朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue39

 

 

 一般論を持ち出さずとも蛇口を捻れば水が出るくらい当たり前の事として、学校生活では何かとイベントがついて回る。

 つい先日に実施された体育祭など分かりやすい例だろうか。悩ましい事件もあった。

 全ての競技参加にNOを突きつけた俺は1キロカロリーたりとも無駄な運動なんぞに消費せずこの日を終える腹積もり――何なら体操服に着替えてすらいない――である。だが、そうは問屋が卸さなかった。

 部室でスマホを弄りながらサボっていると不意に勢いよくドアが開け放たれたではないか。俺は反射的に声を出す。

 

 

「何者だ、名を名乗れ」

 

「やっぱりここだったわね」

 

 はぁ、と部室に入るなり一息ついたのは涼子だ。

 様子からして俺を探していたようだが俺が参加する競技など何も無いぞ。

 

 

「ええ。クラス対抗戦ではそうだけど、私たちは別の方にも出なくちゃいけないのよ」

 

「別のだって?」

 

「忘れたの? クラブ対抗リレー」

 

 あと十五分で始まるから、と言う涼子の声に俺はちょっと待てを唱える。

 忘れたも何もクラブ対抗リレーは全クラブ必須参加ではない。

 

 

「あれは任意参加なはずだろ。何で文芸部が出なくちゃあいけないことになってる」

 

「参加クラブ募集の時期に参加するって表明したからよ」

 

「オレは聞いてないぞ」

 

「だって言ったら反対されるもの」

 

 ニコッとスマイルを浮かべる涼子。

 この憎たらしいくらい可愛い顔に何度騙されたことか。

 

 

「ありがと。もっと褒めてもいいのよ」

 

「涼子最高可愛い愛してる……それはそうとなんで制服なんだ」

 

 当たり前だが体育祭は体操服で参加するものである。

 だというのに涼子は普段通りのセーラー服。

 

 

「クラブ対抗リレーは部活中の格好で行うのよ? 文芸部は制服がユニフォームじゃない」

 

「なるほどね……けどスカートで走るのは色々と良くないな」

 

「大丈夫よ、ちゃんとブルマ履いてるから」

 

 恥ずかしげもなくスカートをたくしあげて俺にブルマを見せつける涼子。

 二人きりだからっていきなりそんな動きされると心臓によろしくない、ドキッとしたぞ。

 俺としてはスカートの中がパンツでなかろうと涼子のスカートを覗こうとする不届き者が出てくること自体嫌なのだが。

 この心のモヤモヤを込め駄目元で反対するだけしてみることに。

 

 

「今からでも文芸部のリレー参加に反対させて貰えやせんかね」

 

「それは無理」

 

 うん、それ無理ね。わかってたさ。

 気だるげにパイプ椅子から立ち上がる俺の背中を涼子は平手でバンバン叩きながら。

 

 

「せっかくの体育祭なんだから少しくらい運動していきなさい」

 

 どうせ夜も運動することになるだろ、とか寒い事言わずに渋々部室を後にする。

 まるで参加意欲のない俺が把握しているクラブ対抗リレーの概要は参加者五名による500mのリレーであるということ。つまり一人100m走らされる。

 リレーといえば400mが相場だろうに何故五人走らせる必要があるのか、これが分からない。四人だったら俺は走らず済んだのに。

 部室棟の廊下の先を歩く涼子は調子のいい声で。

 

 

「期待してるわよ。中学時代は100m13秒台だったんでしょう?」

 

「君にタイムを自慢した覚えなんかないんだが、何故そんなことを知っている」

 

「親友の抜水くんが僕より早いって褒めてたから」

 

 何処の誰があの野郎と親友なんだよ。

 涼子は不思議そうな表情で。

 

 

「違うの?」

 

「違う」

 

 たまに会うだけの仲だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 更に追及しても俺が意固地になるだけだと悟ったのか涼子は抜水の話をやめた。

 そんなこんなで部室棟を抜けグラウンドまで引きずり出されてしまった俺。

 

 

「バリあっちぃ」

 

 空調が無いとはいえ炎天下に比べれば部室の方が遥かにマシだ。

 リレーが行われるトラックの中心には参加クラブの面々が集合しており、我々文芸部も例外ではなかった。

 キョンは俺を見るなり。

 

 

「ようやくエースのお出ましか」

 

「エースね。涼子に何を吹き込まれたか知らんけど、千秋風に言わせて貰うなら過度な期待はしないでくれ」

 

「誰だ千秋って」

 

 最近の若者はアニメ版【みなみけ】も知らんらしい。

 ユニフォーム姿の運動部連中に紛れている俺たちは場違い感しかなかった。

 涼子は他の文芸部員に対し言う。

 

 

「走順を決めましょう」

 

 んなもん適当に決めればいい。

 俺はマジでどこでもいいので相談は他の連中に任せて待つこと一、二分。決定した走順は以下の通りである。

 第一走者、俺。

 第二走者、国木田。

 第三走者、キョン。

 第四走者、長門さん。

 そしてアンカーが涼子。

 リードオフマンを任されるのは微妙な気分だが否が応でも注目の集まるアンカーよりはマシか。

 勝っても負けても何もないから何位で終わろうがどうでもいいのだが、あからさまに手を抜いたら今晩の食卓が貧相なものとなりかねないため最大限の努力をしたという姿勢で臨む。

 実行委員の女子生徒から緑色のバトンを渡されいよいよスタートラインに並ぶ。こんなただの余興がやたらと注目されている気がするのは外野がやけに騒がしいからだ。

 そしてスターター役の体育教師が走者全員の準備完了を見計らい号令をかける。

 

 

「位置について、よーい」

 

 パァン、と号砲から火薬の炸裂音が響き、各者一斉に走り出す。

 北高指定のブレザーは決して運動に適している服装というわけではないけど、いくつかのクラブに比べれば走りやすい部類だ。防具フル装備の剣道部なんてビリ不可避だし。

 文芸部という陰の者とは思えぬ完璧かつ好調な走り出しを決めた俺だったが完全独走とはならない。ラグビー部の奴はボール片手に重機関車のような走りで俺に迫って来てるし、クソったれ陸上部の野郎は俺の前でF1カーばりの加速を見せている。

 俺の奥歯に都合よく加速装置など存在しないので本職のスプリンターには流石に勝てん。

 ラグビー部員に抜かされないことだけを目標に疾走、第二走者の国木田にバトンを繋いでレーンから外れると俺はズボンが汚れるのも気にせずグラウンドに座り込んだ。

 

 

「……しんど」

 

 十月とは思えぬバカ高気温のせいもあり、額には汗が滲んできた。

 軽く深呼吸して視線をレーンに向けてみる。

 国木田の走りは勉強小僧にしては中々の健闘ぶりと言えるが力及ばずラグビー部はおろかバレー部、テニス部、卓球部に抜かれ中団争いに転落。

 ドリブルで走るサッカー部員と並走し何とかキョンに繋いだ国木田は息を切らしながらこちらに歩いてくる。

 バツが悪そうな様子で国木田は。

 

 

「はぁ、せっかくいい感じでリードしてくれたのに全然ダメだった」

 

「オレたちゃ文芸部だぞ。ナイスファイトだ」

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

 第三走者であるキョンの走りは国木田より速かったが他をゴボウ抜きできるほどのものではなく、運動部連中が部活道具を持って走るというハンデさえなければ今頃剣道部とビリ争いをしてたであろうことは想像に難くない。

 

 

「キョ―ン! もっと気張らんかい!」

 

 順位などどうでもよいが、それはそれとして騒がしい外野の同調圧力的な熱気にあてられ気付けば俺も激を飛ばしていた。

 そんな体育祭の魔物じみた存在のせいか、そうでなければやたら涼子との仲を気にかけてくる宇宙人のせいか知らないが第四走者の時にそれは起こった。

 リードを取る長門さんの手にキョンがバトンを渡した瞬間、否、刹那のことだ。

 

 

――轟

 

 と風が吹き荒ぶ。

 それが気流によって生じる自然現象でないことは理解できた。

 

 

「……は?」

 

 ありのまま今起こった出来事を話そう。

 長門さんが走り出したと思ったらいつの間にかアンカーの涼子にバトンを差し出していた。

 いや、何が起こったかはわかる。ただ単純に長門さんが物凄い速度で先行集団を抜き去る走りをしただけ。だがその速度が人間離れしていたのは言わなくてもわかるだろ。眼で追えるギリギリの速さだったし、あの風は走りによって生じた衝撃波ってことだ。

 涼子は棒立ちのままバトンも受け取らずにじっと俺の方を見てきた。何事か俺だって知らんぞとぶんぶん首を横に振る、こちとらポルナレフ状態だぜ。

 とにかく陸上部に追い付かれる前に行けとあっち向いてホイの要領で涼子に指差しサインを送る俺。

 走り出したら止まらない。スタートを切った涼子の身体能力はそこいらの運動部男子より優れているため陸上部といえど容易に追い付くことなどできない。そのままゴール。

 かくして、体育祭クラブ対抗リレーの優勝は我々文芸部が文字通り掻っ攫っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガチャリ、と部室の扉を施錠し彼女の方を向いて単刀直入に言う。

 

 

「長門さんに何が起こったのか説明してくれ」

 

 宇宙人の開口一番は自己弁護であった。

 

 

「私は何もしてないわよ」

 

 けろっとした様子で言う朝倉さん(宇宙人)。球磨川くんばりの白々しさだ。

 本来であれば優勝を祝しスラダン山王戦ラストよろしく涼子とハイタッチを交わしたいところであったが、長門さんのアレを日常とスルーできるほど俺は呑気じゃない。

 仮に彼女が何かしていたとしても俺に確かめる術がないのでその答えに意味などない。ただの戯言だ。

 

 

「まあ、推測で良ければ聞かせてあげる」

 

「聞かせてくれ」

 

 すると宇宙人の彼女は何処からか取り出した眼鏡をかけ、ホワイトボードの前に立つ。

 そしてマジックペンでホワイトボードに書き込みながら説明をする。

 

 

「元々有機生命体の人間である長門有希と私と同じインターフェースの残滓である長門さんが二人いた、ここまではいいわね?」

 

 朝倉さん(宇宙人)はデフォルメされた長門さんと思わしき似顔絵を二つ描く。

 

 

「で、宿主に取り込まれるように二人は統合されたわけなのだけれど……そんな存在が普通の人間と呼べるかしら?」

 

 二つの似顔絵の間に+マークを足し、その下方向に矢印を描く。

 俺は彼女の説明の続きを促す。

 

 

「つまりどういうことだ」

 

「ドラゴンボールの合体戦士と同じよ。違うのはインターフェース側の人格が残ってないことぐらい」

 

「……じゃあアクセルフォームみたいなあの走りは長門さんが自分で能力を使った結果ってことか」

 

「そういうこと。でも本人に自覚は無いみたいね」

 

 矢印の下に長門さんの似顔絵を書き足していく彼女、長門さん+長門さん(宇宙人)=ネオ長門さんということらしい。

 顔の周りにオーラみたいな線も描かれているのはドラゴンボールをイメージしたつもりなのだろうか。

 俺はふと浮かんだ疑問を彼女にぶつける。

 

 

「わかりやすい図式はいいが、今の長門さんは前に君が危惧してた状態なんじゃあないのか?」

 

 危惧していたのは無自覚のまま能力を振るう状態のはずだ。

 だというのに朝倉さん(宇宙人)は特に対処しようと動いてないように見受けられる。

 

 

「そこまで深刻じゃないからよ。暴走って言っても今の長門さんの精神状態だとまず起こらないでしょうし」

 

「……専門家の君がそう言うならとりあえず安心しとこうか」

 

「もちろん自暴自棄になったりだとか荒れに荒れちゃったら話は別よ?」

 

 そうならないように気を付けてね、と言い残し宇宙人の彼女は引っ込んでいってしまった。

 意識が戻ってきた涼子は怪訝そうな面持ちで。

 

 

「あらかじめどうにかしようって考えがないみたいね……もう一人の私は」

 

「ああ、あんまりだ」

 

 俺がこの世で一番嫌いなものこそ心労だというのに、どうしてこうトラブルの種がポコポコ生えてくるのか。

 こんな役回りはアニメの主人公が引き受けるべきじゃないのか。SOS団のキョンの気持ちが少しは分かったぜ。

 考えている内に何もかも嫌になってきた俺は部室から去ろうとする涼子の肩を掴み。

 

 

「涼子」

 

「ん?」

 

「ちょっと膝を貸してくれ」

 

 すると意図を察した彼女は顎の下をもにょもにょ動かしながら。

 

 

「……たまには私に甘えさせてよ」

 

「じゃあハグで」

 

「ん」

 

 部室にソファの一つでもあればもっと落ち着いて密着できるのだが無いものは無いので立ったままのハグをする。はぁ、落ち着く。

 だが涼子が次の種目に参加するギリギリまでハグしていたのが災いし、彼女が去った後の虚無感が躁鬱の鬱レベルでエグかった。涼子シックである。

 こんな有様なので帰宅してからの俺はいつにも増してだる絡みしまくりのダルビッシュで面倒なメンドーサであったがそこは俺の数百倍という次元で人間が出来ている涼子、家事の手を止めてまで俺の相手をしてくれるのは女神かと思ってしまう。

 

 

「女神って、いちいち大げさね」

 

 俺を膝枕しながら夜のバラエティ番組を観る涼子。

 食後のひとときは何かと忙しい彼女もリラックスしている。

 

 

「君が女神でなけりゃ誰がそうだって言うんだい」

 

「さあ。私は慈善事業しようってほど心は広くないもの」

 

「膝枕は慈善事業じゃあないのか」

 

「もちろん。あなたのことが好きだからやってるだけ」

 

 ドヤ顔っぷりに腹が立ったので身体を起こしてキスしてやった。

 

 

 


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