混乱させてしまった方、本当に申し訳ありませんでした。
「……理解、できません、とミサカは呆然と呟きます」
00001号は、目の前の光景を眺め続けながら、ふとそのような呟きを漏らす。
すでに、あの無機質ながらも冷たいまでに清潔感に溢れていた空間の名残はない。
どこもかしこも床が罅割れ、生々しい地面を露わにしている。
そして、あちらこちらに散在する瓦礫群。それらはすべて、目の前の白い少年の足先によって抉り出されたものだった。
「うぉぉおおおおおおおおお!!!!!」
自身に向かってくる、たった一人の無能力者を撃退する為に。
「―――ッ!! くっそが!!」
その挙動こそが、学園都市最強の怪物の、精神的な余裕のなさを表していた。
その土石流の弾幕を、上条当麻は必死に避けようと全力で走る。
だが、完全に避けきることは叶わず、上条の横腹に拳二個分ほどの大きさの瓦礫が直撃する。
「が、はっ!!――――ッ!」
だが、上条当麻は止まらない。
そのまま崩れかけたバランスを保ちつつ方向転換する為、身体を大きく傾け、地面に手を突きながら、その回避の速度を落とすことなく、そのまま
ひたすらに、ひたむきに、真っ直ぐに、
その様を見て、
先程から、上条が
上条当麻は
ただ、そのことの繰り返しだった。
上条の方の真意は明らかだ。
こんな何もない無機質な空間では、上条に出来る小細工はなかった。
そもそも、上条如きが思いつき、実行できるような小細工など、
彼には全て『反射』されてしまう。
上条が出来るのは、この右手で殴ることのみ。
だがら走る。
対して
ならば、答えは単純だ。
近づけなければいい。上条が己に触れられないように、拒絶すればいい。
自身のベクトル操作能力があれば、触れることすらせずに相手を打倒することなど造作もない。
だが、目の前の少年は、全く倒れない。
何度排除しても、一向に諦めない。
それが、
(……なンだよ)
すでに何度土石流を浴びせたかは分からない。
その中のたった一発でも、まともに食らえばただでは済まない威力にしたはずだ。
それでも上条は、生半可な攻撃は躱してみせ、たとえ攻撃を食らっても、何度でも再び立ち上がってみせた。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
(………………なンなンだよォ)
すぐさま立ち上がり、足を止めず、この
あの、燃え盛るような闘志を剥き出しにした瞳で、
愚直に、真っ直ぐに――恐れることなく、
「アクセラレータぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
その右手を、差し伸ばし続ける。
怪物であるはずの自分に向かって、何度でも。
何度でも、何度でも――何度でも。
上条の伸ばされた右手が、
「ッッ!!…………なンだってンだよ!! てめェはよォォォォおおおおおおおお!!!」
その虚弱な細い足は、筋力ではなく能力によって、豪快に地面を爆発させた。
「――ッッ!!!」
それは、今までの中で一番の大波。
怪物に迫る
その大いなる自然災害の如き一撃に、無力な無能力者である上条当麻は為す術がなかった。
吹き飛ばされる。軽々と、高々と打ち上げられる。
距離が近づいていた分、大波に呑み込まれなかったことを幸いというにしては、重すぎる致命的な一撃だった。
ダンっ!!! と、実験ルームの後方の壁に叩きつけられ、そのまま落下する。
00001号はその様を目で追って、反射的に口を大きく開くが――何も発さずに口を閉じ、何かに駆られるように、痛む全身を引き擦りながら、上条の元へと向かう。
「……大丈夫、ですか、とミサカは安否を確認します」
ゆっくりと、ゆっくりと、肘を使って匍匐前進のようにゆっくりと、00001号は少年の元へと向かう。
分からない。分からない。分からない。
少年が、なぜこんなにも必死に戦うのか。傷ついても、傷ついても、あんなにも
相手は、学園都市最強の能力者。
こうなることは、目に見えていたのに。
「……ミサカは……ミサカは……」
分からない。何と言って声を掛けていいのか。自分はこの少年に何をすればいいのか。
分からない。分からないけど、何かしなくてはと思った。何かしたいと思った。
でも、どうすればいいのか分からない。これまでインプットされた情報を、ただ指示通りに遂行していただけの
ザッ と、音がした。
00001号が顔を上げる。
少年は――上条当麻は、立ち上がっていた。
すでに傷がない場所を探すのが困難な程に、満身創痍だった。
額からは真っ赤な血を流し、背筋を伸ばすことも出来ずに前傾姿勢で、今にも膝に手をついてしまいそうだけれど、それでも少年は立ち上がっていた。
あれほど一方的に嬲られ、自身の攻撃が届いたのは不意討ち気味の最初の一発のみ。
そんな誰がどう見ても勝ち目のない
それでも、上条当麻は、戦うのを止めない。
その右拳を、固く握り締めるのを、止めはしない。
「……理解、出来ません……と、ミサカは、目の前の光景を疑います。……あなたの行動を、疑います」
00001号は、すでに少年は立ち上がっているにも関わらず、さらにもう一歩、肘を使って這いつくばりながらも、少年に近づく。
「……どうして、そこまでするのですか?……なぜ、そこまでして戦うのですか?……ミサカのためですか?……それとも――」
00001号は、上半身をゆっくりと起こしながら、
白い少年は、まるで幽霊を見たかのように、愕然とした表情で固まっていた。
恐れているようなその表情は、とても圧倒的な実力で一方的に蹂躙している者とは思えないほどに、追い詰められているかのようだった。
その、弱弱しい姿の最強に、ポツリと、00001号は問いかける
「――彼の、ためですか?」
心なしか、少し悲しげな00001号に、上条は簡潔に言った。
「――自分のためだよ」
00001号は、驚愕の表情で、再び視線を上条に戻す。
上条は、00001号でも、
「――見たい景色がある。辿り着きたい場所がある。求めている世界がある」
上条は、語る。
それは、00001号にかもしれないし、
ついさっき徹底的に否定された麦野沈利にかもしれないし、ずっと一緒に戦ってきた食蜂操祈にかもしれない。
それとも、今もどこかで見ているかもしれない――――あの魔神にかもしれない。
「そこでは、誰もが笑っていて、誰も傷ついていなくて、みんなみんなしあわせなんだ」
上条当麻は、語る。
自分自身に言い聞かせるかのように。己に向かって再確認するかのように。
惜しげもなく、恥ずかしげもなく、荒唐無稽で、非現実的な――――己の
「その世界では、誰も彼も笑ってなくちゃいけない。しあわせでなくちゃいけない。
そうして、上条当麻は、右拳を、固く、固く握る。
何かを掴み取るように。何かを掴み取ってみせると、決意するように。
「その為に、俺は戦う。――――戦わなくちゃ、いけないんだ」
――たとえ、この世界で死ぬことになろうとも。
上条当麻は、そう呟いて――駆け出した。
「ぉぉぉぉぁぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
00001号は、反射的に上条に向かって手を伸ばす。だが、それはまるで届かない。
ただ走り去っていく上条の背に向かって、手を伸ばすことしかできなかった。
「――――ッ」
声が出ない。言葉が出てこない。なんと叫べばいいのか分からない。そもそも、何をしたいのかも分からない。
少年を止めたいのか、それすらも分からない。
(……ミサカは……ミサカは…………っ)
感情が渦巻く。どうしようもなく持て余す。
自分一人分でも扱いきれない感情が、ミサカネットワークを通じて何人分もの感情が膨れ上がり、荒れ狂い、もうどうしたらいいのか分からなかった。
正体不明の何かが、胸の中のどこかの場所に流れていく。熱くなる。
そして、それが、なぜか瞳から溢れ出してきた。
もしかしたら、その思いは――――助けたいという気持ちだったのかもしれない。
自分達を救おうとしてくれている上条を。
そして、途方もない、はるか遠く、高い場所にある何かに手を伸ばし続ける上条を。
あんなにも痛々しく戦い続ける少年を。
誰よりも悲劇的な運命を背負う少女が。少女達が。
身勝手な大人達の私利私欲の為に製造され、彼らにとって都合のいい自意識を植え付けられて、ボタン一つで生み出され、機械越しの指示によって殺される――――そんな境遇に、そんな運命に、流されるままの少女達が。
なぜだかは分からない。分からない。分からない。彼女達は何も分からなかった。
それでも少女達は、まるで何かに突き動かされるように、上条当麻を助けたいと思った。
本来救われる側のはずの彼女達が、分不相応にも、自分達を助けてくれるヒーローを、助けたいと願った。
だが、そんな少女達は、あまりにも無力で、届かない背中に手を伸ばし、
膝は震え、怯えるように、さらにずさっと、もう一歩後ずさった。
ありえない。ありえない。ありえない。
(ありえねェ……あの一撃を受けて、どォして立ち上がれるンだ? どォして走れるンだ?――どォしてアイツは、諦めねェンだッ!?)
今まで何人も、何人も
そいつ等の大半は興味本位やお遊び半分、利益目的のクズ共だったが、中には真剣に大真面目に学園都市最強の座を欲して立ち向かってきた者や、いつかどこかで恨みを買って命懸けで復讐しに来た者もいた。
だが、そいつ等は、一つたりとも例外なく、
最後には恐怖に染まった瞳や、化け物という捨て台詞と共に、
だが、目の前のこいつは、上条当麻という少年は――
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!! アクセラレータァァァァァァァァアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
折れない。屈さない。そして、止まらない。
そんな存在に――
かつて、彼らが自分に向けていたように、恐怖に染まった瞳で、その姿を捉えてしまった。
燃え盛るような意思を放つ眼で、真っ直ぐに
「――――ッッッ!!!」
そして、恐怖に囚われた怪物は――――最悪の悪手を選択する。
それは皮肉にも、かつて別の世界の『
「…………ギィィィィィィィャァァァァァアアアアアアア!!!!」
両者の距離が、一瞬で零になる。
それは、特異な右手を持つ上条も例外ではない。
だが、そんな結末は訪れなかった。
恐怖に囚われて行った
上条当麻は、触れたら一瞬で死亡するその両の手を、最小限の動きで無駄なく回避し、その交差際――
「――ッッッ!!!!」
――
その場で
上条は荒く息を吐き、00001号は無能力者が学園都市第一位を打倒したその光景に目を見開き、そして、
×××
負ける。負けた?――最強の、自分が? 怪物の自分が? 無敵になるはずの――このオレが?
負ける。負けた。敗北者。
じゃあ、自分は――
なら、現実は変わらないのか? 世界は変わらないのか?
薄れゆく意識の中で、
上手く思考出来ない。ただ、それでも欲した。力を欲した。
無敵になりたい。絶対になりたい。
ひとりぼっちになれる力を。孤独じゃ駄目だ。そんなものじゃ足りない。
孤高に。誰も手の届かない高みに。誰も存在しない世界に。ひとりぼっちの
友達? そんなものは、いらない。
傷つけ、壊してしまうに決まっている『大切』なんて欲しくない。
近づくな。近寄るな。頼むからこっちに来ないでくれ。手を差し伸べるな。
もう嫌だ。あんな思いはしたくない。元々自分には分不相応なものなのだ。
怪物が人間と一緒にいられるわけがないだろう。
それでも、夢はいつか覚めてしまう。夢が幸せであればあるほど、現実に戻った時に報いを受ける。
ああ、認めよう。
ただの臆病な怪物だ。傷つくのが、傷つけるのが、怖くて怖くてたまらない、ただの臆病者だ。
だから逃げる。そうだ逃避だ。オマエに言われた通り、孤高に逃げるんだ。
誰もいないひとりぼっちなら、誰も傷つけなくていいから。
だから、俺は勝たなくちゃいけねェ。最強じゃなくても、無敵にならなくちゃいけねェ。
もっと力を。もっと力を。もっと力を。
この世の何よりも圧倒的で、あの世の全てよりも絶対的な、前人未到の『無敵』へ。
誰も何も到達し得ない――――ひとりぼっちの領域へ。
常識を捨てるんだ。そうでなくては、目の前の非常識な無能力者には勝てない。
既存のルールを全て捨てて、その上で可能と不可能を
目の前にある全ての条件をリスト化し、その壁を取り払え。
そして、手に入れるんだ。新たな力を。
…………これでいい。それでいい。
俺は怪物だ。ならばいっそ、誰からも恐れられ、近づかないような圧倒的な怪物に。
暗い、暗い、真っ暗で真っ黒な闇の中で、それすらも寄せ付けない程の黒い、漆黒の怪物に。
だから頼むよ。行かせてくれ。ついてこないでくれ。
イイ加減、諦めてくれよ、上条。
そして、
×××
上条は、ぐったりと倒れた
――お前のそれは、テメーの自己満の為だろうが?
第四位に言われた言葉が、再び上条の心を責めたてる。
結局自分は、ただ
友達だ、救うんだとほざいておきながら、結局暴力に訴えることしかできなかった。
こうやって、片っ端から殴り飛ばして、無理矢理彼ら彼女らを、自分に都合よく捻じ曲げていく。
そうすることで、本当に自分の
そんなことして手に入れた光景が、作り上げた世界が、あの『しあわせな世界』に届くのだろうか。
「…………」
上条は、何かから目を逸らすように、
00001号が、上条の背後を見て、絶句していた。
何かを感じ、上条はゆっくりと後ろを振り向く。
馬鹿な。そんなはずはない。
二発。しっかりと全力の拳を顔面に叩き込んだ。
先程の上条のように、背を曲げ、今にも膝に手をついてしまいそうな、今にも崩れ落ちてしまいそうだが、それでも
学園都市最強の怪物は、まだ終わっていなかった。
「……
上条は、そんな痛々しい
――その時、白い怪物の背中から、“漆黒の翼が噴射された”。
上条の、右手が止まる。
そして迸る強烈な衝撃に、思わず上条はその手で顔を守り――――黒い柱を見上げた。
ヒーローが呆然と立ち尽くす前で、怪物は勢いよく天を仰ぐ。
「――ipwj孤hq」
無機質な呟きに、上条が
だが、真上を向く彼の表情は、窺うことは出来なかった。
そして、絶叫。
「ガァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!」
その咆哮は、これまでのどんな攻撃よりも、上条当麻を傷つけた。
上条当麻の、ヒーローの心が、軋み、悲鳴を上げた。
彼には、その叫びが、破壊を振りまくその姿が、その白い怪物が。
泣いているようにしか、見えなかった。
四年前の、あの日のように。
(……俺のせいなのか……これは、俺の……俺の……)
――俺を助けるっつゥンなら……上条
噴出される黒い翼が、実験ルームの天井を貫く。
上条は、そんなことは気にも留めず、顔を俯かせ――――右手を、だらんと下した。
(俺は――)
――俺の前から、今すぐ消えてくれ
(――
そして、傲慢なヒーローを罰するかのように、瓦礫の豪雨が上条に降り注いだ。
長かった妹達編も、終わりが近づいてきました。