夜風が吹き付ける分譲マンションの屋上。
あの日、幼馴染に憑り付いている宇宙人の彼女は朗らかな笑顔でこう言った。
「朝倉涼子は高校を卒業したら親元へ行くわ」
「……何?」
「カナダで両親と暮らすってことよ。進学するかどうかとか具体的なことはまだ決めてないけど」
彼女が語ってくれたところによると、元々中学卒業を期に朝倉さんは両親と一緒にカナダで暮らす予定だった。
しかしある日急に日本に残ると言い出したらしい。
「なんでかわかるかしら?」
意地の悪い質問だ。
この話をわざわざ俺にしているのだから察しがつく。
「……オレがいるからだろ」
「ええ。あなたへの好意を自覚した朝倉涼子があなたと離れるのを嫌がった」
「それで朝倉さんが一人暮らしを続けることになったのはわかった……でもなんで高校を出たらカナダへ行くことになるんだ?」
「一人娘を残して働く父親の身にもなってみなさい、悪い虫が寄ってくるのを心配してるのよ。高校生の間はまだしも大学に行ってからはあなたと過ごす時間も激減するでしょうし」
ただ、と彼女は付け加える。
「あなたが朝倉涼子のナイトになってくれれば話は変わるかもしれないけどね」
どこまでも意地が悪い。
カナダ行きを朝倉さんが俺に伏せている理由は単純だった。
この件を伝えて関係性が変わることに負い目を感じているからだとか。彼女らしい。少しは自分勝手になればいいのにな。
俺はヒューマノイド・インターフェースの彼女に一応聞いてみた。
「お得意の情報操作で反故にできたりしないか?」
「あのね、私にそんな気があったら最初からそうしてるわよ」
まあそんなことだろうと思ってたさ。
彼女はチッチッチと人差し指を振りながら。
「私はあくまで居候みたいなものなの。朝倉涼子の意思を尊重こそすれど、私の好きなように事態を動かすわけないじゃない」
弁当作ってきたりデートしたり今まで好き勝手やってたように見えたが敢えて指摘しないでおく。
「でも朝倉涼子があなたにこの話を言わないのはフェアじゃないなって思ったから、卒業まで時間に余裕がある今のうちに教えてあげたのよ」
本人と同じ顔を前にしてこんな話をされるのは妙ちくりんな気分にしかならないが、とにかくこれが宇宙人の彼女から俺に語られた内容である。
宇宙人の真意なんて俺にはついぞわからなかった。
嘘こそついていなかったにしても、本当のことを全部言っていたか疑わしい。それが彼女だった。
そして今、俺が導き出した結論を朝倉さん本人にぶつけたところだ。
あの日と同じ公園を選んだのは俺なりの筋を通すためというか、彼女の家に上がり込んで言うのは逃げ場を与えてない感じがして嫌だった。
俺から言いたい事は全部言ったので後は朝倉さんの返事を待つだけなのだが、なんというか、放心したのか彼女は無言で宙を見上げている。
これ以上余計な台詞を並べるのもな、と自分で自分の気を紛らわしていると彼女が沈黙を破った。
「……なんなのよ」
消え入るような声だったが、次の瞬間には段違いの声量で。
「人の気も知らないで! 勝手なことばかり言って! 私がどんな想いで過ごしてきたと思ってんのよ!!」
朝倉さんは激しい剣幕を見せた。
こういう時どっしりと優しく受け止めるのがいわゆるひとつの男らしさなのだろうが、俺は俺で全く冷静じゃなかった。
第一声がそれかよ、とカチンと来てしまい。
「ああ、君の想いを踏みにじってきたのはオレだけどな、そんなにオレが好きならカナダ行きなんて大事な話なんで黙ってた!?」
「それは…………」
剣幕から一転して歯切れが悪くなった彼女にたたみかける。
「カナダ行きをダシにするのが嫌だ? オレを巻き込みたくない? ふざけんな! 置いてかれる方の気持ちはどうでもいいのかよ」
「……っ」
顔を歪ませる彼女を見て、流石に言い方を考えるべきだったと後悔した。
俺が取り繕うための言葉を探してる内に朝倉さんの目から涙が零れていく。
「不安、だったのよ。私が好意を伝えても……いつも、いつもあなたは思わせぶりなだけで、うう……」
右手で涙を拭い続ける彼女。
わかってる。ここまで彼女を追いつめたのは俺だ。
これまでのことも、今日の話も、全部俺のエゴでしかないんだからな。
だから俺がしっかりケジメをつけなくちゃいけないんだろ。
嗚咽を漏らす朝倉さんを抱き寄せ、
「もう一度言わせてくれ」
「うぇ……」
「君が好きだ。これからもずっと、オレのそばにいてほしい。君が許してくれるなら」
「い"いにぎま"っでるでしょ……っ」
彼女がひとしきり泣き終わるまで黙って彼女の後頭部を撫でていた――
――そして。
「朝倉さん」
「なに?」
まだ涙が乾ききってない彼女を見つめて俺は切り出した。
本当に朝倉涼子のことが好きなのだと言葉でなく行動で証明するために。
「っと、その……」
いや、こういう時は黙ってするもんだよな。野暮なこと言うもんじゃない。
彼女の蒼い瞳に吸い込まれるように、そっと肩へ手を伸ばし顔を近づけていく。
「……」
「……んっ」
高校2年1学期、終業式の放課後。
正確な時間なんて確認していない。
俺は幼馴染の朝倉涼子とこの日、はじめてキスをした。
――2日後。
夏休み最初のイベントこと文芸部夏季合宿が開催される今日この日も普段と変わらず朝倉さんに起こされるところから1日が始まる。
だがその内容は前例のないものであった。
「朝よ。起きて」
何割か増しで優しいトーンのような気がした声とともに揺り起こされる俺。
眼を開けるとベッドの脇には満面の笑みを浮かべる朝倉さんが。いや、何事ですかね。
寝起きで頭が回ってないがとりあえず挨拶を返す。
「おはよう、朝倉さん」
するとどうだろうか、
「もう! まだ
彼女は少しむっとした様子だ。
別に他人行儀ってわけじゃないんだけども、そう感じるのなら改めるべきなのだろう。
「あー……そうだな。おはよう、涼子」
「うん。おはよ」
しかし昨日の今日で顔を合わせることに多少の気まずさを感じていた俺だが、どうやら彼女の方は違うようだ。
でなけりゃ上半身を起こしてベッドから出ようとした俺にいきなり抱き付いてなどくるものか。
「何してんの……?」
「……少しだけこうさせて」
俺なんかの胸でよけりゃいくらでも貸してやるけどさ、マジで何事よ。
しまいにゃ猫か何かみたいに顔を擦りつけてくるし。
見てるか宇宙人、お前の宿主こんなんなっちまったぞ。
俺としては涼子と朝からストロベるのもやぶさかではないが、同世代の女子と比べて大きめのふにっとした感触――具体的な名詞を出すのは差し控えさせて頂きたい――が俺の理性をガンガン削りに来てるので何せず抱かれたままでいるのはとても辛いものがある。
やましい心がせめて別の感情へシフトするよう贔屓のプロ野球チームがボロ負けした昨日の試合を思い出し、怒りの炉心に火をくべながら孤独な闘いを精神世界で必死に繰り広げていると、やがて満足したのか涼子はパッと離れた。
いったいなんだったのか彼女に聞いてみたところ、やや恥じらいながら。
「だって、ようやくあなたと恋人同士になれたのに……合宿中は2人きりじゃないでしょ? だから今くらい、ね」
今度はこっちから抱き付きに行ってしまった。許してほしい。
こんな朝のスキンシップを惜しみながら身支度を済ませランデブーポイントの北口駅に向かう。
相変わらず一番乗りの光陽園ペアは気合が入っているのかなんなのか。まあ、今回は長野の時と違って三泊四日の予定なので自ずと気合が入るもんなのかもしれない。
荷物に関して、前はボストンバッグで充分だったが三泊ともなれば流石に厳しい。旅館に行くわけじゃないから寝巻きだって入れる必要がある。
よってスーツケースに衣類を詰め込んできたのだが俺は自前のを用意してなかったので親父のを借りてきた。
親父は出張なんて基本ないくせに妙な拘りがあるらしく、詳しい値段は聞いてないが海外製で高いヤツだから大事に使えと念押しされたな。
そんなことを思い出しながら涼宮と古泉のスーツケースと自分のを見比べていると、次いで鶴屋さん朝比奈さんの先輩コンビがやってきて、つまりまたしてもキョンがどんじりボーイとなった。しかも今回は保護者もとい保護対象同伴での登場ときたもんだ。
「こんにちはー!」
天真爛漫な笑顔で元気いっぱいに挨拶してくれたそのちびっ子はキョンの妹氏である。
キョンは妹氏を連れて行くつもりなどなかったそうだが、兄が出かけるのを察知した妹氏が連れてけと駄々をこねまくったので渋々動向を許可したんだと。
「すみません、急に連れてきてしまって」
「いいっていいって。かわいい旅のお供が増えるのは大歓迎だよっ」
申し訳なさそうにするキョンを意に介さず妹氏の髪をわしゃわしゃする鶴屋さん。
妹氏も嬉しそうで、なんだか尊い光景だ。
「ほんとにあの子がキョンの妹なの? 兄貴とは正反対みたいね」
ある種の感心を抱いた様子でこう言ったのは涼宮だ。
彼女の気持ちはわかる。俺も姉さんと全然似てないとかよく言われるがこいつはそれ以上じゃなかろうか。
それにしても、キョンの妹氏を見てるとなんだか昔の涼子を思い出してしまう。中学1年の頃の涼子はクラスで3番目くらいには背が低かったからな。
もっとも性格は今とさして変わらない。いや、俺に対しては多少棘があったような気もしたが、いつの頃からか良好な関係となっていた。
それはそれとして、国木田は今回不参加である。
当然彼も誘ってみたが夏休み早々に親族の集まりで北海道へ行くらしい。鶴屋さんの水着姿を拝みたかっただろうに残念だ。
さて、全員集まったところで前回同様この駅から私鉄に乗車しての出発となるわけだが今回は特急に乗り換えを行う。
つまり新幹線より時間がかかる上、俺たちが乗る列車のダイヤは1時間1本であり乗り換えの駅で小一時間足止めを食らう形となった。
もちろんそんなことは織り込み済みなため駅ナカの喫茶店で時間を潰す。ホームに備え付けられたカチカチのプラ椅子に座って何十分も待つだなんて死んでもごめんだからな。
ぞろぞろと店内に入り、適当な一角を見繕うとテーブルをくっつけて席を占領する。
左利きの俺は当然の権利を主張するかの如く左端に座るが、その右を我が物顔で埋めてきたのは涼子。
まったく、逃げも隠れもしないってのに。
で、おしゃべりもそこそこに恒例の席決めくじ引きだ。
「その結果がこれか」
乗車時間になり、指定席――贅沢なことにグリーンシートだ――に座った俺たち。
アームレストに預けている俺の左腕を誰が手つなぎで拘束していると思う。涼子だ。
俺は宇宙人の介入を疑っているのだが、ともかく厳正なるつまようじくじの結果俺と涼子が相席となった。
「なんの話?」
「いや、一昨日俺が普通に帰ってたら君とこうして手を繋ぐこともないだろうなって」
「でしょうね…………ねえ」
顔を涼子の方へ向けると、彼女はそわそわした様子で。
「もう1回、あの時あなたが言ったこと聞かせてほしいんだけど」
とんでもないお願いをぶちかましてきたではないか。
会話の流れからして一昨日のアレを言ってるに違いないのだが、移動中だぞ。無茶言うなよ。
「ええーっ」
「あんなの何度も言うもんじゃあないだろ」
「そんなぁ。また聞きたいのに」
「……ったく」
俺の方が立場は下なのでお願いされちゃ仕方ない。
涼子の耳元に小声で言う。
「君が好きだ。これからもオレのそばにいてくれ」
言ってて思ったが、なんだかプロポーズじみてないかこれ。
これで満足しただろうかと顔色を窺ってみる、めっちゃニヤニヤしてらっしゃる。見てて恥ずかしくなってきたので顔を窓の外へ逸らす。
すると彼女の方からも、
「あなたが好きよ」
お返しと言わんばかりに囁いてきた。ずるい。
声量を落としているとはいえベタベタ身体をくっつけてこんなやり取りをしてるため、はっきり言って俺と彼女が付き合ってるのはバレバレユカイだった。べつに敢えて全員の前で発表してないだけで聞かれたら答えるけど。
畑だとか山だとか谷間だとか、眺めてても無味乾燥な車窓風景が延々と続く線路を特急とは名ばかりのスピード感で走る列車に揺られる状況は睡眠時間に充てるのが最も賢い選択肢だと思うが、涼子相手にその択は使えないので文芸部とは別に彼女と俺の夏休み計画を立てるなどして2時間弱の乗車時間を過ごした。
特急列車から降車した駅は場末もいいところな閑散とした駅で、そこから更に貧弱な本数の田舎バスに乗ってようやく鶴屋さんの別荘に到着した。
我々小市民は別荘というとコテージ的なものや角ばった開放感がある邸宅を連想しがちだが、偉大なる先輩のそれは豪邸を通り越し最早ホテルとでも呼ぶべき壮大な代物であった。というか何も知らない人が見たら間違いなくホテルだと思うぞ。
ほんと、レベルが違え。
「皆様、お待ちしておりました。どうぞ中へお入り下さい」
別荘のスケールに圧倒されているうちに出迎えてくれたのはまたしても鶴屋家の使用人らしき白髪の中年男性だ。
今日はスーツ姿でなく、デニムジーンズにロイヤルブルーのポロシャツとおじさんらしい格好だが、歳の割に身体が引き締まっているのでおじさんはおじさんでもイケおじな感じがする。こういう歳の取り方をしたい。
聞けば別荘の清掃と食料品購入のために前日入りしていたとか。本当にお疲れ様ですとしか言いようがない。
別荘の中は絵に描いたような洋風屋敷であり、妙齢の女性使用人さんが部屋を案内してくれた。
俺たち全員を1人ずつあてがっても尚、客室の数に余裕がある状態だったがキョンの妹氏は小学六年生といえど流石にほったらかしにできないので朝比奈先輩と一緒の部屋に泊まってもらうことに。というか本人が朝比奈先輩と泊まりたがってるし。
さて、昼飯は駅弁を列車内で食べているため部屋に荷物を置いて即時行動を開始する。
正直ここまでのワクワク感は久しぶりだった。