艦隊これくしょん -艦これ- ~空を貫く月の光~ 作:kasyopa
ついに赤い海へと足を踏み入れる6人は、偵察機から周囲に敵がいないことを確認すると、
航行をやめてサンプルの採取と警戒に当たっていた。
「予想以上ね、悪い意味だけど」
鳥海の言葉と目の前に広がる光景に目を覆いたくなる。
赤い海に踏み入れて間もなく感じたのは発生地点からと思われる潮風に乗った腐臭であった。
それには思わず鼻をつまむものもいたがその要因はすぐにでも判明した。
赤い海の水面に浮かぶ大量の魚の死体。
この様子だと海底にいる生物や珊瑚も全滅だろうということも容易に想像がつく光景だった。
「ソナーに魚影すら映らない、となるとこの一帯は全滅ね」
インカムとソナーに集中する由良は、あきらめたように言葉を漏らす。
「一応、魚も持って帰りましょう。生物に与える害についてもわかるかもしれません」
「賢明な判断ですけど、持って帰るにしても」
「ドラム缶の口に入る程度で結構ですよ。
中で腐敗が進むことを考えるとあまりよくないかもしれませんが」
「なら私が。吹雪さんはできるだけ海水だけを集めていただければ」
「ご、ごめんなさい涼月さん」
浸食されたばかりの海域ですら魚の死体が浮いていることを考えれば、
相当な毒素が含まれているのは間違いない。
それが人間より強靭な肉体を持つ艦娘であっても効くほどの物かは分からないが。
「なるほど、そこまで広がってる、と」
浸食海域の範囲調査に集中している飛龍は艤装に入れていた海図を取り出し、
逐一入ってくる偵察機の情報を元に印をつけている。
「どうですか飛龍さん、浸食海域の状態は」
「広がってる、っていう感じかもね。鳥海さん達が飛行場姫を撃破したのはレコリス沖だよね」
「そうです。海図によるならこの辺りですね」
追加情報を書き込む鳥海と、その位置を再確認して顔をしかめる飛龍。
現在位置と飛行場姫を撃破したポイント、偵察機から入ってくる情報。
「まずいですね。確実に広がってます」
「発生地点に向けても飛ばしてるから、その子たちからの連絡を待つしかない、か」
「皆さん、サンプルの採取終わりました!」
吹雪の声で不穏な空気は一蹴される。見れば涼月も同じく作業を終了していた。
「分かったわ。飛龍さん、調査の方は一旦引き上げてもらって「待って!」」
当初の目的は大方達成できたため長居は無用。
即時撤退の判断を下す鳥海であったが、一方の飛龍が制止の声を上げる。
「レコリス沖で地殻変動? 大規模な陥没と謎の光!? ちょっと待って、情報が多すぎる!」
彼女の取り乱し方で尋常ではないことを理解する5人。
当の彼女もすぐに情報を小言でまとめ海図の隅に情報を書き込んでいく。
額には汗が伝っており、切迫した事態であると物語っていた、
「分かった、偵察機は皆帰ってきて。詳しいことは帰ってきてから――っ!」
インカムに集中していた彼女であったが、
痛みが走ったような反応と共に耳を押さえていた手を放す。
「敵機よ! 偵察機がいくつかやられた!」
「敵機ですって!? でもどこから」
「レコリス沖、浸食海域の原因と思われる陥没した海の縁の所!」
その情報からするに、皆はその陥没した場所から深海棲艦が現れたと予想する。
「陥没だなんて、あそこはただの沿岸部でそんな物はどこにも」
「でも今はそうなってるって偵察機の子たちが言ってる! この、よくも私の子達を!」
「飛龍さん、何を!」
「止めないで赤城さん! こうやってる内にも撃墜されて」
「とりあえず報告を! 敵の戦力は? 編成は!」
飛龍は海図を乱暴にしまい込み、攻撃機の矢を弓を番えて中心地に向けて放とうとする。
明らかに表情は焦っており冷静な判断を欠いているのは一目瞭然だった。
それに制止の声をかける赤城。それでも彼女は手を止めない。
飛龍ほどの錬度を持った艦載機が次々落とされるとなると、相手の強さは尋常ではない。
赤城の偵察機はまだその敵の姿を捉えていないが、無視できるものではなかった。
状況を整理するためにもまずは情報を。
こればかりは旗艦としても艦娘としても譲れない鳥海であった。
「単艦よ! たった一隻!」
単艦。その発言から導かれる答えはただ一つ。
「まさか戦姫級の深海棲艦!?」
「恐らくはね。見たことないやつだけど、一発かまさなきゃ収まらない!」
まだ構えを解かない飛龍。それを見て赤城は止めるのをやめた。
同じ空母同士、艦載機やそれを操る妖精さんへの思いは他の艦娘より強い。
それを痛感したMI作戦の影響も大きかった。
「鳥海さん、一撃与えた後、即時離脱であれば発艦許可をいただけますか」
「赤城さんまで……ですが」
「私達にも空母としての意地があります。それに、追撃の意思を削ぐためにも」
「――わかりました。発艦を許可します。妖精さん達は司令部に打電を」
鳥海の艤装の中にいる妖精さん達は現在の状況を泊地に打電する。
傍受の可能性がないわけではないが、選んでいる時間はなかった。
「ありがとう! 無事に帰れたら間宮さんの餡蜜、奢ってあげるから!」
飛龍の艦攻が赤い空を駆ける。それが賢明な判断であったかは、誰にも分からない。
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一方レコリス沖に現れた深海棲艦は悠然と、しかし残酷に飛龍の偵察機を打ち落としていた。
「MIヲ突破カラ期待シテタンダケドナァ」
その深海棲艦の姿を一言で表すのであれば、異形そのものだった。
腰から這えた尾のような先にはガチガチと歯を鳴らす獣の口。
容姿は駆逐艦と変わらないがその表情はひどく歪んでいた。
「マァ本命モ巣穴カラ出テクレタシ、私ハ私ノオ仕事シマスカネ」
深海棲艦は自らの尾にある口から艦載機を引きずり出すと、
足と思われる部分で蹴り飛ばし発艦させる。
それを見送るとともに調査艦隊の方へと航行を開始するのだった。
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一方で調査艦隊は艦攻を発艦させたのち、反転して撤退を開始していた。
司令部に対して打電は完了し、
その撤退を援護するために五航戦と随伴艦が援護に向かうとのこと。
単艦と言えど未確認かつその戦闘力の高さを考慮した良い判断といえる。
「っ! 皆さん、敵機襲来です!」
赤城の声と共に皆が空を見上げる。
見れば後方でいくつかの爆発と、炎を上げながら墜落する敵味方の艦載機が視界に映った。
今は防空用に赤城と飛龍が事前に上げていた艦戦機が迎撃しているが、
段々とそれが近づいている。
対空戦闘は避けられないと皆が気を引き締めた。
「敵の様子が明らかにおかしい……私達の艦戦を無視してまで突っ込んでくる敵機もいる」
「それも艦戦ばっかり、艦爆も艦攻もいないなんて」
「それではこちらに対して有効打を与えられないんじゃ」
「いえ、相手には浸食海域という地の利があります。場合によっては」
敵の艦戦の攻撃だけで中破、大破にまで追い込まれる可能性もある。
または先に艦戦によって撤退を遅らせ後発の艦爆・艦攻を追いつかせる可能性もある。
どちらも可能性の域を出ないが脅威が迫っていることには変わりない。
赤城と飛龍は絶えず艦戦を発艦させているが、
敵機もほぼ自爆覚悟で突っ込んでくるために取りこぼす数も増えてきていた。
「対空戦闘、用意!」
鳥海が声を張り上げる。試行錯誤するよりも目の前の脅威を排除することが先。
敵機を見据え4人の艦娘がそれぞれ己の武器を構える。
「てぇー!」
放たれる砲弾は的確に敵機を貫き、次々に迎撃していく。
それもそのはず、敵機は避けることすらせず最大速度をもってこちらに突っ込んできていた。
その光景を見て脳裏に予感が走る。
「(―――特攻)」
深海棲艦はまだその発生の起源には至れておらず、根絶にも成功していない。
しかし艦娘の働きによってその規模は縮小しており以前のような大規模な反攻もない。
それでも無限とも思える数によっては、あり得る戦術ではあった。
それにこれは速度に物を言わせているだけ。
回避行動すら見せない為迎撃は容易であり、何より対空に優れた艦娘が少なくとも3人はいる。
それに空母を加えれば5人にも上り、さらに言えばここを耐え忍べば五航戦の加勢もある。
吹雪と涼月がけん引しているドラム缶も、
今は中に詰まった海水が重りの代わりとなって暴れることもない。
焦ることはない。しかし油断してはならない。
それを肝に銘じつつ各自が出来ることをこなしていく。
「艦攻が敵深海棲艦に一矢報いたわ! 損傷を与えて撤退したって!」
飛龍が先ほど発艦させていた艦攻からの連絡を受け取る。
これで敵機も撤退を始めるかと誰もがそう思った。
しかし状況は一変。今度は全ての敵艦戦がこちらに向かって特攻を開始したのである。
それも一部は回避行動を取りながらも向かってくることを見るに、
あちらもこちらに対して一矢報おうとしているのは明白であった。
「くっ、どんな神経してるんですか! 深海棲艦は!」
「それを私達が知る由もありませんが、ねっ!」
鳥海と由良が思わず言葉を漏らす。表情は苦悩の色に染まっている。
「吹雪さん! MI作戦の時のアレ、いけますか!?」
「アレ……うん! いつでもいけるよ!」
最後尾を走る二人が盾として対空砲を空へと向ける。
涼月の中に宿る英霊の力を使ったレーダーと、吹雪が装備している対空電探。
それ利用して反射的に敵機を捉え高速で撃墜する芸当である。
目前まで迫る幾多の艦戦に向けて意識を集中し、同時に空へ向けて砲弾を放つ。
「うわぁ……いつにも増して気持ち悪いなぁ」
結果として被害はなかったものの、辺りに敵の破片やオイルが飛び散り皆に付着していた。
別に初めてというわけではなかったが、慣れないものはいくつかある。
「とりあえず全機撃墜でいいのかしら」
「はい。電探にも敵機は補足できません。急いで撤退しましょう!」
最も近くで撃墜したからか全身をその粘液で汚しながらも、
少し誇らしげに告げる吹雪といつもと変わらぬ表情を浮かべる涼月を見て、
鳥海と由良は二人がMI作戦を勝利に導いたのは間違いでないと再認識するのだった。
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その後調査艦隊は五航戦と合流し、何事もなく泊地へと帰投した6人。
艤装は即座に解除され、明石と夕張による精密検査が行われることとなった。
「それで体調など変わったことはありませんか?」
「至って正常ですね。懸念するならやっぱり……」
明石の問診を受ける赤城が視線を送るのは、夕張が念入りにチェックしている艤装であった。
「やっぱりこっちも駄目ねー。明石さん、赤城さんの艤装も所々損傷を受けてます」
「はーいありがとう。鳥海さんの話によれば敵艦戦の襲撃に遭ったと聞きましたけど」
「そうですね、至近距離での迎撃だった為に破片などで損傷は受けた可能性もあります」
その言葉を問診表へと記入していく明石。しかし表情は優れなかった。
「実際に浸食海域の影響を受けた叢雲ちゃんも五十鈴ちゃんも、
今は経過観察中、艤装の損傷も軽微な物だったので明日には出撃できるんですよ」
「なら私達も」
「そうですね。特にこれといったこともなければ作戦に参加できると思いますよ」
その言葉を聞いてほっと胸をなでおろす。
貴重な航空戦力が作戦に投入出来ないと考えただけでも恐ろしい。
ただでさえ先ほどのような錬度を持った敵と接触することもあるため、
誰一人として欠けてはならなかった。
「経年劣化とか金属疲労ではないけど、なら何でダメージを受けるんだろ」
「そこは分析してみないと何ともならないわ。夕張さんも手伝ってくれてありがとう」
「いえいえ、呉でも似たようなことしてたのでお構いなく!
むしろ噂に聞いた工作艦の明石さんと作業できるなんて光栄ですよ!」
兵装実験軽巡としての役割を持っていた艦としての夕張はその前世が反映されてか、
艦娘として呉に配属された後工廠に籠り兵装の管理を任されることも多かった。
そんな中所属していた第二艦隊へ涼月が持ち込んだ見張り員用のマストについて尋ね、
明石がトラック泊地に配属されている事を知っていたのだ。
「褒めても何も出ませんよ~。私も夕張さんのお蔭で随分と楽させてもらってますから」
今回の作戦に参加する艦の数を見れば、到底明石一人でさばける量ではない。
だからと言って艦娘であっても艤装や装備に明るい者はそういない。
大湊に朝日という工作艦がいるが、彼女は今回の作戦に参加していなかった。
「お力添え出来てなによりっと……んん?」
「どうしました?」
口は動かしつつ手も動かしていた夕張が何かに気付く。
何か異常があったのかと明石も赤城に断りを入れて彼女の傍に寄る。
「赤城さん、吹雪ちゃんと涼月ちゃんって確かに浸食海域に進攻したんですよね」
「ええ。サンプルの採取も行いましたから確実に。むしろ私達よりも直に接触してます」
その質問を不思議に思った赤城も2人の元へと駆け寄る。
夕張が虫眼鏡で凝視していたのは吹雪と涼月の艤装。
「2人の艤装、どこにも損傷が見当たらないんですよ」
「そんなはずは! 私も見せてもらっていいですか?」
虫眼鏡を受け取りしばらくチェックを行っていた明石だが、
やがて訝しむように空いた手を口元へと持って行った。
「確かにそうね、妖精さん!」
明石の声で集合した複数の妖精さんは、
手短に説明を受けると吹雪と涼月の艤装の中へともぐりこんでいく。
「とりあえず2人の艤装について大和さん、じゃなかった。長門さんに報告を。
私は妖精さんともう少し調べてみる」
「分かったわ」
「赤城さん、2人は今どこに?」
「2人なら確か入渠施設で汚れを落としてから向かうと言っていたわ」
度重なる原因不明に混乱しつつも、ここではまた別の戦いが繰り広げられようとしていた。
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「いやー、でも驚いた。二人ともギトギトなんだもん」
「石油を頭から被った感じですか?」
「あはは、違いないですね」
工廠のことなどつゆ知らず、涼月と吹雪はシャワーがてら入渠施設にいた。
またそれに付き合うと言って瑞鶴も同伴している。
ちなみに五航戦は浸食海域外で合流したため検査の対象外となっていた。
「でも敵機が特攻を仕掛けてきてたのによく撃墜できたわね」
「日々の訓練のたまものです!」
浴槽に浸かりながら天井を仰ぎくつろぐ瑞鶴は、
さらなる活躍を聞いて少しばかり昔のことを思い出す。
涼月が配属されたばかりのことを。自分が冷静になれなかったために喫した敗北のこと。
自分の錬度も向上した。相手の錬度も向上した。今再び挑戦してみてもいいかと思った。
そんな些細な理由で、シャワーを浴びている涼月に声をかけた。
「ねぇ涼月――」
そこで彼女は目を疑った。本来ならあり得ないことだったからだ。
「瑞鶴さん、どうかされましたか?」
「いや、どうって……」
体勢を向き直し涼月を指さす。
「アンタ、髪白かったっけ?」
「え?」
鏡と瑞鶴の目に映る涼月の毛先は、確かに黒から白へと変色していた。