俺がまだ中学生だった頃の話だ。
中学三年の終業式、つまり十二月二十四日。世間一般で言うところのクリスマスイブの日である。
この世界での生活も早三年ということもあり、俺は十二月二十四日がXデーでもなんでもない、"以前"と変わらぬただの一日であることを理解していた。言い方を変えるとこの生活にすっかり適応していた。
まあ適応できなければ何万年前の隕石衝突後に訪れた氷河期に絶滅してしまったであろう生物どもと同様、俺も死に絶えているだけの話だ。
それほどまでにセカンド、いやツヴァイか?ともかく二度目の学生生活は当初ハードルが高かった。
これを心折れた
勿論、俺一人なら今のように適応できていないことだろう。幸運なことに俺の支え――と呼ぶにはそこまで大袈裟な間柄ではないが――となってくれる人物がいるから今日も中学生なる身分を多少興じることができるのだ。
「時間よ、とっとと起きる」
前言撤回。不運だった。
すやすやと寝ていた俺は意識のない間に部屋に侵入していた輩によるスライハンドな早業で毛布を引っぺがされてしまったのだ。
俺の本能が今日は冷え込んでいるぞと訴えかけているのに何が悲しくて布団から出なければならないのか。教えてくれないか。
「何言ってるの。今日がラストなんだから後一日ぐらい頑張りなさい」
むっとした表情で枕元にある俺の顔から視線を外さない彼女の名は朝倉涼子。俺の幼馴染らしい。
最早逃げ場などどこにもない。諦めて寝床から出ていくことにする。
彼女が口にするところのラストである今日の内容なんてのは終業式とホームルームであり、まさしく頑張る必要性が皆無の内容だ。ハッキリ言って俺一人教室から消えたところで何ら不都合の生じぬただの儀式的側面が強い一日なはずだが、実際に俺が休むと朝倉さんに学校終わりに通知表やその他プリント類を持ってきてもらうことになってしまうため、今日もこうして俺自身が校舎まで赴かねばならないのだ。
顔を洗い、朝食をとり、制服に着替え、コートを羽織り、学生鞄を持って玄関を出る。
「さ、行きましょ」
外で俺を待っていた朝倉さんはぐだぐだする時間も与えずに移動を開始した。
慌てずとも学校までは徒歩二十分とかからない距離に俺の家はある。だがそれは俺が通う中学とは別の校舎であり、俺と彼女が通っているのは市外にある某中学校だ。
当然、徒歩で通える距離じゃないうえ、自転車でも一時間以上かかるので電車通学の日々を送っている。
一体どういう経緯でこうなったのか俺は知らないが、やはり電車通学は面倒なことも多いし、来年からは徒歩圏内の高校に入学する方向で担任とは話を進めている。
それは朝倉さんも同様で、進学先に困らない優等生の彼女が希望しているのは俺と同じく市内にある県立北高校らしい。
何故そこにするのか。彼女に直接尋ねたことなどないが、なんとなくだがなるべくしてなっている感が否めない。
「どうしたの? 変な顔しちゃって」
よほど変な表情に見えたのか、朝倉さんがそう聞いてきた。
今の俺の顔が変なら年中無休でずっと変だから安心してほしいね。
まさかこのタイミングで進学先について聞く気になんかなれやしないので適当に返事をする。
「この学ランともあと三ヶ月弱でお別れかと思うと感慨深くもなったのさ」
「お別れって、学ランなんてどこも似たようなものじゃない」
「北高は男子がブレザーだ」
「ああ、そうだったわね。私は今とそんなに変わらないから男子がブレザーなの忘れてたわ」
確かにセーラー服であるという点においては変わらないだろうが、見た目の印象は大きく変わると思う。
彼女が今着ているのは白地で襟元が黒いベーシックなセーラー服で、北高指定のは襟元、袖、スカートが水色となっている。多分北高の方が目立つデザインだ。
「あなた女子の制服なんかに興味あったの?」
セーラー服の違いについて解説する俺を怪訝そうに見てこう言う朝倉さん。
件の女子生徒制服がどこぞの高校のものであればデザインなど覚えてないだろうし、俺がそれを覚えている理由なんて決まっている。アニメに出てくるヒロインたちが着ているからだ。
もちろんそんなことを口に出して言えるはずもないので、俺は朝の駅のホームで制服フェチなどでは断じてないという旨の弁明をする羽目となり、微妙な一日の始まりとなった。
中学校の最寄り駅までの乗車時間は三十分弱。普通列車しか停まらないため下校時間ともなると本数が少なくなる。
駅からは徒歩十分と学校側が謳っているものの、それは恐らく学校の外周端までの話であり、校門を抜けて長ったらしい校舎前までの敷地を歩いてようやく生徒玄関に入った頃には十五分近くが経過しているのがデフォルトだ。
教室に入るといつも通り誰とつるむでもなく机に突っ伏す。だがしかし今日は終業式のためそのまま睡眠に突入することはできず、登校してしまった以上否が応でも式に参加させられてしまう。
団体行動で向かう先は朝一の体育館だ。まともに暖房の熱が屋内に広まっておらず冬の寒さが充満するサムシングエルスなことこの上ないこの空間で一時間近くに及ぶ式を行うのは生徒の健康管理上果たして適切なのだろうかと疑わしく思う。
不適切ならどうしろって?そりゃ決まってる。校長やPTA会長だのの話は教室のテレビで見ればいい。何のために校内に放送室があるのか、もっと考えてくれ。
とか何とか考えているうちに終業式はつつがなく閉式し、冬休み前のロングホームルームも適当に聞き流しているうちに下校時間となった。
特に示し合わせたわけではないが、お互い帰宅部ということもあり朝倉さんと俺は下校も行動を共にしている。
それは校舎を出て、駅までの平坦な道のりを歩いている最中のことだった。
「……あの」
不意に脚を止める朝倉さん。
どうかしたのかこちらが問うよりも早く彼女は切り出した。
「ちょっとこの後、行きたいところがあるんだけど」
と言われて君一人で勝手に行けばいいと返すほど俺は馬鹿じゃない。もっとも、彼女の真意など察そうともしていなかったあたり大馬鹿ではあった訳だが。
はてさてどこへ向かうのかと思いきや帰りの電車を途中下車したのは市内のターミナル駅である。少なくとも地獄の一丁目が目的地じゃないようだ。
コンコースから地上2階のデッキに出て、入った先は駅前の超大型ショッピングモール。普段映画観に来ている馴染みのところだ。
「放課後ぶらり旅かい?」
「まあそんなところかしら。いい時間だし先にご飯食べましょ」
異論は無かった。
電車通学生ならば当然財布は持ち合わせているのでこういう事態にもキッチリ対応できる。
エスカレーターを降りると1階に出た。ここと4階のフロアは飲食店が立ち並んでいる。
特に希望は無いので店選びを朝倉さんに一任すると、彼女は少考の後。
「オムライスにしましょう」
と言った。
ギリギリ冬休み前であるため、この時間帯でもすんなりと店に入ることができた。これが明日だったら絶対しばらく待つことになっただろう。
席に通され早速オーダー。俺は季節限定のプレミアムビーフシチューがかかったバターライスのオムライス。朝倉さんはトマトソースとチキンライスのスタンダードなオムライス。
「それにしても、どういう風の吹き回しだ?」
食前に運んでもらったセットの紅茶をすすっている朝倉さんに俺は質問する。
終業式の日にそのまま街に行く学生は星の数ほどいるが、彼女はそういうタイプじゃないと思っていた。
まして、俺なんか誘って何がしたいのか。
「言っておくけど冬服選びになんか協力できないぜ。そういうのは同じ女子を頼ってくれよな、古田とか」
「あなた真性のアホなの?」
眉を寄せ、心底からそう思ってそうな顔で言う朝倉さん。
質問に質問で返すなよ、と言いたいところなのに彼女は俺に非があるといわんばかりの様子だから困る。
「アホでいいから理由を教えてくれ」
「……後でわかるわよ」
朝倉さんはだんまりを決め込む意思表示といった感じにカップへ手を伸ばし紅茶を飲む。
後になってわかったことだが、この時の彼女は思わせぶりすぎだった。
こんなところに連れてきたのだから、お目当ての品が何かしらがあるのかと思っていたがそうではないらしい。
エスカレーターを上がり、衣料品の店舗をアテもなく回っていく。こういうモールはメンズよりレディースの方が多く店を構えている気がしてならない。
実際に冬服を買う訳ではないのだろうが、ロクな判断ができないと俺が前置きしていたのにも関わらず朝倉さんはハンガーかかった服を手に取って。
「これ、どう?」
なんて聞いてくる。"これ"というのはポンチョコートだ。しかもフードに角が生えてるあざとい系のやつ。
こちとら今年の流行もよくわかってないようなファッションに対する意識の低さだというのに、好きなブランドかどうかでしか普段ものを見てないんだぞ。
仕方なしに俺の想像力をフル回転させ、あくまで朝倉さんが着たらどう見えるかというのだけを考える。
「うーん……似合わなくはないと思うけど、普段あんましこういうの着てない印象だから多分驚かれるんじゃあないかな」
「そうよね」
まるで気まぐれだったというように朝倉さんは未練なくポンチョコートをハンガーラックに戻す。
このようなやり取りをしばらく続けた後、メンズ中心の店舗に入ったので俺は意趣返しをすることにした。
自分だったら絶対着ないようなロゴの主張が夥しい厚地のインナーを朝倉さんに見せ。
「どうだ、最高にクールだと思わないか?」
すると彼女は病人を見るような目でこう返してきた。
「最高にフールね」
人が散々言葉を選んで意見していたというのに自分の番となると手厳しいではないか。
なんだかむかっ腹が立ったため、ぶっきらぼうにこう言ってやった。
「こんなとこいても君は面白くなさそうだからロフトの雑貨でも見てくるといいさ。オレはしばらく一人でおニューのアウターを漁ってるから」
三十分後にモール内の喫茶店で合流することにすると、言われるがまま彼女はその場から立ち去っていった。
どちらがガキっぽかったかでいえば圧倒的に俺の方だったが、この時はこれで良いと思えたのだからしょうがない。
建前としてアウターの新調と言ったが、流石に今日そこまでの持ち合わせは無い。俺がマジで欲しいダウンジャケットは4万を超える代物だ。
お気に入りのブランドのシャツをあれこれと眺めているうちに俺の思考は冷静なものに戻っていった。そしてやらかしたことを理解した。
「ったく。言い方ってもんがあるよな、お互いよ」
朝倉さんと別れて十五分と経過していなかったが、すぐにでも会って謝るために俺は携帯を取り出し電話をかけた。
去年からまるで成長していない自分の不甲斐なさを忸怩たる思いで受け止め、喫茶店前で落ち合うなり頭を下げた俺に対し朝倉さんは呆れた声で。
「罰として一杯おごってもらおうかしら」
お安い御用さ。
そこからの時間を振り返ると、先ほどまでと打って変わり俺自身がノリノリでこのモール巡りを楽しんでいた。
当たり前だ。数少ない気心の知れた仲である親友とでも呼べるような間柄の方と放課後を満喫しているのだから。
なんて、洋服のボタンを一つ掛け違えたような状態のまま楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気がつけばもう午後五時を迎えていた。
買いもしないインテリアを眺め、店舗を出ると俺はそろそろ帰らないかと家路につくことを提案した。
「じゃ最後に、あそこに寄って行きましょ」
そんな言葉とともに朝倉さんに連れてかれた先はモール4階にある屋上庭園。
広々とした公園みたいな空間であり屋外の休憩スポットみたいな側面が強いこの場所も、今は十二月の真っ只中。
「……綺麗ね」
陽が落ちて暗くなった屋上庭園は通常のライトアップとは別にあちらこちらでイルミネーションが施されており、普段と雰囲気を異にしている。
こんな感じのイルミネーションはクリスマスシーズンとなればどこもかしこもやっているし、今日びそれらが視界に入っても大した感慨もなく素通りしてきたが、この日ばかりは朝倉さんと同感だった。
まだ五時を過ぎたばかりとはいえこの景色を観に屋上庭園まで出てきている人は数多く、その客層を見て今日が何の日だったか改めて確認できた。
ひょっとすると俺と彼女も、その客層の一部と思われているのかもしれない。なんて自意識過剰なことを頭に浮かべながら、光る噴水をキャンプのたき火でも眺めるように無心で見続けていた。
結局今日、朝倉さんが何を目的に俺をウィンドウショッピングに誘ったのかハッキリとはわからない。目的なんて無かったのかもしれない。
少なくとも俺はこの日に至るまで、休日に彼女を誘って出かけた日々の数々やこのウィンドウショッピングに対して"デート"等と考えちゃいなかった。
だからだろう。帰り際、まさに別れの直前というタイミングで朝倉さんから放たれた言葉に驚いたのは。
この三年間で度々訪れた市内某所の分譲マンション前、家路をなぞって辿り着いた最終地点で俺はさよならの挨拶をする。
「今日はとても楽しかったよ、貴重な時間をどうもありがとう。言っておくけど皮肉じゃあないぜ」
「あ、ちょっと待ってくれる?」
俺が別れの言葉を切り出すのを察した朝倉さんは慌てて学生鞄の中を漁り出す。
そして教科書ぐらいの大きさの箱を鞄から取り出し。
「はい、これ。クリスマスプレゼント」
ギフト用のラッピングがされたそれを俺に突きつけてきた。
ここで言っておくと、こんなことは今日が初めてなので、おっかなびっくりといった塩梅で混乱しかけている。
「あ、ありがとう。でも、悪いけどお礼なんて用意しちゃあいないんだ」
「いいわよ別に。見返りを求めたらサンタさんじゃないもの」
そう言って悪戯っぽい笑顔を見せる朝倉サンタからのプレゼントが一体何なのか。
本来は家に帰ってから開けるべきなのだろうが、おかしな熱に浮かされたテンションの俺は中身が無性に気になってしまう。
「ここで開けてもいいかな?」
「ええ、どうぞ」
リボンを解き、ビリビリにならないよう丁寧に雪のマークがプリントされた包装紙を剥がしていく。
中の黒い箱の蓋を外すと、入っていたのはマフラーだった。
「マジかよ、これって」
グレーのケーブルニット生地にワンポイントで刺繍されたロゴ。
俺が好きなブランドのやつだ、めちゃくちゃ嬉しい。がこれの値段を俺は知っている。決して安い買い物じゃない。
「あなたいっつも寒い寒いって文句言うくせに、マフラーしないでしょう? だからそれにしたの」
「ありがとう。大事にする」
いつかこれのお礼をしなくちゃな、と決心してきちんと折りたたんで箱に戻す。
そんな俺を見て朝倉さんは一言。
「どうせなら巻いて帰りなさい」
「今日はそんなに寒くないし、ほんと、大事に使わせてもらうよ」
「そう。送った側としては使い倒してもらうくらいがいいのだけれど」
言いつつも俺が口にした大事というフレーズに満更でもない様子の彼女。
まったく、クリスマスプレゼントだなんてとんだサプライズだ。
「……それとね、もう一つあるの」
俺が鞄にマフラーを仕舞い終えたのを見計らって切り出す朝倉さん。
おいおい、まだあるのかと若干ビビり始めていた。警戒ってほどではないが。
「私がお昼に言ったこと、覚えてる? 私のお出かけにあなたを付き合わせた理由、後でわかるって言ってたでしょ」
「ああ、覚えてるけど」
「別に大した理由じゃないわ。それでも聞きたい?」
もったいぶった言い回しをされたら誰だって気になるし、その理由をさっきまで考えてても自分じゃ分からなかったのだから聞きたいに決まっている。
すぅ、はぁ、と深く呼吸をしてから彼女はその理由を教えてくれた。
「私はね、あなたのことが……