朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue31

 

 

 

 

 

 三泊四日にわたり大自然を満喫した文芸部の夏季合宿が終わってから二週間と数日が経過した。

 その間の大きな出来事として挙げられるのはカナダから一時帰国した涼子の親父さんとお母さんに娘さんとの交際を報告したことだろう。

 まさかこの年でそんな仰々しいことをやる羽目になるなどと数年前には微塵も思っていなかった俺だが、真剣な男女交際をする以上高校卒業後の身の振り方を抜きにしてもご報告の場は必要だった。

 大企業で立場あるお方の一人娘を貰い受けようというのだ。弱い人間なりに相当の覚悟を持って臨んだのは言うまでもなかろう。

 

 

「……何してるの?」

 

 報告の当日、馴染みのマンションまで俺一人で向かっても良かったが主にメンタル面を心配されたため涼子に迎えに来てもらうことにした。

 そしてお決まりのパターンで俺を起こそうと部屋に入った彼女が見たのは寝間着姿のままベッドの上で眼を閉じ正座している俺。

 

 

「見ての通り、瞑想をしている」

 

「残念だけど私には迷走してるようにしか見えないわ」

 

「そう言われると思ったよ……」

 

 彼女が来た時間帯がいつもより遅かったのでとりあえず起きていたが、仮に寝ていたらこの前みたいに甘々な起こし方をしてくれたのかもしれないと思うと惜しい気分になる。まあ、今日ばかりはそんな展開なさそうだが。

 なるべく落ち着いた服装になるよう心掛け、アメコミ原作映画が好きな女性は日本の特撮映画は見ないのだろうかなどと現実逃避じみたお喋りをしながら移動して、いよいよ敵陣本丸である某マンション505号室前まで来た。

 今日に関して涼子の両親には詳細を伏せたまま大事な話があるという旨だけを伝えている状態だが、きっとおおよその察しは付いていたことだろう。

 世辞かマジか知らんけど、実年齢よりも綺麗で若いだとか言われるのを度々耳にするうちの母よりもひと回りくらい若く見えるアンチエイジングの域を越えた涼子のお母さんに快く部屋へ招き入られ、いよいよ一挙手一投足に神経を尖らせる時間がやってきた。

 まるで家族会議。俺と涼子、ご両親の2対2でテーブルを囲むとジャブのような世間話もそこそこに俺は単刀直入に言い出した。

 

 

「自分は涼子さんと将来を考えたお付き合いをさせてもらっています」

 

 やはりこれくらい想定済みだったのかご両親は素面のまま俺の言葉を受け止める。

 一秒。

 十秒。

 無言の間がしばらく。

 時が止まったようにさえ思えた。

 やがて神妙な面持ちで正面の親父さんが口を開いた。

 

 

「"将来を考えたお付き合い"などという言葉は簡単に言っていいものじゃない。仮にそう思ったとしてもだ、それを私と家内の前でするということは今後こちらもそういう認識で君たちのことを見ることになる。何かあったらお互い無責任じゃ済まなくなる」

 

「子どもの戯言に聞こえるかもしれませんが、自分は深刻な話をしているつもりです」

 

「本気で言っているんだな?」

 

「「はい」」

 

 頷きながら声が合う俺と涼子。

 彼女も俺も一時の迷いなどではなく生涯の伴侶として今後を過ごしたいと――割とイチャつきながら――事前に話し合っていたとはいえ、こうして他人に打ち明けるまでは若干の不安があった。

 だからこそ改めて気持ちを確認できた今この瞬間が少し嬉しくある。

 親父さんはこちらの返事に一言「そうか」と呟いてから。

 

 

「……もう十年以上も前になるのかな。私たちと君の家族とで志摩にあるいいホテルに泊まった……あの時、ホテルの廊下で楽しそうに追っ掛けっこする涼子と君を見て、もしかしたら今日みたいな日が来るかもしれないと思ったよ」

 

 穏やかな口調で"俺"の識らない過去を追想する。

 そして深く息を吐いてから言葉を続けていく。

 

 

「いくら涼子が本気だったとしてもどこの馬の骨とも分からぬような輩が相手なら私は簡単に認めないだろう。別れろ、と言うかもしれん」

 

 だが、と俺の顔を見据え。 

 

 

「君で良かった。私も家内も反対する理由がない」

 

 "俺"か、それとも"俺"以前の俺かは知らないがそれなりの信頼は積み上げていたらしい。

 厳しい言葉をいくつか貰っても引かない不退転の気概でいただけに、こう言ってはなんだが拍子抜けだ。

 

 

 ――――後は気楽なもんだった。

 涼子と俺がくっついたのがそんなに良かったのか、ぽろぽろと嬉し泣きする彼女のお母さん。

 それを見て恥ずかしくなった涼子が「まだ泣くようなタイミングじゃないでしょ!」と言う。

 すると親父さんはどこぞのリゾートホテルに続いて昔話をして感無量の面持ち。

 暖かい家族の団欒を見て柄にもなくほっこりしてしまう俺。

 と、これにて一安心ではあったが、もう一つの本題であるカナダ行きに関しては宿題を出される形となった。

 つまるところ涼子と俺の2人でどうするのかを選んでほしいというのだ。

 親父さんは俺なら安心して任せられると言ってくれたが正直な気持ちとしては涼子にカナダに来て欲しいそうで、仮に俺が涼子と一緒に渡加するのであれば全面的に生活を支援するとまで言う。

 その他細かい話は諸々あったものの、どうあれ後悔しないようにしっかり考えてから答えを聞かせてほしいとのこと。

 これが事の顛末だ。

 

 

「なんか取り越し苦労しちゃったって感じね」

 

 夕方まで滞在した505号室からの帰り、エントランスまで見送りに来た涼子が苦笑しながら言う。

 今回ばかりは日頃の行いが良かったということだろう。

 

 

「なーに調子いいこと言ってるの、私のこと1年間もキープしてたってお父さんに言いつけちゃうわよ?」

 

「ごめんなさいすいませんマジで勘弁してください」

 

 下降中のエレベータで恋人相手に土下座するような情けない男が日本で俺以外にいたら教えてほしい、いい酒が飲める仲になれると思う。

 自分で蒔いた種に苦しむ俺を哀れんだ涼子は顔を上げなさいと優しい声をかけてくれた。もっとも満面の作り笑いを浮かべられては安心もできなかったが。

 

 

「ねえ、誠意は言葉じゃなくて行動で示すべきだと思わないかしら」

 

 どこぞの野球選手みたいなことを言われても具体的に何をすればいいのやら。

 俺のそんな察しの悪さなど知ってましたといった様子で言葉を続ける涼子。

 

 

「私たちまだ1回しかしてないわよね」

 

「……ここで?」

 

「今は2人きり、でしょ?」

 

 この時俺が思ったのはもっとガツガツ行くべきなのだろうかという疑問であるが、これからもそばにいてほしいという要求を呑んでもらえた時点で割かし満足していた俺と1年以上フラストレーションを溜めていた涼子との間には根源的な欲求という部分において開きがあった。そこら辺を自覚する頃には完全に後に退けない状態となっていたけれども。

 そんなこんなで土下座の次はお熱い口づけをエレベータ内で彼女と交わし、当座のXデーを無事に終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、8月も中旬を迎え本格的な夏休みに突入しようかという中、俺は涼宮に呼び出される形でいつもの喫茶店へと向かっていた。

 電話越しの女は何用か一切語らなかったが何をするかといえば夏休み活動計画の大詰めだ。

 何故断言できるのかというと、俺同様に喫茶店集合とだけ涼宮に言われて電話を切られた涼子が「用件ぐらい言いなさい!」と逆ギレして電話をかけ直して聞きだしたからだ。事実上、涼宮ハルヒの敗北である。

 

 

「勝つとか負けるとかじゃなくて最低限の礼儀をしなさいって話よ」

 

 芋虫を食べたような顔で親しき中にも礼儀ありを語る涼子。

 エンドレスエイトよろしくいきなり市民プールとならなかっただけここの涼宮は幾分かマシだと思うがね。

 そのかわり恐らくこれから夏休み最終日の今月末までは待ったなしで遊びに出掛ける日が続くのだろう。

 

 

「確かに涼宮さんならそう言い出しかねないわね」

 

「終業式に立てた活動計画のうちまだ3つしかやれてないからな。残りを全部やるとなると1週間じゃきかん」

 

「何も全部やる必要ないでしょう」

 

「それは涼宮に言ってくれ」

 

「……家でエアコン浴び続けるより健康的だと思うことにするわ」

 

 思い返すまでもなく過去の俺の夏休みは虚無虚無プリンそのものであった。ちなみに中学時代の涼子のパジャマは恵体ペンギン紳士ことタキシードサムだ、そして俺が一番好きなのはペンギン違いのばつ丸くん。

 そんなキャラ物事情はさておき、去年までと違って彼女がいるわけだし今まで待たせていたぶん夏休みくらいふたりの時間を確保するべきだと思った俺は合宿が終わってからほぼ涼子と顔を合わせていた。

 ご両親が帰国していた一週間弱についてもそうであったため、親父さんが部屋は余っているのだから涼子と一緒に505号室に住んではどうかと言い出したほどだ。それなんてエロゲ?

 流石に思考停止でハイとは頷けなかったが、渡された合鍵を拒むことはできなかった。合鍵に関しては持っている方が都合いいけど。

 要するに今日から文芸部の学校外謎活動漬けになったとしてもお釣りがくるぐらいには朝倉さんラブラブポイントを貯めていたというわけだ。まさか彼女の家の墓参りまで一緒に行くとは思ってなかったが。

 親父さんに誘われたからホイホイついて行ったものの、彼女の祖父母に婚約者通り越して旦那みたいな感じで認知されたのは果たしてどうなんだろう。気が早すぎないか。

 

 

「なんというか、オレたち物凄い勢いで外堀を埋められてるよね?」

 

「外堀どころじゃないわ。包囲網よ」

 

 言い得て妙だ。

 もちろん長い付き合いのある幼馴染だからこそ信頼の目で見られているというのはわかる。

 それにしてもせめて高校生の間は何も言わず見守っててほしいものだ。再三言うように、俺は周囲に気を遣うという行為が死ぬほど苦手なのだから。

 

 

「あらそうなの? 愛想よくとはいかないまでも結構まともな感じだったじゃない」

 

「まともって……褒め言葉と受け取っておくよ。そしてできるできないの苦手じゃなくて好きか嫌いかって方の苦手だ。神経を削りたくない」

 

「もう、大人になりなさいよ」

 

 俺がダメ人間なのは間違いないが、涼子は涼子で立派すぎやしないかと思う。

 とかなんとか言っているうちに北口駅近くの喫茶店に到着した。

 店内には店主かってぐらい偉そうな雰囲気でテーブル席を確保していた涼宮と、当然のようにセットでいる古泉。

 ほどなくして長門さんとキョンもやってきて、涼宮が呼び出した全員が来た形になった。

 

 

「それじゃ改めてこれからの活動計画を確認するわよ」

 

 八つ折りにされてたA4サイズの紙切れが展開されテーブルに置かれる。

 あの日ホワイトボードに書かれてた内容がそっくりそのまま転写された手書きの計画書だ。

 涼宮はその文字の中から既に達成済みのものにペンでバッテンマークを付けていく。

 

 

「肝試し……はあれでいいけど、釣りは水族館のだったし違うわよね。やっぱ川でやんないと」

 

 合宿、昆虫採取、肝試しとバッテンが付いたが、涼宮の中で釣りは未達成らしくバッテンを回避した。

 そして残ったのはというと、だ。

 

 

・プール

・盆踊り

・花火大会

・天体観測

・釣り

・ボウリング

・映画館

・芸術鑑賞

・バッセン

・その他

 

 

 改めて見ると呆れてくる。

 小学生が運動会の夜に連れてってもらったバイキングで後のこと何も考えず目についた料理取りまくったワンプレートみたいな内容だ。

 ま、こんなもんかしらと納得した様子の涼宮は横のよくできた部下に早速指示を出す。

 

 

「古泉くん、この辺りで明日以降にやる予定の盆踊りか花火大会を調べといて」

 

「承知しました。追って連絡致します」

 

「任せたわよ」

 

 眉ひとつ動かさず雑務を引き受ける古泉。

 毎度ながらこの男が絡むと謎の機関が介入してそうで変に勘ぐってしまう。

 早速どれかしらの活動に取り組もうかと思われたが、喫茶店を出れば生憎の土砂降りの雨。こんな天気では興が乗らないといった様子の涼宮は。

 

 

「これじゃ移動するのも億劫ね、今日は解散にしましょ。その代わり明日からは倒れるまで遊び倒すわよ!」

 

 倒れたいのか倒したいのかそもそも彼女が何を相手してるのか不明瞭な発言だ。

 結局、何をする予定かも言わずに古泉とともに去ってしまう涼宮。機関が用意した如何わしいホテルで雨宿りでもすればいいさ。

 明日のことは明日決めるのであればわざわざ今日集まる意味あったのかね。ここの喫茶店にお金を落とすのはやぶさかではないけども。

 何をするにしても日中の微妙な時間帯であるため、俺も帰ってプロスピのペナントモードでもやろうかと思ったが涼子の買い出しの手伝いに同行するため直帰ではなくなった。

 となると必然的に彼女の家まで荷物を運ぶことになり、その結果リビングで出された麦茶をすすっているわけだ。

 

 

「ありがと。お礼に肩でも揉んであげましょうか?」

 

 購入した商品をしまい終えた涼子がリビングにやって来るなり嬉しくなるようなことを言う。

 なればこそ、こちらも遠慮せず彼女に注文をつける。

 

 

「久々に怪獣ドーナツが食べたいから作ってほしいな」

 

「ええ、わかったわ」

 

 じゃあ出来上がるまで待っててねと言い残して再びキッチンに引っ込んでいく涼子。

 その間完全に手持が無沙汰な俺はテレビの電源を入れ、ファイヤースティックを操作して画面を切り替え、吟味した末に昼間見るのに無難な映画を再生する。

 ストリーミングサービスより映画館に行くことを選ぶ俺だが、ストリーミングサービスを利用しないとは言っていない。こうやって人様の家で見る分には強力すぎるコンテンツだと思う。

 

 

『...You suicidal?』

 

『Only in the morning』

 

 劇中のオーシャンズが大強盗のための仕込みを進めている頃、キッチンから涼子が戻ってきた。

 テーブルに置かれたお皿の上に盛られている不格好なきつね色の塊たちはまさしく俺の好物である怪獣ドーナツそのもの。そして俺が何も言わずともマグカップにコーヒーを淹れてくれているところが涼子だ。

 素晴らしい仕事ぶりには最大級の賛美で讃えるべきであろう。

 

 

「君はいいお嫁さんになれると思うよ」

 

「ふふっ。じゃああなたにはいい夫になってもらわないと」

 

 そう言ってこちらにもたれかかってくる涼子。

 つい二、三ヶ月前まではこんなふうにソファに座って映画を見るにしても俺と涼子の間に多少の間隔が空けられていたが、今やそんなものは気の弾みでなくとも完全になくなってしまっていた。

 このバカップルモードがいつまで続くのかはわからないが、終了した時に後悔しないためにも彼女との密着を楽しんでおくことが大事だ。

 もちろん、挑戦的な言葉を吐いた可愛い彼女をからかうことも忘れない。

 

 

「オレの理想の夫像はダニーだ」

 

「かっこいいのは認めるけど盗みで生計を立てるような夫は人として最低だと思うわ」

 

「この映画の結末は知ってるだろ? そんな夫を妻が受け入れて、ハッピーエンドさ」

 

 できたての怪獣をひとつつまんで口に運ぶ。

 甘くてほやほや、良い意味で雑な出来上がりなのがたまらない。カロリーボムってやつだ。

 そいつをブラックコーヒーで胃に流し込んでやると、最高。この世のありふれたおやつが馬鹿らしく思えてくるね。

 

 

「……ねえ」

 

 小腹を埋めながら気分よく映画の展開を眺めていると不意に声をかけられたので視線を横に向ける。

 いつの間にか右腕に抱き付かれていたが、そんなことは気にしちゃいない。彼女の言葉の続きを待つ。

 

 

「その、良かったらだけど……今日は晩御飯、うちで食べてかない?」

 

 とりあえず二つ返事で了承した。

 後の話は割愛させてもらうが、何にしてもハードワークが予想される翌日に支障をきたさないようにしなくちゃな、と薄らぼんやり考えながら夜まで過ごしたとだけ言っておく。

 

 

 


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