車内は、重々しい沈黙で満ちていた。
行きと同様に親船最中の部下が運転する車にて、合流を果たした三人。
本来の身体に戻った食蜂操祈、その身体を護衛していた縦ロール、そして上条当麻。
食蜂は、戻ってきた上条を見たときに、目を疑った。
まるで別人のような目だった。だが、見覚えがある瞳だった。
あれは、四年前のあの日と、同じ瞳だ。
『立場が欲しい。悲劇を未然に防げる立場が。幸せを取り戻すんじゃない。失う前に気づける立場が』
あの、この世界全てを憎んでいるような。
そして何より、自分自身を憎悪しているかのような。
そんな、暗く、昏い、真っ黒な目。
まるで、この街の闇のような、底が見えない程に真っ暗な瞳。
食蜂はギュッと両手を握りしめ、上条に声を掛ける。
「あ、あの、上条さ――」
「――食蜂」
だが、それを制するように、何も言うなと言わんばかりに、上条が先に口を開く。
食蜂の方を見ずに、ただ窓の外の景色を睨み付けるように眺めながら。
「――この先に、
その、何かを堪えるかのような声色に、食蜂はただ「……ええ」としか言えなかった。
それ以降、目的地に着くまでの間、上条が口を開くことはなく、縦ロールは無力感を噛み締め俯く女王の肩をそっと抱くことしかできなかった。
時刻は、夜の十時。
冬の空に闇が広がり、辺りが真っ暗に、真っ黒に染まる中、上条達は最後の戦場に向かう。
×××
あれから何年経ったのだろう。
あの日から。全てが壊れ、全てを失い――本来在るべき姿へと戻った、あの日から。
『お前は怪物だ。地獄へ落ちても忘れるな』
この身が、己という存在が怪物であると思い知らされてから、いったいどれほどの月日が経ったのだろう。
あの後、
どのような内容だったかは、白い少年は覚えていない。彼の優秀な頭脳はそれらを記憶していて、思い出すことは可能なのだろうが、少年にとってはどうでもいいことだった。
何も考えず、ただ淡々とこなした。求められる結果を出し続け、その規格外なデータを提供し続け――
――そして、気が付いたら一人だった。
奴が自分に対しての興味を失ったのか、知りたいことはすべて知り尽くしたのか、理由は分からないが、気が付いたら、木原数多は
その後も、数々の研究機関が
虚数研、叡知研、霧が丘付属――どれもこれも、負けず劣らず学園都市に染まっていた『暗部』だったが、その全てが早々に
すでに真っ黒に染まりきった彼らでさえも、
それほどに、
その度に
「…………っ」
俯くように立ち止まり、肘にかけていた缶コーヒーが入ったレジ袋ががさりと音を立てる。
そこに下卑た声の集団が現われ、少年を取り囲んだ。
「おい、テメーが第一位か?」
「おいおい、まだガキじゃねぇか」
「細っ、ガリガリのひ弱くんじゃんよ~」
「これ楽勝じゃね? こいつぶっ倒せば俺が学園都市最強?」
「何それカッコいいww おい、俺一人でやらせろよ。こいつタイマン余裕だってw」
学園都市最強。
その称号は、時にこういった輩を誘き寄せる。
「つ~わけで? 悪いけど、俺らの名誉のために死んでくんね?」
鉄パイプを肩に掛けた正面の男は、嘲笑を隠そうともせずにそれを振りかぶり、無抵抗の少年に向かって躊躇なく振り下ろす。
「……うぜェ」
『うるさぁい!』
あの時の、叩き折ってしまった骨の音が聞こえた気がした。
次の瞬間、その路地裏に、学園都市最強の怪物に興味本位で噛みついた愚か者達の絶叫が木霊した。
「――チッ!」
彼の足元に蹲り苦悶の声を漏らしているスキルアウト達に向かって、一方通行は心の底から忌々しげに舌打ちをする。
学園都市最強?
こんな雑魚共に暇つぶしのように挑戦される程度の存在が?
ムシャクシャした思いを抱えながら、路地裏を出る。
――すると、パチパチという拍手の音が左手から聞こえた。
「……ッ、て、メー、は――」
忘れるはずはない。忘れられるはずがない。
その男は、
そして、
『お前は怪物だ。地獄に落ちても忘れるな』
その黒服の男は、
男は拍手を止めると、まるで旧友と再会したかのような気安さで、口元を歪めた笑みと共に、少年に声をかける。
「久しぶりだな。――そして、相変わらずだな、
――変わらずに怪物のようで安心した。
そんな言葉が聞こえてきそうな笑みだった。
×××
「てめェ……何しにきやがった。今更、俺に何の用だ」
少なくともこの男に好意的な印象などあるはずがない。
そしてあの時以降、一度も姿を見せなかったこの男が、今になって自分に接触してくる意味が分からなかった。
「今の私は、あの頃とは違う研究所に勤めていてね」
「そォかよ。再就職おめでとー」
「そこで、現在新たな
「……はァ? てめェ、何を――」
「――その
「レベル、6?」
「ああ。
「――カッ。興味ねェな。他ァ当たれや」
一方通行は吐き捨てるようにして答えた。
だが、だからといって自分がその
(――そォいった企みが見え見えなこいつ等の思惑に乗るのは、心底気に食わねェ)
だが、黒服の男は、そんな
「今の怪物である現状から、変わりたくはないのか、
ピタと、足が止まる。
そして、振り向き――先程とは格違いの殺意をもって、黒服の男を睨み付ける。
「――何が言いてェンだ、三下」
その、まさしく学園都市最強の殺意に、さすがの黒服の男も冷や汗を流さずにはいられなかった。
だが、必死に笑みを保ち、自分が今ここで殺されるかもしれないことを覚悟しながら、震えそうになる唇を必死に動かし、言葉を紡ぐ。
「き、君は、確かに学園都市最強だ。だが、『最強』止まりでは、君を取り巻く環境は、今のまま、何も変わりはしない」
「…………」
一方通行の放つ殺意は、まったく衰えない。
だが、黒服の言葉を力づくで止めようとはしなかった。
黒服はそのことに内心安堵しながら、その言葉を告げる。
「
それは詭弁だ、と
『最強』な時点で、これなんだ。この怪物なんだ。それよりも強い、それよりも怖い『
だが、と
そうなれば、もう誰も自分に近づいてこないかもしれない。
もう誰も、
みんなが欲しがる『最強』などという椅子は誰かに譲り渡して、自分はそれとは別の、全く別のカテゴリーの『無敵』という枠に一人で――
――それは、とても素敵なことではないのか?
「また会いにくる。ぜひ、前向きに検討してくれ」
黒服が去っていく中、
そこでは、数人のスキルアウトの少年達が、
そして、頭上の空を見上げる。どんよりと曇った、冬の曇り空を。
「――待て」
「その実験の、詳細を教えろ」
黒服の男は、手に入れた成果に、醜悪な笑みを浮かべた。
そして、来る、十二月二十四日。
皮肉にも聖なる夜に、この狂気の実験は幕を開ける。
指定された、とある真新しい建物の研究所。
真っ白なパーカーを着た真っ白な少年は、その研究所の入り口で待ち構える男の元へ歩み寄った。
その黒服にサングラスの男は、歪んだ笑みを浮かべながら、その少年を歓迎した。
「よく来てくれた、
両手を広げて、地獄へと迎え入れるように。
「これで君は、『無敵』になれる」
×××
重々しい両開きの自動ドアが、その密閉された真っ白な実験ルームに純白の怪物を迎え入れる。
その室内に歩みを進めるのは、
これは、最強である彼を、無敵にする為の実験だ。
その部屋にて怪物を待ち構えるのは、同じく
プシュゥゥと音を立てて、巨大なドアが締め切られる。
こうして、この空間には、怪物とクローンの二人きりとなった。
「……よォ。オマエが実験相手ってことでイインだよなァ?」
ゴーグルを着用し常盤台中学の制服を身に着け――無機質なハンドガンを持つ少女は、それに対し淡々と言い放つ。
「――はい。よろしくお願いします、とミサカは返答します」
彼女はハンドガンをリロードしながら答える。
それを見て、
(……銃、か)
以前、あの黒服の男から聞いた話を思い出す。
『“
『古来より、レベルアップの最大の方法は実戦経験と相場は決まっている』
受け渡された資料を見て、
クローンの製造は国際法で禁じられている――などとは、今更こいつ等に言ったところでしょうがないことだろう、と少年はそこには何も言わない。それを言うのなら、ある意味自分の存在の方が余程悍ましいのだから。
『二万体の
『……
『誉め言葉と受け取っておこう』
00001号は銃を色々なポーズで構えながら、まるで初めて父親に遊んでもらえる子供のようにはしゃいでいた。
「チェックは万全です。と、ミサカは初の実戦への意気込みをアピールします」
確かに
だが――
(………………)
『彼女達は人形だ』
そう、目の前の黒服の男は言った。
『君を“
『…………』
『なぜなら彼女達は――』
00001号は、首を傾げながら言う。その瞳に、怪物を気遣う色をわずかに宿しながら。
『――君の為に作られたのだから』
「ところで、あなたに対して発砲許可が下りているのですが――本当にいいのでしょうか」
――さぁ! 来いよ! 一緒に遊ぼうぜ!
その、怪物を恐れない瞳に、
【それでは――】
この真っ白な密閉空間の唯一の窓。
まるで箱庭の様子を観察するかのように高見から見下ろす白衣の研究者達は、決して巻き込まれない安全圏から宣言する。
【――
その言葉を、気怠げに聞き流す
対して00001号は、むんと気合を入れて、与えられた役割を果たすべく銃口を
「先手必勝です」
バンッとハンドガンの引き金を引く。
その銃弾は、一直線に
――拒絶するように弾かれた。
その事象に、00001号は目を見開く。
00001号はそのまま距離を取り、
だが、その中の一発たりとも、少年の白を汚すことすら叶わない。
彼は、孤高なまでに白かった。真っ白だった。
実験監視ルームでは、歪んだ歯列の中に下品な金歯を持つ研究者の一人が、後ろに控える黒服の男に声をかけた。
「おい、彼はまるで反撃しないが、大丈夫なのかね?」
「お前! ちゃんと説得したんだろうな!」
狼狽したようにこの実験の主導者の一人である天井亜雄は黒服に詰め寄る。
だが、黒服の男は上司である二人の男の言葉にもまるで動じず、笑みを崩さない。
「ご安心ください。彼は
その時、彼ら三人の言い合いにまるで興味を示さず、ただ淡々と実験を眺めていた金髪白人の男が、ポツリと言葉を漏らした。
「動きましたよ、彼」
(……なンだァ、こりゃあ)
弱い。圧倒的に弱すぎる。本当に
だが、それ以上に、何度攻撃を弾かれても、そのひ弱なハンドガン一つで自分に向かい続けてくるあの少女の姿勢が不快だ。
(……これじゃあ、あのクズどもの掃除と何が違う?)
00001号は大きく距離を取り、再びハンドガンを
――そこに、白い少年はいなかった。
「え――」
「ふざけてンのか、てめェ」
背後に回った
が、たったそれだけのことで少女は、暴走車に跳ねられたかのように凄惨に吹き飛んだ。
大きく三回バウンドし、呻き声を漏らしながら、動かなくなる。
「…………」
これが現実だ。これが怪物だ。
ただ触れるだけで、すべてを傷つける。
何かを壊す、ただそれだけの暴力の化身のような
最悪の気分だった。
だが、巨大な両開きの扉は開かなかった。
「……おォい、さっさと開けろ。見ればわかるだろ、俺の勝ちだ」
【ああ、見ればわかるよ。――彼女はまだ、息をしている】
金歯の研究者は、その下品な金歯を見せつけるように口元を歪めながら言った。
【第一次実験は、まだ終わっていない。その実験体を処理するまでがプログラムだ】
処理?
【クローンが活動停止するまでが実験だ】
活動停止?
【さぁ、戦闘を続けてくれ】
それは、つまり――殺すということか。
……知っていた。聞いていた。分かっていた。
当然、それも考慮し、覚悟した上で、この実験に参加したはずだった。
――うるさぁい!
もう、あんな思いをしなくて済むように。
誰も、自分の手で、傷つかなくて済むように。
圧倒的な無敵に。正真正銘の孤高に。
だから、この実験に参加した。
「……了解、しました」
00001号は、激痛が走っているはずの身体を引きずって、ハンドガンへと手を伸ばす。
だが、この現状は何だ?
自分よりもはるかに弱い相手を、徹底的に傷つけて、そんなことの為に自分はこの実験に参加したのか?
こんなことを、もう二度としなくて済むようにする為じゃなかったのか?
自分の手で、あんな風にボロボロになるものが、二度と現われないようにする為じゃなかったのか?
俺は、あとこんなことを二万回繰り返すのか?
それも、ただ傷つけるだけではなく――その命を踏み潰して。
――あれは人形だ。
「ミサカは……」
00001号が、
自分をボロボロに痛めつけた恨みなど微塵もなく、ただ与えられた役目をこなす為に。
――君に殺される為に生み出された、破壊すべき人形だ。
「……命令に……従います」
意志ある人形は、生まれたばかりのクローンは、その陳腐なハンドガンの引き金に指を添える。
その弾丸は、自らに反射される死の弾丸であるにも関わらず、無表情に、無感情に、ただ与えられた役目を果たす為に。
そんな少女を前に、
その時、プシュゥゥと、空気が抜けるような音と共に、閉ざされた密閉空間が解放される。
【なッ――】
金歯の研究者の慌てるような声と共に、監視ルームが慌てだす。
だが、
00001号も、銃を下ろし、茫然とただその扉の先を眺めている。
開いた扉から現れたのは、黒い少年だった。
真っ黒な学ランに、中には白いパーカー。
そして、右腕の腕章を見せつけるようにして、宣言する。
狂気の実験を止めるべく、怪物とクローンのみが存在を許された戦場で、その殺し合いを止めるべく、高らかに。
「
現れたのは、上条当麻だった。
上条当麻が、立っていた。
処理されようとしている
本当のひとりぼっちになろうとしている、
妹達編、最終決戦――開幕。