大して長くもない冬休み。どこか遠くへ旅行しに行くということもなくダラダラ過ごしているうちに最後の一日が終わってしまった。
あの一月一日のことは思い出したくもない。朝倉さんのご両親はいい人には違いないのだが、プレッシャーというストレスが嫌いな俺からすれば同じ空間に存在しているというだけで心のゲージにスリップダメージが入ってしまう。
嫌なことはさておき、翌日にあった初詣についてはまあまあ良かった。なんと貴重な晴れ着姿の朝倉さんをお目にかけることができたからね。申し分ない目の保養だ。
ただ、神社の境内は異常なまでに混雑していて、そんな中を何分もかけのろのろと歩いてまで俺が初詣をしたかったのかと言われるとそんなことはなかったのだが。
帰りがけに引いたおみくじが仰るには今年の運勢は吉だとよ。去年は小吉だったんだがな、悪くなってるよなこれ。ちなみに朝倉さんは中吉だと。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦だわ」
これは朝倉さんの弁だが、俺のおみくじに書かれていた恋愛の項目の『この人を逃すな』ってのを信じていいものなのかね。誰でもいいから教えてくれ。
で、せっかくだからということで朝倉さんのお母さんが、若い二人の写真を撮ってあげると言い、人がそこまで多くない絵馬置き場近くで、いつも通りの一張羅な俺と晴れ着の彼女の2ショットを撮ってくれた。
撮影されたデジカメの画像データは俺のパソコンにも取り込まれることとなった。
朝倉さんのお母さんはデジカメを持ち歩いてパシャパシャするのが好きな人だけあって俺たちは見栄えよく映っている。永久保存版だなこれは。
そして三が日の終わりとともに朝倉さんの両親は再び海外へ行ってしまった。次に会うことになるのはゴールデンウィークかお盆休みだろう。
また高校へ通わなくちゃいけないダルさと機関誌を作らなきゃいけない課題の二つが困りものだが、ともかく基本的には学校で同じ毎日を繰り返す日々が戻ってきた。
それは同時に無理やり朝倉さんに起こされる日々が戻ってきたということも意味している。
「最近思うんだけどさ」
「何かしら」
布団をひっぺがしてまどろみを妨害した彼女に対し、俺はベッドから起き上がって思うところを述べることにした。
「起こすにしてももうちょっとマシなやり方はないのかね」
「……例えば?」
朝倉さんに目覚めのキスなんてされたら一発で飛び起きれる自信があるがそんなことを頼む権利など今の自分にない。なぜなら彼女とは幼馴染であり、それ以上でもそれ以下でもないからだ――と、情けない男の台詞に同調してしまう程度に俺は情けない。
普通に身体を優しくゆするぐらいがちょうどいいと思う、と言うと朝倉さんは鼻で笑ってから、
「それであなたが起きたためしがないからこうしてるんだけど」
正論である。悲しいかな彼女のこの様子じゃ明日以降に起こし方が変わることはなさそうだ。
大人しく議論を投了して俺は身支度を整え数週間ぶりに北高へ向かった。朝に長門さんの顔を目に入れるのも去年以来だな。
十二月も一月も変わらずに寒い。元々低血圧で朝が弱いタイプの俺にとって一年のうち冬が最も嫌いな季節だから余計にこの寒空が憎く見える、睨んでやろうか。
「どうかした……?」
信号待ち中に顔を上げて空を睨むなどというのは客観的に見れば奇行の類であり、長門さんが俺の正常を心配するのは当然のことであった。空から彼女の方へ顔を向けるも視線が痛い。
いや、どうもしてはいないんだけどと言う俺の言葉に被せるように朝倉さんが長門さんに、
「気にしなくていいわよ。寒い風を送りつけてくる空が憎たらしいとかそんなんだわ」
「……空が?」
「ええ。それか彼には見えちゃいけないものが見えてるのかもしれないけど」
まるで不審者を気にする子どもを窘める保護者のような態度で好き放題言ってくれた。しかもだいたい合ってるから困る。俺にはこの空がちゃんと青色に見えてるから安心してくれ。
パッと信号機が青に切り替わったので横断歩道を渡っていく。歩こうが足を止めようが寒さに変化はなかった。
そうだ。俺が変人扱いされるのは構わんがじゃあ君たちはどうなんだろう、寒くないのかよ、と女子二人に伺うも。
「寒いことは寒いけどわたしたちにはどうしようもないと思う」
「そうよ、あなたみたいに睨んだからって天気が変わるわけないんだからね。お天道様に罰当たりなだけじゃない」
なんということだろう。新学期早々に文芸部内のヒエラルキーが危ぶまれているではないか。
まあ笑いたい人には笑わせておくのが俺のスタンスなのでべつに困らないけど実害が出ないことを願うばかりだ。
ところで終業式の必要性が謎なのはさることながら始業式というのはそれ以上にやる意味を感じない儀式ではなかろうか。なぜなら北高の始業式は終業式とほぼほぼ同じコマ割りであり、午前で解散となっている。最早ただの顔合わせだ。
在校生の模試の成績がふるわなかったなどという理由で冬休み前の短縮授業を文字通り短縮しやがった学校長は始業式についてはノータッチらしい。まあ、授業がないのは楽でいいことだが結局文芸部があるので俺の帰宅時間は普段とそう変わらない。だったらいっそのこと休みを一日延長してくればいいのに、学校側もそうはいかないようだな。
それから寒さを耐え忍んで通学路を行き、教室まで到着したはいいが悲しいことに我が一年五組の教室もずいぶんと冷えている。文字通りに。
残念なことに私立校でもない北高は校舎の中にいたところで寒いことには寒いのだ。女子はひざ掛け必須である。
「ったく暖房代をケチりやがって」
貧弱な公立校の設備に悪態をつきながら鞄を机のフックにかけて着席する。
テキスト類は一切もってきていないので本日の机の中は空だ。
朝のチャイムまでまだ十分ほどあるがトイレに行きたいわけでもないので俺はじっと前を向いて時間の経過を待つ。授業中ならいざ知らずこんな時間から机にダイブしていたら朝倉さんにシャーペンで刺されて起こされるのだ、中学時代に散々やられたからわかる。
少しすると谷口が教室に入ってきて俺を見るなり、
「いよっ。明けましておめでとうだなこの野郎」
と言ってこちらに近づいてきた。
冬でもセーターなしの北風小僧なのはスゴいと感心するけどともすればセーターも買えない貧乏野郎に見られるぞ。
すると谷口はなぜか得意げに、
「お前もキョンも暇がありゃ寒い寒い言ってるからな。だが俺にゃセーターなんざいらねえのさ、コート一丁でも暑いぐらいだろ」
「なわけあるかよ」
「流石にブレザーだけってのはきついがな。やせ我慢じゃねえぜ」
よく馬鹿は風邪をひかないなどと揶揄されるが、ひょっとすると馬鹿なる人種は常人と身体の作りが違うのかもしれんな。
ところで谷口の顔を見て俺はあることを思い出した。彼の十二月二十四日についてである。
デートの相手は周防九曜だったのだろうか。だとしてもこの世界の周防九曜もきっと普通の女子高校生なはずだ、朝倉さんのように。
谷口という男のクリスマスイブについて気になるといえば気になるが、色恋沙汰という野暮ったいことを聞く主義でもないので言わぬが花だ。自慢できるような内容だったら彼の方から聞けるはずだし。
俺はちらっと斜め前、教室窓側の前の方を見やった。女子がたむろしている。その中には俺の幼馴染がいた。
よくわからん話題でも人数が集まればうるさいのが女子だ。休み明けで話題もたっぷりなんだろう、朝倉さんもあれこれ喋っているみたいだが。
「ところでよ」
谷口が口を開いた。
なんだ、クリスマスの話か。
「国木田から聞いたが文芸部で本出すんだろ?」
その件か。
「本じゃあない、機関誌だ」
「何が違うんだよ」
「文芸部だから本みたいな形で作ろうとしてるだけで、元々機関誌っつうのは新聞の仲間だ。校内新聞の文芸部バージョンを作ると思ってくれ」
「はーん。ま、ようわからんがこの俺様の力が必要なら遠慮なく言ってくれよ」
谷口は我こそ百芸に通ずるとでも言わんばかりの自信ぷりだった。彼に文芸の才があるかは甚だ疑問だが。
部員の五名だけの内容というのは薄い気がしないでもない、けど谷口にわざわざ書いてもらうようなこともあるまい。SOS団がジャックした文芸部の機関誌じゃないんだからな。
始業式が開始してから外界からの情報など何ひとつ頭に入れずぼーっとしているうちに下校の時間となった。不毛すぎる過ごしかただろうか、俺はそう思う。
この調子じゃ俺が変わったなど嘘でも自分で言えるはずがないが、こんな最低な日々が常になっているところがあるのだから真人間への道はまだまだ遠そうではないか俺。
「ん、どうした?」
お昼の弁当を部室で食べ終え、鞄は置いたまま上着を持って部室を出ようとした俺にキョンが尋ねてきた。
なんということはない。始業式の部活時間は普段より長いため小腹が空きやすいので、おやつでも買いに行こうと思ったのだ。
その旨を述べた俺はコートを着ながら三人が座っている長机の方を見て、何か買ってきてほしいものがないかを聞いた。
「……プチシューが欲しい」
長門さんが遠慮しがちな声でそう言った。
これが野郎の頼みだったら俺は手のひらを差し出して金をよこせと言ってやるが、長門さんならタダで買いに行くね俺は。
キョンの方に顔を向けると彼は首を横に振り、
「俺は別にいい」
だと。
で最後の朝倉さんはというと。
「あ、外出するなら私も行くわ」
そんなこんなでキョンと長門さんを部室に残して朝倉さんと適当なコンビニを目指すことにした。
本日は我々文芸部の目下の目標たる機関誌発行を実現するための作戦会議を行う予定であるが、外回りに小一時間かかったとしてもまだまだ活動の時間は残るから問題はあるまい。
もちろん機関誌には国木田も関わるが今日は部室に来れないようなので彼には四人で決めた方針に沿って動いてもらうつもりだ。その方が国木田だってやりやすいはずだしな。
部室棟には文科系のクラブが集まっており、休み明けというのに活動をしているのは文芸部だけに限らない。ようは校内には生徒がまあまあ残っているというわけだ。体育会系なんかはアホみたいな寒さだというのに外で練習してやがる始末だからな。
「正気を疑うね」
廊下を歩きながらぽろっと呟いたら朝倉さんに脇腹を小突かれて、
「こら、頑張ってる野球部に失礼でしょ」
めっとした表情で叱ってきた。
失礼、と本気でそう思えるのだから彼女はマジにグレートだ。俺には無理っス。
「そのガンバリとやらが実のあるものだとは限らないっしょ、部費の無駄遣いだぜありゃ」
「だからって彼らを馬鹿にしていいわけじゃあないのよ」
「スポ根が好きなの?」
「そうじゃないけど……あたなみたいに斜に構えるの、よくはないわ」
残念だ。
朝倉さんみたいに何でもできるタイプの人には簡単にわからんのだろうさ、うまくいかないクズの劣等感なんてものは。もっとも俺はそんなくだらないことを彼女に理解してもらいたくないがね。
どうあれ俺の発言が世間一般に褒められるもんじゃないことは自覚している。過ちを認めようではないか。
「へいへいオレが悪うございました」
「反省の仕方をちょっとは考えてほしいものね」
朝倉さんは目を伏せ、やれやれといった感じでそう口にした。
北高の弱小野球部どもに罪はないがあいつらがもう少し強いチームだったら俺も考えを改められるんだがね。
して、俺たちは校舎から外に出て校門とは反対の道を行き、外周コースで裏手に回る。
おやつだけの用なら近くにある駄菓子屋に行く方が近いが、コンビニなら他にも色々あるしな。こう考えて古き良き店から足が遠のくのは現代っ子の悲しき性か。
品ぞろえの観点でいうと北高から最寄りのコンビニは貧弱で、その次に近いとこは何と大学敷地内とかいうわけわからんとこに位置している。
これは立地の悪さが影響しているのだろうか。更に次のコンビニとなるともう駅から近くだ。まあ今向かってるのはその私鉄の駅前にあるコンビニなんだがな、ちなみに俺や朝倉さんの家からはまったくの反対方向だ。
なるべく信号の少ない路地を選びながら歩いていたが、店の近くの信号なしの十字路まできて車が来ないタイミングを窺いながら立ち止まる羽目になった。通る度に思うが不便な道路だ。
「あぁ、さみぃな……」
「マフラーでもしたらどうなの?」
俺の防寒具はコートとブレザーの下に着たセーターだ。
北国に住む方々ならわかっていただけるだろう、こんなんじゃ寒さには勝てないのさ。北高の冬服ズボンはさして暖かくないし。
マフラー、マフラーねえ。朝倉さんは現に今オレンジのマフラーしてるし、ないよりはあった方がマシなのはわかる。
「なんつーかオレの趣味に合うもんがないんだよね」
「奇抜なデザインがいいのかしら」
ジョセフ・ジョースターのあれが最高だと思うんだが、と言ったとしても朝倉さんはジョジョ知らないから話が通じない。
べつに俺はマフラーに奇抜さを求めてはいないけど家にあるペラペラのやつを学校に持ってきたとこで邪魔になって煩わしいだけなので持ってきてないだけだ。
ラブコメ的展開ならここで朝倉さんが手編みのマフラーを編むことを決意して、一生懸命にマフラー作りをするが失敗続きで、でも立派なものを渡したいと思って頑張ってようやく出来た頃には冬が終わってしまい彼女は悲しんでしまうが、渡された俺は次の冬まで大切に持っておくよと――
「……なにぼーっと突っ立ってるの、ほら、行くわよ」
妙な妄想をバニッシュメント・ディス・ワールドしていたが彼女のどこか冷ややかな声でリアルに引き戻されてしまう。
冷静に考えれば朝倉さんならマフラーを編むことなんて容易いわな。彼女の場合、少女漫画のテンプレートな流れにならずとも頼んだら普通にマフラーを編んでくれそうではある。手芸は女子の嗜みだし朝倉さんはそういうのを最も得意とするし。もちろん本当に頼むつもりはないが。
十字路を突っ切ってやや進んだとこにあるこの店がコンビニの駅前店である。が実際のとこコンビニが面しているのは駅前とは名ばかりの日当たりさえ微妙な通りで、いかにも私鉄ローカル線駅前といった模様だ。
自動ドアをくぐっていざ入った店内はガンガン暖房が効いていた。
「あったけえ」
「というより暑いぐらいね」
「でも寒いよかマシだぜ」
特に多くの買い物をするつもりはなかったが、なんとなくコンビニの小さなカゴを手に取ってしまう俺。一人での買い物だったらカゴなんぞ使わず両手で商品を持っていくがな。
少し店内を進み、スイーツコーナーに陳列してあるミルククリームプチシューひとつをカゴに投入。
「君は何もいらないのか?」
「そうねえ……」
じろじろと包装されたスイーツたちを眺めた末に朝倉さんが選んだのはイチゴロールケーキの切れ端だった。
俺が思うにコンビニのロールケーキというものは中のクリームが美味しいからいいのであって、イチゴが中に入ってることでクリームの量が減ってるうえに値段は上がっているこの商品はボッタクリそのものだ。朝倉さんは冬のイチゴフェアなどという広告に踊らされているだけでないか。
なんてことを言うほど空気の読めない男ではないので俺は俺で好きな牛乳プリンをカゴに入れよう。うむ。
「他にはいいの?」
「いや、午後のコーヒーと、しょっぱいポテチもだ」
「無駄遣いしちゃ駄目よ」
「ムダかどうかはオレが決めることだろ」
まあ無駄だと思ってるけどさ。
かくして出した千円札のおつりに二百円も貰えないような買い物をしてしまった俺たちはこれまたのんびりと来た道を戻っていった。
この時点までは普通の一日だった。特段、浮き沈みもないような内容。
一昨年の十二月二十四日の俺が見たらきっと自分の進歩のなさに失笑してしまうことだろう。
だがな、そんな俺でも予想だにしない展開だぜこりゃ。
「……あんたたちは誰?」
コンビニ袋片手にひっさげ意気揚々と部室のドアを開けた先には女子生徒と男子生徒が立っていた。長門さんとキョンではない、二人は女子生徒と男子生徒の相手をしていたようだ。
そして俺には本来見慣れないはずの女子生徒および男子生徒が何者なのかすぐに見当がついてしまった。
冬休み明けの北高文芸部。その部室。そこには体操服姿のえらい美人と、イケメンじゃなかったら変態扱いされるような格好をしている短パン短シャツ姿の野郎がいた。