普段なら型落ちデスクトップPCの他に何も置かれていないような学校備品の長テーブルだがこの日ばかりは違った。
山盛りになったサラダ、ピラフのおにぎり、シャンパンのボトル、大きなクリスマスケーキ、そして主役のターキー肉。皿の上には錚々たる顔ぶれ。
文芸部の部室、なんていえば誰でも埃を被ってるイメージだろうが昨日のうちに一足早く大掃除は済ませてあるので衛生的にはマシなはずだ、それでも褒められたもんじゃないがそもそもこのパーティ自体が褒められるような行為じゃないし。
「で……」
左目をつむったまま向かい側にいる俺と国木田を見据えるキョンが口を開く。
言いたいことの察しはつく。今現在この部室に女子はいない。
「あいつらはどこ行っちまったんだ?」
知らん。国木田もそうらしく首を横に振っている。
時刻は午後四時を回っており外はそろそろ暗くなってくる頃合いだ。家庭科室の後片付けにしちゃ時間がかかりすぎだからな。
後日、クリスマスパーティなど本当はなく盛大なドッキリでしたと言われても信じるぞ、とだんだん思ってきたところ、
「お待たせしたにょろ!」
鶴屋さんの大声とともに部室のドアがバンと勢いよく開けられた。
そしてぞろぞろと室内に入ってくる女子たち。
「……おぉ」
なんてマヌケな声をキョンが出してしまうのも無理はなかった。
ようやく戻ってきた四人全員の格好が北高指定のセーラー服から紅白のサンタ装束になっているからだ。
道理で俺たちの前から姿を消していたわけだ。そんなものに着替えていたとは。
「鶴屋先輩が用意してくれたのよ」
と朝倉さんが主犯の名を挙げる。
心の中でグッジョブ鶴屋さんと言ったのは内緒だ。
その鶴屋さんはというとしたり顔で、
「今年最後の出血多量大サービスさっ。サンタクロースのみくるなんて普通だったら金払わないと見れないからねー、そこんとこわかってるのかな少年たち?」
わかってますとも。ええ。
紳士たる俺はいくら朝比奈さんのあれがサンタ服によりおもちみたいに強調されてるとはいえそこからは眼を背けるようにしているのさ。こういう時はハリー・オードみたいにサングラスでもかけたくなるぞ。とにかく四人ともキュートなのは違いないよ。
しかし長門さんはサンタ服が恥ずかしいのかやや朝倉さんの影に隠れている。まあこの中だと最もコスプレから遠い人種だろうし、無理もない。
こういう場を活かして彼女もキョンにアタックすべきなのだが腐れ主人公くんはというと国木田ともども鶴屋さんと朝比奈さんに絡まれて満更でもなさそうな様子だ。畜生が。
ちなみに俺は鶴屋さんが言うところの朝比奈FCに加入させられてはいないようだ。曰く彼女持ちは受け付けてないだとか、悲しいことに俺はフリーなんだがね。
さて、俺の役目ではない気がするが現状やりそうな人がいないので仕方ないな。
「おほん」
わざとらしく咳払いをしてテーブルの上に置かれたグラスを取る。多くの視線を浴びるのは嫌いなんだけどな、けど狙い通りキョンと先輩がたの絡みはストップしたから多少の我慢はするさ。
既に中身は注がれているのだからやることはというと――
「皆さん、積もる話もあるかと思いますがまずは乾杯といきましょう」
これに限る。
俺の一言により全員がグラスを持ってくれた。長門さんも乾杯のためにとりあえず前に出てきてくれたことだし後は健闘を祈る。
ところで何に乾杯するかって?
無難に一年お疲れ様とかそんなんでいいんじゃないか、これ忘年会兼ねてるようなもんだし。
ともかく俺たち七人はそれぞれのグラスをカチンとあわせて乾杯をした。
さて、クスリマスパーティとはいえ特別に何かやるわけではない。ただ料理を食べながら談笑するだけだ。
鶴屋さんが持ってきたターキーがどれくらいのランクに相当する代物なのかは不明だが、かじりついているうちに俺の分の肉はあっという間になくなっていた。手羽先を数本食べるより量は少なかったが満足感はこっちの方があるな。
つい先ほどは女子によるサンタ服のサプライズがあったが、他にも仮装グッズの用意があるようでキョンはサンタのマントを被せられ、顔に鼻眼鏡をつけられている。なんの罰ゲームだか。
「……笑えるぜ」
事実、キョンにサンタというか変質者じみた装備をさせた側である鶴屋さんおよび朝倉さん――ついでに見てただけの朝比奈さんも――は大笑いをしている。
彼は何やら不服そうな様子だがウケがとれるなら芸人魂も冥利に尽きるんじゃなかろうか。
「てっきり男子は二人だけだと思ってたから国木田くんの分は用意してないんだよね」
ひとしきり笑ってから残念そうに語る鶴屋さん。当の国木田は苦笑いを浮かべているが内心安堵していることだろう。
彼女に国木田の参加を事前に伝えていなかったので当然なのだが、なんだ、その口ぶりではキョンのみならず"俺の分"があるみたいな感じだな。
「トッポイ少年にはこれだっ」
どジャァァ~~んとでも口にしそうな勢いで鶴屋さんがどこからともなく出したのは一見すると茶色の布切れが折りたたまれただけの代物だったが、彼女が手に持ったそれを広げるとキョンの変質者セットより更に凶悪なものだということが俺にもわかった。
それは茶色を基調とした覆面であり、鼻の部分は赤い丸の団子で、申し訳程度に上の方に左右それぞれ一本ずつくっついている角、これらの符号が意味するものはひとつ、トナカイのマスクだ。
「ぐふふふふ……」
およそ女の人がするには下品すぎる声を出す鶴屋さんの笑みはゲスっぽく、彼女の隣にいる朝比奈さんは俺があれを被っている姿を想像しただけで笑ってしまっているらしい、口元を手で覆っている。
やがて鶴屋さんのトナカイマスクを持っていない方の手である左手が俺を捕まえんと伸びてきたが、すっと身体を横に動かして回避させてもらう。
「おやぁ。ひょっとしてキミ、あたしが持ってきたこれを被りたくないっていうのかい?」
いや誰が持ってきたとしてもんなもん被るのは御免だぜ。
なおもしつこく鶴屋さんは俺に掴みかかってくるが捕まってやるものか。時折左手をエサに右手を使うなどしてフェイントを仕掛けてはいるがしょせん素人よ、この程度でやられる俺ではないのさ。
だが、不意に後ろから羽交い絞めにされた。誰だ。
「鶴屋先輩やっちゃってちょうだい」
「でかした朝にゃん」
ちくしょう、朝倉さんか。完全に気配を消してやがった。
がっちり脇からホールドされ、フットワークが殺された手前これ以上の回避など無理だ。足だけは自由だがつま先を踏んで脱出なんてことは女子相手にやれないので無抵抗主義を貫くしかない。卑怯なり。
「朝倉さん、謀ったな!?」
「私はあなたの味方になった覚えはないわ」
いくらなんでも酷すぎる。
キョン、お前はこの苦しみをわかってくれるだろ。
彼はシャンパングラスを片手に疲れた様子で、
「俺だっていいようにやられたんだ、お前だけ何も無しってのは公平じゃないだろ。これも運命だと思って大人しく受け入れろ」
何が運命だ。ブレザーの上からサンタのマント被った鼻眼鏡野郎にだけは言われたくねえ台詞だな。
朝比奈さんも国木田も楽しそうにこっちを見ている。最早ここまでか、無念。
「ゆえーい! トナカイ少年の完成だっ」
俺は驚くほどたやすくトナカイマスクを被せられてしまった。
目の前に鏡があったら叩き割りたい気分だ。
「ぷっ、くくくっ……に、似合ってるわ……ふふ」
「にゃはははははは!!」
「ふふふ、ひひ、お、面白すぎます」
朝倉さん鶴屋さん朝比奈さんが一様に爆笑している。きっとトナカイマスクを被った俺の顔は変質者を通り越した変態のそれなのだと思料する。夜中に遭遇したら絶叫もんだが昼間だったら俺でも笑うぞ。
おまけに野郎二人も俺を笑っている。かつて俺の人生でここまで笑い者にされたことがあっただろうか、多分ない。
「あんまりだ……」
呪詛のように呟いたがきっと効果はないのだろう。
その後、いつの間にか部室から姿を消していた長門さんを捜索しにキョンが行ったりする一幕もあったりもしたが、終わってみれば短かったような気がする。そんなクリスマスパーティだった。
予想していた通り、楽しかったさ。
パーティで口にしたものたちが栄養バランスがいいとは思えなかったがそれで腹が膨れるのなら構わないというのが俺の主義なのだ。
とにかく夜の八時を前にしてパーティはお開きとなった。鍵を返しに行った際に森先生から「遅いですよ」と小言を述べられたが彼女の辞書には無礼講の文字などなさそうだ、パーティに参加するつもりもなかったみたいだし。
鶴屋さんは朝比奈さんと一緒に迎えの車で帰るそうで学校前でお別れである。
「今日は最高だったよっ。次に会うのは新学期かな? ばいばいっ!」
「ちょっと早いですけどみなさんよいお年を」
もちろん俺たちは普通の制服姿にもどっている。トナカイマスクは返却済みだ。二度と付けてやるかあんなもん。
それにしても驚いたのはこの天気だ。
つい一時間ぐらい前からそうなのだがまさか雪が降るなんてな。十二月二十四日だぜ、出来すぎだろ。ひょっとして宇宙人の仕業なのか?
「何馬鹿なこと言ってるのよ、たまたまでしょう」
横から突っ込みが入れている君だって宇宙人の仲間かもしれないんだからな、その言葉だって信じたものかどうか。
雪の勢いは強くないため明日の朝には止んでいるはずだ。もっとも路面はツルツルで滑りやすくなってそうだから外出などする気にはなれない。
通学路の坂道をゆっくり下っていき、県道をしばらく進んだところで次にキョンと国木田とお別れとなった。国木田は私鉄を利用して帰宅するためであり、キョンは私鉄の駅に自転車を止めているためだ。
そんな野郎二人とも別れの挨拶を済ませ、私鉄の線沿いに道をずっと歩くこと十分ほど。長門さんと朝倉さんが住まう分譲マンションに到着した。
「んじゃ」
長くもない冬休みにさっさと入るとしよう、そう思いながらマンションの前できびすを返した俺だが。
「ちょっと待って」
朝倉さんに引き留められた。
なんだ。
彼女は寒さで眼鏡を曇らせている長門さんに、
「長門さんは先に帰っててくれるかしら。私、彼と話がしたいのよ」
「……うん。わかった」
などと言ったが俺の意見もなしに俺は朝倉さんとお話コーナーの時間を余儀なくされるのか。いや、俺の意見が受け入れられるかは別だが意見できるならさっさと帰らせてほしいぞ。
結局長門さんは一人でエントランスに吸い込まれていき、彼女に手を振ってお別れをした朝倉さんはまだ帰らないつもりらしい。
「話って君の部屋でするわけじゃあないのか」
寒いからあったかいマンションの室内に入りたいと思っての一言なのだが、これを受けた朝倉さんはジト眼になり。
「ふーん、そんなにうちに上がり込みたいんだ」
今更何言ってるのか知らんが今日この場において彼女は俺を下種な送り狼とでも思っているようだ。上等だ。
かくして目的地も告げられぬままに先を行く朝倉さんを追従すること数分、そこは公園だった。そう呼ぶには小さすぎる場所だが住宅街にあるような大きさならこんなもんだわな、大方300平方メートル弱といったところか。
まさかと思うが彼女はこの公園で話をする心づもりなのか。
公園内にはブランコと砂場ぐらいしか遊び場がなく、他にあるのは水飲み場とベンチ、そしてやけにほっそい木が二本ほど植えてあるだけ、後は街灯か。公衆トイレなどない。
「持ってて」
と鞄を俺に突きつけて朝倉さんはブランコの方へ行き、腰かけの部分の雪を払うとブランコに乗り出した。しかも立ち漕ぎをするらしい。
益々頭の中を「なんなんだ」という気分でいっぱいにさせてくれる彼女だが、このまま黙って帰るのも忍びないので付き合ってやることにする。朝倉さんが漕いでいない、俺から見て左のブランコ前の安全柵に腰掛ける。
一度でも立ち漕ぎの経験がある諸君なら承知しているはずだが、最初は運動エネルギーが皆無なため足の曲げ伸ばしを繰り返して勢いをつける必要がある。
朝倉さんは今まさにそれを実践しており、キコキコとブランコを揺らしていく様はなんだか滑稽ですらある。
「あなたは乗らないのかしら」
「遠慮しておくよ」
「そう言って、スカートの中を覗くつもりでしょ」
馬鹿にするような物言いだがそう思われるのも無理はないか。コートが足までガードしているから見たくてもあんまり見えなさそうだが。
なら俺もブランコに腰掛けるとしよう。
雪を払って大人しく座ると朝倉さんはピタッと動きを止めてこっちを睨んだ。
「……何か?」
「そこからでも見えるじゃない」
「だったら向かなきゃいいんだろ、君の方を」
首を右側に立っている木の方向に向けてやった。これで満足か。立ち漕ぎなんだから勢いづいたら横からはとうてい覗けそうにないし、結局見える確率はゼロに近いのにな。
やがて隣からキィキィと再びブランコを揺らす音が聞こえてきた。
「公園で遊ぶのなんて久しぶりだわ」
まあ、そうだろうな。
「遊具で遊ぶより砂遊びが好きだったわよね、あなた」
そうかもしれないが中学一年より前のことを言われても"俺"にはわからん。
公園の中にいるとどこかノスタルジックな気分にはなるが、そんなのただの年寄りの懐古主義でしかない。
「砂遊びに付き合ってたおかげで私の服はすぐ汚れちゃったんだから。お父さんには帰る度に笑われたわ」
他に友達がいなかったのかね俺は。
まあいい。
ふーっと深い息を吐いてから切り出す、
「で、話ってのは」
実のところ察しはついている。
暫時無言の間が続き、俺がそろそろ公園の木も見飽きたなといった頃に彼女からレスポンスが返ってきた。
「もう、一年になるわ」
「……ああ」
「まだ返事は貰えないの?」
俺はこの幼馴染、朝倉涼子に告白されたことがある。
去年の十二月二十四日のことだった。
「てっきり気が変わったと思ってたよ」
「それこっちの台詞。せめてイエスかノーかだけはハッキリさせてほしいんだけど」
客観的に見て俺は弱い人間なのだろう。
考えさせてほしい、などという引き延ばしを一年間続けているわけであり、あわよくばもう少し続けさせてほしいのだから。
「私はあなたが好きよ。今でも」
君が嫌いな奴相手に思わせぶりな態度をとってることはないだろうしね。だったら彼女の言う通りなんだろ。
正直、俺も朝倉さんのことは好きだ。異性として。
つーか日頃からこんなにかわいい女子にベタベタされて惚れない奴はいないだろ。いたとしたらそいつはゲイだ。俺はゲイじゃないぞ。
だがここがアニメの世界だとか、俺が実は異世界人だとか、そんな取ってつけたことよりシンプルに男女交際したくない問題があった。
なぜなら俺は一度自殺したほどに自分に対する自信がないのだから。他人を背負うなどということはできない。朝倉さんが美人だからって無理なものは無理だ。
と、昔ならそうだっただろう。だが、今はちょっと違う。違ってきた。
「それって今すぐ決めなきゃいけないようなことなのかな」
「何よ」
「別に、そのまんまさ」
仮に俺が朝倉さんとお付き合いさせていただくとして高校生活にきっと大きな変化はない。
彼女が気にしているのはその先の話で、俺にはまだ想像もつかないような日々のことだ。
「この前姉さんに言われたんだ。オレが変わったって」
「……」
「君はどう思う? なんか変わったかな、オレ」
「……いいえ。それはお姉さんの勘違いじゃないかしら」
朝倉さんが言うのならやっぱり俺は昔のままなんだろう。
だけどもし俺が胸を張って自分は変わったんだと言えるような時が来たら――
「返事はさ、その時でいいかい」
その後は再び朝倉さんをマンションまで送り届け、とぼとぼと自宅に引き返して今年の俺のクリスマスイブは終了。
絶対に話すことはないが、谷口の耳に入ればゲラゲラ笑われるような一日だ。
公園を出て道路を歩いている途中、小声で「変わらなくてもいいのに」と隣から聞こえたが、俺は反応せずに聞こえなかったことにした。
自宅に帰ってから一時間とせずに就寝。外の雪はまだ降り続いていた。