Dies irae ーcredo quia absurdumー 作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定
*よりNacht der langen Messer
『空って遠いなぁ』
初めてそう思ったのはいつのころだろう。
昔から高町なのはは取り柄のない子供だった。家族は御神流とかいうどう見ても人間から外れているようにしか見えないふざけた剣法の使い手で父も兄も姉も日々剣の道にて歩んでいた。彼女自身まったくそれらに触れなかったわけではない。幼いころ、父たちと一緒に木刀を振り回したことは何度かあったのを覚えている。と言っても、幼いころの運動神経は酷いもので歩けば転ぶ、木刀を振るえばすっぽ抜ける。その後の鍛錬次第によっては改善されたのかもしれないがそんな機会はなかった。父、高町士郎がボディガードの職務中、爆破に巻き込まれて重体を負ったから。
それは最早語られていることであり、周知の事実であろう。それにより始まった孤独と劣等感。いい子でいることへの強迫観念。なにもかもが届かない己の手のひら。一度折れた翼。周囲への浅ましい羨望。それがかつてから今に至る高町なのはの全て――というわけでもなかった。
憧れた、嫉妬した、足を引きたくなった。そんな中、どうしようもない醜い感情に走ったとき、彼女は決まって空を見上げていた。
真っ青な空を。
『飛んでみたいなぁ』
魔法を知らなかった時も、不可能であると解っていても願わずにはいられなかった。公園とか、家族の繋がりを見せつけられる場所は嫌いだったから、一人で当てもなくさまよって港まで行き着いて、意味もなく絶叫したことだってある。
そのころから燻っていた。
『もっと、飛びたいなぁ』
彼にであって魔法を覚えた。そして実際に空を飛んで魅せられた。その想いは強くなっていくばかりだった。その蒼い空をいつまでも飛翔し続けたいといつだって思っていた。
『空が似合うって、言ってくれたから』
好きな男の子がそう言ってくれた。自分の好きなことをしている姿が似合うって。恥ずかしくて口に出すのは難しいけれど、凄く嬉しかった。その言葉はなのはがなによりも欲しかった言葉の一つだったのだから。
『飛びたい。どこまでも』
子供染みた夢だ。他人に言ったらもう飛んでいるだろ、って突っ込まれるに違いない。むしろそう願って、実現できた分だけ、自分は恵まれているのだろうと思う。魔法という力が泣ければ人間に空を飛ぶのは不可能なのだから。
『でも……私は』
魔法という力を得てもその想いは消えなかった。一度堕ちても諦められなくて、仲間たちに嫉妬するくらいに。
『私は綺麗なものが好きだったのよね』
そういうことだ。空は綺麗だから。
だから、
『私は手を伸ばした』
届かなくても、それでも手を伸ばしたのだ。
ずっと昔から、そういう風に彼女は出来ていたのだ。
*
「ん……」
目を開けたそこは自分が入院している病院の中庭だった。
夢を見ていた気がする。よく覚えていないけど。昔の夢か、それとも益体の無い夢かは覚えていないけれど、夢なんていうのは大体そういうものだから気にしない。寧ろよく覚えていない分、いい夢を見たと思っておくのが吉というものだろう。
「ふわぁ……」
あくびをかみ殺す。
入院中の身で、教導も戦闘訓練もできない身としては特にやることはない。体に負担を掛けることはシャマルに全て禁止されている。テレビを見る気分でもないし、本を読むのもあまり趣味ではない。同室のフェイトとも少し喋る気になれない。それは彼女も同じだった。
だから結果として散歩するしかない。
病室用の寝間着にカーディガンという人目に付くのはどうかと思う恰好だが、幸い病院だからこういう服装でも違和感はない。それでも正直十九にもなってピンク色のパジャマというのはどうかと思うが、イメージカラーというのは仕方ない。買い物に行ってもフェイトもはやてもそういう色ばかり進めてくるのがいけないのだ。代わりフェイトにはやたら露出の多い下着もどきだったり、はやてにはたぬきの着ぐるみっぽいパジャマとか押し付けるけど。
カーディガンは茶色系だから問題ないだろう。
お嫁に行けない恰好というわけでもないし、お嫁の貰い手なんて一人しか考えていない。
「……」
結局そこに行き着くのだ。
彼はいったい何を考えているのか。自分たち誰もが考え、しかし答えの出ない問い。口に出すことはないけれど、皆一様に戸惑いながら考えている。
彼が自分たちの敵であるなんて思っていない。
確かにシュテルたちは自分たちに立ち塞がったが、彼女たちは単なる敵味方という区別で測れないということは明白だ。直接対峙したからこそ分かる。
そういう次元ではない。
どういう次元か問われれば困るけど。
「あの」
「……?」
出口の見えない思考を働かしていたら声をかけられた。なんとなく聞き覚えのあるその声は、
「あ、君は……」
「こっ、こんにち、わ」
金髪に
「こんにちは。はじめまして、だね」
とりあえず声をかける。いくら弱っていてもこれくらいは大人の余裕だ。社会人としての常識である。いやまぁ中卒ですけど。
「高町なのは、だよ。……お名前を聞いてもいいかな?」
「ぁ……ヴィヴィ、オです」
「そっかよろしくね」
「はい……」
会話が途切れた。
この子なんで自分に話しかけてきたのか激しく疑問だったが、それでも大人の余裕を総動員して、
「……とりあえず座る? お話しよっか?」
「は、はい」
●
眼下にて、ぎこちないながらも話し始めるなのはとヴィヴィオをカイトは例によってタバコをふかしながら眺めていた。病院の中庭が見ることのできる屋上だ。
「仲良きことは美しき哉……ってな」
彼にしては珍しい皮肉や茶化し抜きの言葉だった。
はたから見れば姉妹にも親子にも見える二人に彼なりに思うことがあるのだろう。フェンスにもたれかかって、特に何かするわけでもなく眺めている。
ただ会話が進むにつれて少しずつ打ち解け合う二人に視線を送るだけのカイトに、
「何の用だよ、ティアナ」
「……」
背後からティアナがクロスミラージュの銃口をカイトの後頭部に突き付けながら現れた。
一目見て体調がすぐれないのが解った。
頬は痩せこけ、肌や髪に艶は張りもない。目の下には濃い隈すらもある。簡素な寝間着から伸びる手首もやせ細るとは言いすぎにしてもやつれているのは確かだった。今こうして銃を構えて立つだけでも全身は重く気だるい。
それでも、その瞳だけはギラリと輝いていた。
「……物騒なのどけろよ。あぶねぇだろが、怪我するぜ?」
「……」
「つかお前何時目覚めんたんだよ。俺のとこ来ないでシャマル先生なり、スバルなりに会いに行ってやれよ心配してたぜ?」
「うるさい黙れ」
ティアナはカイトの軽口に付き合うことはせずに銃口を押し付けを強める。
「……なんなのよ、一体」
「なにがだよ」
「っ、そんなの……!」
奥歯が噛み砕かれないほどの歯ぎしり共に吐き出されるのは絶叫染みた問いかけだ。
「なんで、兄さんがあんな風に……!」
言うまでもなく。今の彼女の問いかけがそれ以外にあるわけもない。カイトだって解っていた。それでもあえて問い返したんのは、
「なんで生きてるか、か? ……それともなんで
「……っ」
押し付けられた銃口が揺らぐ。
図星だった。
カイトの言う通り、なぜティアナの兄ティーダ・ランスターは生きているのか。そしてなぜあんな様になってしまったのか。そういう意味の問いだ。死んだはずの兄が生きていて、さらにはふざけた魔人になって妹である自分に銃口を向けた。なんだそれは意味が解らない。あの時はなにかも放棄して駆け寄ったが、冷静なればおかしい。
死んだ人間が帰ってくるわけがないのだ。
なのに、確かにティーダ・ランスターは存在していた。
「……」
ガリッと、奥歯が砕けた。
行き場のない激情が全身を駆け巡り、引き金に掛けた指に力が入って、
「……お前さ」
「なによ」
「――悪い夢でも見たか?」
「……!」
思わず引き金を引いていた。
クロスミラージュのカートリッジから魔力が放出されて、銃身内で魔力弾を形成。半ば条件反射でティアナの脳内で魔力処理の演算が行われ、射出し、
「ホントに撃つかよ!」
直前で回避行動をとったカイトの頬を掠めて外れて霧散していった。
「痛ってなぁおい」
カイトを傷つけるのは
「あ……」
だからこそ、カイトの頬に傷がついたのはそういうことである。
「やれやれ……」
振り返った先には自分が為した結果に茫然として腰を抜かしていたティアナ。
「大丈夫かよお前」
「う、うっさい」
立ち上がる。
「……なによこれ」
「自覚したか?」
「……」
ティアナは答えない。ただ自分の手のひらを見つめ、
「なによこれ」
もう一度同じことを言う。その要素をいつも通りの軽薄な笑みを浮かべたカイトが新しいタバコに火をつけながら、
「人外の仲間入りの証だよ」
「……」
露骨に嫌そうに顔をしかめる。
そして、
「……悪夢? そんなもんじゃないでしょ、あんなの」
「はっ、違いない」
ティアナは膝を抱えてうつむき、カイトはタバコをふかしながら空を見上げる。
「意味が解らない……何もかも、全部」
「俺だってそんな変わんねぇよ。全部理解している奴なんて……まぁいることはいるだろうけど俺らとは別格だ。考えるだけ無駄だぜ」
「……それで、
「とりあえず解ることあるだろ」
「……」
言われて立ち上がったティアナの姿はそれまでと一変していた。先ほどまではまさしく病人染みた姿だったが、最早そんな名残りはない。血色はよくなり、肌や髪の艶張りも戻っている。全身にあった気だるさも消えている。
有体に言ってベストコンディションだった。
「……いろいろ馬鹿にしてるわね」
「いやお前さん理解よすぎだぜ」
健康状態の調整等はオートだがそれにしたって即座の変化だった。
「兄さんもこんな体ってわけ?」
「厳密に言えば違うだろうが、大体一緒だな」
「そう」
数度手のひらを握ったり開いたりして、感触を確かめる。なるほどこれは人外物だとティアナは理解する。成り立ての自分でさえ知覚範囲が病院を完全に覆っている。
「一つ……二つ……うん。それくらいならいけそうね」
「……ま、使えることに越したことないけどよ」
カイトですら軽く引く理解力だ。こんな凡人がいるわけがない。何が悪いってティアナ自身自らの理解の早さに気付いていないことだろう。なのはたちのように才能が特化していないだけで、優秀さというならば彼女が頭飛びぬけているだろう。これで全方面に鍛え上げられたら正直ゾッとする。
「一つだけ答えなさい」
「なんだ?」
「兄さんは私の担当って言ったわ。それって」
「俺らのオーディションの試験官ってことだよ。神様の舞台に上がる資格があるかどうかのな。エリオならあのおっさん、なのはさんたちはシュテルたち。お前は兄貴ってことだよ」
「……そう」
納得したわけではない。それでも今ここでカイトに問いだしても求める答えがないのは解った。知りたいことはたくさんあるけど、だからこそ次に戦場で兄に相見えた時に直接問いかければいいのだ。
「ちなみに」
「あん?」
「あんたの試験官とやらは誰なのよ」
「あぁ」
軽く笑って、加えていたタバコをもみ消しながらカイトは言う。
「地獄の魔王さまだよ」
ティアナはあんまり好きじゃなかったりする(魔改造フラグです
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