朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue5

 

 

 週が明け、この年のクリスマスである十二月二十四日はあっさりと訪れた。

 そりゃそうだ。誰に頼まずとも日は変わるもんだ。

 しかしながら壁に刺した画鋲で張り付けているカレンダーが最後の一枚になっているのを眺めていると流石の俺もまた新しいのを買わなくちゃなという使命感以外にも思うところが出てくるわけで、はてそれはなんなのやら、自分でもわからないのだ。人の心は謎だってどっかの金髪仮面野郎も言ってたしな。心理学では他人から見た自分と、自分から見た自分と、他人が気づく自分の本質と、誰も気づかない未知なる自分の四つに分類できるとかいうのがあったっけ。それでいうと俺のは四つ目の部分に該当するはずだがこれなんて言うんだったかな、ハノイの窓だったような。

 ガチャリ。

 

 

「あら」

 

 いつも通り適当なことを考えて時間を潰していると、朝倉さんがドアをあけ部屋へ侵入してきた。

 本来なら寝ているはずの俺を強制的に起こしにかかるのだろうが今日の俺はとっくに起きて制服に着替えているし朝飯も済ませてある。朝倉さんの暴虐もここまでだ、残念だったな。

 彼女は俺が既に起床しているため一瞬はっとした表情となったものの、すぐに口の端をつりあげて、

 

 

「あなたが早起きするのなんて何か月ぶりかしら。それとも昨日は寝付けなかった?」

 

まるでオレが消防みたいだって言わんばかりの嘲笑を朝から見せてくれた。ありがたい限りだねまったく。

 やりたくもないのに学校が山の上にある以上はやらなくちゃいけない長く急な坂道へのハイキングというプロセスを経て登校を余儀なくされている俺たち在校生をこの日待ち受けているのはテンプレートでかったるい終業式という苦痛の時間なのは今更説明するまでもなかろう。

 明日にはすっかり忘れちまうようなペラペラの内容な校長じーさんの説教話を延々と聞かされるのは人生において一度や二度でも多いぐらいだというのに俺の場合は他の連中の倍は体験しているのだから本当に嫌になるぜ。

 少なくともこの場の八割、いや九割の奴は校長に合わせてやっている深々とした礼に敬意なんぞ込めていないはずだろ。無論俺もその仲間さ。

 そんな不毛な儀式が終わって教室にとんぼ返りさせられるとお次はホームルームで、担任教師の岡部先生から手渡されるのはクリスマスプレゼントならぬ通知表だ。

 ひとりまたひとりと名前を呼ばれては教卓まで通知表を受け取りに出向いていくクラスメートどもを見るのは面白いもんだが俺の通知表に記載されている点数が面白いかどうかはまた別の話である。もとより俺はこんなものに価値を見出していないので至極どうでもいいことなのだが、いかんせん幼馴染という設定のあのお方がうるさいのである。今に始まったことではないがね。

 

 

「みんな、冬休みだからってハメを外しすぎんように。俺は高校二年の時にな……」

 

 通知表を配り終えた岡部先生が次に配ったのは"冬休みのすごしかた"なる恒例のどうでもいい一枚紙であり、その内容を生徒諸君がわかりきっていることを承知している岡部先生はプリントの内容は各自で目を通しておくようにと一言つげたのち、学生時代の体験談を語りだした。このやけに暑苦しい体育教師が描いた青春時代の影など聞いてもプラスになるとは思えないが、部活仲間に茶々を入れられたせいでクリスマスデートが大失敗したという彼のほろにが体験談をラジオ感覚で聞き流しているとあっという間に下校の時間となったので少なくともマイナスにはならなかったんじゃなかろうか。

 チャイムが鳴り終わり、起立、礼でさようならだ。

 机のフックから鞄を外しながら学校から束の間とはいえ解放されるという喜び――よりも今日までの日々による積もり積もった気だるさを感じてため息をついているとポンポンと左肩を叩かれ、

 

 

「んじゃ俺はお先に失礼するぜ。そうしけたツラするなって、ハッピークリスマス!」

 

 肩を叩いた犯人である谷口はうざい台詞を残して足早に教室を後にした。

 何がハッピークリスマスだよ、お前の脳内は年中ハッピーホリデーだろうに。 

 などと心の中で谷口に対する評価を若干下げつつ俺は俺で一年五組から去っていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあやあ待っていたよ後輩諸君」

 

「こんにちは」

 

 部室棟よりも先に向かったのは二年生の校舎、その二年生の教室が並んでいる廊下にたむろしている在校生の中に鶴屋さんと朝比奈さんはおられた。

 朝比奈さんは相変わらず麗しくて何よりだが生徒はまだまだ校内に残ってるためこの女子中心のメンツに俺がいることによるヘイトがあちこちから高まっている気がする。こういうのはキョンがおっかぶるべきだろうにあいつは部室で長門さんと飾りつけの作業という名目でいちゃついているためここにいる文芸部の男子は俺と、

 

 

「んんっ? 君も一年みたいだけど見ない顔だね」

 

 こう鶴屋さんに言われている国木田である。

 彼が参加することになったのは昨日のことだ。

 

 

「おいおいマジかよ」

 

 というのは土日が過ぎ翌日の月曜、朝のチャイムが鳴る前の時間帯に文芸部クリスマスパーティ開催の旨を耳にした谷口の感想だ。

 明日お忙しいようだからまかり間違っても谷口が参加することなどないだろうが、念のため周知させておこうというつもりで俺がわざわざ教えてやったというのにこの反応じゃやはり彼が来ることはなさそうだ。

 呆れてものも言えない、といった感じに右手で顔を覆いながら谷口は、

 

 

「いい歳してんなことやろうってのか? しかも文芸部つったらキョンも一緒か、ますます救えねえ連中だぜ」

 

「僕も文芸部なんだよね一応」

 

 と突っ込みを入れたのは国木田。

 今の言葉通りお前は文芸部の仲間なんだし参加するよな。

 

 

「でもねえ、明日は家でゆっくりしようかなんて思ってたんだ。どうせ塾があるから冬休みになっても落ち着かないんだよね」

 

「ったくこいつらがお祭り馬鹿なら国木田は勉強馬鹿だぜ。いいかお前ら、高校生という黄金時代は一生に一度しか……」

 

 クリスマスパーティに微妙な反応を見せる国木田と年寄りじみた説教を始めた谷口。

 キョンはまだ来ていないので俺を含めた三人で会話しているのだがボケ担当のキョンがいないといまいちしまらないな、谷口はボケというかアホ担当だから。

 谷口の言葉を聞き流しつつ国木田に訊ねる。

 

 

「予定があるってわけじゃあないのか」

 

「まあそうだけど」

 

「実はな、いや、これを大きな声で言ってしまうとあれだから言いにくいんだが」

 

「なんだい?」

 

 谷口には教えていない重要な情報を国木田にだけこそっと小声で耳打ちする。

 

 

「お前さんが憧れているあの鶴屋先輩も明日来るぞ」

 

「……なんだって?」

 

 驚いた反応の国木田。

 俺たちのやり取りを見た谷口は不満そうな顔で。

 

 

「んだよ俺には隠し事か?」

 

「パーティにはターキーも出るって教えてあげただけだ」

 

「はあ?」

 

「お前さんも食べたくなったか」

 

「冗談きついぜ」

 

 嘘はついたが事実は言っているので問題なかろう。

 土曜のバトルの末に朝倉さんを心の友と認定した鶴屋さんはターキーを提供してくれるのみならずなんとクリスマスパーティに参加することになった――いつの間にか彼女と連絡先を交換していた朝倉さんがそう言っていた。ついでに朝比奈さんまで来るらしい、スペシャルゲストに違いないが北高のマドンナが文芸部なんぞで油売ってると箔が落ちるのではないか――わけだが、この国木田という優しい顔してむっつりタイプの表向き真面目くんは鶴屋さんが好きであり、本当はもっと上のランクの高校に行けたくせに鶴屋さんが通っているという理由だけでこの北高を選ぶほどなのだ。ちょっと引いてしまうよな。

 もっともそんなことを知っているのは【涼宮ハルヒの憂鬱】に登場する国木田というキャラクターの設定を知っている俺ぐらいであり、まさしく原作知識の無駄遣いってヤツだぜ。

 国木田は小考ののちに、

 

 

「前向きに検討しておくよ」

 

と愛想笑いで返し、結局現在こうしてクリスマスパーティのメンバに加わっているということなのである。以上回想終わり。

 鶴屋さんに対してこいつはあなたが目当てでそんなに行きたくもないクリスマスパーティに行くことを決めましたよなどとうっかり口を滑らせたのなら夜道に国木田にバックスタブをキメられること請け合いだ、俺は空気を読んで国木田も文芸部の一員だから参加する権利があるという部分のみを鶴屋さんと朝比奈さんに伝えてあげた。朝倉さんも国木田の下心には気づいていないだろう。

 値踏みするかのように足先から頭のてっぺんまで国木田をじーっと見た鶴屋さんはんーと唸ってから、

 

 

「ギリギリ合格って感じだね」

 

びしっと国木田に人差し指を突きつけてこう言った。

 

 

「よし、キミを今日からみくるファン倶楽部の一員として認めようじゃないか。会員番号は137番だからよろしくっ」

 

 なんともまあ、先が思いやられる展開だな、鶴屋さんは国木田が他の野郎どもと同様の朝比奈さんのファンだと勘違いしているみたいだ。国木田は苦笑いである。とにかくわざわざ知り合う場を提供してやったのだからめげずに頑張ってほしいもんだ。

 して、いつの間にか朝比奈FCに国木田を加入させていたらしい鶴屋さんは国木田に文句を言わせる隙を与えず、

 

 

「さっそくで悪いんだけどちょいと外までついてきてくれないかな。パーティ用に車でいろいろ持ってきてもらったから部室まで運ばなくちゃいけないのさ」

 

「鶴屋さん、クリスマスツリーを持ってきてくれたみたいなんですよ」

 

 今までポーカーフェイスを保ってきた俺だが朝比奈さんのセリフを受けて顔が引きつってしまう。

 俺の想定よりも鶴屋さんは数段上の人間らしい。ヤバさとか。朝比奈さんは世間知らずなのか自然なスマイルでいますが学校にツリーを持ってこられる人なんてそうそういないんですぜ、あなたはとんでもない人と友達なんですよ朝比奈さん。

 一方、朝倉さんがそこまで驚いていないのを見るに鶴屋さんから事前に聞いていたのかもしれんな。俺もメアド交換しとこうかな。

 

 

「長門さんとキョンくんも呼んできましょうか?」

 

「ツリーはそんなに大きくないから少年が二人もいれば充分だと思うよ。ターキーの他にも食材はたーんとあるし、手早くぱぱぱっと行くからねっ」

 

「了解しました、先輩」

 

 つい数日前に知り合ったばかりだというのに朝倉さんと鶴屋さんは仲がよさそうだ。二人ともコミュ力が高いからだろうかね。

 国木田はいまいち文芸部と朝比奈さんらの繋がりについてぴんときていないようだが当事者の俺もよくわかっていないので説明のしようもない。あえて言わせてもらうならばやはりキョンが主人公体質だということか、羨ましい限りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで手分けして各々がクリスマスパーティに向けた準備作業に取り掛かることとなった。

 いったい朝倉さんがどんな魔術を使ったのか、あずかり知らぬうちに家庭科室まで使っていいことになっているのだから驚愕だ。まああそこならオーブンもあるからターキー肉の調理に困らんわな。

 鶴屋さんに先導されて駐車場まで向かい、俺と国木田はお嬢様が乗るにはいささかゴツい四輪駆動車から180センチ程度のツリーを引きずり出し部室まで運搬した。ちょっとした引っ越し業者の気分だぜ。

 女子は大量の食材とともに家庭科室へ引っ込んでいったようで、鶴屋さんが持ってきたブツを運び終えると四輪駆動のドライバーであるスーツ姿の中年男性が、

 

 

「わたくしはこれにて失礼いたします。お嬢様にはご帰宅が遅くなりすぎないようにとお伝えしてください、では」

 

と言い残して車とともに北高を去っていってしまった。雰囲気から察するに鶴屋家の使用人の一人だったようだ。

 鶴屋さんは金持ちだということに遠慮されたくないタイプだからか、自分からずかずかと踏み込むムーブをかましてくるのでああいう周りの大人たちはさぞ苦労しているに違いない。お嬢様の明日はどっちだってな。

 サボりがてら外でゆっくりしてから戻りたい気分ではあるが、寒さにはかなわないので大人しくさっさと戻ることにした。

 

 

「どうやら君のことを少し勘違いしていたみたいだ」

 

 生徒玄関の下駄箱から上履きを取り出していると国木田からこんなことを言われた。

 

 

「何をどう勘違いしてたって?」

 

「パーティのことさ。普段の君からは想像がつかないからね」

 

 失敬な。最低限度の社会性は持ち合わせているぞ、俺だってな。

 だが彼がこう口にするのも無理はない。普段の俺は机に突っ伏して寝ているだけだし、学校行事は可能な限りフケている。後で朝倉さんにめちゃくちゃ怒られるけど。

 なんと言われようと俺が今言えるのはこれぐらいだ。

 

 

「たまにはこういうのも悪くないだろ」

 

 上履きを履き終え、部室棟へ向かうべく校舎の廊下を黙々と歩き続ける。

 そんな中で先日あの人にかけられた言葉を思い返していた。

 変わりましたね、か。

 俺はこの世界で生きていく中で人として何かが変わったのだろうか。少なくとも森先生の眼からはそう見えたようだ。

 国木田がさっきああ言ったのは俺が変わったとかではなく単純に彼が俺という人間について正確に捉えられていないだけという話だからこれは俺が変化したかの判断材料にならない。つまりは他の人の意見が欲しいところだな、それも年単位の付き合いがあるお方の。

 運動系のクラブ活動のプレハブ小屋じみた部室に俺は立ち入ったことがないのでサッカー部や野球部等については不明だが、部室棟にある文化系のクラブ活動その部室については大なり小なりクリスマス色になっている。一例を挙げると文芸部のお隣さんであるコンピュータ研究部はクリスマスリースと"welcome"の文字が刻まれたプレートを扉に引っかけている。また、外から見られる部室棟の窓にはちらほらとクリスマスツリーや雪だるまの形をしたウォールステッカーが貼られており、文化祭の次ぐらいには風変りしている。

 して、部室に戻った野郎二人がキョンと長門さんに物資の運び出しが完了したことを報告する頃にはすっかり文芸部もクリスマスカラーに染まっていた。

 ご多分に漏れず装飾された窓、鶴屋さんが持ってきてくれたクリスマスツリー、天井にくっつけられている輪っかの紙飾り、黒板にはデカデカとカラフルにチョークで書かれた"メリークリスマス"、長門さんが描いたと思われる雪だるまくんはサンタ帽子をかぶっている。普段なら置物扱いされているテーブルの上の型落ちPCは部屋の隅っこに片づけられてしまったみたいだ、可哀想だがお前までクリスマス色になる必要はないもんな。

 

 

「まさかここまでのもんをやることになるとは思わなかったぜ」

 

 キョンの言う通り、保育施設と互角の気合いの入れようである。

 やけに気合いが入っているうちの一人である長門さんは、

 

 

「みんなに楽しんでほしいから……やるからには徹底的にやらないと」

 

熱血的な台詞まで吐いてしまうほどだ。

 きっと国木田は長門さんに対しても意外に元気な子なんだなと評価を改めているに違いない。

 誰が言った言葉だったか、人は皆思い込みの中で生きているそうだ。知識や認識は時として誤解を生むような曖昧なものなのだ。

 はっきりとした線を引くには割り切るってことも必要になってくるから面倒だ。人類の叡智であるはずの言語というプロトコルには重大な欠陥がある、それを知っているから俺は不自由してるんだよ。これはただの言い訳にしかすぎないが。

 まあ、んなことをあまり考えていても心は晴れない。だからこそ現実に逃避するべきなのだ。

 クリスマスなどというそれはそれでふわっとした空気に包まれているこの部室を見ているとちょっとは気が楽になるのだから。

 

 

「長門さん」

 

 たとえ俺が似合わない台詞を口にしたところでクリスマスの神様だって大目に見てくれるはずだ。

 

 

「この学校に入ってから今日が一番楽しいと思えたよ、オレ」

 

 眼鏡をかけた小柄な少女である友人はちょっと照れた様子で、

 

 

「……ありがとう」

 

と小声で返してくれた。

 まだ陽は沈んじゃいないしパーティも始まっていないが、これだけ楽しい一日が直近で再び訪れることはないだろうという予感はできていた。

 

 


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