上条当麻が風紀委員でヒーローな青春物語   作:副会長

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――ありがとう。ヒーロー。


ヒーロー〈主人公になれなかった少年〉

 

 前回と違い、上条当麻はしっかりと意識を保ったまま、元の姿となった女子中学生ズと共に、『学園都市』へと帰ってきた。

 

 あの後、上条は天使『神の力』が身体に入った後遺症か、ぐったりと眠り込んでしまったミーシャ――否、サーシャ=クロイツェフの介抱を神裂に任せて、頬を真っ赤に腫れ上がらせた神定剣と共に、今回の儀式場となった『神定家』へと、再びタクシーで向かった。

 

 そして、入れ替わりが解けたことで自由の身となった土御門と合流して、『神定家』へと辿り着いた上条が見たものは。

 

 柱一本残さずに破壊され尽くした――かつて『神定家』があったとされる更地だった。

 

「…………」

「確かに、ここは龍脈としては恐ろしい力が通っている場所だが、肝心のオカルトグッズは見事に効力を失っている。これなら『御使堕し(エンゼルフォール)』はおろか、何の魔術も発動する恐れもないだろう」

 

 プロたるエージェント、風水を専門とする陰陽師――土御門元春は、膝を折ってその地の土に触れながら、そう断言する。

 

 上条はその言葉を聞いて、隣に立って呆然と破壊された我が家を見る剣に、向かって言った。

 

「………………悪かった」

「…………」

 

 それは『御使堕し(エンゼルフォール)』を解決する為とはいえ、長年暮らしてきた家を破壊したことについてなのか。または、もっと別の意味が込められていたのか。

 

 上条は、それ以上何も言わなかった。

 剣も、ただ一言、こう返すのみだった。

 

「……君は、何も悪くない」

 

 剣は、そのままふらふらと、どこかに向かって歩き出す。

 

「元々、仕事道具はオフィスに置きっぱなしだ。海外を飛び回っていてね。この家は最早、寝に帰るだけの場所だった。……息子も、何年も帰ってきていない。……ただの――残骸だ」

 

 神定剣は、『跡地』を、一度だけちらりと見ると、再び前を向いて歩き出す。もう、振り返ることはせずに。

 

 しかし、その足取りは、まるで幽霊のように不確かで。

 

 どこに向かおうとしているのか、目的地すら決まっていないかのような、どこに行けばいいのか分からない迷子のようだった。

 

 上条はその背中に向かって何かを言おうとする。

 だが、何と言えばいいのか――まるで、分からない。

 

 幻想を殺すことしかできない英雄(ヒーロー)は、幻想を砕いた、その先の道を指し示すことが出来ない。

 

 例え、それがどれだけ歪んでいても、間違った逃避だったとしても、それを支えに生きている人間はいる。この世界には、そんな弱い生き方でしか生きれない存在もたくさん居る。

 

 この世界は、そんな一般人(ひとたち)で溢れている。

 

「……………………」

 

 上条当麻は、かつて、第三次世界大戦を引き起こし、世界を救おうとした男に向かってこう言った。

 

 俺様は、『世界中』なんていうものが、どれだけ広い場所なのか分からん人間だと言った男に向かって――こう、言った。

 

 なら、これからたくさん確かめてみろよ――と。

 

(……俺はフィアンマに偉そうに言えるほど、『世界』なんてものを知ってたのか?)

 

 ()()()()()()()()()()()()、半年も経っていなかった身の上で。

 ずっと、ずっと、世界の命運を賭けた第一線上なんて場所を渡り歩いていた戦争屋が。

 

 この世界で、当たり前に暮らす人々の顔を、一体どのように思い浮かべていたっていうのだろう。

 

(……『世界中』の人々が、しあわせで、完璧な――黄金の世界)

 

 近づけることが出来ると思っていた。

 出来なくてもやらなくてはならないと思い、この世界に来た十年間、戦って、戦って、戦い続けてきた。

 

 だけど、上条当麻は、やっと思い出した。

 あの『魔神』はこう言っていた――あの世界は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 ならば――上条当麻という悪魔が、こうして生まれてしまった時点で。

 

 あの世界は、どう頑張っても、作り出せないということではないのか。

 

(…………俺が、いたから。……俺が――この世界に、来てしまったから)

 

 上条は、まるで救いを求めるように、震える幻想を殺す右手を、遠ざかっていく痩せこけた背中に向かって伸ばす。

 

 疲れ切った男は、丸めた背中越しに、小さく呟く。

 

「……マンションの一室を新たな家とするくらいの蓄えはある。住所さえあればいい。どうせ、僕も息子も、碌に帰らない『我が家』なんだ」

「……お前は、これからどうするんだ?」

 

 男の生きる希望を、縋る幻想(オカルト)をぶち殺した少年は。

 上条当麻という存在を持って、彼の息子の『居場所』を、『役割』を奪い取った少年は。

 

 夢も希望も横からがっさりと奪い取って、さあ君は何がしたいと突きつけるような、そんな罪深い質問を問う。

 

 打ち倒したヴィランに、ヒーローは救いを求める。

 

 疲れ切った男は、振り返ることすらせずに、そんな傲慢な問いに返した。

 

「――――さあ?」

 

 どうしたらいいと思う? ――ヒーローは答えられなかった。

 

 答えなど期待していないとばかりに、男の歩みは止まらなかった。

 

 その小さくなったとある父親の背中が見えなくなるまで、食い縛った歯と共に、右の拳を握り締めるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『――本日、目撃者の通報を受けて、逃亡中だった火野神作氏が、神奈川県某所で再逮捕されました。男が立て籠もっていた民家は住民が留守の時を狙われ――』

 

 学園都市の大型モニタで語られるニュースは、壁の中の住民である学生達にとっては興味の外なのか、誰一人真剣に耳を傾けている者はいない。

 

 上条当麻も、そんなニュースを右から左へ聞き流し、数日ぶりに右腕に風紀委員(ジャッジメント)の紋章を身に着けながら、パトロールと称して俯きながら街を歩く。

 

 

 

 あの後、再びわだつみの家に戻った上条は、女子中学生ズと一緒に再び海水浴に連れ出された。

 本来の姿に戻った佐天、インデックス、00001号に00005号、そして何気に初めて見た竜神乙姫が楽しそうに遊ぶ姿を、お父さんポジで砂浜に敷いたレジャーシートの上で眺める上条当麻。

 

 そんな上条を少し心配げに見詰める刀夜と詩菜に、ふと、昔の『上条当麻』がどんな少年だったのか尋ねてみた。

 

「元気な男の子だったさ。『疫病神』? 誰だ、そんなことを言った奴は。確かにお前はやんちゃで、他の子よりも少しばかり運が悪い子だった。生傷は絶えなかったな。だが、それだけだ。お前のことをそんな風に言う奴は、誰も居なかったさ」

 

 確かに、あんまりにもよく怪我をする子供だったから、神社とかにいく度にお守りは必ず買っていたがな――そう笑う刀夜に、上条は、それじゃあどうして俺を学園都市に入れたんだと問うと「私の仕事上、海外出張が多くなりそうだったからな。長期間家を留守にしてしまうことも多くなるし、お前も学園都市の超能力に興味を示していただろ」と、笑顔で答えた。

 

 己の右手を見詰めながら、上条は「……そうか」と呟いた。

 

 

 

 そして、その日の夕方。

 わだつみの家にて上条夫婦や竜神乙姫と別れた上条当麻御一行は、そのままタクシーで直接『学園都市』へと帰還した。

 

 上条らが住んでいるマンションの前では第一位、第三位、第五位とその側近、風紀委員の後輩二名と妹達が勢揃いで待ち構えていて一悶着あったりしたが、上条の様子が少しおかしいことにその場に居た全員が気付いていたのか、割とすぐに解散になった。

 

 

 

 翌日――目覚めてすぐさま、上条は風紀委員177支部へと向かい、腕章を腕に付けて、パトロールへと出かけた。

 

 夏休みも終盤へと差し掛かり、学生達も少し浮ついた、けれどどこか寂しげな雰囲気があった。

 

 上条は、ただただ第七学区を彷徨い続けた。

 途中、騒ぎやトラブルを見つけると、まるで習性のようにその中へと飛び込み、右拳を振るう。

 

 

 そんな中、不良(スキルアウト)にとある絡まれた少年を上条当麻は助けた。

 

「――大丈夫か?」

「……はい、ありがとうございます」

 

 上条はこの日、何かを考え続けるように俯いていた。

 少年はいつも、何かに怯え続けるように俯いていた。

 

 だからこそ――気付けなかった。

 

 その右手が掴んだ右手が、一体どのようなものなのか。

 

 ズキンッッ!!! ――と、激痛が走った。

 

 まるで自分が触れたものを拒絶するように。

 あるいは磁石で同じ極を近づけて、反発し合うように。

 

 そして、二人の少年は顔を上げて、お互いの存在に気付く。

 

 少年の方は上条当麻を知っていたのか、自分を助けた顔を確認すると、露骨に様々な表情を浮かべて、尻餅を着いたまま俯く。

 

 対して――上条当麻は、その顔を思い出していた。

 つい先日、打ち止め(ラストオーダー)と共に街を散策した時に肩がぶつかった少年として――()()()()

 

「――――っ」

 

 どうして、忘れていたのだろう。

 どうして、この顔を、今の今まで忘れていることなど出来ていたのだろうか。

 

 自分は知っている。上条当麻は知っている。

 目の前のこの存在を。目の前の、見ず知らずの少年の――()()()を。

 

 この十年で、学園都市のどこかで、少年が自分を見つけたように、自分も少年を見かけていたから――違う。

 

 もっと前。学園都市を訪れた上条当麻に憑依するように現界した、この世界へと降り立った――()()()()()()に。

 

 逆行する以前の、前の世界のどこかですれ違っていたわけでもない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

――いつまで寝ぼけてるつもりなのよ、『上条当麻』!!

 

 

 それは――平和で、くだらないことで大真面目にふざけまくって、けれど皆が笑顔で楽しんでいる世界。

 

 

――誰もがいつかやってやると夢見ていても、真正面から実行するのは『カミやん』以外にゃありえないんだぜい?

 

 

 争いも事件もトラブルもあるのだろうけど、それでも、どんな目に遭ったとしても、例え誰も足を踏み入れていない闇の中でも――この場所に帰ってこられるならと。

 

 

――『とうま』! わたしの「おでん欲」はこんなもんじゃおさまらないんだよ!

 

 

 明日も明後日も明明後日も、こんな毎日が続くのだろうと心の底から思えるような世界。

 

 

 

――……なん、なんだ、あれ? あの、見たことも聞いたこともない、『上条当麻』と呼ばれていた……あいつは誰なんだ?

 

 

 

 そんな世界を、()()()()()()()()()

 

 輪の外で、教室の片隅で、一番端っこで、一番隅っこで。

 

 名も無き一般人Aとして、その世界で暮らす、世界中の中のたった一人として。

 

 物語に登場出来ない存在として――ひとりぼっちで、かちかちと震えながら見ていた。

 

 

 目の前の少年が。尻餅を着きながら俯く少年が。

 

 上条当麻とは似ても似つかない、身長も、体重も、目鼻立ちも髪色も、何もかもが違う存在が。

 

 輪の中で、皆に囲まれて、笑顔に満ちた世界で『()()()()()()()()()()を。

 

 

 

――()()()()()()()。『()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 かつて、魔神オティヌスはそう言った。

 

 事実――そうなのだろう。

 主人公(ヒーロー)とは、言ってみれば物語の舞台装置に過ぎない。

 

 悩める人が居て、その悩みを解決してくれる存在がいれば、子羊にとってはその者こそヒーローだ。

 

 逆に、この世界でたった一人の選ばれし存在にしか救えない存在がいるとするのなら、その方こそよっぽど悲劇だ。

 ならばその悩める子羊は、世界中でそのたった一人に奇跡的に巡り逢えなければ生涯救われないままなのか? もし巡り逢えたとして、そのヒーロー候補が失敗したら? その後の子羊はやはり一生救われないのか?

 

 それならば、ヒーローなんて誰でもなれた方がいいに決まっている。

 ()()()()その悩める存在の涙に気付いた誰かさんが、その涙を拭う為にヒーローになるのが一番美しい形じゃないか。

 

 選ばれしヒーローなんていない。

 例え、舞台装置でも。換えの利く電池でも。

 

 助けたいと願った人が泣いている。

 それだけで立ち上がっていいはずだ。

 

 だから――上条当麻は、かつて、『上条当麻』の世界にこう言った。

 

 あの絶対の魔神に向かって。

 己が切り捨てられた、見ず知らずの誰かに全てを奪われた世界に向かって。

 

 それは、俺なんかの意のままにならないくらい、彼らが自由で価値があって尊重されるべきという表れだと。

 

 全てが己に痛みしか与えないとしても、こっちの都合で勝手に均していいものではないと。

 守るべき、ものだと。

 

 ()()()()――()()()()()()

 

(…………これは、お前の仕込みなのか……オティヌス)

 

 どこかで見ているのだろうか。

 あの全知全能の神は、こうして伸ばした手を下ろすことすら出来ない無様な人間を見て嗤っているのだろうか。

 

 結局、前提から間違っていた。

 あのしあわせな黄金の世界を目指して戦ってきた、この十年間――その始まり(スタート)から、致命的に間違っていた。

 

 この世界に降り立った、学園都市へと足を踏み入れた上条当麻に乗り移ったその瞬間――上条当麻が、この世界に誕生したその瞬間。

 

 その第一歩と共に、上条当麻はとても大切なものを踏みにじっていた。

 

 かつて全知全能の魔神に立ち塞がってでも守ると吠えたものを。

 決して穢してはならなかった、越えてはならなかった一線というものを、あの初めの一歩で既に上条当麻は踏み越えていた。

 

 これは、はじめから完全無欠のハッピーエンドなど存在しない物語だった。

 

 一頁目の一文字目でケチの付いた、誰かの『不幸』が前提の物語だった。

 

 上条当麻は、伸ばし続けていた右手の拳を、ギュッと握った。

 それは決して掴まれることのないものだと――目の前の存在からは、決して求められない存在の手だと、気付いたから。

 

 だから代わりに上条は、声を投げかけた。

 俯く少年に。自分とは似ても似つかない少年に。

 

「…………名前を、教えてくれないか」

 

 上条当麻が、決して救うことの出来ない少年に。

 

 もしかしたら、いや、きっと。

 

 この世界の『上条当麻』となるかもしれなかった――『()()()()()()()()()()()()()に。

 

 上条当麻に、『上条当麻』を――居場所を、役割を、役名を、存在意義を――その全てを奪われた『()()』な少年に。

 

 この世界での、新たな名前を、問う。

 

 教室の隅っこの席で、誰の輪にも入れない、一般人Aとなった『元主人公』は言う。

 

 

「――神定(KAMIJYOU)

 

 

 ゆっくりと、その少年は俯いた顔を上げる。

 

 父親と同じ色の瞳に込められているのは――溢れるような尊敬、燃えるような嫉妬、煮えたぎる憎悪。

 

 そして――そして――そして。

 

 まるで、ヒーローを見るかのような――憧憬。

 

 

神定(かみじょう)(えい)

 

 

 神定影――神によって定められた、影。

 

 どこかの『神』によって、強制的に(モブキャラ)へと配役変えを再設定された存在は。

 

 力の無い微笑みを浮かべて、主人公(ヒーロー)の手を借りずに起き上がり、そして、すれ違うようにそのまま路地裏を出て行く。

 

 上条は振り返る。何かを言わねばと――だが、何を?

 生まれてきてすいませんとでも言うつもりか。今日から君が『上条当麻』だと、こんな主人公(もの)は君に返すからと。

 

 そんな妄言は、噛み締められた上条の口によって強制的に飲み込まれる。

 

 ゆっくりと、ふらふらと、遠ざかっていくその背中は――父親と同じ、弱々しい一般人の歩みで。

 

 とてもではないがヒーローなどには見えない、ごくごくありふれた、どこにでもいる高校生のもので。

 

 結局、上条当麻は何も言えなかった。

 自分が救えなかった少年に。自分が救えなくした少年に。

 

「…………………ッ」

 

 誰もいなくなった路地裏で、上条は――己が右拳を、ビルの壁に向かって叩き付ける。

 

 そして、この世界に来て初めて――はっきりと、大声で、その名を天に向かって吐き出した。

 

 

「――っっっ!! オティヌゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥスッッッッーー!!!!」

 

 

 それは喉を震わせ、まるで大地をも震わすような咆哮だった。

 

 いくら路地裏とはいえ、今、ここはまだ夜も更けていない学園都市だ。

 どこで誰が聞いているかも分からない。それこそ何事かと自分のような風紀委員がやって来るかもしれない。

 

 だが、そんなことも構わず、上条当麻は叫んだ。

 どこかで見ているであろう『神』に向かって、己を破った宿敵に向かって。

 

「……もういいッ! もう十分だろっっ! ――俺の負けだ……ッ。だから、こんなことはもうやめてくれよ……ッ」

 

 先程の咆哮とは違い、まるで命乞いのように弱々しい呟きだった。

 言っていることは真逆だが、もう終わりにしてくれという懇願という意味では同じものかもしれない。

 

「俺を終わりにしたいなら終わりにすればいい。俺を壊したいならもうとっくに壊れてる。……これ以上、何の意味がある? ただただ俺が苦しむ様が見たいのか……ッッ」

 

 分かっている。本当は分かっている。

 あの魔神は――オティヌスは確かにこう言っていた。

 

――お前は外的要因から来る危機的状況を、どういうわけか奇妙に切り抜けていく性質を持つ。死すべき時に死ねないのはお前にとっても最大級の『不幸』かもな。

 

――だから自分で選んで、自分で決めろよ。

 

「……ああ。そうだったな、オティヌス」

 

 そういえば、これはそういう話だった。

 

(悪と断じられるべきは、やっぱり……やっぱり、俺の方だったんだ)

 

 これは――上条当麻が、自分で自分の命にケリを着ける物語だった筈だ。

 

「分かったよ、オティヌス。……今度こそ、死に場所を探そう」

 

 今度こそ、確実に死ぬことが出来る場所へ。

 

 清掃用のゴンドラに受け止められることも、「過去」の世界に迷い込むこともない――安心安全に絶対確実に、全てを終わらせることが出来る場所へ。

 

 ゆっくりと上条が、ビル壁から背中を剥がし、路地裏から外へと歩き出した――その瞬間。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻の頬を――『右拳』が貫いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――――グァッ!」

 

 その拳は途轍もなく弱々しいものだった。

 恐らくは人など殴ったことのない、殴った方が拳を痛めるようなパンチ。

 

 だからこそ、上条は拳が当たった左頬よりも――右手に信じがたい激痛を感じた。

 磁石の同極を近づけたことによる反発にも似た拒絶反応が右手の中で荒れ狂う。それはきっと、目の前で拳の痛みに顔を顰めている少年も同じ筈なのに。

 

 上条は尻餅を着いたまま顔を上げる。先程までとは逆の構図。

 

 そこには、かちかちと歯を鳴らして、痛み故なのか涙を浮かべて。

 

 瞳を先程までとはまるで違う色で燃やしている少年が――神定影がそこにいた。

 

「…………ふざけるな……ッ」

 

 もう殆ど効力の残っていない()()()()()()()を押さえながら、少年は震える声を漏らす。

 

「僕から何もかもを奪っておいて……はいはい死にますからお願い許してなんて、そんなことが通ると思ってるのか……っ」

「……………」

「ああ、そうだよ! 『()()()()()っ! 『上条当麻』になんて誰だってなれたかもしれないっ! それは本来は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! でもッッ!! だけどッッ!!」

 

「それは少なくともっっ!! そんな風に適当にリセマラ感覚で捨てていいもんなんかじゃないんだッッ!! 人から奪ったもんをそんな簡単に投げ捨ててんじゃねぇよっっ!!」

 

 ナメんなッッッッ!!!! ――神定影は、そう吐き捨てた。

 きっと生まれて初めて出す声量で、説教なんて生まれて初めてやるくせに、それでもただ、思ったことを吐き出すように、その『悔しさ』を、目の前の簒奪者(主人公)に向けてぶつける。

 

「ああ、悔しいよ! こんなの悔しいに決まってるッ! ……僕が何をしたって言うんだよ。まるで主人公の特別な個性(パーソナリティ)に対する裏付け設定みたいな『不幸(悲しい過去)』を背負わされて、ずっと散々な目に遭ってきたのに、ある日突然唐突に、やっぱお前よりも相応しい人材がやってきたらいいわって、与えられてたことも知らなかった『役目』を奪われて、この右手には『残滓』だけが残った。……別にさぁ、主人公になりたかったわけじゃないよ。ヒーローになれるなんて思ったことは生まれてこの方一度もない。……ただ、親を悲しませない子供になりたかった。普通に友達作って、青春して、卒業して――そんな『当たり前』が欲しかっただけなんだ。……なのに、この『右手』は異能も碌に打ち消せないのに『不幸』だけは地味に引き寄せて、僕はそんなちっちゃい不幸を跳ね返すことも出来ないくらい弱くてッ!! 母親を庇うことすら出来ない僕がヒーロー? 主人公? 馬鹿げてるよ狂ってるよおかしいだろこんなの! こんな弱い雑魚キャラに出来上がっちまった僕に、今更そんなもんを満足気に押しつけんなよッッ!!!」

 

 神定影は、生まれて初めて出す声量に声を枯らしながら、荒れた息を整えるように激しい呼吸音を漏らす。

 

 上条は、そんな神定の言葉を、真っ直ぐに受け止めていた。

 

 きっと本来は何人もの人々を、それこそ世界だって救うかもしれなかった少年の言葉を。

 

「……僕は、なれなかったんだよ。『上条当麻』にって話じゃない。もし仮に、僕の名前が『上条当麻』だったらって話じゃない。僕の右手に『幻想殺し』が宿り続けていたらって話でもない。……断言してもいい。例え、そんな『上条当麻』がこの世界に存在していたって、何の力も持たない、あなたという『一般人A』の方が、間違いなくヒーローとしてこの世界で活躍してたって」

 

 上条当麻を、ずっと陰で見続けてきた僕が言うんだから間違いない――そう、神定影は言った。

 

 上条当麻という存在によって、神定影という存在に『再設定』された、本来の主人公は。

 

 己の全てを奪った簒奪者を、笑みでもなく、怒りでもなく、ただただくしゃくしゃに歪めた表情でヒーローを見下ろす。

 

「……確かに、もしあなたがいなければと思ったことは何度もあった。そうすれば、僕は『主人公』になれたんじゃないかって。『ヒーロー』になれたんじゃないかって。……『上条当麻』になれたんじゃないかって。でも、これは、僕の()()だ。僕の後悔で、僕の人生で、僕の物語だ。あなたを妬むのも、あなたを憎むのも、全部全部、僕の感情だ。僕の、僕だけのものだ。勝手に分かった気になるな。分かった風に同情なんかすんな。可哀そうなものを見る目で見るな。上から目線で罪悪感で潰れてんな。何様なんだよ、テメェはッ!!」

 

 神定影は、みっともなく垂らした洟を啜り、涙をゴシゴシと袖口で乱暴に拭いて、真っ赤になった瞳で、上条当麻に向かって言う。

 

「だから――()()()()()()()()()()()()()()()。あなたに憧れたのも、誰のものでもない、僕だけの感情だ。これは例え、あなたにだって文句を言わせない。僕以上に不幸な環境でも、負けず、折れず、腐らず、戦い、救い、生き続けたあなたを! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っっ!!」

 

 

「生きろよッ! ()()()()っっ!! 魔神なんかに負けるなよヒーローッッッ!!! あなたは世界に()()()()()()()()()()んだから!!!!」

 

 

 神定影は――神にそう定められた影は。

 

 地面に倒れ伏せる光に向かって、そう両手を広げて渾身で叫ぶ。

 

 そして、思い出したかのように右手を掴んで俯くと、そのまま不安定な足取りで、ふらふらと上条に背を向けて歩き出していく。

 

「……あなたの代わりなんて誰もいない。『上条当麻』は、もうあなただけしかいない。僕だって、今更押しつけられるのはゴメンだ。僕は、僕の人生を生きるので精一杯なんだから」

 

 去って行くその背中を、上条は真っ直ぐに見詰めた。

 

 自分の居場所を奪った者に、自分の役割を奪った者に、自分の全てを奪った者に対して。

 

 震える身体を押さえて、震える心のままに、その全てを曝け出しぶつけてくれた存在に。

 

 これまで何も言えなかった、遠ざかっていく背中に向かって――膝を立てて、着いていた尻を上げて。

 

 立ち上がりながら、立ち上がる力をくれた偉大なる背中に向かって、上条当麻はこう穏やかに呟いていた。

 

 

 

「――ありがとう。ヒーロー」

 




かつて、主人公になれるかもしれなかった少年がいた。

そして主人公になれなかった少年は。

今も、世界のどこかで、世界でたった一人の少年として、自分の物語を生きている。

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