朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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恥ずかしいセリフ禁止!




Epilogue35

 

 

 高校二年の九月。

 夏休みが終わり北高生が一番最初に直面するのはかったるい始業式の訓示でなければ新学期早々の小テストでもない。通学路の坂道地獄だ。

 この通学路に関して険しい道のりであると度々言及してきたが、夏期は特にしんどい。

 普通に歩いてたって気狂い太陽がこれでもかと熱射線を浴びせてくるのにスキー場の上級者コースみたいな勾配をしている坂道をえっちらおっちら往かねばならんのだ。涼しい顔できるかっての。

 付け加えると過酷なのは登校時だけではない、下校時は坂道を延々と下っていく。これも中々しんどい。

 もちろん登校時と比べ体力的な負担は少ないがキツい傾斜の道を下るということはどういうことか。勢いづいて足がもつれて転げ落ちないよう一歩一歩セーブしながら進む必要があるということだ。当然、脚に負担がかかる。

 そんな毎日を余儀なくされているのだから北高生の殆どが外靴はスニーカーを履いて登下校しているわけで、学校帰りに制服のまま遊びに行くような女子は駅でヒールの高い靴に履き替えてから行動するんだと。これは涼子情報だ。

 

 

「つまり鞄の中に遊び用の靴を入れておくわけだろ?」

 

「ええ。そうなるわね」

 

「荷物増やしてまでご苦労なことで」

 

 件の坂道を上る朝のルーティンの最中、俺と涼子はたわいもない話をしながら強制ハイキングに対する不快感を紛らわしている。

 長門さんを含むこの三人での登校というのは今日も変わらないが、最近じゃこうやって俺が話す場面も増えた。正確には涼子に気負わず搦めるようになったという感じか。

 

 

「見てみろオレなんか登山用の靴だぜ。もう一年以上履き続けてるが未だに健在だ」

 

「ゴツすぎよ。女子にそれ履けってのは無茶でしょ……ねえ長門さん」

 

「うん」

 

 苦笑しながら涼子の言葉に頷く長門さん。

 まあ理解されようとは思ってないし、北高女子はニューバランス履いてるくらいが丁度いいさ。ニューバランスかわいいよね。

 アップにしては充分すぎる運動な坂道上りを終えて校舎に辿り着いたは良いものの、うだるような夏の暑さからは解放されず元気ハツラツとは程遠い生徒諸君。

 いや、一人だけ元気な奴がいたか。

 

 

「まだ九月だってのに三年は夏休み明け早々にセンター試験の説明会だとよ。うちは進学校気取りか?」

 

 弁当を包む風呂敷を解きながらぼやく谷口。

 午前の授業が終わりお馴染みのメンバーで久々に囲むランチタイム。

 といってもキョンとは夏休み中殆ど顔を合わせていたし、国木田も何回か文芸部の活動に参加していたため本当に久々なのは谷口だけだ。

 その谷口は何とも言えない表情で俺を一瞥してから。

 

 

「にしてもマジで今まで朝倉とデキてなかったってんだから驚きを通り越して呆れ果てたぜ」

 

 流石ミスター下世話の谷口。俺が涼子と付き合いだしたことは把握済みだ。

 驚くのも呆れるのも勝手にやっててくれ、語って聞かせる道理は無いがこっちも色々あったんだからな。

 因みに朝倉さん(宇宙人)がやらかしたあれこれ――弁当だとか放課後デート練習だとか――は他の連中の記憶から抹消されているらい。未だに何がしたかったのかわからん。

 で、特に言う事もないので黙っていると谷口は気を取り直したのか夏休みの話題を振って来る。

 

 

「こいつのことはともかくおまえらはどうだったんだ? 高二の夏だ、アバンチュールの一つや二つあったんだろ?」

 

 "こいつ"は俺、"おまえら"はキョンと国木田を指す。

 キョンは相変わらずどこか呆けた顔で。

 

 

「今年の夏は例年になく遊び回ったがお前の期待するようなアバンチュールとやらはやって来なかったぞ」

 

「どうせ何もしてこなかったんだろ? そういうのはな、自分から行動しなきゃ結果が出ねえようになってんだ。果報は寝て待てだなんて虫が良すぎるわな」

 

 随分と鼻に付く物言いだがキョンは適当に聞き流していた。正しい対応だ。

 一方、国木田は逆に聞き返す。

 

 

「そういう谷口は何かいいことあったの?」

 

「よく聞いてくれた国木田。俺様の夏休みはな、それはそれは充実したものだったぜ」

 

 聞けば谷口は去年のクリスマスを共にした光陽園の女子とまだ続いており、このシーズンのために稼いできたバイト代をつぎ込んでデート三昧だったという。

 だが他人の惚気話ほど聞いててムカムカするものは無い。どちらもウザいことには変わりないが、去年の今頃みたいに皮肉や僻みを聞かされる方が精神衛生上マシである。

 さて、昼休みが終わり午後の授業。

 たらふく食べたわけじゃないが食後はどうしても睡魔の誘惑に襲われる時間帯。

 色々と思うところがあり、二学期からの俺はその生理的欲求に反抗して見かけだけでもまともに授業を受けるようになっている。

 だいたい俺が授業中に居眠りするようになったのは中二の頭ぐらいからだし、それまではこんな風に倦怠感を抱きながらルーズリーフに適当な板書をとる無味乾燥な時間を過ごしていたわけだ。

 俺の自分語りはさて置き、放課後になりいつものように部室へ向かうとその中には先客がいた。

 

 

「お邪魔してるよーっ」

 

 パイプ椅子に腰かけながらお菓子の類を食べている鶴屋さんと、こちらに軽く会釈をする朝比奈さんの三年生二名である。

 この人たちは実質的に文芸部の部員みたいなものなので好きに来てもらって構わないのだが、用も無しに来るとは考えにくい。また涼宮が余計な入れ知恵をしたのではと訝しんでしまう。

 涼子も疑問に思ったようで、鞄を置いて鶴屋さんに訊ねる。

 

 

「書道部の方はお休みなんですか?」

 

「お休みっていうか、あたしら三年は今日センター試験の説明会が終わったらそのまま帰りなんだけどねっ。ちょっち寄り道してから帰ろうってわけさっ」

 

「家に帰っても落ち着かないというか……勉強しなきゃってプレッシャー感じるんです」

 

 ばつが悪そうに苦笑する朝比奈さん。

 確かにセンター試験の話を聞かされた後だと直帰して遊ぶにしても集注できなさそうだ。

 そりゃあやらないよりやった方が身の為になるだろうが、慌てて詰め込んだ知識は長持ちしないと相場が決まっている。このお二方のレベルならマイペースにやってった方が合格も確実だろう。

 鶴屋さんと朝比奈さんという思わぬ来訪者が登場したものの、特に何かしらのイベントの前触れということもなく後から来た涼宮は平常運転でグダグダするだけ。

 けどまあ、セカンド高校生活としては悪くない時間の浪費であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が暮れるよりも少し早い時刻。

 俺と涼子は先に部室から出て御用達のスーパーマーケットへ向かっている。

 当たり前だが、そのまま直帰するより幾分か遠回りな道のりだ。

 そもそもガチガチの住宅街である俺の家から北高までの登校ルートにスーパーなどという小売店は存在しない。

 最寄り駅の近くに別のスーパーがあるものの、そこは少しでもお得に買い物すべく使い分け。玉子の特売はこれから向かう方に分があるということである。

 

 

「それで午後からは軽く大阪城でも観光しようかなって…………ちょっと、聞いてる?」

 

 ぬっと俺の正面に出てくる涼子。

 危ないので下り坂でいきなりそんな動きをかまさないでほしい。

 話をサッパリ聞いていなかった俺は素直に非を認める。

 

 

「ごめん、聞いてなかった」

 

「でしょうね。ほら、再来週の話よ」

 

 涼子は引き下がりながら説明してくれた。再来週の話というのは予定しているデートのことだ。

 夏休み中は二人きりでお出かけするタイミング殆どなかったからか涼子はノリノリでなのである。

 もちろん俺だって楽しみだ。そんな楽しい話題に集中できていない理由は単純で、もっと重大なことについて考えていたからに他ならない。

 

 

「なあ、どう考えてるんだ? 卒業後のこと」

 

 センター試験うんぬんを耳にしたせいかどうしてもこのことを考えてしまう。

 といっても俺自身のスタンスは既に言ってある通り涼子の決めた方に付いて行くだけ。だからこそ彼女には後悔してほしくない。

 

 

「……まだわかんない」

 

 通りがけにある武家屋敷みたいな一軒家を眺めながら涼子は言う。

 

 

「はじめはこっちに残りたい気持ちが強かったわ。長門さんは放っておけないし、あなたは告白の返事をくれなかったし」

 

「今は違うのかい?」

 

「別に残りたくなくなったわけじゃないけれど、やっぱり家族で暮らしたいってのが正直なところよ」

 

「だよな」 

 

 世界には暮らしたくても暮らせない家族が少なからずいる。その中でも選択肢が与えられている涼子は相当幸せな方だろう。

 といってもただ一緒に暮らすのではなく海外に移住する必要性があるとなると不安も生じるわけで、彼女の悩みは普通の人間が抱く自然なものだ。

 俺はカナダに行く覚悟などとうに出来ているし、彼女と違って二度目の人生だ。日本への拘りというか未練みたいなものは無い。

 

 

「人生の先輩として何かいいことを言ってやりたいところなんだが……生憎と君みたいな真人間相手にする説教なんか持ち合わせてないんだ」

 

「じゃ私について行くっての抜きにして、あなた個人の考えを聞かせてちょうだい。いわゆる海外留学よ?」

 

 君と一緒という前提が無ければ海外留学などまずやろうとすら思わんのだが、ともかくそういう過程をすっ飛ばして高校卒業後の俺がカナダに拠点を置いてどこぞの州にあるなんとかユニバーシティーへ通う数年間を仮定する。

 

 

「カナダは日本人が済みやすい国で有名だしな、案外悪くないと思う。もっともオレ独りの生活力じゃあ半年、いや三ヶ月保つか怪しいけど」

 

「それは日本にいても変わらないでしょ」

 

 俺もそう思う。

 道中ビバークしたくなるような下山ルートの険しさも鳴りを潜め出し、歩道の勾配が徐々に平坦なものとなっていき、住宅地から少し外れると目的のスーパーマーケットへ辿り着いた。

 いつも通りそれぞれの担当に分かれての買い物をしつつ俺は例えばカナダでの買い出しはどうなるだろうかと想像する。

 涼子と同じ大学で同じ時間帯に行動するような生活だったとして、今みたいな感じにはならなそうだ。

 下校時間だってお昼前になるのは少なくないだろうし、そもそも下校がてらスーパーに寄るかさえ分からない。涼子のご両親と一緒に休日、郊外の大型店舗へ行き大量に買い込むなんて一般的な核家族みたいな買い出しがメインになる方が可能性として高い。

 俺はそういう土日を過ごすことなど珍しくない――ちゃんと起きてたら――が、涼子はそんな普遍的家族交流から遠ざかっているわけで。

 

 

「……ははっ」

 

 会計を済ませ、スーパーの外で涼子を待ちながらあれこれ考えていると空笑いしたい気分になった。

 自分のことしか第一に考えてこなかったこの俺が、人様の人生をてめえのこと以上真剣に考えてるじゃないか。

 もしかすると誰かさんのおせっかい気質がうつったのかもしれないな。

 

 

「お待たせ……いったい何が面白くてそんなニヤニヤしてるのかしら?」

 

「別に、何も。それ持つよ」

 

 お前気味悪い顔してんぞと言いたげな涼子からレジ袋を受け取り、事も無げに彼女のマンションへ向け歩みを進める俺。

 依然として懸案事項は解決しちゃいないがそれをクリアするのは別に今日である必要はない。早く解決して困りはしないだろうけど。

 俺はてんで上の空で話を聞けていなかった再来週の件に話題を戻す。

 

 

「大阪城がどうとか言ってたけど、お城なんて興味あるんだ」

 

「なんだかんだ行ったこと無いもの。一回くらいは拝んでおきたいじゃない」

 

 無理して行くほど遠いわけでもないから構わんのだが、デートスポットかと言われると間違いなく定番から外れる。

 にも関わらずお城マニアでもなければ歴史マニアでもない彼女がわざわざ大阪城に興味を示したのは何故か。

 少し考えて自己解決。この前彼女は食事中に録り溜めしてた【真田丸】を流していた。それが理由だ。

 敢えてそれを言うこともなく、俺は涼子に他に行きたい場所がないかを聞く。

 

 

「そうねえ。気になってるお店はいくつかあるけど、あまり遅くなるのも嫌だし厳選しましょう」

 

 と、あれこれ話しているうちに毎度お馴染み市内某所分譲マンションに着いた。

 もちろん俺も涼子と並んでエントランスを抜けていく。

 近頃じゃ買い物の手伝いをせずともご相伴にあずからせて頂いているが、やはり今日みたいに一仕事してからの方が変に気負わず済む。

 あるだけマシといわんばかりの徐行運転で上昇するエレベータが俺たちを五階へと運び、遠慮なく505号室にお邪魔する。

 それから戦利品をしまい、リビングでローカルの夕方報道番組を頭空っぽで見ながら待つこと三十分程度。

 

 

「はい、お待ちどおさま」

 

 テーブルに並べられていく料理。今晩のメインディッシュはホイコーローか、久々に喰う気がする。

 かぐわしい豆板醤の香りが食欲をそそるが食前の儀式を忘れてはならない。

 小さく合掌し一言。

 

 

「いただきます」

 

「どうぞ召し上がれ」

 

 箸を持ち、皿に盛りつけられたホイコーローの肉とキャベツをつまんで一口。

 その様子を見た涼子は決まってこう言ってくるのだ。

 

 

「お味はいかがかしら?」

 

「もちろん最っ高だ」

 

「ふふっ。それはよかったわ」

 

 俺の答えなど常に一つだというのに、わざとらしい奴め。

 だいたいホイコーローなんて調味料メーカーが出してる合わせ調味料をブチ込んで適当にじゃーじゃー炒めただけでもうまいのに涼子のは自家製ソースだ。コクというか、味に深みがある。炒め方だって完璧。

 もう何年もの付き合いになるので、こういうガッツリした料理は俺が来なければわざわざ作らないということぐらい気付いている。

 もっとも最初に気付いた頃は単に俺への配慮からだろうと結論づけた。料理で男性の胃袋を掴むなど今時耳にすらしない作戦だからな。

 

 

「ん、どうかした?」

 

 無言で顔を見つめられているのに気づいた涼子が俺に何事か訊く。

 なんかあれこれ考えていて、彼女に色々と言いたい事があるにはあるのだが、それらをうまく言葉に纏められそうにないので考える必要のないことを言う。

 

 

「やっぱオレ、君が好きなんだなって」

 

「っ…………もうっ。食事中に真顔で言わないでよ、空気読みなさい」

 

 すぐに視線を俺から外す涼子。 

 だが恥ずかしがっているというよりかは、口元が緩んでいるように見受けられる。

 まあ、こんなこと言うもんだからこの日もこの日で帰りが遅くなってしまった。

 

 


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