃない。終わりたくはない。
まだ薬を飲むかどうかは選べない。
だったら、もう少しだけ、第三の道を探してもいいんじゃないだろうか……?
「諦、め……な……い……諦め、き、れ……な、い……」
全力を尽くして死ぬなら笑って死ねる。だけどまだできることがあるのに諦めるのは怠慢である。それをおそらくこの地上で誰よりも面白おかしく生きている彼から学んだ。彼女からは日常の大切さを、そこへの渇望の強さを学んだ。
あの日常へと帰りたい。
まだ全力を出していない。
諦めたくはない。
―――亜梨子とはまた会う約束をした。
―――比呂の告白にはまだ答えていない。
学校の校庭を全力でマラソンしたい。部活で全力で活動したい。公園で小さな砂の城を作ってみたい。最近流行りのレストランでデートとかしてみたい。ウィンドウショッピングでぶらぶらと一日を潰したい。友達の家へ遊びに行きたい。夏になったら海へ行ってスイカ割りをやりたい。春になったらピクニックへ出かけたい。秋になったら紅葉狩りに山へ登りたい。冬になったら積もった雪で雪だるまを作って転がしたい。
やりたい事が、
諦めたくない事がいっぱいある。
―――だったら、黙って死を迎える訳にはいかない。
「―――モルフォチョウ、夢を食べさせてあげる」
体は動かない。起き上がる力がなければ動く力さえない。残っているのは意識を保つだけの力だ。それも大分弱くなってきている。だから必要最低限の身体機能を残し、それ以外、必要のないものをカットして行く。初めての試みだが、出来ない筈がない。自分は天才であり、化け物なのだ。
出来るという事を自覚しろ。
味覚、嗅覚、触覚、そして視覚が極限まで抑え込まれる。その分、体を維持するリソースが浮く。それを意識的に分配する。最後に見た光景はモルフォチョウの赤く染まった目―――成虫化を目指す怪物の目、それを一切恐れずに、
自分の持つ夢に記憶を、魂を編み込み、それを食いきれぬ密度と濃さで練り上げる。
「成虫化……できる、な、ら……出来るといいね?」
繋がっているからこそ解る。モルフォチョウが夢を食いきれぬことに困惑している。だが当然だ、喰いきれるわけがない。虫如きに、この生きたいという気持ちを喰えるわけがない。食べようとして吐いたって無駄だ。もう止められない。諦めないと決まったら、諦めない。
自分と言う存在を欠落者に変え、存在をモルフォチョウへ刻む。
生きたい、その気持ちでモルフォチョウは生まれた。
なら、
「―――死ん……で、も、夢は……おわら、ない……!」
意識が消えて行く。いや、夢が消えて行く。欠落者、という絶望へと自分から落ちようとしているのが解る。
だが自分の思惑通りに、計算通りに事が進めば―――欠落する事で命だけは助かる。
このボロボロの体では成虫化したくても無理だろう。
夢がなくなって欠落した体は最低限の機能を残して稼働を続ける為に短い時間だが、寿命を延ばせる。
きっと、彼がその間に何かしてくれるに違いない。毎晩違うお菓子を持ち込んできたように、そこらへんの期待だけは裏切ったことがないのだ。
だから、
夢を全てモルフォチョウに食わせ、
「―――お休み亜梨子、比呂―――」
最後の夢を見た。
それはとても暖かく、幸福で、
―――救いが欠片もない虫と人の夢を。
欠落者つっても命令があれば動くんだよなぁー。
閑話なので短め。次回からbug本編時系列ですよ、っと。