Dies irae ーcredo quia absurdumー 作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定
主人公は司狼の一部改変キャラです。
ここに何冊かの書物がある。
手にとってみてほしい、装飾も装丁も美しいだろう?
そう、この桃や金や白ほかにも何冊もあるだろう。読んでもらえればわかるがこれらはどれもが素晴らしい物語だ。起承転結、序破急終そのどれもが完璧であり、どこに出しても恥ずかしくないものだ。ぜひ手にとってほしい。きっと退屈はさせない。時を忘れ、物語に没頭するであろう。それは保証するよ。事実、私でさえ美しいと感じたからね。
例えば、
この桃の書は幼い孤独からの強迫観念より、よりよい子供であろうとし、実際に幾人もの友を救い、そして世界の英雄になった不屈の少女の物語だ。
この金の書は代替として生まれ道具として使われながらも、友と出会い、心を得て、母を失いながらも、母となった閃光の少女の物語だ。
この白の書はなにもなかったからこそ得ることができた家族を愛し、そして失いながらもその身が背負った罪を償い続けようとする王の物語だ。
これらのどれもが美しく、綺麗で、完璧な物語だ。
彼女達は己の傷痕を、罪を糧にしながらもその物語を綴り、より華やかなものにしていくのだ。
ああ、なんて美しくしいのだろう。
逆境とそれを乗り越えての挑戦と成功。
古今東西、ありとあらゆる物語の題材に使われているね。
英雄譚、なんて言えば風流だろうか。
実に、美しいよ。
美しく、美しく、美しすぎてーーーーーーーーー吐き気がする。
確かに彼女たちの物語は何度も繰り返すが美しいものだ。それは否定できない。もとより美しくあれと創られた物語だからね。
苦痛と苦難を乗り越え、過去の軋みを胸に抱えながらも前に進むことは素晴らしいとも。
だがもし、その苦痛もその苦難も、胸の軋みもなにもかもが他人に用意されていたものだとしたら?
そしてもし、与えた理由がその方が美しいから、面白いからだというふざけた理由だったらどうかね?
それを、素晴らしいものだと果たして言えるかね?
何かが決定的に欠けていたほうがより美しく、素晴らしいなどという理を認められるかね?
絵画ならば一ヶ所だけの誤色を、音楽ならば聞き取れるかどうかという雑音を、文学ならば一度徹底的な焚書を、ありとあらゆる事象に覆せない欠落を是とできるかね?
否、断じて否だ。
他人から与えられた傷に、過去に、後悔に、悔恨になんの意味があるというのだ。
わかるかね? それではダメだ。
一体誰が、心の傷を望むのかね? 一体どうして、親兄弟の死別を求めるのかね? 一体なぜ、死と隣り合わせの非日常を欲するというのだ。
無論、ことには例外というものもあるゆえ一概には言えまいが基本はそうであろう。
未知を望むにしても、既知を望むにしても誰が他人から傷を与えられて喜ぶのだ。
有り得ない。
生まれながらにして、必ず傷を負うことを定められている生など誰が喜ぶ。確かに、外から観賞するならば美しいだろうね。観客ならばそう望むのは当然だ。
だがね、その物語において生きている彼女たちはどうなのだろう。
孤独に追いやられた、母を失った、必要のない罪を背負った。他にも、他にも、他にもーーーーー。
誰もがその魂に傷痕を残している。例え、外見上では乗り越えても決して魂はその傷を忘れられないのだ。
そんな人生を歩みたいと思うかね?
まあ、生きていれば大なり小なり心の傷を持つのは当然だが、それが持たされているというのがいけないのだ。
そんな世界が赦されると思うか?
私は赦せない。
かつて、あったのだよ。
今の世界のように鳥かごの鳥を愛でているような世界ではなく、真に総てを抱き締めてくれる世界が。
巡り来る全ての魂を抱き締めてくれる世界があったのだ。
那由多の数を繰り返しても飽くことのない既知が。
なによりも優しい黄昏があったのだよ。
永久不変の水底の輝きが。
だが、もうなくなってしまった。
巡り来る全てを抱き締める黄昏の女神は消えた。
そして、今。
怒りの日を超え、総てを愛そうとする黄金の獣もいない。
新世界へ己の物語を捧げた永遠の刹那もいない。
そしてーーーーーー唯一の結末を求めた水銀の蛇もまたいない。
だがしかし。
彼らの魂を受け継いだものたちもまたいるはずだ。
私はそう信じている。
全てを失っても、あの優しい黄昏を忘れてはいないと信じているのだよ。 彼らの絆はその程度なはずがない。
事実、見てほしい。この不気味なまでに美しい本を包む翡翠の光を。
それに伴い自ら輝こうとする宝石たちを。
この世界に憤りを持ち、黄昏を魂に遺している者もいるのだ。
ゆえに、私は再び物語を紡ごう。
このただ綺麗なだけの満天の新月に、輝く銀月を浮かべられるように。
あの優しい黄昏に負けない世界を創るために。
舞台上に上がろう。
これより語るのは前日譚だ。英雄譚へと続くプロローグ。
これを語るの必要はないかもしれない。だからこそ、この物語を語る意味を知ってほしい。
彼らがーーーー特にこの前日譚において主役となる彼と彼女は現実で生きようとしていることを忘れないでほしいのだ。
彼らの魂は決して幻想ではない。
その燃焼させた魂も、疾走した生も。それだけは永劫繰り返しても色褪せることない輝きであると思うよ。
では、これにて私の独白は終わりとしよう。
以て、この言葉で閉めさせてもらう。
それでは我が歌劇をご覧あれ、その筋書きはありきたりだが役者がいい。
至高と信ずる。
ゆえ、おもしろくなると思うよ。
では始めよう。
この救いようのない世界でお伽噺を終え、新世界へと疾走するために。
さあ、始まりの恐怖劇《グランギニョル》の幕を上げよう。
感想いただけると幸いです