胡蝶銀夢   作:てんぞー

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夢から覚めない夜
一夜目


「愉快だねぇ―――」

 

 言葉を吐きつつも荒い息を吐く。背後へと視線を向ける必要はない。何が追って来ているのは自分が良く知っている。だから振り返る事なく、そのまま体力を燃料として燃やす様に全力で走り続ける。諦めが一番簡単な敗北への道だと誰だって知っているから。勝つ。そのつもりが存在し続ける限りは決して諦める事無く動き続けるしかない。だから足は動き続ける。走り続ける。疲労が体に来るのを感じていても決して止める事無く前進し続ける。

 

 月明かりだけが道標となる時間、誰もいない。

 

 住宅街の中を通る様に走ってもほとんどすべての家の光は完全に消えている。光がまだついていたとしてもカーテンが閉じていて、こうやって外で走っている姿を見る事の出来る者は存在しない。寧ろその方が幸運だろう。今、自分が直面している事態を目撃、あるいは遭遇してまともな精神状態でいられる人間は存在しないだろう。

 

「愉、快、だなぁ―――」

 

 走る。目的地は知っている。というよりも目指している所がある。故にそこへと向かって走るだけ。予め知っている場所に―――というよりは状況を想定して調べておいた場所の一つ、そこへと向かって全速疾走で移動している。住宅街から少しずつ人の気配の少ない場所へと、そしてそこから更にもっと人の少ない場所へと移動する。九十年代の建設ラッシュで大量のビルが建築されたが、その途中でバブルがはじけた。その影響により建設途中で放棄された数多くの建築物。

 

 マンションの墓場とも呼べるエリアへと入り込む。もはや建設を続行する金も労力も時間もない。あるのはスケジュール化された破壊の日程だけ。だがそれだってタダではない。順番が来るまでは何年も無言で過去の栄誉を晒し続けなくてはならない。そんな、過去の残骸とも言えるエリアに、息をまだ切らす事なく走り、そして到着する。走るスピードを徐々に落としながら最終的に置く、鉄骨がむき出しになっているマンションの前で足を止める。

 

 そこで漸く、長らく向けていなかった背後へと振り返り、視線を向ける。

 

 そこには人の背丈を超える化け物の姿があった。

 

 全身は緑色であり、細長い胴体を持っている。二本足で大地に立ち、そして両腕は手首の先からは鋭利な刃となっている。ユニークな形の頭に巨大な眼を保有し、胴体よりも太い尻尾で巨大な両腕の刃とのバランスを取っている。それを一言で表すなら虫―――それもカマキリ、巨大なカマキリだと表現できる。ただ人よりも大きいカマキリなんて自然には存在しない。

 

 少なくとも、自分も一般的にもそう認知されていた。

 

 だがいる。目の前にはそんな化け物がいるのだ。それに追いかけられ、そしてここへとやってきた。良く見れば月明かりのみが光源となるこの場所で、その光に当てられてカマキリの背に立っている人物が見える。良く見るブランドの服に身を包んでいるのは中学生ぐらいの少年に見える。その少年がカマキリから降り、此方へと向ける視線は見下した者の表情だ。

 

「―――こんなところへ逃げ込んでくれてありがとう。おかげで遠慮なくこいつを振るう事が出来るよ」

 

 少年はそう言った。そしてそれに反応する様にカマキリが両腕の刃を振るう。見た目からしてかなり鋭いそれは―――あっさりと自分の体を両断してくれるだろう。間違いはない。それぐらいの鋭さはその刃には感じる。そもそも人間を相手する事を考えられていない様な鋭さ、だとも思う。どんな防具をつけていても一撃必殺、成程、これは実に恐ろしい武器であると思う。虫は、

 

 ―――虫憑きの虫は誰もがこんな恐ろしい生き物か、と思う。

 

 虫憑き。それは都市伝説の存在。政府には存在しないと発表された存在。だが逆に言えば”否定しなきゃいけない程存在感を感じる”存在でもある。つまり政府の存在しない、という発表が存在しているという事を証明している、そんな存在。その生態やらなにやらは良く知らない。ただ自分で理解できるのは、この虫憑き、という存在は恐ろしい事だ。このような化け物を飼い慣らし、自由に力を行使する事が出来る。

 

 それはなんとも、

 

「愉快だねぇ……」

 

「……?」

 

「いやいや、何でもない。こっちだけの話だよ。実に愉快だ、ってね。こんな状況愉快としか表現する事もできないだろう。恐ろしいとも表現できるかもしれないが、個人的には愉快、ってのが一番クルと思っている。……いや、だってそうだろ? こんな状況に突入したらどんな風に表現するさお前。愉快以外の何でもないだろう?」

 

「どうでもいいよ。それよりも昼間は良くもやってくれたね」

 

 そう言う虫憑きの少年の顔は―――見覚えがある。今日の昼間、商店街を歩いていたらカツアゲされている別の少年を見つけたものだ。そのまま見過ごすのも気持ちが悪い話だ。だから通りすがりに何度か腹パンして助けてあげた、という実にどこにでもある話だ。勿論目の前の少年はその時殴り倒したほうの存在だ。それがまさか虫憑きだったなんて、思いもしなかった。というよりも想像できた方がおかしいだろう。一般的に虫憑きと言えばもっとアンダーグラウンドな、ダークな存在だ。いかにも闇落ちしてそうなイメージがあるのにまさか普通の学生が虫憑きだなんて、思う人がいる訳がない。

 

 それはそれとして、この状況をどうにかしなきゃ明日がないのだが。

 

「ん? 悪いな。個人的に気持ちが悪いと思う事に対しては見過ごせないんだ。だってほら、一般的に考えてカツアゲとかイジメとか超かっこ悪いだろ。思春期のハリキリボーイするのも悪くはないけどさ、後々考えてみろよお前。中学校高校時代でヒャッハーし過ぎた結果それが内申書に響いたりして、大学とか社会に出る時に影響するもんだぜ? そう、つまり俺の腹パンは祝福、お前の未来の為なんだぁ―――! ……うん? 駄目?」

 

「駄目」

 

 だよなぁ、と呟きながら近くにあった鉄パイプを持ち上げる。廃材でしかないが、こういうものはそこら中にごろごろ転がっている。だから適当に長さがちょうど良いのを拾って武器代わりにする。握るのは右手。そして左手はジーンズに巻いてあるベルトに手を取り、それを一息で抜いて左手で巻きつける様に握る。これで最低限の武装を完了した。安心、安定の武装。使い慣れているだけに心が落ち着く。やはり獲物はなれている物に限る。

 

「え、なに? もしかして戦う気? そんなもので?」

 

「勿論」

 

 そう、それは、

 

「―――良い経験だ」

 

 は、という言葉が聞こえてくるが、それを無視しつつ前へと踏み出す。この場所を選んだのは何も逃げ込める場所を選んだからではない。お互いに全力で、見られず、そして隠す必要もなく戦えるために選んだグラウンドなのだ。故に誰かに見られる心配もなく前進する。虫憑き自身の反応は悪い。しかし本能で察し、迎撃に動く巨大なカマキリの方は違う。前進する此方に対応する様に威嚇の刃を振り上げる。成程、とそれを見ながら思う。主導権を少年の方が握っているだけで、思考は別なのかもしれない。

 

 虫と虫憑きはイコールではなく、別の生物。これがイコールであれば楽だった。

 

 だから踏み込み、十歩ほどの距離を一瞬で詰める。反応したカマキリが刃を殺す為に振るって来る。そこに一切の躊躇はない―――のは辺り前の話なので殺意はスルーし、振るわれる左カマの一撃を拾った鉄パイプで迎撃する。というも、そのまま打ち合うのは間違いなく悪手になる。故に迫ってくる刃に合わせて鉄パイプを振るい、斜めに鉄パイプを振るい、カマキリのその刃と当てる。錆びていても鉄パイプ。人間の筋力では曲げる事が難しいそれに、バターを切るかのような滑らかさで刃が斜めに突き刺さる。

 

 それを利用し、鉄パイプの持ち手を捻り、鉄パイプを切ろうとする刃も纏めて捻る。結果として刃は途中まで切断しようとしたところで方向性を変えられ、流される様に体の切断ルートからその軌道を外す。同時にカマキリの左半身を盾にする様に踏み込んでいる為、既に体はその両腕を駆使する事の出来る領域の内側に入っている。右の刃で切り払おうとすれば体が邪魔になる。左の刃でならギリギリ届くかもしれないが、それにしたって一度大きく戻す、或いは振り上げる必要がある。

 

 故に切り裂かれるまで一秒、或いは二、三秒程時間が生まれる。切り裂かれた鉄パイプはその先端が鋭利になっており、鉄パイプというよりは鉄の槍、とも呼べる状態になっている。

 

 それを迷う事無くカマキリの左手首に突き刺す。

 

 ザクリ、と音を立てながら深く鉄パイプが突き刺さる。体液を流しながら振り返って正面に収めようとするカマキリの動きに合わせて回り込みながら左、ベルトを巻いた拳で鉄パイプの底を殴る。勢いよく叩き込まれた鉄パイプが貫通しながら胴体に突き刺さり、ぶらん、と倒れるカマの背を足場に駆け上がる。カマキリが飛びのこうとするが、それよりも早く左拳をカマキリの眼へと叩きつける。一回目の打撃、それは予想よりも硬い眼の感触によって弾かれる。

 

 二回目、発勁で拳の威力を眼、頭を貫通させる。

 

 頭を蹴るように後ろへと飛びのくと同時にカマキリの上体が倒れるのを目撃する。着地しつつ更にその奥へと視線を向ければ、見下していた少年が顔と、そして左手首を抑えながら大地に転がって苦しんでいた。それを見てほほう、と声を漏らしながら観察する。どうやら虫とその主はダメージ、というか痛覚がリンクしているらしい。虫を痛めつける事ができればそのまま主の方にもダメージを通せる。割と便利なシステムだと思う。

 

 ―――どう足掻いても人間側の方が弱いのでそっち殴った方が楽そうだが。

 

「しっかし虫つってもこの程度か。剣術習った人斬りの方がまだ怖いな、これだと」

 

 一般人からすれば何を言っているんだ貴様、と言われかねないコメントだがそう、自分はそう言う人物だ。

 

 自分の都合、自分の趣味、自分の快楽のみを優先して生きている社会不適合者。人間の屑だ。

 

 しっかり理解しているので問題はない。

 

 カマキリの体液を浴びてしまったハーフジャケットを脱ぎ、ばさばさと振って体液を飛ばしつつ、視線をカマキリと少年の方へと向ける。痛みに悶えてまだ転がっている姿を見るに、どうやらここまでの痛みを感じるのは初めてだったらしい。まぁ、誰だって痛いのは辛いよな、と思いつつハーフジャケットを着なおし、適当に落ちていた鉄パイプを再度右手に握りながら肩に担ぎなおし、

 

「んで、まだやる?」

 

 歩き寄りながらそう言葉を投げかけ、カマキリに近づいたところで少年が顔を持ち上げる。

 

「今だ!」

 

 カマキリが右の刃を振るう。それに合わせて鉄パイプを切らせながらまた槍の姿にし、避けた先で手首に突き刺す。今度は完全に貫通させ、そしてそのまま大地に突き刺す。それを上から押し込む様に踏みつけ、視線を少年へと向ける。やはり苦しがっている。

 

「まぁ、こんな立派な武器があったんじゃ増長するよな」

 

 だったら、

 

「奪ってやるか」

 

 カマキリの両腕のカマ、その刃を鉄パイプで突き刺す様に抉って引き千切る。少年の絶叫が聞こえてくるがそれを無視し、カマキリの両腕からその巨大な刃を引き千切るように切り落とし、千切った二つを立てる様に大地に突き刺す。改めて確認するカマキリも、そして少年も呻くばかりで戦うような力を持っている様には見えない。

 

「ま、ホントならここで一発君自身を殴っても良かったんだけど、それはそれでただの死体蹴りになるかまぁ、勘弁しておくよ。その代わりにこの鎌はトロフィーとして持ち帰らせてもらうな、蛮族的な発想として」

 

 周りを見渡し、紐が落ちないかを確認する。紐が一つも発見できなかったことにがっかりしながらも左手も右手で鎌を一本ずつ背の部分で握り、口笛を吹きながら肩に担いで歩き始める。カマキリと少年の横を抜けて住宅街へと向けてゆっくりと、歩き出す。

 

 もはやカマキリも少年も、此方へと視線を向けるだけで反撃らしい反撃を一切行わない―――武器である両手を失えばそれもそうだ。自分は経験したことがないが、両腕を失う感覚とはとても痛いに違いがない。

 

 もう興味はなく、振り返る事もなく、そのまま去る。また報復か何かでまた会いそうな気はするが、その時はその時で死なない程度で対処すればいい。

 

 

                           ◆

 

 

 自分が他人と違うのは良く知っている。そういうのを知っているからこそ普通のフリというのは出来るのだから。

 

 強いという事に対して特に思う事はない。十何年も鍛えてきたのだからそれは当たり前の話でしかない。

 

 ―――ただ良く、退屈だと思う事はある。

 

 

                           ◆

 

 

 口笛を吹きながら夜の道を行く。夜に口笛を吹けば……なんて言葉もあるが、今更恐れる様な歳でもない。だから堂々と誰も外を見る事のない、寝静まったこの時間帯、道路を占領する様に中央、ラインの上を歩く。小さなイベントが時々発生するが、それでも人生は退屈だ、と思い、

 

 戦利品を肩に担ぎ直すと風が吹くのを感じる。

 

 夜風の涼しさを身に感じ、振り返る。

 

 ―――そこにいたのは少女だった。短パンに無地のシャツと白いコート、そして赤いマフラー姿の少女だ。右手には銀色の槍が握られており模様の様なものが顔に少々見える。いきなり現れた少女の気配は希薄だった、いや、希薄というよりは儚い、と表現した方が正しいのかもしれない。とにかく、そういう感じの少女がいきなりそこに現れていた。

 

 大体中学生くらいかねぇ、と口に出すわけでもなく呟き、そして肩に乗せていた戦利品を握りつつ下ろす。

 

 口を開くのは少女が先だった。

 

「―――”不死の虫憑き”?」

 

「とりあえず殺して見ればわかるんじゃないか?」

 

 その言葉に銀槍を構える少女を確認し、さて、と声を吐き、

 

 ―――愉快だねぇ。いや、ホント。

 

 笑みを隠すことなく一歩目を―――踏み込んだ。




 初戦はかませの法則。大体1話目は戦闘しか書いてない気がする。とりあえずお久です。ムシウタカクタヨー。

 さすがにタイトルがアレすぎるのでそのうちいいタイトル思いついたら直します。思いつかなかったらこのままです(真顔

 タイトルとあらすじとか飾りだけどさぁ! 所でムシウタって年齢とか年表とかないからそこらへん割と適当なんだな。範囲思春期とかでかいよー……。

 このお話は虫憑きに対して腹パンする事のみを原動力にしています。

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