1
麦野沈利がその場に辿り着いたのは、ちょうど回転方向によって絹旗最愛が弾き飛ばされた時だった。
当然ながら、吹き飛んだ絹旗への心配など麦野にはない。元々『アイテム』のメンバーを“駒”としてでしか見ていない麦野であるし、事実として“あの程度の衝撃”では絹旗は傷一つ負うことはないと知っているからだ。
(どうするかね)
吹き飛ばされた勢いで回転し両足で難無く立ち上がる絹旗を見ながら、麦野は気怠く考える。
今回『アイテム』が請け負った任務は、『絶対能力進化』を回転方向に邪魔させないというもにである。普段ならば超能力者である麦野が対象を殺すことで終わる簡単な任務だったのだが、依頼主からの条件は“殺さないこと”。麦野の能力は手加減が難しくこの手の生け捕りはほぼ不可能であり、『アイテム』の上司もそれを知っていたからこそ麦野にこの依頼を任せることに不安を抱えていたのだ。
確かに麦野は捕縛に適していない。けれどもそれが『アイテム』全体に言えるかというと話は変わってくる。
例えば現在回転方向と対峙している絹旗にして言えば、近接戦闘を主体とするそのスタイルから当然捕縛術は修めている。トリックメーカーであるフレンダ=セイヴェルンには対象を弱らせる罠などお手の物。『アイテム』最後のメンバー滝壺理后の能力を使えば能力者相手ならどこまでも追跡可能となる。『アイテム』のリーダーは確かに麦野ではあるものの、『アイテム』全体の機能について見たとき、麦野の役割は牽制と粛清の意味を持つ移動砲台でしかないのだ。
(あーあ、面倒くさい)
麦野はその綺麗な茶髪を左手でごしごし掻き乱しながらため息をつく。
そもそも麦野がこの依頼を受けたのは、『絶対能力進化』を止めようと動いている超電磁砲に会えると思ったからだ。回転方向が何処かで超電磁砲と繋がっており、『絶対能力進化』を共に妨害しにくるのならば、それを阻止することで先日の屈辱を払し、尚且つ超電磁砲を地獄に落としてやることができる。そのような魂胆の元依頼を受けた麦野だったが、肝心の超電磁砲は未だ現れず、仮に現れたとしても制約のせいで“手が出せない”。依頼主の提示した条件は『回転方向“のみ”を止めることであり、他の者には“一切手を出すな”というものだからだ。いけすかない女上司が生け捕りの件と共に再三忠告していたので、“手を出さない”というのはかなり重大なことなのだろうと麦野は予想をつける。何故そのような命令が下っているのか、などという下賤な勘ぐりは自らの寿命を縮めるだけなので抱きはしなかった。
麦野が戦場を確認すると、今度は絹旗が回転方向に接敵するところだった。
恐らく回転方向の方はさっさと振り切って実験場へと向かいたいところなのだろう。しかし、一方通行を相手にしながら背後に気を使う余裕などあるはずがなく、彼にしてみればここで絹旗を倒しておくことで憂いを除きたいに違いない。先ほど絹旗を吹き飛ばした時にこの場を後にしなかったのは、そういうことなのだろう。
回転方向は強能力者である。その程度の強度では能力の連続発動時間など大したことはなく、また複数の敵を相手に“演算”する技術も未熟であろう。仮に一方通行を前に、窒素装甲を後ろに構えることになったとき、回転方向が対応することは不可能である。
「……むぎの」
麦野が一発撃ち込もうかどうか思案していると、後ろから聞き慣れた優秀な“駒”の声が聞こえた。
ピンクのジャージに身を包んだ脱力系女子高校生、滝壺理后である。
「あぁ。一応やっといて」
麦野は滝壺に彼女の能力、『能力追跡』を発動させるように指示を出す。一度記憶した能力者のAIM拡散力場から、対象の人物の位地を割り出す能力であるが、太陽系レベルの捜索範囲を持っているのに対し、その能力の発動には『能力結晶体』と呼ばれる薬を服用する必要があった。
「……むぎのがそう言うのなら」
『能力結晶体』は適合者以外には劇物となり、適合者の場合もその服用は身体に害をもたらす。滝壺の身体は度重なる服用によってかなり弱っているが、それを気にすることなく彼女は取り出したそれを口に含む。
ピルケースに入っているそれは、白い粉末状をしている。それを手に取り舌で舐めることで、滝壺は能力を発動させた。
「…………」
滝壺が回転方向のAIM拡散力場を記憶している横で、麦野も自身の“演算”を開始する。彼女の能力『原子崩し』は扱いが難しく“演算”も複雑なのだ。
戦場は少しずつ動きを見せ始めていた。
2
何度目かの衝突を果たしつつ、絹旗は舌打ちをした。
正直、舐めていたとしか言いようがない。まさか、『回転方向』の能力がここまで自分と相性が悪いとは思わなかった。
(超うざいですね、アレ……)
ニット帽を被り込む回転方向を睨み付けながら、絹旗は状況を分析する。
現状、二人のどちらも互いに有効打を受けず、与えることができていない。その原因はずばり、回転方向がその身に纏う『回転』の膜にあった。
絹旗が持つ『窒素装甲』の自動展開と同じく、常時展開されている自動防御機能。学園都市序列第一位たる一方通行がその身に纏う『反射』の膜を擬似的にとは言え再現した絶対の防壁。
一方通行の『反射』は有名であり、それを再現する試み自体は確かに行われている。絹旗自身も色々あってその『反射』の恩恵を受けた過去を持つ。回転方向がベクトル操作系能力者であることは書庫で判明していたため、一方通行と同じようなことをしてくる可能性は確かに考慮できた。
けれども回転方向は所詮強能力者でしかない。強能力者の“演算”能力では、全方位へのベクトル演算を毎回毎回無意識に行うなどという荒技は到底できない。
一方通行の『反射』は、その肌に触れた物の入射角を測定、その角度を保ってソレを反射する。人体の肌は当然ながら凹凸が存在し、その肌に触れる物体の入射ベクトルは多種多様となる。一方通行はその肌に触れたものにしかベクトル変換を行えないという能力の制約を持っており、そのため自身の肌の凹凸は完全に把握している必要がある。そうでなければ“完全な”『反射』は行えず、撃ち出された銃弾をを撃ち出した銃口に送り返すなどという神業を為すことはできないのだ。
絹旗は一方通行のソレと回転方向のソレを比較する。
いくら回転方向がベクトル操作系能力者だとはいっても、その能力が完全に一方通行と同じというわけではないのだ。そもそも、『回転方向』は『一方通行』の下位互換であり、能力強度における開きは比べるのもおこがましいほどである。つまり、たかだか強能力者程度の回転方向に一方通行の『反射』を再現できるはずがないのだ。
(何処かに穴が、超あるはずなんですけどね……)
『回転方向』。その効果はある一点を中心とした円運動の強制。一つの回転軸に複数の『回転』を発生させることで強弱を作り、竜巻のように『引き込み』、『弾き飛ばす』力。『引き付ける』力と『回転させる』力を調整することで、打ち込まれた攻撃を自身の周囲を周回させて送り返す擬似的『反射』を可能とする能力。
(……竜巻?)
ふと、絹旗の頭に何かが引っ掛かった。
何故か思ったよりも積極的行動をしてこない回転方向を前にしながら、絹旗は“演算”の片隅で推測を構築していく。マルチタスクと呼ばれるこの並列思考処理能力こそが、絹旗が大能力者だという証である。大能力者が人間兵器として数えられるのに対し強能力者が“人間止まり”なのは、この能力があるかないかが大きく関わっている。つまり、超能力などという人の身に過ぎた力は、常人では到底扱いきれないというわけだ。大能力者以上の超能力はその“演算”の複雑化により、マルチタスクがない者には扱えない。強能力者から大能力者へ至れずに落ち零れていく学生が多いのはこのためである。
強能力者と大能力者の間には明確な差がある。その差は無能力者と強能力者のソレよりも大きく、それを越えるのは容易ではない。
今この場において、絹旗最愛は大能力者であり、回転方向は強能力者である。格下の小細工程度、絹旗が見破れぬ道理はないのだ。
(回転方向の作る『回転』の“面”は常に背筋に超垂直。ならば……)
絹旗は目の前の回転方向に向かって走り出す。
回転方向は今までと同じように佇んだまま、『回転』の膜を張る。
何度も繰り返されてきた攻防。
しかし、今度の一撃は違った。
「はああああ‼」
(『回転方向』の射程はおよそ三十センチほど……)
これまでの戦いの中で見極めた相手の最大射程距離ぎりぎりの距離。そこで、絹旗は力一杯跳ね上がった。
『窒素装甲』の至近距離大量噴出による力技と絹旗自身の身体能力が合わさり、回転方向の認識速度を越えた速さで彼女は跳躍する。
(『回転方向』の『回転』面における中心点は常に奴に背骨に超水平。効率的な『反射』をもすなら、その射程距離を活かして円球状に“膜”を張るのが道理。つまりーーーー)
絹旗の身体が回転方向の真上にくる。
(『回転方向』の『回転』円はその中心を一つの中心軸上にとる必要がありーーーー)
回転方向は気づかない。
(その中心軸上、奴の真上には『回転』が働かない!)
『回転方向』が『中心』に引き付け、加速させる能力だとして、その効果を十全に発揮するためには能力を完全にコントロールしないといけない。それはつまり、絶対能力者になるということだ。どんな能力であっても、それを能力の通りに使える者はおらず、能力使用にかかる制限によって能力強度が決まっている。回転方向が強能力者であるということは、その能力行使に多分な制限が掛かっているということであり、『中心に引き付け、加速させる』という能力を十全に使えるというわけではないということ。例えば発電能力者は総じて電気、磁気を操るが、それをいかに操るかによって強度が変わってくる。それは射程距離であり、発電総量であり、媒介物質であるのだ。
そうして、強能力者である回転方向の制約は、『回転中心』の指定可能範囲であった。最初は一点。次は二点。その次は直線。その上は球。
つまり、強能力者としての『回転方向』には頭上の絹旗を止める術はない。
(超もらった!)
振り下ろされる豪脚。『窒素装甲』によって強化されたそれが、回転方向の頭へと放たれた。
3
おかしい。絹旗は目の前の現象に戸惑いを覚える。
回転方向の頭上から放った一撃は、『回転』の穴を抜け確かに目標へと届いた。
(殺さないように手加減は超してましたが、しかしこれは……)
回転方向へと直撃したはずのそれは、当たると同時に押し流され、ニット帽を吹き飛ばすだけに終わった。
土壇場での能力操作。絹旗の狙いに気づいて『回転軸』をずらした。そう考えることもできなくはない。
けれども、それよりもは。
(強度が上がった? 何ですか、その超ご都合主義展開は。どこのB級映画ですか)
絹旗は回転方向を睨みつける。そして、ニット帽が外れたことにより、あることに気づいた。
(舐めてるんですか)
ニット帽の下。回転方向の耳にはあろうことかイヤホンが刺さっていた。左右共にである。
馬鹿にされていると憤る絹旗だったが、すぐにあることを思い出す。それは推測でしかなかったが、決して可能性が低いとも言えない、いや、現状を鑑みれば十分にあり得ることだった。
無能力者から強能力者へ。そして短時間の戦闘で大能力者に至る。耳にはイヤホンから曲を流し、それを常時聞き続ける。
学園都市の実在する都市伝説。
『幻想御手』。
(けれどアレは、使用者が複数人いて始めて効果を示すはず。いや、別にアレそのままでなくても、アレを元にどこかの研究所が開発した新型ということも……。まあ、今考えても超無駄ですね)
『幻想御手』は共感覚性を利用して使用者の脳波に干渉する音声ファイルである。複数の人間の脳を繋げた『一つの巨大な脳』状のネットワークを形成し、『樹形図の設計者』に匹敵する演算装置を作るものであり、その過程で取り込まれた脳波同士が互いの思考パターンを共有し、“演算”能力を底上げすることで能力強度を上げる。
当然ながら回転方向が現在使用しているものはオリジナルのソレではない。回転方向の“演算”時の脳波パターンをより効率的に改良したものを入力したソレを回転方向本人が使用することにより無理やり回転方向の脳波を上書き、働かなくなっているAIM拡散力場を正常へと矯正しているのだ。
しかしオリジナルの幻想御手に『入力された脳波に矯正させられ続けることで脳が疲弊し、昏睡状態に陥る』という欠点があるのと同様に、回転方向が使用している幻想御手にも欠点が存在する。
それは、今後幻想御手による補佐がないと超能力が使えなくなるというものだ。そしてそうなれば幻想御手を使用する以前よりも能力強度は下がってしまう。一時的なブーストと引き換えに今後の能力者人生を引き渡す契約。それが回転方向のために作られた幻想御手である。
(積極的に攻めてこなかったのは強度が上がるのを待っていたからですか)
絹旗は拳を握りしめる。
現在目の前にいる回転方向は自分と同じ大能力者。大能力者としての経験は絹旗の方が上とはいえ、相手はよりにもよってベクトル操作系能力者である。近接戦闘主眼の絹旗の勝率は、かなり下がってしまったとみてもいい。
だがしかし。
この場には絹旗以外にも能力者は存在する。それも、能力者の頂点、超能力者たる麦野沈利がである。
「麦野さん! 超チェンジです!」
絹旗が叫ぶと同時に光と熱の奔流が目の前の回転方向を襲った。
4
絹旗最愛という少女は『アイテム』の中でもかなりの慎重派である。
そんな絹旗が麦野に応援を要請した。それはつまり、麦野が能力を使ってもターゲットを殺さずに済む、と絹旗が判断したということだ。
麦野沈利の能力、『原子崩し』は、本来『粒子』又は『波形』のどちらかの性質を状況に応じて示す電子を、 その二つの中間である『曖昧なまま』の状態に固定し、強制的に操る能力である。『曖昧なまま固定された電子』は『粒子』にも『波形』にもなれないため、 外部からの反応で動くことが無い『留まる』性質を持つようになり、この性質により擬似的な『壁』となった『曖昧なまま固定された電子』を強制的に動かし、 放たれた速度のまま対象を貫く特殊な電子線を高速で叩きつけることで、絶大な破壊力を生み出すのだ。その強力過ぎる能力故に、並大抵の相手では一瞬で融解してしまう。
そんな麦野の一撃が放たれ、回転方向を襲う。
舞い上がった煙が晴れた向こうに現れたのは身体の至るところが焼け爛れ、荒い息をついて膝を折る回転方向の姿だった。
(あちゃ、やりすぎたか......)
その惨状を目にし、麦野は反省する。
『アイテム』に与えられた任務は、回転方向を殺さずに追い返すこと。絹旗が大丈夫と判断したようなので一撃放ってみたが、危うく殺すところだった。
麦野沈利は超能力者である。超越した存在である麦野には、格下たちの微妙な違いなど分からない。レベル40もレベル30も、レベル100の前では同じなのだ。
それ故に格下である絹旗に判断を任せてみたのであり、事実として彼女の判断は間違っていなかった。
息を絶え絶えの回転方向を前に、いつの間にかやってきて麦野の後ろに隠れていたフレンダが告げる。
「アンタさぁ、帰った方がいいんじゃない? ムリムリ、麦野に勝つなんて」
その忠告に、回転方向は粗い息で答える。
回転方向はベクトル操作系能力者である。その能力が十全ならば、麦野の『原子崩し』を弾き返すこともできただろう。しかし、いくら大能力者になろうとも超能力者とそれ以下では越えられない壁が存在する。それは超越したマルチタスクによる圧倒的な超能力の操作技能である。回転方向がベクトル操作を行う前に、原子崩し』の粒機波形高速砲は対象を撃ち抜く。仮に前方の粒機波形高速砲の処理が間に合ったとしても、次々に押し寄せる電子の波に対応することは不可能である。回転方向は被弾直前で自身にベクトル操作を行い直撃だけは何とか免れたのだ。
動かない、動けない回転方向を一瞥して、麦野は任務を終えるべく指示を出す。
「絹旗、もうこいつ動けないだろうけど、一応アレ外して」
視線の先には奇跡的に損傷を免れた『幻想御手』がある。
それを外されれば、もはや回転方向に勝機はない。しかし、回転方向がそれに抗う力はもう残っていない。
「『暗部』を舐めすぎなんだよ、お前は」
麦野の吐き落とすその声は、突然の轟音と共に闇に消えた。
5
その場はまるで爆弾が爆発したかのように破壊されていた。事実、爆弾も爆発したが、被害の大元は別にある。
地上より十数メートル上空で、この惨状を作り出した元凶たる学園都市序列第二位、未元物質こと垣根帝督は対象の抹殺が上手くいかなかったことに舌を打つ。
「っち、邪魔しやがって......」
「てめぇ! 一体どういう料簡だクソ第二位!」
垣根の下から、間一髪防御に成功した麦野が怒声を飛ばす。『能力追跡』の能力を持つ滝壺が垣根の襲撃に逸早く気づいたため、麦野は何とか『原子崩し』での防御が間に合ったのだ。一応『アイテム』のメンバー全員と捕縛対象である回転方向の命は助けられたものの完璧とは言えず、フレンダと滝壺が損傷を負ってしまっていた。といってもフレンダは鼻を折ったくらいであるし、滝壺は回転方向と共に絹旗に無理やり安全圏に引き込まれたときに、回転方向とぶつかっただけであるが。
「お前のような雑魚には興味ねぇんだよ、年増の沈利ちゃん。とっととそこの失敗作から離れな」
(嫌な予感が今になって超当たりましたね)
絹旗は垣根の言葉を聞いて、やっぱりもっと反対するべきだったと過去の自分を叱責する。
回転方向を殺すなという今回の依頼。
回転方向を殺すという垣根の言葉。
あの憎らしい女上司はこうなることを知っていたのか。
(今考えても、超仕方が無いことですが)
それよりも、と絹旗は自分たちのリーダーの様子を窺う。
どうやら垣根に自分たちを害するつもりはないらしいが、果たして麦野はどうだろうか。
自尊心の塊のような女である。やり逃げされて黙ってなどいられないだろう。
しかし、先ほどの一撃が手加減されていたのは明らか。本気で攻撃されていたら今頃絹旗たちは生きてはいないだろう。あの攻撃は回転方向だけを狙ったものであり、絹旗が彼を助けなければそれで垣根の目的は終わっていたのだ。
(任務を破棄すれば助かる。けれどあからさまにそれをするのは超まずい)
今回の任務は学園都市統括理事会から直々に与えられたものであり、失敗することは非常に不味い事態になりかねない。しかしその妨害をしてきた相手は学園都市序列第二位の垣根帝督であり、そして『アイテム』という組織には確かに価値があるはずなのだ。つまり、ここで回転方向を見捨てたところで、すぐさま『アイテム』の面々が地獄行きになることはないであろうし、挽回のチャンスも巡ってくる。今までにだって失敗した仕事はあるのだから、ここは退くのも一つの手と言える。
麦野は一体どうするつもりなのか絹旗が窺っていると、後ろからフレンダの叫び声が聞こえてきた。
「ちょっと! 何してんのよアンタ!」
慌てて振り向く絹旗。そこではちょうど、回転方向が白い粉末状のものを口に含むところだった。
(ちょっ、それは滝壺さんのーーーー)
止める間もなく『能力体結晶』を服用してしまった回転方向。このような状況のもと、しかも重傷を負っていて、こんな行動をとると思っていなかった滝壺とフレンダの目を掻い潜った回転方向は、目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。
カクカクと震えながら上がる手足。それはまるでマリオネットのような不確かさで。
そして次の瞬間、回転方向を中心に竜巻が生まれた。
「うそ......適合した……?」
傍で見ていたフレンダがその結果に唖然としているが、場所が場所なだけに危険極まりない。
絹旗はすぐさまフレンダと滝壺の腕を掴み、その場から離れさせた。
「……まだそうとは限らない……これから暴走するかも……」
滝壺はフレンダにそう呟くが、ならそうと分かっていて何ですぐに離れない、と絹旗は突っ込みたくなる。
そしてそんな一連の事態でも麦野は滝壺たちを気にしてはいないが、それについて絹旗が思うことはいつも通り口の中へと呑み込まれた。
回転方向を覆う竜巻は次第に激しくなり、巨大になる。
そして、飛び上がった。
竜巻を纏った回転方向は一直線に空を翔ける。一瞬で十数メートルも上昇し、垣根の目の前に現れた。
回転方向は確実に『能力体結晶』に適合していた。
『能力体結晶』とは、“演算”に“公式”を与える薬である。暴走能力者と呼ばれる、通常よりも強力な能力を行使するも自我が保てないという状態に陥った能力者は、通常とは異なるシグナル伝達回路が形成される。それこそが“演算”を簡略化させる“公式”であるのだが、“演算”内容は能力者個人個人で違うため、必要となる“公式”もそれぞれ違っている。『能力体結晶』はそのうちの似たような“公式”を集めに集めてようやく形になったものであり、その“公式”を利用できる者もまた似たような“公式”が使える“演算”方法をとっている能力者だけである。そのため、ほとんどの能力者には『能力体結晶』が与える“公式”が適応せず、“演算”速度事態は上がるもののその精密生が著しく低下し、能力による自爆を起こしてしまうのだ。
しかし、なんと偶然なことか、一抹の希望として回転方向が服用した『能力体結晶』は、見事彼に適合した。これにより回転方向の“演算”能力は跳ね上がり、遂には超越者へと辿り着く。
超能力者。学園都市の頂上。御坂美琴や麦野沈利、そして垣根帝督と同じ、能力者たちの頂点。
今確かに、回転方向はそこにいた。
舞い上がる砂埃により灰色に染まる荒ぶる竜巻が、垣根帝督へと進撃する。
触れるもの全てを巻き込み、触れるもの全てを弾き飛ばす。暴力の塊となった回転方向を前に、垣根帝督は目を向ける。
自身に迫る回転方向のその様を見て。
未元物質は嘲笑った。
「同じ超能力者でもな。第二位と第三位の間には、第三位と無能力者の間よりも大きな隔たりがあるんだよ、三下がぁ‼」
『未元物質』の連続噴出により空中に浮遊していた垣根帝督の背中に、白く巨大な六枚の翼が生える。
圧倒的な存在感と神々しさを携えた六翼が、回転方向を襲う。
そして。
ーーーー衝突。
竜巻と六翼との邂逅は、音を消し去るほどの爆音を以て終わる。
敗れた少年の身体が落下し、くしゃりと骨が砕ける音がする。
勝利した青年の白翼が伸び、地に倒れ伏す少年の首へと向けられる。
そしてそれは振り下ろされ。
忽然と少年の身体はその場から消失した。
「なに⁉」
これには垣根の他に、巻き込まれないように離れていた『アイテム』の面々も面食らう。
しかし両者が行動を起こす前に。
互いの通信機が同時に反応した。
垣根と麦野は互いに顔を合わせるもあからさますぎる事態に、通信に応じる。
かくして、両者の予想は当たった。
『垣根帝督。貴様には直ちにある任務を行ってもらう。これは他の何よりも優先しなければならない案件だーーーー』
『はぁーい、麦野。あんたたちの任務は終了よ。ボーナスあげるから帰ってきなさいーーーー』
踊らされた。そのことを理解した二人は互いに通信機を握り潰した。