艦隊これくしょん -艦これ- ~空を貫く月の光~ 作:kasyopa
涼月が記憶を失った。
その話がショートランド泊地全体に知れ渡るのにそう時間は要さなかった。
診療所のベッドで休む彼女に対し我先にとお見舞いへ押し寄せる艦娘達であったが、
当然誰一人として涼月は相手を覚えていない。
むしろ数を重ねるごとに「ここはそれだけ大きな鎮守府なのか」とか、
「こんなに艦娘がいるということは何かの作戦準備中なのか」とか、
逆に質問攻めにされる艦娘も出てきてしまう始末であった。
その行動に涼月自身に悪気はなく、
生まれたての雛のように知識を貪り艦娘としての実感を得ているだけに過ぎなかった。
程なくして全艦娘の燃料補給が終わり、予定通りショートランド泊地から撤退が行われた。
涼月は体に負担をかけないように交代しながら戦艦の艦娘が抱くことで事なきを得た。
その途中で呉・トラック泊地の艦娘は呉へ、大湊提督府の艦娘は大湊へ向かう為進路を分かつ。
状況が状況だけに満足のいく結果ではなかったが、
互いに再び会う約束をして各自は帰るべき場所を目指すのだった。
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呉鎮守府についても涼月の様子は相変わらずで、
鎮守府紹介を兼ねていつもの4人の駆逐艦娘と散歩をしていた。
ちなみに涼月の連装砲ちゃん……もとい長10㎝砲ちゃんは、
従来の秋月型の艤装と同じように装着するため明石と共に工廠へと送られる。
「流石日本が誇る第二の海軍拠点。設備も充実してますね」
目に映るものすべてが新鮮で生き生きとしている彼女は、
つかず離れずで新たな建物を見つけては4人に質問を飛ばしていた。
「睦月さん、如月さん、あの古風で和風なお店はなんの設備ですか?」
「あれは甘味処間宮だよ。甘いお菓子がお手頃な値段で食べられるから、皆でよく行くんだ」
「折角だし、寄っていきましょ?」
「賛成っぽいー!」
如月と夕立に手を引かれ店の中に入っていく様子を見て、吹雪と睦月は視線を合わせ共に苦笑。
店の中では忙しそうに間宮が調理をしており、
そのお手伝いに舞風・野分・磯風が接客と注文、料理の仕上げと配膳、後片付けをしていた。
皆が間宮と同じ割烹着を身にまとっていて新鮮な光景ではあるが、
磯風だけが異様なまでに似合っている。
席のほとんどは多くの呉所属の駆逐艦によって埋め尽くされており、
角奥のテーブル席しか残っていなかった。
「いらっしゃいませー! あ、いつもの5人組だね。角のテーブル席へどうぞー
ご新規5名入りまーっす!!」
「「いらっしゃいませー」」「いらっしゃい」
5人の前に躍り出た舞風が元気よく挨拶し、納得した様子で案内する。
「舞風ちゃん達はどうしてお手伝いしてるっぽい?」
「間宮さんが忙しそうだったからねー。トラックでは助け合いが常だったし」
「なんていうか、トラックの皆ってたくましいよね」
「こんなの普通だって! それに「すみませーん」あ、はーい! 注文決まったら呼んでね!」
文字通り風のように去っていく彼女。
厨房では時折お客に失礼がないか野分が彼女に対して視線を送っている。
そんなことはいざ知らず、涼月はお品書きを手にあれでもない、これでもないと悩んでいる。
悩んでいるかと思えば自らの財布の中身を確認したりとせわしなかった。
果てには「戦時中だというのにこんなに砂糖を使用してよいのでしょうか」とか、
「種類の豊富な嗜好品がこれだけ安価だなんて元はとれているのでしょうか」とか、
普段皆が気にしないようなことまで小声でつぶやいている。
ちなみに身長が高い為壁を背にした席に睦月・如月・夕立の3人が肩を寄せ合い、
その向かいに涼月と吹雪が座っていた。
「あ、あの~、涼月さん、そんなに悩まなくても」
「あ、申し訳ありません。もしよければお先に……」
場慣れした4人の方が注文も早く済むだろうとお品書きを差し出す彼女。
夕立は特盛餡蜜を、睦月はいちご大福を、如月は夫婦善哉を、吹雪は今川焼を注文する。
涼月は悩みぬいた先にカルメ焼きを注文した。
「そんなお菓子でいいの? もっと豪華なものだって」
「いえいえ。これも今でいえば高級品です。お手軽ですがやはり砂糖が主な材料ですので」
カルメ焼きとはただ砂糖と水で作ったシロップを熱し、重曹を入れて膨らませた物。
膨らませるには技術と経験が必要ではあるが、甘味処に来てまで注文するものではなかった。
実際甘味処で置いてあるような品でもないが、艦娘という性質から慣れ親しんだお菓子であり、
小さなイベントでは間宮が出店の片手間に作って販売していた。
そんな彼女に対して4人は徐々に違和感を覚え始める。
何故そこまでして、まるで戦争末期にいた日本人のような考えである。
「涼月さん、そんなに物資は不足してないですし、そこまで気にすることは」
「そ、そうなんですか? すみません。どうしても癖が抜けなくて」
「癖、って一体どういう?」
「はい、それは……私の艦娘としての記憶です」
秋月型という駆逐艦はその性能の違いばかりに目がいくものの、
純粋に作られたのが戦争末期という時代背景から性格面でも影響を強く受けており、
なにより食習慣に関しては『貧しい』の一言に尽きるもの。
「「「「よ、良かったらこれ食べて!」」」」
そんな涙なしには語れないようなことを言われては、申し訳なさがこみ上げてくる4人は、
思わず自らの注文したものの一部(とはいえ夕立は蜜柑だけ)を差し出すのだった。
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午後には涼月の艤装の改修が終わり、その動作確認とテストを兼ねて海上演習を行っている。
行っているのだが……
「きゃあっ!」
艤装の操縦に慣れていないのか、航行すらままならず盛大に転倒している。
生まれたての小鹿のような足取りで進み、
目標に向けて砲撃をするも反動を殺せず仰向けに倒れる。
かつての涼月が行っていた、敵艦載機の攻撃をかわしつつ速射を行い、
素早く砲身を付け替え再度速射に移る、などという芸当は到底できそうになかった。
正直これでは着任したての吹雪と同等かそれ以下であった。
「彼女は本当に涼月なのか?」
その様子を眺めている長門ですらそんな言葉を漏らすほど哀れな姿。
それを隣で眺めている大和は首を縦に振る。
「今はまだ、戦う姿に面影は見えません。ですが……」
倒れれば素早く立ち上がり、体勢を立て直し歯を食いしばってでも進む。
彼女が最後に見せた泥臭さに似たその姿には、彼女らしさが現れていた。
それに加え彼女の頑張りを見て集まっていた艦娘達が声援を飛ばしている。
彼女が皆を忘れても、皆が彼女を忘れなかった。
「全てが失われたわけではありません。ここから少しずつ、取り戻していこうと思います」
何とか演習を終えてふらふらと港に上がる彼女は明石から艤装についての質問をされいている。
そんな中大和の視線に気付いたのか、目を見て優しく微笑んだ。
明石から視線を外したことに対してお咎めを貰っているが、
そんな彼女の些細な行動が大和にとってとても嬉しいことだった。
「では、そうだな。少し暇をやろう」
長門が言うには一時的な全生活史健忘に似た症例とのことで、
治療法は基本的に想起、記憶を呼び出す為の処置が多いという。
そのため彼女が今まで見たもの、経験したものを実際に行わせることで、
想起を促そうといったものだった。
実際に呉鎮守府で仲の良かった4人に鎮守府内を案内させることも、
艤装を装備させ演習させるのもその一環であったが、効果は見られない。
そのため呉で処置しようにも既に打つ手がない為、
他の場所を訪れることで想起出来ないかという第二の手。
当然艦娘の存在は一般には極秘であり、
記憶のない少女を一人向かわせたところで問題が起こるに決まっている。
そんな中で真っ先に白羽の矢がたったのが大和ということだった。
「でも私が留守にすれば呉の艦隊は」
「安心しろ。そんな事態になれば私も出る」
元々大和やトラックの艦隊無しで守ってきた。それに今では全員の錬度も向上し地力もついた。
今回皆が生きて帰ることができたのは、そういう背景があったからだと長門は語る。
「では、戦艦大和、駆逐艦涼月と共にお暇を頂戴します!」
気合の入った敬礼をする大和に苦笑で返す。
行く先を考え真っ先に大和が思い浮かべたのはトラック泊地であったが、
航行もままならない彼女を連れていくことは難しい。
となると大湊であろうが、記憶のない彼女をあの手紙の子供に合わせていいものだろうか。
そんな考えなど知らない涼月は、
艤装を外し明石に任せた後、幾度かバランスを崩しながらも大和の元へと駆け寄った。
「大和さん、お悩みですか?」
「いえ、大したことではないんです」
何でもない、といいつつそれを疑う涼月の様子が可愛らしく笑みをこぼしてしまう。
そんな中彼女は一つの名案を思い付いた。
「涼月さん、どこか行きたい場所はありませんか?」
「えっ、行きたい場所、とは」
「涼月、しばらく療養期間として君に暇を与える。大和と共に今の日本の姿を見てくると良い」
唐突な出来事に戸惑う涼月であったが、長門の助け舟によって半分納得した表情になった。
先ほど甘味処間宮で吹雪から物資不足について指摘があったこともあり、素直に頷く。
「あの、どこでもいいんですか?」
「ええ。どこでも……いいんですよね?」
「……国内に限る」
大和が最初に行ったことだが、『どこでも』という言葉の重みに気付いた長門が、
顔を固くして条件を付け加える。
謙虚とは言え以前の面影などどこにもない彼女であれば、
突拍子のない返答が帰ってくる可能性があった。
「でしたら、一つだけ」
申し訳なさそうに、それでも期待を込めて頬を赤く染める彼女が向かった場所。
それは―――
・
・
海の音が聞こえる。2人の艦娘がコンクリートでできた地を踏み、水平線の傍を歩いていた。
出発が遅かったからか、既に日は落ち綺麗な満月が空を照らしている。
「本当にここでよかったんですか?」
「はい。ここが私の、始まりの場所ですから」
佐世保鎮守府。今では横須賀や呉と同じように、
提督と艦娘が日本を守る前線であり最重要拠点である。
大和がここを訪れるのは初めてであり、受付の者も随分と驚いていた。
しかしここの提督も良い人らしく訪れた理由などは追及せず、
過度な接待もない普通の少女として扱ってくれた。
ただ流石に大和と涼月が来たとなると鎮守府内の艦娘が黙っておらず、
逆に失礼に当たらないようにと案内役に自分の秘書艦をつけてくれている。
両手を広げ防波堤の隅を歩く涼月。
「でも驚いた。まさか君がここにくるなんて」
「それはどういう意味ですか。―――時雨さん」
後ろ髪の三つ編みが揺れ、頭の上からハの字に広がるはねっ毛。
前髪には簪の飾りにも似た赤い髪飾りを付けた、ボーイッシュな少女、『時雨』。
実際は錬度が高まり大規模改装が施され、書面上では『時雨改二』となっている。
「君が横須賀に転院した後、ずっと音沙汰なかったからね」
その発言に後ろから続く大和の足が止まる。
その横須賀で起こった出来事を知っていたからだ。
「申し訳ありません。実は私もつい最近ショートランド泊地で救出してもらって」
「ショートランド? 君はトラックから呉、呉からトラックへ転属になって」
「す、すみません! 涼月さんは記憶を失っていて、それで」
涼月と時雨の食い違いに口をはさむ大和。彼女もまだ涼月が記憶を失っている事を知らない。
「そっか、そこまで厳しい戦いだったんだね……」
昔を思い出すように目を細め水平線を眺める彼女。何か思い当たる節があるのだろう。
「しかし、どうして貴女が涼月さんの経緯をご存じなのですか?」
「夕立が良く手紙を送ってくれるんだよ。大きなことも、些細なことも。なんでもね」
「そうでしたか」
「特に君についてはよく書かれていたよ。余程好かれているんだね。
……ちょっと、嫉妬しちゃうな」
時雨の最後の言葉はどちらの意味にとれるものの、
さざ波の音にかき消され2人の耳に届くことはなかった。
防波堤で歩を進める3人はその真ん中で立ち止まる。座り込んだ涼月はその場を撫でた。
「ここは?」
問いかける大和を見上げながら、少女は優しい笑みを浮かべ口を開く。
「もう一人の私が守り続ける、大切な場所です」
駆逐艦涼月。その身は石に覆われていても、姿かたちが解らなくても、確かにそこにある。
歴史の礎となりて今を守り、未来へ繋ぐ道しるべとなるために。
一人の艦娘は静かに、ただ静かに、その身を労わるように、全身で受け止め、包み込む。
「ああ、ここにいらっしゃったんですね、江藤さん。やっと、お会い出来ました」
いつか見たあの日を思い出すように目を閉じる涼月。
――このフネを生かした、3人の乗員がいた。
敵の攻撃を受け大破した前方から浸水を防ぐために、区間内部から防水処置を行った3人の英雄。
2人は酸欠状態で見つかり、1人は短刀で自決していたという。
涼月はずっと分かっていた。傍に寄り添う2人の英雄がいることを。
そして、たった1人で涼月の帰りを待つ英雄がいることを。
だから彼女は迎えにきた。また昔と同じようにこの広大な海を駆け、今という時を護る為に。
「ご心配かけてごめんなさい。今、帰投しました」
少女の涙の一滴が、フネに落ちる。淡い光が少女を包む。
それはいつか見た月の光によく似ていて。少女の帰りをフネが迎えていた。
光は消え、涼月は起き上がる。その先に広がるのは果てしなく続く水平線。
あどけない少女の顔は既になく、凛とした表情で決意に満ちている。
「秋月型防空駆逐艦『涼月』。皆さんをいつまでもお護りできるよう、私、頑張ります」
――少女の戦いは、終わらない。
これは一人の駆逐艦が見た、希望の海の物語。
かつて戦場を共にした仲間と共に。
かつて戦場を共にした英雄と共に。
彼女は今日も海を行く。
今という、希望を護る駆逐艦として。