Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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幕外七/須賀京太郎/三分の魔法

 夏は過ぎ去り、秋もすっかり深まって、いつしか肌寒さを覚えるようになった。この春吉野に引っ越してきたと思ったら、もう冬の入口に差し掛かっている――瞬く間、という言葉を京太郎は噛み締めていた。

 

 乗客の少ない電車を降り駅舎を出て、見上げるのは吉野の山。つい先日までは深緑に塗れていたのに、既に葉は赤く色づき、中にはすっかり枯れ果てた樹木もある。美しくも物寂しい世界に、しばらく京太郎はその場に立ち尽くしていたが、

 

「なーに黄昏れてんのよ」

「っと。なんだよ、いきなり」

 

 背中を叩かれて、我に返る。振り返るよりも早く目の前に躍り出てきたのは、幼馴染の新子憧だった。

 

「ほら、さっさと帰るわよ。晩ご飯の支度しなきゃ。今日は鍋よ、鍋」

「はいはい、分かった分かった。そう慌てるなって」

 

 苦笑いしながら、京太郎は憧と連れ添って歩き出す。二人のそれぞれの手には、大きな買い物袋が提げられている。憧と同じ大学に進学してからこちら、休日は彼女と過ごす時間が一番長かった。土曜日の夕餉は、彼女の家で共にするのがいつの間にか不文律となっていた。

 

 今日もまた、いつもと同じ休日。

繰り返される、いつもの時間。

 けれども世界に、いつもはない。ふと気付けば、その姿を変えている。

 

「あれにさ」

 

 意図せず、口から言葉が零れていた。

 

「ん?」

「あれに、一度しか乗ったことがないんだよな」

 

 何かを誤魔化すように、京太郎は歩みを進めて言った。指差した先にあるのは、吉野山の玄関口とも言えるケーブルカー。丁度、上りと下りの車両がすれ違うタイミングであった。

 憧は目を瞬かせてから、京太郎の横顔を覗き込む。

 

「意外ね。ここに来てもう半年以上経つのに」

「初めて来た日に、記念に乗って以来なんだよな。いつも歩くか、迎えに来て貰ってるし」

「確かにそうね。私も暫く乗ってないや。シズに付き合ってても、ずっと歩き通しだし」

「そっか」

 

 軽く頷く京太郎の視線は、ケーブルに注がれたまま固定されている。

 一瞬の間があった。

その後、

 

「……乗る?」

 

 窺うように憧が訊ねてきて、

 

「……乗る」

 

 京太郎は、誘われるかのように頷いていた。

 

 券売機で二人分の乗車券を買い、改札をくぐる。斜面を見上げるホームに立つのは、京太郎と憧の二人だけだった。

 降りてきた箱形のケーブルカーにも、乗客の姿はなかった。必然、二人だけで乗り込むことになる。

 

 止まっていても揺れる車内には、四人がけの席が向かい合わせで一組ずつ。京太郎が山下側に腰掛けると、憧はその正面に座った。

 山間に沈みゆく西日が、二人を乗せるケーブルカーに差し込んでくる。昼の夜の狭間、静かな時間だった。

 

 出発の時刻になっても、結局他の乗客は一人も入ってこなかった。扉が閉じられ、二人だけを乗せたケーブルカーがゆっくりと動き出す。

 

「ねぇ」

 

 上り始めたケーブルカーの中で、先に口を開いたのは憧だった。

 

「なんだよ」

「なんだよ、じゃないわよ。どうしたの、あんた」

 

 どきりとした。心臓が飛び跳ねた。衝動的に顔を背けようとする京太郎だったが、じっと見つめてくる憧の視線からは逃れられない。元々この密室に、逃げ場なんてなかった。助けを求める相手も、いなかった。

 

「どうしたのって、別にどうしてもねぇよ」

 

 それでも京太郎が虚勢を張ってしまうのは、昔からの付き合い故か。彼女には――あるいは彼女たちには――格好悪いところを見せたくないという、子供染みた欲求。今更取り繕う関係でもないというのに。京太郎自身、悪癖だとさえ自覚していた。

 

「嘘ばっかり」

 

 そんな態度を取られても憧が微笑むのは、やはり昔からの付き合い故か。彼のことなら全て理解している――なんておこがましい言葉、彼女は決して口にしない。けれども、少なくとも隠し事なんて全くの無意味だった。

 

「もしかして、焦ってるの?」

「……ん」

 

 端的な憧の指摘に、京太郎は小さく頷いていた。頷かされていた。こいつには敵わない、と京太郎は白旗を上げる。

 

「もう、俺がこっちに来て半年以上だろ」

 

 ぽつり、と京太郎は自嘲気味に呟く。そう、彼はこの奈良阿知賀、吉野山に希望を抱いて引っ越してきた。そのためだけに、進学先を決定した。

 

「なのに、何一つ進展してない」

 

 全ては、彼女と再会するため。大手を振って、真正面から堂々と、誰にも文句を言わせず、彼女にもう一度会いに行くため。

 

 あの夏の日に隔たれた、彼女との関係。

 自らの存在は、彼女にとって危険なものになってしまった。それを解消するためには、自分の可能性に縋るしかなかった。

 その可能性が、その希望が、どこまでもか細いことは理解していた。否、理解していたつもりだった。

 

 ここのところ、変化の手応えを感じていないのだ。長野を飛び出したときと、何ら変わっていない。このままで良いのだろうか。このままの状態で彼女と再会するなんて夢を、叶えられるのだろうか。

 

「なあ、憧」

 

 三年前、誓った日には迷いなんてなかった。だと言うのに今は、疑問と不安が止めどなく溢れて仕方がない。

 

「俺は――小蒔ちゃんに、会えるんだろうか」

 

 言ってから、すぐに後悔が襲ってきた。

 その弱音を口にしてしまうと、現実になってしまいそうで怖かったからだ。だから、何でもない風を装って、この話題になるのを忌避してきたのだ。

 

 燃え上がるような色の紅葉がアーチを形作り、その下をケーブルカーがくぐっていく。美しい吉野山の光景も、俯く京太郎の瞳には映らない。

 

「ねぇ、京太郎」

 

 相手が憧だ、厳しい言葉で叱咤されることを覚悟していた。

しかし意外にも、彼女の声色はどこまでも優しかった。

 

「小蒔とまた会えたら、何がしたい?」

「いや、だから、会えるかどうか――」

「ごちゃごちゃうるさい。良いから答えなさい。ねぇ、あんたは何がしたいの?」

 

 一転、強い言葉で詰問される。

 彼女の意図は分からなかった。

 だが、答えなければならないと思った。深く考えはしなかった。反射的に、一番に思いついたことを口にしていた。

 

「西瓜」

「ん?」

「昔、あそこで食べた西瓜」

 

 思い浮かんだのは、あの縁側の光景。あそこで一緒に食べた、あの甘い西瓜。夏の風を受けて、祭り囃子を聴いて、他愛もないことで笑い合ったあの日。

 

「もう一度、一緒に食べたい」

 

 だって、あんなに美味しい西瓜はもう二度となかったから。

 

「食べたいんだ」

「うん」

 

 あまりに単純な望みに、しかし憧は頷き笑いかけてくれる。

 

「大丈夫よ」

「え……」

「きっと一緒に、食べられるよ」

 

 胸の内にあった澱が、すっと消えていく。

 見失っていた目標が――否、本当は定まっていなかった目標が、自分の中ではっきりとした。いつの間にか、自分が何をしたいのか、どうしたいのか分からなくなってしまっていた。

 

 がたん、とケーブルカーが大きく揺れ停止する。

山上の駅に、到着したのだ。

 

 京太郎は立ち上がり、座る憧を見下ろす。

 

「ありがとな、憧」

 

 彼女は何も言わず、小さく肩を竦めた。

 ケーブルカーに乗っていた時間は、たったの三分程度だっただろう。けれども三分前とは、何もかも違っていた。こんな短い時間で、僅かな会話で、彼女は全てを変えてくれた。

 

 まるで魔法みたいだ、と京太郎は感心してしまう。

 迷ったり、間違えそうになったりしたとき、彼女はいつも背中を押してくれる。小蒔もそうだと、嬉しそうに語っていた。

 

 開かれた扉から、京太郎は車外に出る。眩い夕陽に背中を向け、未だ座ったままの憧に向かって掌を向ける。

 

「憧」

「何よ」

 

 どれだけ目が曇っていたのだろうか。彼女の顔にも、翳りがあったのを見逃していた。彼女だって、ずっと不安だったのだ。いや、今も不安なのだろう。

 

「会いに行こうぜ」

「え?」

「お前が言い出したんだろ」

 

 情けなくても、腕を伸ばし続ける。それが今、彼にできる精一杯。

 

「一緒に会いに行こう、ってさ」

「――……ばか」

 

 憧は頬を染めて、恥ずかしそうに目を逸らして――それからゆっくり立ち上がり、彼の手を取った。

 

「行こう」

「うん」

 

 赤に染まる吉野の山を、二人は寄り添い登っていく。

 

 冬の寒さを乗り越えて、その先にある季節を迎えるために。

 もう一度、二人が三人になるために。

 

 

 

                              三分の魔法 おわり




今年の冬コミ(C91)に参加します。
配置は
12/30(金) 東地区“a”ブロック-42a
です。サークル名:愛縁文庫

頒布予定はSummer/Shrine/Sweetsの文庫本(フルカラーカバー+挿絵付)、
文庫本には短編(Summer/Shrine/Sweets関連)のペーパーを付ける予定です。
また、別途短編のペーパーも書き下ろす予定です。

表紙はこちら。

【挿絵表示】


短編1:幕外八/新子憧/愛縁なくとも
短編2:幕外九/神代小蒔/愛縁結びて
※内容は予告なく変更になる場合があります。

頒布物情報などは
○Twitter@ttp1515
○活動報告
○サークルブログhttp://blog.livedoor.jp/aienbunko/
などで告知予定です。

委託なども検討中ですが、現状未定です。
よろしくお願い致します。

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