バレンタイン特別回です(大遅刻)
中学一年の朝倉さんは【長門有希ちゃんの消失】6巻の18Pをご参照下さい
これは俺が中学一年の時の話であり、この世界で"俺"が俺として生きるようになってから迎えた初めての二月十四日の話。
そうだ。有り体に言えばバレンタインデーの話になる。
まず最初に大前提として俺の中学校、特に一年生の間というのは超が付くほどクラスの輪に入れていなかったし入ろうともしちゃいなかった。幽霊生徒に近しい存在だったろう。
一学期の頃は殆ど不登校だったのだからあまり関わろうと思われないのも無理はない。俺も俺で他人の眼なんかどうでもいいと思っていた。
そんなわけで男子の一部が浮き足立つようなバレンタインなるお菓子メーカーが打ち出した日本独自のマーケティングに俺が関わることなどないと考えていたのは当然の帰結であった。
普段から女子と関わっていないのだから縁も所縁もない。そう、朝の時点での俺は幼馴染のことを異性などではなく小うるさいコロポックル程度にしか考えていなかった。
「そんな渋い顔して何を一体悩んでいるの?」
駅の自動販売機の前で立ちつくす俺の横顔を見て朝倉が訊ねてくる。
毎日登校する仲だというのにわからんのか。
「ジョージアが売り切れてやがる」
「……こっちもジョージアでしょ?」
そう言って朝倉は売り切れ表示されている隣のコーヒー缶を指差す。
だが種類が違う。
「微糖がいい。エメマンは甘すぎるし今日はブラックの気分でもない。微糖の日だ」
「知らないわよ。電車来ちゃうから買うなら早く買って」
コンビニ行ってやろうかとも思ったが急かされたため自販機で渋々ブラックを購入。
ぐびぐび飲みながら改札をIC定期のタッチで抜けてホームに出る。
「ほんと、ブラックなんてよく飲めるわね。美味しい?」
「眠気覚ましには丁度いい」
「カッコつけちゃって」
「うっせ」
飲み干したスチール缶をゴミ箱に捨てる。
そして二、三分待たずに電車が来たので乗り込む。三両編成のどローカル線だ。
すぐに夙川で八両編成の路線に乗り換えを行い車窓からの景色に建造物が少なくなってきたのを実感した頃、俺たちが通う中学のある駅に到着。
外の気温の塩梅を体感した俺は綿が詰まったモコモコのダウンを着込んだ朝倉に対し。
「天気予報見たか? 最高気温二十度越えだと。まだ二月だぞ」
「ええ。京都では雪が降るところもあるっていうから驚きよ」
「その格好は暑くないか」
「あなたの方こそ寒そうに見えるけど」
確かに学ランの上に何も羽織っちゃいないから寒そうに見えるだろうが中にカーディガンを仕込んでいるし上下でヒートテックを着ているので今日の程度じゃ寒さは一切感じない。
やはり女子は男子より寒がりな生物なのだろう。授業中にひざ掛けするのも珍しくないし、と朝倉のモコモコダウンに一人納得。
キオスクさえ無いような田舎駅を後にし交通量が皆無の国道をまたいで学校へと向かう。いつも通りの朝だった。
ここで俺たちが通う中学について少し説明する。
周りに畑があるような田舎に位置し、一学年二百五十人弱で全校生徒が七百六十人ほど。この町で一番生徒数が多い学校である。
学校施設としての設備面で特筆すべき点はないが、敢えて挙げるとすれば空から見た時の校舎の形が四等分したホールケーキのひと切れみたいで特徴的だという点か。
いわゆる円形校舎とは異なり、正面の生徒玄関から見ると普通の四角い校舎に見えるが外周を回ると丸みを帯びた面の辺に気付く。この円の辺に各クラスや学級以外の教室が配置されており、ケーキの断面みたいな直線の面は専ら通路となっている。
別に校舎がどんな形してようが生徒に関係ないのだが、四組という円の辺の真ん中に位置するクラスに所属していると移動教室でどこ行くのも時間がかかる。
まあ、俺からすれば時間がかかるぐらいが丁度よいというか授業内容に興味ないし、一階の端っこにある図書室に行くのが煩わしいくらいだ。
「今日はまた一段と難しい顔をしておられますね」
三時間目の体育授業。
バスケットボールに勤しんでいる連中を体育館の端で眺めている俺に三組の抜水が人の気を知った風な口ぶりで話しかけてくる。
はたしてこの野郎を友人と呼ぶに値する関係なのかは微妙なとこだがこの学校における数少ない話し相手の一人であることは確かだ。
「別に、いつも通りだが」
「それは失敬。僕の洞察力もまだまだですね」
"俺"と違って年齢通り十二年しか生きていないはずの男が何を言うのやら。
一年四組のリーダーを俺の幼馴染である朝倉涼子と位置づけるなら一年三組のリーダーは間違いなくこの抜水優弥だろう。
教職員はおろか同学年の生徒を相手にしてさえ敬語を使う様は胡散臭いことこの上ないが、クラス委員の絡みで少なからず交流があるとはいえ隣のクラスのはみ出し者である俺にわざわざ話しかけに来るあたり変態的に社交的な野郎なのは間違いない。
バスケ部員が無双する低レベルな授業風景を眺めながら馴れ馴れしく横に座ってきた抜水に言う。
「お前さんは試合に出なくていいのか?」
「僕のチームは休憩中でして。この試合で勝ったチームと当たることになっています」
「そうかい」
いくら記憶の神殿を活用してテストの点数を良くしようと実技が重視される体育ではパフォーマンスを見せないと成績に反映されない。
そして成績の良し悪しなど気にしちゃいない俺は無駄な体力の消耗を嫌っているため必然的に体育の成績が1か2となる。まあどうでもいいが。
一方、抜水は帰宅部ながらジュニアの水泳チームに所属しており運動神経の高さには定評がある。
実際試合が始まるとルカ・ドンチッチばりにコートを制圧するのだから、本職の泳ぎはさぞ凄いのだろう。
「……あまり心配せずとも大丈夫ですよ」
ケセラセラとでも言いたげな台詞を思わせぶりに吐いた抜水。
そりゃいったいどういう意味だと問いただす前に試合終了のホイッスルが鳴り、抜水はコートへ足早に向かって行った。
当たり前だが中学校の下校時間は高校のそれと比べ早い。
いや、平日みっちり朝の九時から午後の五時まで働く未来が待っていることを考えると高校の下校時間も早いもんだが。
放課後を告げるチャイムが鳴れば帰宅部の俺はどこぞの部室に向かうこともなくただ帰るだけだが、生憎と今日は掃除当番。しかも面倒な体育館前の廊下掃除ときた。
こんなとこ毎日掃除する意味あるのかね。数時間後にはまた上履きで踏み荒らされているような通路だぞ、運動系の部活の奴が部活終わりにやればいい。
「そこ、何ぼけっと突っ立ってんの。さっさと動きなさい」
おまけに俺のことをやたら監視してくる幼馴染が同じ班だからサボることも手を抜くことも許されていない。
このモンチッチみたいなおチビちゃんがあの朝倉涼子と同一人物なのか本当に疑わしい。これじゃクラスのアイドルというよりマスコットだ。
だが朝倉の放つ脛蹴りは痛い。そう何度も喰らいたいものではないので仕方なしで清掃業務に取り組む。
「はいはい……」
「"はい"は一回!」
何か文句言わないと気が済まないのか朝倉は。
くたびれたモップで廊下のホコリを拭き取っていく俺。この作業が終わらないと雑巾がけできないので急かされるのは分かるが俺は省エネ主義者、ダバダバ全力で走りながらモップ掛けなんざごめんだ。
マイペースに廊下を往復し終えモップに溜まったホコリをゴミ箱に払い落としていると、ゼンマイを限界まで巻いたチョロQのような猛スピードで雑巾がけする朝倉の姿が見えた。他の女子もあそこまでやってないってのに。
お陰様で早々と掃除は終わり、大手を振って帰れるようになった。
午後の日差しはやや雲がかっているものの気温はもう冬と言える感じじゃなく花見でもしたくなるような暖かさ。
「今月はあんま見たい映画ないんだよな」
「そうなの? あのお爺さんが主役の奴は面白そうじゃない。奇妙な物語だかって」
「奇妙な物語ってタモさんが出てくるホラー番組かよ……数奇な人生な。その手のファンタジー要素が混じったヒューマンドラマは【グリーンマイル】を見て以来大っ嫌いでね、胃がムカムカする」
「ふうん。じゃあ今月はお出かけ無しね」
どこかぶっきらぼうに言う朝倉。
俺たちの交流は学校生活やこうした登下校を除けば休みの日に映画を観に行くというものだが、別に出かける目的を映画に限定する必要は無いんじゃないかと最近思い始めている。
「どういうこと?」
「どうもこうも、映画館じゃあなくてもいいだろって話だ。それこそモールの店舗見て回るだけでもいいし、君がどっか行きたいとこあるならそれに付き合うしさ」
「…………」
なんで無言になるんだ。
コミュニケーション能力に諸々の問題を抱えている自覚はあれど、多少なりとも信頼関係を築いてきたと思っていたのだがそれは俺の自意識過剰というのか。
内心戦々恐々としながら朝倉の様子を窺っていると。
「……再来週から学年末テストが始まるわ」
一部の生徒にとっては思い出したくもない事柄を述べ。
「ちゃんと復習しておきなさい。遊ぶのはテストが終わってからよ」
人差し指をビシッと俺に突きつけこう言った。
いまいちわからないが、遊ぶこと自体はOKらしい。
少し安心した気分になれたものの、学年末テストというワードを持ち出した朝倉はすっかり説教モードに。
「だいたいあなた、ちゃんとノート取ってるの?」
電車の中でもお構いなしにそんな話をして来る。ちょっと恥ずかしい。
もちろんノートなど取っていない。それどころか普段の授業を受けることが苦痛となりつつあるので居眠りするようにしようかと真剣に考えていたところだ。
ここは適当に合わせておこう。
「当たり前だろ。板書の鬼と呼ばれて久しいオレにそれを言うのかね」
「本当かしら。授業中はいつも上の空に見えるけど」
「頭じゃなく手で覚えろとでも言いたいのか? 馬鹿馬鹿しい。脳は頭にしか無いんだ、手で覚えられるか」
「その頭すら使ってるように見えないって言ってるのよ」
実際使っていないのだから反論のしようがない。
あーだのこーだの言い合っているうちにゴールの駅に到着。
どこへ寄り道するでもなく、線路沿いの道を数分かけて歩けば朝倉が住むマンションに到着。
「じゃあまた明日」
いつも通りここで別れて自分の家に帰ろうとした俺だが。
「ちょっと待ちなさい」
朝倉に引き留められた。
いったいなんだ。
俺の疑問などお構いなしで朝倉は自分の鞄のジッパーを開けながら、
「あなた、今日が何の日か知らないなんて言わせないわよ」
包装された長方形の箱を取り出し、俺に手渡してきた。
これが何なのか分からないほど俺も馬鹿じゃない。
「……バレンタインのチョコ、だよな」
「もちろんそうよ」
近頃じゃ男子に渡すというよりグループの友達と交換しあうのが学校のバレンタインで、母と姉以外から貰えると思っていなかった俺は素直に驚いている。
そんなハトが豆鉄砲喰らったような俺の顔を見て朝倉は。
「幼馴染ボーナスよ。別に他意はないわ」
また明日ね、と言い残すと用は済んだといった風にきびすを返してエントランスへ引っ込んで行った。
と、これが事の顛末である。
箱の中には丸いチョコが三個セパレートされて入っており、ホワイトと普通のとビターの三種。
たとえ義理であろうと家族以外から貰えたという事実は嬉しい。ボーナスだか知らないが、俺の積み上げてきた信頼関係は自意識過剰じゃないということだ。
そしてこれは相当後になってから知ることになるのだが、中学校の三年間で朝倉がバレンタインにチョコを渡した異性は俺だけだったとか。