ここは第七学区の郊外の公園。
人工物だらけの学園都市には珍しく、林といっていいほどの自然がある。(これも人工的に植えられたものなので自然といっていいかは分からないが)
公園の中央には噴水。これの周りを走れば、ちょっとしたジョギングになる程度の広さがある。
その噴水の近くの一本の街灯の下。
時刻は、午後八時。
上条当麻とアウレオルス=イザードは居た。
言葉を交わすことも、目線を交わすこともなく、ただ待つ。
上条は、右手を左手に叩きつけ、闘志を蓄える。
アウレオルスは、ポケットの中に両手を入れ、精神を統一する。
そして両者は、この広大な公園のただ一点を見つめる。
奴は、彼女は、必ず真正面から来る、と。
そして、彼女は来た。真正面から、悠々と、堂々と。
裾を結び臍が見える着こなしをした真っ白のTシャツに片足だけ大胆に切ったジーンズ。
一本のポニーテールに結ばれた、たなびく長髪の黒髪。
そして、拳銃のように腰にぶら下げられた、2m以上の長さの日本刀――『七天七刀』
ロンドンでも十指に入る魔術師。世界に二十人といない聖人。
神裂火織。
上条当麻が知る中でも、文句なしに最強クラスの戦闘力を誇る彼女が。
今、上条を明確に敵とみなし、襲い掛かる。
×××
「あなたが、土御門を通して、私をここに呼んだのですか?」
この世界で初めて聞く神裂の声は、今まで上条に向けられたことのない威圧感で満ちていた。
多少怯んだが、今の上条はそんなことでは呑まれない。
「ああ。来てくれて助かるよ」
「それで」
神裂は、上条の言葉に間髪入れずに答える。
「魔法名を名乗る前に、彼女を保護したいのですが」
その言葉と同時に、先程までとは段違いの殺気が振り撒かれる。
上条には、この殺気には別の意味も込められていると感じた。
多少こちらの事情を知っているのなら、私が“どういう存在”か知っているだろう、と。
降伏しろ、と。そう言外に告げている。
上条は、そんな神裂の心中を察して、
「それは無理だ」
両断した。
神裂の眉がピクリと動き、
「……仕方ありません」
神裂が腰の刀に手を伸ばす。
その時、上条達と神裂の間に“炎”が舞い上がった。
上条は舌打ちする。やはり来たか、と。
先程、上条はステイルを一撃で圧倒した。言うならば、圧勝しすぎた。
ステイルからすれば、何がなんだが分からない内に戦闘が終了してしまったのだ。
負けを認める、暇もなく。
だから、ステイルは再戦に来た。
だが、ステイルと神裂の戦闘スタイルは決して相性がいいものではない。
機動力に欠くステイルは、神裂の近くに居ては正直言って邪魔なのだ。
ステイルもプロの魔術師だ。その辺は弁えている。
だからこそ、これだ。
遠距離からの、姿を隠しての――『
ステイル=マグヌスの最強の魔術が、聖人とタッグを組んで、上条達に牙を剥く。
×××
神裂相手だと、アウレオルスとの二対一でも勝つのは難しい。
その上、今は
勝算はないに等しい。
だから上条は、言葉をぶつける。
神裂との間に立ちふさがる、
「お前らは、イギリス清教『
上条は燃え盛る炎の向こう側にいる神裂に向かって叫ぶ。
その言葉を聞いた神裂は一瞬体を震わせながらも、淡々と無感情に答える。
「……土御門から、聞いたのですか?」
確かに土御門からも聞いたのだが、これは上条自前の情報だ。
だから、上条は神裂の問いには答えず、更に言葉を投げかけようとする。
だが、その前に
上条はその炎の巨神に右拳を叩き込む。
彼女は、神裂火織は、ただ射竦めるように上条を睨みつけていた。
上条は、そんな神裂を睨み返しながら、臆することなく言葉をぶつける。
「もう一度問う。なぜだ。なぜ仲間のインデックスを襲う?」
神裂は答えない。
そして、上条の背後から、復活した
魔女狩りの王。イノケンティウス。その意味は『必ず殺す』。
必殺の名を持つ摂氏3,000℃の怪物は、標的を燃やし尽くすまで、何度でも、何度だろうと蘇る。
上条は、そのことを知らないはずだ。
だからこそ神裂は、刀を抜かずに、ただ待った。
だが、上条は後ろを振り返ることなく、渾身の裏拳で再び
そのことに、神裂も、離れた所にいるステイルも困惑した。
上条にとって、
味方として肩を並べて戦ったこともある。不死の特性など織り込み済みだった。
そして、ステイルが
上条は、聖人に向かって特攻を仕掛ける。
神裂はすぐに意識を切り換え、上条を迎えうつべく構えをとる。
ステイルも直ぐに
だが、そこに、
「粉砕せよ」
巨大なハンマーが出現し、復活した
再び、神裂とステイルは絶句する。
己の常識を遙かに超える錬金術に、開いた口が塞がらない。
上条は、ちらりと後ろを振り返り、不可能を可能にした錬金術師――アウレオルスを痛ましげに見つめた。
×××
アウレオルスがこの学園都市に来たのは、今から少し前。
三沢塾に囚われているという『
アウレオルスは、瞬く間に三沢塾を乗っ取り、姫神秋沙が軟禁されているという部屋に向かう。
彼女の力を使って、吸血鬼を呼び寄せ、あの子を吸血鬼にすることで、残酷な宿命から解放する。
人の身では抗えない運命なら、人ではなくせば済む話。
その為なら、自分もいくらでも人の道を外そう。
アウレオルスは、すでに誤りはじめていた。
だが、アウレオルスの妄執に憑りつかれた計画は、早くもここで頓挫する。
その部屋に、
「な――――――」
アウレオルスは絶望する。
自分の計画上、吸血鬼を呼び寄せる“
姫神秋沙がここにいるという情報も、それこそ血眼になってようやく掴んだのだ。
その為に、こんな科学の総本山にまで足を踏み入れた。
すでにローマ正教を裏切り、魔術サイドに彼の居場所はない。
ここで科学サイドも敵に回せば、文字通り世界が彼の敵になる。
…………それがどうした。
そんな覚悟、遠の昔に出来ている。
あの子を救うためなら、何だってすると決めたのだ。
姫神秋沙の情報を、再び探すのだ。
ここにいたのは確かだ。まったく手掛かりがないわけではない。
アウレオルスはすぐさま行動に移ろうとして、
扉の前に居る少年に気づいた。
「姫神ならいない。そして、アイツを利用させはしないぞ。アウレオルス」
少年は、男の名前も目的も知っていた。
ローマ正教の手先か?
アウレオルスは警戒しながら少年に問うた。
「間然。お前は誰だ?」
少年は、その質問になんでもないかのように答える。
「ただの
×××
「憤然……ッ。まさか、そのようなことがッ!」
アウレオルスは、校長室の机に両手を叩きつけ、怒りを露わにしていた。
上条からインデックスの真実を明らかにされたとき、アウレオルスは信じられなかった。
それが、己のこれまでの行いを否定するものだったが故に。
しかし、ここは学園都市。それも予備校『三沢塾』。
上条の言葉を裏付ける第三者の資料――人の記憶に関する科学的根拠は山のようにあり、それを読み進めるうちにアウレオルスは現実を受け止めなければならなくなった。
元々優秀な『
そして、その絶望は、インデックスに苛酷な運命を背負わせたイギリス清教の上層部に向けられる。
「おのれッ……」
アウレオルスの両手が握りしめられる。
上条はそんなアウレオルスを無表情で見つめていたが、やがてゆっくりと口を開く。
「つまり、インデックスにはその首輪となる術式が仕掛けられている。そして、おそらく今年の夏、この学園都市に逃げ込んでくるはずだ。その時、俺の右手でその術式を破壊する。だからインデックスは大丈夫だ」
「…………その情報は、確かなのか?」
「………………信頼出来る、情報だ」
インデックスが学園都市にやってくる。それはあくまで上条の“経験”でしかないのだが、上条は言い切った。
さもなくば、今のアウレオルスはイギリス清教に単身で特攻しかねない。
アウレオルスはしばし項垂れていたが、やがてポツリと言葉を漏らした。
「…………なに、か」
「…………………………」
「……なにか。私に、出来ることはないのか」
インデックスを救うため。
その為に全てを捨てた男。
それほどまでに救いたかった少女は、自分とまるで関係ないところで、救われようとしている。
なにか。
主役になれなくとも。救世主になれなくとも。
例え、脇役でも、裏方でも。
何か、したかった。
このまま何もせずに、傍観者で終わるのだけは嫌だった。
だが、上条はそんなアウレオルスに冷たく告げる。
「…………
「な――――」
アウレオルスは絶句する。
「愕然……ッ。なぜ、それを知っている!?」
「知っているさ。本来、長い長い年月がかかる
「なぜだ!!?」
アウレオルスは今度こそ憤慨し、椅子を吹き飛ばすように立ち上がって、上条へと詰め寄る。
インデックスを助けるために、血反吐を吐きながら重ねてきた努力が否定されて激昂する。
「確かにここの学生に魔術を詠唱させれば死ぬだろう。だが、必ず蘇らせる! それでいいじゃないか!? 彼女を助けることが出来たら二度と使用しないと誓う!! ここも直ぐに放棄する! だから――――」
「ふざけんな!!!」
上条が逆にアウレオルスの胸倉を掴み上げた。
「蘇らせるから殺していいなんて道理が通るはずがないだろう!!! それに考えろ!! お前がインデックスを救う為に人を殺したら!! その責任はどこに行く!? インデックスは“背負っちまう”に決まってんだろうが!! お前はアイツにそんな思いをさせたいのか!!? そんなの教会の連中と何も変わんねぇだろうが!!!」
上条の言葉に、アウレオルスは目を見開き、打ちのめされたかのようにへなへなと全身の力が抜け、へたり込む。
そのまま床に膝をつき、両手をつき、項垂れた。
上条はそんなアウレオルスを痛ましげに見つめながら、部屋の出口へと歩み始める。
部屋を出る時、項垂れた姿勢のままピクリともしないアウレオルスに、上条は呟く。
「……約束しよう。必ずインデックスは、救ってみせる。……そしたら、アイツと会ってやってくれよ」
扉を閉める。
アウレオルスは、項垂れたまま動かなかった。
まるで魂を失ったかのように。
×××
上条は三沢塾の廊下を出口へと向かって歩いている時、思わず唇を噛み締めていた。
足並みも知らず知らずのうちに早くなり、走っているのと大差ないスピードになってしまう。
上条がここに来たのは、アウレオルスの暴挙を止めるためだった。
上条が前の世界でアウレオルスと戦ったのは、今の上条がこの世界に誕生した直後だった。
まだ、世界に慣れず。借り物の名前に、借り物の体に、馴染んでいなかった時に。
見せつけられた、失敗例。
一歩間違えれば、自分もそうなっていたと突き付けられた、バッドエンド。
間に合わなかった
上条は、覚えてもいない手柄で、
その事が、酷く苦しかったことを覚えている。
単純に言えば、他人事と思えなかったのだ。
だから上条は、アウレオルスのことを恨めなかった。
手段はどうしようもなく間違っていても、歪んでいても、取り返しがつかなくても。
根源の思いは、一緒のはずだったから。
インデックスを救いたい。助けたい。
それは、共通だったはずだから。
だから上条は、アウレオルスがこの街にやってきてすぐに接触した。
救ってしまった後より、前の方が、まだマシだと思えたから。
アイツは、すでにローマ正教を敵に回したけれど、ここの生徒には手を出していない。
姫神とも接触していないし、
なら、まだ間に合うはずだ。
今は絶望に暮れるだろうが、必ず立ち直り、前を向けるはずだ。
たった一人の女の子を救う為に、世界を敵に回す。
そんなカッコいいことを実行できる、強い男なのだから。
上条は、唇を噛み締める。そこから血が流れても気にせずに、足を進め続ける。
「……何様だッ、俺は!!……自分は、何もしていないくせにッ!」
拳を、痛いくらいに握り締める。掌に爪が食い込む。
上条は、インデックスの真実を知っていた。
でも、何も出来なかった。何も、インデックスの為に出来なかった。
そんな男が。
少なくとも一年間、インデックスと共に思い出を作り。
今日の今まで、血の滲むような思いでインデックスの為に尽くしてきた男に。
偉そうに説教し、そいつを否定する権利はあるのか?
上条は、そんな激情を抱えながら、その日、三沢塾を後にした。
×××
それからしばらくして、気温が上がり、日の時間が延び、季節は夏。
インデックスがやってくる、上条当麻の高一の夏がやってきた。
そして、そんな暑いある日、上条当麻はアウレオルスに三沢塾に呼び出されていた。
いつかインデックスがやってくる時は知らせると連絡先を交換していたが、まさか向こうから呼び出されることがあるとは思わなかった上条は、首を傾げながら三沢塾に向かった。
迎えたアウレオルスが上条と共に向かったのは、北棟最上階の校長室ではなく、地下のとある一室だった。
「…………こんなところに、何があるんだ?」
「…………………」
アウレオルスは何も言わず、何も答えず、その地下室の扉を開ける。
部屋の中は真っ暗だった。
上条も部屋に入ると、アウレオルスは扉を閉め、室内に明かりを点ける。
「ッ!!!! こ、これは――――――」
その部屋に居たのは、何百人もの“アウレオルス”だった。
彼らは一様に裸で、まるでマネキン人形のように直立不動のまま動かない。
上条は思い出していた。
“前”の世界、上条が戦った三沢塾の警報装置として作られた――――
「アウレオルス………“ダミー”………」
「自然。その通り」
アウレオルスは、上条の前へと歩みを進め、一体のダミーに手を伸ばす。
「歴然。彼らは私が創り出した、私のコピーだ。量産しなければならなかった為、“呪文詠唱機能”以外は削ぎ落としたので、動くことはないが」
「呪文……詠唱……お前、まさか――――」
「純然。元々、ここの生徒達を使って行うはずだった詠唱の分割を行う人手を、新たに用意したのだ。これで、私は
「……お、まえええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
上条はアウレオルスの胸倉を掴み上げる。
アウレオルスは抵抗せず、静かな瞳で上条の目を見据えていた。
「ふざけるな!! それじゃあ何か!? こいつらは、その為だけにインスタントに作られたってのか!! お前、命を何だと思ってんだ!!」
上条の頭の中にその言葉が浮かんだ。
歪んだ研究者によって“殺される為”に作られ、健気にその宿命を全うしようとする少女達。
上条はそんな前例を知っているが為に、許せなかった。
目的の為に、命を作り、使い捨てる、目の前のこの男が。
そんな上条に、アウレオルスは告げる。
「…………しょうがないだろう」
「他人の命を使えない。だが、命は必要だ。――だったらもう、〝私を作って”、使うしかないだろう」
上条は、アウレオルスの胸倉を掴んでいた手から力が抜け落ちるのを感じた。
アウレオルスはそのまま尻から落下し、また動かなくなった。
上条は、そんなアウレオルスを、呆然と見つめていた。
自分はあの時、アウレオルスの間違った暴走を止める為に、
誰かの命を使うような救済を、インデックスは求めていないと。
だが、それはアウレオルスに届かなかった。
〝誰かの命”は使えない。なら、〝自分の命”を増やせばいい。
アウレオルスはそう結論を出した。
そんなふざけた結論を出してしまうくらい、アウレオルスは壊れていた。
正確には上条が壊してしまった。
インデックスの真実を告げた時に。自分の手でインデックスを救えないと思い知らした瞬間に。
それに、上条は気づけなかった。
あろうことか、焚き付けてしまった。
それが、その結果が、目の前のアウレオルス=ダミーたちだ。
彼らは、何も発しない。動かない。何の感情も抱かない。
ただの呪文詠唱人形だ。
その為だけに、生み出された霊装だ。
すると、尻餅をついていたアウレオルスがなにやら笑い始めた。
「…………くくくくくく。ははははははははははははははははははは。ふははははははははははははははははははははははははははははははは」
狂ったように笑う、アウレオルス。
上条は、この笑いを見たことがある。
「どうだ! どうだ、幻想殺し!! これで私は、あの子を悲しませることなく
上条は、もうアウレオルスを止めることが出来ない。
彼の右手なら、このダミー達を破壊していくことが出来るだろう。
だが、彼らはすでにそう長く持たない。
いくらアウレオルスが優れた錬金術師でも、機能を制限したとはいえ自身の分身を100体以上も維持し続けるなど、不可能だ。
以前アウレオルスが言った通り、インデックスを救うまで保てばいい。そういうことだろう。
あの時、上条がアウレオルスに何か役目を与えていれば。
仮初めだろうとなんだろうと、目標を与えていれば。
こんなことにはならなかったのかもしれない。
アウレオルスの妄執の凄まじさは、身を持って知っていたはずなのに。
上条は狂ったように歓喜するアウレオルスを、何も言わずに見ていた。
上条当麻は許せなかった。
再び、アウレオルス=イザードという男を救えなかった自分に。
再び、アウレオルス=イザードという男を壊してしまった自分に。
上条は、この男の幻想を、殺すことは出来なかった。
実質、今回で二巻の話みたいなものですね。姫神さんにはある意味本当に申し訳ないことをしたと思っています。