Fate/reverse alternative   作:アンドリュースプーン

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第18話  蛇を想い、魔女は狂い

 神の住まう神殿であって神ではない魔物が根を張る場所。

 海の果てにあるとされる神々の座から追放された神々の用意した流刑地。

 そこは地上に存在する冥府そのものであり、空を自在に踊り海上を舞う海鳥すら近づかぬ人外魔境。

 名を"形なき島"。神の座を追われたメドゥーサが二人の姉と辿り着いた安息の牢獄である。

 一説によれば最大の不幸とは"孤独"だという。使え切れぬ財があろうと誰もが羨む美貌があれど、それは友人や他人がいてこそ輝く。幸せは誰かと共有するからこそであり、孤独である者に幸せはないと。

 その教えが絶対的なものとは言い切れないが、一理はある。

 そしてその説が正しいのなら、少なくとも彼女は幸福だった。

 神々の座を追放されたなど関係ない。

 彼女には愛するべき姉たちがあり、姉たちも多少捻くれた形であれ彼女を愛していた。

 

――――しかしゴルゴン三姉妹が三女、メドゥーサとは怪物である。

 

 怪物は人間を殺し、英雄が怪物を殺し、英雄は人間によって殺される。

 人間は怪物には勝てず、怪物は英雄には勝てず、英雄は人間には敵わない。

 この原則、この理はあらゆる伝承において殆ど共通とっていい。

 その定めにギリシャで最も著名な『怪物』メドゥーサも逃れられるはずもなく。彼女の住む"形なき島"には多くの勇者たちが怪物を討ち滅ぼすために挑んできた。

 勇者たちは候補である。未だ英雄になっていない英雄の卵。もし彼等のうち一人がメドゥーサを討ち取ったのならば、その偉業をもって真の英雄へとなるのだろう。

 けれどメドゥーサはただ座して自らの首級が切られるのを待ったりはしなかった。

 彼女は戦った。己と違い姉二人は成長することのない身である。愛でられ男の慰み者にされるためだけに生まれた二人には戦う力などはない。彼女が戦わなければならなかった。

 そこに迷いはなかったし、躊躇もなかった。 

 悪い夢のような幸せな日々。なによりも大切な姉たちとの暮らしこそが彼女にとっての絶対であり、外のことなどはどうでも良かった。

 だから殺した。神殿へと足を踏み入れた勇者を悉く。

 彼女は自分の意思に沿わぬ行動をとる際、非常に機械的となる。感情を排除し、目的を遂行するまで何も考えない装置となるのだ。

 そうやって殺してきた。何度も何度も。数えきれないほど何度もだ。

 彼女が殺すたびに彼女の名は高まり、名が高まるせいで勇者の襲撃もなくなることはなかった。

 しかし所詮数が増えようと彼女にとって英雄未満の勇者など塵芥である。

 襲撃者が増えようと殺す人数が増えるだけでありなにも変わりはしない。

 つまらない単一の作業。

 

―――だが、いつからだろう。その作業に意味が宿り始めたのは。

 

 殺せば殺すたびに彼女は反転していった。少しずつ少しずつ彼女は堕ちていった。恐らく彼女自身も、彼女の姉すら気づかないままに。

 自分で自分を否定しながら、姉たちを守るためと言い聞かせながら、勇者たちを殺すことに喜びを感じ始めていった。

 表向きで姉たちとの平穏に浸りつつ、影では自分達を襲ってくる勇者たちを求めた。勇者たちを殺したいがために。

 生きるために殺すのではなく、殺すために殺した。人を殺すことが娯楽となり、人の肉を咀嚼することに悦びを得始めた。

 手段であった殺しは目的となり、それは黒い泥となり彼女を包んでいき――――やがて殺すことの悦びが、守りたかったものの価値を超えた時、彼女は反転した。

 ゴルゴンの怪物。育ち過ぎた悪意は悪神そのものである。

 彼女は日増しに崩れていき、最後には誰よりも守りたかったはずの姉たちすら自分の住み家にある邪魔者でしかなくなっていた。

 姉たちを守るために強くなろうとした彼女は、強くなりすぎて姉たちをも食い殺す真正の魔へと変貌したのだ。

 

『あ、あ――――』

 

 彼女には己が結末など分からない。

 その頃には目もなく腕もなく、世界はただ喰らうだけのものとなっていた。

 

『なんて愚かな妹でしょう』

 

 彼女の前に、否、怪物の前に生贄は現れた。

 力無き生贄たちは、怪物となった彼女の二人の姉は、手を握り合い互いで互いを励まし合いながら愛おしい妹を見上げる。

 

『……いえ、なんて愚かな姉妹でしょう。ここまで守ってもらう気はなかったのだけど。貴女があんまりにも楽しそうだから、つい甘えてしまったのね』

 

 上の姉―――ステンノは歌う様に。怪物となったにも拘らず、以前のまま最愛の妹に微笑みかける。

 いいや二人の姉にとって、それが怪物になろうと自分達の妹であることに変わりはなかったのだろう。

 

『ふん、それはステンノだけの話よ。ステンノは諦めが早いから捨て鉢になってたけど、私は永遠に純潔を守るつもりだったわ』

 

 下の姉――――エウリュアレは不満そうに。そうなってしまった妹を罵りながら、時折悲しそうに妹を見上げる。

 

『まあ素敵。じゃあ満足よねエウリュアレ? これで最後まで純潔だったわ、私たち』

 

『……そうね。私は嫌だけど、そうしないとあんまりにもあの子が馬鹿みたいだし。それぐらいは、意義があったものにしてあげないと』

 

 姉たちは思う。人間を恨んだのは自分達だ。妹は、メドゥーサは彼等を恨んでなどいなかった。

 生まれながらに男に愛され犯されることを約束された姉妹たち。上の姉は運命だと受け入れ、下の姉は嫌悪して、どちらも諦めを抱いていた。 

 それを末の姉が最後まで守り通したのだ。受け入れた運命に抗ったのである。

 

『……貴女は私たちを守った。けれど、私達を守ったメドゥーサはもういない。なら守られていた私達も、同じようになくなりましょう』

 

 無くしてしまったものは二度と戻りはしない。

 水と血が混ざれば、二度とは戻れぬように反転した怪物は元に戻ることはないのだ。

 二人の姉は指を絡ませながら最愛の妹の前に立った。

 

『……うわ、もう目の前かあ……。じゃあね。さようなら、可愛いメドゥーサ。最後だから口を滑らせてしまうけど――憧れていたのは、私達の方だったのよ?』

 

 怪物には人の情などない。彼女はなんの躊躇いもなく、誰よりも守りたかった姉たちを喰い殺し、姉たちは永久に妹の一部となった。

 人々に怪物であれと望まれたメドゥーサはこうして完全な怪物へとなったのだ。

 

 

 

「これ……ライダーの……夢、か」

 

 ちゅんちゅんと小鳥が鳴いている。ウェイバーは寝起きのだるい体を起こすと、目をぱちくりさせる。

 まるで甘い香に溶けていたようだ。まるで硫酸の底に埋もれていたようだ。

 どうにも現実感がなく、夢遊病にいるみたいである。

 

(ライダーがメドゥーサだってのは知ってた。……そうじゃない。知った気になってた)

 

 蛇の頭の怪物。顔のない島にする悪神。

 それが怪物メドゥーサ。だがサーヴァントとして召喚されたメドゥーサは明らかに人間の形をしていて、伝承の方が誤りであり人間であるのが正しいのだと。

 けれどそうではなかった。

 メドゥーサは英霊として召喚されているからこそ人間の形をしているのであり、怪物メドゥーサもまたライダーの側面なのだ。

 

「……どうにも眠いと思ったら、まだ四時じゃないか。第四次だけに」

 

 ウェイバーはもう一度目を閉じる。

 ライダーを通して見た昨日のケイネスと遠坂時臣。それに劣等感を抱きながらも、どうにか意識しないように頭を空にした。

 すると直ぐに微睡の中に溶けていく。今度は怪物の夢ではなく、もっと幸せな夢に浸りたいと思いながら。

 

 

 

 時臣とケイネス・エルメロイが壮絶なる魔術戦をした翌日。

 聖杯戦争の監督役こと言峰璃正は時臣からの連絡を受けていた。

 璃正は遠坂家と個人的な縁があるとはいえ、本質的に魔術師ではなく教会の人間。魔道についてはど素人だが時臣に合わせて教会には通信用の礼装が置いてあった。

 時臣本人には気遣って言わないが、時臣はこと電子機器に関しては酷いのである。あれほど文明の利器に疎い人間を璃正は見た事が無い。

 電話とTVはどうにか扱えるが内心ドギマギ、携帯電話クラスになると確実にアウトだ。

 PC? それはもうアラビア語の寿限無だ。起動しただけで壊れたと思うだろう。

 

『璃正さん、一連の一般人をも巻き込んだ破壊行動を受けての、衛宮切嗣に対しての警告はどうでしたか? 手応えのほどは』

 

 時臣のいう手応えとは衛宮切嗣が警告に反省したかどうか、ということではない。

 警告というのは表向き。真の狙いは警告というのを餌に柳洞寺の様子を探ることだ。

 柳洞寺が如何な要塞で幾万のトラップの巣窟だろうと監督役は中立である。その監督役の使者に危害はおいそれと加えられない。

 つまり"監督役の言葉を伝えるための使者"という名目を掲げて行けば、より安全に柳洞寺の内情を探ることができるのだ。

 

「残念ながら芳しくはない。アーチャーの発言は正しく、柳洞寺の山門にはセイバーのサーヴァントが待機して寺を守護してはいた。けれどセイバーは頑として中に通そうとはしなかった。マスターと私はラインで結ばれている。警告なら私を介して行えば良い、と」

 

 本当にそれだけ。

 それとなくキャスターと同盟したのか、キャスターのマスターは誰なのか、と探りをかけさせたが無為。

 セイバーは必要最低限のことしか喋ろうとはせず、得られた情報はセイバーが柳洞寺にいてセイバーのマスターも柳洞寺にいるらしいということだけだ。

 

『そうですか。……セイバーとキャスター、更にあの衛宮切嗣がいるとなれば……一刻も早く排除しなければならないですね』

 

「うむ」

 

 重々しく璃正も時臣に同調した。なにもそれはセイバーとキャスターの同盟が戦力的に恐ろしいというだけではない。

 璃正が中立の監督役でありながら時臣に肩入れしているのは、時臣の聖杯にかける願いが"根源への到達"だからだ。

 聖堂教会は異端を排斥するが根源には興味ない。根源とはこの世の内側ではなく外側にあるもの。『』へと到達したその瞬間、到達者はこの世から姿を消してあちら側へと行く。

 故に時臣の祈りとはこの既存の世界に"善意や悪意"の一切を振りまかないものであるのだ。

 しかし他のものはそうではない。

 聖杯は根源へ到達するのが正しい使い方だが、純粋に願望器としての機能も持ち合わせている。

 正しく万能の釡たる聖杯を願望器として使用したのならば、それこそ世界征服だろうと世界平和だろうと叶ってしまうのだ。

 それは良くない。聖堂教会としても魔術師が外側でどうしようと興味はないが、それが自分たちの支配圏にも関わるというのであれば黙していることは出来よう筈もない。そのため聖杯を根源というつまらない願いの為に使い潰してくれる遠坂時臣を聖堂教会は影ながら援助しているのだ。

 しかし衛宮切嗣、己が勝利のために無辜の命を犠牲にした魔術師殺し。

 もしもあんな男が聖杯を掴み、願いを叶えてしまえば――――どれほどの災厄が世に振りまかれるか分かった物ではない。

 聖堂教会の監督役としても、一人の聖職者としても、遠坂時臣の友人としても、衛宮切嗣にだけは聖杯を掴ませる訳にはいかないのだ。

 

「しかし最優のセイバーと最弱とはいえ後方での援護に優れたキャスターのペアは中々に難敵。古来より攻めるには三倍の戦力が必要とはいうが……もしあそこを攻め落とすとなれば、攻める側には最低でもサーヴァントが二騎は必要でしょう。なにか算段があるのかね?」

 

『アーチャーとアサシン、私と綺礼の総出で出陣し柳洞寺を陥落せしめる。シンプルなのは良いが下策だ。勝算も低い。キャスターも自分の牙城に数多くの魔術結界やトラップを張っているだろう。なにより敵はサーヴァントだけではない。衛宮切嗣もいるのだ。下手すればサーヴァントの相手をしている間に側面から衛宮切嗣が襲い掛かってくる』

 

 しかもアーチャーとアサシンを動員するとなれば乾坤一擲。少しの失敗が全てを決めてしまう大一番となる。

 時臣からすればこの段階ではまだアーチャーの力は温存しておきたいだろう。

 第四次聖杯戦争、万全の準備をして挑んだ時臣の戦略は完全に瓦解していた。

 不正規のアサシン召喚による情報収拾の遅れ。英雄王の触媒紛失による火力不足。

 更には衛宮切嗣とセイバーのペアにキャスターとの同盟だ。せめてもの救いは未だアーチャーが『宝具』を開帳していないことくらいである。

 当初の戦略通り序盤は穴熊を決め込み情報収集などとはいってられない。時間が経てば経つほどに時臣や他の参加者は不利になっていき、逆に衛宮切嗣とキャスターは力を増していく。

 しかも向こう側は時臣や綺礼がマスターであることを知っているかもしれないが、こちら側はキャスターのマスターの名前すら掴んでいないのだ。

 

「キャスターと衛宮切嗣が神秘の漏洩に加担していたのならば……いかようにも監督役権限を行使できたのだが……」

 

 先日キャスターは広範囲の魔力喰いで数人の死者を出し、衛宮切嗣は100人以上の犠牲者を出しているが、どちらにも共通しているのは"魔術の隠蔽が完璧である"の一点につきる。

 衛宮切嗣は余りにも犠牲者を出しているために、これ以上悪戯に一般人を犠牲にするようならば令呪の一画を剥奪するという警告は与えられたが、キャスターはまだ数人の犠牲者のみ。

 これでは監督役権限で強硬策に訴えるには足りない。

 

『止むを得ない。ここは他の参加者を使うとしましょう』

 

「ほう」

 

『キャスターとセイバーのペア。更には衛宮切嗣の危険性を解けば"柳洞寺を陥落"させるまでの同盟関係を結ぶことは難しくはない。もっとも同盟として表に立つのはアサシンで、アーチャーにはもしもの時の後詰を担当して貰うことになるでしょうね』

 

「して同盟相手に心当たりはあるのかな?」

 

『ロード・エルメロイは実力は申し分ないがプライドが高い。なによりも身内には甘いがそれ以外には冷酷な人間だ。アレは良い好敵手とはなるが、良い共闘者にはならない。一時同盟したとしても衛宮切嗣とは別の意味で背中を預けられない。『尤も彼には仕込みをしてある。運が良ければロード・エルメロイの方から柳洞寺に赴いてくれるかもしれないし、チャンスがあればこちらからそれとなく誘導することもできるでしょう。そして間桐は脱落済み。となれば消去法で残るはウェイバー・ベルベットしかいないでしょう』

 

「ふむ。やや頼りなさそうではあるが、かえって切り捨てる前提の同盟者としては申し分ないやもしれんな」

 

 聖杯戦争に参加したマスターは教会へ届け出するのが定められたルールのため、璃正はウェイバー・ベルベットが参加者であることを知っていた。

 

「しかしウェイバー・ベルベットの所在は分かっているのかね? 時臣くん」

 

『アーチャーとアサシンが冬木市中を捜索中ですよ。ただ冬木の宿泊施設にウェイバー・ベルベットの名前の人物はいない。偽名を使っているのか、別の方法で潜伏しているのか、それとも冬木市外に陣取っているのか。可能性としては偽名、ですね』

 

「分かった。聖堂教会の方でも調査はしておこう」

 

 それで通信は終わった。

 璃正は肩の力を抜いてから、聖堂教会の部下に指示を飛ばす。

 一先ずの監督役としての仕事を完了した璃正は神父としての仕事を黙々とこなしていく。

 聖杯戦争中であろうと此処が教会であることには変わりない。迷いを抱えた一般人が門を叩いてくることはある。

 そうこうして神職に励んでいると、本当に教会の門を叩く者がいた。

 

「――――どなたかな。既に門限は過ぎているが、教会は決してどのような隣人であれ門を閉ざしたりはしませんぞ」

 

 落ち着きのある人に安心感を与える声。璃正はぎぎぎっと教会の木扉を開ける。

 

「――――ッ!」

 

 そしてぎょっとする。聖堂教会に張ってある『セキュリティー』には何の反応もない。しかし目の前に立っている女は明らかに、

 

「それはそれは有り難いことですわ神父様。ですけど生憎ね、私は神が嫌いなの。私は神々の気紛れによって狂わされたのだから」

 

 女の手から紫色の光が発せられる。

 サーヴァント・キャスターの魔術に璃正は為す術もなく意識を刈り取られた。

 

 

 第四次聖杯戦争で最初にサーヴァントを失ったマスターでありながら、最初の脱落者ではない男、間桐雁夜はマスターの誰よりも早く冬木教会の門を潜った。

 しかし雁夜が此処へ来たのはサーヴァントを失い保護を求める為ではない。

 教会が管理しているという『聖杯の器』を奪うためだ。

 

「キャスター、あったか?」

 

 自分のサーヴァントであるキャスターに問いかける。 

 マスターであっても一年の即席魔術師でその手の知識に著しく欠けている雁夜には聖杯とそうでないものの区別などつかない。

 そのため聖杯の探索はキャスターに任せきりだった。

 

「いいえ。どうやら此処にはないようですわ、マスター」

 

「そうか」

 

「でも、そんなことは些細な問題です。魔力供給は十分以上、最優のセイバーも私たちの手に堕ちました。もう私達に刃向う力をもつマスターはいない。愚かなマスター達はまだその事実すら認識してはいないでしょうけど」

 

 ニヤリと艶然と微笑むキャスター。その妖しい色気、普通の男なら容易に堕ちてしまうだろう。

 だが雁夜は堕ちない。雁夜の心は既に一人の女性に奪われてしまっているのだから。恐らくは奪った当人は奪った自覚すらしてくれていないだろうが。

 それでも雁夜の心に卑屈さはない。分かっているからだ。キャスターはもう自分達に刃向う力をもったマスターはいないと言った。それは同じようにこの戦いに身を投じている遠坂時臣をも超える力をもっているということなのだ。

 歪な優越感が雁夜の心の隙間を満たし、昂揚感と充足を与えていた。

 

「セイバーだっけ。やけにとんとん拍子で手下にできたけど、信用できるのかよ」

 

「勿論。聖杯の力の分配とアイリスフィール……と言ったかしらね。あのホムンクルスの命を奪わないと誓うのであれば協力する、そう言っていたわ。元々マスターとも余り仲が宜しくなく不満をもっていたようですし取り敢えずは信用していいでしょう。あんまり他愛なく堕ちるんで面白味には欠けますが」

 

「お前が言うなら、たぶん大丈夫なんだろうな。でも中立地帯の教会に攻撃したのは。ここは不可侵なんだろ」

 

「あら。マスターの仇敵たる遠坂時臣に影で協力していたような男が中立というのです?」

 

「………………」

 

「それに心配する必要はありませんわ。もう私達を倒す力をもったマスターとサーヴァントはどこにもいない。もう間もなく聖杯は我々のものとなるでしょう。そして聖杯を手に入れればマスターの苦痛も苦悶も苦渋も終わる」

 

「ああ、そうだな。聖杯戦争に勝つのは俺だ」

 

 自分の悪運の強さには我ながら驚きを通り越して呆れる。

 心からキャスターがサーヴァントで良かったと思う。もし臓硯の言葉に従い呼び出したバーサーカーを使役できていたとしても、自分のような急造マスターでは終盤まで戦い抜けるか怪しかっただろう。

 

「もう臓硯の顔色を窺って惨めにいる必要はない。解放されたんだ……俺も、桜ちゃんも。聖杯さえ手に入れれば本当に全部から解放される」

 

 自分にとって良くも悪くも雲の上の存在で逆らう事の出来なかった妖怪・間桐臓硯。

 しかし臓硯を優に上回るキャスターなら臓硯など恐れるに足らない。キャスターを自分のサーヴァントにした翌日、雁夜は自宅だった間桐家を襲撃し桜を臓硯の手から奪い取って来た。

 蟲の知らせで危険を悟ったのか蟲蔵に臓硯はおらず、仕留めることはできなかったがそんなものは些細な問題である。臓硯が妖怪だろうと臓硯がサーヴァントより強い訳がない。

 キャスターを従え間接的にセイバーをも従えた自分に勝てはしない。聖杯を掴めば、もう完全に間桐臓硯を滅ぼし尽くすこともできるだろう。

 

「でも聖杯はここにはなかったのか。臓硯の奴は聖杯の器は聖堂教会が管理してるって言ってやがったんだけど。……念のために聞くけど、キャスターも知らない場所に隠されてるとかはないのか?」

 

「私が? ふふふふふふっ。もしそんな隠し場所があるのだとしたら私も現代の魔術師を見直さなければなりませんね。マスターにはなにか思い当たる節があるのですか」

 

「……俺や桜ちゃんが臓硯にやられたみたいに。体の中に隠す、とかは」

 

「体の中?」

 

 キャスターは雁夜の言葉にじっと黙って考え込む。

 深く被ったローブのせいで表情の変化は読み取れない。だがその口元が綻んだのを雁夜は見た。

 

「あは、あはははははははははははははは! なんだ、そういうことだったの! 私はとんだ道化だったということね。まさか私ともあろうものが、ふふふふふ、あはははははは!」

 

「きゃ、キャスター?」

 

「マスター、朗報です。聖杯を手に入れました」

 

「は?」

 

「違いますね。私達はとっくに聖杯を手に入れてたんです。ただその事実に気付いていないだけで。帰りましょうか、柳洞寺へ。そこで私達の聖杯が待ってます」

 

「ど、どういうことだよ! 聖杯はとっくに手に入れているって。俺はそんなもの見た事ないぞ!」

 

「いいえ。あります、マスターはその聖杯を見ています」

 

 キャスターは確信をもって言う。間桐雁夜は聖杯を見た事があると。

 しかし雁夜には聖杯を手に入れた記憶も見た覚えもない。雁夜が見たのは精々キャスターが奪ってきたセイバーとあのアイリスフィールとかいうホムンクルスだけだ。

 

「教えてくれキャスター、手に入れてる聖杯ってなんなんだ?」

 

「何というより何者でしょう。人と人から生まれぬ命とはいえ命には変わりありませんから」

 

「おい、まさか」

 

「アイリスフィール・フォン・アインツベルン。あのホムンクルスこそが聖杯だったのです」 


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