とある道化の回転方向(トルネイダー)   作:笛吹き男

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序 章 レディオノイズプロトタイプ Level2(Product_Trial)

 風はない。

 そもそも、風が吹くことはない。

 ここは学園都市に無数に存在する地下研究所の一つ。室内とは思えない広さの部屋の中に、二人は立っていた。

 一人は少女。

 年の頃は十三、四歳ほど。肩まである茶色い髪に、幼さを卒業し大人になり始めた整った顔。学生服に身を包んだ少女には、しかし何の感情(表情)も浮かんでいない。学園都市が新たに開発した人工スキンを用いた人形(ひとがた)ロボットだと言われたら信じてしまうくらいにその様は人形(にんぎょう)染みていた。

 もう一人は少年。

 こちらは少女より三つほど年上で、無地のセーターを着込んでいる。短く切り揃えた黒髪は少しだけ上を向き、少女とは違い感情を顕にしていた。

 二人は箱の中にいた。

 巨大な特殊強化ガラスに囲まれた、教室一つ分に相当する閉鎖空間だ。

 中には他にマイクと無骨なカメラが数台あるのみであり、少女と少年の間を遮る物は何もない。

 無機質なそこは、完全に制御された空調調整システムによって適温に保たれている。夏が終わり外の気温は下がり始めているが、ここでは関係がなかった。

 そんな施設の一室で、二人は対峙する。

 少女の正体は量産異能者(レディオノイズ)試行検体(プロトタイプ)。学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の一人、超電磁砲(レールガン)こと序列第三位の御坂美琴(みさかみこと)お姉様(オリジナル)とする体細胞クローン――妹達(シスターズ)の試作品である。

 『絶対能力進化(レベル6シフト)』のために製造される予定の妹達(シスターズ)の実証検体として作られた少女は既に役目を果たし、あとは処分を待つのみ。

 そのことをこの場で知らないのは少年だけだった。

 少女は自身の境遇を理解していたが、そこに何の感情が湧くこともない。

 洗脳装置(テスタメント)により己を実験動物として認識している少女は、自身にそれ以上の価値を見出ださない。そもそも、純然たる事実として少女はそう扱われていた。そこに至る思考回路に何ら疑問はない。

 しかし、目の前の少年は違った。

 この異常が通常と化している空間の中で唯一、現状と理性の狭間で嫌悪と恐怖に苛まれる。

 けれども、それに同調する者はここにはいない。

 箱の外から見詰める研究者たちの目には、実験動物と被験対象しか映っていない。その白衣は嫌になるほど清潔で、清純を表すはずのそれは巡り回って全く逆の感想を見る者に与える。

 事態の打開を図ろうと思考する少年を余所に、天井に取り付けられたスピーカーから無情な声が流れた。

「始めろ」

 指示が下ると同時に、少女は拳銃を取り出した。黒光りするそれを、一瞬の迷いもなく少年に向け、引き金を引く。

 学習装置(テスタメント)によって与えられた的確な射撃技術と磁力の微調整を受けた弾丸は、ジャイロを描きながら少年の額へと向かう。

 弾丸はゴム弾ではなく、鉛に銅合金を被せたそれである。遮蔽物のない空間で、距離七、八メートルの標的を仕留めるのに十分な殺傷能力を持っていることは疑いようがない。

 刹那、弾丸が目標に到達する。

 それを人間の反射速度では知覚することはできない。

 弾丸を避けるのなら、少女が引き金に指を掛けるよりも先に動き出す必要があった。

 弾丸に耐えるなら、この場に至る前に分厚い装甲を着込んでいる必要があった。

 故に、弾丸は少年の額を直進し、肉を捩じ切り頭蓋をかち割り、脳を破壊する。

 

 ただし、少年がただの少年ならば。

 

 弾丸が撃ち抜いたのは少女の方だった。

 少女の額に穴が空き、赤黒い血液がじわりと滲み出す。と同時に直立よりやや後ろ向きに傾いていた体は、そのままばたりと仰向けに倒れた。

 その拍子に少女の手から離れた拳銃が、かたりと音を立てる。今まさに人の命を奪ったはずのそれは、そのことを嘲笑するかのように軽い音を響かせる。

 少年は暫く唖然として立ち尽くしていた。

 あまりにも呆気なく、あまりにも軽すぎる命の重さに、少年は足元から崩れ落ちそうになる。

 これまで少年を支えてきた倫理という名の地面がひび割れ、奈落へと誘うように暗い穴を空ける。

 もしこれが、少年自身が拳銃を握り少女を撃ち殺したのならば、少年はそこまで戸惑わなかっただろう。なぜならその場合、拳銃の重さと引き金の固さ、発砲の衝撃が確かな形として命の重さを少年に伝えてくれたのだから。

 しかし現実はそうではない。

 少年は向かってきた銃弾を無意識に『反射』しただけだ。常に身体に纏わせている『回転』の流れに流され、銃弾は少年の身体を半周して打ち出された。擬似的な『反射』を再現している少年のそれは、何の感慨も与える暇なく少女の命を無慈悲に刈り取った。

 まるで、像がそれと気付かず足元の蟻を踏み潰すような気軽さ。

 けれども、少年は像でなければましてや少女は蟻ではない。

 同じ人間なのだ。

 そのずれが、より一層少年の心を掻き乱す。

 そんな少年を嘲笑うようにスピーカーから再び声が放たれる。

「気に負うことはない。あれは人間ではない」

 告げられたのは少女の正体。

 それを知った少年はその瞬間、現実を壊した(・・・・・・)

 

 

 

 その日、学園都市の研究施設が一つ封鎖された。


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