薄暗い、地下鉄のホーム。
自分をここまで連れてきた、嵐のようだった人の群れは、既に影も形もない。まるで閉じられた世界のように、ホームは静寂に包まれていた。
薄気味悪くて、心細くて、こんなところは一刻も早く抜け出したかった。不安が胸を蝕んで、誰かに構っている余裕なんてない。
――はずだったのに。
視界に入ってきた、二人の少女。
見るからに困り果て、今にも泣き出してしまいそうな女の子たち。
見逃せなかった。
無視することなど、できなかった。
有らん限りの勇気を振り絞り、少年は彼女たちに声をかける。まるで、何でもない風を装いながら。
――ああ、そうだ、きっと。
彼は、何度だってそうするだろう。
◇ ◇ ◇
東京/全国高等学校麻雀大会選手権会場 近辺
これまでの人生で幾度となく父親に拳骨をお見舞いされた経験のある京太郎は、しかし頬を平手で張られるのは初めてだった。
打たれた瞬間はさほど痛みを感じなかったが、すぐに頬は熱を帯び始める。じぃん、と頭の底まで響いてくる音があった。
目の前には、荒い息を吐き、こちらを睨みつける巫女装束の少女。彼女の黒く、長い髪が強い風に煽られた。八年前は彼女のほうが背丈は高かったというのに、今は京太郎が見下ろす形となっている。
ああ、この人が本気で怒るとこんな表情をするんだな、と京太郎は感慨に耽る。
年長で、一番厳しく自分も他人も律し、皆をまとめ上げていた彼女。常に余裕を崩さず、感情を露わにするところなど京太郎は見たことがなかった。もっとも、付き合いなんて全部で一週間程度だったのだけれども。
「気は済みましたか?」
「……まさか」
また殴られるのか、と京太郎は身構える。が、意外にも彼女はあっさり手を下ろした。もう二、三発は覚悟していたのに。やるならさっさとやればいいのだ。
「もっと手短にしてもらえませんか。これからうちの学校、試合なんですけど。いえ、もう始まってますね」
「知ってるわ。だからこうして掴まえられたんだもの」
「こっちの迷惑も考えて欲しいですね。先に行ってる部長たちに変な勘ぐりされたくないんです」
「貴方は、そんな世間体を気にするタイプだったかしら」
「八年経てば人は変わります。それに世間体なんて問題じゃない、うちだってチームの和ってものがあるんです」
京太郎の答えに、彼女は――石戸霞は歯噛みした。ぎり、と鈍い音が京太郎の耳にまで届いた。――ああ、くそ、痛い。
「自分のエゴを貫くためなら、小蒔ちゃんを泣かせても良いの?」
「石戸さん、何を勘違いしてるんですか?」
「勘違い、ですって?」
「俺と、貴女たちは敵同士ですよ。どうして敵の心配をしなくちゃならないんですか」
「――っ」
霞は、大口を開けて何かを叫ぼうとした。だが、寸前で思いとどまったらしい。
「……敵の前に、友達同士でしょう? そう思っていたのは、私たちだけだったということ?」
「そうなりますね」
――もっとだ。
京太郎は、自らに言い聞かせる。こうなってしまったのは、失敗だった。自分の失敗は、自分で取り返さなくてはならない。
――もっと、徹底的に。
――心を、殺せ。
「だから、二度と話しかけないで下さい。重ねて言いますが、迷惑です」
「……そう」
先ほど打たれたのとは逆側の頬を、叩かれる。全く予備動作が見えなかった。不意打ちに、京太郎はたたらを踏む。その細腕のどこにそんな力があるのか、京太郎は疑問に思う。
「あんまり顔は止めてもらいたいんですが。不審がられます」
「口が減らないわね。喋られなくなるまで殴って欲しいの?」
「勘弁して――」
京太郎は、言葉を切った。
平手を構えながら、霞は涙を流していた。流石に血縁、泣き顔が似ているな、と京太郎は思った。それ以上は、考えない。考えてはいけない。
「インハイ出場選手が他校の生徒に暴力を振るったと、報告するつもりかしら」
「女子相手に、そこまで陰険ではありませんよ。自首するというのなら、止めはしませんが」
「絶対にしないわね」
霞は涙を拭い、言った。
「貴方を叩いても、罪悪感は芽生えなかったもの」
「そうですか。酷い人ですね」
「貴方にだけは言われたくないわ」
霞は京太郎に背中を向ける。
「もう、何を言っても、何を訊いても――無駄みたいね」
「ええ。気付くのが遅いんですよ、石戸さん」
「京太郎くん」
「なんですか?」
「昔の貴方は素敵だった。小蒔ちゃんが羨ましくなるくらいに」
でも、と霞は歩きながら続けた。
「今の貴方は、見るに耐えない愚物だわ」
そうですか、と京太郎は軽く答えようとした。だが、できなかった。渇いた喉からは、言葉は生まれなかった。
視界から完全に消えてなくなるまで霞の背中を見送ってから、京太郎はその場に腰を下ろした。
――疲れた。
京太郎の疲弊をよそに、近くのインハイ会場からは歓声が聞こえてくる。今、清澄は一回戦の真っ只中だ。応援に行かなければならない。
「くっそ、これ絶対痕になってるだろ……」
立ち上がりながら、京太郎は頬をさする。話している間はさほど気にならなかった痛覚が、いまになってずきずきと訴えかけてくる。
――霞さん、変わっていなかったな。
大和撫子ぶりには、磨きがかかっていたけれど。実に見事な成長を遂げ、どきりとさせられたけれど。その芯は、全く変わっていなかった。妹想いの女の子。
――でも、彼女も危うい。
京太郎は頭を振る。――切り替えろ。今は、部を支えることだけに集中しなくては。
なんて考えていると、目の前から信じられない人物が歩いてきた。
「京ちゃん」
「咲、お前なんでここに……試合中だろ」
「大将戦までは時間あるから」
「でも、優希の応援は」
「部長も染谷先輩も和ちゃんも、皆京ちゃんの様子気にしてたよ。誘惑されてないかー、とかそんなんだったけど」
京太郎は、溜息を吐いた。――俺が心配かけてどうするんだ。
それから咲に向かって、
「それにしてもお前よく一人で来れたな」
「…………うん」
「その間は迷ったな」
「ちょ、ちょっとだけ」
「やっぱり」
はは、と京太郎は笑う。
――咲は、京太郎に何も訊いてこない。小蒔のことも、憧のことも。頬の痕も気付いているだろうに。
京太郎が、「訊かないで欲しい」と態度で示せば彼女はそうしてくれる。久たちも何かしら異変を感じ取っているだろうに、沈黙を保っているのは、やはり咲が取りなしてくれているのだろう。
京太郎はそうやって、咲に甘えていた。
しかし、彼女が甘やかすのを止めるのは、そう時間はかからなかった。
◇
東京/清澄高校宿泊旅館
インターハイ六日目。
清澄高校はインハイ一回戦を快勝し、二回戦に臨んだ。対戦校は、姫松、宮守、そして永水。
京太郎はいつも以上に応援の声を上げた。対戦相手の顔と名前は見ないまま――ずっと点数だけを追いかけながら。
途中、何度か危うい場面はあったものの、清澄は準決勝に駒を進めた。実績でいえば番狂わせという結果であったが、京太郎は当然と思っていた。純粋に喜んだ。
一方で、二位通過した学校の名前は無視した。考えてはならないと、何度も自分に言い聞かせた。
半荘計十回という長丁場、必然長期戦になりがちなルールではあるが、この日は進行が早く三時過ぎに決着は着いた。
ゆっくり休めることは良いことだ。もっとも、京太郎のここでの役割は基本雑用だ。宿に戻ってきた後は、準決勝で戦う相手の牌譜集めと整理、足りない雑貨購入、その他諸々の仕事がある。
決してうんざりなどしない。むしろ有り難かった。男子部員である自分が役に立てる。麻雀が弱くても、縁の下の力持ちになっているという自負が生まれる。レベルの高い女子の試合で勉強すれば、来年はきっと自分もインハイに出られる。
――なんて、嘘ばっかりだ。
働いている内は、余計なことを考えずに済む。辛いことも苦しいことも――誰かの涙を思い出さずに済む。
ネットで入手できる牌譜をありったけ印刷し、ポジション毎に分けていく。ついでに対戦中の映像が見つかったのなら全てフォルダ分け。全国の舞台での最新情報だけは絶対に忘れない。ここ二、三ヶ月で大分慣れた作業だった。
だが、ある名前が目に入った途端、京太郎は反射的に牌譜を握りつぶしてしまった。やってしまった、と後悔するが、もう一度印刷しようにも手が動いてくれない。これまで機械的にこなし続け、順調だった仕事はさっぱり進まなくなった。
気付けば京太郎は、旅館内のコインランドリーで、椅子に腰掛けていた。ごうん、ごうん、と音を立てて回る乾燥機を、何をするわけでもなく眺め続ける。はたから見れば馬鹿みたいな光景なんだろうな、と京太郎は思う。思っていても、体は動かなかった。
ひたり、と左頬に冷たいものが当たる。ゆっくりと、京太郎は彼女を見上げた。
「……なんだ、咲か」
「むっ。なんだ、はないんじゃないの、京ちゃん」
幼馴染の宮永咲が、ペットボトルのお茶を携えて立っていた。彼女は、何の断りもなく京太郎の隣に座る。京太郎は彼女の持つお茶に視線を向けた。
「それ、俺にくれるんじゃないのか」
「失礼な京ちゃんにはあげません」
「俺だって疲れてるのに」
「私も今日は疲れたんだから」
「……ああうん、お疲れ咲。やったな」
「ありがと、京ちゃん。はい、京ちゃんもお疲れ様」
ペットボトルを手渡す咲の表情は柔らかく、京太郎はほっとする。麻雀をやっているときとは違う、彼女の素顔。お茶に口をつけながら、もうちょっと頑張れそうだ、と彼は気合を入れ直す。
「ねぇ、京ちゃん」
「ん?」
「京ちゃんって麻雀弱いよね」
直球な発言に、京太郎は咽せる。なんとか息を整えてから、咲の頭をかきたてる。
「お前、もうちょっと容赦しろよ。最近勝ってるからって調子乗ってないか?」
「ちょ、ちょっと止めてよ、もう。京ちゃんが麻雀弱い理由、知りたくないの」
「俺が弱い理由?」
「うん。最近気付いたんだ」
そいつは面白い話だと、京太郎は興味を示した。何かと手のかかる咲ではあるが、雀力は自らと比較する必要もない。アドバイスをくれるというのなら、有り難く頂戴しよう。
「京ちゃんってさ、危険牌引いたらすぐに顔に出るでしょ。良い手が入っても、喜んでるのがすぐに分かるし」
「む」
「要するにね」
咲は、京太郎の顔を見ずに言った。
「演技、下手だよ、京ちゃん」
「――」
その言葉の真意を、改めて問う必要はなかった。
「……だったらもっと、練習しないとな」
「時間がかかりそうだね。別の方向で努力したほうが良いと思うよ」
京太郎はペットボトルの中身を全部呷ると、強い力で握りつぶした。彼が咲に対して、こんなにも苛立ちを覚えたのは初めてだった。
「何が言いたいんだよ」
「どうしてあの子たちにあんなことを言ったの?」
「……思ったことを言っただけだ」
「京ちゃんは、女の子を泣かせるようなことを思ったりしないよ」
分かった風な口を利くな、なんて京太郎には言えなかった。家族を除けば、彼を一番理解しているのは間違いなく彼女なのだから。
だから、京太郎は逃げる。逃げ回る。
「あいつらは、敵校の生徒だぞ。どうしてお前があいつらの心配するんだよ」
「京ちゃん」
咲は、その柔らかい声で言った。
「私は、京ちゃんの話をしているの」
京太郎は、項垂れる。敵わない、と思った。咲という少女を、未だにどこかで侮っていたのかも知れない。
「ちょっと、冷たい言い方だけど……私もあの子たちのことはよく知らないから。気にかける理由は、ないよね。でも、京ちゃんがあんな辛い顔してるんだもん。放っておけないよ」
「余計なお世話だ」
「私に最初に余計なお世話を焼いたのは、京ちゃんのほうでしょ」
ねぇ、と咲は語りかける。
「京ちゃん、ずっと私を通して別の誰かを見ていたでしょ?」
「……そんなこと」
「怒ってないよ。感謝してるくらいなんだよ。京ちゃんに助けられたことは、間違いないんだから。――それで、神代さんと新子さん、どっち? それとも、両方?」
咲の声色は、とても楽しげだ。痛いところを突かれて肩を落とす京太郎を、とことんいじめぬくつもりのようだった。
「好きなら、会いに行ってあげて」
「……俺が会ったら、あいつらを苦しめることになる」
「それは、京ちゃん一人で考えたことなんじゃないの?」
ダメだよ、と咲は京太郎を諫める。
「一人じゃ、ダメだよ。一人で考えたって、良いことなんかないんだから。それに、京ちゃんだけの問題じゃないんでしょう? 三人の、問題なんでしょう? だったら、一緒に考えなくちゃいけないよ」
がつん、と頭を殴られた気分だった。痛くて痛くて、吐き出しそうなくらいな痛みだった。
「私も、一人じゃ絶対に進めない。皆がいるから、お姉ちゃんのところに進もうって思えるの。怖くて、仕方ないけれど。それでも、牌に触れるのは皆のおかげ。――京ちゃんのおかげなんだよ」
――ああ。
――なんで、そんな甘い言葉を吐くんだ。
京太郎は両手で顔を覆う。そうでもしなくては、色々なものがこぼれ落ちそうだった。これまでの覚悟を、八年間の忍耐を、全て台無しにされてしまう。
なのに、それなのに。
そちらに惹かれている自分が、いるのだ。京太郎は、愕然とする。
その道は、正しくない。間違っている。誤りなのだ。――分かっているはずなのに、惹かれてしまう。
「私、まだお姉ちゃんとどんな話をすれば良いか分からない。どうすれば仲直りできるのかも。だから、牌で語るしかないって、そう思ってる」
でもね京ちゃん、と咲は立ち上がり、言った。
「私の手をとって、私の前を進んで、私をここに来たきっかけを作った京ちゃんなら。きっと、私に別の道を示してくれるって――信じてる」
彼女は、それ以上言葉を重ねることはなく、コインランドリーを出て行った。
京太郎は、しばらく動けなかった。迷いと悩みは深い。足にまとわりつく呪いのような枷は、簡単は外れない。
だが、彼は立った。
――行かなければ、ならない。
彼女たちの元に。
◇
京太郎は駆けだした。着の身着のまま、進み出す。陽は、傾き始めている。
旅館を飛び出す。彼女たちの宿泊先など知らない。当てもなく、この広い街で会えるわけがない。それでも行かなければならなかった。溢れ出る感情が叫んでいた。
「――京!」
背後から、自らを呼ぶ声があった。
振り返れば、肩で息をする滝見春がこちらを見つめていた。一歩遅れて、同じように息を切らした巴が続く。八年前は聞けなかった、熱の点った声で春は言った。
「姫様と、憧がいなくなった」
「え……?」
すぐには、彼女の言っていることが理解できなかった。
「姫様は、今日の試合が終わってから、すぐにいなくなって。憧も、今日ふらりとホテルから出て行った後、連絡がつかないらしくて。今、阿知賀の人も、一緒に探していて。でも……全然見つからなくって……!」
「お願い、京太郎くん」
途切れた春の言葉を、巴が引き継ぐ。
「一緒に探して欲しいの」
京太郎の頭は混乱する。――なんで、どうして、あの二人は。意味が分からない。なんで、こんなタイミングでいなくなってしまうんだ。なんで、ずっと、そうなんだ。
まとまりのない想いが溢れ出て、呼吸が荒くなる。
「春、巴さん」
「京……」
「絶対に、見つけ出す」
今度こそ、京太郎は駆けだした。呆然とする二人を置き去りにして、走り出した。もう彼が、振り返ることはなかった。安堵した春が、膝を着いて涙を流したことも京太郎は知らなかった。
――考えろ、考えろ。頭を回せ。
二人が行きそうなところ。東京という広い街で、彼女たちが望む場所。
皆で寝泊まりした大神宮。
お土産を探してはしゃぎまわった東京駅。
堀を眺めて共に歩いた皇居。
走って、走って、走り続けた。軋む膝の痛みなど、無視だ。悲鳴を上げる肺も、無視だ。この一年、最低限の運動しかしていなかった自分を呪う。それでも京太郎は、進み続けた。
だが、二人の姿はどこになかった。インハイ会場にまで足を伸ばしても、いなかった。夜を迎え、月が空に浮かんでも足取りは掴めなかった。道中、再会した初美と連絡を取り合いながらも、進展はなかった。
体力の限界を超え、京太郎は立ち尽くす。
「どこにいるんだよ……!」
熱帯夜の空気が、京太郎の肌を撫でる。汗だくになった体と、疲弊した精神。畜生、と歯噛みする。ぎりぎりと、嫌な音が鳴る。血が、口端から流れ出た。
夜の東京の街に女の子一人だなんて、危険すぎる。無事に保護されれば良いが、そんな幸運を望むだけなんて嫌だった。
「教えてくれ、二人とも……!」
八年前の、彼女たちの顔を思い浮かべる。
幸せだった。京太郎にとって、二人は幸福の象徴だった。一緒にいて、安心する。一緒にいると、嬉しい。――ずっと一緒に、いたかった。
思い出の中の二人は、いつも笑顔だ。左を見れば小蒔がいて、右を見れば憧がいる。――ああ、そう言えば、あの日もそうだった。この街で、別れたあの日。
――京くん。
ふと、名前を呼ばれた気がした。
――私、ずっとこの場所を覚えています。
「……あ」
――迷子になっていた私たちが助けられた、この場所を。
「ああ……!」
――あたしも覚えてるから。
「ちく、しょう!」
――だから、もしもまたあたしたちが道に迷ったらちゃんと探しに来てよね。
知らない街の、知らない名前の駅。そのホーム。
彼女たちが俯き、涙を堪えていた場所。
だけど、今は知っている。
知っている街の、知っている名前の駅。
京太郎は、再び走り出した。
約束を――守りにいかなければならない。
◇
薄暗い、地下鉄のホーム。
自分をここまで連れてきた、嵐のような感情は、今も胸の中で渦巻いている。対照的に、まるで閉じられた世界のように、ホームは静寂に包まれていた。
薄気味悪くて、心細くて、こんなところにいてはいけない。こんなところは、人の心を蝕んでいく。
――だから。
視界に入ってきた、二人の少女。
見るからに困り果て、今にも泣き出してしまいそうな女の子たち。
見逃せなかった。
無視することなど、できるわけがなかった。
あらん限りの勇気を振り絞り、少年は少女たちに声をかける。何でもない風は装えない。罪科を背負い、彼女たちの前に立っているのだから。
「……ごめん」
二人は、顔を上げた。
「ごめん……!」
京太郎の声は、激しく震えていた。油断すれば、すぐに嗚咽が漏れ出るだろう。だが、その資格はない。京太郎は限界まで自分を律する。
少女たちはふらりと立ち上がった。限界まで溜まった涙は、すぐに堰を切った。
なんで、も。
どうして、も。
問う言葉はない。
殴られる覚悟で立っていた京太郎の体に、二人の体がぶつかった。とても軽く、そして重かった。
「ずっと、会いたかった。ずっと、こうしたかった」
「はい……!」
「うん……!」
京太郎の胸に、二人の少女は顔を埋める。ぐしゃぐしゃにシャツは濡れて、それでも京太郎は気にせず彼女たちを抱き締める。
「酷いこと言って、ごめん。逃げ出して、ごめん」
京太郎の言葉に二人は頭を振る。そして、彼女たちも強く京太郎の体を抱き締め返した。京太郎の視界が、歪んでゆく。もう、我慢できなかった。
「小蒔ちゃん、憧」
昔、伝えたかった、あの言葉。恥ずかしくて、口にできなかったこの言葉。
「大好きだ」
この道は間違っている。きっと、彼女たちを傷付ける。
それを分かっていながら、しかし京太郎は、彼女たちを抱く力を緩めなかった。緩めることなど、できなかった。
――三人の別れは、八年前の夏に遡る。
次回:幕間/石戸霞/ペイン