朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue34

 

 

「うわあああああああああああん!」

 

 半狂乱な叫び声を上げながらソファの背もたれをポコポコ叩きまくる俺。

 つい数十秒前まで普通に会話していたというのに突然この有様なのだから、隣に座っている話し相手の涼子は何事かと当然驚く。

 

 

「ちょっといきなり何よ、どうしたの? 私何か変な事言った?」

 

 別に変な事を言われたからこうなったのではない。

 俺の脳が忘れようとしていた現実を彼女が突きつけてきたから心の自己防衛をしているに過ぎない。

 少しして事態を察した涼子は呆れ顔で言う。

 

 

「そんなに夏休みが終わるのが嫌なの……」

 

 当然だろう。

 今日は八月三十日で、明後日には夏休みが終わってしまうのだ。嫌に決まっている。

 

 

「いつもそうやって休みが終わる直前に駄々こねてるのかしら」

 

「なんだって?」

 

 何やら誤解があるようなので弁明させてもらいたい。

 それもこれも全て夏を満喫し過ぎたのが悪いのだ。

 文芸部の面々と遊びまくった上、涼子の家に転がり込んで親睦を深める日々が続いた。今更学校に行けと言われてもどうすりゃいい。

 

 

「どうもこうもないでしょ、学生の本分を果たすの」

 

 いいんちょらしい冷静で的確なセリフである。

 涼子は人を小馬鹿にした表情。ううむ、わかってない。

 ならばと彼女にわからせるべく行動する。えいやっ。

 

 

「……今度は何」

 

 いきなり俺に抱き付かれ身動きが取れなくなる涼子。

 彼女の髪の匂いを感じながら俺は理由を説明する。

 

 

「ずっとこうしてたいんだ。学校なんかより君と過ごしてる方が居心地いいし」

 

「はぁ、とんだダメ男ね」

 

「そんな奴を好きになるなよな」

 

「できたら昔の私に忠告してあげたいわ」

 

 憎いことを言いつつも涼子は抱き返してくる。

 たまにはこうやってひっ付くだけの時間もよいものだ。ちょいちょいやってる気がするけど。

 それにしてもなんとハピネスの高い一日であろうか。

 こんな生活が続くのならこの部屋に移住するのもやぶさかではないと思い始めている。

 俺が恥ずかしげもなくそう言うと涼子は唸り声を上げながら悩み始めた。

 

 

「うぅ、流石に同棲は早いわよまだ高校生だし……起こしに行く手間は省けるけど色々とマズいでしょ……うーん」

 

 もしこの話をうちの両親に聞かせたら諸手を上げて賛成することだろう。

 だが実際そんなことにはならず、涼子が自分の携帯にかかってきた電話に出たことによりこの一件はうやむやとなった。

 電話相手が誰か。それは相づちを打つ涼子の顔が徐々に苦笑いと化していく様を見て自然と察せられる。

 そもそもこんな真っ昼間に何の前触れもなく電話してくるような輩なんて知り合いに一人しかいないわけで。

 

 

「涼宮さんからよ。夏休み最後の会をやるからいつもの喫茶店に集合だって」

 

 苦笑を素面にシフトさせつつ電話の要件を伝えてくれる涼子。

 予想通りの展開なので特に驚きもせず、身支度のためにソファから立ち上がってリビングを後にする涼子の背を見送りながら夏休み中のあれこれに思いを馳せていた。

 あちこち行った、いろいろやった。100点あげても足りないくらいの出来だろう。

 だからこそ終わりが口惜しく思えるわけで、考えてみるともっと休みたいという気持ちで夏休みを終えたことはあれど、もっと遊びたいという気持ちになっているのは今回が初めてだ。

 この世界じゃ8月がエンドレスなんてこともない。ロム兄さんが言っていたようにどんな番組にも必ず終わりは来るのだ。

 などと、普段の俺らしからぬ些かおセンチになりすぎていたせいか。

 

 

「お姉さんの言ってた通りね」

 

 リビングに戻ってきた涼子が一人納得の表情で喋る。

 うちの姉が要らんことを彼女に吹き込んでいるのは知っているが、何がどうしたのかね。

 

 

「独りが好きなくせに寂しがり屋だって」

 

「また随分なことを言ってくれたな……オレのどこが寂しがり屋なんだ」

 

「さっきの顔。写真にとっておけば良かったかしら」

 

 そのさっきの俺とやらはそんなに寂しそうな顔をしていたのか。

 

 

「そりゃあもう」

 

 何となく一人勝手に気まずい気分になった俺はその場を立って出発するよう彼女に促してマンションを後にする。

 どうやら他の連中は立派な涼宮ハルヒ一派のようで、喫茶店に入ると既に全員お決まりの席に座っていた。

 涼宮は因縁つけるような目つきで一言。

 

 

「遅いわよ」

 

 むしろ迅速に行動した部類なのだが何故文句を言わねばならんのか。

 横のミスター・涼宮のお供Aこと古泉を睨んでやるが彼は笑顔を最大量にキープしたまま悪びれもせず会釈を返すだけ。

 とりあえず席につき、機を狙って注文を取りに来たウェイトレスの喜緑さんにアイスコーヒーをオーダー。涼子はアイスティー。

 最近の俺たちは毎日に近い高頻度でこの喫茶店にたむろしており、アルバイト中の喜緑さんを見るのも珍しいことではなくなっていた。

 これは谷口に聞いた話だが、喜緑さんはコンピュータ研究部の部長とお付き合いしているらしい。

 アニメの中では何かと世知辛い立場であった彼もこの世界では涼宮なんかと関わらず平穏無事に暮らしているのかと思うと心温まる気がするが、はたして彼は知っているのだろうか。自分の彼女に訳わからん地球外生命体の亡霊が憑り付いているということを。

 正直気になるものの藪蛇をつつくような真似はしたくないのでこっちから何かするつもりなんてない。

 よく言うじゃないか、"好奇心猫を殺す"と。俺は猫を殺したくない。

 そんなことはさて置いてだ。いつぞやのようにA4の紙切れにペンでバッテンマークを書き込んでいる涼宮は上機嫌そのもので、鼻歌を歌っていることからもそれは明らかであった。さながら【レオン】のゲイリー・オールドマンだ。

 

 

「うん、ぼちぼちってところね」

 

「何がぼちぼちだ。いいだけ遊び倒しただろうが」

 

 A4用紙をバツまみれにし終えた涼宮はキョンの突っ込みをスルーしてホットドッグを食べ始める。

 昼飯にしては早いが彼女にとっちゃおやつ感覚なのだろう、満足できなきゃサンドウィッチやワッフルの類を追加注文する涼宮をこの夏休み中に何度も見たからな。

 

 

「そういえば夏休みの宿題はちゃんと終わらせた?」

 

 遊び倒したというワードに反応したのか涼子がキョンに訊ねる。

 すると涼宮は口をもちゃもちゃさせながら。

 

 

「愚問ね涼子。宿題なんて7月中に終わらせるもんでしょ」

 

 事も無げに7月中と言ってのけたが夏休み早々に合宿しに行ったのだから実質三日しかない。そんな短期間で終わらせたら勉強と呼べるか甚だ疑問だ、復習なんかしないだろうし。

 記憶の神殿に頼りっぱなしの俺とて教師が望むスタイルで勉強しているわけでは決してないが、それでも夏休みの宿題への取り組み方に関して言うと今年はマシな方だった

 例年であればずるずると先延ばしにするところを涼子のマネジメントに従って計画的な進め方をして終わらせた。

 実際はノルマを速攻でこなすとその後は勉強の反動な感じでベタベタしていたから宿題をしたという感覚は絶無なのだが。

 そんな裏の話は出さず、涼子は自分の宿題状況について語る。

 

 

「私はスケジュール組んでやったから8月頭いっぱいまでかかったわ」

 

「あー、そういう絵に描いた優等生みたいなタイプだったわね涼子」

 

「タイプというか一応優等生ですから」

 

 えっへんと自慢げに胸を張る涼子。

 気がつけばこんな風に素の自分を出すほど涼子は涼宮と打ち解ける仲となっていた。

 いや、涼宮の方が文芸部側に打ち解けたと言うべきか。でなけりゃこの前みたいにいくら暇してるからって俺なんぞを不思議探検のお供に誘うはずがない。あの時バーガー屋で遭遇した相手が俺じゃなくて谷口とかだったら間違ってもそんな展開にならんだろうよ。

 そんな涼宮が涼子のクソ真面目っぷりに関心しているとキョンがおずおずと挙手して。

 

 

「ふぁい……夏休みの宿題、全然終わってないっす……忘れてました」

 

 とても絶望に満ちた暗い顔でそう述べた。

 それを聞いた俺は「お前の宿題が終わってないのはエンドレスエイト関係ねえのかよ」と一人心の中で突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうあがいても自分ひとりの力では宿題が終わらないというキョンの泣き言により、ただ夏休みの活動を振り返るだけの集まりから一変してキョンの家で勉強会をすることに。

 テイストは異なるがこれはこれでエンドレスエイトを彷彿とさせる展開だ。超天変地異みたいなループ現象からの脱出がかかってないから気楽なもんだが。

 かくして一度解散し、各自昼食をとってから筆記用具等を持ち寄っての最集合となった。俺は特に持って行くものもないので帰宅せず涼子に付いて行くことに。

 

 

「……ねえ、ほんとにこれ着てかなきゃいけないの私?」

 

 げんなりした顔で涼子がつまんでいるジャケットはお馴染み女教師コスのそれである。

 俺はなるべく冷静さを保つようにして言う。

 

 

「勉強会に相応しい格好するのは当然だろ? 教師役として君以上の適任はいない」

 

「ほんと物好きなんだから……ていうかなんでこれが私の家にあるのよ」

 

 505号室に戻ったらリビングに置いてあったのを俺が見つけた。間違いなく宇宙人の仕業である。

 仕方なしといった感じで涼子は女教師コス一式を小脇に抱えて自分の部屋に引っ込む。

 そして着替えが終わってリビングに戻ってきた涼子を見て俺は感情の昂りを隠さず言う。

 

 

「いいねいいね再の高だ!」

 

 本当に好きな映画は何度でも見返したくなるもので、俺にとって彼女のコスプレはそれと同じだ。

 朝倉涼子という最高級の素材にちょっとしたスパイスを足すことで萌えの破壊力は倍以上に跳ね上がる。さながらウィルスミスとトミーリージョーンズ、もしくはR指定とDJ松永、とにかく最強の組み合わせってこと。

 しかし熱狂的なオーディエンスの反応と対照的に涼子本人はやはり気乗りしない感じで。

 

 

「……やっぱり着替えなおすわ」

 

「はぁっ!? なんでさ」

 

「この格好のまんま外歩けって言うの? 羞恥プレイもいいとこじゃない。知り合いに見られたらどんな顔すればいいの」

 

「だったらキョンの家に着いてから着替えればいいだろ」

 

「よそのお家に上がり込んでコスプレのために着替えるだなんて、それこそ嫌」

 

 ごもっとも。

 俺はお願いをしているだけであって決めるのは彼女なのだから無理強いはしない。嫌だと言うのならしょうがない。

 

 

「露骨に残念そうな顔しないで。悪い事してないのに罪悪感を感じちゃうわ」

 

「……なぁ、着替えなおす前にしてほしいことがあるんだけど」

 

「何よ」

 

「膝枕」

 

「生徒に膝枕やる教師なんていないわよ」

 

 こう言いつつもこのお願いは聞き入れてくれたようで、涼子はソファに座って自分の太ももの上をポンポン叩きどうぞご自由にと意思表示をした。

 ならばこちらも遠慮せず失礼する。首から下をソファに預け、頭を彼女の太ももに乗せる。

 スカート越しでも分かるこの感触たるや、脚フェチじゃなくともグッとくるものがあるだろう。

 

 

「はぁ。落ち着く」

 

「とんだビッグベイビーね」

 

「これを枕にして毎日寝たい」

 

「それじゃ私が寝れないでしょ」

 

 俺の心は雲一つない青空みたいに澄み切った穏やかな気持ちになっていた。

 そんな小休止を経て向かったキョンの家では早々に宿題消化へ着手。

 キョン同様宿題が残っている長門さんと古泉や、サボらないよう監視役を務めると言い出した涼子はともかく俺はやることがないので屈託そのものである。

 もう一人やることがない涼宮はというと部屋の主に断りも入れず本棚から漫画を見繕って床に寝そべりながら読んでいる。我が物顔だ。

 俺も何か読もうと本棚のラインナップを上から下に見回して、絶句。

 

 

「おいキョン。なんで【スラムダンク】がねえんだ」

 

「なんでって……そりゃ世代じゃないからな」

 

「馬鹿野郎! 完全版が出たばっかだろうが! スラダンは男の教科書だぞ!」

 

「知るか! 黙ってろ!」

 

 まったく。

 背後からこれ以上茶々を入れるなと涼子の圧を感じるため大人しく黙っておくとする。

 さて何を読むか。自分の家にあるのは除外するとして、どれにするか。

 やがて俺は少年誌掲載の漫画ばかりが目立つ本棚の中で一際異彩を放つ作品を見つけ、その一巻を手に取った。【あそびあそばせ】だ。

 気になっていたが読んだことはなかったのでいい機会だな。

 

 

「んー、暇ね」

 

「暇なら俺の宿題を手伝ったらどうだ?」

 

「悪いけどあんたの手伝いするほど暇じゃないわ」

 

 キョンのお伺いを一蹴した涼宮は読んでいた漫画をほっぽると立ち上がり部屋を物色し始めた。

 タンスを漁るも当然衣類以外は入っておらず、面白いものはないかとベッドの下に手を突っ込んでいる涼宮。泥棒の中でもありゃ相当切羽詰まってるタイプだぞ。

 

 

「……ん?」

 

 涼宮がそんな声をあげたのと同時にベッドの下からサッと何かが飛び出す。

 そいつは登場と同時に全員の視線を一瞬で奪って行った。白黒茶の三毛に覆われたそいつは泣く子も黙る毛玉生物、猫だ。

 

 

「あら、キョンくん猫飼ってたの」

 

「元はいとこの家の猫だったのをウチで引き取ることになってな」

 

 名をシャミセンというその三毛猫は文芸部が部屋に押しかけているこんな状況でも物怖じせずじっと香箱座りを決め込んでいる。中々の胆力。

 かような猫の宿命か、シャミセンは涼子と長門さんと俺に散々モフられ、やがて彼を探しに来たキョンの妹氏により連行されていった。実際のところシャミセンの落ち着きはいいだけ身体を触られるからもう好きにしてくれという諦めの境地だったのかもしれない。

 ベッドの下から引っ張り出したプレステ2で涼宮がDMCの無印をプレーする様子を無気力で眺めながら俺は思う。

 

 

「やっぱ猫いいよなぁ。猫飼いたい」

 

「あなたちょくちょくうちの裏に住み着いてる野良猫たちと戯れてるじゃない」

 

 同じくぼーっとテレビ画面を見ている涼子が言う。

 先ほどまでキョンが宿題をサボらないよう目を光らせていたが、長門さんのおやつ買い出しに彼が付いて行ってしまったため暇している。いくら休憩したいからって家主が出ていくのはどうなんだか。

 それはそれとして、野良猫との戯れは確かに現代人が不足ちがちな猫成分を補給できるがソリューションには程遠いのだ。

 

 

「野良猫だっていつもあそこに居るわけじゃあない。君が猫を飼ってくれればいつでも吸えるのに」

 

「吸えるって何……?」

 

「吸うんだよ、お腹とか背中とかを。野良猫相手にはできないだろ」

 

 涼子は理解できないといった顔だった。

 と、こんなやり取りをしたからか。或いは宇宙人の入れ知恵か知らんが後日、男女交際の一環として行われる交じわりの折に涼子はどこからか調達した煽情的な黒猫のコスプレをして寝室に現れ、

 

 

「……吸ってもいいわよ」

 

視線を落とし、恥ずかしげにそう言った。

 俺はもちろん"猫吸い"をした。

 

 


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