とある道化の回転方向(トルネイダー)   作:笛吹き男

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第二章 ムーブポイント Level4(and_More)

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 道長昨也(みちながさくや)結標淡希(むすじめあわき)という名の女と知り合ったのはつい昨日のことだ。しかし、道長は以前から結標淡希という人物の存在は知っていた。

 結標淡希。霧ヶ丘(きりがおか)女学院に在籍する、今最も超能力者(レベル5)に近い大能力者(レベル4)。学園都市の人間で少し情報に強い者なら誰でも知っている著名人だ。

 結標淡希は優秀な大能力者(エリート)である。だが、どうやらそれだけではないらしいということを道長は知った。

 

「『絶対能力進化(レベル6シフト)』」

 

 昨晩突然現れた淡希は、一言そう告げたのだ。

 『絶対能力進化(レベル6シフト)』は文字通り、絶対能力者(レベル6)に至るための実験のことである。まだ見ぬ超能力者(レベル5)の先、人を越えた超越者としての存在。人に在らざる神の領域こそが、学園都市の目指す『全ての未知を既知とする』ための解答なのだ。

 当然それは、極秘中の極秘プロジェクトである。学園都市を支配する統括理事会直々に行われる一大計画は、関係者以外には知らされることはない。つまりこの計画を知っている人間は、計画の関係者か学園都市の上層部と繋がりがある人間だけとなる。

 『絶対能力進化(レベル6シフト)』。この単語だけで、淡希がただの大能力者(レベル4)でないことを物語っている。

 結局、淡希は大した話をすることもなく名を名乗るだけで道長の元を去った。そしてそれは正しい選択だった。なぜなら、その時点で道長の精神は正常を保つことができなかったからだ。

 一年前、道長昨也は『絶対能力進化(レベル6シフト)』の存在を知った。しかし、その全てを教えられていたわけではない。道長に与えられた情報は実験の被験者と方法のみ。それも後者に至っては知らされたのは既に“事後”になってからだ。

 『絶対能力進化(レベル6シフト)』は極めて単純な計画である。ただ、規模が大きいというだけだ。

 学園都市に七人存在する超能力者(レベル5)の内、最も人を超越している序列第一位の一方通行(アクセラレータ)に二万通りの実践経験を積ます。一見そこまで秘匿する計画でもないが、問題は“実践経験”の内容にあった。

 学園都市のスーパーコンピューター『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』が提示した“実践”というのは、相手の息の根を止める人と人との殺し合いであったのだ。そしてそのために殺される二万人は、御坂美琴(みさかみこと)の体細胞クローンたちが請け負った。

 二万人のクローン人間を殺す。それが『絶対能力進化(レベル6シフト)』であり、ならばそこから流用される『超能力進化(レベル5シフト)』も根本的な点で変わることはない。

 しかし、道長が超能力者(レベル5)になることはなかった。第一回目の実験において道長は殺人行為に強い拒絶を示し、実験は続行不可能として凍結されることとなったのだ。

 それは当然の結果と言えた。

 道長昨也はあくまで“普通の”人間である。道長の住む世界において殺人行為は忌避され、社会理念として否定される。道長の自意識を形作る倫理観が殺人行為を認めることはない。

 故に計画は中止された。

 もともと、『超能力進化(レベル5シフト)』は『絶対能力進化(レベル6シフト)』のおまけでしかない。優先順位もさして高いわけでもなく、道長を無理に超能力者(レベル5)にする必要があるわけでもない。そもそも『超能力進化(レベル5シフト)』は『絶対能力進化(レベル6シフト)』に携わった一部の人間が自らの利益のために行った非公認実験なのだ。

 利益を優先する科学者は決断か早い。道長が一方通行(アクセラレータ)のように上手くいかないと解った時点で、彼らはすぐに別の実験へと興味を移した。道長昨也を使った『超能力進化(レベル5シフト)』など一つの手段に過ぎず、“使い物にならなくなった”実験台は新しく取り替えるのが科学者というものであった。

 その後とある医者に拾われた道長は、今こうして『表』の世界で生きているのだ。

 しかし、いくら『学園都市の闇』に染まる前に抜け出せたといっても、過去がなくなるわけではない。人を殺したという罪悪の鎖は道長を覆い、『表』の生活においても事あるごとにその身を締め上げた。

 学園都市に御坂美琴のことを知らない人間はいない。超能力者(レベル5)の代名詞といえば御坂美琴であり、お嬢様の代名詞といえば御坂美琴であり、努力家の代名詞といえば御坂美琴であった。美琴の名前が至るところで飛び交い、美琴の顔が至るところで映し出される。教師は美琴を見習えと言い、テレビCMではカエルの人形を抱えた美琴が無邪気に笑う。その度に道長は否応なしに“彼女”のことを思い出すのだ。 

 茶色く短い髪。少し幼さが残る顔立ち。凹凸の控えめな身体。無表情な顔と、向けられる拳銃。そして、倒れ伏す亡骸。

 走馬灯のように甦る記憶が、道長の心に深く突き刺さる。

 そのような状態で、“普通の”人間である道長昨也がまともでいられるはずかない。

 だから昨日、結標淡希はすぐに引き上げたのだ。

 そして今、こうして再び二人は対面している。

「――――住居不法侵入罪、ですよ」

 淡希の雰囲気に呑まれながらも、道長は言葉を発した。

「あらそう、それは悪かったわ。――それで、頭は冷えたのかしら?」

 淡希は不敵な笑みに、道長は薬の入ったビニール袋のとってをぎゅっと握りしめる。指が食い込み、ビニールに皺が広がった。

 学園都市において高位能力者というのは一種の特権階級にいる。少々の祥事は見逃され、気に入らないことがあれば無理矢理に押し通す。高位能力者たち、特に超能力者(レベル5)たちはそれが許されるだけの力を、それを可能とするだけの力を持っている。

 結標淡希は最も超能力者(レベル5)に近い人物である。それはすなわち、学園都市序列第八位ととることもできるのだ。

 そんな相手を前に、道長は腰を低くすることしかできない。目の前の女は、道長をどのようにすることもできる実力と権力を持っている。加えて、恐らくは『学園都市の闇』の関係者なのだ。道長の精神はこの状況においてかなり強い部類と言える。

 これがもしただの“普通の”学生ならば、まともに会話することすらできずへたりこんでしまっていただろう。本来、超能力者(レベル5)、それに準ずる大能力者(レベル4)と相対するということはそういうことなのだ。戦術レベルで影響を与える大能力者(レベル4)に、軍隊そのものといえる超能力者(レベル5)。彼らと対峙するということは、戦車に向かって生身で特攻することに等しい。

 しかし、“普通の”、『表』の世界の学生たちはそのことを無意識に忘れている。それは、『表』の生活において、高位能力者たちを純粋な戦闘力の面で認識することがないからだ。彼ら『表』の学生にとって高位能力者はあくまで能力開発におけるエリートであり、殺戮兵器と同等に捉えるようなことはない。

 そして『裏』の人間にとってそれは当たり前のことである。常に血を浴びる彼らが高位能力者と対峙したという“だけ”で思考停止になることはない。その場から逃亡するか、裏をかいて何か弱点を突くか。どちらにせよすぐさま行動に移る。

 言葉使いが丁寧になり、その場に踏み留まりながらもそれ以外に動けない、それでも口を動かすことはできる道長の状況は、『裏』を知る『表』の人間という彼の特殊な立ち位置が作り出していた。

「どうやら冥土帰し(ヘブンキャンセラー)から処置を受けたようね。それなら暴走されることもないわね」

 淡希は胸もとで組んでいた腕を解き、左右の御下げを揺らした。ベランダから離れ、部屋に置かれた卓袱台の前に移動する。

 そして何処からか取り出した軍用懐中電灯を握り、未だ玄関に立ち尽くす道長に目を向けた。

「そんなところで突っ立っていないで――」

 淡希が懐中電灯を振るう。

 次の瞬間、道長は玄関から卓袱台の前、淡希の向かい側に立っていた。驚く道長だが、淡希はその暇を与えずに手を広げて言う。

「――座ったらどうかしら?」

 道長に拒否権がないことは、一目瞭然だった。

 

 

     2

 

 勧誘。

 淡希と道長の会話を一言で言えば、それだった。

 淡希にはある目的がある。そしてその目的を達成するには仲間が必要なのだ。

 数年前まで、結標淡希は普通の女学生だった。

 学友と共に学校に通い、漫然と授業を受ける。放課後には後輩を集めて能力を高めるための手助けをし、何事もなく一日を終える。

 そんな当たり障りのない生活を送っていた淡希は、ある日能力開発の実験で能力の調整を間違えた。

 本来ならば起こるはずのない失敗であり、未だに原因は分かっていないのだが、とにかく、淡希は力の制御を誤り、その結果死ぬような思いをすることになった。

 そして気づいたのだ。自身が操る“超能力”という名の大きすぎる力に。

 そしてそれは学園都市の『裏』への入口でもあった。

 淡希が“超能力”の存在意義に疑問を持ち始めたのと同時期に、学園都市上層部が彼女に接触してきたのだ。

 学園都市側の要求は一つ。『座標移動(ムーブポイント)』という名の淡希の超能力を用いた、要人の移送だった。それも、学園都市統括理事長がいるとされ、出入口が存在せず核兵器にすら耐えられると言われる通称『窓のないビル』への護送だった。

 当然、淡希に断ることができるはずもなく、打診という名の強制によって彼女は『窓のないビル』へと学園都市のVIPを送り届ける『案内人』になった。

 『案内人』という立場は淡希に多くの情報をもたらす。これまで知ることのなかった学園都市の『裏』は淡希の前に広げられ、少しずつ彼女を染めていく。そして気づいたときには、学園都市の『裏』の人間になっていた。

 そんな中でも淡希の“超能力への存在疑問”は大きくなっていった。いや、そのような状況だからこそ淡希の疑問は強くなっていった。

 『案内人』という立場は学園都市の本当の姿に触れる機会が多い。繰り広げられる学園都市の“実験”を知り、いつしか淡希には明確なる疑問が生まれていた。

 

 能力者は能力を得る必要があったのか。

 

 能力の発現方法など、当然淡希は理解している。淡希が知りたいのは能力者の存在意義そのものだ。

 学園都市が能力者を生み出すのは、あくまで超越者たる神を作り出すため。能力者という存在はそれに至るための一つの方法でしかない。

 それなのに、学園都市は学生に能力という人の身には過ぎた力を押し付ける。そうして少なくない数の学生たちが能力によって破滅していく。

 学園都市は何のために能力者を生み出し続けるのか。学園都市はいったい何を能力者に求めているのか。

 淡希の中で渦巻く疑問は、ある日大きな転機を迎えた。

 

 『量産異能者(レディオノイズ)計画』。その存在が淡希を変えた。

 

 『量産能力者(レディオノイズ)計画』とは学園都市序列第三位の超能力者(レベル5)超電磁砲(レールガン)こと御坂美琴の体細胞クローンを用いた、『超能力者(レベル5)は量産可能か』という命題のもと始まったクローン製造計画である。しかし、学園都市の頭脳たる『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の演算結果によると、産み出されたクローンの性能(スペック)は本家には到底及ばず、その能力はせいぜいが強能力者(レベル3)程度にしかなれない『欠陥電気(レディオノイズ)』であり、そのことは実際に先行製造された量産異能者(レディオノイズ)試行検体(プロトタイプ)によって証明されている。

 当時、『絶対能力進化(レベル6シフト)』が提唱される以前、『量産異能者(レディオノイズ)計画』に携わった科学者たちはその結果に落胆した。しかし、淡希にとってその結果は大いに驚愕に値するものだった。

 感情のない、経験のない、純粋な人間でない、単価十八万円程度の血肉の塊ですら能力を得ることができたのだ。それも、作られたクローン全員がである。

 ならば、と淡希は考える。

 能力を得るのが人間である必要はないのではないか、と。

 人間以外が能力を得ることは可能なのではないか、と。

 けれども、それを確かめる手段を淡希は持ち得ない。持ち得ない――――はずだった。

 転機が訪れたのは今から一ヶ月前。

 学園都市の頭上、衛星軌道上に浮かぶ『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』が何者かに地上から迎撃されたのだ。そして『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の残骸は学園都市に降り注いだ。

 幸運にも『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の中枢部は無事地上に落ちている。それを回収することができれば、再び『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』を組み立てることが可能だった。

 学園都市の重要な実験は、全て『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』によってあらかじめ予測演算が行われている。『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』は学園都市の頭脳なのだ。能力開発は『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の指示に従って行われている。それならば、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』を使えば淡希が能力者にならなければならなかった理由が分かるはずだった。

 何故、能力者は能力者にならねばならなかったのか。

 何故、学生たちは能力を与えられなけれはならなかったのか。

 何故、学園都市は学生たちを能力者にしたのか。

 

 能力は人間に宿る必要があるのか。

 人間以外が能力を得ることは可能なのか。

 

 それを知るために、淡希は残骸(レムナント)を求める。

 それが淡希の目的。

 結標淡希が前へ進む、理由なのだ。

 

 

     3

 

「あなたのことは知っているわ、『回転方向(トルネイダー)』」

 開口一番、淡希はそう切り出した。

「非公認の『超能力進化(レベル5シフト)』の被験者、今は冥土帰し(ヘブンキャンセラー)の庇護下にいるようね。お陰で探し出すのに手間をくったわ」

 道長は淡希を睨む。焦らされるような話し方は嫌いだった。それにさっさと話を終わらせたかった。能力で脅しをかけられた状態では、文字通り生きた心地がしないのだ。

「用件はなんですか?」

「あらこわい。なら本題に入りましょう。あなた、学園都市に恨みはない?」

 道長は小さく息を飲んだ。

 淡希の言葉は、そのまま学園都市への反逆を意味する。『表』の世界において、それはただの言葉に過ぎない。しかし、『裏』を垣間見た道長にとってはとても危険なものに思えた。学園都市への反抗。それが意味するところを考えたくはない。学園都市が敵対者にする仕打ちは、嫌でも予想できる。

「――――どういう、ことですか?」

「あなた、『超能力進化(レベル5シフト)』で欠陥電気(レディオノイズ)試行検体(プロトタイプ)を殺してしまったことを後悔しているのでしょ?」

 道長はズボンの裾を握りしめる。僅かに動いた腕が、傍に置いたビニール袋に触れた。

「あの実験、本来なら行われることのないはずだったのよね。一部の人間が暴走した結果だったのだから。あなたが欠陥電気(レディオノイズ)試行検体(プロトタイプ)を殺す必要もなかった。――――でも、本当にそうかしら?」

「何が言いたい?」

「『絶対能力進化(レベル6シフト)』の流用、なんて誰でも思い付きそうな事態を上が想定していないとは思えないわ。ということは『超能力進化(レベル5シフト)』が行われたのは、害はないとして見逃されたのか――――」

 それとも、と淡希は続ける。

「最初からそういうプランなのか」

 プラン。淡希のその言葉に暗い感情が混ざっていたことに、道長が気づくことはなかった。

 それでも、淡希の言いたいことは理解した。

 全ては仕組まれていたのではないか。道長が研究機関に声を掛けられたことも、“彼女”を殺すことになったことも。

 それは突拍子のないことであり、けれども『絶対能力進化(レベル6シフト)』などという学園都市の『裏』を知っている道長にとっては笑い飛ばせない推測でもある。

 しかし、それだけだ。

 仮に学園都市そのものに仕組まれていたことであったとしても、“彼女”を殺したのは紛れもない道長自身なのだ。それに、何者かに仕組まれていたというならば、それはあの研究所にいた研究員たちがそうでもある。

 だから、道長昨也が学園都市に刃向かう理由はない。

 そうして道長が何も言わないでいると、二人の間に電子音が響いた。

 張り詰めた空気を切り裂いた携帯電話を取り出した淡希は、道長を気にすることなく会話を始める。

「――そう、捕捉したのね。ならそのまま監視をお願い」

 監視。その言葉に道長は頭を捻る。

 道長に分かるのは、淡希が誰かと共に誰かを監視しているということだけだ。道長には何ら関係のないことだったが、自身の状況のこともあり、淡希の仲間が自分と同じように他の人間にも接触しているのかもしれない、と予測を立てる。

 自分の言葉に道長が興味を示したのを確認した淡希は、携帯電話をしまい彼に語りかける。

「気になるかしら? いいわ、教えてあげる」

 淡希は薄く笑い、道長に告げた。

「見つけたのはミサカ一00三ニ号。『絶対能力進化(レベル6シフト)』の生け贄に注がれる、哀れな子羊よ」


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